ほろほろ旅日記2002 11/21-30
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リトアニア 11月21日(木) シャウレイ
●どう動こう
2時に寝て、10時に起きた。よく寝た。というより、これだけ寝ないと起きられなかった。
部屋は1211号室、つまりは12階の窓から外を見ると、白い。道路とかは黒いからそこまで降っているわけではないようだけど。もしかして、バルト三国で一番南だけど、一番寒いとかなんだろうか。
さて、今日のスケジュールは……どうしようかな。まずはツーリストインフォメーションで尋ねてみよう。
首都ヴィリニュスに行く前に絶対に行っておきたい十字架の丘とニダの情報を得ておかないと。なんかリトアニア気に入ったし、もうポーランドはスルーして、その分の時間をここで使ってもいいかも。
●迷走
11時にツーリストインフォメーションで十字架の丘のことを尋ねたら、ここのインフォメーション発行のパンフレットをもらった。それによると、次のバスは11時15分発だとのこと。
もう時間がないので大慌てでバスターミナルへ走って行ったら、時間的にはギリギリ間に合うタイミングだったが、バスの姿はどこにもなかった。乗り場を間違えたかとターミナル内を駆けずり回ったが、やはりいなかった。くそう、早発されたか。
そう思って窓口で確認してみると、そもそもそんな便はなかった。あれえ? 次のバスは13時10分だと。2時間後? なんだそれは。
とりあえず走ってきた意味はなかったが、せっかくバスターミナルに来たのだからと、クライペダ行きの時間を調べる。でも、そろそろ列車に乗りたいなあ……。フィンランドで夜行に乗って以来ご無沙汰だし……。うん、可能なら鉄道にしよう。ということで予定を変え、鉄道駅に向かう。ダイヤも料金も何も情報がないので、先に調べておかないといけない。
けど、歩いても歩いても駅が見つからない。ちゃんと地図を見て歩いているんだけどなあ。
シャウレイは古い町並みの残っていない町だけど、それにしても辺鄙な方へ向かっているような気がして仕方がない。これは違うだろう。引き返して、ちょっとはそれっぽいかと思えるところに行ってみるが、全然駄目。そこでたまたま作業をしていたおっちゃんに地図を示しながら、
「クル イラ ストティス(Kur yra stotis...駅はどこですか)?」
とガイドブック頼りのカタコトのリトアニア語で尋ねると、さらにずっと向こうとのこと。ううむ、場所を勘違いして歩いていたのか。着かないわけだ。ありがとう、おっちゃん。アチュウ!
そんなこんなでどうにかこうにか、くたびれ果てながらも駅にたどり着けた。
ダイヤを調べてみると、それなりの本数は走っているようだ。ここからならクライペダまで3,4時間で着くようだし。これは実際に動く時は鉄道でいけそうだ。
気がつくと、もう12時20分になっていた。仕方ないなあ。
お腹が減ったので、駅からそんなに遠くないホテルシャウレイの横のカフェに入る。バナナジュース(考えてみたらバナナなんて久しぶりだ)と豚肉のフィレ、ポテトを食べる。12Lt(3$)。
なんか疲れてしまった。
時計を見ると13時05分、そういや十字架の丘に向かうバスは13時10分発だっけ。今から5分ではバス乗り場まで行けないや。14時15分発の便に乗るか、もう明日にするか。考えようとするが、へばってしまって頭が回らないので、ともかく一息入れに部屋に戻る。
●方向転換
13時50分、外を見ると吹雪いてきた。これはもう、今日は十字架の丘はやめにするしかないな。
そこで予定を切り替え、シャウレイの博物館巡りをすることにする。まずはパンフレットを見て気になっていた猫博物館に行こう。
でも、パンフには通りの名前が書いてあるだけで場所が分からないので、ツーリストインフォメーションに尋ねに行く。行ったついでにバスの時間のミスプリントのことを指摘するが、平然と
「でもその次の便はあったでしょ」
だと。まず一言謝るのが筋じゃないのか。それともそれは日本的、アジア的な考えなのか? しかも
「今からでも次の15時40分のがあるじゃない。それで行けば?」
馬鹿言っちゃいけない。今からだと向こうで暗くなってしまうじゃないか。バスで8km、歩いて2km、10分と10〜15分だから大丈夫。って出鱈目言わないでくれ。
路線バスで8kmは15〜20分かかるし、2kmを歩いて15分って時速8km/h、走ってるじゃないか。16時半に着いてももう暗くなりかけてるって。吹雪いてるままだったらもう暗くなってるだろうし。本当、自分で考えて動かないとえらいことになってしまうよな。加えて今適当言われていることで気分もよくないし、依然として雪は降り続いているし。
やはり自分の計画通り猫博物館に行こう。入館料はわずか1Ltらしいし。
●猫博物館
別にシャウレイが猫で有名とかではないと思う。僕もこの博物館のこと、今日知ったばかりだし。でも存在を知った以上、猫好きとしては行くしかない。
博物館はシャウレイの中心部からは少し遠いが、その分静かな所にあった。住宅街の中の一角、大きめの二階建てビルの二階がその猫博物館だった。
すごい、世界各地の猫の写真とスーベニアでいっぱいだ。
どうもオーナーのおばさんが趣味で集めたものを公開しているようだ。
当然本物の猫もいる。というか普通にオーナーの飼い猫だろう。ミキとマリアという二匹は異邦人の僕を見ても気にせずくつろいでいるし、人懐っこい。
あああ、いいなあここ。
考えてみたら猫博物館なんだから、基本的に猫好きしか来ないだろうし、警戒する必要ないもんなあ。というか、博物館に来ている感覚なんてとっくになくなっているよ。もう猫好きのおばさんの家に遊びに来ている感覚しかない。
ノートが置いてあるので見てみると、日本人旅行者もそこそこ訪れているようだ。
久しぶりに撮った写真を送ってくれと言われたよ。
ああ、幸せな一時だった。
●自転車博物館
外に出て時計を見たら16時40分、もうすっかり暗くなっていた。やっぱりあの時間から十字架の丘に行かなくて正解だ。
冬の夜道を凍えながらホテルシャウレイまで戻ってきたところ、すぐ横にある自転車博物館が開いていた。ので入る。どうせこの後は暇だし。
入館料2Lt。
縦に細長いビル全体が博物館になっているようで、何階にも渡って昔の自転車からこんなのどうやって乗るんだ、ってような変り種自転車まで色々展示してあって面白い。
それにしてもここ、家族経営ってわけでもなさそうなのに、スタッフが皆、えらくフレンドリーだ。今までこんな博物館はなかったぞ。展示物の自転車には触りまくってもいいし。それどころか見ていたら、構わないから乗ってみてくれとにこにこしながら勧めてくるし。
自転車マニアってわけではないんだけど、かなり楽しめたよ。
●一日が終わる
今日行った二つの博物館は想像よりはるかに楽しめて大満足だった。けど、それはそれとして、今日はロスの多い一日だったなあ。
ホテルに戻って一息。
テレビをつけるとアニメの赤毛のアンをやっていた。この辺りで放送している吹き替えって、下の日本語を消さずに入れてるから訳が分からない。
まだ夜は浅いので、再度外に出る。
まずはネット。日本ではドラフト会議があったのか。ってブルーウェーブ、マック鈴木指名!? なんだそれは。びっくりした。
昨日と同じレストランで夕食。ちょっと張り込んで27Lt。ブリナイ(リトアニアのパンケーキ?)、ビール、串焼きのステーキ。おいしいけど、やっぱりどうしてもライスだけは東洋に及ぶものではないな。
さらにスーパーで買い物。CDも買いたい所だけど、どれがリトアニアの音楽なのかさっぱり分からないのでパス。寒いのでマフラーを買う。15Lt。真っ赤なポーランド製。
今日は早くホテルに戻り、たっぷり休もう。
リトアニア 11月22日(金) シャウレイ → 十字架の丘 → シャウレイ
●今日こそは
9時になんとか起きる。これなら10時25分のバスに乗れるぞ。十字架の丘に行ける。
今日は日の光も差している、いい天気だ。昨日とはえらい違いだなあ。
早々に準備を整えてバスターミナルに行き、ゆっくりと待つ。
●十字架の丘へ
10時20分、バスが来た。大体座席が埋まるくらいの混雑ぶり。観光路線ではなく普通の路線バスだけど、想像以上に人が多いや。目指す十字架の丘の最寄り停留所までは、1.20Lt。ここはバスの運ちゃんから切符を買う方式だ。なるほど、道理で乗り場のあたりで渋滞しているわけだ。
町を出外れて、平原の中をバスは行く。ここで気付いたんだが、ちょっと困ったことに、バス停にバスの名前が出ていない。どうしたものかと思っていると、近くに座っていたおっちゃんが英語で
「十字架の丘に行くのか? なら次の停留所だよ」
と教えてくれた。ありがとう。
「日本人か。よく来たな」
やあ、何も言わなくても日本人って分かるんですね。嬉しいなあ。
ただひたすらにまっすぐ伸びている道の途中にぽつんとある停留所で降りる。知ってないとここで降りるのは無理だったな。
走り去るバスを見送り、さて、どこに向かえばいいのかなと周りを見回していると、一緒に降りたおじいちゃんが
「こっちだよ」
と手招きして教えてくれた。アジアのようにべったりではないけど、リトアニアの人はフレンドリーだなあ。この距離感と自然さは実に好みだ。
農道を歩いていっていると、途中、明らかにアジア人のおばちゃんとすれ違った。
「You from here?」
と聞いてきたので
「Japan」
と答えると、笑顔で去って行った。この反応と顔立ちからして、多分中国人なんだろうな。
(この畑の中の農道を歩いているところの動画です。我ながらなんでこんなに勢いつけて回転してるのか謎ですが(^^;)
●十字架の丘
そして十字架の丘に到着。
……いや、凄いわこれ。
他に全然人がいなかったこともあるのか、迫力、文字通り迫ってくるような力があった。
平原の中にぽつんと、そんなに大きくない二つの丘があるんだけど、そこに、本当にびっしりと、十字架が。いや、びっしりとというか、ここまでくるとうじゃうじゃとと言うべきかもしれない。十字架の林というより、森というより、海だな。これはもう。
由来は今となってはよく分からないらしいけど、リトアニアの人口より多いという十字架の群には、この地の人々の切なる祈りとでもいうべき情念が感じられる。ソ連時代は禁域とされ、KGBや軍が何度となく取り潰してしまおうとしたが、その都度人々はこっそりと新たな十字架を架け続けたという話をガイドブックで読んでいなくても、この光景を見ればこの地に込められた気持ちの強さは伝わってくる。
丘の中に入ったら、どこを見ても、全て十字架。大きい十字架に引っ掛けるようにして小さいのを鈴なりにかけているし。
そんな中に、日本の定番の『世界人類が平和でありますように』があった。おいおい。
ここのキリストさんは、ガイドブックにもあったように、他とは少し違うな。コミカルと言っては悪いけど、困ったような顔をしていたりする。
そして中には十字架に掛けられておらず、腰を下ろして困った顔をしているものもあった。キリスト教伝来以前の宗教の特徴を残しているというが、納得だ。
そんなこんなてじっくり見てまわり、そろそろ帰ろうとしていると、売店(丘の近くに十字架関連の品を売っているテントがいくつかあった)のおっちゃんがカタコトの英語で声をかけてきた。
「寒いな」
「確かに」
下手に雪が降ってない分、余計寒さがこたえる。品物を買う気がないのは向こうも分かってるだろうけど、こんな日に野ざらしの地で黙っているのは辛いもんなあ。なんにしても確かにフレンドリーだ。しばしそのまま雑談。
●午前で終了
さて、シャウレイの町に戻ろう。
十字架の丘からバス停までの2kmをテコテコと歩いていると、後ろからやって来た車が横で停まった。何かと思ってそちらを見ると、窓を開けて
「乗りなよ」
と。
乗っていたのは、若い白人のカップルだった。シャウレイ在住の女性と、オランダ人の男性。この人達は大丈夫だと判断し、ありがたく言葉に甘えさせてもらうことにする。お邪魔します。
旅のことを問われるままに話しながら乗っていたら、せっかくだからとバス停ではなく、シャウレイの町まで送ってくれた。ありがとう。
おかげでホテルに戻ってきても、まだ12時10分。昨日、こう動けていればなあ。でも、今日のほうが天気はいいし、よしとしよう。
こうなったら13時とか14時とかに次の目的地・クライペダ行きの列車の便があればいいんだが、やはり今日はもう夜にしかないので、移動は明日だ。
部屋で軽く一休みするつもりが、えらく長く休んでしまった。気がつけば外にはもう夕闇が迫りつつあった。
16時00分に外に出て、ちょっと買い物。
本屋でリトアニアの地図と絵葉書を、CD屋でポルカを一枚(13Lt)。
そのあと博物館に行こうと思ったが、見つけられなかったので断念。
アクロポリスレストランでブリナイ(ビリナイ。パンケーキのこと)の夕食。
足りないのでスーパーでさらに買い足し。明日の朝食も買わないといけないし。そっか、ここでは肉が安いんだ。焼き豚を切り売りの112gで2.24Lt。
こっちの子供の物乞いは、はじめ普通の様子を装って話しかけてくる。が、目が全く笑ってないから一目で分かってしまう。厳しい注文かもしれないけど、せっかく演技するならそんな目をしてたら駄目だって。
リトアニア 11月23日(土) シャウレイ → クライペダ → ニダ
●移動日の朝
トイレに行きたくて5時半に目が覚める。そこから先、なぜか眠くならなかったのでそのままだらだらと起き続けた。
今日乗るつもりのシャウレイ−クライペダの列車は8時前の便もあり、変な時間に目が覚めたおかげでそれにも十分乗ることが出来たんだけど、なんか乗る気にならなくて、そのまま部屋でごろごろし続ける。
当初の予定通り、9時にチェックアウト。
●リトアニアの鉄道
一昨日に下調べが出来ていたので、迷うことなくまっすぐ鉄道駅に向かう。
窓口はそんなに混んでなくて、割合あっさりとクライペダ行きのチケットが買えた。19.40Lt。またコインが増えた。そろそろなんとかしないといけないなあ。
目指すクライペダはここから西、バルト海沿いの町だ。首都ヴィリニュスとは逆方向だが、見たいものがあるだけでなく、この後の動き的にもこっちがベストな可能性もある。ヴィリニュスには必ずしも行く必要はないかもしれない。
チケットを見るが、相変わらずリトアニア語のみだから日付や行き先、料金以外は何が書いてあるのかさっぱりだ。うーむ。
9時40分、列車が入線してきた。客車列車なのは当然として、客車は4両。どうも他の列車より速く走行するようなので、急行なのかな?
と、中に入って気付いたが、車両によって客の入りがえらく違う。座席指定があるのかな? 目の前にいた改札係の女の人(どの車両の改札係も女性だった)に切符を見せると、
「向こうよ」
と言われた。やはり指定があるようだ。言われた方に行こうとしていると
「あ、違った。反対側よ」
と。おいおい。
でも鉄道のスタッフ、皆はじめは厳格な顔つきをしているのに、少し話すとにこやかな笑顔に変わるなあ。
結局、僕の席は一番後ろの車両だった。なんか立派だが、2等車のようだ。
この車両はあまり混んでいなくてゆったりできるうえ、いいシートを使っていて乗り心地がいい。セパレートシートだ。しかも売店コーナーまである。線路自体も広軌だからゆったりしているし。いいなあ、これ。列車は思っていた以上に揺れず、乗り心地がいい。暖房もよく効いている。
……って、え? 先の改札係のお姉さん、売店の売り子もやっていた。だから全員女性だったのか。コーヒーかティーか尋ねてきたので、ティーを頼む。0.9Lt。
今日の天気は曇りだ。加えてガスも出ている。
シャウレイの町を出外れると、地面にうっすらと積もる雪も増えた。いかにも冬っぽくなったなあ。
などと思っていたのに、クライペダが近付いてきたら急激に雪がなくなった。リーガでもそうだったけど、海が近くなるとどうしてもそうなるんだなあ。
11時48分、クライペダ着。
わずか2時間の汽車旅だったけど、少しうたた寝をしてしまった。それだけ安全な雰囲気に満ちていた車内だった。
●クライペダにて
さて、クライペダ。雪はないし、地面も凍てていない。南下してきているのを実感する。
まず、駅そばのバスステーションに行く。ここから越境するバスの便があるか確認したかったんだけど、ユーロライン開いてないでやんの。土日は休みかな? ここから世界遺産のネリンガ砂洲の上にあるニダの町に行くバスも、今の季節はないようだ。仕方ない、旧市街まで歩いて行ってみよう。
……人口20万の国内第三の町らしいけど、そんなに大きな町ではないんだな。ガイドブックにはツーリストインフォメーションは土曜も開いているとあるけど、冬場だし、どうかな……。ま、一応行ってみよう。
なんか、制服や迷彩服を着た人、警察か軍人か知らないけど、えらく多いなあ。
その理由は、旧市街の中心、劇場広場に来てみて分かった。今日はここで軍用車両などの展示をしているんだ。市民に自由に触らせて、ニコニコしている。軍事力の身近な国だなあ。世界的にはこれが普通だったりするのかな。装甲車や特殊車両がいっぱい停車している。やっぱり現役の本物なんだろうな。
で。それはいいんだけど、懸念通りツーリストインフォメーションは閉まっていた。ニダへの行き方とか、いろいろ聞きたかったんだけどなあ。仕方ない。
それはそれとして、この機会にすぐそばにある小リトアニア博物館に行く。2Lt。シャウレイの自転車博物館と同額か。
予想はついてたけど、やはり入館者は僕一人だけだ。大リュックを置かせてくれたので助かった。
小リトアニアはこのあたりからロシアのカリーニングラード州(ドイツ領時代はカリニベルグのような名前だったようだ)地方を指すらしい。
昔の宗教の儀式のジオラマ、古地図、古コイン、昔の街並みの再現図、人の暮らしを人形を使って再現したもの、第二次大戦中以降のナチスドイツ−ソ連による支配、1988-1989年のリトアニア再独立時の写真資料(群集の写真からも、当時の熱気が伝わってくる)などがあり、なかなかに興味深い博物館だった。
その後、せめてもと劇場広場に面しているツーリストエージェンシーに行ってみる。『歩き方』によると、ここはドイツへの船便のチケットを扱っているらしい。クライペダからドイツに船で渡ることも考えてみたいから、ここにはどのみち来るつもりだったし。
まずはニダへの行き方を聞く。バスステーションからの便はなかったけど、普通の町なんだから、どうにかして行く事はできるはずだ。まずフェリーで運河の対岸にあるネリンガ砂州へ渡ってから、ミニバスに乗って行くらしい。それが分かっただけでも助かったよ。
さて、次は国際航路だな。
「アムステルダムに行きたいんだけど、このあたりからドイツかデンマークあたりに行く便はありませんか?」
と尋ねたが、なんと、ヴィリニュスかカウナスからバスに乗るのがいいらしい。360Ltで行けるようだし。船を使うと、とてもこの値では行けないんだとか。そっか、カウナスかヴィリニュスかあ。どちらも全く行く気がなかったんだけど、それなら行くか。その国際バスは昼に出て一日走り、翌日の昼に着くらしい。ただし月曜は除く。ふむふむ。
●ネリンガ砂州
情報収集はこんなもんかな。ではいよいよ世界遺産である全長100kmの砂洲の真ん中にある町、ニダに向かおう。
フェリー乗り場を目指して歩いていく。うお、風が強い。さすがは冬の海沿いだ。風があると、一気に体感温度が下がるからなあ。寒い寒い。
思ったよりすぐ近くにあったフェリー乗り場で尋ねてみると、次の便は14時発らしい。今は13時20分。半端だなあ。寒いけど、このまま待とう。
がらんとしていた待合スペースも、時間とともに人が増えてくる。砂洲側にはそんな大きい町はないはずなんだけどなあ。ちなみにフェリー代は無料。バンザイ。
そして14時、風に吹かれながら、はしけのようなフェリーでネリンガ砂洲に渡る。こういう小さい船は、アジアを思い出すなあ。間違ってもこんなきれいなのはなかったけど。
砂洲に上陸して驚いた。ニダに向かうミニバスは、20人乗りくらいのこじんまりしたものだったんだけど、それが何台も何台もぎっしり並んで客待ちしていた。これだけ人出があるなら普通のバスでいいんじゃないのか? 自然環境か道路事情的にミニバスが必要なのかな?
のんびりしていて最後に乗った僕は、入り口のそばに窮屈な格好で乗ることになった。この感じもちょっとアジアを思い出させる。
バスは松林の間の道をひた走る。
ソ連時代は高級官僚専用の保養地で、一般人は行くことができなかったというニダまでは50kmある。
その途中に町といえるのは、ユールマラだけだった。その他にも2,3の村に停車しつつ進んでいくが、とにかくミニバスは大混雑のまま、終点のニダに着いた。ネリンガ砂洲はまだ半分ほどだが、この向こうの町はロシア(カリーニングラード州)領なので、そこまでは行かないのだ。
時刻は15時45分。ミニバスの旅は1時間半ほどだったのか。思ったより速かったな。正直、日のあるうちにはニダに着けないかと思っていたよ。
●砂州の上の町、ニダ
ニダの町はまた風が強く、寒さも厳しい。さすがは砂洲上にある町。
これは、この感じは、もしかするとここも一つの「地の果て」か? 砂丘に行くのが楽しみだ。
この明るさなら今からでも砂丘に行けないことはないが、まずはホテル探しだ。『地球の歩き方』に載っていたホテルは開いてなかった。タイミングが悪いのか、冬場はオフシーズンだから閉まるのか。ちなみにツーリストインフォメーションは15時で閉まっていたので役に立たない。
にしてもクライペダからこっち、英語の通用度が驚くほど落ちたなあ。元々ドイツ騎士団領ということがあるからだろうけど、ドイツ語天国だ。そういう状況にもある程度慣れたから、そういう土地だと分かればさほど問題はないんだけど。
それはともかく、町中を歩いて探すが他のホテル・ヴィラも軒並み閉まっている。いくらオフシーズンとはいえ、一軒も開いてないってことはないよな……。なんとか開いているところを発見。町の中心からそんなに離れていない、Villa
Misko NAMASというところで、一泊80Lt。
ちなみにこの宿の人も、ドイツ語なら話せるけど、英語はちょっぴりしかできないらしい。このあたりはドイツ人と来るべきところだな。
それにしてもここ、他に客はいるんだろうか。なんかいるいない以前に明らかに改装工事の途中だし。やはり冬場はオフなんだろう。でも、きれいで広くてバス・トイレ付。感じのいいところだ。
●夜の帳が下りる前の町歩き
荷物を置き、時間がもったいないので外へ。
ネリンガでは風見が独特らしいので注意して見てみると、確かに他では見ない、凝ったものがそこここにある。
もう、写真を撮ると気をつけないとブレてしまうほどの暗さになっている。特に今日は雲が立ち込めているからなあ。雨、降らなきゃいいんだけど。
砂洲上の町なので、すぐそばが海だ。内海なのに、風がきついから結構波が来ている。うわあ。町のあたりは波打ち際に少し砂浜があるだけだ。
もうあまり時間がないので、とりあえず手近のオールドセメテリに行く。墓が見所ってのもなんだが、古墳とか、そこまでいかなくてもルーマニアでもサプンツァで陽気な墓ってあったしなあ。14世紀から使われている墓所で、変わったデザインの木製の墓標が林立している。
それから少し歩いていると、ネリンガ博物館を発見。2Lt。
小さい博物館で、少し高い気もしたけどネリンガの昔の船の模型、古い写真等、なかなかに興味深い。女の子が船に乗り、遊んでいる写真なんてのもある。ネリンガ独特の風見もいくつかあったし。
このすぐ横、同じ建物の一階が図書館だった。
ここでネットができるとのことで、入ってみる。日本語は出来なくても、ここから先大体のプランが固まったことだし、お世話になるオランダのトムとドイツのトーマスに連絡できればいいかな。ここ、日月は閉館か。今日は18時まで。2台あるマシンは塞がっていた。それもチャットしてるから、当分終わりそうにないな。仕方ない、ニダでのネットはあきらめよう。
外に出るとそろそろ本格的な夜になってきていた。
一度センターに戻り、今日のうちに少しでも砂丘を見ておこうかと思ったが、いい加減暗くなりすぎていたので断念。明日まで天気がもってくれますように。昼まででいいから。天気予報を見たら、低気圧が波状攻撃を仕掛けてきているからなあ。
夕食はレストランで。これも「地球の歩き方」に出ている店は大部分が閉まっていた。夏のみなのか、潰れたのか……。
セクリチャというところに入って、ビール(6Lt)とウナギスープ(15Lt)、ツェペリナイ(8Lt)。やっとここの名物が食べられたよ。幸せ。ウナギはやっぱり油が強いなあ。ツェペリナイ(気球。ツェペリン伯から? 形からつけられた名前らしい)の肉を包んでるのがマッシュポテトだなんて、知らないと分からないよ。なんかお餅みたいだったし。食べられて良かった。
帰り道の魚屋で、ここの名物のウナギの燻製を買う。一番小さいのを16Lt。ここにしかない味だというけど……。安くはないが、これも経験だ。
しかし、こうバタバタしていると、散髪に行けないな。
●夜は宿で大人しく
完全に夜になり、町もあらかた閉まったので部屋に戻って日記書き。しまった、シャンプー買うのを忘れてた。
何気なくテレビをつけると、なんと「風雲たけし城」をやっていた。谷隊長、懐かしい。
そしてこの国、今日のトップニュースは当然、アメリカのブッシュ大統領の来訪だった。ラトビアの次はリトアニアか。当然のルートではあるよな。ヴィリニュスにいなくてよかったよ。警戒は厳重だったろうから、ロクに観光どころか町歩きもできなかったんじゃないかな。
ウナギの燻製を食べる。うん、悪くない。悪くないけど、やっぱ蒲焼にしたいところだ。日本人としては。でもこうやって食べると、ウナギも魚なんだと実感するなあ。
……天気予報を見ると、明日は雨だ。うわちゃあぁ。
この宿、ホテルというよりは保養所なんだろうな。リビングルームはあるし、キッチン完備(ポットとか調味料まである)だし、普通のホテルとは大分趣が違う。リビングのテレビでは衛星放送が見れるし。
そういや今日、クライペダでエージェンシーの姉ちゃんにも言われたなあ。
「寒いのに何しに来たの? Cold.What are you doing?」
と。放っといてくれ。こういう寒い時期に旅するのが好きなんだよ。
テレビでやっているブッシュ大統領の演説、リトアニア語への通訳がついていて、通訳があって始めて反応している。本当に英語が通じないんだ。ブッシュ大統領もかなりシンプルな言葉に絞って話しているし。ヨーロッパでも、英語が万能って訳じゃないんだよなあ。改めて実感。
リトアニア 11月24日(日) ニダ → クライペダ → シャウレイ
●ニダの朝
4時25分にトイレに目が覚めた。もう一度寝て、8時過ぎに改めて起床。
いい時間に目が覚めた。外はまだ薄暗いが、今日ここを出るんだから、しっかり砂丘を見に行かないと。二重窓なのでよく分からないが、外のベランダは濡れている。寒いから開けて確かめる気にならないけど、天気は大丈夫だろうか。
昨夜考えたんだけど、この次に向かう町としては、カウナスはバスターミナルから宿が離れてるからパスするとして、やっぱヴィリニュスに向かおう。で、ヴィリニュス着の時間が微妙な時間だったら、シャウレイでもいいよな。なんと言っても一泊60Ltだし。
それはともかく、まずは世界遺産の砂丘だ、砂丘。
●砂丘/Kopa
9時前に外に出ると、小雨がぱらついていた。ま、これなら傘はいらんな、って程度だけども。
港を眺めながら砂丘に向かう。薄暗いが、堤防沿いに停泊する漁船、波間に漂う白鳥、雰囲気がある。
砂浜特有の平らで、下生えの少ない松林の中に突入。
散策コースになっているようだが、時期的なものもあって他に人はいない。
案内板によると、この砂丘は年に0.5〜10メートルも動き続けているそうだ。今までに記録にあるだけでも14もの村を飲み込んできた由。さもありなん。植林か自生かは知らないけど、ただ、砂一面というのではなく、植物がそこそこ生えている。でも、その植物くらいでは砂丘の動きを抑えることはできないんだよな。このニダの町も、いつかは飲み込まれて消えるのかな。
砂丘の下をよく見ると、木々が埋もれてしまい、その先端部分だけが見えているものが数多くある。遠からず完全に埋もれて枯れてしまうしかないんだろうなあ。
歩きつめ、パノラマポイントに到達した。相変わらず人の姿は全く見かけないが、時計が置かれているからここがビューポイントなのは間違いないだろう。
(二枚目は1600x1200です)
最高点に立って見渡すと、かなり遠くまで見晴るかすことができる。
西にはバルト海、東には内海のクルス潟(湖)。砂州の続く先、南方はロシア領だ。雄大な、荒涼とした、素晴らしい眺めだ。さすがは世界遺産。なんか嬉しくなってしまい、気がつけば一人で辺りを駆けずり回っていた。
でも、眺めがあまりに茫漠としていたため、写真で切り取ってそれを伝えられるアングルが少なかったのが残念だ。素人のカメラワークの限界かなあ。直に見たら凄かったんだけど。
(ということで、動画もよければどうぞ。少しは伝わるかな?)
●さらばネリンガ
砂丘は十分堪能できたので、宿に戻る。途中も味わい深い景色にいろいろ出会えた。やっぱ景色を楽しむのなら、都会より地方だなあ。
たっぷり寄り道して宿に戻ってきたら、まだ10時半だった。
これなら12時発のミニバスに乗れるな。宿代の80Ltを払ってチェックアウトし、11時20分にバス乗り場に移動。
誰もいない待合室でのんびり待っていると、一人の酔っ払いっぽいおっちゃんがやって来て、色々話しかけてきた。でもリトアニア語とドイツ語なので、何を言っているのかさっぱりだ。しきりに話しかけてくれるが、一向に言葉が通じないことに業を煮やしたおっちゃんがついに言った。
「イングリーザ?」
「テイプ(イエス)!」
「ブーー!」
いや、ブーイングされても(^^; でも全く嫌味ではない。ここから先はお互いの母国語とジェスチャーで会話を続けた。それでも最低限のことはそこはかとなく伝わった気がするから面白い。
話していくうちに分かってきたのだが、どうもこのおっちゃん、長距離バスの運ちゃんらしい。
「パリ、ロンドン、ブリュッセル、シュツットガルト、プラハ……みんな運転して行ったぞ」
こういう人とだべっていると、すぐ時間が過ぎる。いや、だべるっても全然会話になってないんだけども。旅のはじめの頃を思い出すなあ。
やがて時間が来てやって来たミニバスは小奇麗なもので、その頃には三々五々やって来ていた他の乗客の数は、大体シートの数ぴったりくらいだった。今度は先払い。6Lt。
発車したらついうとうとと寝てしまったが、12時58分にはもうクライペダへ渡るフェリー乗り場に着いていた。58分か。速いなあ。
クライペダ行きのフェリーは13時15分発。カモメが群がっていて、ムード満点だ。渡し舟に乗っていると、特に旅を感じるので大好きだ。
●再び、クライペダ
クライペダではこの寒空の中でやっていた露店で、アンバー(琥珀)を買った。といってもそう高いものではなく、大体一個が3〜7Lt位だ。その分小粒だけど、これくらいなら嵩的にも金銭的にも土産に丁度いい。やっぱり虫入りのは結構高くなるんだな。
あと、ユォドゥクランテにあるような森の妖精(ちとおどろおどろしい)の木彫りがあったけど、「俺が彫った」と売店のおっちゃんが言っていた。そうなんだ、お見事。ここでの買い物合計13Lt。
しんどいが、船着場から鉄道駅の一・二キロ程度の距離だとつい歩いてしまう。ということで、一路クライペダ駅へ。
ヴィリニュスに行くことは決めているが、次のバスの発車時刻は16時30分だ。今はまだ14時なのに。それにこの先、ヴィリニュスからオランダまではバスで行くことになるんだから、ヴィリニュスまではせめて列車で行きたいなあ。が、次のヴィリニュス行きは17時10分発だった。バスより遅いのか。ヴィリニュス着が22時だってのも、宿の予約もないし、ちょっと遅いかな……。
途中のシャウレイまで行くのなら14時45分にある。よし、今夜の宿は勝手知ったるシャウレイにしよう。
●再び、シャウレイ
今度はエクスプレスじゃないので、チケットは14.50Lt。安い。これならシャウレイに18時頃には着くはず。
発車の30分前にはもう入線してきた。他にすることもないのでとっとと乗り込む。
座席は古びたクロスシートだ。案の定、シートも硬くてちとお尻が痛かった。これだけ歩くと、さすがに大荷物がちとこたえるなあ。
発車してみると、乗車率はまあまあ。道中は何事もなく、17時45分にシャウレイ到着。
駅舎内で、まずは明日のヴィリニュス行きの時間を調べる。8時30分発の次は19時11分? やはり昼間の便はないようだ。ま、8時30分に間に合わなくてもバスはあるだろう。
で、ホテルはやはりとシャウレイホテルへ。
着いたら顔なじみになっていた受付の兄ちゃん、何も言わずに笑顔で一昨日まで泊まっていた1211号室のキーを差し出してきた。……あ、いや、新規のチェックインなんですが……。ま、一日しか経ってないしなあ。
で、チェックインしたら本当に1211号室になった。洒落が効いてるというか。
旅装を解き、外へ。
レストランで夕食。シャウレイでは同じレストランでブリナイばっか食べてるなあ。もう何も言わなくても自動的にビール大が出てくるし。長居してたわけではないけど、シャウレイではそんな定型な行動ばかりしてたんだなあ。
食後にネット。もうないものと思っていたのに、この期に及んでアレックス(独)から返事が来たよ。もうトム(蘭)とトーマス(独)にお世話になるって決めちゃった後だからなあ……。って、自分はいないけど両親のいる所に来ればいい、両親はほとんど英語を話せないけどよく言い聞かせておくから気にしなくてもいい、って、いくらなんでもそれは常識から外れてるだろう……。そこまでしてくれるというのはものすごく有り難いけど、さすがにその話には乗れないよ。
アレックス本人は今、フィリピンにいるのか。東南アジアリゾート三昧な旅になってるな、アレックス……。
スーパーで買い物。シャンプー、ティモテが一番安いとは。国が変われば、だな。
宿に戻るとMTVではまた日本アニメがやっていた。今度は夜遅いからか、少し大人向けのものを。日本のアニメのコンテンツパワー、ただ事じゃないな。国内での地位は低いのに……。でも本当、海外で日本製のドラマや映画は見た覚えがないけど、アニメは常に見かけてる気がするよ。あとバラエティーと。
リトアニア 11月25日(月) シャウレイ → ヴィリニュス
●今度こそ、さらばシャウレイ
昨夜から、なんか腹の下の方が痛い……。筋肉痛ではないし、トイレに行きたい痛さでもない。でもやっぱ、腸なんだろうか。
7時20分に目が覚め、8時過ぎにチェックアウトした。鉄道駅までは少々距離があるが、間に合うだろう。
シャウレイ駅に着くと一人、客引きがいた。
「ヴィリニュス? ブス!」
いや、バスに乗る気ならはじめっからバスステーションに行ってますって。場所もよく知ってるし。というか、こんな人気のない鉄道駅でなんでバスの客引きやってるんだ。
窓口に行ってチケット購入。
「一等? 二等?(言葉は分からないが、指サインで分かった)」
と聞かれたので、せっかくだからまだ乗っていない一等にしてみる。距離が知れてるからこれくらいは出せる。30.40Lt。……やっぱりそれなりにするなあ。
●首都ヴィリニュスへ
少し遅れて(リトアニアの交通機関のダイヤはかなり正確なのでちょっと意外だった)やって来た列車は、やっぱり等級表示が分からない。
近くにいた駅員のお姉さんに聞いて、真ん中の三号車だと教えてもらう。乗る時のチケットチェックで切符が回収されちゃったんだけど、いいのかな?
列車はさすが一等、いいシートを使ったコンパートメント。というか、寝台車両だね、これ。にしてもいい車両だ。一等には人がいないって、本当だったんだな。コンパートメントに乗客は僕一人だ。
係のお姉さんが「コーヒーかチャイか」と尋ねてきた。いや、チャイってもティーなんだけども。
やがて来た姉さん、ティーの他に水とクラッカーも持ってきた。一等料金内に含まれてるサービスなんだそうだ。夜行でもないのに食事サービスつきの列車なんて初めてだ。と、クラッカーだと思ったらウェハースだった。
外は平原がずっと続いている。ガスが出ていて、遠くまでは見えないけれども。うーん、さすがは平原の国。
そういやバルト三国での最高峰って、エストニアにある318メートルの山らしいしなあ。そりゃあ線路もまっすぐに引けるよなあ。
それはそれとして、まだお腹の痛さは続いている。これはもしかして、虫とかだったりするんだろうか。海外に長期いるといるものだって言うけど。
1045、やっとチャイ代を回収に来た。1.50Lt、OK。
外のガスは少し薄くなった。この国の列車は窓ガラスが汚れているのであまり車窓風景を撮る気にはなれないけど、広々とした国だなあ。国土はそんなに大きくないとはいえ。
空きのコンパートメントもあるし、こりゃ、ずっと一人っぽいな。快適快適。列車も快調に飛ばしていく。あんまり停車しないし、さすがはエクスプレス。
時刻表にはヴィリニュス11時44分着と出てたのに、11時27分に着いた。三時間足らずで着いたよ。いや、速いのはいいんだけどさ。
ヴィリニュス駅、大きい駅だけど、時間も早いし外に見える街並みがそんなに大きく見えなかったから違うかなとも思ったんだけど。ここだった。
●初見、ヴィリニュス
外に出ると、早速タクシーの客引きに声をかけられたが、相手にしない。
ヴィリニュスに長逗留する予定はないし、次の移動手段であるバスターミナルに近いところがいいので、駅前にある安いホテル・ギンタラスに投宿。『地球の歩き方・バルトの国々編』によると、以前から見るとかなり雰囲気は改善されたらしい。でかいホテルなだけに、空きは十分。値段は80,140,190とグレードが違う。80の部屋は古いよ、と言われたがそこに入る。
……うーん……。確かに古いや。シャウレイホテルも古かったけど、あっちはまだ清潔だったけど、これは……ちと汚い……。
安宿で旅してきたから別に平気だけど、リトアニアのレベルの国にある大きなホテルでカーペットや壁紙が汚れたままってのはどうも……。窓やシャワー、トイレが古いのは別にいいんだけども。一泊だけだし、140Lt張り込んでも良かったかな。ま、差額の60といえばシャウレイに一泊できる金額だから気にしないでおこう。フロントの対応は良かったし。この値段で朝食付きだし、テレビもサテライト付きだし。
部屋の窓からヴィリニュスVILNIUSの中心部、旧市街の方が見える。
……角度が悪いのか? タリン、リーガと違って尖った教会の姿が見えず、柔らかいムードなのはいいんだけど、首都の旧市街という観光ポイントが見えているはずなのに、汚れたままなんですが。窓が汚れてるからってだけじゃないよなあ。レストアが進んでないのかな……。もしかしてリトアニア、バルト三国の中では後ろの方か? 物価も安いし。
●旧市街で用事を
絵葉書を出しに行くついでに、町を散策。当然のように入手したIn Your Pocketを手に。
目的地たる郵便局の関係で、観光コースでもある旧市街の中に入っていく。この夜明けの門から向こうは旧市街だ。
こうやって歩いてみても、確かに尖った尖塔の建物はなく、丸い感じだ。エストニアやラトビアのリーガあたりではプロテスタントが多く、リトアニアはほとんどがカトリックらしいから、その関係かな。あれ? ……ってことは、バルト三国はこの地理的条件なのに正教会系じゃないんだな。
旧市街の街並みも、レストアがまだまだこれからって感じで、オフシーズンの今、道路や建物の改修工事がガンガン行われていた。
この町のネットは、一時間4Ltが相場か。シャウレイの倍だな。
郵便は6枚で7.2Lt。一枚1.2Lt(リタ)かあ。
あと、明日のアムステルダム行きの国際長距離バスのチケットを360Ltで買う。ユーロラインではなく、エコラインというバス会社だ。
結構混んでいる。もう満席に近かった。夜行バスなのに4列シートとは、きついなあ。これは座席によっては苦しい旅になるかも。お腹がなんか痛いのも良くならないし。
それはともかく、バスは11時50分発らしい。バスの走行時間は約25時間……時差があるから、もっとか? さすがにしんどそうだ。
●いつの間にやら旧市街散策
町は月曜なので、見所や博物館はことごとく閉まっている。いいんだけど。それでもさすがは旧市街、そこここに歴史的建物が姿を現すので、それを見て歩いているだけでも楽しい。
大聖堂と鐘楼を眺めやりつ歩いていく。目指すはこの向こうにあるゲティミナスの丘だ。
ゲティミナスの丘では景色はもちろん、ゲティミナス城と塔を見るのも楽しみにして登っていった。
正直、城は思ったよりも小さくて崩れてていまひとつだったが、塔は力強くてなかなかだった。塔のてっぺんにはリトアニアの国旗が翻っている。ロケーション的にも歴史的にも、ここがヴィリニュスのシンボルなのかな。
見晴らしもよかった。遠くの新市街はまだまだソ連時代の味気ないビル群が多くあったが、どんどん工事が行われているようだから、いずれ(少なくとも外見は最低限なりと)一変するんだろう。
帰りは聖アンナ教会の敷地を横切ってから、
裏路地を歩いていった。荒れているのではないかと思っていたけど、落ち着いていて雰囲気もあって、いい感じの町並みだった。
ふう、思いのほか楽しめた町歩きだった。
●あとはまったり
そしてここでも物乞いが。深刻な顔で、明らかに地元の人の格好で近寄ってきたと思ったら、
「Can you speak English?」
って、物乞い以外のなにものでもないわ。
マクドナルドの近所では、ダイレクトに「金くれ!」と手を出してきたけど。本当にピンチなのか、「営業悲愴顔」なのかは分からないけど。あげません。
マクドナルドで昼食、午後四時には暗くなってきた。ホテルに戻ろうとしていたら、こんなカードを貰った。日本でいうピンクチラシとかティッシュみたいなものかな。行く気は全くないけど、裏のカレンダーはいい記念品になるので、ありがたく貰っておく。
ホテルの中にある電気屋(修理屋?)のマシンでネット。日本語環境を入れてもいいって言ってくれたし。一時間5Lt。これがミニマムチャージ……って、一時間半で10Ltは辛い……。
おや? これからお世話になるトムとトーマスに何か買って行きたいんだけど、ヨーロッパ人にヨーロッパで土産を買うのって、どうすればいいんだろう? ライ麦パンも渡すまでの日数を考えると駄目だしなあ。ニダで面白かったウナギはここではスーパーにもないし。どうすんべ。ちょっと歩き回ったが、開いてる店自体、18時過ぎるとないよ……明日考えよう。
ともかくホテルのレストランで夕食。ちと高いがまあ仕方ないか。
あとは少々わびしいホテルの部屋で転がって過ごす。
リトアニア共和国 Republic of Lithuania → ポーランド共和国
Republic of Poland
11月26日(火) ヴィリニュス →
●久々の散髪
8時半に起きる。お腹の鈍痛は治まってない。なんだろう……?
朝食後、ホテルの一階にある散髪屋に行ってみる。東南アジアで切って以来伸びっぱなしなので、いいかげん鬱陶しいし、明日にはオランダでマレーシアで会ったトムと、そのご家族に会う予定なんだから、さっぱりしておかないと。
が、なんか知らないが入っていくと
「少し待て」
と外に出された。昨日覗いた時もそうだったが、なんかこっちを見下している感じがして、正直気に食わない。もういいや。ここには頼まない。
9時半に外に出てみる。ホテルから駅とは反対側に少し歩いたところ、ユースホステルの下にも散髪屋があったのを昨日チェックしていたので、そちらに行ってみる。
入ってみると、こっちはちゃんと愛想がいい。店のグレードもあまり変わらないように見えるのに。しかも値段を聞くと、わずか10リット(約300円)! ホテル下の散髪屋の料金の半値やん。危ない危ない、殿様商売にやられるところだった。
例によってパスポートの写真を見せて、「このようにやって下さい」と。
とはいえこの安さだし、そこまでの期待はしてなかったんだけど、ものすごく丁寧にカットしてくれた。シャンプーこそないものの、何度も櫛で梳いて髪の毛を払いのけてくれるし、虎刈りになっているところは何度でも整え直してくれるし、揉み上げにはカミソリをあててくれるし。嬉しいな。ここまでしてくれるとは思わなかった。ありがとう。
日本でもスポーツ刈りは普通のカットより高いところが多いのに、同じ値段でしてくれたし、所要時間も30分弱と早い早い。仕上げはドライヤーで丁寧に。
この散髪屋は当たりだったな。入った時は空いていたけど、後から次々に客が入ってきていた。やっぱり人気の店なんだ。
……ただ、この地のスタイルなのか、徹底的にドライヤーで上の髪を後ろに寝かしつけたもんで、僕の感じからするとなんか変。ヘルメット頭みたいになってしまったような気がする。
●出発準備
ともかく、これで次はトム・トーマスへの土産物探しだ。旧市街の中に分け入っていく。
しかし、これだというのがないなあ。宗教がらみのは念のためパスするとして、万人受けして、そこそこ喜ばれ、邪魔にならないもの……。日本のように・名物饅頭でもあれば楽なんだけど。あれって何だかんだ言って便利なんだなあ。思わぬところで日本を再発見。
仕方ないので、本屋でヴィリニュスのポストカード(1.20Lt) とブックレット(20Lt)を購入。これならなんとでもなるや。
で、10時50分。
早くホテルに戻って頭を洗わないと、切り屑でちくちくして鬱陶しい。今夜はバスの車中泊なのに、このままでは眠れないぞ。
その道中見かけた両替屋で、手持ちのリトアニアリットをユーロに替えておく。オランダではできるような気がしないし。レートはドルとほとんど同じ、1ユーロ3.4Ltくらい。240Ltを渡すが、向こうの手持ちの関係か、14.5Ltもお釣りが返ってきてしまった。ユーロは65ユーロ。ま、こんなもんか。他の国でやったら吸い込まれてしまっても不思議はないな。
で、ともかく部屋に戻ってシャンプー。じっくりブローしてくれたおかげか、思ったより切り屑は多くなかったが、やはり細かい切れ毛がいっぱいだった。洗い終えて頭を乾かしたらヘルメット頭もましになったし、よかったよかった。
11時20分、チェックアウト。
ともかく余ったお金を使おうと、高いのは分かっているが、ホテルのフロントで一番高かった水1.5リットルを買う。4Lt。
そしてバスターミナルへ向かいだす。
残る余剰金は11Lt少々。こんな大金、どうしようか……。そうだ、本だ! 地図なら嵩張らないし高いので、ちょうどいいんじゃないか。ということで近くの本屋に行き、物色。……結局、CDつきのゲーム雑誌にした。言葉も読めないしパソコンもないけど、衝動的に。10Lt。日本なら千円は下らない所だ。
残りは雑貨屋でチョコレートバー「JAZZ」のノーマルサイズを0.95Ltで買って終了。残る19セントゥス(0.19Lt)はもう、記念品でいいや。6円ほどだし。
●国際バス乗り場にて
11時30分、ホテルから歩いて行けるところにあるバスターミナルに入る。目指す発着所はターミナルの先端だ。
おとなしくアムステルダム(リトアニア語ではアムステルダマス)経由、ベルギーのブリュッセル行きのバスが来るのを待つ。うう、ここは吹きっさらしで寒い。同じように待っている人を数えると、ここから乗る人は10人ほどらしい。
……バス、来ないよ……。
乗降の手間を考えれば発車10〜5分前には来るはずなのに、11時50分を過ぎても来ない。遅れてるよ。まあ、バスなんて遅れるのは普通だよな。と鷹揚に構えて待ち続けるが、やっぱり来ない。これだけ寒いと、ただ待つだけってのも辛い。
12時10分、まだ来ない。
リトアニアではこれくらい遅れるのは普通ではないらしく、他の乗客も待ちくたびれている。目が合った人と肩をすくめ合ったりする。ついに痺れを切らせた乗客の一人、お姉ちゃんが携帯電話でバス会社に問い合わせたところ、2時間ほど遅れているそうだ。ちなみにこのバスはラトビアのリーガ発だった。って2時間!? 何があったんだ、一体。国境が大渋滞でもしているのか。アナウンスがないのはそんなもんだろうけど、アジアとかならともかく、ここリトアニアでこの遅れっぷりは半端じゃない。
仕方ないので他の乗客と一緒に待合室へ退避。
でも、もう使えるお金が残ってないんだよなあ。何もすることがない。トイレに行こうとしたら、使用料が1Ltだと。だから0.19Ltしかないんだって。仕方ないので、少し歩くが今朝まで泊まっていたホテルギンタラスまでトイレを借りに行く。どうせ時間はたっぷりあるし、バスターミナルとギンタラスの間はせいぜい200メートルほどだし。荷物はさすがに重いので、電話でバスの遅れを問い合わせてくれた姉ちゃんに見ていてくれるように頼んだ。ここまで一緒に待っていて、この人は信用できると判断したので。気軽に引き受けてくれた。ありがたい。
待合室に戻ってきたが、バスが来る時間まではまだまだだ。他の乗客と一緒にぼんやりと過ごす。本当に益体もないことをつらつらと考えたりして。こんな具合に。
・ これから乗るバスは、アムステルダムまでに三つの国境を越えることになる。リトアニア-ポーランド、ポーランド-ドイツ、ドイツ-オランダ。でも、そんなことを言ってたら、リーガ発リスボン行きのバスなんて、いくつ越えることになるんだ? 最低でも7つか……。
・ 待ち時間にデジカメの画像を確認していて思ったが、人間って景色を見る時、余程でなければ汚れたガラスや木の枝に見える景色を、手前の障害物を除去して感じることができるけど、これって生の景色に限るんだなあ。写真で撮ったのを見てもできない。少なくとも僕はそう。不思議なもんだ。写真では奥行きがないから、全てを含めて一枚と認識するってことかな。
・ そういやバルト三国ではホットドッグ屋台をほとんど見かけなかったなあ。昨日食べたビッグマックは、レタスが日本より少なかったし。北欧では「付け合せですか?」ってくらい溢れ返ってたのに。国・地域によってつくづく違うもんだなあ。
13時50分、そろそろだと思われる。この二時間で妙な連帯感が生まれた乗客仲間と連れ立って、乗り場に移動。
いた。我々が乗り込むエコライン社のバスだ。
チケットチェック、パスポートチェック、ビザの要不要の確認の後、乗り込む。
座席指定の45番って、最後尾の大シートの一つだったのか。隣は若い地元の女性二人。盗難とかは大丈夫そうな雰囲気だな。ただ、前の席の姉ちゃん(この寒いのにタンクトップで、肩にしているタトゥーを見せている〈ちなみにタトゥーは北欧とかで大人気らしく、専門の雑誌も何種類も出ている〉)、アイマスクに耳栓で思い切りリラックスしているのはいいけど、座席も限界までリクライニングさせてて、正直邪魔。この車内でこんなにリクライニングさせてるのって、この姉ちゃん一人だし。悪いことをしているわけではないが、ちょっと運が悪い。まだ昼間なんだけどなあ……我慢だ、我慢。
●国際バスでの長旅の始まり
さて、バスの長旅の始まりだ。発車してすぐ、係の姉ちゃんがチケットとパスポートを回収しに来た。なるほど。
おを、隣の姉ちゃん、ボウルにサラダを作って食べてるよ。車内で作るという発想はなかった。凄いな。
14時18分、ビザとパスポートが返って来た。ボーダー対策ではなかったらしい。控えを取っただけかな。
15時10分、リトアニア第二の都市、カウナス着。一息つきに外に出たら、その瞬間に乗務員の姉ちゃんが「あと2分で発車しますよ」と。えらく早いなと思ったけど、考えたら既に2時間遅れてるもんな。
カウナスの町はさすがにリトアニア第二の都市だけあって、栄えているのを感じる。
バスターミナルの近くは古っぽいレンガ作りのビルが多い。
それ以上じっくり味わう間もなく、15時19分、慌ただしく発車。
●久しぶりのボーダーチェック
16時30分、何かアナウンスがあって、ガソリンスタンドに寄った。ガソリンスタンドに寄るくらい、わざわざアナウンスしなくてもいいのにと思っていたら、ここを出たらトラックの大行列が現れた。蟻の行列みたいにずらあああっと。
ポーランドとの国境なのか? どうやらそのようだ。やたらに高い、無骨なアンテナが立っている。
などと見ていたら、ボーダー着。16時45分。ボーダー待ちトラックの列、10kmほどあったかな。
そして16時50分、乗り込んできた係官が、一人一人の顔をじっくり照合しながらパスポートを回収。うーん、僕だけパスポートの色が違うよ。薄々そうじゃないかとは思っていたけど、浮いてるなあ。
そういやタリンでちょろっと見かけて以降、ツーリストを全っ然見てないや。お腹も痛いままだし。
40人余りの分をチェックするのはさすがに時間がかかったのか、パスポートが返って来たのは17時30分だった。もうすっかり暗くなってしまっている。2時間の遅れがなければなあ。明るいポーランドは見られないで終わるな、これは。
ともかくこれでリトアニア(リエトヴァ)出国完了。
デューティーフリーショップとかのある緩衝地帯を行き、今度はポーランド入国手続きへ。出国手続きでもそうだったけど、入国手続きのコントロールにかかる前に、そもそもトラックがずらっと並んだ順番待ちが非常に長くかかる。外はもう完全に夜だ。
17時45分、ようやく入国コントロール到着。
係の人が乗り込んできて、チャクチャクと入国のスタンプを押していく。質問等もなし。ラトヴィア、リトアニア人がほとんどだからか。僕に至っては顔照合もなし。日本の先人の信用の偉大さがここでも。
入国チェックはあっさりと10分ほどで終了した。
しかし入国スタンプを、他に余裕のないページに押されるとは思わなかった。もう余分はない。出国スタンプがない国は今までにもあったが、出入国スタンプが別ページになる国は初めてだ。それともポーランドも出国スタンプがないのかな。
●ポーランド突入
ボーダーを抜けると、そこはポーランドだ。
バスはここで10分の休憩。とはいってもお金がない僕は何もできないけど。やっぱり使えるお金はポーランドズウォティなんだろう。バスで通り過ぎるだけの国の通貨なんて普通持たないって。
それでもカウナス以来、三時間ぶりの休憩だ。みんな降りている。僕も降りる。そんなに寒くもなく、気持ちよい空気だ。少しの時間ならジャケットもなしでいけるな。
しかしリトアニア、入国より出国のほうがはるかに手間だとは。こういうボーダーもあるんだな。休憩場所に両替屋があったので、暇つぶしに見てみる。ここでの両替レートは1ユーロが3.78……悪いなあ、やっぱ。入国のほうは逆なんだろうな。3.15とかなのかも。
18時05分から18時17分まで休み、出発。あ、時差が一時間あるから18時じゃなくて17時か。時計を直して……っと。
ここからオランダまでは同じ時間、日本と八時間差だ。結構東西に広いエリアだけど、無理がないかな? ないですか、そうですか。
車内のモニターで映画が始まったが、一人の講談師が全ての音声をあてている(被せている)バルト風吹き替えだったので、見る気力がなくなった。最後尾からだとさすがに遠いし。せめて複数の声優を使ってくれればなあ。このやり方だと、ものすごく平板な印象になってしまうんだよなあ。
20時45分、ポーランドに入って一回目の休憩停車。
バスでは晩ごはんは出ないので、ここで何か買いたいな……。っと、あちゃあ。危惧していた通りだ。そりゃ当然なんだけど、現地通貨しか使えない。だからポーランドズウォルトなんて持ってないって。買い物どころかトイレにも行けないとは……き……厳しい……。
しかしここ、もしかしてワルシャワかな? でっかいガソリンスタンドで、15分しか停まらなかったからよく分からなかったけど、そこまでの大都市ではないかもしれないし、よく分からない。
そういうことで言うなら、ポーランドの道、舗装はいいけどあんま太くない。メインルートを、幹線を走っているというのに、大型車同士ですれ違う時はみんなハンドルを切ってすれ違うスペースを取っているし。バルトではこんなことはなかったよなあ。
それにしてもくそう、お腹空いた……。こんなことなら、パンでも何でも買い込んでおくんだった……。24時間から走るんだから、食事くらい出るだろうと甘い考えを抱いていた自分が悪いんだけどさ。
と思っていたら、食事が出てきた。もう夜九時を過ぎているからないと思ってたよ……。さすがは2時間遅れ。けど、マフィンとクラッカーの軽食か。あるだけありがたいんだけどさ。
前から思っていたんだが、こういう車内での食事については、おにぎりと巻き寿司、キツネ寿司のある日本にかなう国はないんじゃないかな。携帯性・ボリューム等、勝負にならないもんな。日本万歳。
ポーランド共和国 Republic of Poland → ドイツ連邦共和国
Federal Republic of Germany → オランダ王国
Kingdom of the Netherlands
11月27日(水) → アムステルダム → アルクマール → ベルヘン
●延々とバスは行く
なかなか寝付けないのはいつものこととして、それでも22時過ぎにはなんとか寝た。
といってもたいしたリクライニングがあるでなし、同じ姿勢で座り続けているとお尻が痛くなるので30分〜2時間ごとに目を覚ましてごそごそと体勢を変えていたけど。やはり夜行に乗る時は、可能な限り寝台列車を使っていた僕の判断は間違っていなかった。座るのと横になるのとでは天地の差がある。
バスはなんだかんだで深夜便。結構なスピードで飛ばしている。
●EU(ドイツ・オランダ)の道を行く
3時23分、なんか車がいっぱい並んでいる所に来た。こんな時間に並んでいるんだから、まず間違いなくボーダーだろう。
見ると、この手の大型バスのレーンで、今、順番待ちの四台目だ。どれくらいかかるかな。4時23分、一時間も待たされて、ようやくパスポートの回収に来た。ボーダーは列車のほうが楽だな、絶対。
4時56分、やっと発車。返って来たパスポートを見ると、スタンプが二つ。ポーランドの出国とドイツの入国手続きを、一度に済ませてしまっていた。そりゃあ時間もかかるよなあ。こんなの初めてだ。
しかし分かっていたとはいえ、ポーランドは本当にただ通過しただけだな。仕方ないけど、印象は限りなくゼロに近いや。
5時06分、トイレ休憩。といっても五分だけだけど。灯りもない簡易トイレだし。まあそのおかげでお金はかからないし、外の空気も吸えてリフレッシュできたのでよし。
パスポート以外の実感はないけど、もうドイツに入ってるんだよなあ。
それはともかくお腹減った。格好いい靴磨きはいらないから、味噌汁欲しい。
バスの発車とともに眠りに落ち、8時20分、目が覚めた。さすが、道がいいと寝心地が違う。ドイツに入ってからこっち、ずっと専用の高速道路だ。空もよく晴れているが、ガスが凄い。とっくにベルリンは過ぎ、ハノーヴァーを目指している。
9時35分、パーキングエリアに停車。姉ちゃん、今回は何分停車か教えてくれなかったなあ。ともかく水を買って(ドイツだからユーロが使える)トイレへ。9時45分にバスに戻ると、もうみんなとっくに戻っていて、僕が最後の一人だった。今回も五分だけの予定だったようだ。すいませんねえ、だから言っておいてくれないと。
11時、やっと外の霧が晴れてきた。バスの中だと日差しが暑い。お腹も痛い。困った。
11時36分、ドイツを終え、オランダ入り。何のチェックもなく、それどころかボーダーの印らしき建物もなかった。気がついたらオランダの道を走っていた。これがEUか。アムステルダムまであと161km。二時間の遅れ、少しは取り戻せてるのか? なんにせよ、暑いよぉ……。
それにしてもオランダって、本当にまっ平らな国だなあ。感心するよ。
13時28分、ついにアムステルダムセントラルに到着した。バスに丸一日乗っていたにしては、それほど疲れなかったかな。
●到着、アムステルダム
話には聞いていたが、アムステルダムは本当に運河、運河な町だ。しかも建物が歴史的な重みを感じさせつつ、華麗だ。これはたいしたものだ。思わず感心してしまう。感心しながら大荷物を背に、アムステルダム市街を歩く。
まずはネット屋と、あとはドイツ行きの情報が欲しいのでツーリストインフォメーションに行く。平日の昼間だというのに、激混み。さすがと言うべきか。やっとれんわ。しかもインフォメーションにはミュージアムのパンフレットとかばかりで、フリーペーパーでは町歩きの案内図は見当たらない。面倒臭くなったので、じゃあまた次の機会にしますと外に出て、駅に向かう。駅舎も運河に面した、実に立派な駅だ。
トム家訪問の後はドイツに向かうので、インターナショナルトレインのインフォメーションを……なんかもう疲れたな。いいやもう。今日の話ではないわけだし、今度にしよう。
ということで人込みの中に分け入り、駅の中へ。トムの待つ郊外の駅へ向かおう。
●再会に向けて、インターシティで郊外へ
さて、チケット売り場はどこかな。自販機はそこらにあるんだけどな……。ああ、あったあった。トムの家の最寄り駅、アルクマールまでは片道5.3ユーロ。
乗るのはインターシティ(列車の種類。新快速みたいなもの)。もちろん列車も電車だし、きれいだし、先進国だなあ。そして、こういう先進国に来て、まず思うこと……高そう。貧乏長旅が体に沁みこんでるなあ。
空腹だし、トイレにも行きたいけど、後回しだ。とにかく列車に乗ろう。
ホームで待っていると、すうっと入線してきたのは都会的な二階建列車だった。え、これ? 追加料金不要だからあなどってたけど、ちょっとした特急車両並みのグレードじゃないか。
都市部を抜け、ちょっと郊外になると、まっ平らな草原を、縦横無尽に水路が走り、羊が草を食んでいる。イメージ通りのオランダの姿だ。それにしても本当に水路だらけの国だなあ。さすがにちょっと驚いたよ。そしてすんなりとアルクマール着。普通の先進国の地方都市って感じだ。まあ観光地でもなんでもないらしいから、それで当然なんだけど。
駅舎の外に出ると、いきなり目の前に「鉄板焼き」の店があったのには驚いた。そしてこれはアムステルダムから感じていたことだけど、ヨーロッパの先進国の町では、黒人と黄色人種が当たり前のように姿を現してくる。
●約四ヶ月ぶりの再会
さて、トムに電話で連絡しようとして公衆電話に取り付く。直接対面ならともかく、音声のみの電話で英語を話すのは相変わらず自信がないけど、トムとはマレーシアで問題なく会話できてたからか、なんかあまり心配ではない。さすがに英語にも慣れたかな。
が。
どの公衆電話もコインを入れても反応しないのは何故だ。使い方を間違っているわけではないようだし、壊れているのが多いんだな。ここでも世界的に公衆電話社会から携帯電話社会への移行の弊害が。とはいえ他に手段はないので、とにかく目に付いた公衆電話を片っ端から試していく。どれか一つくらいは使えるはずだ。
ようやくコインを入れると通電した公衆電話を発見。電話先では、トムが一発で出てくれた。予想通り、会話は問題なくできた。メールしていたおかげで待ち構えていてくれたようで、
「すぐに行くから駅前のバーガーキングの前で待っててくれ」
とのこと。
指示通りに待っていると、10分ほどしてトムが軽自動車(VW・フォルクスワーゲン製)でやって来た。久しぶりの再会だ。というか、最初はトムだと気付かなかったよ。ごめん、トム。なんかえらくさっぱりしてて印象も違ったし。(ちなみに、8月にマレーシアで会った時はこんな感じでした)
彼の運転する車(当たり前だけど、左ハンドルだ。この旅で、こんなにきれいな自家用車に乗せてもらったのは初めてかもしれない)で彼の家のある村、ベルゲン(Bergen)へ。村って謙遜しているけど、車で走っていると、結構大きい。話によると、人口も2〜3万はいるらしい。立派な町だよ。
トムの家に行く前に買い物をするとのことだった。オランダのスーパーかあ、それはそれで面白そうだ。とか思っていたら、着いたのはアジアの食材を扱う店。……えっと?
なんでも今夜はトムがタイのチェンマイで二日間、タイ料理教室に通って覚えたタイのグリーンカレーを作るらしい。オランダまで来てタイ料理を食べるとは思わなかったなあ。いや、懐かしいし、グリーンカレーは好きだから歓迎ですが。ペーストやココナッツミルクを探しているあたり、かなり本式なものを作るつもりのようだ。
その後、アルクマールの町を軽くドライブしながらプチ観光。きれいな町だなあ。公共的な場所はもちろん、道端に立つ一般家屋もそれぞれがきれいだ。もう暗いから写真は撮らないけど。運河、教会……オランダって、普通の町でこれなのか。参りました。そして彼の家へ。
●トムの家にて
……実に立派な、新しい家だった。近代的な鉄筋コンクリート製。ごめん、正直もっと民家風の家をイメージしていたよ。
車が到着したのに気付き、トムのお母さんが家の中から出て来られた。こんにちは、ご厄介になります。トムだけじゃなく、お母さんも普通に英語を話すんだな。
「オランダ語も英語もドイツ語もフランス語もスペイン語も、その辺りは根っこは同じだからね。結構簡単なんだ」
そうは言うけどねぇ、トム。まあ確かに日本語は、起源は分からないけど、少なくとも現代においては独立言語だからなあ。関西人の僕が東北弁や琉球弁を覚えるようなものなのかな……。
急に押しかけたからちょっと心配だったんだけど、お母さんも歓迎してくれているようで、まずは一安心。
二階の一室に通された。えらく大きい部屋で、
「兄弟の部屋だけど、今はいないからここを使ってくれ」
……いいの? ではありがたく。
旅装を解いて、トムとお母さんと三人で歓談。ここまでの旅のこと、日本のこと、トムと一緒だったマレーシアのこと、話題は尽きない。リトアニアのヴィリニュスから24時間かけてバスで一気に動いてきたと言うと、
「よくそんなタフなことをするわね」
と呆れられたりもしたけど。いや、時間はともかく、東南アジアの長距離バスに比べたら快適なものですよ。
付き合いではなく、心から日本にも好意的で、嬉しい限りだ。
まだ時間は早いが、旅の汚れを落としなさいと、シャワーを使わせてもらった。ああ、さっぱりした。昨夜はバスだったから余計に気持ちいい。
出るとお母さんが
「バスの長旅で疲れてるでしょう、もう眠いんじゃない?」
と気を使ってくれた。ありがとう、大丈夫ですよ。夕食の具材を買いに行くというトムについて、近くのスーパーへさらに買い出しに行く。おお、結構しっかりしたアジアコーナーがある。オランダは世界各地からの移住者を受け入れている国だというが、その影響かな。これで材料が揃ったらしく、帰るとトムとお母さんがタイカレーを作り始めた。手伝えることのない僕はリビングでテレビを見ながら待っていることに。しばらくして、「出来たよー」と声がかかった。
おー、ちゃんとタイ米でご飯も炊いている。お母さんにはタイの香辛料は刺激が強いのか、
「HOT!」
と言っているが、タイのに比べれば、ちゃんと普通に食べられる辛さに抑えてある。工夫してるな、トム。
「オランダに帰ってから初めて作ったよ」
数ヶ月ぶりだったのか。それにしては上出来だよ。おいしかった。僕は料理は詳しくないけど、日本料理というか、関東炊きくらいなら作れるよ。だしの素と醤油があればそれっぽくなるってだけだけど。
食後、オランダ独自のデザートが供された。牛乳パックに入っていた、vla(フラ)という液体プリンみたいなのをヨーグルトと混ぜて食べるらしい。おお、おいしい。これはいい。
ちなみにオランダは風車、チューリップ、チーズが自慢らしい。チーズは知らなかったなあ。
食後はリビングでテレビを見ながら話す。
お母さんがサッカーマニアというか、トム曰くサッカークレイジー、病膏肓に入っているというかなりなレベルらしい。オランダにいる日本人選手ということで小野の名前が挙がった。こっちでも知名度があるらしい。なんか名前はシュンジではなく、シャンジと発音されてたけど。シャンジ・オノ。オランダ語風なのかな。
その話から、日本でのスポーツの人気を聞かれた。プロスポーツで言えば、プロ野球、相撲、サッカーかなあ。(この時はゴルフや競馬は失念していた)と言うと、母子揃って
「ベースボールが!?」
と面白がっていた。やはりヨーロッパの人には意外らしい。オランダはヨーロッパの中では野球が盛んなほうらしいけど、そりゃあ報道において、他のスポーツを全て駆逐せんばかりな日本のそれとは比べようもないだろう。
あと、ネットをさせてもらう。わざわざトムのパソコンに日本語プログラムをインストールさせてもらって。ありがたく使わせてもらっていると、トムが興味深そうに目を輝かせている。
「おおー、俺のキーボードで日本語打ってるよー」
トムにはマレーシアで日本語の文字数がたくさんあることを教えているので、余計に不思議に思うんだろうな。普段二十数種類しか打ってない普通のキーボードで、何万種類の文字を紡ぎ出しているんだから。
バンバンタイピングしまくってどんどん変換して文章を打っていると、
「マジカル」
とため息をついていた。僕はなんだかんだでストレスなく打てるくらいにはタイピングスピードがあるので、余計にそう思うのかもしれない。
一時間ほど使わせてもらって、終了。
そうしたら、トムが金曜日に行く予定のドイツのパーダーボルンまでのルート、所要金額を調べ、プリントアウトまでしてくれた。ありがとう。なんかお世話になりっぱなしだなあ。
もっとリビングで話とかもしたかったけど、これは必要なことだったし、仕方ないか。22時半にお母さんが
「先に寝るわね。明日早いから」
と言って床に就いた。彼女は仕事があるらしい。やはり。そういやトムは帰国して二ヶ月になるけど、まだ無職のままらしい。肩身が狭いだろうなあ。ああ、明日は我が身だ。
気がつけば23時になっていたので、そろそろ寝よう。明日はトムがアムステルダムを案内してくれるそうだ。天気があまり良くないらしいのが気になるが、それは楽しみだ。まだプランは決まってないが、色々あるよという話の中に、聞き慣れた単語が。アンネ=フランクって、オランダの話だったんだ。
しかし、今回オランダに来たのって、先に帰国していたトムとメールでやり取りできて、誘われたからってのが大きいけど、僕としてはシベリア鉄道での帰国やルーマニア・トルコの再訪をほぼ諦めての決断でもあるんだよなあ。一人で見て回り続けるよりこの方が旅にアクセントがあると思ったし、トムやトーマスとはこの機会に会わないと、下手したらもう一生会わないかもしれなかったから、後悔は全くないけど。というか、旅の中で知り合った知人の家にその旅の中で訪問する、ってのもなかなか得がたい経験だと思うし。こういう海外放浪の中では特に。
オランダ 11月28日(木) ベルヘン → アルクマール → アムステルダム → アルクマール → ベルヘン
●ベルゲンの朝
9時半に目が覚める。人の家とはいえ、一般家庭のベッドで寝るってのはくつろげるなあ……。
昨日からいやってほど痛感しているが、オランダにあるオランダ人のトムの家だから当然、調度は全てオランダ人仕様だ。そしてオランダ人はとにかく背が高い人が多い。世界一平均身長の高い国とかで、男性は180センチ、女性でも170センチを越えているらしい。ちなみに僕は170センチに少し届かない、日本人平均より少し小さいくらい。そして典型的な日本人体型、いわゆる胴長短足でもある。これらが合わさるとどうなるか。トイレの便座の位置が高く、座ると全く足が届かないと言う悲しい事態が発生する……子供か……。
10時に下に降りていくと、ちょうど家の冷蔵庫の取替えが終わったところだった。そういや今日の朝はこの作業があるからあんまり早く起きなくていいって言われてたんだっけ。
まだ少し作業が残っていて落ち着かないので、軽くそのあたりを散歩。落ち着いた住宅街で、実に雰囲気がいい。いいところだなあ。
オランダの人って、自分のことをダッチって言う事がある。ダッチって、ジャップみたいな扱いの言葉かと思っていたんだけど違うようだ。
落ち着いたところで朝食。シリアル・パン(たっぷりのバターを塗ったパンに、これでもかというくらい、真っ黒になるまでチョコレートチップを振り掛けるのは、オランダ流の風習だそうだ。うわあ、すごい……)。
それからちょっと雨がちだけど、トムがアムステルダムを案内してくれるというので11時半に外に出る。
今日はトムのお母さんが仕事(マーケットでお金を数える仕事だそうだ。レジ打ちか経理ってとこかな)なので、車はない。なので公共交通機関を使って行くことになる。まずはバス。トムの持っている回数券を使ってアルクマール駅まで行き、そこで昨日も乗ってきたインターシティでアムステルダムへ。(往復チケットで9.5ユーロ。片道が5.3だったから、ずいぶん安くなるもんだ。というか、このチケット代までおごってもらうのは、さすがに申し訳ない……)
●アムステルダムの街を観光
あいにくの雨模様で、それも結構強く降っていたが、明るいうちに町歩きをしたいので、その旨をトムに伝える。
トムのお勧めとしては、カナルボートツアー(運河を船で巡る)とアンネフランク博物館、ファンコッフ博物館だとか。一番手近のボートツアーを見てみると、一時間で8.5ユーロと結構値が張っていたので、ツーリストインフォメーションにもっと安いのがないか、尋ねに行く。こういう時、言葉が完璧に通じる地元の人と一緒だと心強い。ここは英語が通じるし、まあなんとか旅できる程度には英語を話せるようにはなってるつもりだけど、やはりネイティブががベストだし。ガイドのいるツアーというのは好みじゃないので他に選択肢がない時以外は避けて来たが、地元民の友人が案内してくれると言うのは大歓迎だ。
そんなに離れていない所から出ているメイヤーツアーというのがいいらしい。一人頭5.5ユーロ。それで決まり。
雨でボートのガラスが曇りがちだったのが残念だが、運河から見るアムステルダムの町は、非常に興味深かった。教会や橋などの見所は、オランダ語・フランス語・ドイツ語・英語で解説が入るし。この町では車が運河によく落ちるので、ガードをつけたけど今でも週に一台のペースで落ちているらしい。嘘みたいな話だけど本当なんだろうな。勿体無い話だ。
ボートハウスというのがどんなものかと思っていたが、本当にボートの上が家になっているんだ。東南アジアでも船上生活者のボートは何度も見たが、こっちはずっと堂々とした、立派なものだ。つい最近新造(新築?)したらしいものもいくつかあったし。跳ね橋もたくさんあった。最も古い橋、六つ連続してる橋、等々興味深いものが次から次に現れ、一時間があっという間だった。
そして、少し町歩き。トムお勧めの小さなガーデンが二つあるそうなので、ついていく。
さすがヨーロッパ、自転車がかなり幅を利かせているなあ。専用レーンがあるのはさすがだけど、歩道を塞がんばかりに駐輪しまくり、歩行者も自転車用レーンを歩くしかないほどなのはちょっとなあ。
それはともかく、二つのガーデンの一つはアムステルダム大学(市内に校舎が分散してあちこちに存在しているそうだ)の一角だった。落ち着いた、四方を校舎に囲まれた、いい感じのところだった
次いで商店街と王宮(女王が、今でもたまに執務に使っているらしい)、
第二次大戦のモニュメント(今は待ち合わせポイントとして有名)と見ていく。
さすがは観光都市というか、路面電車の架柱一つとっても雰囲気があるものが使われていたりして、感心する。
そして至るところに現れる、大小さまざまな運河。観光ポイントを見なくても、町歩きするだけでもかなり満足できる。いいなあ、アムステルダム。
トムと一緒だから、珍しく自分を写真に撮ってもらったりもした(^^;
●ガーデン
それから、こっちは結構有名な観光ポイントでもあるらしい、もう一つの庭園に行く。都会の真ん中なのに、三方(この庭園は三角形)を中世風のマンション群に囲まれた庭園は、こちらも落ち着いた雰囲気の、くつろげるいい感じの場所だった。
周囲の古い家屋は木の柱を使っていて、それが建物の重みで上部が前に倒れ込むように傾いているものが多いらしい。言われてみれば確かに。なんだこれ。面白い。
昔は税金を安くするため、間口を狭く、奥行きをたっぷり取った家が多かった由。
このあたりは屋根のあたりにフックがある家ばかりだが、これは幅が狭い家が並んでいるので、引越しとかで家具を出し入れする際にここにロープを引っ掛けて、上げ下げするためのものらしい。そんな用途だったとは、思いも寄らなかったよ。
ガーデン(正式名称を聞き忘れてたなあ)を後にして、さらなる町歩きを続ける。
その途中、セックスミュージアムの前を通った。オランダはゲイやレズでの結婚も認めているリベラルな国なので、こういうものも普通にバンバン建っているらしい。確かにセックスショップとか、そこらにあるもんなあ。そういやデンマークでもミュージアムエロチカなんてのがあったっけ。オランダの人口は1600万人らしいが、そのうちゲイやレズの人口ってどれくらいなんだろう。
それにしても本当に運河の多い街だ。ヨーロッパではヴェネチアがあまりに有名だけど、ここも間違いなく水の都だなあ。
●ミュージアム
それからいよいよ博物館に。アンネ・フランク博物館も興味はあったんだけど、そこまで「よし、これに絶対行くぞ!」というほどのものでもない。トムに尋ねると、実はトムも行ったことがないらしい。
トムの希望を聞くとファンコッフ博物館がお勧めらしいので、ならばとそっちに行くことにする。しかし、ファンコッフって誰? 有名なのかと尋ねると、自信たっぷりに有名だという。ペインターだというが、誰だろう。僕でも知ってる人かな……。
ん?
ふと思いついて、スペルを尋ねると「VAN GOGH」。ヴァン・ゴッホ。ゴッホか! そりゃあ確かに世界的に有名だわ。ごめん、気付いてなかったよ。
それなら少々歩いてでも行こうとするのも、入館料に7ユーロかかるのも納得だ。
そこに向かう途中で通りかかった大きな博物館。こんな大都市なのに、その前には広大な公園もあるし、昔から都市設計には配慮されてたってことなのかなあ。
ゴッホ博物館に着いた。
中に入ると、なんと日本語のパンフレットもあった。たいしたもんだ。アムステルダムだし、よほど多くの日本人が来るんだろうな。事実、内部にはたくさんの日本人がいたし。
ゴッホの絵を時代を追って見ていく。はじめの頃は、どちらかというと重めの色使いの絵を描いていたんだな。そして、非常にリアリスティックな絵も描いている。うっかりすると写真かと思ってしまうような。こういう力のある人だから、逆に抽象的な絵画が描けるって、ピカソとかでも言われてるもんなあ。日本の漫画家で有名なところでは、石ノ森章太郎とかもそうだし。後年の、いわゆるゴッホらしい絵を見るにつけ、強くそんなことを思った。
僕は絵は全くの素人だが、それでも凄さは分かる。こんな大胆なペンタッチでこの表現力。凄すぎる。実物を見るってのは旅でも絵画でもなんでも、別のものなんだなあ。果物や靴などの静物画は、僕のような素人にはあんまり面白くなかったけど。
あと、ゴッホにゆかりの深い絵も展示してあるんだけど、その一フロアの半分を使って、江戸時代から明治の初めにかけての浮世絵と、その仲間の絵がいっぱいかけてあった。日本の絵か。よもやこういうシチュエーションで見るとは。懐かしいと言うかなんと言うか……。そういやゴッホは日本と関係の深い人だったんだよなあ。
見応えは十分すぎるほどだし、これならチケット代も高くない。けど、やっぱり展示物があまりに多いと疲れてしまう。最後の方はトムともどもヘロヘロで、かなり流して見てしまった。
一通り見終え、最後に土産物コーナーを見るも、何も買わず。8.85ユーロの「ひまわり」のマウスパッドは後から思えば欲しかったかも。
●夜のアムス
ゴッホを見終えて外に出ると18時前。もうすっかり暗くなっている。
トムが帰るかまだ見て歩くか聞いてくる。見て歩くっても、もう夜だし、特に見るものもないんでは……。そう言うと、
「ならレッドライトを見るか?」
と言ってきた。それって何? レーザーショーみたいなものかな? と思って尋ねてみると、飾り窓のことらしい。いわゆる売春街だ。そんな気はないよ。何、通りを観光するだけ? オランダでは売春が合法なのは知ってたけど、観光名所でもあるのか。驚いた。
すぐそこだと言うので、せっかくここまで来たのだからと見に行く事にする。トラムに乗って。
途中、トムが絵葉書を買おうとしてその高さに悲鳴を上げたり、家の母親に「帰るから夕食よろしく」と電話をしようとしたら、携帯の普及で生きている公衆電話がなかなか見つからずに(昨日の僕と同じだな)また悲鳴を上げたりしていた。
で、飾り窓。
まだまだ時間が早いのでほとんど人がいないが、それでもいくつかの窓は開いていて、中に女の人がいた。道に面した窓−と言っても人が出入りできる大きさのサッシになっているのも多いのだが−のすぐ向こうが「仕事場」になっているのもあったりして、びっくり。
レッドライトか、なるほどな。確かに赤い光が多い。
そしていくら人種のるつぼと言ってもそこは欧州、顔と化粧が濃い白人さんが多い。しかも服装はビキニが主流。うーむ。当然、並びにはセックスショップ(大人のおもちゃ屋)も多く、日本人の若者(せいぜい20台前半にしか見えない)も大勢いた。へえ、この時期でもいるんだ。
日本人の若者二人連れがそこらの店で大きい紙袋一杯に買い物をしたらしく、ほくほくしながら
「これどうする? 俺は日本に送るけど」
などと大声で話しながら歩いていたが、トムと一緒にいる僕の姿に気付いて急に黙り込んでしまった。その行動がいかにも日本人だなあ。
あと、やはりこの近辺は風俗街らしく、この辺りのコーヒーショップではマリファナが何種類もメニューにあるらしい。そういやマリファナもこの国では合法だっけな。トムはやったことないそうだが。
アムステルダムでは他のヨーロッパの街と比べても、特に黒人やアジア人の姿をよく見かけるなあと思ってそのことをトムに話すと、オランダではインドネシア、マレーシア、スリナムなどからの移民を受けて入れているからだそうだ。なるほど。
などなどと、疲れたけどたくさんのものが見れたし、充実した楽しい一日だった。トム、ありがとう。
アムステルダムは見所の多い町なので、一日程度では全然足りないそうだが、それでもわずか一日で見てまわるにしては、なかなかのグッドインプレッションだった、とはトムの弁。アムステルダムについてはガイドブックどころか何の情報も持っていないので、そうなのかとしか思えないけれど。というか、メールでトムが誘ってくれなかったら、オランダには間違いなく来てなかったよなあ。
●ふたたひ、トムの家にて
IC(インターシティ)でアルクマールに戻ると、お母さんが迎えに来てくれた所だった。
20時に家に帰ると、お母さんがオランダの料理を作ってくれていた。飲み物はワイン、ボジョレーヌーヴォー。フランスはお隣さんだもんな。肉厚のハンバーグとふかしたポテト、ひき肉と野菜のソテー。食べ物にしても、アジアとは本当に違う文化だよな。家庭料理をご馳走になると、より強くそのことを感じる。
食後のトム一家との会話の中で
「日本をこんなに離れる、その動機は?」
とお母さんに聞かれたが、なんだろう。色々あるけど、旅が好きだし、多くの文化や自然、人を見たくて、たっぷり時間があるのは今だけだから、かなあ。
「英語は学校で習ったの? 6年? 大学を入れると8年? なるほどねえ」
いや、僕は英語に関しては落第生ですよ。何度も赤点を取ったし、高校では英語のせいで危うく進級できないとこだったし、大学では何度も落としてようやく単位が取れたレベルだし。まあ、単語力の大半はその時に身につけたものではありますが。でも、ヒアリングとスピーキングは99%、旅に出てから身につけたものですよ。
「そんな気にしなくていいわよ。普通に分かるわよ。この八ヶ月、頑張ったのね」
ありがとうございます。そう言ってもらえると本当に嬉しいです。海外一人旅では英語が話せないとどうにもならないという必要に迫られてのことだったけど、それくらいにはなれてたのか。
オランダは国土が小さいし、他国と陸続きなので、他の有力な言葉を選んでどんどん覚えないといけないそうだ。英、仏、独、伊、スペイン……大変だあ。
食後、ここまでの旅の写真を見せる。128のスマートメディアに1000枚近く入っているものが5枚ほどある。さすがに多すぎるので、一枚目でギブアップしていた。そりゃそうだよなあ。そんなお母さんにお勧めとして、イスタンブールの写真を見せる。
そしてトムに彼が撮ったマレーシアの写真を見せてもらう。うお、あの時は気付いてなかったけど、僕ってこんなに写真に撮られてたのね。お母さんに「あなた、この時より少し太ったわね」と言われた。……やっぱそうか……。
改めて思うけど、今のデジカメでは銀塩写真のクリアーさにはまだ到底及ばないな。デジカメがフィルム並みにしようとしたら、1000万画素くらいいるんだっけ。そのうちそんな時代も来るんだろうな。
トムにはとっておき、ラオスのシーパンドンの夕焼けを見せてあげた。夕焼け好きにはたまらない写真だから、チニ湖で一緒に夕焼け写真を撮ったトムなら気に入るはず。やっぱり。ああ、また一人、ラオスに行く決心をさせてしまった。
まあ元々、彼とは「タイがスマイルの国なんて嘘だよなー」とか意見も合っているし。そうですよ、ラオスには今のいい国であるうちに行って下さいな。
写真の見せあいをしてだべっているうちに、かねてから気になっていた、英語で「友人というほどではない知り合い」、とか「ちょっと会っただけの顔見知り」、とかをどう言うのかが分かった。
「person」。
それでいいのか。まあどうも英語には日本語ほど細かい関係を表す言葉はないようだしなあ。
あとはリビングでテレビを見ながらティーとお菓子をご馳走になり、またしても折り紙。トムが覚えていて、やってくれと言うんだもん。やっぱり鶴の受けが一番いいな。
とかしているうちに、もう23時半。今日はもうお開きだ。
僕は明日にはここを出てドイツのパーダーボルンに向かう予定だが、トムもトムで明日は友人が遊びに来ることになっているらしい。なんでもビーチで遊ぶ予定だとか。ここベルヘン(Bergen。ベルゲン)からビーチはそう遠くないらしい。いや、それは確かに地図を見ても分かるんだけど、最高気温が8度とか言っているこの時期にビーチって……何するの? 砂浜で走り込みのトレーニングくらいしか思いつかないんですけど。
それはともかく、本当に良くしてもらいました。いくら感謝してもし足りない。特にお母さん、ありがとうございます。オランダ料理のディナー、おいしかったです。トムと夕食はアムスで済ませる選択も話してたんだけど、帰ってきて良かった。やはり家庭料理はいい。この幸せな気持ちのまま、眠りにつこう。
オランダ王国
Kingdom of the Netherlands → ドイツ連邦共和国
Federal Republic of Germany
11月29日(金) ベルヘン → ユトレヒト → パーダーボルン
●ありがとう、トムとお母さん
9時過ぎに目覚めた。10時過ぎに朝食の後、メールチェックをさせてもらい、11時半、トムの運転する車でベルゲンを後にする。
お母さん、本当にありがとうございました。今朝も日本の音楽や果物についての話を振るなど、気を使ってくれていたし、ペットボトルの水も入れ替えてくれたし。
で、トムがちょうど友人を迎えに行くついでがあるからとのことで、アルクマールまでではなく、ユトレヒトまで送ってくれることになった。
●さようならトム、さようならオランダ
まずはアルクマールで切符を購入。少し遅くなるけど、ずっと安いチケットがあるとのこと。で、43.2ユーロでパーダーボルン行きを購入。
この購入なんかも一人だと厳しかったよなあ、ありがとう。
13時30分頃、ユトレヒト着。列車の時間まで、まだ一時間ほどある。トムが貸してくれたテレホンカードでドイツで待っているトーマスに電話。到着予定時間の連絡等をする。うん、これでピックアップしてくれる手はずも整った。それにしても、日本語が通じない相手に電話するのも慣れてきたなあ。
いろいろ世話になりました。ありがとう、トム。トムとはここでお別れだ。彼も元々の用事にかからないといけない時間だし。全く来る予定のなかったオランダだったけど、おかげで本当に楽しく過ごすことが出来たよ。トムとそのお母さんに再度、感謝。
トムを見送ってからホームに行き、列車を待つ。4番線で14時32分に来るはずだ。
定刻にやって来たので乗り込む。次の乗り換えはわずか10分後、一つ目の停車駅のAmersfoortなので、座らずに入り口近くで立って行く事にする。出てしばらくすると、検札がやって来た。切符を見せるとその車掌さん、親切に
「アメルスフォートで乗り換えのホーム番号は分かってるか?」
と尋ねてくれた。もちろん知らないので、好意に甘えて教えてもらう。この列車は2番線に着き、次のドイツに行く列車も同じ2番ホームに入ってくるという。助かりました。本当、いろんな人に生かしてもらってるよなあ。
で、アメルスフォート着。
2番線で待っているうちに、一分ほど遅れて入線してきた列車はなんか変わった座席配置で、ちと戸惑う。もっと困ったのが、えらく乗車率が高いことだ。空席を喫煙車両でしか見つけられなかった。大荷物を持っていると、こういう時に不利だ。
ちょうど少年サッカーの集団がいて、そのバッグを見るとFEYENOORTって、フェイエノールトか。小野がいるところじゃなかったっけ?
こっちの列車は犬も連れ込み可だからすごい。盲導犬じゃなくてもガンガン普通に乗って来るもんなあ。またこれが、実にしつけが行き届いているんだ。素晴らしい。自転車積み込み用車両も当たり前のようにあるし。
喫煙ブースといっても吸う人は二、三人しかいなくて助かった。日本だと喫煙ブースの空気はタバコの煙で出来ている、みたいになっていることが多いけど、こっちではスモーカー自体、そんなに多くないのかな。
16時20分、列車が停まった。妙に長く停まっているところからして、ボーダー駅なのかな。機関車も付け替えてるし。
●三度目のよろしくドイツ
しかし、16時30分になっても発車しなかった時には少し焦った。いざ発車したらしたで、なんかえらくかっ飛ばしているし。何か知らないけど、遅れたんだな。
16時41分の予定が、16時45分に次の乗り換え予定駅、RHENE(レネ)着。
車掌さんも、近くにいる乗客の兄ちゃんも親切に「次だよ」と教えてくれる。僕が礼を言って降りようとすると「チャオ」と。……イタリア語だっけ。
次の列車は……パーダーボルン行きか。終着駅なら何の心配もいらないな。その列車をこれまた降りた5番ホームで待っていればよかったので、楽だった。反対側の4番ホームには、行かなくなったけどビーレフェルト行きが停まっていた。すまんな、アレックス(独)。
やがてやって来た列車は、すごく立派な近代的電車だった。ちとびっくり。先進国なんだから何の不思議もないんだけども。
そんなに乗客は多くなく、四人がけコンパートメントの一つに一人で座っても余裕がある。ちょこちょこ停車しながら行くようなので、これから混んでくるのかもしれないけど。これも4分ほど遅れて、16時55分発車。
やっぱ電車は速い。さすがに外はもうすっかり暗くなってしまっている。
自分の英語能力、せっかく臆せず電話できるようになったけど、帰国したら退化していくのがわかっているのが勿体無い。でも日本だとそういう仕事をしないと不要な能力だもんなあ。
暇なので駅で手に入れたパンフレットを見る。各国のユーロ硬貨のデザインの違いが一覧になっているものが興味深かった。
夜のドイツを車窓から見ると、思ったほど家の灯りは多くないような。でも、たまに現れる街灯と建物を見ると、さすがは先進国だと思わされる。ミュンスター、ハムと大きい町に寄るたび、乗客はどっと降りて、どっと乗って来る。とはいってもそんな、ラッシュというほどの混みようではなかった。時間的なものか、時期的なものか、地域的なものかは分からないけど。
サッカーのサポーターらしき数人が歌っていたってのはあったけど、それ以外はみんな静かに列車に乗っている。車内放送もあるし、なんというか、馴染み深い雰囲気を感じる。時折隣に座ってくる人も、これまでの他の国のように当たり前に座ってくるのではなく、
「ここ空いてますか?」
と礼儀正しく尋ねてから座ってくるし。
●パーダーボルン着&トーマスとの再会
19時05分、次はパーダーボルンとアナウンスがあった。いよいよだ。遅れは取り戻せたようで、パーダーボルンには定刻に着いた。たいしたもんだ。
けど、駅の外に出て見回してみても、あたりをうろついてみても、トーマスがいない……。しばらく待っても来そうになかったので、仕方ないから電話してみる。が、何を間違えているのか、回線が繋がらない。おいおい。
いろいろ考え、調べた結果、頭に0をつけていないからだと判明。一般電話でも0発信なのか。これでどうにか、連絡がついた。トーマスもすぐやって来てくれた。どうしたんだろうと思いながら待ってたんだろうなあ。ごめん。
迎えに来てくれたトーマスは、再会した瞬間から、実によく喋る。まさにマシンガントークだ。ちと圧倒されたよ。タイで会った時もこんなにシャベリだったっけ? まあ、そもそもあの時は僕がほとんど英語を喋れなかったからなあ。トーマスも正直なところ、4月に会った時は僕の英会話能力を
「こらあかんわ」
と思っていたそうだし。そりゃそうだよなあ。(旅日記の4月23〜26日分を参照下さいm(_ _;)m)
どうもトーマスは、僕が電話で到着時間を「セブンピーエム」と言ったのを「セブンティーン」と聞き違え、5時台にここでずっと待っていてくれたらしい。ううん、申し訳ない。「ピーエムセブン」か「ナイト、セブン」「ナインティーン」あたりにしておいた方が間違えなかったのかな。
夕食は、何かドイツの伝統的なものにしようとレストランに行く。が、まさか20時から22時まで二時間も、料理が出てくるのをひたすら待たされる羽目になろうとは。まあその間、ビールは何杯もおかわりしたんだけど。ドイツではビールを頼む時、個人に割り当てられたコースターの裏に何杯目か書いていくそうだ。さすがビール好きの国。何杯も飲んで当たり前なんだな。で、出てきた料理はボリュームに満ち満ちていて、お腹一杯になった。満足満足。
その後は、トーマスの家でくつろぐ。
いくら地方都市とはいえ、すごく大きいマンションの部屋をトーマス一人で借りている。3部屋に、キッチン・バス・トイレ・廊下とは。住宅事情の違いを感じる。それともトーマスが稼ぎまくってる人なのかな。
しかしトーマスが26歳で、東ドイツの出身とは知らなかった。ということは、年齢的に東ドイツ時代に思春期の前半を送ってるんだよな。その反動か、いい所に勤めているのか、僕から見たらいわゆる「ヤンエグ」にしか見えないよ。この年齢で東ドイツ出ってことはベルリンの壁崩壊の頃は13歳くらいか。小さい頃はきつかったのかな。お父さんが写真家だったって言うから、どんな生活水準だったのか想像もつかないけど。
それにしてもこのマシンガントークについていくのはちとしんどい。常に集中してないといけないし。しかも無理はないけど、4月の喋れない時のイメージが強いのか、すぐに
「You understand?」
と聞いてくる。もしかして、沈黙が怖いというか嫌いなタイプなのかな。
夜はリビングのソファーベッドをあてがわれた。ありがとう。
ドイツ
11月30日(土) パーダーボルン
●パーダーボルンの朝
10時、トーマスがシャワーをしている音で目が覚める。よく寝ると気持ちがいい。
心づくしの朝食の後、昼からは何の予定もないし、この町に関する何の知識も情報もないので、トーマスのお勧めに従って動くことにする。
●パーダーボルン
まずは図書館、ライブラリーへ。外見は古色蒼然とした建物なのに、中に入るといかにもドイツという、新しくて機能的なビルになっている。
正直僕は物珍しげにキョロキョロしてるくらいしかすることはないが、トーマスが何冊か、日本の本を借りていった。僕が来たことで興味が湧いたかな? でもバックパッカーとしては、なかなか日本には足が伸びないだろうなあ。なんと言っても高いし、遠いし。僕にしても、泊めてもらえるというのがなければオランダやドイツなんて単に通過してただけだろうし。
パーダーボルンの町も、中心部は石畳の左右に古い建物が並んでいて、なかなか雰囲気がある。
歴史のある町みたいだな。週末だからか、人出も実に多い。
トーマスいわく、クリスマスの4週間前に入ったから、特に多いとのこと。なるほど。一ヶ月も前からバタバタと盛り上げていっているのはどの国でも同じということらしい。トーマスは日本人がクリスマスを知っているか気に病んでいたが、大丈夫、ありがとう。日本流でよければ知ってるよ。
●観光ドライブ
一度部屋に戻ってから、車でトーマスのお勧めのポイントに出かける。
3、40分も走ったろうか。奇岩が湖畔に聳え立っているところにやって来た。見ごたえのある岩場だ。
オフシーズンなので、レストランとかは閉まっているけど、奇岩までは行けるようだ。歩道とか階段とかがよく整備されていて、上まで上ることができた。ピクニックポイントかな? 日本だったら頂上に祠とかが祀られてそうな岩だなあ。
それともう一つ、次に連れて行ってもらったのは、やはり郊外にある大きい立像。入場料もいったようだけど、トーマスがおごってくれた。剣を天にかかげているから王か戦士なんだろう。よくわからないけど(^^;
内部に通路があり、ここでも上まで昇って周囲を見渡すことができた。トーマスもここに昇ったのは初めてだと言っていた。残念ながら天気が悪く、ガスが出ていて見通しはいまいちだったけど。ガスの上からアンテナが出ているのはちょっと面白かった。
これで今日見せたい所は回ったようで、トーマスのマンションに戻る。
●トーマスの部屋で
あとは部屋でテレビを見たり、ネットをしたりして過ごす。
トーマスにもトム同様、世話になりっぱなしだ。帰国のプランが全く立っていない僕のために、二時間以上もパソコンに張り付いて、欧州から日本への航空券情報をサーフしてくれたし。でも、日本への帰国希望日が12/24というのはいかにも日が悪く、えらく高いのしか見つからなかった。一番安いのでプラハ→東京で、480ユーロって……それって定価じゃないのか?
あと、こうやって落ち着いて話していると、ご多分に漏れず
「日本に早く帰りたいんじゃないのか」
とか
「8ヶ月も旅を続けてたら、ホームシックにかかったりしないのか」
とか聞かれるけど、少なくとも僕に関しては全くそんなことはないんだよ。
いや、確かに日本は大好きだから帰りたくないわけじゃないけど、今の旅を可能な限り続けたいという気持ちより強いってことはない。
トーマスが図書館で借りてきた日本のガイドブックを広げて日本のことをあれこれ聞いてきたりもした。気を使ってくれてるなあ。
その中で、日本食のページがあったのでガイドブックの記述に補足を入れつつ読んでいたら、トーマスの指がある食材で止まった。
「これは無理だ。俺には食べられないや」
なにかと思ってみてみたら、あんパンだった。どうも、小豆のあんこが無理らしい。甘い小豆を想像しただけでも気持ち悪くて無理なんだとか。えー、そうなの? 納豆とかなら分かるけど、甘いものは世界普遍だと思ってたよ。あんこ、おいしいよ?
「無理! ヨーロッパ、少なくともドイツ人は無理だから!」
……そうなのか?
●今日の夕食
今日の夕食は、21時になんと「すしバー」。
日本人の僕が来るってことで、トーマスが前からセッティングしていたようだ。ここから歩いて行けるところにある、「edoki(江戸期?)」というお店らしい。
まあ、こういうおごりの機会でもないと、高いからヨーロッパで日本食レストランなんて行かない身としてはありがたい。
すしバーにはトーマスの友人、マーケスという人もやって来て、三人での食事になった。
「俺達はここの寿司はおいしいと思って食べているんだけど、本場の日本人の味覚ではどうなのか、判定してもらいたいんだ」
おいしいと思っているならそれでいいと思うんだけど、せっかくだからってことなんだろう。いいけど、なんかにわかにグルメ扱いされてる気分でこそばゆい。日本で裕福な暮らしをしていたわけではないが、何度かおいしいお寿司は食べたことがあるので、参考になる意見くらいは言えるだろう。
うん、思ってたよりずっとよかった。おいしいよ。ウニが品切れだったのは残念だったし、おいしい蒸しアナゴまで求めるのは酷だろうけど。海外の内陸部でこのレベルの寿司が食べられれば、僕は文句ないよ。
ここのウェイトレスさんが、なんかスウェーデン出身で、イギリスの学校を出て、今はここドイツで働いているという、なかなかにヨーロッパをまたにかけている人だそうで、その話でも盛り上がった。
そんなこんなでわやわやと食事を済ませ、23時過ぎに二軒目、カクテルバーへ。
ここがまあ、会話できないくらい音楽は賑やかだし、タバコの煙が充満しているしで参った。色々気を使ってくれているトーマスとマーケスには悪いけど、僕、根本的にこの二つは駄目なんよ。
日付が変わる頃にそこを退散。マーケスが次にアイリッシュパブに行こうと誘ってくるが、辞去。
トーマスもマーケスも、仕事で時々日本人とは会っているそうで、人種的な物珍しさはそんなにないらしい。一人で長旅をしている日本人が珍しいだけで。おかげで、ごく自然に接してくれている。珍獣扱いされるのもしんどいので、ありがたい。
そんなこんなで部屋に戻る。トーマスはお酒が回り、かなりキている。アイリッシュパブに行かなかったのも、僕よりトーマスが限界だったからだし。
とりあえずトーマスと交互にシャワーを浴びる。それからネットをさせてもらった。
関係ないが、帰宅後Cherry Teaというものを飲ませてくれたのだが、ラベルを見て
「チェリー?」
と言ったら
「違う。チェリーじゃなくてチュエリーだ」
と正されてしまった。こういうのでじわじわと英語能力が上昇していくんだよなあ。
(参考までに、パーダーボルンのWikipediaのリンクをば。)