ほろほろ旅日記2002 8/1-10

前へ


マレーシア Malaysia
8月1日(木) 
コタ・パル → プルフンティアン島(Dラグーン)


 そうか、もう8月か。
 今日はコタバル近くにある穴場的リゾート、プルフンティアン島に行く。有名なティオマン島に行こうと始めは思っていたのだが、出会ったマレー人ことごとくにこっちの方がいいと言われてしまっては、行くしかない。宿で手配を頼むと、プルフンティアン島のDラグーンというビーチに行くらしい。別にどこでもいいよ。
 ツアーバスがあるわけではなく、宿に手配してもらった普通のタクシーに分乗。僕の乗ったタクシーには、他に日本人の女の子とオーストラリア人の男性がいた。
 運ちゃんが僕に「お前も日本人か」と尋ねて来た時、その女の子が首をぶんぶんと強く横に振った。「この人は違う」ってか。
 どうあっても僕は日本人じゃないらしい。困ったものだ。
 途中、運ちゃんがランブータンを買ってくれた。1人一キロ。ありがたいけど大量すぎるよ。一般道をかっ飛んで、9時20分頃、ボート乗り場に到着。
プルフンティアン島への船に乗り込む

 ボートは思っていたより小さめで、到着までの間、座ることも出来ずに立ちっぱなしだった。白人客で溢れ返ってたし。一時間半の予定が二時間半かかってしまったが、その間、海底の砂が見えるほどに透明度が高い、エメラルドグリーンの海を眺めていたのであまり退屈はしなかった。
 島に到着すると、白人女性2人が話し掛けてきた。一体何事かと思っていたら、ジャングルトレインで一緒だった、もっと言えばタマン・ヌガラで会っていたフランス人女性2人組だった。行動パターンは同じなのか。コタバルで一日先に行っていた日本人カップルとも再会する。こういうのも旅の楽しみだ。
 関係ないけど女性の水着、日本人はワンピースもビキニもあるけど、白人女性はビキニばかりだ。でも、白人女性に色気はあまり感じない。タクシーから一緒の女の子も同じことを言っていたので、自分が特別おかしいわけではないようだ。
 ビーチの物価はリゾートプライスなので、安く抑えるために宿は当然ドミトリー。
ドミトリー……屋根と壁があるだけっぽい……
 浜は狭いけど、本当にきれいだ。もちろん海も。水中メガネ、シュノーケル、フィンのシュノーケリング3点セットを日本人カップルの男の人と割り勘で借りて潜る。いろんな魚が泳いでいる。熱帯魚は華やかだ。黄黒の縞模様、蛍光紫、等々。少し海に入っていくと珊瑚礁だ。砂浜近くの珊瑚は死んでしまっているが、沖に行くとまだまだ生きている。なんだかんだで都合四時間ほど泳ぎまくった。素足で珊瑚の上を歩くのはきつというのも身をもって体験したし。大きな魚とかは見られなかったけど、堪能した。
 
 ここはもう、これでいいかな。感じのいい所ではあるけど、いかんせん白人が多すぎるし、やはりリゾートは柄じゃない。
 食事も島料金、リゾート料金で高いし。一番安い焼飯が5RMからってのはなあ。水1.5リットルが3.5RMだし。でも泳いで疲れているからついつい食べてしまう。リゾート地の策略、恐るべし。
 今日は上半身、久しぶりにTシャツとかなしで過ごしたんだけど、特に日焼けとかはしなかった。今の黒さがピークということか。
 食後、みんなでビールを飲む(一本7RMって……)。イスラム国に居続けているので、アルコールは久しぶりだ。そのまま、海辺のハンモックで横になりつつ、波の音をBGMに深夜までだらだらと雑談した。こういうのも悪くない。おや、そういえば蚊がいないぞ。


マレーシア Malaysia
8月2日(金) 
プルフンティアン島(Dラグーン) →
(クアラ・ブスッ)→(パシプテ)→ クアラ・トレンガヌ

 9時過ぎに目を覚ましたが、ドミの他の人はまだ寝ていた。さすがはリゾート地。
 食堂に行くと、アレックス(仏)がフランス人女性1人を膝に乗せていちゃついている。ううむ、さすがはナンパしに旅に出た者。
 それはともかく、今日はマレー半島に戻って南下だ。どの町まで行くかは、乗れるバスのタイミング次第だ。

 朝八時にDラグーンを出るスローボートに乗ろうとすると、
「そのチケットでは会社が違うので乗れない。+10RMでファーストボートに乗るか、昼12時に来るスローボートにしてくれ」
 と。仕方ないので昼まで待つことに。
 ボートが着くクアラ・ブスッからクアンタンまでは6時間ほどかかるはずなので、これはクアラ・トレンガヌまで行くので限界かも。
 ぼんやりと海を眺め、浜遊びをして時間を潰す。荷造りは済ませてしまっているので、もう一度水着を取り出して海に飛び込む気力はない。
 12時20分、ボートがやって来た。コタバルから一緒だった日本人カップルにお別れを言う。握手をしたり、手を振ったり、こんな別れらしい別れ方をしたのはいつ以来だろう。バカンスで来ていた日本人のおばちゃん達にも
「え、もう出るの? まだ一日だけでしょ?」
 と言われながら出発。今の僕にはリゾートはこれで十分満足なんですよ。
さらばDラグーン
 ボートは島の各所のビーチを巡って客をピックアップしてから本土に向かう。
さらばプルフンティアン島
 しかしつくづく、浜からずっと離れた沖合いでも海底の砂浜がくっきり見えるのは凄いと思う。なんだかんだで半島側の港、クアラ・ブスッに到着したのは3時40分だった。
南国の海の色はやはり違います

 船から降りた客は、僕以外はとっととタクシーをシェアしてコタバルに帰っていった。南に行く奴はおらんのか!? タクシーにはあまり乗りたくないので船着場の事務所にいる人にバスステーションの場所を尋ねるが、どうも要領を得ない。どうやらこの町にそんなものはないらしい。車で15分ほど行ったパシプテという町にならバスは来ているとのこと。
 船着場で働いている7人の人に
「今日はコタバルに戻って、明日のバスに乗るのがいいと思うよ」
 と言われるが、僕はそんな物解りのいい人間じゃない。他に取れる手立てが明示されているんだから、そんな「旅行」は御免だ。話し合った結果、その人達の買い物のついでにパシプテまでタクシーを出してもらうことになった。たった15分で15RMは高いが、止むを得ないか。まあいい、これが「旅」だ。
 クアラ・ブスッは田舎の村って感じだったが、パシプテは田舎の村々の中心地って感じだ。大きくはないが、ある程度店が並んでいる一角がある。
 人気のないバスステーションのチケット売場で
「今日、クアラ・トレンガヌに行きたい」
 と訴えると、午後5時のバスのチケットが取れた。9.1RM。コタバルから行くのと同じ料金だが、まあいい。こういう変なルートを選ぶのがまた楽しいんだから。それにこの方が、旅程が一日浮くし。時間があるので近くのケンタッキーで腹ごしらえして待つ。
ローカル色溢れるバス停で佇んでいると、旅を強く実感します。
 5時、ほぼ定刻に来たバスには、外人客は僕しかいなかった。バスはいい道を快調に走り、予想通り二時間程かかってクアラ・トレンガヌ着。

 クアラ・トレンガヌは思っていたより立派な町、バスステーションだ。新しく整備された雰囲気が漂っている。夕闇が迫る中、ホテルを探す。ジョホール・バルを出て以来、外と筒抜けの宿かドミトリーばかりだったので、そろそろちゃんとした宿に泊まりたい気分だ。「歩き方」に載っていたホテル・ミニ・インダーの203号室に投宿。フロントはいかにもアジアの安宿って感じだが、部屋はやや古めではあるがちゃんとしたものだ。本には一泊55RM〜となっていたが、一泊35RMだった。ラッキー。
 日が暮れてから町をざっと歩いたが、この町、州都なのにあまり猥雑さがなく、すっきりして落ち着いている。チャイナタウンも小奇麗な印象だ。
 ただ、やはりというか、ネット環境が日本語には対応していない。もう慣れたけど。いろいろメールが来た。チャムパサックからシーパンドンまで一緒だったまこっちゃんは、もう日本に帰っているらしい。やりたいことがみつかったそうなので、それは祝福すべきだが、やっぱり寂しい。アレックス(独)からも来ていた。まだマレーシア南部のリゾートで楽しんでいるそうだ。チェラティンではココナッツインがお薦めだとかなんだとか。
 ネットを終えて外に出ると、雨がぱらついてきた。目についた屋台で夕食を済ませ、雑貨屋でお菓子を買って宿に戻る。
 今夜は思いっきり寝よう。


マレーシア Malaysia
8月3日(土) 
クアラ・トレンガヌ → クアンタン


 朝、テレビでドラゴンボールをやっていた。そうか、今日は土曜日か。テレビ番組で曜日が分かるほど長くマレーシアにいることを今さらながらに実感。
 今日クアラ・トレンガヌを出るつもりだが、まだ何も見ていないのでぶらっと出かける。日の光の下で見ても、昨夜抱いた印象は変わらない。猥雑さよりも落ち着きを感じる町だ。
チャイナタウンを行くバス。ピンクの塗装が目を引きます クアラ・トレンガヌのチャイナタウン。むこうに見えるのはソニーの看板ですね。

 今日はクアンタンまで動こうと思う。11時半にチェックアウトしてバスステーションへ。
 マレーシアのバスは会社ごとにカウンターが違うから、頑張って選ばないといけない。と思っていたら、待合室の近くで休んでいたおっちゃんが、
「どこまで行くんだ? クアラルンプールか?」
 と聞いて来た。クアンタンに行きたいと言うと、
「すぐ出るやつがいいのか? なら12時半発だな。こっちだ」
 と窓口まで連れて行ってくれた。バス代は11.6RM。別に案内料を要求してくるでもなく、純粋な親切心がありがたい。
クアラ・トレンガヌのメインストリート。少なくとも一番太い道。でも交通量が……
 時間がまだあるのでバスステーションの裏手にある屋台街で昼食。フードコートの適当な店に入り、
「ナシ(ごはん)。your recommend(おすすめのおかずで)」
 と頼んでカレーを食べた。マレー語が喋れないのに「テー、オコソン、アイス」の3語は知ってるのがおかしいらしく、店員さんにやたらと受けてしまった。
 まだ時間があるので、川べりのベンチで一服。クアラ・トレンガヌは河口の町なので、ここからだとトレンガヌ川と南シナ海が一望できる。穏やかな海面を、小さな漁船がのんびりと滑っていく。いいなあ、こういうの。
クアラ・トレンガヌバスステーション裏の河口。すぐ向こうは海です
 ……けど、後ろのテレビから流れてくる
サクラ大戦のテーマ曲のおかげで雰囲気ぶち壊しなんですが……。
 でも、暑さもさほどでもないし、風は気持ちいいし、さえずり交わす小鳥の声も耳に心地よい。今回の旅の中でも、上々の部類に入る一時だ。
 定刻に少し遅れてバスが来た。ここ始発じゃなかったのか。

 バスは太い幹線道路を快調にひた走る。土地は平坦で、家も道も、作りが大きく、広々としている。海のそばを何度か通りかかるが、ビーチが美しく広がっている事が多い。川を何本も横切るが、水量は豊かで流れは穏やか。両岸は手付かずの原生林がびっしりと生い茂っている。この自然環境と人口密度なら、護岸工事はそんなに急がなくてもいいのかな。
 これだけ気持ちがいいと、やはりうたた寝をしてしまう。一時間程寝ても、空は青く、地は緑、道は広く、川もゆったりと伸びている。幸せだなあ。
 約200キロの道のりをバスは進み、クアンタンまで残り25キロを切ったあたりから大渋滞が始まった。何事だと思ったら、先の陸橋上で事故があったらしい。事故なら仕方ない。ちなみにその陸橋の下には、貨物列車の線路が通っていた。旅客扱いをしている線路は東海岸にはないが、線路自体はあるんだ。
 ようやっとクアンタンの市街に入ったと思ったら、今度はバス会社の車庫で10分休憩。おいおい。
 なんだかんだで5時半、ようやく終点クアンタンのバスステーションに到着。大きいが、郊外にぽつんとあるバスターミナルで、少々寂しい感じだ。

 街中まで少し距離があったが、さしたる苦もなくガイドブックにあったスラヤホテルに到着。思っていたより古いが、スタッフは愛想がよく、感じは悪くない。一泊65RMというのはさすがに高いが。まあ今夜だけだ。部屋に荷物を降ろした時点でまだ6時過ぎ。7時半まで外が明るいマレーシアの生活にすっかり慣れてしまったなあ。タイに戻った時が怖い。明日宿を移る下見も兼ねて町をぶらつく。
 夕食を済ませてもまだ明るいのでさらに足を延ばし、クアンタン川沿いの遊歩道を散歩。きれいに整備された遊歩道で、いい感じだ。
クアンタン川沿いの遊歩道。くつろぐには最適の場所でした
 クアンタンクアラ・トレンガヌに比べて華人が多いせいか、クアラ・ルンプールに近いせいか、やや雑多な感じがする。車も人も多く、せわしないと言うか、活気があると言うか。ただ、ここでも予想していた通り、ネット屋が少なく、やっと見つけても予想通り日本語環境はない。もう慣れたけどさ。
 ネットを終えて外に出たら、雷が鳴り響いてきた。と思う間もなくスコールだ。すぶ濡れになりながら、どうにかホテルに戻る。
クアンタンのモスク。ピンぼけですが、これしか写真がないもので(^^;


マレーシア Malaysia
8月4日(日) 
クアンタン


 関係ないけど、マレーシアも田舎の方に来ると、みんな値段を「リンギット」じゃなく「ドル」と言うのはなんでなんだろう。リンギット払いなのに。

 今日はまず部屋を換えよう。もっと安い宿でないと、資金繰りも厳しいし、落ち着かない。昨日目をつけておいたスンガイワンホテルに移動。203号室はシングル利用で一泊35RM。床は砂でジャリジャリだし、値段を考えると設備的には侘しいが、仕方ないか。洗濯をしようと流しを使うと、水の流れが異様に悪く、Tシャツ一枚洗っただけでやめにする。


 この町、少なくとも昼間にぶらついた感じでは、なかなか雰囲気がいい。特に日陰を歩くと、温度・湿度・風の具合が実に気持ちいい。
 情報が欲しくて訪れた公立インフォメーションセンターは閉まっていた。土曜の午後と日曜は閉まっているようだ。またしても「歩き方」に騙されたよ……。これならクアラ・トレンガヌにもう一泊できてたじゃないか。それはそれとして、町を歩いている最中、こんなに暑いのに「秋の淋しさ」を感じている自分に気付いた。なんか物悲しくて、せつない。旅も長くなってるからなあ……。
 クアンタン川沿いの遊歩道をぷらぷら歩き、ジュースを買って宿に戻る。
 

 部屋で読書をしながら、ここから先のプランについて考える。今考えているのは、ヨーロッパに入る前にパキスタンとイランに行けないものかということだ。残り日数から考えても楽ではないが、行けるものなら行きたい。問題は、それがダメな場合だ。バングラデシュ・スリランカ・エジプト・シリア・ヨルダンのどこかあたりに寄ってからトルコに行くか、そのまま直接トルコに行くか。でも、あまり早くヨーロッパに入ると資金が足りなくなるからなあ……。ともかく、ビザが取れないものか、クアラルンプールに戻ったら調べよう。


 夕方、また散歩に出かける。感じいい町だよなあ、つくづく。夕食を摂ろうと入った屋台で、またマレー人に間違われた。本気で慣れたよ。
 さて、この町から先はどうしようか。今のところ、直接クアラルンプールに戻るか、チニ湖に行くかのどちらかを考えている。明日、インフォメーションで情報を集めてから決定するつもりだが。
 それにしても、マレー半島東海岸をここまで南下してきて、ただの一軒もコンビニのチェーンを見かけないのが面白い。個人商店のコンビニが24時間営業をしているとかはあるんだけど。


マレーシア Malaysia
8月5日(月) 
クアンタン


 昼過ぎに起きる。まあ寝るのはいいことだ。
 今日の用事はタジク・チニ(チニ湖)への当たりをつける事だけだ。何はともあれツーリストインフォメーションへ。が、その前にやたらとお腹が減ったので食事、さらに近くにあったネット屋にふらふらと入ってしまう。どうしてもネット屋に来たら、プロ野球のBW関係記事を探しまくってしまう。我ながら、海外に出てる時くらい忘れてればいいものを。山口が158キロを出したとか、相木が2試合連続完封をしたとか、いろいろ楽しげな話題もある。

 そして二時過ぎ、TIC(ツーリストインフォメーションセンター)に。タジクチニを始めとするクアンタン周辺の情報を探す。ガイドブックには有用な情報はほとんどなかったし。スタッフに尋ねてみたところ、クアンタンではバティックとリバークルーズ、周辺ではチェラティンビーチと洞窟と滝、そしてタジクチニを勧められた。ふむ、やっぱりタジクチニに行くことにしよう。
 タジクチニに行くには、日帰りツアー(85RM)に申し込むか、自力でバスやタクシーを乗り継いで行くからしい。ってそんなの、後者に決まってるじゃないか。TICのスタッフ(Zamhuri Talibさん)の意見も同じだった。費用的にはツアーと大差ないらしいが、それでも自力で動くのが楽しいんだからそれでいい。スタッフが自力を勧めるのは、タジクチニの夜を体験して欲しいからだそうだ。夜空、闇に包まれたジャングル、確かに面白そうだ。『歩き方』には自力はお勧めできないと書いてある。このガイドブック、もういいや。

 今日はもう他に用事も特にないので、宿に戻って一服。やはり南国の夏だけあって、外を歩いていると日差しが強く、目が辛くなってくる。それにしてもこの町、外国人観光客の姿を見ないなあ。単に僕が観光スポットに足を運んでないからだけかもしれないけど。
 ベッドに転がりつつ、タジクチニのパンフを眺める。なんでも伝説によれば、大昔のクメール帝国の都が沈んでいて、それを未知の大怪獣が守護しているそうだ。夢のある話だが、一体どんな所なんだ(^^; こんなマレーシア南部でもクメール帝国の名前を聞くとは。最盛期にはとんでもなく大きくて力のある国だったんだなあ。
宿の部屋から見えていた光景

 夕食はナシアヤム(チキンライス)。マレーシアに入ってからこっち、食事の八割方はハンバーガーかナシアヤムだ。食事が運ばれてきた時に店員さんに会釈するのは、止めようがない習慣だが、それがこっちの人にはおかしいらしく、ここでも店員さんにえらく面白がられてしまった。
 さて、明日はタジクチニか。って、本当に行けるんだろうか。


マレーシア Malaysia
8月6日(火) 
クアンタン


 マレーシア版ドラえもん、声がえらく甲高くて大山のぶ代さんの声に慣れた身には、凄い違和感だ。

 昨夜は全く寝付けず、目が覚めたら昼の2時。もう今日はどこにも行けない。何もない日はちゃんと起きれるのに、なんでこういう日に限って。
 まあ、今日は天気も悪いから、行かなくてよかったということにしておこう。

 しかし、本気で何もする事がない……映画でも見に行くか。ということで、シネマコンプレックスのあるショッピングセンターに出向く。
 こっちの映画はとにかく安いから気楽に行ける。だって映画一本6RM(大体200円)ですよ。
 物価の違いを考慮しても、圧倒的に安い。タイバーツに換算してもせいぜい70バーツ。タイですら120バーツしてたのに。しかもお国柄、必ず英語の字幕がついているのもいい。これなら映画を見る趣味がなくても、暇なら行ってみるかという気になれますわ。
 やっていたのはアラブアクション『SAAMURAI』、中国コメディ『我左眼見到鬼』、ハリウッドコメディ『MIBU』、冒険アクション?『The Touch』。
 SAAMURAIを見てみたかったけど、上映のタイミングからThe Touchになった。登場人物が英語を話していたから、中国・チベットが舞台だけど、アメリカの映画なのかな。でもノリは中国の冒険コメディのもので、楽しかった。

 さあ、明日こそはチニ湖に行くぞ。


マレーシア Malaysia
8月7日(水) 
クアンタン → タジクチニ


 今朝はいい天気だ。10時発のバスでタジクチニへ。行き先表示は「CINI」。
 平日昼間の田舎行きなので、バスは混んでいない。料金は6RM。バスはひたすらに森(ジャングル)の中を突き進む。ここのジャングルは本当にジャングルっぽい。途中に村とかも出てこないし。僕は一体、どんな山奥に行こうとしてるんだろう? と思っていたら、突如、フェルダチニというちゃんとした町に出たりした。結局、クアンタンを出て一時間半で目的のバス停、チニ2(cini dua)に着いた。道の分岐点にちょっとした空き地があるだけの所で、周囲はただのジャングル。こんなバス停、運ちゃんに降りたいって伝えてなかったら絶対降りれてないぞ。
 チニ湖には、ここからタクシーに乗らないといけない。たまたま同じ行動をしていた白人ツーリストのトム(オランダ人)とシェアし、一人5RMでゲストハウスのRAJAN JONE'S HOMEまで。道が途中から行き違い不可の細い田舎道になったので、本当に大丈夫か少し不安になったけども、無事到着。
泊まっていたゲストハウス。向かって右手が宿、左手がオーナーのラジャンさんの家。
 なんというか、これだけ広い敷地を持ったゲストハウスは初めてかも。建物はそんなに新しくなく、部屋も板で仕切ってマットを敷き、蚊帳を吊るしただけの極めてシンプルなものだが、電気が通っているあたりはさすが。静かで穏やかで、居心地の良さそうな所だ。部屋は基本的に2人部屋なので、トムとシェアする。トムは大きいなあ。オランダ人は皆大きいんだろうか。
ゲストハウスの室内。トムとシェアしてました。
 宿のおばちゃんはまだチェックインしてないのに、紅茶をごちそうしてくれた。お茶を飲みつつトムと雑談していると、ジャングルトレッキングから帰ってきて、疲れて休んでいるといっていた宿の主人がやって来た。なんでも日本人客は今年初、通算でも2人目だそうだ。去年女性が一人来て、それ以来だとか。でもこの宿、『歩き方』に紹介されてるんですが。ということはその女性がライターだったのかな。でも歩き方に載っているここへのアクセス方法が……。バスとタクシーで簡単に来れるのに、なんで秘境中の秘境みたいに書いてあるんだか(指摘の郵便を送ったんですが、無視されました(--;))。
 ちなみにトムは28歳。大学を出てから働いて金を貯め、去年の10月に旅に出たそうだ。南米、ニュージーランド、シンガポールと回ってここに来たそうだ。いいなあ。
ゲストハウスから見た集落。田舎ですねー。

 ダイニングホールで2人してのんびりと休んでいたら、新しい客が来た。白人女性が2人。……って、おい。タマン・ヌガラとプルフンティアンでも会ったフランス人女性じゃないか。ここで初めて名前を知ったが、イネスキャロライン。会う人にはとことん会うもんだなあ。マレーシアの旅行ルートはカンボジアみたいに定番があるわけじゃないのに。
「まさかまた会うとはなあ。驚いたよ」
「何も驚く事はないわ。あなたの後を付いて行ってるんだから」
 あはは(^^; いい性格してるよ、イネス。ちなみにアレックス(仏)はチェラティンビーチにいるらしい。ナンパに成功していたんじゃないのか?
チニ湖のとっかかり。
 トムと湖畔を散歩する。静かだ。本当に静かだ。シーパンドンはメコンの流れの音が底流に流れていたが、ここは湖。音を出すものがそもそも存在しない。こんな静かな場所がマレーシアにあるとは思わなかった。

 夕食は四人一緒に、宿から徒歩10分のところにある湖畔のホールで。今日は他に客はいないんだな。ロウソクの灯りがいい感じだ。ここでの食事は昼食以外、全て宿泊代に含まれているので久々にいっぱい食べた。なんか、地元料理っぽくて良かった。久々に摂取した栄養素とかもあったんじゃなかろうか。
 食後は部屋に戻り、シャワーを浴びて4人でまったり。いや、まったりと言うのは少し違うか。イネスがとにかくひたすらに喋り倒している。お前は大阪のおばちゃんか。なんにせよ、気分はいい。ここでは楽しく過ごせそうだ。


マレーシア Malaysia
8月8日(木) 
タジク チニ


 たっぷり寝て起きて、外で風に吹かれながらぼんやりする。木陰を渡る風が気持ちいい。
 日差しは強いが、これ以上日焼けしない肌になっていると思うので別に気にならない。が、それはそれとして暑い。
 ラジャンさんがモーニングティーとハンドメイドのクッキーを持ってきてくれた。朝食が朝11時まで出ないから、それまでの繋ぎらしい。

 今日はカヌーでチニ湖に乗り出すことにする。2人乗りらしいから諦めていたのだが、トムと一緒に乗ることで問題は解決した。カヌーに乗るのは初めてだが、広い湖を自力で動き回るのは面白そうだ。
 カヌーは木製の、昔ながらのもの。パドルは片方にだけついている形。
 実際に乗ってみると、操作が想像以上に難しい。そもそも、まっすぐに進むことすらできない。すぐ同じ場所でくるくる回ってしまう。トムと2人、タイミングを変えたり掛け声を合わせたりしてどうにか進もうとあがくが、全然うまくいかない。
 船着場のすぐ前で悪戦苦闘している我々の横を、モーターボートに乗ったイネス達が笑いながら通り過ぎていった。くそう、漫画のワンシーンじゃないんだぞ。
くそう、イネス達め豪遊しやがって。それより何より、モーターボートの爆音は湖の静謐さを著しく損ねてるぞ。
 そんなこんなで一時間経過。我々は、まだくるくると船着場の前から離れられないでいた。このままでは湖の中を漕いで回るどころか、目の前にある船着場に戻る事すらできない。肩も腕も手も痛くなってくるし。参ったな……。
 しかし、人は経験を積めば、その分成長はするわけで。次第に慣れてきて、なんとか進めるようになった。それでも2人の力の配分が少しでも狂うとすぐに円を描いてしまう。しまいにはトムが
「円は日本人には特別な意味があるんじゃないのか」
 とか言ってきた。円環思想は今は関係ないけど、それを言うならオランダ人にも特別な意味があったりしないか?

 それだけの苦労をした甲斐はあった。音を出さない手漕ぎ舟で、人の手の入っていない湖を、草木を掻き分けて進んでいくのは得もいわれぬ風情がある。今日回った湖の部分は水深がかなり浅く、すぐ下に湖底が見えていることがほとんどだった。また、湖の色があちこちで違うというのも本当で、出発時は茶色だったのが、場所によって透明や黒などに次々と表情を変えていった。また、水の温度も場所によって冷水からお湯と言ってもいいところまで様々だった。場所によっては一面に葦や蓮が生い茂り、花を咲かせていたりして、きれいだった。
 
 でもこれだけ水深が浅いと、クメール帝国の都市が沈んでいるというのはともかく、それを守護する怪獣は棲めない気がする。
 トム、ありがとう。おかげで今日は意義深く、印象深い一日になった。来てよかった。
 

 午後三時過ぎ、雷が鳴り出したので船着場に船を向ける。みるみるうちに南方から黒雲が広がってきて、空を覆った。雲の下では雨が降っている。雨の境界との競争になってボートを接岸した。それに合わせるように雨が降りだし、船着場から徒歩1分ほどの宿のダイニングホールに駆け込んだとほぼ同時に本降りになった。実にいいタイミングだった。日本の夕立など比較にならない猛烈なスコールは、一時間半ほど降り続いた。
ダイニングホールの中からスコールを見つめ続ける一時。

 今日やって来た旅行者は2人。フランス人母娘だ。まあ、日本人が来ないところなんだから来るのは白人に決まってるよなあ。
 夕食はカレー。味付けは外人対応で辛さ控えめになっていて、少々物足りない。客の6人中4人がフランス人ということもあって、会話のほとんどがフランス語だ。何を言っているのか全く分からない。旅に出た最初の頃を思い出した。
 食事中、また雨が降ってきた。季節柄だけど、多いなあ。夕食後、ラジャンさんが我々に明日から2泊3日でジャングルトレッキングに行かないかと言ってきた。2泊3日もやる気にならないのでパス。日帰りツアーなら考えてもいいけど。トムもタマン・ヌガラでやってきたのでパスらしい。イネス達もタマン・ヌガラでしているはずだが、彼女達は参加するらしい。好きだねえ。、
 ラジャンさん、なんとか僕とトムも誘おうと色々言ってくる。
「日本にジャングルはないだろう?」
 南西日本にはあると思うよ。そこまで行かなくても、西日本でも樹木密度では多分負けていない「薮」があるし。
「君にここの良さを味わってもらい、それを日本のみんなに紹介して欲しい。そしてもっと多くの日本人に来てもらいたいんだ。他の場所にはたくさん来ていると言うのに」
 燃えてるなあ。でも別にいいや。フランス人4人に常時囲まれるのもぞっとしないし。
 結局、僕とトムは明日一日の日帰りツアーに参加する事にした。
村のメインストリート。

 夜、降るような星空の下、部屋の入り口に腰掛けて日記を書きつつトムと話し込む。そこでふと、
「そういや明日は長崎の原爆忌だ」
 と言ったところから日本についての話が始まり、お盆や日本の宗教についての話に広がっていった。海外に出ると、日本人以外のみんなが宗教の話を好きなことに驚かされる。まあ僕は無神論者じゃないから、いくらでも話には付き合うよ。
 ここでの会話は当然全て英語なのだが、トムが嬉しい事を言ってくれた。
「君は英語、大体分かってるじゃないか」
 と。いや、そういう振りをしているだけなんですけどね。でも、そういう振りだけでもできるようになったと言うことか。確かに雑談程度なら、普通に話してくれれば大意は分かるようになっている気がする。
 旅に出る前は英語なんて天敵以外のなにものでもなかったのに、嬉しいなあ。


マレーシア Malaysia
8月9日(金) 
タジク チニ


 今は夏で、今いる場所は北回帰線より南なので、太陽は昼間、北天にある。
 予想はしていたけど、思いきり筋肉痛だ。肩から首、そして背中。慣れないカヌーを必死になって漕いだもんなあ。トレッキングなんぞ行かないで転がっていたい。そう、僕とトムは今日、2泊3日のジャングルトレッキングコースの初日分に参加する。イネス達はフル参加だから今日は一緒だ。結論から言うと、大して期待してなかったんだけど、相当に面白かった。いや、「トレッキング」自体は思っていた通りだったんだけど、それ以外の部分が。

 
 ラジャンさんとオランアスリ(マレー半島の先住民族)の人がガイドとしてそれぞれ先頭と殿(しんがり)に立って山道を歩いて行く。山歩きは好きなので楽しい。しょっちゅう立ち止まってはいろいろ説明してくれるので、あまり疲れないし。山歩きに慣れてない参加者を基準にしてるんだから、当然か。イネスなんて肩を露出したノースリーブを着て山に入ってるし。本日の客は僕・トム・イネス・キャロライン・フランス人母娘・イングランド人家族(父母と子供3人。3歳くらいの女の子はお父さんの背負うリュックの中に入っていた)。フランス人の英語が分かりにくいのは知っていたけど、ネイティブの人のも早くてなめらかで、ちと僕には難しいかも。そうそう、他にもまだ同行者がいた。宿に何匹もいる犬のうち二匹。これまでも、宿とダイニングホールの行き来の時にはよく着いて来ていたし、僕達をガードしてくれてるつもりなんだろうな。ありがとう。

 一時間ほど里山的な所を歩き、いよいよジャングルに突入。といってもフローラ(植物相)が変わったくらいで、植物の密度はそんなに変わらないような。しかし、どえらく高い木(70メートルくらい)が林立していたり、ゴムの木やヤシが葉をたわわに垂れ下がられていたりするのは中々見応えがある。
下の人間と比べると、樹木の高さがよく分かります。
 少し開けたところで、ラジャンさんがオランアスリのトラップを作って見せてくれた。一本の立ち木を利用するシンプルなものだが、結構奥が深そうだ。
 出発してから2時間、午後も2時を過ぎた頃、スコールが来た。どこかで降るだろうとは思っていた。雨具は持ってきてないけど、持っててもこの雨量と暑さでは、雨で濡れるか汗で濡れるかの違いしかないから別にいいや。ということで、降っていようがいまいが関係なくトレッキングは続いていく。ジャングルの中を流れる小川の水は驚くほどきれいだ。段々進んでいく道も狭く、草木に覆われ、途切れがちになってきた。いかにもジャングルだ。いいぞ。
 ラジャンさんは雨にもめげずガイドを続け、時折止まっては
「ここで数年前、10メートルはある大蛇を見た。その時はウチの犬の一匹が飲まれてしまった。本当の話だ。その蛇はまだ生きている」
 と語ったり、所々で木を切って、実を食べさせてくれたり、香木の香りを嗅がせてくれたりする。オイルの木というのがあって、火をつけると樹液が燃えるんだと。木は燃えないそうだが。雨が激しく降っていたので点火には手間取ったが、一度つくと勢いよく燃え出した。面白いけど、これって山火事が起きたらまずいんじゃ?
オイルの木が燃えているところ。
 4時ごろには雨は大体あがった。と、ラジャンさんが道のないところに分け入ったと思ったら、70メートルくらいある木を切りだした。パームの木と言って、オランアスリの主食らしい。30分ほどかかって切り倒し、上のほうの柔らかい部分を切り取って食べさせてくれた。木の実や葉じゃなくて、木そのもの、幹の部分を食べるんだ。これには驚いた。またこれが思いのほか柔らかく、淡い甘味もあって結構おいしい。犬も喜んで食べている。これは知らなかったなあ。
パームの木。こんなにおいしいものだとは。
 その後ラジャンさんは別の木を切りだした。ツル植物のようだ。これはジャングルで水を得る手段で、「水の木」だとか。切った枝を傾けたら、幹から次々と水(これが本当に水なんだ!)が染み出し、滴り落ちてきた。クリアな味で、これがまたおいしいんだ。
 パームの木と水の木、この二つを経験できただけでも今日のトレッキングに参加してよかった。タマン・ヌガラでは自然保護の観点から、この経験はできなかったことだろう。

 トレッキングはまだまだ続く。6時間くらいは歩き続けたんじゃないだろうか。そうそう、ジャングルドリアン(野ドリアン)も食べた。殻は屋台で見るのよりずっと茶色くトゲトゲしていて、種が大きく、実は種の周りに薄くあるだけだ。が、新鮮ということもあるのか、ドリアン特有の臭みはほとんどなく、クリーミーで実においしい。そうか、本当のドリアンってこんな味だったのか。
ジャングルドリアン
 最後、ジャングルをもう抜けると言う所まで来たら、道の脇にある葉っぱでラジャンさんが冠を作り、全員に被せてくれた。終了証みたいなものなんだろう。いやあ、観光整備がされていない本当のジャングルで、実に面白い体験ができた。


 午後6時半頃、チニ湖畔のテントサイトに到着。紅茶を飲んで一息。……えーと、このテントってビニールシートを張り巡らし、地べたにシートを敷いただけなんですが。虫にやられ放題ですねえ。今日ここで泊まるイネス達、まあ頑張ってや。僕とトムは宿で寝るから。
 と、イネス達が寝間着に着替えだした。それも僕達の目の前で当たり前のように堂々と。確かに濡れて汚れて、さっさと着替えないとやってられないってのは分かるんだけどさあ。羞恥心とかさあ。イネスなんてこっちが困惑しているのを見て、わざわざ見せつけるようにしてくるし。いい性格してるよ、つくづく。
右からイネス、トム、キャロライン
 とかやっていてふと気付くと、足首のあたりが痛い。小石でも入ってるのかと脱いでみたら、蛭にやられていた。右足の内側の靴下が血で真っ赤に染まっていた。宿に戻ってから消毒したけど、深い刺し傷になっていた。痛いよう。
 夜の7時過ぎ、ボートで宿に戻ろうとした僕とトムに向かってラジャンさん、
「ここに泊まっていってもいいよ」
 と。いや、着替えとか寝具とかないし。イネスは今までそんな事一言も言わなかったくせに
「日本語を覚えたいの」「女4人だけなのよ。男なんだから泊まってよ」
 とか言ってくるし。思い切り遊ばれてるなあ。

 僕とトム、イングランド人の家族はボートに乗って宿に戻る。真っ暗な湖面を灯りもつけずに進むボートというのはこれもまた、独特の味わいがあった。これを味わっただけでも、今夜宿に戻る選択は間違いではなかったと言える。それにしてもこれだけ暗い中を明かりもなしに操船するとは、オランアスリは目がいいんだなあ。
 村にたどり着く。あれ、ダイニングホール、雨戸が閉められて真っ暗なんですが? 雨も降ってきたし、今日は夕食なし? 仕方なく宿に戻ろうとしていたら、裏手からラジャンさんの奥さん(ちなみにオランアスリ)が出てきて「夕食あるよ」と。かなり待ったけど帰ってこないので、今日は向こうで泊まるのかと思って帰るところだったそうだ。助かった。
 夕食後、宿に戻ってびっくり。新しい客が10数人増えている。部屋、埋まってるし。またこれが高校生くらいの集団のようで、賑やかというか、正直うるさい。それはともかくシャワーを浴び、着替えてさっぱりと。

 今夜もトムと紅茶を飲みながら夜空を眺め、だべる。しかしタジクチニ、期待以上にいい所だ。マレーシアの終盤に来て、大当たりを引いた気分だ。考えたら、プルフンティアン島を出てから一人も日本人を見ていない。てことは一週間、日本語を使っていないのか。全然気付いてなかった。横ではトムが僕と同じく、日記を書いている。
 今夜は星がよく見える。星座の配置が明らかに日本で見るそれとは違う。ふいに、自分が違う空の下を旅している事が強烈に胸に迫ってきた。柄にもなく、この旅で自分が得るもの、失うものは何かなどと考えてしまった。たまにはこういうのもいいやね。行くも留まるも、それら全てが旅。心残りや後悔のないよう、これからも流れていこう。

 そういや明日、何時のバスでどう動くか、何も決めてないや。まあいいか。旅もこれだけ続けると、本当に気楽になってくる。貴重品の管理も最初に比べたら、相当杜撰になっている。良くも悪くも肩の力が抜けたって事だろう。いろんな人々と触れ合い、ギャンブル賭博に遭いかけ、パスポートを取られ、39度の発熱をし、シーパンドンで解放されてからだな、明らかに変わったのは。
 今も両手首に巻かれている、シーパンドンでもらったお守りをじっと見つめる。この旅がこれからも無事に続けられますように。


マレーシア Malaysia
8月10日(土) 
タジク チニ


 おやあ? 今日はクアラルンプールまで、少なくともクアンタンまでは戻るはずじゃなかったのか?
 なんでまだRAJAN JONE'S HOMEに半ズボン一丁で転がってるんだ? 横にはトムまでいるし。
 ま、いっか。

 今日はスコールもなく、実に気持ちがいい。昨日増えていた10数人は、皆フランス人だった。ここはそんなにフランス人に有名な場所なのか?
 もそもそと起き出すと、キャロラインが洗濯をしていた。イネスもいる。あれえ? 2泊3日のツアーと言っても、そのまま次の目的地である滝に向かうのではなく、ここから車で行くんだそうだ。ならなんで昨夜、わざわざ野宿なんてしたんだか。昨日増えた人達も皆滝を見に来たらしい。
 イネスとキャロラインが
「Good sleep?」
 と尋ねて来たので
「Sure.You too?」
 と返すと、硬い表情になって無言で首を横に振った。やっぱりなあ。お疲れ様。

 今日ここを出ようかどうしようか考えている僕に、トムは
「今日は安息日だ。明日発つよ」
 と断言した。なるほど、そういう考え方もありだなあ。なんか急激に出て行く気が失せてしまった。僕も今日一日、骨休めのつもりでのんびりしよう。
 トレッキングツアーに行く人達を見送ってから洗濯の続きをすることにして、トムと共にダイニングホールに居座り、イネス達と雑談する。トレッキングツアーといってもラジャンさんの車で滝の近くまで行くのだが、15、6人が行こうとしているので、ラジャンさんがピストン運転をせざるを得ず、なかなか人が掃けない。大変だ。
 ダイニングホールの横に数人の地元の子供達が来ていた。笑いかけてきたので遊ぼうと近づくが、逃げられる。シャイな子が多いんだな。僕だけでなく、トムもイネスもカロリンも同じ状態だった。そこでトムと僕は一旦宿に戻ってカメラを取って来た。
 ここまで旅しての実感だが、デジカメや折り紙は、確実に子供達との距離を縮めてくれる。それまでどうしても近寄らなかった子供達が、デジカメの写真を見るため、折り鶴の折り方を見るために近寄ってくる。そうそう、関係ないが、折り紙は世界的に有名なんだろうか。これまでもそうだったが、他の白人ツーリストが「origami」と言って興味深げに見てくる。バンコクで千代紙を補給しておいて良かった。カメラや折り紙で多少は打ち解けてくれた子供達と遊びふける。

 子供達が家に帰ってしまい、昼を大分過ぎてもイネス達のピストンの番はまわってこない。やはり急に人が増えすぎたんだな。ラジャンさんが戻ってきて、イネス達に2時半まで待ってくれと詫びていた。今は1時半。さすがに付き合いきれないので、僕とトムは一足先に宿に戻る事にした。
 タマン・ヌガラから10日間、貯まりに溜まった洗濯物を、洗う。洗う。とにかく洗う。汗だくになって、一時間近くかけて、全てを洗った。物干しに吊るし、シャワーを浴び、日陰で横になって木陰を渡る風をに吹かれる。ラジオをBGMに、サービスのティーとクラッカーを口にしながら日記を書き、うつらうつらと昼寝する。
 至福の一時だ。旅に出て良かった。
 夕方になったので乾いた洗濯物を取り込み、再度ダイニングへ。天気がよすぎて雲がなく、夕焼けは今ひとつだったか。

 夕食はチキンカレー。今まではシーフードカレーだったが、流石に毎日変えてくるなあ。本当に一日二食、食べ放題飲み放題で宿泊代込みで一日18RMというのは破格だ。
 でも、そろそろ動きたくなってきた。旅人は目の前の未知に飛び込んでいくものだから。

 夜、部屋でトムとダベっていると、トムが日本語を覚えたいので僕の辞書を転記したいと言ってきた。いいけど大変だよ? 日本語に興味のある人って結構いるものだなあ。
 それにしてもいつからだろう、英語を満足に話せるわけでもないのに、日本語と切り離されて英語の中にいてもなんとも思わなくなったのは。旅に慣れたのかな。英語で雑談して笑ってる自分なんて、出国前は想像すらできなかったよ……。
 日本人旅行者の多くないマレーシア東海岸に来たのが良かったのかも。あとKLのユースと。
 それにしても、旅の空の下にいるのって、こんなに心地よい事なのか。今日改めて実感した。帰国しても旅は止められないだろうな。元々そんな気はなかったけど、その思いがさらに強まった。
 旅の目的って、世界を見て見聞を広めるとか、「何か」を見つけるとか、自分を見つめ直すとか、色々格好いい事を言うけれど、結局のところ、桁外れの自由さ、解放感、未知の経験の中に身を投じるのが気持ちいいってことなのかもしれない。


次へ

トップへ  雲水旅トップへ