ほろほろ旅日記2002 4/21-30
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タイ王国 Kingdom of Thailand
4月21日(日)バンコク → ナムトック → カンチャナブリー → バンコク 4,765歩
明晩バンコクを発つので、ナムトックに行くなら今日しかない。ということで、必死になって早起きした。五時半。水上バスで河畔のトンブリー駅まで。トンブリー→ナムトック間、片道39バーツ。安! 何時間も乗るのにこんな安くていいのか。
後は列車を待つだけだとベンチに腰を下ろして休んでいると、警官がやって来てしきりにバス、バスと言う。言葉が解らないが、バスの方が安いとか早いとか言っているんだろうか。列車に乗るからいいと断るが、諦める気配がない。というか、なんか様子が違う。悪戦苦闘してなんとか理解したところによると、ここトンブリー駅までは列車が来ないらしい。列車に乗るには一キロ西のバンコクノーイ駅までソンテウ(荷台式のバン)で行く必要があるとか。なんとまあ。駅前に横付けしたソンテウに分譲してタイ人の客も次々とノーイ駅に向かっていく。後からやって来た黄衣のお坊さんが当然のように助手席へ。タイだなあ。
バンコクノーイ駅に着いた。どこでどれくらい待てばいいのか分からないので駅員さんにチケットを見せると、「ワンフォーティ」と言って、しばらく待つように言われた。その後で見つけた時刻表からすると「セブンフォーティ(7時40分発予定)」じゃないかなあ。例によって列車は遅れてやって来た。
さあ乗り込もうと荷物を背負ったところで声をかけてきた人がいた。「Where
do you from?」見ると、タイ人のおっちゃんと日本人の兄ちゃんがいる。おいおっちゃん、あんたさっきその兄ちゃんに日本語で「日本人デスカ」って話し掛けてたやないか。僕は日本人には見えないとでも? ……後で聞いたらコリアンだと思ってたそうだ。おっちゃんはカンチャナブリー在住の高校の先生ノッパラー氏、日本人はウエムラさんと言って二月からじっくりとタイを見てまわってるそうだ。ノッパラー氏、はじめはかなり怪しい人に見えた。風貌もそうだが、立て板に水とはこのことかと思うほどしゃべりまくるし、日本人に声を掛け慣れている感じがしたし。本人もそのあたりは分かっているようで、「泥棒ない」と連発していた。この二人と同行することになった。
列車が発車したのは8時5分。25分遅れか。自分の乗る三等客車は座席から何から、木製車両だ。空いている。
路盤があまり良くないのか車両が古いのか、あまりスピードを出さずにのんびりと進んでいく。途中、ナコーンパトムではタイ最大の仏塔の先端を車窓から眺める事ができた。そしてさらに進み、ローカル線、というか旧泰麺鉄道(タイ−ビルマ間を結ぶ、旧日本軍が敷設した鉄道のうち残っている区間を列車が走っている)の区間に入ると途端に路盤が悪くなり、車両のゆれが激しくなり、速度ががくんと落ちた。ま、今はミャンマーどころか国境までさえ行ってない盲腸線だしなあ。手入れもそこまではできてないんだろう。
ノッパラー氏はカンチャナブリーにある自分の家に泊まったらどうだと言って来る。戦場に掛ける橋、クワイ川鉄橋観光もゆっくりできると誘ってくれたが、今日は宿に戻るつもりで、ほとんど荷物を持っていないので無理だ。それに鉄道に乗りたい気持ちが先に立つ。申し出はありがたいが終点のナムトックまで往復するつもりだと言うと、面食らっていた。鉄道の乗り潰しをする奴は珍しいのか。
それにどうも、今日は体調が思わしくない。頭痛に加え、喉も痛い。これが室の言っていた「旅に出て約一ヶ月で、日本で培った抵抗力が切れる」というやつなのか。なんにせよ、今日は観光で歩き回るつもりも気力も体力もなかった。ウエムラさんは元々カンチャナブリーで泊まる予定だったらしく、お世話になるらしい。
とかなんとか喋ったり車窓風景を楽しんだりしているうちにカンチャナブリー着。すごい人出だ。しかもそのほとんどか白人。日曜日だからだそうだが……。おや、ウエムラさんとノッパラー氏が列車を降りない。もう少し乗った先に有名な滝があり、それ見に行くらしい。その滝を観光するためだろう、客が大挙して乗ってきた。今までガラガラだったのが、いきなり満員だ。
列車はドアを開けたまま走る。物売りもしょっちゅう乗り込んでくる。これが3等列車(普通車両)か。横の座席に日本人の女の子が座ってきた。バックパッカーではなく、色白で化粧もしている、普通の日本人。姉妹二人でツアーに参加して3泊4日、バンコク・アユタヤ・カンチャナブリーと回っているそうだ。言われてみれば、もう一人の女の子とガイドらしいタイ人が向こうにいる。今日は日本人によく会う日だ。
クワイ川鉄橋を越え、列車は川沿いに進んでいく。次第に渓谷美が際立つ景色になってきた。窓から身を乗り出して見てみると、旧日本軍が敷いた路盤が見える。こんなところでは列車もゆっくりとしか走れないが、それが観光客としては楽しい。
しばらく行った所で日本人姉妹ともウエムラさんノッパラー氏とも別れ、急にガラガラになった列車で一人、終点を目指す。ウエムラさん達とは帰りの列車で再度合流する事になっている。というか、列車の本数がないため、自動的にそうなるのだが。
さらに一時間近く山の中を走り、川筋を外れてしばらく行ったところでようやく終点・ナムトックに着いた。本当になんと言うこともない所だ。国境はまだ先だし、駅周辺には町どころか、家が二、三軒あるだけだ。かなり開けた土地で、資材の積み下ろしには便利だろうが、町からは離れているようだ。
予定では12時40分到着だったが、実際はもう13時36分になっていた。あたりを散策するつもりだったが、バンコク行きがすぐ発車しそうな雰囲気だ。散策を早々に切り上げて帰りの切符を購入し、列車に乗り込む。13時46分、わずか10分停車しただけで折り返し列車が発車した。危ない危ない。
列車で来た分には辺鄙だが、近くに大きな町か観光スポットでもあるのか、列車はかなり混んでいる。往路の車内は小さい子供連れの親子が目立ったが、今度はおっちゃん・おばちゃん軍団だ。体調が良くない時に暑さと人の多さであてられるのは辛い。
ウエムラさん達と合流した。滝もなかなか良かったらしい。またノッパラー氏が熱心に誘ってきた。カンチャナブリーで降りたら今日のうちにバンコクに帰れる列車はなくなるが、ミニバス(70バーツ)ならあるというので、それならとちょっと降りてみる事にした。クワイ川鉄橋を渡り、カンチャナブリー駅着。
駅を降りてからノッパラー氏の家まで、路線バスに15分ほど揺られたか。完全に町を外れ、畑の中に家はあった。奥さんと20歳くらいの娘さんもいる、普通の家庭だった。しかし日本でノッパラー氏のような行動をしたら、家族から相当怒られるよなあ。いきなり見ず知らずの外国人を家に連れて帰ってくるなんて。シャワーを使わせてもらい、ビールで酒盛り。タイのマナーでは酒は必ず若者から年長者に注ぎ、乾杯のグラスを合わせる時も位が下の者が必ず下から合わせるそうだ。ほう。
ノッパラー氏の仕事の話やウエムラさんや僕の旅の話を庭先でビールを飲みながらまったりと話す。こういうのもいいなあ。
日が沈んできた。バンコクへ戻る時間だ。ノッパラー氏がミニバスの予約を入れてくれているので安心だ。ありがたい。一度カンチャナブリーまで戻らないといけないのかと思っていたら、この家のすぐそばに停留所があるらしい。やって来たのはいい加減慣れてきたが普通のミニバン。ノッパラー氏、ウエムラさんと別れ、乗り込む。乗客は自分以外、普通のタイ人の若者ばかり。道路はよく整備されており、渋滞以外は快調に走り、8時半、バンコクはカオサン着。
おや? バンコクでは何か祭りをしている。ソンクラーンよりずっときっちりした感じの祭り。人出がすごく、そのほとんどかタイ人だ。広い王宮広場が人で埋まっている。道も。見て歩く体力気力がなかったので宿に戻りながら見ただけだが、これがタイ人にとっての本当の新年の祭りなのではないか。宿に戻ってから花火の音がするので屋上に上がって見る。さすがと言うべきか、惜しみない、絢爛豪華な花火だ。今夜バンコクに戻ってきて良かった。
人出もいつまでも終わらない。夜の11時を過ぎているというのに道路は人でいっぱいだし、夜店も開いている。乱痴気騒ぎしている人達も。さすが、夜が安全と言われている国だ。体調が良くないのでその中には入っていかないが。
花火が終わったので体を洗って寝ようとシャワーを浴びていると、横のシャワー室に白人のカップルが入ってきた。おいおい、ここは男のシャワー&トイレルームだろうが。
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4月22日(月)バンコク → 4,104歩
今夜バンコクを離れ、夜行列車で15時間ほどかけてチェンマイまで行くのだが、どうにも体調が復調しない。仕方ないのであまり出歩かず、大人しくしていることにする。
へろへろとカオサンに向かっていると、途中の路地でおっちゃんに呼び止められた。日本語でも英語でもタイ語でもない。広東語? 今日は中国人だと思われたようだ。日本人だと分かるとそれでもいいらしく、対面に座れと椅子とコーラを勧めてくる。ま、人通りの多い天下の往来だし、今日は何のあてもないので付き合ってみる。その人の娘が今度、交換留学生で日本へ行くんだと写真を見せてくる。へえ。携帯電話を取り出してその娘とやらに電話を繋ぎ、話してみろと言ってくる。確かにかなりスムーズに日本語を話すが、なぜその娘さんが僕に「会いたい」と言ってくる? しかもなぜそのためにこっちがタクシーに乗って出向かなきゃならんのだ? 会いたきゃそっちから来いよ。こんなのに引っかかる奴なんていないだろ。でもま、いい暇潰しにはなった。
いつもの屋台で生オレンジジュースを飲む。ラオス行きに備えてバーツを引き出し、米ドルに替える。小額紙幣が銀行になくて困っていたら、たまたま横にいたムスリムのおっちゃんが崩してくれた。ううう、ありがとう。ネットカフェで涼んでから宿に戻る。
宿のロビーでぼーっとしてると、同じ宿の常連客で、6ヶ国語を操る台湾人のホアン(黄?)さん(45)が来たので喋る。この人は鉄とガラスの古美術商で、インドへ行く前にここで10日ほどゆっくりしているらしい。というかこの人、本当に日本語が上手い。言われなければ日本人だと思うところだった。しかも耳を見てではなく、動きを見て僕が柔道経験者だと見抜くし。旅の期間を聞かれたので「分からない」と答えると、「1年? 2年?」と尋ねてきた。いや、いくらなんでもそんなに長くは。ブドウをご馳走になりながら、三時間ほど話し込む。
6時を過ぎ、いい時間になったので赤バス53番でホァランポーン駅に行く。さすがは夜行列車が珍しくない国だけあって、二等といってもゆったりした、立派な車両だ。エアコンなしなので扇風機が頑張っているが、これくらいは日本でおなじみだ。発車前から食堂の注文を取りに来るし。
19時49分、9分遅れで発車。寝台車といってもまだ時間が早いので、ベッドではなく座席状態だ。思っていた以上に外国人の乗客が多く、特に白人の姿が目立つ。向かいの席に座っているのも大柄な白人だ。ちょっと話したところによると、ドイツ人らしい。
発車してしばらくすると、下町の間を抜けていく。線路の脇いっぱいまでバラック的な民家が密集し、線路上に腰掛けて夕涼みをしている人達もいる。線路が完全に生活の場だ。それを興味深く眺めていると、向かいの席のドイツ人が「ここはどの辺だい?」と尋ねてきた。もちろん知らないが、オリエンテーリングのリロケート技術を応用してガイドブックの地図を読み、この辺だよと示してやった。これを契機に、このドイツ人がどんどん話し掛けてきた。こっちの英語が果てしなく下手なのは分かっただろうに、積極的な人だ。「チェンマイには仕事で?」「バンコクに住んでるのかい?」……ん? ちょっと待てい。あんた、僕をタイ人だと思ってるだろ。日本人だってば。今は日焼けして黒くなってるとはいえ、本当にアジア人の見分けがつかないんだな。
と、こう書くとスムーズに会話してるみたいだが、実際はひどいもので。相手の発言を聞き取るのに3回ほど言い直してもらい、それもだんだん言い回しをシンプルに、発音をゆっくりとしてもらってようやく大意をつかめるくらいで、それも意味を取り違える事多数。こんな感じで。彼「チェンマイ」僕「そうですね、この列車はチェンマイ行きです」彼「いやいや、チェンマイにはには仕事で」僕「ああ、仕事で行くんですか。タイで働いてるんですか」彼「違う違う。あなただ。チェンマイには仕事をしに行くんですか?」僕「僕が? いやいや、旅行ですよ、旅行」彼「そうですか。旅行はいいですよね」辛抱強いというか、よく話に付き合ってくれたものだ。忍耐強さには頭が下がる。というか、本当に英語、なんとかしないと洒落にならない。
ドイツ人は真面目で礼儀正しいと聞いていたが、本当にそう思う。弁当を食べてこぼしたものは後で拾うし、容器もちゃんと正しい場所に捨てに行く。アジア人が「地球は全てゴミ箱よ」とばかりにぽいぽいするのを見てきただけに、なんか新鮮な感動がある。
やはり鉄道の旅はいい。ゆったりしているし、現地の人の生活感を味わえる。ドンムアン空港を過ぎたあたりから、一気に田舎になった。隣の寝台の乗客は眼鏡を掛けた白人で、この人もドイツ人だった。その人に今度は「中国人?」と尋ねられた。どうやら僕は日本人じゃないらしい。
寝台は当然だけどタイ人の体格に合わせて作られている。日本人の僕には丁度良く、なんの問題もないけど、体の大きい白人にはきついようだ。僕が体を伸ばしてくつろいで横になっているのに比べ、下のベッドの彼は膝を立てて横にならないとベッドに収まらないようだ。
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4月23日(火) → チェンマイ 11,891歩
目が覚めても列車はまだ田園地帯を走っている。日本の夜行列車は目が覚めるともう目的地についていることが多いが、旅行として考えるとこっちの方が風情があって楽しい。よく寝た。少し北に着たからか山の中だからなのか、朝は少し肌寒いくらいだった。見渡す限りの田園・畑・荒野。
常々思うんだけど、こっちの人は飲み物は常にストローで飲むんだな。あと、こっちの人も旅行者も、タトゥーを入れている人が多い。現地の人は宗教上の理由で入れているらしいけど、旅行者はファッションだよなあ。理解できん。
列車は単線のレール以外何もないような谷あいを縫って、右へ、左へ。北の町へ向かっていて時間は朝なのに、進行方向左手の窓から日光が差し込む時がある。線路が相当曲がりくねっているんだなあ。日本ならとっくにゴルフ場にされていそうななだらかな山々が続く。ようやく開けたところに出、しばらく行って9時45分、チェンマイ着。駅を出ると、久しぶりに客引きの群れに遭遇。バイタクとゲストハウスの呼び込みと、どっちが多いだろう。
おなかが減っていたので客引きには付き合わず、適当にあしらって近くの食堂でポリッジライス(おかゆのようなもの)で腹ごしらえ。出された水も普通に飲む。10分もすると、あれだけいた客引きは水が引くようにいなくなった。くつろいでいると客引きに乗らなかったらしい白人のバックパッカーがやって来た。二メートル近い長身、昨夜向かいの席にいたドイツ人のマークスだ。手を振って気付かせ、相席する。僕の食べているポリッジライスを指して「うまいか? 辛くないか?」と聞いてきたので頷くと、同じものを注文していた。そうこうしているとまた一人、白人パッカーが。マークスが呼び止め、親しそうに話しているので誰かと思ったら、昨日隣の席にいたドイツ人だった。なんて偶然だ。客引きに乗らなかったのがこの三人とは。眼鏡を掛けた、そんなに大柄ではない彼はトーマスと言った。これも縁だ。
しばらく3人で雑談していると(と言ってもドイツ語は知らないし、英語だって一割も理解できてないんだが)、マークスが「この3人で部屋をシェアしないか」と提案してきた。ここまでの様子から、彼らは信用できると思う。言葉がほとんど通じないのが不安だが、そんな事を言っていたらいつまで経っても話せないままだ。話に乗る。彼らの持っているロンリープラネットの情報の方が詳細だったのでお任せ。マークスとトーマスの2人で検討して決定したら、宿に電話をして無料送迎の手配。それをただぽかんと見ている僕。言葉が喋れると旅の幅が広がるんだなあ。
チェンマイガーデンハウスという宿にチェックイン。3人部屋なので大きく、ゆったりしている。トーマスは部屋にエアコンがないとこぼしていたが。旅装を解き、散歩でもしようかと下に降りていくと、宿の人がトレッキングツアーの売り込みを始めた。チェンマイでは多いと聞いていたが……。2泊3日、北部少数民族の村を巡り、象に乗り、筏で川下りをし、全て込みで1,500バーツはまあ妥当だと思う。確かに興味はある。けど積極的に「行こう!」とまでは思えない。ツアーで連れて行ってもらうより、少々しょぼくても自分の足で見てまわったほうがいいと思うし、1,500バーツあれば一週間暮らせてしまうから。マークスは乗り気で話を聞いているが、トーマスは断っていた。
とりあえず返事を保留して、町を散策に出る。2人はレンタサイクルで町を回るらしいので、徒歩の僕はここで別れ、一人で散策。生活感漂う路地をぶらぶら歩くのが楽しくて仕方ない。バンコクとは比べ物にならない小さな町だが、これでもタイ第二の都市だ。だけどなぜが、バンコクより日本語が生きている気がする。在住の人もそれなりにいるんだろうな。暮らしやすそうな町だと思う。タイの例に漏れず、ここでも車やバイクがやたらと多いけど。バンコクではあまり見かけなかった本屋をやたら見かける。日本の漫画のタイ語版もそこらで売られている。長期の旅行じゃなければ土産に買うところなんだが。
旧市街をぐるりと囲む城壁、その外側にある堀。こういうのを見ると、歴史のある町なんだなと実感する。お寺(ワット)もやたらと多いし。
宿に戻ると二人はもう帰っていた。で、なにやら言ってくる。なんでも夕食に日本食を食べたいとか。了解。その程度の恩返しはさせてもらいますよ。ナイトバザールのそばにある「京」という日本食レストラン。思っていたよりずっと味はいい。日本人客もちょくちょく来るようだ。でもやはり、貧乏旅行者には値段が高めだ。そうめん75バーツ、メンチカツ定食90バーツ、焼酎お湯割90バーツ等。そうめんを見て「冷やしたものをメインディッシュで食べるのか」と驚いていた。珍しい事だったのか。他にもやはりお箸は難しいとか、正座ができないとか、日本人からすると興味深いことがあった。文化の違いというのは面白いものだ。
トーマスはマツダ、トヨタと関係のある車の仕事をしていて二ヶ月の休暇を取り、やって来た26歳。マークスは以前ベルリンのオペラハウス関係で働いていたが辞めて旅に出た31歳だそうだ。2人とも英語の拙い僕に気を使ってくれているのがよく分かる。申し訳ない。もっと上達する必要があるなあ。
タイ王国 Kingdom of Thailand
4月24日(水) チェンマイ 6,587歩
暇潰しに作った折り鶴にマークスが興味を示してきた。ヨーロッパにはこういう遊びはないんだろうか。初めての折り紙で鶴は難しいだろうに。それはともかくとして、トレッキングツアーに参加するかどうかを夕方に3人で話し合って返事をすることにした。
今日も昼間は各自別行動だ。チェンマイ観光の定番、山上寺院のドイ・ステープへ行くことにする。町からかなり離れているので、歩いて行くのは無理。旧市街地の北側にあるドイ・ステープ行きソンテウ乗り場へ行く。客引きがいるが、肝心の観光客はあまりいない。はじめ片道40バーツと言っていたのが、いくら待っても客が4人しか集まらず、片道50バーツになってしまった。仕方ないなあ、満席を前提とした価格設定なんだから。
ソンテウで寺院のふもとまで一時間強。ソンテウはここで待っててくれる。
階段を上り詰め、山上の寺院に着く。他でもそうだが、とにかく派手だ。同じ仏教といっても、日本とはあまりもに違う。ここまで金色をふんだんに使うというのは凄いなあ。金装飾の本堂、金色の仏塔、等々。バンコクでもっと大きい仏塔を見てきたけど、金色の仏塔とは……。あと、本堂ではなく奥に安置されているエメラルドブッダが印象深かった。
ここを見ている間、ソンテウで一緒だったカナダ人と行動をともにする。だんだん日本語が通じない人しかいない環境も平気になってきた。いいことだ。
二時間ほど見てまわってからチェンマイに戻る。まだ昼過ぎだが、特に行ってみたいところもないので適当に町歩きをしながらいくつかワットを見てまわることにした。裏路地を巡りつつ、まずは手近にあったワット・チャンマイへ。そこそこの大きさの寺だが、あまり人気がない。木陰で涼んでいると、境内で遊んでいる子供達が寄ってきたのでしばらく一緒に遊ぶ。
とかなんとかしていたら、大型バスが3台やってきて、タイ人の若者がぞろぞろと降りてきた。普通の観光客とも思えなかったので尋ねてみたら、ガイド学校の実地研修だった。その中のナッという青年が日本語コースを履修しているとかで話しかけてきたので色々話を聞く。英語と日本語のちゃんぽんでだけど。この学校には英・日・仏・中・独のコースがあるそうだ。なるほど。さすがは観光立国タイ。
彼らが去った後、子供達もいなくなっていたので、しばらくぼんやりしてから町歩き再開。人々の生活観溢れる裏路地を歩くのは楽しい。なんとなく自分が子供の頃の都会の下町を連想する町並みだ。たまたま目についたワットに入ると、僧侶が大勢の若い僧をお堂に集めて講釈をしていた。仏教学校だな。すぐ南隣は広大な敷地と巨大な崩れたワットを持つ、ワット・チェディルアンがあった。ワットが大きすぎて、敷地の端からカメラを構えてもフレームに収まりきらない。圧倒される迫力だ。ここでまたナッ君をはじめ、ガイドスクールのみんなと会った。その後、ワット周辺のブッダの一体に献花。
今日はワットで働いてる人に「タイ人でしょ」と言われ、ソンテウの運ちゃんには「アンニョンハセヨ」と呼びかけられた。いつになったら日本人に見てもらえるんだろうか。
夜、宿に戻って3人で話し合った結果、トレッキングツアーには参加しないことになった。そうなるとこの宿には居づらいので、明日トーマスの見つけてきた宿に移ることにした。見に行ってみると、確かにいい感じだ。エアコンなしのダブルルームで150バーツ、一人頭75バーツ。安い。トーマスはエアコン付きの部屋に一人で泊まるとのことで、マークスとシェアになる。
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4月25日(木) チェンマイ 13,400歩
朝、まずホテルチェンジ。予定通り、昨夜見に行ったNAMKHONGゲストハウスに移る。マークスの運転する自転車の後ろに二人分のリュックを担いで乗っていくが、思ったより仕事で、午前中いっぱいかかってしまった。そういや僕、いつまでチェンマイに居るんだろう。なんとも決めてないし、マークスとトーマスもそれについては何も言わない。この気ままさがいいんだが。
昼の二時過ぎに歩いて行ける範囲の観光に出る。結局は有名なワット巡りになるんだけど。まずは旧市街の西外れ、ワット・プラシンへ。着いてみると、本堂内部にお坊さんが山のように集まって何かしていて、観光客は入れない。横にいたタイ人観光客に尋ねてみると、92歳になる高僧の誕生記念祝賀をしているんだそうな。ちなみにこのタイ人、プーケットから観光ついでに転売のための宝石を仕入れに来ているとか。チェンマイ駅の東手で今日まで宝石のカッティングをしていて面白いから行ったらどうだと教えてくれるが、駅は遠いし、宝石にも興味がないので行かない。
次に、ここからさらに西に離れたところにあるワット・スアンドークへ向かう。正確な地図がないので一時間ほど歩く覚悟をしていたのだが、30分ほどで着いた。立派なお寺だ。境内も広大で、一角には大きなワットが林立し、本堂も相当大きい。
しかし、タイでいくつもお寺を見てきたけど、派手なせいか日本と比べてあまり仏像にありがたみを感じられない。
それはそれとして、信者も観光客もほとんど居ないので広々としたお堂でくつろがせてもらった。4時過ぎに歩いて市街地に向かう。まっすぐ宿に帰るのもつまらないので、今日も足の向くまま町歩きだ。メインストリートを外れたところに漂う、地に足の着いた生活臭が好きだ。途中、たまたま目についたおばちゃんと女の子の屋台でジュースを買う。言葉が通じないのが、身振り・手振りでなんとか。それにしてもこっちの飲み物は甘い。
夕食は今日も3人で。2人は屋台での食事は気が進まないようなので、レストランを探し歩く。国民性の違いか。トゥクトゥクがよく声をかけてくるが、2人は慣れたもので、「乗ってけよ。どこまで行くんだい?」としつこく付きまとってくるのに「バンコクまで行ってくれい」などと、軽々と返している。むむう。場慣れなのかなんなのか。見習わないと。
部屋に戻ってからも深夜まで話し込む。ドイツ人は自国での免許がそのまま海外でも使えるらしく、国際免許を取得してないから運転できないという僕の話を不思議そうに聞いていた。
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4月26日(金) チェンマイ 8,363歩
ドイツの携帯電話はそのままタイでも使えるのか。いいなあ。
9時ごろ起き、屋上で朝のエクササイズをして戻ってきたマークスと宿の一階で朝食。その後、今後のプランを考え、明日ここを出ることにした。どこに行くかは分からないけど、旅人は動かなきゃ。マークスとトーマスにその旨を伝えると、2人も頃合だと思っていたようで、プールにサイクリングにと観光とは無縁な事をしていたマークスはタイ北部の少数民族の町を巡りに、トーマスは一旦バンコクに戻ろうと考えているところだったそうだ。丁度良かった。
さて、どこに行くか。最終的にはラオスに行くから、ある程度の方向は決まってくる。とはいえ、次の町の選択肢は多い。チェンライ、チェンセン、チェンコン、メーサイあたりか。チェンライはチェンマイ以北の中心都市だが、チェンマイから比較的近いし、特に見たいと思うものもない。が、それだけにくつろぐにはいいかも。チェンセーンとチェンコンはともにメコン川の西岸にある町で、川向こうはラオスというロケーションが面白そうだ。ただ、チェンコンは外国人にラオスとの国境が開かれている町だからどのみち行くので、後回しでもいいかも。残るメーサイはミャンマーとの国境の町だ。今回の旅でミャンマーに行くかどうか分からないし、面白いかもしれない。チェンライ、チェンコン、メーサイの三つが候補かな。この中でバスの便が良く、気の向いたところに行こう。
バスの時刻を調べにバスステーションに行く必要がある。長距離バスのターミナルは町外れにあるチェンマイアーケードというところだ。遠いけどいいや、歩いてやれ。そういや、こういう地元の人用のローカル公共交通機関を使うのは、これが初めてだな。なんか緊張するなあ。
なんとなく気が向いたので、チェンマイアーケードとは少し方向が違うけど、鉄道のチェンマイ駅に立ち寄った。バンコクと同じく、列車に乗るわけではなさそうだけどホームでくつろいでいる人の姿がある。タダで入れるし、涼しいし、店もあるし、くつろぐにはいいんだろう。
特に用事はないので早々に退散。チェンマイに来て最初に食事をとった駅前の食堂でごはん。やっとタイ語のおいしい「アロイ」を使えた。やはり言葉は使わないと覚えないよな。
食堂の並びの店を見ていくと、本屋というか、漫画屋があった。中に入ってみると、かなりの商品が日本の漫画をタイ語に翻訳したものだ。なんか新鮮で面白い。「らんま1/2」「名探偵コナン」「ラブひな」「コータローまかりとおる!」「ゲッチューまごころ便」「グラップラー刃牙」等々、新しいのからそうでもないのまで、結構品揃えも豊富だ。けど、タイで野球漫画なんて受けるんだろうか。野球自体、あまり認知されてないと思うんだけど。「H2」とか置いてあるのは大丈夫なのか?
たっぷり休んだので、再度カンカン照りの下を、チェンマイアーケード目指して歩いていく。町外れにあるので、歩いている人どころか次第に人家自体がなくなってきた。荒地と畑と、道。そして何かの工場くらいしか……。と、太い道に出た。幹線道路だ。
この道沿いに歩き、ようやっとチェンマイアーケードに到着。さすがにへばった。チケットを調べる前に、人でいっぱいの待合コーナーのベンチに腰掛けてしばらく休憩。お腹の具合が悪くなったので、3バーツ払って公衆トイレへ。ううむ、これが噂のアジア式トイレか……。慣れが必要だな、いろいろな面で……。
チケット窓口をうろついて、バスの時刻と料金を調べて回る。やはりチェンライが多いけど、メーサイも結構便がいいような……。
さすがに歩いてチェンマイ市街に戻る気力はなくなったので、40バーツ払って乗合トゥクトゥクでターペー門まで戻る。毎日行っているが、門近くのネットカフェに今日も行く。これから奥に行けば行くほど、ネットができる確率は低くなりそうだし、できる時にしておかないと。その後、ぶらぶらと適当に旧市街を散策する。路地、地元の人用のちょっとしたマーケット……町並みにもだいぶ馴染んできた。黄色い頭陀袋を肩から下げるだけの軽装で歩いていると、いよいよ日本人に見てもらえなくなってきたなあ。まず間違いなく、タイ語で話し掛けられる。喜んでいいのやらなんなのやら。
一服しようと何気なく買った豆乳に、突然開眼。東南アジアでは牛乳はあまり出回っておらず、そこらの店でミルクを買うとまず間違いなく豆乳になるんだけど、こんなにおいしいものだったのか。思わずおかわり。
部屋に戻ると既に帰ってきていたマークスが、また屋上にエクササイズをしに行くところだった。暇なので見物に行く。しかしこのマークス、好奇心旺盛だ。まあ、でないと言葉の不自由な僕と部屋をシェアしたりはしないだろうけど。一緒にいる時はいろいろ尋ねてくる。「Yin&Yang(陰陽→太極のこと)って何だ? アジアの思想なんだろ?」「日本の緯度は」「日本の人口は」「日本人の宗教は」「月がずっと同じ面を見せているのはなぜだ」等々……。
さて、明日はどうしよう。チェンコン行きは便数が少ないので、チェンライかメーサイになるのだが……。起きてから考えるか。
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4月27日(土) チェンマイ →(チェンライ) → メーサイ 4,028歩
マークスは本当に折り鶴が気に入ったようで、別れ際に作り方を書いた紙をくれと言ってきた。いいけどさ。
それにしても、ドイツ人に限らずヨーロッパの人はすぐもろ肌になりたがる。なんでだろう。逆にこっちが長ズボンを履いていると、「何故?」と心底不思議そうに尋ねてくるし。マークスも部屋にいる時はほとんど半ズボン一丁だったな。
9時、宿を出る。丁度ゲストハウスのソンテウがチェンマイアーケードまで行くらしいので、便乗する。
チェンマイアーケード着。今からだとメーサイ行きがいいタイミングだ。料金は95バーツ。売店でヤクルト6バーツ、タイ人がよく嗅いでいる酔い止めスティックの一番安いやつを15バーツで買う。10:30発車予定が、満席になったので10:25発車。バスは低い山とちょっとした平地の混じった、日本の田舎とよく似た景色の中を走っていく。
やがてバスはチェンライのバスステーションに着き、一時間休憩。客も大部分が入れ替わった。前の席にいた子供連れの地元の夫婦が話しかけてくる。積極的だなあ。ポーさんといい、メーサイに行くところだとか。
チェンライを出て以降、やたらとチケットチェックがある。10回はあったか。ポリスによるチェックもあったし。それだけ国境の町へ向かっているということか。15:30、5時間かかってメーサイ着。
ここのバスステーションも町の中心部からかなり離れたところにあるのだが、そのことを失念していて、町に行くソンテウを逃してしまった。言葉がわかればそれらしきことを言ってたんだろうけど……。一気に寂しくなり、次のソンテウどころか人気そのものががなくなってしまった。仕方ないので、まだそのへんにたむろしていたバイクタクシーを掴まえてひとっ走りしてもらう。ヘルメットなしで50ccの単車に2人乗りするのは正直怖いんですが。大荷物を持ってるからバランスが悪いし、カンボジアとかと違って道がちゃんと舗装されてるから、バイクはがんがん飛ばすし。危ないよ。
「どこに行く?」と聞いてくるけど、初めて来た町であてなんかない。安くて安全なゲストハウスとリクエストして、適当に連れて行ってもらう。で、着いたのがバンブーゲストハウス。エアコンなし、ダブルルームのみ、一泊200バーツ。ちと高いが、きれいだし、まわりは静かだし、長居する予定もないし、ここに決めよう。
メーサイの町はあまり大きくなく、しかも中心部に密集している。ミャンマーとの国境も、ただの小さな川だ。言われなければ川向こうもメーサイの続きだと思うところだった。宿から見えるあの家は、もうミャンマーなのか。
でも、確かに国境だなと感じるところもある。ビルマ語だろう、タイ語ではない文字を商店でちょくちょく見かける。中国語の新聞を読んでいる人もいる。
高いところからタイとミャンマーを一望してみたくなったので、小高い丘の上にあるワットに登ってみる。うーん、やはり国境地帯という感じはしないなあ。山あいに開けた平地に、町が一つあるようにしか見えない。町並みも似たような感じで、境の川も細いため、境界線が判別できない。不思議な感じだ。山の方を見ると、道が舗装されてないのがミャンマー側だとすぐに分かるんだけど。ううむ。この町、面白いな。なんか気に入った。
いつものように、とにかく歩きまわる。メインストリートは立派で店も多く、賑わっているが、そこを外れると一気に田舎になる。そのギャップが凄い。歩いていても、ほとんど声をかけられないのも新鮮だ。確かにこのサイズの町だと、外国人旅行者にはバイタクとか無意味だもんな。
お腹が減った。考えてみれば、朝から何も食べていない。いい店はないかとふらふら歩いていると、土産物屋のおっちゃんにカタコトの日本語で話し掛けられた。おいおい、ここでも日本語を話す現地人がいるのか。それだけ日本人が尋ねてきているという事だな。これ幸いとそのおっちゃん(ビルマ人らしい)におすすめの食堂を教えてもらい、行く。国境ゲートのすぐ脇、国境の川に面した食堂だ。時間帯の問題か、大きい食堂なのに客は誰もいなかった。のんびりできていいけどさ。10メートルと離れていない川向こうには普通のアパートがあり、扇風機にあたっている住民がいる。これでもこの国境、何度も封鎖されてるんだよなあ。不思議な感じだ。
食事を終え、チェンマイで調べておいた、メーサイで日本語の使える数少ないネットカフェに行き、完全に日が暮れるまでネット。昼の暑さは同じだが、夜は違う。バンコクどころかチェンマイと比べても明らかに涼しく、久しぶりに過ごしやすい夜だ。
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4月28日(日) メーサイ ?歩
この町はなんか気に入ったので、もう一泊しよう。チェンセーンに行くのは早くても明日だ。
カンチャナブリーで一緒だったウエムラさんからメールが来ていた。カンチャナブリーで一緒だったノッパラー氏はホモで、あの晩迫られたそうだ。うひい。男色の比率は日本よりずっと高いとは聞いていたけど……。泊まらなくて良かったあ。ウエムラさんもきっぱり拒絶して事なきを得たそうだ。
町をあちこち散策する。天気もよく、歩いてて気持ちいい。暑さも他の町ほどではないし。メインストリート脇の歩道をぶらぷらしていると、数人の小坊主さんが集まってゲームボーイを買おうか悩んでいた。こっちのお坊さんは多くの戒律を守らなければならないはずだが、その中に「ゲーム禁止」という項目はないらしい。
それはそうと物乞いの女の子、しがみついてくるのは反則だ。断れないじゃないか。
国境近くの土産物屋で昨日のおっちゃんに声をかけられた。若い兄ちゃんたちと3人で店番をしていたので雑談する。自分達がビルマ人だという証に、スタンプがいっぱい押されたボーダービザを見せてくれた。パスポートはないらしい。なるほど、ボーダービザとはそういうものか。
お腹がすいたので彼らと別れ、ぶらぶらと。果物の屋台でライチ500gを20バーツで買う。店番の女の子に写真を撮らせてもらった。顔立ちがタイ人と違う気がするが、この子もビルマ人なんだろうか。
ライチを食べに、一度宿に戻るが、500グラムは多かった。とても食べきれない。苦しいのでしばらくベッドで横になる。
再び町に出る。国境の橋の下にも露店の土産物屋があった。外国人旅行者相手の店じゃないんだろうな。ファミコンなどのおもちゃからCDまで、いろいろ扱っている。店番のおっちゃんが愛想よく楽器とかを触らせてくれたので、しばらく遊ぶ。しかし、中国製品の質の低さは世界共通認識みたいだな……。
暇なので、再度土産物屋に行って雑談。なんでも、一度500バーツほどもうければ、ニ三日は遊んでてもいいそうだ。この3人で、タチレク(国境のミャンマー側の町)の山の方に一ヶ月400バーツでアパートを借りているらしい。一番若い兄ちゃんは23歳で、国境が閉まっていた間は働けなかったので、まだ学生だとか。今月一杯で学校の休みが終わるので学校に戻り、三ヵ月後にまた来るつもりらしい。3人の中のボス格の人はタイ人と結婚してメーサイに住んでいて、来月日本にワールドカップを見に行くらしい。貯金、大変だったろうなあ。そういや東南アジアではサッカー人気なのかなんなのか、普段着としてサッカーのユニフォームを着ている人が多い。こっちを日本人と見るととりあえず「ナカタ!」と呼びかける人も多い。
この町にも数人、こっちの女性と結婚して住んでいる日本人がいるらしい。しかし、道行く人を指して「アノ人、日本人。三年前、コッチニ来タ。60歳ネ」とか言われましても……。他にもいろいろ聞かせてもらう。タイにムエタイがあるように、ミャンマーにもビルマ式ボクシングがあって、タイと毎年対抗戦をしているなんて知らなかった。タチレクとの国境は過去に何度も閉鎖されてるが、その時はどうしてたんだと聞くと、こっそり川を泳いで渡って来てたそうだ。ただ、狭い川だが流れが速くて深く、溺死の恐れは少なくないらしい。……って本当か? ビザスタンプはどうすんだ?
夕方になり、国境の締まる時間が近づいてくると、仕事帰りだろう、ミャンマーへのボーダーが混んできた。それはそれとして、土産物屋の3人と仕事が終わってから飲むことになった。彼らの案内で、いかにも地元の人御用達といった風情の立ち飲み屋に行く。着いた途端、ボスは酒には目もくれず、コイン競馬ゲームに没頭してしまった。いつものことらしい。あとの2人と飲む。なんかきつい酒だな。これは何? 熊の胆ウイスキー? また妙なもんを……。国境が閉まるギリギリの時間まで飲んで別れた。
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4月29日(月) メーサイ → チェンセーン →(ゴールデン・トライアングル) → チェンセーン 8,142歩
9時に宿をチェックアウトしてメインストリートに向かっていると、高年の日本人男性二人が声をかけてきた。リタイヤ組で、退職金でタイで悠悠自適をしているらしい。話には聞いていたが、こんな町にもいるのか。せっかくなので、朝食を食べながら話を聞く。タイに長期滞在しているリタイヤ組でも部屋を買う人と借りる人には違いがあるとか、いろいろ興味深い話を聞かせてもらった。
その後土産物屋に顔を出し、件の三人に別れを告げようとすると記念に土産を買っていけと言うので、もしまた来る事があれば酒を奢るよと言って別れた。
チェンセーンへのバスはなく、ソンテウだけだ。乗り場も道端にソンテウが停まっているだけで分かりづらい。タイ語が読めれば何か書いてあるんだろうけど。でも本数は多いのでありがたい。チェンセーンまで30バーツ。
ソンテウの客は、僕とお坊さん三人以外は皆女性だった。家どころか畑すらあまりなく、原野の中を貫いているような道を走っていく。が、タイの国力のなせる技なのか、道は広く、舗装は行き届いていて、走り心地は良かった。
途中、ゴールデントライアングルを通過した。今は荷物も嵩張るし、ここを見るのは明日でいいや。と、メーサイを出て一時間強、ゴールデントライアングルを通過してわずか十数分でチェンセーンに着いた。こんなに近かったのか。
メコン川沿いのチェンセーンゲストハウスに投宿。シングル一泊100バーツ、トイレシャワー共同。それはいいんだが、宿の主人、どう見ても白人だぞ。奥さんはタイ人だけど。
とりあえず散策に出る。と言っても日が悪く、博物館とかは閉まってるし、歩いて行けるところにそんなに興味を引くものもないので、ぶらぶらと町歩きをしながら、昔の城壁の跡などを見てまわる。大きな町ではないが、いい感じだ。町のすぐ東にメコン川が流れているし、町の規模に比べて道が広くてまっすぐ伸びているため、広々とした印象を受ける。宿近くの中華料理屋で食事。メニューが漢字なのが嬉しい。中国からの貿易船が来るのか、明らかに中国人向けの店だ。あ、チェンセーンを漢字表記したら清盛なのか。
まだ時間があるので、明日にしようと思っていたゴールデントライアングルに行くことにした。宿の主人にソンテウの発着場と時刻を教えてもらう。ソンテウ自体はメーサイ行きなので、ジェスチャーとガイドブックを使ってなんとか降ろしてもらう。本当、英語だけでもなんとかしないと。ここまで10バーツ。
ゴールデントライアングルは麻薬がらみの怖いところという印象があったんだけど、すっかり三国間の国境地帯を売りにした観光地になっていた。麻薬博物館とかあるのが名残といえば言えるかな。二つの川が合流して、川の中には大きな中州が横たわっている。地形的にも面白いが、それがそのまま国境になっているというのがさらに面白い。
それはそうと、「Excuse me?」と日本人に声をかけられたんですが、僕はもう外人決定ですか?
観光地化している証として、民族衣装を着た子供達が何人もいた。きれいな衣装だったので撮らせてもらう。当然有料。今は学校が休みらしいから、駆り出されてるのかな。今日はツーリストの姿はあまり見なかったけど。ま、メインターゲットはバスで大挙してやってくるツアー客なんだろう。
日が暮れてきたので、先に会った日本人ツーリストと一緒にいつ来るか分からないソンテウを一時間ほど待ち、チェンセーンに戻る。これでチェンセーンでやりたいことはあらかたやった。駆け足だけど、明日、一気に国境の町、チェンコンに行こう。そこでしばらくくつろぐか、すぐラオスに入るかは、チェンコンの居心地で決めるとして。
することもなく暇なので、夜の散歩に出る。川沿いに出ているチェンセーン名物の屋台群や、川を行く中国の船を眺めながら歩く。と、ズボンに引っ掛けていた万歩計のクリップが壊れた。歩数はもう計れないな……。
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4月30日(火) チェンセーン → (ハトバイ) → チェンコン
9時過ぎに起き、ゲストハウスの主人にチェンコン行きバスの停留所はどこか尋ねたところ、10時半にこのゲストハウスの前でピックアップしてくれるらしい。それは楽だ。どうせ50キロも離れてない近い町だし、気楽に行こう。
10時半過ぎにやってきたのはバスではなく、ソンテウだった。バスより運転も維持管理も簡単だもんなあ。同じ宿からアメリカ人女性が一人乗ってきただけで、客2人だけ。楽でいいけど。気のいいおじいちゃんの運転するソンテウは、のんびりと走り出した。と、チェンセーンの市街地も抜けないうちに、ゲストハウスの主人がバイクで後を追いかけてきた。何事かと思ったら、同乗しているアメリカ人女性が部屋に財布を置き忘れていたので届けてくれたんだと。いい人だ。
町域を抜けて早々にポリスチェック。これがすごくにこにことフレンドリーで、こんなのは初めてだ。チェック自体も「ジャパニーズ」と言っただけでOK。なんとまあ。あとはあまり交通量の多くないメコン川沿いの田舎道をのんびりと走っていく。対岸のラオス側にはこういう道は見当たらない。奥にあるのか、元々ないのか。
途中、自転車で道をひたすら走っていく白人パッカーを見かけた。いるとは聞いていたけど、実際に異国の地を走っているのを目にしたのは初めてだ。元気だなあ。
一時間半ほど走り、ハトバイという小さな村で昼食休憩。運ちゃんがごはんのしぐさをして手招きするが、どこにも食堂らしき建物は見当たらない。不思議に思っていたら、すぐ横の民家の土間が食堂だった。テーブルも椅子もあり、村人が食事しているからちゃんと営業しているんだろうが、予想外だ。外人客はそれなりに珍しいらしく、麺を食べてる間中、えらく注目されてしまった。「辛いぞ」と言われていたけど、いい辛さでおいしかった。アメリカ人のお姉ちゃんは遠慮してか口に合わないのか、結局何も食べなかった。そういやバンコクからの夜行列車の中で、マークスが買った駅弁を食べる時も、唐辛子はよけていたなあ。欧米人って辛いのは苦手なのかな?
再び走り出して一時間少々、1時半にチェンコンに着いた。とはいえ、想像以上に小さな町だったので、運ちゃんが車を止めて「チェンコン」と言うまで、また途中休憩に立ち寄った町かと思っていた。料金は50バーツ。なんか疲れていたので、何も考えずに目の前にあったホア・ウィアンGH(ゲストハウス)に投宿。一泊80バーツ。部屋がロビーの隣で、ロビーにいる人声やテレビの音が筒抜けなのが難だ。正直うるさいが、まあいいか。
荷を下ろし、身軽になっていつものように町歩き。長いメインストリートが一本あるだけの小さな町だ。そのメインストリートもそんな太い道ではない。北の端に近いゲストハウスから、南の端にあるバスストップまで歩く。途中、宿の兄ちゃんが一人の日本人っぽいアジア人旅行者を連れて歩いていた。バスストップでキャッチしたんだろう。小さい町とはいえ、大体生活に必要な店は揃っているようだ。ラオスに入ったら難しくなると思うので、銀行でお金を下ろしておく。ラオス自体、どれくらいいるか、どう回るか、まだ決めきれてない状態だし、あるに越した事はない。さらに文房具屋で日記・プレゼント用にボールペンを買う。
適当に目についた食堂で夕食を取り、そこの主人と一緒にムエタイのテレビを見たり、そこの子供と遊んだりして時間を潰す。日が暮れてきたので宿に戻ると、昼間宿の人に連れられていた人がいた。結局ここに決めたのね。手塚さんという個人旅行者だった。この宿には他に2人、日本人旅行者がいた。ラオスから戻ってきた男性とこの町が気に入って、腰を据えてこの宿に遊びに来ている女性と。情報ノートもあるし、もしかしてここって日本人御用達の宿なのか?
夜、手塚さんと部屋で話しこむ。手塚さんもこの後ラオスに行く由。ラオスから雲南に抜ける計画だそうで、南下してカンボジアかタイに抜けるつもりの僕とは逆方向だが、世界遺産都市ルアンパバーンまでは行くつもりらしいので、そこまで同行しようということになった。もう一日ここで休み、明後日ラオス入りする。そこまでのプランは大きく分けて二つ。一つはメコン川をボートで下っていく方法、もう一つは山をのぼって行き、ムアンシン、ルアンナムターなど、少数民族が多く住む北部山岳地帯を回っていく方法。両方をする時間はないので、どちらかを選ばなければいけない。検討の結果、川下りで行くことになった。手塚さんはルアンパバーンの後でそっちに行けるし、僕はむしろラオス南部に惹かれているから。となると手段は二つ。スローボートかスピードボートか。大きな船のスローボートはルアンパバーンまで二日かけて行くが、小さなモーターボート様のスピードボートだと一日で一気に行ってしまう。が、スピードボートはたまに死者が出ていて、安全とは言えないらしい。これも検討の結果、まずスローボートで一日進み、翌日スピードボートでルアンパバーンまで行くことになった。一人ではこのプランは思いつかなかっただろう。基本は一人旅だが、同行者がいるのも面白いもんだな。