ほろほろ旅日記2002 7/11-20
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マレーシア Malaysia
7月11日(木) クアラルンプール
訪問のオリエンテーリング部分はオリエンテーリングマガジンにも掲載されてます。僕も現物は見てなかったんですが、web上にありました。pdfファイルです。いつか向こうのファイルがなくなるかもしれないので、こっちでもいつも通りの旅日記を書きます。 |
○リーさん登場
今日はいよいよオリエンテーリング協会を訪ねる。このためにクアラルンプールに長逗留していた面もあるし、楽しみだ。
ユースのレセプション前で待っていると、9時過ぎに一人のやせた中年男性が入ってきた。この人がリーさん。中華系だ。華人と言うんだっけ。リーさんって李さん? てことはもしかして、ウォンさんって王さん?
リーさんはペナン島出身の45歳。僕がペナン島にも行ったと言うと嬉しそうにしていたが、一泊もせず、ビーチも見ていないと分かると不思議そうに首を傾げていた。2年前、キャンプの何かで日本に来た事もあるらしい。
2人してユース横の屋台で朝食。おごってもらった。
○協会へ
リーさんの運転する車で、まずはオリエンテーリング協会のオフィスへ。クアラルンプールの郊外、西外れ近くにあるEVER GREEN OUTDOOR CENTRE。名前だけ聞くと野外活動施設の建物っぽいが、アウトドアショップだ。いいんだけど。
2階の一室に通された。そこにはムスリムの受付のお姉ちゃんが一人。さっそくマレーシアのO-マップ(地図)をどっさりもらう。地図精度は日本より甘いかな。でも新しいのはやはりというか、OCADを使っている。時代の流れか。というか、こんなにたくさんもらっていいんだろうか。
リーさんからいろいろ話を聞く。ぶっちゃけた話、マレーシアの競技人口はあまり多くなく、学生などは卒業とともに辞めてしまうケースが多いらしい。テレインは、ジャングルは基本的に使えないのでプランテーション、公園、大学などが主だそうだ。地図を作るにも、大会を開くにも、当事者に加え、政府のパーミットが必要だとか。それも段階に応じて何度もいるそうだ。マレーシアって集会が制限されてるんだっけか。マレーシアは今、急速に発展中なので、テレインが宅地・ショッピングセンター・大学・ゴルフ場などに変わって使えなくなるケースが多いらしい。差異はもちろんあるが、思ったより日本と似てる面が多いなあ。
地図を見ていると、ウォンさんがやって来た。名刺にはやはり「王」と。忙しいみたいで長くは話せなかったが、スーベニールと言って額に入ったコンパスをくれた(下の記念写真で持ってるやつ)。ぱっと訪ねてきた一般人にここまでしてもらって、非常にありがたいんですが、正直な話、この額、非常に嵩張る……。帰国後にメールで写真を送る事を約束して、辞去。
○フリムのテレインへ
リーさんが車でテレインに連れて行ってくれるようだ。着いてみると、そこはフリム(FRIM・マレーシア森林研究所)。KLからは少し離れたところにある、ガイドブックにも載っている大規模な研究所だ。遠いしあきらめてたんだけど、来れてしまった。しかも交通費や入場料なしで(^^; 70年前に錫の廃鉱と野菜畑になっていたのを、本来の森林に戻したという凄いところ。そこでリーさんは本来の仕事なんだろう、10月にあるワールドレジャーカウンシルの打ち合わせを30分ほどして、いよいよ山へ。フリムにはリーさんのオリエン仲間がいるとのことだったが、運悪く不在。
車でフリム内をざっとまわり、ちょこちょこと山に入る。その印象では、地図は大体正しいが、甘い。クリアリングや道の位置が正しくないのはまずいよ。
それはそうと、マレーシアではウェディングドレスを着た女の人が、河原とかに分け入って写真を撮っているのをよく見かける。大抵写真屋が同行しているのでそういうものなんだろうが、緑濃い山の中を、ウェディングドレスをパンツが見えるくらいたくし上げて進む女性を見かけると、なんというか、変だ。
○垣間見るマレーシアの現状と互いの文化
フリムを終え、昼食と次の目的地への移動のため、再度車に乗り込む。マレーシア、本当に道がいい。
「大発展してますね」
と言うとリーさん、
「そうだ。全てが変わっていく……」
としんみりと答えた。そうだ、大規模な発展というのは、それまでそこにあった、いいもの悪いもの、全てが変わるってことでもあるんだよな。かつての日本でもそうだったように。その言葉の深みを噛みしめ、僕は黙って窓の外をながめた。山を切り開き、宅地が造成されていっている……。
車窓からバトゥ洞窟を眺めつつさらに進み、ジャスコ(こっちの人はスペル通りに『ジュスコ』と呼ぶ)の店で昼食。
鉄板焼の店に入り、チキン定食と抹茶アイスを頼んだ。リーさんが「日本人はワサビを好むが、マレー人にはきつい」と言った。日本人にはマレー料理の辛さはきついし、お互い様だな。リーさん、抹茶アイスは初めてだったらしく、しみじみと味わいながら食べていた。気に入ってもらえたようで、嬉しい。
マレーシアの屋台はごはんものを扱う店でもスプーンとフォークしかないことが多かったので、ここで久しぶりにお箸を使った。しかし、ジャスコにある日本料理屋の店員に日本語を話せる人がいないってのも不思議な感じだ。日本人客はあまり来ないんだろうか。ここの食事もリーさんのおごり。さすがに申し訳ないと言うと、
「君は今日はゲストだから払わなくていい」
とのこと。なら、好意に甘えさせてもらいます。
○次のオフィス
さらにしばらく走らせ、今度はKLのずっと南東の方。リーさんが普段使っているオフィスらしい。ユースセンターという立派な建物。スイミングプールなどのスポーツコンプレックスと大学病院、公園などのある堂々たる施設だ。ユースホステルもあるらしいが、ここ、KLの駅からどうやって来ればいいんだ?
ここでは、リーさんの上司という人に、何人も面会した。うわあ、明らかに偉い人巡りじゃないか。Tシャツにズボン、肩からはパスポート入れを下げている格好で会っていい人達じゃないような……リーさぁん……。結局、5枚も名刺をもらってしまった。僕は完全にプライベートでふらりと訪ねてきただけの、無所属の一オリエンティアに過ぎないんですよ……。中でも特に偉い人を2人挙げると
「Asian Youth Council の Executive Secretary、SALEHUDINさん」
「INTERNATIONAL YOUTH CENTRE FOUNDATION のWASITAHさん(女性。リーさんの組織のトップ)」
すぐにトップの人に会えてしまうのはマイナー競技の常だ。建物を案内してもらい、裏手のマップのある公園も案内してもらった。
○今日も今日とて、ユースの夜は更けてゆく
ユースに戻ってきた。時刻は午後5時を過ぎたところ。リーさんがジャスコで買ってくれたドリアンを外で食べる。まずくはないが、なんか不思議な風味のする果物だ。においは強烈だし。アルコールとの食べ合わせは冗談抜きでまずいらしい。真顔で「時間をあけないと死ぬぞ」と言われた。匂い消しにお茶をして、5時半、リーさんと別れた。
有意義な一日だった。いい人とばかり会えたのも嬉しい。
夜、ネットをしにチャイナタウンに出かけ、ユースに戻る前にセブンイレブンで買い物をしていると、ケヴィンに会った。いいタイミングだ。そのままユースに戻り、談話室でアレックス(ドイツ人)・ケヴィン(マレー人)・アルフォンソ(コロンビア人)達と3時ごろまで飲んでいた。
マレーシア Malaysia
7月12日(金) クアラルンプール
今日はまずクアラルンプール駅近くにあるPOS(中央郵便局)へ。昨日ウォンさんからもらった額や地図を日本に送らないと。
が、額が大きくて、どう見ても既成の箱に入りそうにない。しかも、どうしたらいいか尋ねようにも、PARCELの窓口が分からない。仕方がないのでブキッ・ビンタンにあるJCBに出向き、宅配サービスを頼めるか聞いてみる……が、民間はいずれも高く(2、300RM位)、しかも直接営業所まで行かないといけないらしい。やってられるか。ブキッ・ビンタンの郵便局の場所を教えてもらう。郵便が信用できる国なら、小さいところの方が細かいところまで頼みやすいし。やはり官製の箱は、POSで聞いたサイズまでしかないらしい。仕方がないので、その箱に無理矢理詰め込む。箱3RM、送料70.35RM。
送り状に記入していると、突然表のシャッターが閉まり始めた。え、閉店? まだ作業中なのに、まだ金曜の一時なのに、なんで?? ……今日は金曜日、イスラムの祈りの日だった。大急ぎで手配を済ませ、シャッター脇の入り口を開けてもらって外に出る。やれやれ、小包一つでえらい騒ぎだ。
もしやと思って調べてみると、この後行くつもりだったペトロナスツインタワーも、同じく金曜の午後は開いていない。この後どうしようか……。
予定を変更して、楽しみに取っておいたバードパークに行くことにした。「歩き方」には夕方5時までとなっているが、実際は6時半までだ。入場料の22RMは高いが、入ってみて納得。
いわく、世界一。鳥は元々好きなので期待していたのだが、期待以上だった。本当に広大な敷地をすっぽりとネットで覆い、ジャンルごとに区切られた中を、鳥達が自由に飛び交って暮らしている。
こんな施設、初めてだ。そりゃ入場料も高いはずだ。自由にしたらまずい鳥はケージの中にいるが、それもたっぷりとスペースを取ってあり、まるで鳥の楽園だ。
クジャク、ダチョウ、その他名前も知らない極彩色の熱帯の鳥達。人に慣れてて、クチバシで指をくわえてばえてくるサギの仲間もいる。体がウグイス色で、羽を広げると赤い翼の見える小鳥は美しかった。オランウータンや猿、兎なんかもいた。
何か欲しいのか、歩いている先や後ろをずっとついてきて、やたらと絡んでくる奴もいたりして、とても楽しかった。大きな鳥が、遮るものもなく、手を伸ばせば触れそうな距離を闊歩している。こんな所があるなんて。写真も今までにないくらい撮りまくった。あまりに楽しくて、閉園時間まで二時間以上遊んでいた。来てよかった。
夕食は例によって、チャイナタウンのバーガーキング。顔見知りになってる受付の兄ちゃんにお薦めを聞いてみると、マッシュルームスイスってのと、ブロイラーチキンを薦められた。……っておい!?
「ブロイラー?」
「そう、ブロイラー。柔らかくてジューシーで、おいしいよ」
「……日本では安物チキンの代名詞なんだが……」
国が変われば事情も変わる。分かってはいたが……。その二つを頼んでみたが、確かにうまかった。
余談だが、ユースに戻ってきて「今日はバードパークに行ってきた」と話そうとしたら、「birdの発音が違う」と言われ、英語教室が始まってしまった。どこが違うのか分からないよ……。
マレーシア Malaysia
7月13日(土) クアラルンプール
午後からでも登りたいと、ペトロナスツインタワーに出かける。が、ここでも地球の歩き方に騙された。午後からのチケットなんてものはなく、朝八時半の整理券配布で、その日一日分を配りきってたんだ。当然、もう今日の分は配布が終わっていた。あちゃー。
どうしようもないが、このまま帰るのも癪なので、ツインタワー内にあるペトロサインス(マレーシア最大の石油会社のアトラクション)に12RM払って行くことにした。確かに高いが、その値打ちはあった。石油について、マレーシア・地球の歴史について、ビジュアルをふんだんに使って広大な敷地内に展示してあり、我々は遊園地のお化け屋敷などにあるようなカートに乗ったりして順路をまわっていく。博覧会のパビリオンみたいだ。
二時間以上たっぷりかかったが、内容が充実していたので、疲れなかった。
ツインタワーのあるKLCCは有名観光場所&ショッピングスポットなので人が多い。この分だと、明日ツインタワーのチケットを入手するのは無理だろう、多分。明日は一度クアラルンプールを離れて、マラッカ(ムラカ)かクタム島にでも行ってみようかな。
夜、チャイナタウンでネットを終え、ユースに帰っていると、ケヴィン、アレックス、アルフォンソ達が遊びに行くところに遭遇した。ほとんどユースに帰り着いていたのに、チャイナタウンで飲むからと引き戻された。どうせなら、チャイナタウンの近くで会いたかったよ……。って、酒を飲むのかと思ったら、お茶かい。いや、いいんだけど。
日付が変わってからユースに帰着。当然鍵は閉まってるので、フロントの人を叩き起こして開けてもらう。
寝る前にいつものようにうだうだとしゃべっていたら、アレックスが
「日本語のアルファベットを教えてくれ」
と言ってきた。
表音文字ってことかな? いいよー。
「ノートに全部書いて教えてくれ」
……え? 全部って、ひらがなとカタカナ、合わせると100を軽く越えるんだけど……。
「是非、全部教えてくれ」
あんた。自分たちの言葉が30ほどのアルファベットで表記できるからって舐めてないか?
「知りたいんだ。頼む!」
……。
……わかったよ……。
マレーシア Malaysia
7月14日(日) クアラルンプール
こっちの人は、バイクに乗る時ジャンパーを後ろ前にしている人が多い。風防のため?
それとこの国の人は、皆IDカードを持っていて、所持の義務があるらしい。国民皆背番号制?
朝、たらたらと起きて、フロントで今夜の宿泊料を払っていると
「今日はどこに行くんだ?」
と聞かれたので
「クランとクタム島」
と答えたら、明日行けと言われた。なんでだ。
120RMもするツアーがお勧めらしい。論外だ。自力で行ったらせいぜい1/3から1/4で行けるはずなのに。
曰く、同じユースに泊まっている女の子(日本人)が行こうとしているから、一緒に行ってやれと。日本人旅行者にはマレーシア入国以来会ってないので、ツアーは行かないけど、なら行くのは明日にしよう。
ということで、今日はゆったりと過ごす。
チャイナタウンそばにある、ケヴィンに教えてもらった散髪屋に行く。旅に出てから初めての散髪だ。なんかワクワクする。っておい、スポーツ刈りっぽいものを頼んだら、片手バリカンでガリガリと15分で済ませるってなんなんだ……凄い虎刈りだし。11RMと安かったので我慢するけどさ。
結局今日、件の日本人女性旅行者には会えなかった。明日は会えても会えなくてもクタム島に行こう。これ以上だらだらとはしてられないし。
マレーシア Malaysia
7月15日(月) クアラルンプール →(クラン)→ クタム島 →(クラン)→ クアラルンプール
朝、フロントで今夜の宿泊費を払っていると、件の日本人の女の子が降りてきた。MMさん。折角なので、一緒にクタム島に行く事にした。もちろんツアーなどではなく、自力で。
KTMコミューターでクアラルンプールから終点のポートクランまで(3.9RM)。久しぶりに普通に日本語を話すのは楽しい。一時間程でポートクラン着。いかにも郊外の駅という感じだ。クランの町自体は結構大きいらしいが、駅の近所ではあまりそういうことは感じられない。駅の近所に特にめぼしいものはないし。5.3RMでボートに乗り、クタム島まで45分。
クタム島はカニ島という意味で、その名の通り海産物が名物らしい。元々マングローブ林を開拓して作られた島で、集落の地面は全て板張り。車はなく、住民の足は自転車のみ。車がなく、板張りの上に作られた町という奇妙な文句に惹かれてやって来た。
着いてみて納得。確かに車など一台もない。足元はほんの一部、コンクリート床があるが、大部分は木の床が張り巡らされている。そもそも地面はどこにもない。これでは車は入って来ようがないな、納得。ここでの人々の足は、自転車だ。一部、エンジンつき自転車(原付のようなものではなく、文字通り自転車にエンジンをつけたもの)に乗っている人も見かける。面白い。
この島は吉胆と書くとおり、中華系の島だ。ムスリムは全く見かけない。島にある看板も、漢字のものばかり。華人の島だ。
ここでは子供の愛想がよく、歩いていて楽しい。
港から商店街に入る口にある食堂で食べたチャーハンは驚くほどおいしかった。今回の旅で食べたチャーハン(フライドライス)の中で、一番おいしかったと思う。あまり空腹ではなかったので、そんなに食べられなかったのが今思うと悔しい。
数時間、島の中をぐるりと見てまわり、MMさんと一緒にクアラルンプールに戻る。列車の中で、旅のことに限らず、いろいろ話し込んだ。仕事のこと、これまでの人生、これからのこと……。やはり母国語で思い切り話せるってのは幸せだ。
夜、ユースの談話室で他の旅行者と雑談していると、ケヴィンが
「明日、ムラカ(マラッカ)へワンデイトリップに行こう」
と誘ってきた。元々明日か明後日に日帰りで行くつもりだったし、値段も高くないし、ケヴィン達と行くのも楽しそうだ。悪くない話なので快諾。
マレーシア Malaysia
7月16日(火) クアラルンプール →ポート・ディクソン→テロッ・バハン→ ムラカ(マラッカ) →シャー・アラム→ クアラルンプール
ケヴィンのプロモートで、今日はムラカ一日ツアー。9時半にアレックス、ケヴィンと三人でミダホテル前で待っていると、一台の普通の乗用車がやって来た。この車で行くのか。運転手は体の大きなジャンという人。四人でムラカに向かう。当然、道中にある観光ポイントに寄りながら。
ポート・ディクソン(きれいな砂浜の海水浴場。アレックスはここで一人で泳いだ。貸切だ)。
テロッ・バハン(PP近くの有名なビーチらしい)。
どっちもバスでしか来れないし、リゾートには興味がないので、今回のような形でないと来なかったろうな。ついでで寄る程度でちょうどいい感じだ。
快調に飛ばす車の中、ケヴィン達の雑談をBGMにうたた寝をしているうちにムラカ着。
まずは屋台で昼食を済ませ、駆け足でのムラカ観光。
ムラカの街並み、ババ・ニョニャ・ハウス、サンチャゴ砦、セントポール教会、スルタンパレス、等々。
かなり駆け足だったが、ケヴィンとジャンのガイドつきだったので、楽しくまわる事が出来た。
2人は他にももっとあちこち連れて行きたそうにしていたが、僕はもういい。疲れてしまったから。それに正直、ムラカの町は、悪くはないけどとびきり気に入ったわけでもないし。勝手な印象として、狭いし妙に観光地ズレしているような……。僕はこれで十分だよ。アレックスが行きたいなら行ってきて。僕はここで休んでるから。(ムラカが好きな人、ごめんなさいm(_
_)m)。
帰る道すがら、時間が余ったのでクアラルンプール近郊にあるシャー・アラムのモスクを見に連れて行ってもらった。青と白のきれいなモスクで、とんでもなく大きい。東南アジア一の大きさのモスクらしいが、これでも世界一じゃないのか……。写真を撮りたくてもフレームに収まりきらず、相当後退して、なんとかミナレットまで入れることが出来た。下の写真の樹木の高さを参考に、モスクのばかでかさを想像してみてください。
これだけいろいろ連れて回ってもらって、一日35RM。食事代等全て込みだから、どえらく安い。お得すぎる。なんか申し訳ないな。
テリマカシ(ありがとう)、ケヴィン、ジャン。
マレーシア Malaysia
7月17日(水) クアラルンプール
ここから先、マレー半島を見て歩くのに、どういうルートを取れば一番効率がいいか。ずっと考えていた。その結果、一旦南下してシンガポール入りした後に北上し、中央部・東部に行くことにした。だからまず明日の夜、シンガポールに向かう。今日はクアラルンプール最後の心残り、ペトロナスツインタワーだ。
え?
アレックスもまだ見てないから一緒に行きたい?
あんた、ケヴィンというガイドつきで二週間もこの町にいて、一体何をしてたんだ?
仕方ないので後から起きだしてきたアレックスの朝食が終わるのを待ってKLCCに行く。
昼近くになってしまったが、まだチケットは配っていた。良かったあ。3時45分からの回になる? 仕方ないな。
時間まで暇なので、アレックスにペトロサインスの場所を教え、一人でブキッ・ビンタンのJCBプラザに行こうとしていると、アレックスが呼び止めてきた。
「一緒に行ってくれ。一人では面白くない」
はぁ?
アレックス、あんた本当に一人旅をしてるバックパッカーか?
だから僕はペトロサインスは既に一度見ているんだって。面白かったけど高いし。
でもアレックス、断ったら「why?」と問い詰めてきそうな勢いだ。それでも断ったら、今度はJCBプラザに付いて来そうな気がするし……。仕方ない。今回だけは付き合ってやるよ……。
そしてお待ちかねのツインタワー。人波の流れに乗って、少しずつ進んでいく。無料だからか、世界一の高層ビルだからか、凄い人出だ。
最上階まで上がれるわけではなく、二つのビルを繋ぐブリッジまでだが、それでもやはり見晴らしがいい。今日はあまりガスがなく、ガラスもクリアーだったから特に。二つのビルは、日本のハザマと韓国の企業がそれぞれ建てているのだが、上がるのは韓国の建てたビルの方からだ。15分ずつ、決まった人数ずつでどんどん入れ替えていく。よし、これでクアラルンプールは大体見終えた。
次はアレックスと別れてJCBプラザに行き、前回気になっていたジョホールバルのホテルを予約するかどうか決めよう……と思っていたが、アレックスが
「KLタワー近くにあるケヴィンのレコード会社に行こう」
と強く誘ってくる。なんで僕もと思ったが、用事があるっぽいのでついていく。が、ケヴィン不在。電話してもつかまらないし。
そんなこんなで気がつけば、16:30。JCBプラザは17:30までなのでそろそろ行こうか考えているとアレックス、
「俺もJCBプラザについて行く」
なんで?
JCBプラザにドイツ人が行っても仕方ないだろう。別に面白い所じゃないぞ? でもアレックスは本気のようだ。……もう時間もあんまりないし、今日はやめだ。明日一日、昼間は時間があるのでその時に行こう。今日は夜までネットでもするか。……アレックス? ネットカフェに一緒に入るのはいいんだが、自分が終わったからといって、僕の真横に来て終わるのをじっと見てられると、非常にやりにくいんですが。
アレックスも初海外で、マレーシアが最初の国、クアラルンプールが最初の町と言ってたから慣れてない面はいろいろあるんだろうけど、それにしても……。さびしんぼうか? 参った。悪いけど、少々持て余し気味だ。
今夜七時から、ケヴィンと飲みに行く約束をしてたので早めにユースに戻るが、いないし。なんかいろいろ振り回されっ放しの一日だったな……。
マレーシア Malaysia
7月18日(木) クアラルンプール →
飲みすぎた。二日酔いだ。昨日、アレックスがドイツに残してきた恋人へのラブレターを日本語に訳してやったりしながらウォッカをガブガブいってたもんだから……。ああ、頭が痛い。胸が悪い。動けない。
一人旅なら出発を延期するところだが、今回のシンガポール行はアレックスという同行者がいるのでそうもいかない。なんとか11時には上体を起こし、1時過ぎにはなんとかのそのそと這えるようになった。ケヴィンとアレックスが僕をユース横の屋台に引きずっていき、ケヴィンは酔い覚ましのドリンクを、アレックスは薬をくれた。ありがとう……。
2時、どうにか動けるようになったので駅に行ってチケットを入手し、その足でブキッ・ビンタンのJCBプラザに向かう。KTMの駅を降りて歩いていると、求職活動のために会社巡りをしているアルフォンソに出会った。彼は生国のコロンビアを出てオーストラリアで英語を学び、ここクアラルンプールで仕事を探している。ブキッ・ビンタンは繁華街かつビジネス街なので会うのは不思議ではないが、ほろほろしてる自分を省みて、ちょっと悲しくなってしまった……。
JCBプラザ到着。やはりここはくつろげる。気になっていたジョホール・バルのホテルを思い切って予約。この旅でホテルを予約なんてするのはもちろん初めてだし、こんなに高いところに泊まるのも初めてだ。一泊175RMなんて、ユースなら一週間ほど泊まれるぞ。ちなみにこのホテル、素で泊まると一泊420RMもするのだが、JCBの期間限定の特別設定(在マレーシアの人のみに適用)でこの価格で泊まれるのだ。もう一つの理由と合わせて考えると、これは天が僕に泊まれと言っているのだとしか思えなかった。こんな高級ホテルに泊まる経験なんてそうできるものではないし、この機会を逃す手はない。
恐らく、この旅で泊まる一番上等なホテルになるだろう。泊まることにしたもう一つの理由は、また当日に。
二日酔いなんて簡単に抜けるものではないので、後は大人しくチャイナタウンのバトルカフェでネット。今日でひとまずKLを離れると言ったら、馴染みの店員さん、えらく名残を惜しんでくれた。
日没後、列車の時間までまだあるが、あとはユースでゆっくり時間を潰そうかと戻りかけていたら、ケヴィンに会った。昼に「夜の7時から送別パーティーをしよう」と言っていたが、昨日の事があるのでまた冗談だろうと気にしていなかったのだが、今日は本気だったらしい。2人でチャイナタウンに繰り出す。
アレックスがいないので尋ねると、彼は出ないと言ったそうだ。何故チャイナタウンかというと、ここならムスリムたるケヴィンが酒を飲んでもばれにくいからだ。そういやケヴィンが日常の礼拝をしてる姿、見たことないなあ。本人は確かにサボることもあるけどちゃんとしてる、と言い張っているけど。
屋台でチンタオビールを飲む。冷えててうまいが、今日は肝臓がへたばっているので瓶一本でやめておく。その後ケヴィン馴染みのナシ・アヤム・ハリ(マレー風チキンライス。美味)の屋台で夕食。なんかケヴィン、奢りまくってくれる。ありがとう。
話し込んでいくうちに、話題はいつしかアレックスの事に。今いないのは、実はケヴィンが彼を避けたためらしい。アレックスは20歳で(27・8と思ってた)、ケヴィン曰く「he
is difficult.(困った、よーわからん奴)」だそうな。なんでもこの二週間、彼はケヴィンの仕事場(非ツーリスト関係)に当たり前の顔をしてついてくるし、言ってる事がころころ変わるしで、困っていたそうだ。そうだったのか。そう言われてみれば、分からないでもない。なんというかアレックス、一人旅をしてるバックパッカーらしくないんだよな。
ケヴィンは言う。「彼はもっといろいろ、多くのことを学ばないといけない」
人間誰しも死ぬまで学び続けるんだけど、彼がこの後一人でパッカーを続けるなら、旅について取り急ぎ学ぶべき事が多いのは確かだ。僕みたいなダメ日本人と違って英語は問題ないんだから、その気さえあれば適応は僕よりずっと早いだろう。
その後もケヴィンと2人、お互いのこと、お互いの国の事、旅のこと、色々話し込んだ。そして去り際にケヴィンが言った。
「またKLに来たら俺に連絡してくれ。9月以降ならアパートを借りてるはずだから、タダで泊めてやる」と。
いや、確かにクアラルンプールにはすぐ戻ってくるつもりだけど、せいぜい8月前後なので、そんな遅くはならないと思うよ……。それまでは変わらずユースにいるらしいので、会えるのは間違いないだろう。ちなみにケヴィン、38歳だそうだ。ごめん、45歳位だと思ってた。
飲みなおすというケヴィンと別れてユースに戻り、アルフォンソに別れを告げ、アレックスと共にチェックアウトした。ケヴィンの言った通り、長期滞在していたので、昼のチェックアウト時間から思い切りオーバーステイしていたのに、その分は請求されなかった。
アレックスと二人、KLセントラル駅へ。長距離列車用のホームには改札がなかったが、降りる前にチケットチェックがあった。なら改札作ればいいのに。というのは日本人の発想なんだろうな。
列車は当然のようにエアコン車で、バタワースからKLに来た時と同じ型の車両だ。そして僕はまた寝台の上段。アレックスも向かいの上段。
さあ、マレー鉄道の旅もいよいよ最終行程だ。ほとんど夜行で、あまり景色が見れてない気がするが、気のせいだろう、多分。
2230、定刻通り(!)に出発。さあ、次はシンガポールだ。
マレーシア Malaysia → シンガポール共和国
Republic of Singapore
7月19日(金) → シンガポール
○シンガポール入国
寝ている間もマレー鉄道は快調に走行を続け、6時10分、国境のジョホール・バル(JB)に着。どうするのかと思っていたら、車内に係員が乗り込んできて、イミグレーションカードを配ってきた。もしかして、列車を降りずに国境越えできるのかな? しばらくして、イミグレの人が出国チェックをしにやってきた。寝台のベッドの上に座ったまま、パスポートとマレーシアの出国カードを渡し、チェックを受けて手続き完了。いいのか、こんなんで。楽だけど。
6時38分、列車が動き出した。国境の橋を越え、シンガポール(ライオン島という意味らしい)に入った。シンガポール側のウッドランド駅で列車を降り、入国審査。審査は別に厳しくはなかったが、X線の機械を国境で使われたのは、日本以来だ。7時12分、列車に戻る。そして列車はシンガポールの中を突き進み、8時前に終点シンガポール駅に到着。
○まずは宿探し
一見して、噂に違わぬきれいな国だと思った。高層ビルも多い。ムスリム姿の人はマレーシアに比べて少ない。代わりに中華系が目立つ。手近なコンビニに入ってみると、置いてある新聞は、中国語、マレー語、アラビア語、ヒンドゥー語、英語とバリエーションに富んでいた。どれがメインの言語ってわけでもないのかな。
アレックスと共に、まずは今夜の宿探し。クアラルンプールでMMさんに教えてもらった安宿の七層楼をめざし、地下鉄に乗り込む。朝のラッシュ時に当たったようで、人込みが凄い。自分たちの格好より、持っている大荷物に対する視線が痛いよぅ……。それでも車内はこれまでの国とは比べ物にならないくらい静かだ。ここは先進国なんだなあ。
ホテル七層楼は広い公園の中にぽつんと建っていた。こんな立地のホテルは初めてだ。フロントで尋ねてみると、ドミトリーの空きベッドはないと言われてしまった。物価の高いここシンガポールで、他にあてなんてない。一泊だけなのでなんとかならないかと頼み込んでみると、それならということで泊まれる事になった。助かった……。
○マーライオン瞥見
ベッドは夕方まで空かないので、とりあえず大きい荷物を預けて、9時、シンガポールの町歩きを開始。当然アレックスもついて来ている。まずは唯一、シンガポールで知っているマーライオンを目指す。鉄道で二駅ほどだが、その程度なら僕は歩く。シンガポールの道は、太くてきれいだ。歩行者の割合が少なく、そのへんは日本と似ているような。ゴミも少なくて、きれいな町だ。観光案内の適当な地図を頼りにてこてこと歩きづめ、海だか川だかに出てからそれ沿いに歩くことしばし。
マーライオンは確かに噂どおりだったが、これまで散々しょぼいだのがっかりだの見なくてもいいだの聞かされてきたせいか、ショックは全くなかった。ただ、現在整備中で、遠くからネットに囲われた姿を見ることしか出来なかったのが残念だったけど。
○そぞろ歩き開始
シンガポールでの目当ては完了したので、これから気の向くままにそぞろ歩きをしようとしていたら、アレックスがまだついて来ると言ってきた。あてもなく、適当に歩き回るだけなんだけど。アレックスは自分の好きなように歩いた方がいいんじゃないのか?
「僕は好き勝手に歩き回るだけだぞ?」
「問題ない。付いて行くよ」
なんでだ。それってすごくやりにくいんだが……。
それはともかく、シンガポールについてはガイドブックも何も読んでいない。だからどこに何があるのかも全く分からないので、今の頼りはちゃちい一枚の観光案内マップだけだ。まあ、観光名所を巡るより、その地の人々の暮らしを垣間見る方が好きだから、別にいいんだけど。
というわけで、比較的近くにあったチャイナタウンに行く。シンガポールのチャイナタウンは規模も思いのほか大きく、町並みも整然としていてかつカラフルで、独特で面白かった。
チャイナタウンを抜け、国立博物館を目指すべく足を北へ向ける。と、適当に歩いていたら、思いがけず大丸百貨店に出くわした。しかも中には紀伊国屋書店が入っている。これは行かねばなるまい……ってアレックス?
「疲れたからちょっと待ってくれ、ひと休みさせてくれ」
っておい。僕より一回り以上若いくせに体力のない……というか、あんたさっき、問題ないって言ってなかったか? こんな早く問題アリを露見させないでくれよ……。
仕方ないので15分ほどビルの陰で休んでから大丸の紀伊国屋に行く。やはり日本語の書物に囲まれると心が落ち着く。しばし心の栄養補給。ちなみにアレックスは洋書コーナーでくつろいでいた。
再び北へ。今度こそ国立博物館を目指す。今日は早い時間から歩き始めたから、徒歩でも十分時間がある。
アレックスが突然
「なんかこの町、面白くないわ。物価も高いし」
と言い出した。いや、別にどんな感想を持とうが構わないけど、いきなりそんなネガティブな事を言われても。僕はシンガポール、今のところ結構楽しいんだけど。
途中、公道ばかり歩いても面白くないのでカニング砦を抜けていく。うーむ、丘に作られているし広大だしで悪くないんだけど、整備されすぎていて面白味に欠けるなあ。砦の名前に期待しすぎたか。が、アレックスは
「すごくきれいでいい所だ。気に入ったよ」
と言う。感性は本当に人それぞれだなあ。
○飛び出す3Dムービー
そして国立博物館に到着。入場料は3SG$+1SG$(ムービー代金)だ。と、アレックスは
「俺は入らない。外で待ってるよ」
……あんた、何しに来たんだ……。そこまでして僕に同行しなくても……。
ともあれ、入ってすぐに3Dムービーショーに行く。上映時間は約30分。立体眼鏡をかけて見るムービーは、大迫力だった。シンガポールの歴史についてのムービーだ。政府が作っただけあって、英国が善玉に、日本軍と共産主義者が悪玉に描かれている。この旅では、善悪の基準について、いろいろ考える事が多い。
他の展示もいろいろ面白い。ジオラマで太古のシンガポールからの変遷をたどれたり、宝石細工や昔の金持ちの生活を再現してあったり、シンガポールの結婚に関する習俗の展示、中国人秘密結社の歴史、シンガポール海軍の特集、等々。様々な展示があって楽しめた。日本に居る時は博物館なんてほとんど行かなかったが、旅に出てからはよく見に行くようになった。こんなに面白いものだったなんて。
一時間強、たっぷり楽しんで外に出ると、本当にアレックスが待っていた。同じ待つなら他の事をしていればよかったのに。そして開口一番、
「俺はこの町、好きじゃない。一日で十分だ。そう思わないか?」
だから、どんな感想を持とうがそれは勝手だが、旅を楽しんでいる者に対してそんなネガティブな内容の同意を求めるんじゃない! なんか、昨日ケヴィンが言っていたことが少し理解できた気がする……。
○これも日本食の範疇なんだろうか
セイユー下にある吉野家で牛丼の昼食。久しぶりー。アレックスもおいしいと言って喜んで食べている。が、しまった。野菜つきを頼んだら、トッピングの半分が温野菜になってしまった。別皿で付け合せがつくんじゃなかったのか……。
○一人で気ままにそぞろ歩き
2時半、そろそろチェックインできる頃かと宿に戻る。予想通りベッドは空いていた。そしてアレックスとは部屋は別々だった。……ごめん、ちょっとほっとしてしまったよ……。僕の部屋は200のA。きれいな部屋だ。一泊17SG$と、シンガポールにしては安いし。ドミトリーだから一部屋じゃなくて一ベッドの料金だけど。
ベッドに荷物を解いたが、まだまだ日は高いので、再度外へ。アレックスに一声かけようと思ったが見当たらないので今度は一人で。どのみち声をかけてから一人で出るつもりだったんだけど。改めて吉野家に行き、メニューをじっくりと見る。確かにウィズベジタブルは、おかずの半分が野菜になると書いてあるなあ。他にも牛だけじゃなく、サーモンやチキン、盛り合わせと色々なメニューがある。日本よりバリエーションは豊富だな、これ。
せっかくなのでシンガポールのJCBプラザに行くべく、地下鉄に乗り込む。ここでも日本と同じように、床にスカートのまま座り込んでだべっている女子高生集団がいた。おーい、パンツ見えてるよー。
オーキッド駅で降り、何の用事もないがJCBプラザに顔を出す。ここのスタッフは日本人だった。ベトナム以来だ。暇潰しに来た僕の相手をしてくれた研修生の若い女の子にそのことを話すと、日本人が受付に居ないJCBプラザがあることを知らなかった。そんなものなのかな。
帰り際に態度のでかい親父が来た。
「前にも東京本社に文句言ったのに、まだ日経入れてないのか。朝日なんか100回読んだって、何の役にも立たんのに」
ぐちぐちと先ほどの研修生の女の子に文句を垂れ流している。どこにでもいるんだな、こーいう御託を偉そうに並べ立てて悦に入るオヤジって。そんなに日経が読みたきゃ自分で取ればいいじゃないか。
ついでに繁華街を歩くが、歩いている人の人種が違うだけで、日本の都市部を歩いているのと大差ない印象だ。それにしてもシンガポールって、女性の服の露出が妙に高い気がする。ミニスカートに肩出し服なんて当たり前だ。イスラム国のマレーシアから来たから、余計そう思うのかもしれないけど、なんかドギマギしてしまう。
○シンガポール鉄道乗り潰し(最新鋭の技術・LRT)
四時半になったが、まだまだ日は高い。そこで思い切ってシンガポールの列車乗り潰しをすることにした。どのみち明日にはマレーシアに戻るし、今がチャンスだ。まずはMRT。シンガポールの中心部からまず北へ、そして西に向きを変え、国境のウッドランド駅を経由してぐるりと戻ってくる路線に乗る。30分ほど走ると車窓風景が都会から近郊(ニュータウン街)に変化した。が、それ以上は田舎にならない。中心部から一番離れていると思えるところに来てもそれは変わらない。さすがは淡路島サイズの国土で東南アジア一の発展を見せている国だけはある。また、車内が実にきれいだ。車内・駅構内の至るところに罰則についてのシールが貼られている通り、タバコ、ガム、車内での飲食には信じられない額の罰金が科せられるからだろう。噂には聞いていたが、実際にこの目で現場を見ると、感慨深いものがある。この大袈裟すぎる罰則のおかけでこんなにきれいなのかと思うと、いささか複雑だけど。
反時計回りに回る列車は国境のウッドランド駅を過ぎ、しばらくして駅番号NS4、「Choa
Chu Kang」駅に着いたので降りる。ここから最近開業したばかりのLRT(無人軌道)が出ているのだ。住宅街を一周して戻ってくるだけの路線らしいが、そんな面白そうな列車に乗らない手はない。見てみると、一両のみのずんぐりしたかわいい車両だ。
電源を中央を走るレールから取り、タイヤで走る形式だ。これって走り心地がなめらかなんだよな。LRTは無人軌道のため、前面が一面のガラス張りで、非常に眺めがいい。そして、この鉄道で一番面白かったのが側面のガラスだった。ふと気がつくと、確かにさっきまで透明だったはずのガラスが白く濁り、壁のようになっている。なんだと思って見ていると、やがて透明に戻った。注意深く観察してみると、何度も透明と白い壁の状態を繰り返している。このLRTは高架軌道を走っているのだが、住宅地を貫いて走っているため、時折マンションのすぐ近くを掠めることになる。その時にマンション住民のプライバシーを保護するため、マンションに近づく度に白く不透明に変色するのだ。これは面白い。そういや昔、電気信号を通したら透明な板が不透明になる素材が開発されたと言うニュースを見たことがあるが、こうやって実用化されていたのか。いいものを見せてもらった。
LRTを終え、NS4駅に戻ってきた時には18時30分だった。
○夜のシンガポール
中心部に戻り、宿に戻る前に夕食。吉野家の隣にあったモスバーガーに入る。今日は日本の外食産業ばかり利用してるな。まあ海外では滅多に食べられるものじゃないし。というか、高っ! モスバーガー1個3.15SG$とは。でも味は、まさに日本のモスバーガー。おいしい。日本の繊細な味のままだ。
宿に戻ってシャワーを浴びる。昨夜は浴びてないから気持ちいい。そういやこの宿、バスタオルと歯ブラシ、石鹸がついてるじゃないか。なんと豪勢な。それはともかく、同室の人が帰ってこないので手持ち無沙汰だ。暇を持て余し、外に出る。さすが赤道近くの小島、夜でもじっとりと暑い。
宿の横(と言っても間に公園があるのでそこそこ離れてはいるが)にあるパルコと西友の間にある噴水が面白い。さすがは南国というか。水受けがなく、完全に通路とフラット。小さい子供達が大喜びで吹き上がっている水の中に突進していっている。
○海外一人旅に戻ろう
22時30分に宿に戻り、同室の者と少しだべってから横になる。と、日付が変わる前にアレックスがやって来た。明日シンガポールを出る時間を聞いてきたので、夕方4時過ぎだろうと言うと、
「そんなに待てない」
と言ってきた。だぁかぁらぁ、待つ必要なんてどこにもないんだってば。どの道、遅くても明日の夜には別れるんだし。
「俺は先にこの国を出るよ。そうだな、明日の朝にでも」
それがいい。無理に一緒にいてもお互いつまらないだけだし。アレックスもようやく一人旅をする覚悟ができたか。いい事だ。聞くと、彼はチェックインの後、さっきまで寝ていたそうだ。そして、西友が閉まる前にもう一度吉野家に一人で行き、チキン丼を食べてきたそうだ。そんなに気に入ってたのか。
アレックスとも今夜限りなので、テラスに出て見事な夜景を肴に缶ビールを酌み交わす。明日、朝食を一緒に食べてから別れる事にした。それでこそパックパッカーだ。
シンガポール共和国 Republic of Singapore → マレーシア
Malaysia
7月20日(土) シンガポール → ウッドランド → コーズウェイ → ジョホール・バル
朝10時、バスステーションまでアレックスを見送りに行った。
そして昨日乗り切れなかった鉄道を乗り潰し、数時間街中を歩き回る。ここまでシンガポールを見てきて思うのは、緑、高層ビル、集合住宅、公共建築物ばかりが目立ち、いわゆる「民家」が見当たらない事だ。ないことはないんだろうけど、少ないんだろうな。
そして2時。自分の心の中で満足と言うか、納得がいったのでシンガポールを発つことにした。
ジョホール・バルはJCBの研修の女の子が「4、50年前の日本ですよ」と言っていたが、ベトナム・カンボジア・ラオスを見てきた僕の目には果たしてどう映るのか。楽しみだ。
ホテルに戻ってリュックを受け取って担ぎ、ジョホール・バル行きの便に乗りに、バスステーションに向かう。鉄道はもう全て乗ったので、たまにはバスもいいだろう。バスは普通とエクスプレスがあり、値段が違う。エクスプレスは2ドル40セント、普通は1ドル50セント。そして今の所持金は2ドル20セント。選択の余地はなかった。170番の普通ジョホール・バル行きバスが来たので乗り込み、乗車時に機械に2ドル札を投入する。お釣りは返ってこない。お札払いは釣りの出ないシステムだと事前に分かっていたのでショックはない。どうせシンガポールはこれで終わりだし、運ちゃんへのチップということでいいや。
と、後から乗ってきた見知らぬじいさんが、「前もって両替しておかないから50セントも損したじゃないか。馬鹿だな」と言ってきた。ううむ、別にいいかと思っていたけど、かなり間抜けな行為に見えてたのか……。
16時、シンガポール側のボーダー、ウッドランドチェックポイント着。バスの乗客達は皆、到着と同時に物凄い勢いでイミグレに向かってダッシュしていった。な、なんだ!? そこまで急がないといけないものなのか? と呆気に取られながらものんびりと歩いて行く自分。どうせ出遅れたんだから一緒だし。
シンガポールの出国チェックを済ませ、マレー半島との間を繋ぐ国境のコーズウェイ(基礎から土で固められてるから、橋とは言えないなあ)へと降りていく。始めはバスに乗って抜けようかとも考えていたのだが、バス待ちの列がとんでもないことになっていたので、その気が失せた。なるほど、だからみんな猛ダッシュしてたのか。
コーズウェイの歩道をのんびりと歩いて行く。他にも歩いて国境越えをする人はそこそこいる。脇の車道は大渋滞になっており、徒歩を選択してよかった。マレーシアに近づくと、そのコーズウェイ脇で釣りをしている人が何人かいた。釣りのために出国してるのか、この人たちは。
ジョホール・バルのイミグレに到着するが、歩行者用の入国イミグレの場所が分からず、しばらくまごつく。この車の大渋滞の列を横切る必要があるなんて、普通は思わないぞ。で、ようやく着いたイミグレがまた、とんでもない大混雑。なんだこれは。一体何時間かかるやらと思っていると、僕のパスポートを見た周囲の人が口々に「ここじゃないよ」と言ってきた。ここはマレーシア・シンガポールの人用で、外人用の窓口は別だった。こっちはまた不思議なくらいガラガラ。待たずに済んだのはありがたいけど。手続きも厳しくなかったし。ここの係官のおっちゃん、
「マレーシアの滞在予定は20日? なら一ヶ月のパーミットで十分やね」
といきなり一ヶ月のスタンプを押した。おいおい、日本人は3ヶ月もらえるはずじゃ。確かに一ヶ月以上いるつもりもないんだけど、なんか損した気分。
それはともかく、マレーシア再入国、ジョホール・バル(JB)上陸達成。いよいよ生涯最高級のホテルに宿泊する日がやって来た。
ホテルの名はGRAND BLUE WAVE(グランドブルーウェーブ)。そう、オリックス系列のホテルだ。大幅なディスカウントもあることだし、ブルーウェーブファンの僕にとって、これはもう泊まるしかない。
町外れの丘の上に建つこのホテル、でかい。外壁はちと汚れているが、この町の他の建物に比べれば、きれいなものだ。
チェックインして驚いた。日本語の挨拶状が入っていた事もそうだが、それより何より、その部屋の大きさ、グレードに。なんだこれは。
バックパッカーの自分が泊まるのは、あまりにも場違いすぎる。滅茶苦茶広い。ベッドルーム、事務部屋、キッチンルーム、そして大きくて清潔なバスルーム。これ、日本なら一泊数万円するんじゃ。
テレビもNHKが見れるし。うお、中日−巨人戦をやってる。夕食に奮発して入ってみたホテル内の日本料理屋では、突き出しに焼きナスは出るわ、おしぼりは出るわ。そしてこの店の客層は、日本人の中年ビジネスマンのみ。……なんかこれまでとのギャップに、クラクラしてきたよ……。
朝から体がなんかしんどくて、もう寝てしまいたかったが、メールだけでもしておこうと受付でネットができる所はないかと尋ねる。部屋にも線は来ているが、パソコンを持ってない身ではなんの意味もないので。このホテルにはネットカフェはないが、シティの繁華街に行けば一杯あるらしい。
……って、全然見つからないんですが……。一件だけ見つけたけど、OSがXPのくせに言語切り替えができず、日本語が打てないものだったし。明日、もう一度探してみよう。今日は疲れたので帰って休もう……。
旅に出て初めて、マッサージをしてもらった。やはり疲労が蓄積されてたんだな……。