ほろほろ旅日記2002 8/11-20

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マレーシア Malaysia
8月11日(日) 
タジク チニ → クアンタン


 トムと僕を迎えに来るタクシーは午後一時半に来るらしい。OK。
 朝食を終え、あとはタクシーを待つだけなので宿に戻ってぼんやりしていると、イネスやキャロライン、フランス人母娘が帰ってきた。かなりへばっているようだ。お疲れ様。
 と、フランス人母娘がシャワーの後、素っ裸に薄手のシルクドレスのみというえらく色っぽい格好で出てきて、僕やトムがいるのに平気でそこらを歩き回っている。こないだのイネス達と言い、フランス人の羞恥心の感覚は一体どうなってるんだ!? 嬉しくないといえば嘘になるけど、それ以上に居づらいんですけど。参った。困惑してる僕を見て、またイネス達がからかってくるし。

 最後にタジクチニの滞在料の支払い。総計117RM(18RM×4泊+40トレッキング+5(カヌーをトムと割り勘))なり。安く済んだよなあ。
 タクシーの時間を待つ僕達より一足早く、イネス達がトラックの荷台に乗って、タジクチニを去っていった。
フランス人軍団。トラックはいすゞ。
 トムと2人でタクシーを待っている間、ラジャンさんと色々話す。
 ジャングルトレッキングで食べたパームの木は5年で成長しきるから、少々切っても問題はなく、しかもこの木は繊維質で、材木には向かないので食べるしかないらしい。トレッキング中は生で食べたが、茹でると増量するし、味も良くなるんだそうだ。ミネラル・プロテインもたっぷりで、これがあればライスはいらないとか。
 ラジャンさんはビデオが好きで、自分の部屋に数百本のビデオテープがコレクションしてあるとか。
トムとラジャンさん
 そんなこんなを話しているうちに時間が来て、タクシーがやってきた。古いサニーで、どこがタクシーかというたたずまいだが、それにももう慣れた。15分ほど山道を走って到着したバスストップには、予想通りイネス達がいた。
 このあと2時台に出るのはPEKAN行きとKUANTAN行き。この後ティオマン島に向かうイネス達はPEKAN行きに乗る。クアンタン行きには僕・トム・フランス人母娘・フランス人男性一人。日曜の午後だから予想してしかるべきだったが、このバス、人多すぎ。満席をはるかに越えた、すし詰め。苦しいってば。どうにかこうにか、四時前にクアンタン到着。

 僕はクアラルンプールに向かうので、チェラティンビーチに向かうトム達とはここでお別れだ。最後にメールアドレスを交換して、
「オランダ(日本)に来る事があったらメールしてくれ」
 と言い合い、ハグして別れを惜しんだ。白人のオーバーアクションにも慣れたなあ。しかしトム、いい奴だった。
 四時のバスですぐに発っていったトム達を見送り、僕はなんとか今日中にクアラルンプールに着きたいと、20分ほどかけてマクムールバスステーションへ歩いていった。でもそうだよな、今日は日曜だから混んでるんだよな。しかもクアラルンプール行きなんてメイン路線じゃないか。窓口の人に
「一番早く乗れるやつ」
 と頼んだのに、夜七時半発のになってしまった。今はまだ四時半。3時間もあるよ……。混みすぎ。てか、そんな時間に出たら、KL着が日付の変わったあとになってしまうじゃないか。ホテルを探すのが難しくなるし、ユースはもう閉まっている時間だし、ケビンに12時以降のクアラルンプールはあまり歩かない方がいいと言われていたし、いろいろといい事がないので予定変更。今夜はクアンタンで一泊しよう。

 バスステーション近くの適当なホテルに泊まるかとも思ったが、TICの人に教えてもらっていたホテルバラヤにした。バスステーションから少し離れているのが難だけど、結構綺麗だ。一泊39RM。タオルは別料金(なんだそれ)。
正直、あまり印象に残ってないなあ
 クアンタンのおいしい食堂とかは知らないので、近くにあったA&Wのファーストフードで夕食。久々にネットに繋ぐと、返事を出すべきメールが溜まっていたのでそれをこなす。コンビニでオレンジジュースと小豆(RED BEANS)のスナックを買って宿に戻る。
 マレーシアのビザは19日で切れるから、最悪でもそれまでにはKLを出ないと。


マレーシア Malaysia
8月12日(月) 
クアンタン → クアラ・ルンプール


 10時過ぎにマクムールバスステーションへ。
 平日のデイタイムだが、それでも10:30発KL行きは売り切れで、11:30発のになった。最大手のTRANSNASIONALのバスだが14.2RM。安い。

 そして発車五分前。バスがターミナルに入ってきた。一瞬、我が目を疑った。このバス、ものすごくきれいだ。今までマレーシアで乗ってきたバスも決して汚くはなかったが、比べ物にならない。エアコンは程よく、埃や汚れもなく、窓もシートも綺麗で、シートはしっかりしていて破れもなく、オートリクライニング式だ。下手な日本のバスより質は上だ。
 道もしっかり整備されており、しかも数年後には高速が開通するという。マレーシアの発展ぶりは本当に侮れない。

 11時33分に発車。KLまでは大体260キロ。……260かあ。プノンペンからシアヌークビルと大体同じだなあ。13:30、テメルロー郊外のレストランで休憩。
幹線道路。太くはないけど立派に整備されています。 途中休憩した食堂。何故アラビア文字?
 みんな食事してるから、すぐには発車しないのかな。スイカを食べている人もいる。長距離バスが他社も含めて4台停まっているから、提携レストランなのだろう。なんか食べる気がしなかったので何も食べずバスに戻る。
乗ってきたバス。立派なもので、乗り心地も快適です。 バス内部。

 結局、5時間かかって久しぶりのクアラルンプールに到着。でもこの降車場所は、クアラルンプールの地理を知らなければお手上げじゃないか。バスステーションじゃないし。まあ、目の前にパブリックバンクのビルがあるから分かるけど。
 歩いて馴染みのユースに行く。荷物を下ろし、チャイナタウンに取って返し、行きつけの屋台(ホテルインピアナ横)でナシアヤムを2皿。
KLに戻ってきて真っ先に行ったのが、ここ屋台のナシ・アヤム。
 そしてバーガーキングにハシゴして、バトルカフェでネット。なじみのところを回るのも楽しい。
チャイナタウンに浮かぶ「名古屋」の文字るクアラルンプールだなあ……。

 11時半にユースに戻るとケビンがいた。久しぶり。
 明日はパキスタン大使館に行ってみよう。ビザが取れるかどうかでここから先のルートが大きく違ってくる。


マレーシア Malaysia
8月13日(火) 
クアラ・ルンプール


 今日はパキスタン大使館に行ってビザ取得のことを尋ねてみるつもり。この結果次第で、今後の旅の方向が決まる。
 バスで行くつもりだったが、ケビンがバイクで送ってくれるというのでそうさせてもらう。70ccのバイクに2ケツ。だから、もうちょっと安全運転してください。怖いから。なんでそんなにアグレッシブなんだ。

 パキスタン大使館に到着。いつも思うけど、大使館はそれぞれ、その国の雰囲気が出ていて別世界だなあ。
 入ってすぐのところにある守衛室らしきところに10人ばかりのパキスタン人が群がっている。それぞれの手にはパスポートと申請書類。なるほど、ここでやるのか。まずは外人のビザ取得について英語で何か書かれてないかと張り紙を見てまわる。パキスタン文字のビラの中に埋もれている、一枚の英語が書かれた紙を発見。なになに。
「1.写真2枚 2.帰りの航空券 3.ビジネスビザなら大使館のレター 4.お金」
 あかんがな。帰りの航空券なんか買えるわけないやん。でも、これはマレーシア人向けのアナウンスなのかもしれない。確か日本人はパキスタンビザ無料だったはずだし。が、他にそれらしいものはなく、スタッフに声をかけて確認。これで合っているらしい。となると、さすがにパキスタン行きは厳しいなあ。
 次善の策として、ミャンマー、インドネシア、バングラデシュ、スリランカ、中東三国(シリア・ヨルダン・レバノン)、エジプトあたりを考えてみるべきか。

 ともかく、今日は今日だ。ケビンにKLCCまで送ってもらい、伊勢丹でガイドブックを立ち読み。ボールペン(80セン)を買い、メガネの三城へ。蝶番が固かったので調整してもらう。そこから歩いてブキッ・ビンタンへ。目的地はもちろんJCB。入り口で保安要員が確認してくるのにも慣れた。ジョホール・バルのホテルの件でお礼を言い、サービスのオレンジジュースを飲みつつ、クーラーの効いた部屋で新聞を読む。贅沢だなあ、自分。
JCBプラザ。 都会部分は先進国と比べても遜色ないですねー。
 後は暇に任せて歩いてチャイナタウンまで行き、そこからLRTでKLCCに逆戻りして紀伊国屋で立ち読みしたり、一人でパキスタン大使館をもう一度訪れたり、LRTの降りた事のない駅で降りてぶらぶらしてみたり。
 ……正直、クアラルンプールは大体堪能し尽くしたなあ……。
真ん中に見えるのはKLタワーです

 夜は例によってチャイナタウンのバトルカフェでプロ野球のネットライブ観戦。11回裏にセギノールのサヨナラホームランでオリックスブルーウェーブ勝利。

 そんなこんなで夜11時半にユースに戻ってみると、ケビンが女子大生に囲まれて歌っていた。今夜、上の階(女性用)は二つの女子大の学生でほとんど占領されている状態らしい。彼女達のうち2人はカタコトの日本語を話した。アロースターの大学で福祉の勉強をしているそうだ。彼女達を見て、マレーシアは日本を見ているというのが初めて実感できた。ルックイースト。
 しかしこの娘達、福建語を話す華人なんだけど、みんな僕より肌が白い……。


マレーシア Malaysia
8月14日(水) 
クアラ・ルンプール


 9時半に起きたら、ユースには僕とケビンの2人だけしか居なかった。みんなどこに行ったんだ?
 例によってケビンはお菓子やらパンやら、いろいろ分けてくれる。おかげで今日も朝食は不要だった。
 それにしてもここのところ、他のツーリストや地元民に
「こんなに長くマレーシアで何をしてるんですか?」
 と尋ねられる事が増えた。
 ……何してるんだろう?
 確かに、マレーシアに一ヵ月半、クアラルンプールだけでも二週間もいるんだもんなあ。

 今日もパキスタン大使館に再挑戦するが、11時前ということで、ちょうど今日はもう閉まったところだった。12時半まで開いてるんじゃなかったのか。悔しいので、たまたま通りかかった大使館の職員に声をかけてみる。
「すいません、僕は日本人なんですが、ここでパキスタンビザは取れますか」
「ええ、取れますよ」
「何が必要ですか?」
「写真2枚です。どれくらいの期間のビザがいるんですか?」
「一ヶ月のツーリストビザが欲しいんですが」
「すいません、去年の9月11日以降、ツーリストビザの発行はしてないんですよ」
「そうですか……」
 職員さん、しょげる僕を見てかわいそうに思ったのか、なんとか便宜を図れないかやってみると申し出てくれた。
「ビジネスビザならいけるんですが……旅行のみですか?」
「そうです」
「明日来たら、取れるかどうかトップに聞いてみます。また来てください」
 なんて親切なんだ。もし行けた場合、木曜申請で金曜受け取りらしい。まだ可能性はあるのか。なんとも微妙だが。

 その後、ケビンの所属するという音楽事務所横の屋台でお茶をご馳走になる。
 チャイナタウンに戻ってぶらぶらしたり、ネットカフェで転がったりのいつもの生活。11時半、宿に戻る。ケビンにナシ・ルマッをもらい、貸していた60RMのうち30RMを返してもらう。


マレーシア Malaysia
8月15日(木) 
クアラ・ルンプール


 まさか終戦記念日になってもまだクアラルンプールにいるとは思わなかった。
 今日もケビンのバイクの後ろに乗ってパキスタン大使館へ。9時半ちょうどに到着。昨日の人がいたので話をすると、とりあえず申請書類を提出してからボスに聞いてみてくれることになった。他のパキスタン人が大勢順番待ちをしていたので、その後にしてもらう。30分ほど待って帰ってきた最終回答は
「済まないねえ、君に出せるビザは三、四日滞在できるものだけだ。一ヶ月ビザは出せない」
 トランジットビザのみということかあ。仕方ない、パキスタンは諦めよう。行くなら絶対フンザには行きたかったけど、数日じゃあ不可能だもんなあ。しかし、いつ来ても思うけど、ここは雰囲気がいい。係員も来ているパキスタンの人も、みんなフレンドリーで人の良さそうな人ばかりだ。今回は無理でも、いつかは行きたい。
 こうなったら次の目的地はタイに戻ってから決めるしかないな。今日の予定は終わった。

 ケビンが買い物に行こうと言ってきたのでバイクに同乗して行く。外国人観光客が来ないのでさらに安いという第2のチャイナタウン、プドゥ(PUDU)。
 ……本当に安い。買いたかった24枚収納可能なCDケースが1.70RM(50円)! チャイナタウンでは15RMだったのに。この落差は何なんだ。チョウキットに移動してケビンの行きつけの店、ケビンの所属する音楽事務所と行き、さらにチャイナタウンに移動して昼食。
 ここで午後四時。仕事に行くというケビンと別れ、いつものようにチャイナタウンを無為にうろつく。

 夜、ユースに帰ると同室にインド系マレー人がいた。一年前にJAの関係で日本に行ったこともある(盛岡・東京・福岡)らしく、カタコトの日本語を話す。日本を誉めてくれるのは嬉しいけど、
「日本は本当にきれいな国だ。シンガポールより上だ」
 というのには苦笑するしかなかった。そりゃそういう所も当然あるけど、日本は大きいからそうでないところもいっぱいあるし、シンガポールの潔癖ぶりはある意味異常だし。そして、深夜はいつものようにケビンと酒。


マレーシア Malaysia
8月16日(金) 
クアラ・ルンプール


 ケビンが朝からかなり具合が悪そうだ。両腕が痛く、気分も悪いらしい。暇だったし、ケビンの薬湯探しに付き合ってチャイナタウンをうろつく。が、今度は逆に自分の体調が悪くなってしまったので、一足先に宿に帰った。

 戻ってみると、部屋に新しい宿泊客がやって来ていた。いい年のおっちゃんで、モロッコから来たと言っていた。モロッコもフランス語圏なのかな。フランス人のそれみたく、英語がすごく聞き取りにくい。
 と、このおっちゃん、ベッドの具合を確かめている最中に
「エアコンが効いてない。こんなの我慢できん!」
 と10分少々で出て行ってしまった。なんだったんだ……。ちなみにこの部屋のエアコン、普通には効いてるぞ……?
 ケビンが帰ってきたのでその事を話すと、
「モロッコ人? 以前この部屋で睡眠薬強盗をした奴もそうだった。出て行ってくれてよかったよ。アラブ人は信用しにくい」
 そんなもんなのかな。実感はないけど、さっきの人の物腰とかからすると、信用できないわけでもない意見のような気がする。
 それはそうと、モロッコ人もケビンと同じムスリムじゃないのか? 同じムスリムでもアラブとアジアでは違う、言われてみれば当たり前か。

 夕方、クアラルンプール駅の北にある中央郵便局に絵葉書を出しに行く。大きい局は窓口が分かりにくくて困る。ケビンがついて来てくれてて助かった。それにしても定形外のエアメールが一通50セン(18円)ってえらく安くないか?
 夜、宿に戻ると同室の人が増えていた。九州人のヨシさん。


マレーシア Malaysia
8月17日(土) 
クアラ・ルンプール


 ……暇だ。本当にする事がない。
 暇潰しにヨシさんを連れてパサールスニ駅まで出向き、ついでにムルデカスクエアまで足を伸ばす。独立記念日の祭りがある日だということで期待して行ったのだが、何もなかった。
 
 聞いてみると、祭りは夕方からだそうだ。なんだ。ステージやアドバルーンの用意がしてあるだけだ。出店もまだ全然ないし。

 仕方なくチャイナタウンで夜まで暇を潰す。

 そして日もすっかり暮れた夜8時過ぎ、今ならということでムルデカスクエアへパレード見物に出発。
 
 人込みは苦手なのであまり長居はしなかったけど、盛大なお祭りだった。
 
 ステージでは歌やダンス、周辺では人やバイクが道をパレード。

 人出も多く、普段は入れない芝生広場にも人が一杯いた。たまにはこういう雰囲気も悪くない。来ておいてよかった。

 夜9時半にケビンとヨシさんと待ち合わせの約束があったので、切り上げてバトルカフェに戻る。今夜、バーでケビンがライブをやるので、一緒に飲もうという話になっていたのだ。が、まだケビンは来ていない。
 仕方なくヨシさんと2人で待っている間、あれこれと話しているうちにヨシさんが僕に
「日本ではどんな仕事をしていたんですか」
 と尋ねてきた。仕方なく前職を言うと、
「なんで辞めたんですか?」
 とえらくしつこく聞かれてしまった。人それぞれ事情ってもんがあるんだから、そっとしておいてくれ……。退職経験のないまま30代後半になった人に言うべきじゃなかったなあ。

 夜10時、ケビンはまだ来ない。ヨシさんは待ちくたびれてユースへ帰っていった。11時になっても来ないので、僕もユースに戻ることにした。
 バトルカフェを出る時、明日クアラルンプールを去ると言うと、顔なじみの店員2人(華人とインド人)はえらく惜しんでくれた。まあこんな上客かつ変な客はそういないだろうしなあ。

 帰ってみると、ユースにもケビンはいなかった。……そういや先月もこんな事があったな……。確か、アレックス(独)と一緒だった……。以前から思ってるけどケビン、腕前はともかく本当にプロのミュージシャンなのか?
 12時にケビンが帰ってきた。レコーディングでペタリンジャヤに行っていて、ボスに見張られていたので抜けられなかった由。その後、例によって談話室で朝の3時まで飲みふける。


マレーシア Malaysia
8月18日(日) 
クアラ・ルンプール


 今日は朝から雨が降っている。スコールではなく、日本的な、しとしと降る雨。珍しい。
 ロティの朝食に三人で行き、あとはゴロゴロ。今日はクアラルンプールを出る日なので、それまでは変に動けない。たまたま用事があるケビンと一緒にバスでバタワースまで行き、その後マレー鉄道でバンコクまで行く予定だ。マレーシアビザが明日までなので、丁度いい。

 ケビンが夕方のバスで行くと言うので、それまでネットをしたり、ケビンの買い物につきあった(九月からアパートを借りるそうだが、そこで導入するパソコンを買おうと電気屋で相当悩んでいた)りして時間を潰す。
 夕方にケビンに確認すると、深夜発の便に変更しようと言ってきた。まあ、こっちは明日の列車に間に合えばいいから構わないけどさ。
 時間があって暇だし、もうすぐケビンとはお別れなので、ケビンのリクエストに応えて「上を向いて歩こう」と「荒城の月」を英訳する。この二曲が好きだから、歌の意味を感じつつ歌いたいんだそうだ。でも、悲しいかな僕には音楽センスも英語力もほとんどないので大変だ。特に「荒城の月」は古文体だし、行間を読みまくりの歌詞だから難しい。ケビンも僕の拙い英訳詞に合わせて歌おうとするからなんか大事になってしまった。
 そんなこんなで深夜2時、バスターミナル横から出る夜行長距離バスに乗って一路バタワースへ。

 さらばクアラルンプール。


マレーシア Malaysia → タイ王国 Kingdom of Thailand
8月19日(月) 
→ バタワース → パダンブサール →


 バタワースに向かう夜行バスは深夜の2時20分に出発した。
 3列シートでリクライニング式。古めの車体だがクッションの効きがよく、悪くない。人も一杯乗っている。もっと色々観察したかったが、大概眠かったのですぐに眠りに落ちた。そして一時間。
 3時半、バスがトイレ休憩している時にケビンが僕の体を揺すって起こし、
「バスを移るぞ(Miyamol,we change bus.)」
 と言ってきた。このバスも確かにバタワース行きだし、他の乗客は誰も降りない(そりゃあ深夜3時半なんだから当然だ)。どうしてバスを換えるんだ?
 何が何だか分からないまま移ったバスは、先ほどのものとは比べ物にならないくらいきれいだった。しかも客は自分たちを入れて4人のみ。なるほど、より快適にするための乗り換えか。でも今の状況って、ケビンが信用できないとものすごく怪しくてヤバイよなあ。まあケビンは本当にプロのミュージシャンかどうかという1点を除けば信用できると僕は判断してるけど。
 このバスは新しいだけあって乗り心地も快適で、スピードも速かった。ケビンの予想では7時半にバタワース着だったのが、実際には6時半に着いてしまった。性能がいいのはいいんだけど、なんで夜行バスがそんなに飛ばすんだか。これでバス代は22RM。安いなあ。

 ともあれ着いたバタワース。まずはKTM駅でバンコク行きの列車のチケットを買う。寝台は上段しか空いてなかったけどそれで十分だ。あれ? 88RMというのは940Bだったタイからの便より安いんじゃ。レートの関係か何かかな?
 駅前の屋台で朝食(バタワースのナシ・ルマッは甘くない)の後、ケビンの目的地、ケビンの会社の保養所へ路線バスで向かう。うーむ、自力ではこの路線バスは使いこなせないなあ、ややこしい……。
バタワースの普通の庶民地帯
 マレーシアは朝が遅い。7時と言ってもタイの6時に相当するため、暗い暗い。モンスーン期に入ったとかで、クアラルンプールに戻って以降、涼しい日が続いている。15分ほど行った所で下車。
同じくマンション地帯の一角
 学校が一杯あるところを抜け(ここでも月曜の朝には朝礼してるんだなあ)、団地が建ち並ぶ一角に入ってきたと思ったら、ケビンのカンパニーハウスに到着。普段は人がいないようで、埃や蜘蛛の巣がすごい。きれい好きなケビンは早速掃除を開始した。左腕が痛くてたまらないはずなのに、頑張るなあ。ユースでも毎日、自分で掃除していたっけ。
ケビンが掃除してます(^^; 彼の音楽事務所のバタワースでのハウスらしいけど……
 二時間程かけてカンパニーハウスの掃除を終えてから、ここのシャワーを借りてさっぱりする。眠いけど。
 ケビンが
「こんなにゆっくりした日本人は初めてだ」
 と言っていたけど、ならこのカンパニーハウスに来た日本人も初めてなんだろうな。ここでケビンが参加しているグループのCDをくれることになっていたのだが見つからず、あるのは山のようなVCDばかり。
「どれでも好きなのをやるよ。ここにあるのはコピーじゃないから大丈夫だ」
 本当かなあ。ケビンが何やら会員証を見せてきた。MACD(Music Auther's なんちゃら)の会員らしい。米国に奥さんと子供がいるのか。ギターがプロ級に上手いのは確かだけど。WARNER MUSIC (所属)、Life Record(レコーディングスタジオ)で、「-Wings-」「-Xpdc-」の2グループで活動しているらしい。(後で調べたところ、確かにこの二つのグループはマレーシアにあったし、ケビンという名の彼っぽい人物も確かに参加していた。)
ケビンの事務所のバタワースハウスの向かい。このレベルになると、庶民の暮らしはどこでも大差なくなってくるのかなあ。
 1時半、ケビンの友人2人がやって来た。僕を駅まで車で送ってくれるそうだ。トモイ(東南アジア流の格闘術)の知り合いらしいけど、至るところに知り合いがいるんだなあ。途中、地元の食堂で昼食をおごってもらう。滞在中、何回おごってもらった事か。
 駅でもハグして別れを告げ、僕が乗った列車が見えなくなるまで手を振ってくれた。人情というかホスピタリティというか、いい国だったな、マレーシア。少々怪しい面もないではなかったけど、ケビンと知り合えたからこんなに楽しかったんだろうと思う。出会いと別れを繰り返すのが旅人の宿命だけど、今回の別れは少々しんみりとしたものになった。

 ありがとう、テリマ カシ、ケビン、そしてマレーシア!



 バタワース発バンコク行きの列車は、客車3両で14時20分の発車。おお、タイ文字だ。久しぶりに見たなあ。寝台は13号車の13番。
 車内に入ると、いきなり学生らしき日本人を次々と見かける。ついさっきまで、日本人なんて影も形もなかったのに、変われば変わるものだ。僕の向かいの席、寝台時には下段になるところに座っているのは白人のおっちゃん。進行方向に背中を向けて座るのが嫌だとかで、いきなり僕と座席を交替してくれと言ってきた。構わないよ。反対側を見ると、真っ赤に染めたニワトリモヒカンにしている白人の兄ちゃんが。インパクト抜群だ。
 とかやっていると、タイの入国カードを配りに来た。それ自体は見慣れたものだったけど、もう一枚、課税関係の「Welcome to Thailand」っての、初めて見たよ。タイ入国は4回目なのに。ともかく眠い。国境のパダンブサールに着くまで、寝てばかりだった。
国境地帯を車窓から。土手が高すぎて何がなんだか。
 ここのタイへの出入国審査、えらくあっさりしている。荷物のチェックもないし。日本人学生なんか、荷物を車内に置いたまま、手ぶらで来てるぞ。マレーシア入りする時とはえらい違いだ。ニワトリモヒカンの兄ちゃん、マレーシアの出国イミグレで、スタッフのムスリム姉ちゃんに大受けしていた。そりゃああの髪型はインパクトありすぎだもんなあ。
 ここでリンギットに別れを告げて、タイバーツに両替。95リンギがレート1080で1015バーツに。うーん、なんか100リンギだとそんなにある気がしないけど、1000バーツだと使いでがある気がする。

 列車は再びバンコクを目指して走り出した。話していると、向かいのおっちゃんはドイツ人だと判明。ドイツ南西部の黒い森(シュバルツバルト)地方出身らしい。
 日本のことを「ジャパン」ではなく「ニホン」と呼んだりして、結構詳しいなと思っていたら、過去に日本一週旅行をしたことがあるらしい。有珠山、高山、指宿、日南、宮崎−宿毛のフェリー、等々。かなり詳しい人だ。外国人に日本好きの人が多いというのは社交辞令ばかりではなく、確かなようだな。
 このおっちゃん、ペナンで芸大の先生をしているらしいが、下ネタが大好きで困ってしまった。「ブッカケ」とか「日本のストリップはいくらくらいするんだ」とか、そんな話題ばかりだ。昼間から初対面の者にする話題か、それ? いやまあ、別にいいんだけどさ。


タイ 8月20日(火) → バンコク

 寝台列車にも慣れ、12時間以上泥のように眠り続けた。
 目が覚めて以降はムスリム女性をほとんど見かけなくなった。車窓の植物相も熱帯のそれとは違ってきた。タイに戻ってきたんだなあ。
 そしてバンコクはホァランポーン駅に到着。
 
……日本人、多すぎないか?
 昨日までのマレーシアと比べると、もの凄い違和感だ。駅を出るまでの間だけでもいくらでも日本人がいる。
 ともかく宿を目指し、53番バスに乗る。どのバスに乗っていいのか分からず、「カオサンロード!」と叫んでいた日本人や白人旅行者達と一緒だ。ああ、僕も最初はそうだったなあ。道路は大体普通の混みようで、一時間程かかった。PSゲストハウスのところで降りた旅人は僕一人、412号室に投宿。
 昨晩から何も食べていないので、一階のレストランで腹ごしらえ。うーん、久しぶりの豚肉はおいしい。マレーシアにいた時は全然気にならなかったけど、豚肉もいいなあ。

 今日はもう何もする気が起きないので、ぶらぶらと近場を歩き回る。カオサン、チャオプラヤー、等々。
 特にカオサンを歩いていて思ったのだが、やはり夏休み期間中だけあって、日本人旅行者は増えている。それもなんというか、個人的にはあまり係わり合いになりたくないような人達が。まあ本人が楽しくて、他の者に迷惑をかけてないなら別にいいんだけど。
 大きく分けて2タイプあり、1つは日本の繁華街で遊んでいるのとどこが違うんだろうかと思ってしまうようなタイプ。海外にいるという自覚とか緊張感とか、あるんだろうか。もう1つは見るからに「俺は凄い旅をしているんだ」と言っているような、薄汚れてボロボロなタイプ。ゲストハウスで水くらい借りられるんだから、最低限の清潔さは保とうよ。
 まあ、どっちも余計なお世話なんだろうけど。人の数だけ旅があるとはいえ、その幅の広さを改めて痛感。

 宿に戻り、フロントで手続きをしていると、ロビーから日本語で声をかけられた。誰かと思って見ると、マレーシアに行く前にここで会った人だった。彼もつい先日、マレーシアのペナンから戻ってきたところだそうだ。縁がある人とは縁があるものだなあ。彼は一週間後にミャンマーに飛ぶらしい。
 ミャンマーかあ……行ってみたいけど、出入りの手段が飛行機のみってのはなあ……ネット制限や外貨持ち込み制限なんてのもなんかイヤだし……うーむ。


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