ほろほろ旅日記2002 7/21-
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マレーシア Malaysia
7月21日(日) ジョホール・バル → タンジュン・ピアイ →ククップ→ ジョホール・バル
今日は、今回の旅の中でも特に行きたかった場所に向かう。タンジュン・ピアイ。馴染みのない名前だと思う。自分自身、マレーシアに来るまで知らなかった。マレー半島最南端、ひいてはユーラシア大陸最南端の地だ。前日までいたシンガポールの方が南に位置しているが、シンガポールは島なため、ここが最南端になる。
今回の旅で絶対やりたいと考えているのが、ユーラシア大陸袈裟掛けだ。どういうことかというと、ユーラシア最南端たるタンジュン・ピアイとヨーロッパ最北端たるノールカップの双方を訪ねることだ。自分で勝手に名付けたので、他に言い方があるのかもしれない。
ちなみにシンガポールの最南部でも、緯度は0度に届かない。現在、これから先のルートでも赤道を越える予定はないため、今回の旅は北半球のみということになる。
立派なベッドで思い切り眠り、11時にやっと起床。宿泊費に入っていた朝食の時間はとっくに終わってしまっている。
フロントでタンジュン・ピアイへの行き方を尋ねる。やはりと言うか、バスはなく、タクシーで行くしかないとのこと。ここだけは絶対に行くと決めている場所なので、フロントの兄ちゃんにタクシーのチャーターを頼む。片道50RM+待ち代30RM。片道75kmもあるんだから仕方ないけど、やっぱり痛い……。
やって来た陽気な運ちゃんのタクシーで、いざ最南端の地へ。そんなに行く客が多くないのか、運ちゃんも一度道を間違えた。頼むよ。
途中、ポンティアンという町の近くにある地元の食堂に運ちゃんが立ち寄った。わざわざ反対車線にある店に入ったあたり、行きつけなんだろうか。折角なので、僕も運ちゃんお薦めのカレーミー(カレーうどん)を頼む。観光ルートとは全く無縁な食堂だったため、店員さんやお客さんの視線が僕に集まる集まる。面映いが、その地の人々の生活そのものの中に入り込むのは楽しい。
最後は田舎の地元道じゃないのかと思いたくなるような道を進み、一時間半かかってタンジュン・ピアイ(Tanjung Piai)の駐車場に到着。
駐車場から堤防一つ越えたすぐ先が海で、海上にリゾートホテルのシャレーが建ち並んでいる。通路が海に突き出したままなくなっている所とかもある。大丈夫なのか?
ここがユーラシア大陸最南端なのかと思っていたが、鞄にぶら下げてある磁石を見てみると、ここの海は東に開けている。あれ? もしかして、ここは最南端ポイントじゃない? 慌ててホテルの人に聞いてみたら、本当の最南端はまだずっと南の先らしい。そちらに向かう道は、車は入れないようになっている。レンタサイクルでもあればよかったのだが、そんな都合のいいものもないので、仕方なく歩き始めた。
が、20分ほど歩いても、最南端の地らしきものは全く見えてこない。赤道近くの昼下がりだけあって、相当暑い。さすがにしんどいので休憩しつつ歩く。きれいな石畳の道は最近整備されたのだろう。しっかりした作りだ。道の左右は、道と併走している小川と、圧倒的な存在感を示しているジャングルだ。海のすぐ近くを歩いているはずなのに、ジャングルの密度が濃くて、あまりそんな感じがしない。
と、後方から一台のバイクがやってきた。この道は前も後ろも他に全く人気がないので、変な輩でないことを願いつつ、やって来るバイクを見る。……って、運ちゃんじゃないか! 駐車場で待っていると言っていたのだが、駐車場から最南端まで相当あると知ったので、バイクをレンタルして僕を追いかけてきたそうだ。バイクのレンタル料が20RMと聞いた時には「勝手に借りておいて」と思わないでもなかったが、バイクの後ろに乗って道を進んでいくにつれ、運ちゃんの判断は正しかったと分かった。いや、本当に遠い。徒歩だと行きはともかく、駐車場まで帰り着けなかったんじゃなかろうか。
しばらく走り、やっと建物が前方に見えてきた。ここが最南端の地か。なんか観光地として整備しつつあるようだ。最近建てられた、というか今も建築中らしき建物の看板には「タマンヌガラ・ジョホール タンジュン・ピアイ」とある。「ジョホール国立公園のタンジュン・ピアイ」と言う意味だな。この建物の先にある本当の最南端に向かうのに、入場料が3RM必要だった。
建物の奥から南へ、一直線にボードウェイ(木の歩道)が伸びている。出来たばかりらしく、屋根がない所もあるし、木材の匂いが強くしている。かなり長い、ひたすら真っ直ぐなボードウェイを歩く。ジャングルを抜けると背の高いマングローブ林になった。次いで背の低いマングローブ林、干潟と変化していき、干潟の先が最南端の地だった。
だからこんなに長いボードウェイが作られていたのか。最南端部分は広い干潟で、陸地ではあるが徒歩で走破するのは非常に困難だ。このボードウェイがなければ、この地を見る事は叶わなかったかもしれない。最南端の地を見渡せる、先端の観望所は鉄アレイのように2つあるのだが、そのうち一つは現在建築中だった。かなりいいタイミングでこの地を訪れたような気がする。二ヶ月ほど前だったらここまで来れなかったかもしれない。
沖合いすぐには島影が見えるし、地の果てという感じではないが、ここがユーラシア大陸最南端だ。
他の観光客の姿がないわけではないが、非常に稀だ。日曜日なのに。観望所で干潟の景色を一人、半時間ほど眺めていた。
(最南端の干潟の動画です。よければどうぞ。asfファイル622kb。例によって右クリックで保存してからご覧下さい。)
最南端以外にも、周囲のジャングル・マングローブ林の中を縦横に巡るボードウェイも現在建設中だった。案内図にある道のうち、最南端への道以外で歩けるのはまだ一つだけだ。それを歩いて東側の海岸を見、ボードウェイ建築作業に励んでいる業者の人たちに出会ったので声をかけて、観光基地ともいうべき建物に戻った。
ここの感じからいって、遠からずここは国立公園として整備され、ジョホール・バルから直通バスが走るようになったりするんだろうか。
帰り道の途中、運ちゃんのお薦めでククップという港町に寄る。ここからもインドネシアへの船便が出ているそうだ。同じ港町だけあって、クランに雰囲気が似ていた。
ジョホール・バルへの帰路、運ちゃんがやたらと「明日はどうするんだ!? 滝にでも行かないか?」と勧誘してきた。僕は金持ちじゃないんだから、タクシーを使って贅沢観光をするのは今日だけだよ。明日はジョホール・バルの町を見るつもりにしている。
ホテルを12:50に出て、17:50に帰ってきた。そんなものか。
ホテルでくつろいでから、夜、ネットと買い物をしに街中へ出かける。正直ジョホール・バルの治安はあまり良くないと言われているし、自分でも場所によってはそれは感じているので、皮膚感覚を大事にしながらの散歩だ。だぁかぁらぁ、ネットカフェの入り口にJapaneseOKと書いてあったら日本語使えなきゃおかしいだろ?
深夜、ベッドに転がって地元のテレビを見ていたら、妙な映画をやっていた。中国(香港?)製のコメディー映画のようだが、登場人物はどう見てもストリートファイターUとドラゴンボールのキャラクターを丸パクリしている。映画のラスト、最終決戦はどう見てもストUのベガとドラゴンボールの孫悟空の戦いだった。馬鹿馬鹿しくて楽しめたけど、版権とか問題ないのか?
マレーシア Malaysia
7月22日(月) ジョホール・バル
10時半に起床。だから、それじゃあ朝食に間に合わないんだって。もったいない。
さて、今日はジョホール・バルの町の散策をして、ついでに日本語環境のあるネットカフェを探すぞ。
まずは町歩き。ふむ。ちょっと猥雑だとは思うけど、そんなにとがってたり危険な雰囲気に満ちているわけでもないし、いい感じの町だ。観光名所的なものはあまりないけど。シンガポールで4、50年前の日本と言われてきたけど、1970年代の日本って感じだなあ。
海岸沿いの道を歩いてシンガポールを望み、ショッピングモールを冷やかしに入ったついでに屋台で食事を摂り、モスクやなんかを見て歩く。フランスワールドカップ予選「ジョホール・バルの歓喜」の舞台になったスタジアムはどこだろうと思って探したけど、よく分からなかった。鉄道駅近くにある高層ビルのランドマークタワーは確かにランドマークになるだけのビルだけど、入っているテナント数がえらく少ない。薄暗くて正直怖いし。夜は近寄らないのが賢明だろう。昨夜もここには近寄らなかったし。
それはいいんだけど、ネット屋探しに関しては「地球の歩き方」、参考にならん。最新版のくせに。所在地は嘘っぱちだし、その名前の店を別の場所に見つけたと思ったら潰れてるし。もう散々。仕方なく日本語を読めても書けない所に入り、こっちからのメールは久しぶりにローマ字メール。読みづらいよぅ。
夕刻ホテルに戻る。予定としてはこの後ゆっくり休み、明日の朝、ジョホール・バルを発つつもりだ。バスの方が便利なのは分かっているが、鉄道好きだからジャングル・トレインに乗ってマレーシア中部・東部に向かうことにしている。
目的地については、KLでケヴィンから聞いた情報も役に立っている。特に中部にあるタマン・ヌガラとチニ湖は彼に薦められなかったら行く気になってなかったかもしれない。まずは明日、広大な山岳地帯のジャングルが売りのタマン・ヌガラに行く予定だ。
念のため、ホテルのフロントにいる兄ちゃんに便を訪ねてみたら、僕が列車に乗りたいというのをいきなり
「fool choice!」
と切り捨てられてしまった。なんでどいや!? 彼曰く、
「タマン・ヌガラに行くくらいなら、ペナン・ランカウイ・サパ・サラワク・バリ・シンガポール・クアラルンプールの方がいい」
かららしい。カリマンタン(ボルネオ)島に行くには飛行機を使わなきゃならないだろうが。それ以外はもう行ったところだったり、微塵も興味がないリゾート地だったりするし。好みは人それぞれだけど、サービス業の人間が客に向かって「fool
choice」はないだろう。せめて「Your choice is not so good」くらいにオブラートに包めよ。
さらに尋ねると、東海岸方面へ向かう列車は夜行が一日一本あるだけだと言う。KLで手に入れたKTMのパンフレットには昼行列車も載ってるんだけど。何か僕に列車を使ってタマン・ヌガラに行かれると、都合の悪い事でもあるのか!?
それでもそんな風評なんか関係なく行くけどさ。他人の意見を参考にはしても縛られないのが個人貧乏旅行者、バックパッカーの特質なんだから。
ホテルの部屋の窓から深夜でも交通量が減らないシンガポールとの国境を見つつ、眠りについた。
マレーシア Malaysia
7月23日(火) ジョホール・バル → ジェラントゥット
9時起床。やっと間に合ったホテルの朝食は、予想通りバイキング形式のものだった。フルーツジュースとサラダ。
チェックアウトして駅に向かう。一時的な贅沢もこれで終わり。ここからはまたバックパッカー旅だ。
鉄道の駅、正直言って隣のバスターミナルと比べると、みすぼらしい気がしないでもない。この駅には一日六本しか旅客列車が来ないし……。窓口でタマンヌガラの最寄り駅、ジェラントゥットまでのチケットを購入。所要時間は7時間なのに、14RM。やはり公共交通機関は安いなあ。
待合室にいる客層を見ると、多いのは家族連れ、おっちゃん、姉ちゃん。地元の人が多そうだ。3日間ジョホール・バルにいて、大体見当はついてたんだけど、やはり僕以外のツーリストはいない。列車待ちの人に混じってホームでだらりとする。これだ。こういう時にこそ、旅を実感する。
10時36分、一分遅れで入線してきた列車は、機関車が2両連結されていた。そんなにここから先は険しいんだろうか。乗客たちは改札のそばに停車した前2両に殺到している。後ろにもまだまだ車両はあるというのになんでだろう。僕は後方の車両に行き、ガラガラなので二座席を確保し、くつろぐ。普通車はノーエアコンだと聞いていたが、この車両はちゃんとクーラーが効いている。座席もクッションが効いたいいシートだ。
発車して一つ目の駅でいきなり10分も停車。何があるのかと思っていたら、向こうからやってきたのは緑の車体のE&O、オリエントエクスプレス。いやあ、さすがに豪華だ。乗客は半分以上白人だったが。最後尾車両に展望用のオープンテラスまでついていて、映画なんかで見るオリエントエクスプレスのイメージそのままの車両だ。凄いなあ。
いつのまにか車窓風景は郊外からプランテーションに変化した。冷房が効き、静かで空いていて快適な車内。普通車両でここまで快適なのも珍しい。快適すぎて、車窓風景を眺める時間よりうたた寝している時間の方が長い気がする。ゆっくりとした心地よい時間の流れに身を浸す一時。幸せだ。
2時16分、グマス着。最大40分あった遅れを取り戻している。ここはマレー鉄道の東線と西線の分岐駅だ。ここから東、いわゆるジャングルトレインと呼ばれる線路に入る。どんなものかと思っていたら、本当にジャングルになった。ここまではプランテーションがメインだったのが、グマス以降は時折現れる集落以外、ずっとジャングルだ。列車が森の中を走るのは珍しくないけど、ここまで延々と走り続けるのは珍しい。
ジャングル、プランテーション、牧草地。この列車の車窓風景は、集落以外は全て緑だ。MENTAKABで列車の行き違い待ちをした後、今日三度目の検札があった。その際、列車のスタッフが僕に目をつけ、ジェラントゥットの宿のチラシを持ってきた。何の情報もなかったことだし、ここに行ってみるか。
そしてタマン・ヌガラの入り口の町、ジェラントゥット着。降りると、そのホテルの客引きがいた。面倒臭いのでここでいいや。名前は「SRI EMA」。建物はやや古い感じがするが、ドミトリーとはいえ一泊7RMの安さでは文句を言う気にもならない。宿泊客か僕一人なので、実質シングルだし。それはいいんだけど、ここのレストランのメニュー、ナシ・アヤムとか書いてなくて、英語のみだ。外人旅行者向けにも程があるぞ。内装も明らかに白人向けだし。ネットカフェは日本語が使えたので、助かったけど。
荷物を下ろし、夕方の町を歩く。予想通り、中心部はあまり広くない。いい加減慣れたが、町を歩いていると当たり前のようにマレー語で話し掛けられる。だから分からないんだって。
お腹が減ったのでフードコートをぶらつく。が、なんかシーフードの店ばかりだ。何が悲しくてこんな内陸の町でシーフードを食べなきゃならんのだ。意地になって探し歩くと、鳥料理屋を発見。やったー、ナシ・アヤムだー。
ここからタマン・ヌガラに行くにはツアーしかないとあったので、ホテルのツアーに申し込む。夜の八時半からツアーのブリーフィングが行われた。おや? 今日この宿に泊まっているのは僕と韓国人3人だけだと聞いていたのだが、白人がいっぱいいる。他のホテルの客もいるってことか。
スタッフの英語による説明、なんとなくだが理解できた。クアラルンプールで鍛えられたから、少しは英語力がついたのかな? いろいろいいような事を言ってくるが、向こうでのホテルやツアーには申し込まない。復路チケットも申し込まない。単純に、向こうまで行くボートだけ。分からない事にお金は出せないよ。
明日で旅に出て四ヶ月か。あっという間だ。日本はもう夏か。
マレーシア Malaysia
7月24日(水) ジェラントゥット → タマン・ヌガラ
朝8時半、フロントでタマン・ヌガラへの往復チケットと入場料(カメラ)の代金を払う。まずはワゴン車で船着場へ。タマン・ヌガラには、ボートで向かう。船着場に近づいていく時点で、周囲は既にジャングルの気配だ。川べりの船着場には、レストランとツーリストエージェンシーのオフィスが一軒ずつあるだけだった。それにしても、白人ばかりだなあ。
ボートが出発してすぐ、船頭さんが「前が見えないから体を低くしてくれ」と言ってきた。参った。他にも客はいるのに、僕一人だけ。3時間も乗ってなきゃならないのに、座るでも寝そべるでもない体勢でい続けるのはしんどいよ。その分値下げしてくんないかなぁ。
船は、ジャングルの中を縫う川を遡っていく。川の両岸はびっしりとジャングルが生い茂り、たまに現れる砂州がいいアクセントになっている。動植物もたくさんいて、猿や牛、カワセミなどを何度も見る。いい感じだ。川の両岸には、人の生活の臭いがない。さすがは人口希薄地帯の国立公園だ(ちなみにタマン・ヌガラとは、そのまんま国立公園という意味だ)。
とはいえ、ずっと同じような景色が続くし、ボートは静かだし、つい夢の世界へ旅立ちそうになるのも確かだったりする。
昼にタマン・ヌガラの観光基地に到着した。まずはいつものように宿探しだ。国立公園内のコテージは高いから眼中になく、対岸の崖上の村にある宿をめざす。崖を上る道を歩いていると、ホテルの看板がいっぱいだ。上りきったところで声をかけてきたおっちゃんがいたのでついていく。村の雰囲気は悪くない。子供も猫もいっぱいいてそこらを走り回っていて、明るい。別に秘境の村って感じでもないな。
一泊10RMのドミを見せてもらう。ジェラントゥットの宿より清潔で明るい感じだ。ここにしよう。部屋はいくつかあるが、いずれも4ベッド。川の見える10RMの部屋と川の見えない12RMの部屋。当然、川の見える部屋だ。自分の入ったドミ部屋は、今は自分一人だ。
別の部屋には4人家族が入っていて、子供が廊下をドタドタと走り回り、大声で騒いでいる。日本の民宿に泊まった雰囲気に似ているなあ。宿の名前はTERESEK
VIEW HOTEL。まずはタマン・ヌガラの前にこの村を散策することにした。
商店・学校・ホテル・警察・病院・民家。小さな村だが、一通り揃っている。さすがはマレーシア、道路もちゃんと舗装されている。日本でいう別荘地のようなものなのかなあ。なんか、長野あたりにありそうな雰囲気だ。インターネットカフェはあるが、日本語は書けないどころか読めない。
もう午後なので、本格的なタマン・ヌガラのジャングルを歩くのは明日以降にして、今日は泳ぎに行くか、近くの洞窟だけでも見てくるかと部屋に懐中電灯と水着を取りに戻ったところ、頭が痛くなってきた。まだ夕方の4時だが、体調が何より大事だ。ベッドに横になる。二時間程寝て起きると、空には雲が一杯だ。さっきまで快晴だったのに。
これからどうしようかとホテルの前にしつらえられているソファーに転がってぼんやりしていると、宿のおっちゃんがやって来て
「夜の9時から、ナイトサファリに行かないか?」
と誘ってきた。ううむ、それは面白そうだ。でも、体調が……。そう言うと、
「じゃあ明日以降にしよう」
と。
その代わりと言ってはなんだが、今日はこれから少し離れたところで週に一度のナイトマーケットが開かれるそうだ。丁度そこに行く車があったので、便乗させてもらった。
集落から少し離れた丘の上で開かれていたナイトマーケットは、規模はそんなでもないが、やはり面白い。服・CD・食べ物・装飾品、色々と扱っていた。ここでロティ(2RM)とナシ・アヤム(3RM)の夕食。
ホテルに戻って川を見ると、子供が泳いでいる。笑ってこっちに手を振ってくる。人懐っこい土地だなあ。なんというか感じがいい。
夕食後、近くのミニマート(雑貨屋と言ったほうが雰囲気的には正しい)に水を買いに行く。子供がいい笑顔をしている。ムスリムの女の子は何歳から頭巾を被るんだろう。お姉ちゃんらしき子は被っているが、10歳くらいに見える女の子はまだそのままだ。
ホテルのシャワーは予想通り水のみ。暑いから問題ないんだけど。それにしても、夜は本当に静かだ。ジャングルの懐深くに抱かれた小集落。これでうるさいわけがない。自然の音は、僕にとってはただただ心地いいし。その代わり、虫がどんどん窓の隙間から入ってくる。いよいよ日本から持ってきた蚊取り線香が役に立つ時が来た。
寝る前に空を見上げるが、残念ながら曇っていて、星空が見えない。南国の夜空を見たかったんだけど、残念。
マレーシア Malaysia
7月25日(木) タマン・ヌガラ
今日は地上数十メートルを縦横に走っているキャノピーウォークに行こうと思う。それにしてもジャングルに行くために、毎度渡し舟で川を渡るというのも風情があって面白い。目の前にいるくせになかなかやって来ないけど。
ジャングルに足を踏み入れ、山道を少し歩くとたちまちぶわっと汗が吹き出して来た。蒸し暑いとはいえ、早すぎるような。疲れてるのかな。
山道を歩いているうちに興が乗ってきて、キャノピーウォークより先にブキッ・テレセックに行く事にした。山深く入り込んだ所にある、眺めのいい丘とのことだ。
その丘にたどり着き、登り始めたと思ったら、急に息が上がってきた。たった平地歩き20分、山登り20分程度でへばるとは。僕ってこんなに体力なかったっけ? 途中の第一展望台で20分ほど休んで体力を回復させ、残りの斜面を登りきった。ちょっとした丘でも、頂上まで登りきった達成感はやはり気持ちいい。
ここから当初の目的であるキャノピーウォークに引き返そうかとも思ったが、せっかくここまで来たのだからと先に進む事にした。二時間程で周回するコースが続いているのだ。急な斜面を縫うように伸びる遊歩道を歩いて行く。山道自体は日本とそう違わないが、自然環境の濃さは段違いだ。野生の鹿や猪も見かけたし、道の脇に猪が涼むためだろう、地面が浅く掘り返されていた場所もあった。日本なら神木か何かにされていそうな巨木が当たり前のようにそこここに自生している。さすがは熱帯、さすがはジャングル。
とは言ってもこの辺りはシャレーの近く、ツーリストが勝手に行ける所だけあって、道もよく整備されていて太く、特に身構える必要はなかった。他の観光客にもしょっちゅう出会ったし。マレー人観光客もたくさんいた。ムスリムの女性、あの肌や髪を隠しまくった格好で山の中を歩くのは暑そうだ。逆に一部の白人ツーリストの女性、ジャングルを歩くのにランニングシャツとホットパンツ、サンダルという格好は頭悪いぞ、いくらなんでも。
ゆっくり歩いて船着場に戻ってきた。コース一周に2時間半。まあそんなもんか。時刻は2時を過ぎている。日没まではまだまだあるとはいえ、山の中で日が暮れるのは早いし、一瞬だ。安心してうろつける時間はあと2時間ほどだろう。時間的にきついかとも思ったが、せっかくだからとやっぱりキャノピーウォークに行ってみることにした。我ながら効率の悪い回り方をしているなあ。
渡し場から20分ほど歩いて入り口というか上り口に到着。入場料5RM。
キャノピーウォークとは、熱帯雨林の樹上の自然を観察するために、ジャングルの森の中、地上数十メートルの場所に架けられた吊り橋のことだ。ここのキャノピーウォークは、総延長が世界最長らしい。最大地上高45メートル、総延長500メートル。
安全のため、必ず前後の人と5〜10メートルの距離を空けないといけない。歩くのも不測の事態が起きないように、静かになめらかに、だ。長い階段を何度も何度も登り、どんどん高度を上げていく。凄いのは、それでも熱帯雨林のジャングルの上に出きらないことだ。
熱帯の植物とかには詳しくないのでよく分からないが、そっち方面の人にとってはたまらないんだろうな。とはいえ、普通なら見られない、地上数十メートルの世界が目の前にあるというのはとても印象深い。たまにジャングルの木の葉の隙間から窺える、数十メートル下の地上を見ると、やはりスリルがある。椰子の木を上から見た図なんて、ここでないと見れないよなあ。来てよかった。
帰り道、悪寒を感じた。まさか風邪? のどの調子も今ひとつだし、先日から頭痛がしているし。気のせいであって欲しいなあ、嫌だなあ。
時計を見ると3時過ぎ。頑張ればもう一箇所くらい観光できそうだったが、山は日没が早いし、体調も不安だったので無理はせず、宿に戻る。服の洗濯を頼み、延泊の手配をする。洞窟もまだ見てないし、もし本当に風邪なら無理して知らない町に動くより、ここで休んだ方が体にいいだろう。
水シャワーを浴びて部屋のベッドに転がっていると、新しい旅行者が来た。ルームメイトだ。体調が優れないので出来れば一人が良かったが、ドミに泊まっているから仕方ない。ルームメイトはフランス人のアレックス。って、またアレックスで、しかもフランス人か。まあ、先入観で偏見を持つのは良くないからやめよう。
部屋の外にあるテラスでデッキチェアに寝そべり、川を眺めてぼんやりしながら日記を書く。こういう一時もいいものだ。
17時過ぎ、またボートが着いたようで、多くのツーリストがやって来た。中には日本人の姿もあった。
夜、アレックスがツアーに参加しないかと誘ってきた。2泊3日でブンブン(山中の自然観察用ミニコテージ)に泊まってジャングルを歩き回るものらしい。最小携行人数が4人で、今、アレックスの他にフランス人の女の子が2人いて、あと1人らしい。……って、フランス人3人の中に僕が入る? 冗談だろ、勘弁してくれ。それ以前に、元々行く気なかったし。僕は山歩きは好きだけど、そういう「ワイルドでいい経験だろ?」的なツアーには興味ないんだ。内容と値段を比べたら割高な気がしたし。加えて、自分の体調も芳しくないしなあ。
夜、夕方にやって来た日本人の男女二人と話す。日本語を思い切り話すのは久しぶりだ。「やっぱり関西の人は面白いですね」と言われるが、そうか? 気のせいだと思うよ。というか、この2人にも、最初は日本語のうまいマレー人と思われていた。……いいよもう、マレー人で。アレックス達もこの日本人達も、2泊3日のツアーに参加するそうだ。行ってらっしゃい。僕はこのタマン・ヌガラ(国立公園とその脇にある集落)を堪能しているよ。
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7月26日(金) タマン・ヌガラ
やはり体調が悪い。体温が38度近くある。鼻もつまっているし。
朝、ツアーに出かけるアレックス(仏)達と日本人2人を見送り、朝食を摂ってから薬を飲んで休む。動いて動けない事はないけど、無理して取り返しがつかなくなったら馬鹿馬鹿しいし。昼にもう一度測ると37.5度。微妙だ。まあ普通の移動や町歩きならともかく、この状態で山歩きはしちゃいかんだろう。今日は一日、大人しく休んでよう。2時に計ると一気に上昇して39度。一度熱が出ると、その辺まで行ってしまう事が多いようだ。横の部屋では白人カップルがお盛んだ。畜生。とにかく寝るしかない。水をたっぷり飲み、Tシャツの上に長袖シャツを着こんで寝る。
だぁ、やはり寝つきが悪い。寝ても一・二時間で目が覚める繰り返しだ。しかも仰向けに寝ていると後頭部の放熱が出来ず、すぐに枕が熱くなってしまう。今日はパンと水、そして風邪薬しか口にしていない。日本から持ってきた風邪薬、今日で終わってしまうかな。夜9時、リュックの底で揉まれてパウダー状になっていたカロリーメイトと一緒に、最後の薬を飲む。この時点でまだ39度1分。本当にただの風邪だろうな?
深夜に目が覚めた時、少し気分が良くなっていたので体温を測ると38度6分。37度台まで下がったかと思ったんだが。とにかくひたすら眠るしかない。明日体調がよくなってなければ、宿の人の薦めに従って、医者に行くべきかもしれない。治ってて欲しいなあ……。
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7月27日(土) タマン・ヌガラ
朝の4時、9時と目が覚めた。9時の時点で体温は37度1分。この分なら病院に行かなくてもいいかも。でも少なくとも、今日は山歩きとかしないで、宿で大人しくしていた方がいいだろうな。ということで再び眠りにつく。
昼にはなんとか36度7分に下がった。いい感じだ。ここから先は時間薬かなぁ。お腹も減ってきた。宿の隣にある食堂でポリッジライスを食べる。おかゆと言うより、おじやのような。別にいいんだけど。
宿のロビー(という名の前庭)でくつろぎながら、宿のおっちゃんとだべる。英語を話す事への抵抗もやっと少なくなってきたかな。
体調さえよければ今からでも大丈夫と受けあってくれたので、午後2時過ぎ、近くにあるグア・トゥリンガに行く事にする。自然のままほとんど手を加えてない洞窟だそうだ。コウモリも多数生息しているらしい。
川を渡り、山道を歩き出して、すぐに後悔した。歩く一歩に力が入らず、膝が抜ける感じがする。100歩も歩く前に息が上がってしまった。体力が回復していないんだ。体力がないってのはこんなに辛い事だったのか。が、そのまま無理を押して歩いていると、20分もしたあたりでどんどん歩けるようになった。体力は空のままなのに。不思議だ。そしてグア・トゥリンガ着。
洞窟に入る。確かに観光客向けの拡張とかライトアップとかコンクリートで補強とかはしてなくて、迫力満点だ。所々、えらく狭いところもある。これ、欧米人にたまにいる巨漢の人だと通り抜けられないんじゃ。コウモリもたくさんいた。あんなにすぐそばでびっしりいるのなんて、初めて見た。いやあ、満足満足。ただ、洞窟への行きと帰りに各一回ずつ、蜂に首筋を刺されてしまったのが痛い。
宿に戻ってからも刺された所が痛むので、ミニマートで
「蜂に刺された。いい薬はないか」
と訊ねたところ、出てきたのは「無比膏」。……いや、これって早い話が「ムヒ」やないか。日本の。メーカー名に思い切りはっきりと池田模範堂って書いてあるし。蜂刺されって、ムヒでいいのか、本当に? 店のお姉ちゃんも宿のおっちゃんも、自信たっぷりに「それが一番効く」と言ってるしなあ。とりあえず信じてみるか。
シャワーを浴びてさっぱりし、体力的にも自信が戻って来たので、以前誘われていたナイトサファリに申し込む。これを堪能できればタマン・ヌガラはとりあえず満足だ。参加費25RM。
面白かった。サファリ時間中、ずっと車に乗りっ放しだったので最後は疲れたけど。
夜8時に2台のジープに寿司詰めに乗り込んだ参加者の大半はマレー人。僕も黙っていればマレー人に見えるらしいから、別にいいや。国立公園ではなく、集落側の周囲を走り回るだけだったが、それでもいろんな野生動物を見ることができた。プランテーションやジャングルの中を縫う未舗装の道を進みながら、サーチライトを四方に照射して進んでいく。光の中に野生動物が浮かび上がってくる瞬間はドキドキだ。バッファロー、カウ、ワイルドキャット、フライングフォックス、etc.残念ながら虎や象は見れなかったけど、いい経験だった。堪能したよ。
今日はいい夜空で、星がきれいだった。日本と違い、さそり座が実に見やすい位置にある。全体像を生で完璧に見たのって、初めてかもしれない。こんなにきれいな星座だったんだ。日本だと奄美でも南の地平近くにあって、下のほうは地平光でくすんでたからなあ。さすが、赤道近くまで下ってきただけある。それはそうと、さそり座の南方に輝いている明るい星、なんだっけ? あんなところに一等星あったっけか? じょうぎ座かさいだん座の辺りだけど……なんだろう?
ナイトサファリを終えて宿に戻ってきたら、37度あった。だから咳が止まらないんじゃなかろうか。
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7月28日(日) タマン・ヌガラ
咳が止まらない。だるい。鼻が詰まり、目の奥に鈍痛がする。でも、体温は正常で、36度6分。体力が戻るまでの我慢かな。
河原に降りたところにある食堂、MAWARで食事。ここはいい。河原の船着場に並んでいる食堂は今ひとつだったが。
今日一日はここタマン・ヌガラの集落でゆっくりして、明日の昼のジャングルトレインでマレー半島東岸にあるコタバルに向かうつもりだ。時間的に余裕があるので先にジェラントゥットに戻っておく事も考えたが、タマン・ヌガラの居心地がいいため、ここでもう一泊することにした。
ということで、今日は一日暇だ。暇ついでに宿のネットカフェで日本語IMEをダウンロードできないかと試してみる。後ろでは村の子供達がサッカーゲームに熱中している。5.2Mもあるから時間がかかるが、長期滞在の顔と、日本語環境が整えば宿的にもいいってことで接続料はまけてもらえた。さて、どうなるか……おお、ダウンロードできた。これで日本語のネット環境はばっちりだ。
昼過ぎ、2泊3日のツアーから帰ってきた2人の日本人とだべり、日課となっているミニマートへの買い物。売場の女の子に名前を聞かれた。長く居るからなあ。帰国したら手紙をくれる? ありがとう、イラ。宿のおっちゃん(ハリムという名前だと今日分かった)もそうだけど、マレーシアの人って懐っこいなあ。そのハリムに、ジェラントゥットに行く路線バスが普通に走っていることを教えてもらった。一日四本、所要時間は5時間、値段は6RMか15RM。多くて早くて安い。ボートよりはるかにいいじゃないか! 「歩き方」め、ボートでしか来れないかのような書き方しやがって。……こうしてガイドブックとしての信用を失っていくんだなあ。帰りのボートチケットを買ってはいるが、どうしよう。なんかボートに乗る気が失せた。と、ハリムが「ジェラントゥットの買った所で話をすれば、きっと代金は帰ってくる」と。本当かな? まあこの際だ、試してみるか。試すと言えば、サーシ(マレーシアでは一般的なジュース)とアイスを混ぜて飲む方法を教えてもらった。うん、これはマイルドで甘くてうまい。熱帯地方に合った飲み方だ。
暇なので、日没までミニマートでイラとその妹ヌルの2人ととりとめもなく話し込んでいた。
夕食は9時前、朝と同じ河原の食堂で。と、宿の前を通ったら、アレックス(仏)が白人女ツーリスト4人とダベっていた。僕を見つけて話し掛けてくる。フランス人の英語は発音がはっきりしなくてわかりにくいんだよなあ。
「今宿にいる2人の日本人はどこにいるのか?」
と聞かれていると思い、
「部屋やないの?」
と答えたら、大爆笑された。どうやら
「あの2人は夫婦か?」
と聞いていたようだ。だからフランス英語は何言ってるのか分からないんだって。僕だけじゃないぞ。ケヴィンもアルフォンソも言ってたんだからな。
食事、食堂のおばちゃんにマギートムヤムというメニューを薦められたので食べてみたが、なんだこれ。トムヤムクンスープにインスタントめんを入れたものじゃないか。マギーはインスタントめんのメーカー名だったな、そういや。とかやっていると、スコールが来た。九時過ぎ。なんか納得いかないので追加でミーゴレン(焼きそば)を頼む。こっちはまずまず。そういやマレーシアって、華人の店に行かない限り、ごはんものや麺ものを頼んだとしても、お箸は出てこないんだよなあ。
スコールはきつくなる一方で、止む気配はない。しまいには落雷で停電までする始末。小止みになるのを一時間程待って宿に戻ったけど、レストランにはまだまだ一杯客が居たなあ。あれ、なんなんだろう。
宿で一息ついていると、今日ナイトサファリに行った人たちがずぶ濡れになって戻ってきた。大変そうだ。昨日行っておいてよかった。それにしても、居心地のいい村だ。シーパンドンにはかなわないけど、それに次ぐ心地よさだ。……それにしても、なんで僕は気に入った町で体調を崩すんだろうか?
マレーシア Malaysia
7月29日(月) タマン・ヌガラ → コタ・パル
○さらばタマン・ヌガラ
朝起きて、もう一度行くのと残るのを心の中で比較する。やはり旅立つ方が勝った。頃合だな、行こう。
ハリム、イラとヌル、その他親しくなったタマン・ヌガラのみんなに別れを告げる。うん、帰国したら写真送るよ。
バス停まで歩く。日曜だからか、朝八時だというのに山も村も静かなものだ。ここは北回帰線より南なので太陽が北から昇るため、方向感覚が掴みにくい。
バスはツーリスト3人を除き、地元の人で半分ほど埋まっていた。
タマン・ヌガラからジェラントゥットへ続く道は、幅は十分にあるが、未舗装だったり砂利道だったりアスファルトだったり。整備途中って感じだ。何年か後には全線舗装されるんだろう。ジャングルの中を、だいたい地形に従って上下しつつ進んでいく。道が新しくて太いから、ジャングルを貫いているって感じだ。そしてジェラントゥット着。
行くだけ行ってみたホテルで、「I didn't use this ticket」と言ってチケットを見せただけで全額返還してくれた。やってみるもんだ。ありがとう、ハリム。
○コタ・バルへ
コタバル行きのチケットを購入。普通列車だから安い。9時間乗るのに12.70RMしかしないとは。けど、列車を指定するのに「ノーマル」よりも「デイトレイン」よりも「ジャングルトレイン」の方が通じるというのはどうなんだろう。
駅でくつろいでいると、一足先に着いていたアレックス(仏)に会った。親しげに声をかけて来るが、昨日話したワタナベさんの話だとツアー中に他の欧米人に「タマン・ヌガラのゲストハウスでは、英語を話せる奴がいなくて困ったよ」と言ってまわっていたらしい。ま、いいけど。
列車の時間まで二時間ほどあったのでホームでぼうっとしていると、マレー人のおっちゃんにマレー語で話し掛けられた。クアラルンプールを出てからこっち、まず現地語で話し掛けられることが多くなった。
「僕は日本人で、マレー語は分からないんです」
と言っているのに、「is」とか「to」を混ぜたマレー語で話し続けるってのはどういうわけだ。え?
「You cannot speak English.」
ええ、今のが英語? 僕がコタバルに行くと言ったらあんた、「バフォ」か何か言っただけやないか。そんなええ加減な。
時間があるので昼食を食べに行こうか考えていると、駅員の兄ちゃんが話し掛けてきた。
「一人旅か? 彼女はいないのか? 31歳? 俺は25歳で4人の子供がいるぞ。この荷物はお袋に送るフルーツだよ」
そうですか。にしても話好きな兄ちゃんだなあ。おかげで列車が来るまで、退屈せずにすんだ。こういう現地の人との触れ合いが、旅の楽しみの大きなウエイトを占めているんだよなあ。
12時過ぎ、列車が来た。機関車一両、客車三両、貨車二両。えらく少ないな。なんかボロいし。マレーシアの鉄道でボロいのって初めてだ。ローカル線なんだなあ。しかも全座席、進行方向と逆向きで固定だし。クーラー車は一両のみ。寝台車両を座席車に改装しているので、窓とシートの位置が合っていない。ファンが回っているのはいいが、シート間は狭めで、ちょっと窮屈だ。とどめに、走行中の揺れが物凄い。参りました。揺れは上下動のみなので、路盤ではなく車両の問題かな?
自分の周りにアレックスとフランス人女性ツーリスト2人がやって来た。ワタナベさんが「アレックスはナンパしに来てるんですか?」と尋ねてきたのもさもありなん、二人の女性にアタックかけまくりだ。3人とも周囲のことなど気にせず、大声で騒ぎ続けている。勘弁してくれ……。女性の方も、シートにだらしなく足を投げだし、タバコを吹かしているし。ガラガラの車内じゃないのに、感じ悪いなあ。
車内におかし売りのおっちゃんが陣取っていたり、ジャングルの中を、木の枝をガサガサ言わせながら列車が突き進んでいくところなんかは面白い。
一時間走ってクアラ・リピス着。久々の町だ。中高生が大挙して乗ってきた。そうか、もうそんな時間か。
少しうたた寝して、15時ごろに目が覚めると、奇妙な姿の岩山が連なっている所だった。この辺りは本当に田舎で、駅も看板が立っているだけで、ホームも何もなかったりする。
グアムサンという町に着いた。田舎町の風情だが、駅のすぐ東に岩山が聳え立っていて、なかなかの迫力だ。列車に乗る前はこの町で一泊することも考えていたのだが、レンガ製のアパートと赤錆びたトタン屋根の民家が目立つ町並みに降りてみたいと思わせるものがなかったため、そのまま先に進む。ここから先は、ジャングルだけじゃなくプランテーションも目立つようになってきた。
Bertam Baruという駅では、子山羊が数頭、線路を歩き回っていた。もちろんニワトリも。東南アジアでは家畜も放し飼いのことが多い。
また進んでダボン着。この辺は国道と離れていて、鉄道が人の足になっているとガイドブックにあったが、本当にそんな感じで、地元民の乗降が多い。確かに地形は険しく、トンネルもあった。この国でトンネルって今まであまり印象になかったけど、この近辺だけで8つもあった。線路も川に沿って曲がりくねっている。樹々も今までになく列車に迫ってくる。ダボンは山と川に挟まれた、ほんの小さな平地に出来た町だが、なんか活気と笑顔が感じられ、いいムードだ。この町で泊まってみても面白かったかもなあ。
裸の子供達が列車に手を振っている。半島部マレーシアでもこういう所があるんだ。手を振り返すと、はにかみながらもさらに力を入れて振ってくるのがかわいい。
18時43分、クアラ・クライという大きな町に着き、ダボン地域終了。ダボンの辺りが車窓風景も変化に富んでいて、山深く、子供や動物も一杯いて、一番面白かった。
夜になり、平地に出た。車外も見えなくなり、黙々と列車は進んでいく。そして9時、コタバルへの最寄り駅、ワカフバル着。
降りると、いるいる、タクシーの客引き。
「兄ちゃん1人なら10RMでいいよ」
『歩き方』には15RMと載ってたよな、それならいいか。と、そこにアレックスとフランス人女性2人組が来て、タクシーをシェアしないかと誘ってきた。いいよ。タクシーに乗り込むと運ちゃん、「四人か。なら全員で15RMだな」これを聞いたアレックス達、「話にならん」のポーズをして去っていった。なんなんだおい。タクシーに1人残っていた僕に運ちゃん、必死の表情で「君1人なら5RMでいいよ」と。黙って座ってるだけで半額になってしまった。
○コタ・バル着
ガイドブックにあったKB(コタバル)バックパッカーズロッジに連れて行ってもらう。ってここ、階段を上がった先にフロントから何からあるという、いわゆる典型的アジアの安宿だ。見ると、他の安宿も同じようなのばかりだ。この手の宿は万一の時逃げにくいので避けてたんだが、今日はもう遅いし気力もないし……ここでいいか。
マレーシアに来て以来初めて、乗り物以外で人が声をかけてくるし。この町が危ないかどうかは知らないけど、怪しいムードは一杯だ。国境に近い関係もあるんだろうか。
タクシーのおっちゃんはKBBPロッジの2がきれいだと言っていたけど発見できず、1に行ってみると満室。仕方なく他の宿を探す。気力もなくなっているので、何も考えずワタナベさん達も行ったというKBインへ。シングルの部屋(一泊12RM)が空いていたのでチェックイン。はいいんだけど、間仕切りはベニヤですか。天井近くは開いてるし。正直、保安方面の安心感はないですな。
ここのマスター、そこそこの日本語を話す。愛想がいいのはいいけど、
「私の名前は直哉です。本当ですか?」
だあぁっ、その口調はタイはカンチャナブリーのホモ高校教師、ノッパラー! やめてくれぇ! 上村さんとバンコクで再会した前日、上村さんがカオサンで日本人男性に声をかけているノッパラーを見かけたと言っていた。うーむ、ここ、あんま長居したくないかも(^^;
とりあえずお腹が減っていたのでナイトマーケットに。ここで気付いた。体の調子が悪く、妙にカリカリしているのはビタミンとカルシウムが不足してるからじゃなかろうか。でもこの国でそれを摂取しようと思ったら、牛乳を飲むとかナシ・ルマッについてくる魚の佃煮くらいかなあ……。果物はいいが、大量にしか買えないし……。とか考えながら、ナイトマーケットの只中にある屋台でナシアヤムを頼む。と、すぐに出てきた。早っ! 早いわけだ、作り置きだよ。おーい、鶏の照り焼き、冷めてますよー。
なんかわびしいので口直しに目についたマクドに行く。おお、完全愛想なしのスタッフは久しぶりだ。しかも化学調味料入れすぎで、舌がピリピリする。二階にあるネットカフェは11時半までと書いてあるのに、10時半でもう閉まってるし。
コタバルに来て一時間、ここまでの感想は「いわゆる典型的アジアの地方都市&安宿」かなと。
そして何故かベトナムを思い出した。猥雑さ、喧騒、うさん臭さ……。昼間に見たり、宿を替わったり、体調が良かったりしたらまた印象も変わるんだろうけど。でも、これならグアムサンかダボンで一泊してもよかったかな……まあいいや、とにかく寝よう。
天井との隙間から虫がフリーパスだけど、蚊帳なんてないし。今のコンディション的に喉がやばいので、蚊取り線香も焚けないし。参った。明日の最優先事項はネットとカルシウム&ビタミン摂取だな。次いで、観光と次に動く場所の選定。……しかし、この宿はいかがなもんか。他の宿泊客が騒ぐのが筒抜けなので一時間と寝ていられないし、あっという間に蚊に食われまくるし、全然くつろげないよぅ……。
マレーシア Malaysia
7月30日(火) コタ・パル
朝の6時半、横のモスクだかバスステーションだかのスピーカーが大音量でがなりたてるので目がさめてしまった。勘弁してくれ……。どうもこの町は僕には験が悪いようだ。見てみたかったマレーの伝統芸能も今日はやってないし。
かなりカリカリしているのを自覚する。カルシウムを摂取しなければ。スーパーでチーズと小魚のお菓子を購入。この際、値段なんかどうだっていい。加えて体がやけにダルく、たったこれだけのことをしただけで、観光も何もしてないのに、気がつけば15時。なんなんだ一体。
だが、そこでカルシウムが効いたのか、急に気分が楽になった。これなら観光に出れそうだ。
とはいえ今日はもうあまり時間がないので、博物館に一つだけ行く事にした。戦争博物館。コタバルは大東亜戦争のもう一つの開戦地だ。日本軍が12月8日、この地に上陸したのだ。日本人として、この町に来た以上は訪れておかねばならないだろう。
博物館は日本軍関係の展示が豊富にあった。日本陸軍のマラヤ半島報告とかもあり、マレー半島の地図のそこここに『不貞ノ輩、村ニ侵入。マラヤ娘ヲ強姦、放火ノ上、逃走』みたいな報告がびっしり書き込まれている。日本軍のマレー半島南下の様子がよく分かる。
他に訪問者の姿がなかったからか、館員が国籍を聞いてきた。おっかなびっくり日本人だというと、笑顔で
「コンニチワ」
と挨拶してくれた。……やっぱり嫌われてない?
帰国後調べてみると、この博物館は日本軍の勝利を記念して建てられたものらしい。日本軍がマレー人とではなく欧米列強と戦い、これを追い出したのを記念して。旅をしていると様々な認識・価値観に遭遇するので、自分のそれが揺さぶられ、何が正しいのか、もう一度考え直さないといけない気分になる。少なくとも一面的な、自虐的なだけの今までの認識はもう一度考えてみないといけないのではないだろうか。そういう面も、そうでない面もあったはずだから。
原爆についても写真つきで展示があった。展示は大東亜戦争と、その後の反共の戦いについてがメインだった。戦争犯罪人の首吊り処刑前の写真には神妙な気分になるしかなかった。
戦争博物館を出ると、もう他の博物館に行く時間はなかった。が、外はまだまだ明るいので町を散策する。
昨夜見かけたマクドの2階にあるネットカフェに入ると、ちょうど日本ではナイターの時間だった。ヤフーのネットライブに熱中する。BW対H、最終的には3対6で負けたが、最後まで息の抜けない試合だった。って、海外まで来て何してるんだか。
夕食は昨日と同じ屋台。ナシゴレン、おいしかった。今日はちゃんと暖かかったし。そう、この町、験は悪いが嫌いじゃないんだ。カルシウムを摂ったのが良かったのか、今は気分も落ち着いている。
宿に戻るとテレビで007をしていたので、ロビーでぼんやり鑑賞。同じロビーにいた日本人カップルの女性が、しばらくして話し掛けてきた。
「ハロー。あー、アーユー、ジャパニーズ?」
ええそうですよ、日本人ですとも。もうそういう反応にも慣れましたよ。彼女には、後で明るくこう言われた。
「いやあ、黒くて日本人とは思いませんでしたよ」
黒いのか? 今の僕はそこまで黒いのか!? でも確かに、ほとんど客引きに話し掛けられないよなあ。
このカップルは昨日バンコクから来て、プルフンティアン島(ここから比較的近くにあるリゾート島)に行こうか悩んでいたので、
「クアラルンプールにいたマレー人もいいと言っていたよ」
と言うと、行く事にしていた。明日カルチャーセンターに行く予定の僕に「島で待ってます」だと。僕がリゾートに行く? ……ううむ。その島も今、人で一杯だそうだ。ちなみにバンコクも日本人だらけだとか。夏休みだなあ。
マレーシア Malaysia
7月31日(水) コタ・パル
午前中は暇潰しにネット。体調が完調でないとはいえ、だらけてるなあ。
午後からクランタン・カルチュラルセンターにシラット(マレー拳法)のショーを見に行く。
民族音楽に乗って行われる、踊りのような、戦いのような、不思議な感じのものだった。踊りの比率の方が高いのかな? ぶつかり合う場面でも互いに半身で、まず敵を見ない、見るにしても横目でのみというのがすごく不思議な感じだった。その後、見物人から白人を2人選び、演武場に上げて躍らせていたのはまあ余興として。
宿に戻ってから、近くのA&Wでルートビアを飲む。その後近くを散歩。それにしても本当に声をかけられないな。マレーシアでは日本人はよく声をかけられると聞いていたし、ガイドブックでもしつこいくらい注意を呼びかけているというのに。
今日はこれだけしかしてないのに、非常に疲れた。倦怠感は大分ましになったが、今は誰とも話をしたくない気分だ。クアンタン辺りでちょっといいホテルにニ三日泊まった方がいいのかなぁ。
ともあれ、明日はプルフンティアン島に行くことにしている。リゾートは興味ないけど、まあ一度くらいは。長居はしないだろうけど。