ほろほろ旅日記2002 7/1-10
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タイ王国 Kingdom of Thailand
7月1日(月)バンコク
8時半に寝不足の目をこすりながら起き出し、郵便局へ。パッキングサービスは38バーツとそこそこしたが、あっという間に箱に詰められていく様は面白い。送り状は例によって「JAPAN」以外は全て日本語。2キロを越えてたので航空便の送料は971バーツ。うひゃあ。
次いでホァランポーン駅でバタワース行きの寝台切符を購入。いつもの二等上段、940バーツ。いよいよ有名なマレー鉄道だ。
しかし、13時半に行って(バタワース行きは14時20分発)「今日の分ですか?」と尋ねられるとは。時期的なものかもしれないけど、空きすぎじゃないのか。
日本人街の古本屋で手持ちを売り、宿に帰ってから充電池の充電開始。
ロビーで充電しながらガイドブックを読んでいると、日本人旅行者二人が話し掛けてきた。一人は昨日、W杯決勝を一緒に見た人。カンボジアビザの取得中。もう一人はタイに3ヶ月いて、今はタイの英語学校に通っているという人。6週間コースらしい。2ヶ月ビザを持っているとのことなので、見せてもらった。タイのビザなんて、普段見る機会ないもんなあ。授業は一回二時間、週5回でトータル3600バーツだとか。
この宿(P.S.ゲストハウス)に妙に日本人が多いのは、何かのガイドブックに紹介された事があるかららしい。なるほど。地球の歩き方と旅行人には載ってないと思ったけど。
タイ王国 Kingdom of Thailand
7月2日(火)バンコク →
バンコク発バタワース行きのマレー鉄道は、14時20分にホァランポーン駅を出ることになっている。
発車の一時間前に駅に到着し、入線していた列車に乗り込む。この列車、エアコン車だったのか。ファン車でよかったのに。席を取る時エアコンかファンかを聞かれなかったし、エアコン車しかないのかな。車両はDAEWOO製。このメーカー、韓国だったのか。てっきり香港か中国あたりかと思っていた。
乗客はイスラム教国のマレーシアに向かうので、当然だがムスリムが多い。
座席は発車前にはほぼ埋まった。自分のいる4人掛けシートには、向かいの4つと合わせて7人の韓国人家族連れがやって来た。男の子供3人、両親、祖父母の構成だ。子供達が元気にはしゃぎまわっている。
彼らも終点のバタワースまで行き、そこからペナンに渡って2泊し、またマレー鉄道でバンコクに戻るらしい。これならガイドブックで警告していた麻薬の運び屋に巻き込まれることもないだろう。安心だ。韓国人と言っても、今はパキスタンのカラチに住んでいるらしい。ビジネスマンか何かなのかな?
韓国人のお父さんは発車して早々、眠り始めた。子供達がしきりに話し掛けてきた。唯一の共通言語・英語で。……ごめん、発音が滑らかで早くて、よく聞き取れないよ。5・6歳くらいなのに、育ちの関係で韓・英・パキの三ヶ国語がペラペラなんだとか。参りました。
そんな感じで、子供達とずっと遊んでいた。あやとり、折り紙、雑談。考えたら、あまり景色を見ていない。ちらっと見た感じでは、田園風景の中のヤシの木が増えた気がする程度だ。
この車両はエアコン車なので、窓は開かない。駅の売り子さん達はどうするのかと思っていたら、停車した列車内に乗り込んできた。列車が動き出してから、急いで降りていく。なるほど。かっぱえびせんが「Hanami」の名前で売られていた。
せっかくカラチ在住の人と知り合ったので、お父さんが起きた時に今のパキスタン情勢を聞いてみた。パキスタンも行きたい国だし。今は地元の人はともかく、外国人の旅行者には安全じゃないらしい。ふぅむ、どうしたものか。
荷物スペースはあまり広くないが、転落防止ベルトもタオルケットもあるし、いい列車だ。
例によって夜7時過ぎに乗務員が座席を寝台に変えていった。今日はなんか疲れているし、早めに寝ようかと思っていたら、また子供が話し掛けてきて、気がついたら熱心にペンティアム談義をしていた。マレー鉄道でカラチ在住の10歳位の韓国人の子供と、英語でペンティアム談義をする……不思議なシチュエーションだなあ。
さて、明日はいよいよマレーシアだ。久しぶりに全く新しい国に入る。どんな国だろう。楽しい所だといいな……。
タイ王国 Kingdom of Thailand → マレーシア
Malaysia
7月3日(水) → パダンブサール → バタワース → ジョージタウン(ペナン島)
→ バタワース →
○マレーシア入国
昨夜は8時半に寝たのだが、朝2時には目がさめてしまった。上段なので窓がなく、駅に止まっても何も面白くない。まあこんな時間に起きているのが悪いので、特にする事もなくうつらうつらと時間を過ごす。
7時前、スタッフがマレーシアの出入国カードを配りに来た。列車での国境越えは初めてだが、こうやって事前に準備を進めておくんだ。
7:40に国境の駅、パダン・ブサール着。特にアナウンスがあるわけでもないが、みんなぞろぞろと荷物を持って降りていく。前はマレーシア、後ろはタイ。国境なんだなあ。いよいよだ。新しい国に入る時は、いつも緊張感と昂揚感が入り混じった、何ともいえない気分になる。
気がつくと、客車がたった4両になっていた。昨日バンコクを出た時点では、17、8両あったのに。
イミグレの出入国手続きには駅舎をぐるりと一巡りするようになっており、みんな焦った風もなく、淡々と進んでいく。拍子抜けするほどあっさり通過。荷物のチェックもなかった。麻薬の持ち込みは死刑とか、未知のイスラム教国に入るとかあって身構えていたけど、物々しい事もなく、平穏無事に手続きは完了した。
8:20、列車に再度乗り込む。乗客全員の手続きが終わるまで、まだ結構時間がありそうだったので、カメラとナップサックを手に、再度ホームに出る。新しく入った国で現地通貨がないのは心許ないので、駅にある両替所でバーツをリンギットに両替。ヤミ両替じゃないからそんな無茶なレートではないだろう。2,700バーツ(約8,900円)が手数料を引かれて244.35リンギットになった。
車両に戻りながら入国検査所を見ると、白人バックパッカーが荷物検査を受けていた。カバンを全開し、事細かにチェックを受けている。僕が検査を受けた係官だよな。この差は何なんだろう。全員の荷物検査をじっくりしたら時間がかかって仕方ないので、長年の勘か何かで検査すべき人を見抜いてるんだろうか。……あ、ポルノ雑誌が没収された。マレーシアはイスラムの国だから、そっち関係は厳しいのに。……ていうか、バックパックの旅をするのにポルノ雑誌なんか持ち歩くなよ。嵩張って仕方ないだろう。
白人パッカーはやたらと巨大な荷物を持っている人が多いが、ひょっとして必要じゃない物も一杯持ち歩いてたりするんだろうか。
いつまでもホームをうろついていてもなんなので、列車に戻って発車を待つ。韓国人の家族連れも戻ってきていた。昨日発車してから何回も、お菓子のお裾分けをもらった。ありがとうございます。小さい子供を3人も連れて旅行すると、大量のお菓子は必須なんだろう。
子供達と遊んでいると、ドラゴンボールの話題になった。世界的に人気ってのは本当なんだな。彼らの見ている番組では、「かめはめ波」は「Energy Blast」らしい。……分かりやすいけど、味気ないなあ……。
9:00発車。おや? イミグレにまだ旅行者らしき白人が何人かいた気がするんですが。入国拒否でも食らったのかな。
○バタワースへ
タイからマレーシアへ。南下しただけだが、この2国間には時差があるので時計を一時間進める。
訂正します。列車は10:00発車。時計をいじる僕を見て、韓国人のお父さんが「何をしてるんだ?」と尋ねてきた。説明しようとして、時差を英語でなんと言うのか浮かんでこず、
「タイとマレーシアには時差が……時差ってなんて言うんだ、タイムディファレント?」
とか呟いていると、分かったようで、お父さんは家族に説明を始めた。なんで分かったんだろうと話を聞いていると、「時差」は韓国語でも「ジサ」と言うようだ。なるほど、タイ・マレーシア・時差のキーワードで理解できたんだ。中国製か和製漢語か知らないけど、通じる言葉も多いのかな。
車内販売が来たのでチキンバーガー(4RM)で朝食。通貨の価値が大きいと、高い印象を受けるなあ。いや実際、タイより物価は高いらしいけど。
マレーシアの車窓風景はヤシの木が増え、森の密度が上がったくらいで、この辺りはタイとそう違わない印象だ。が、生活する人の習俗は明らかに違う。イスラム教徒だろう、頭にベールを被った女性を多く見かけるようになり、町の中にモスクの尖塔が見える。あと、一般の家々も、何か少し違う。タイより、なんか日本の家屋に近いものを感じるような……。
今日は韓国人のお父さんとよく話す。お父さん、「You are professional traveler」っていくらなんでも誉めすぎ。絶対違うから。初海外だし、英語は全然だし、そうシビアな所にもまだ行ったことないのに。背中がむずがゆいよ(^^;
ここでお父さんの名前と職業が判明。キムさんといって、パキスタンのカラチにある韓国大使館勤務。……って、外交官ですか!? 参りました。それにしてもパキスタンかあ。いいなあ、行きたいなあ。
そうこうしてるうちに列車は進み、12:50、バタワース着。
○ペナン島・ジョージタウンへ
列車を降りると、日差しがきつい。大きく南下してきたことを実感する。「クアラルンプール!」と声をかけて来るバスの客引きがいるが、さしてしつこくない。韓国人の家族とも別れ、さあいよいよだ。
当初、有名観光地のペナンで1、2泊しようかとも考えていたが、ビーチリゾートとかには全く興味がないし、カバン購入等で時間を食っていることもあり、日帰りで済ませることにした。中心地、ジョージタウンの見所は歩ける範囲に大体固まっているらしいし。
駅のチケット売場で今夜のクアラルンプール行きの寝台夜行のチケットを購入。寝台車が40RM。安いなあ。ジョージタウンを数時間見てくるだけなので、この大きいリュックは邪魔だ。駅横に荷物預かり所があるので預けておく。2RM。
切符売場の姉ちゃんも、荷物預かり所の兄ちゃんも、みんなおだやかで愛想がいい。暇な時間帯で余裕があるからかもしれないけど、マレーシアの第一印象はかなりいい。女の人のベールには慣れが必要だけど。
ペナン島へはフェリーで行くのが一般的だ。乗り場までは駅から連絡通路が通じている。フェリー賃は60セン。乗り場もフェリーも大きくて立派で、堂々としている。出航。
島との距離が近いので、内海的なのか、海面は穏やかだ。南方はるかに長々とペナン大橋がかかっているのが見える。いい景色だが、地元の人にとっては単なる生活の足なので、船内にはのんびりした空気が流れている。
小さな女の子がこっちをちらちらと見てくるので笑い返すと、はにかんで親の影に顔を隠す。そしてすぐに顔を出し、覗き返してくる。中華系かな。愛想がよくてかわいい。こういうのは世界共通なんだろうか。
さしたる時間もかからず、ジョージタウン着。
○ジョージタウン俯瞰
暑い。
暑い暑い。
暑い暑い暑い。
勘弁してくれ。温度自体はタイとさほど変わらないと思うのに、湿度のせいか、たまらなく暑い。海辺の町だからかな。それはともかく、なんだろう。なんかすごく馴染みやすそうな雰囲気を感じる。イスラムの国ということで身構えていた反動だろうか。
町を歩いてみて、驚いた。「最も近代化の進んだイスラム国家」と言われているだけはあるというか。イスラムのベールを被った女の人がいれば、ヒンドゥーのピンディーをした人もいる。パンツが見えている超ミニスカートの女の人もいる。多宗教なのはわかるが、なんか矛盾してないか?
街と海を一望したくて、展望台に昇る。ちょっと入り口が分かりにくかったが、料金は5RM。
改めて驚いた。海の色が違う。青くないんだ。エメラルドグリーンと言うのが一番近いか。南国を感じる色だ。本当にこんな色をしているとは知らなかった。南方の海上には、総延長13キロもあるペナン大橋が海原を貫いて走っている。あの橋を車で走ったら、さぞかし気持ちいいだろうなあ。
ペナン随一の町、ジョージタウンの旧市街は赤茶けた屋根を並べていて、見応えがある。そんな中にニョキニョキと高層ビルが建ち並んでいる様は、歴史があり、今も活気をもって発展しているという印象だ。
ふと見かけた本屋で、中国語版の指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)が平積みされていた。タイトルは「魔戒」。分かるような分からんような。
○逍遥・ジョージタウン
マレーシアもタイと同じく、車は左側通行だ。だが、ここでは「赤信号でも左折はオッケー」というルールはないようで、少し安心。チャイナタウンらしき下町をぶらつく。ネットカフェがあったので覗いてみると、一時間2RM。安いなあ。
ガイドブックにあった廟・教会・モスクなどを眺めながら、ぶらぶらと古い町並みを歩き続け、北の海に面したコーンウォール砦に着く。うーむ、砦という名前からイメージしていたのに比べると、そんな凄いものでもないな。城壁と大砲はあるけど。金を払って中に入るのはやめ。
砦の周囲が大きな公園になっており、そこでひと休み。夕方だからか、ぐるりをジョギングしている人の姿も多い。東南アジアでは初めて見る光景だ。それで分かった。タイより日本に近い感じがするのは、少なくともここまで見たマレーシアからは「貧困」が漂ってこないからだ。ないわけないんだろうけど、平均水準は高いって事なのかな。
そろそろ日が傾いてきたので、フェリー乗り場を目指して歩きだす。と、何かが目に止まった。近づいてみる。あ、あれは……
自動販売機だ!
凄い凄い、日本を出てから初めて見た気がするよ! よし、記念に一本購入。
数時間ジョージタウンの街中を歩き回り、いろいろ見て思ったんだが、この町の歴史的な見所って、寺院・教会・モスクとかじゃなくて、町並みそのものじゃなかろうか。古いショップハウスの連なりや、英連邦時代のコロニアル風な新しいビル。観光名所を見ている時より、町の中を歩いている時にこそ歴史と風情を感じた気がする。
○再び、バタワースへ
19:30、夕方。マレーシア西部(半島部)はバンコクと経度的には大差ないのに、一時間進んでいるおかげで夕方がこの時間になる。列車の時間まではまだまだあるが、日が沈んだらすることがなくなるので、バタワースに向かうフェリーに乗る。島から半島へは無料だ。
潮風になぶられつつ、夕闇に沈んでいくペナン島を見やる。ちょうど夕日が島の山蔭に沈んでいく。狙ったわけではないが、一番風情のある時間帯に当たったようだ。柄にもなく旅情に浸りながら、去りゆくペナン島を眺め続けた。
(画質は悪いけど、フェリーから見た動画を用意しました。よければどうぞ。12秒のasfファイルです。右クリックで保存してからの方がいいかも)
人といい風景といい、なんかマレーシア、幸先いいなあ。
○二夜連続の寝台で首都・クアラルンプールへ
バタワース駅が夜の闇に包まれた。広い待合室はきれいに掃除され、煌々と明かりが灯され、冷房も効いている。が、百人単位で楽々入れそうな待合室には十数人しかいなため、がらんとした印象は拭えず、物寂しい感じがする。列車の本数もそう多くなく、人の出入りもそんなにない。ここまでのアジアは都市部では常に喧騒に包まれていたので、違和感というか、なんか不思議な感じがする。
待つこと一時間少々。21:15、ハジャイ発クアラルンプール行きの寝台列車が入線してきた。主要駅だとはいえ、40分も停車するのか。乗客乗降以外にもいろいろあるんだろう。
自分の車両は冷房車・S1車両の6番(下段)。困ったことに、今日の車両は荷物を置くスペースがない。少し不安だが、通路に出しておくしかない。元々それ用か、通路スペースは広く取ってある。
車内は空いている。先客は車両全体で10人ほどか。みんなまだ寝ておらず、起きてベッドに腰掛け、話していた。やっぱりマレーシアの人は愛想がいい。会釈だって返ってくる。向かいのベッドにいる白人のおじいさんは、朝、僕の後にチケットを買っていた人だな。
昔、宮脇俊三さんの紀行文でマレー鉄道のことを読んだのを思い出し、座席車両を覗いてみると、確かにバックパッカーらしき人が結構乗っていた。僕は寝台列車が好きなので、手が出る値段で席があれば、寝台に乗るようにしている。スタイルの違いだな。
マレーシア Malaysia
7月4日(木) → クアラルンプール
冷房の効きすぎた寝台車で一時間遅れでクアラルンプール(以後、場合に応じてKLと略します)セントラル駅着。
降りてみて驚いた。モダンなデザインの地下ホームだ。先進国の都市部の駅と変わらない。ホームから出ても、自動券売機がずらっと並んでいる様といい、駅コンコースの作りといい、先進国レベルは十分にある。正直、マレーシアがここまでの国だとは思ってなかった……。
到着した駅はクアラルンプールセントラル。安いゲストハウスがあるとガイドブックに載っているのはクアラルンプール駅。KTMコミューター(近郊電車)で一駅だけ戻る。こっちは古いが風格と貫禄を感じる、堂々とした駅だ。
それはともかく、まず今日の宿を確保しないと。新しい街で宿も決めずにうろつくのは、背中のリュックが重いし精神的にも落ち着かない。目についた出口から外に出たが、なんか妙にこじんまりしているような。現在地が分からず、しばらくそのあたりをうろうろし、歩道を歩き続けて10分ほどのところにある大きな建物(中央郵便局だった)まで行って、やっと分かった。こっちは裏口的な扱いの、北出口なんだ。KL駅に戻ってこれたのは11時。
目当てのトラベラーズステーション(『歩き方』に載っている安宿)を探すのに、また一苦労。普通、こんなスチールの螺旋階段を上った上にあるなんて思わないって……看板もガイドブックも、もっとちゃんと書いててくれなきゃ……って、あれ? なんか鍵がかかっていて、人気がないんですが……。下に降りると、そこにいたおっちゃんが一言。「ああ、そこは閉鎖したよ」……最新版のガイドブックの情報ですらこれか。なんてこったい。
貴重な午前中を返せと叫びたくなったが、まあ仕方がない。さすがにへばりかけていたので、そばにあったケンタッキーでひと休みして考えることにした。
それにしても、マレーシアの人もよく笑う。ムスリム姿の女性には、正直構えていた面があったのだが、ケンタッキーのムスリム姿のお姉ちゃんがコロコロと明るく笑うのを見て、心の垣根がひとつなくなった気がした。なんだ、やっぱり特には違わないんだ。笑顔って偉大だな……。全く個人的な印象だけど、ここまでの東南アジアで一番笑わないのって、タイだなあ。
検討した結果、ここから歩いていける宿の中で、ユースホステルに行くことにした。チャイナタウンの安宿は南京虫が出るとかあるし、それ以上にうるさいらしいのでパス。
ユースの場所がまた分かりにくかった。繁華街を外れているのはいいんだけど、思い切り住宅街の中にある。看板を辿っていても「普通、こんな所にないだろう」って気分だったし。こりゃ、発見できずに諦める人もいろだろうな。ともあれチェックイン。日本を出る前に加入していたYH会員証が初めて役に立ち、ドミで一泊20RMをとりあえず2泊分。ユースのイメージ通りの宿だ。古い作りで、特別清潔ってわけでもないが、十分だ。四人部屋で、今のところ、宿泊者は僕を入れて3人。1人はドイツ人の若い兄ちゃん、アレックス(Alex)。
外に出た。幹線道路は立派なつくりで、車がびゅんびゅん流れていく。他の東南アジアに比べ、車の数は多いが、マナーは決して悪くないようだ。
ユースから一番近い繁華街、チャイナタウンにネットカフェはいくつもあった。戦場もののネットゲームに興じる若者に混じってメールするのには慣れたが、ここもIMEが南天星だ。これ、日本語が入力できるのはいいけど、使いにくいんだよなあ……。一時間4RMってのはいいんだけど。
チャイナタウンをぶらぶらするが、あかん。自分で思っていたよりずっとへばっていたようで、なんか暑いだけじゃない汗が吹き出し、歩くのが辛くなってきたので早々に宿に戻る。3日ぶりのシャワーを浴び、後はだらりとして過ごした。
マレーシア Malaysia
7月5日(金) クアラルンプール
9時には目が覚めていたのだが、同室の2人が熟睡しているので上段ベッドにいる身としては起きにくい。そのままなんとなくだらだらして、結局起きたのは昼過ぎだった。同室の三人でユース横に広げられていた屋台で食事。5RM。お茶は、お茶だった。嬉しいなあ。
昨晩、またしても大声で寝言を言っていたらしい。阪神大震災のボランティアの時にもよく言われたが、その声で自分の目が覚めた事はないんだよなあ。また、僕が煙草を吸わないのを不思議がられた。マレー人のルームメイト(なんかツアーオフィスの人だとか)いわく、「日本人はみんな煙草を吸うものだと思っていた」だと。あー、確かにツーリストは大体吸ってるなあ。
部屋に戻り、アレックスとマレー人の兄ちゃんが今日のプランを相談し始めたので、退散。ぶらぶらと町へ。今日は金曜日、1時半から2時半まで、イスラム教徒の祈りの時間らしい。
マレーシアに来て、これまでの東南アジアとはいろいろ違うなと感じる事が多い。汗の滴る暑さもそうだし、バイタクやトゥクトゥクの類が全くいないこともそうだ。その関係か、客引き系の声をかけられることが極端に少ない。そして、そこかしこで冷房がガンガンきいている。道路の混雑ぶりも日本人の僕には納得できるレベルだ。車も、いすずや三菱などの日本車も見かけることは見かけるが、マレーシア製の車が多い。ヘッドマークに使われている、国旗の月星マークが格好いい。
まずはチャイナタウンのネットカフェへ。日本の知人Mからメールが来てないか確認。この国のオリエンテーリング協会にコンタクトを頼んでいるのだが、どんな塩梅だろう。が、昨日行った2軒はいずれも学生で満員。仕方ないので探し歩き、バトルカフェという、パン屋の2階にある小奇麗な店を発見。ガラガラだ。ここも南天星なのでアレだが、空いているのでじっくり使える。回線速度もADSLみたいで、そこそこ速いし。Mからのメールはなかった。しばらくネットで遊び呆ける。
夕方四時、このままでは今日が無駄になってしまうと思い、出かけることにした。とはいってももう夕方なので、行ける所は限られている。鉄道好きとして、新交通システムのLRTに乗ってみよう。
まずは最寄りのパサール・スニ駅からプルタLRTに乗り、西へ。運転手の居ない新交通システムは、高架の上を突き進む。駅に着く前には、ちゃんとアナウンスもある。進むにつれ、緑の中から次々にりっぱな高層ビルが姿を現してくる。前衛的デザインのビルやスタジアム、立体交差も鮮やかな自動車道。都会だ。ユニバーシティ駅を過ぎたあたりから、樹々と赤い屋根の民家が目立つようになってきた。なんか金持ち区画っぽい。古い家が多いが、昔からの住宅街なのかな。終点クラン・ジャヤ駅で降り、逆方向の切符を買う。LRTの駅には券売機が設置されているのだが、ほとんどの人は窓口で切符を買っていた。LRTは開通してからまだ日が浅いので、券売機になじみが薄いのかな?
今度はこの路線の反対側の終着駅、ターミナルプトラ駅まで乗る。クラン・ジャヤ駅はKLの南西、ターミナルプトラ駅はKLの北東。最初に乗ったパサール・スニ駅を過ぎると、列車は一気に地下に潜った。中心部を過ぎると再度高架になり、緑の樹々の間を抜けていく。マンションと建売住宅が並び、ニュータウンっぽい。駅間距離も長くなり、終点ひとつ手前の駅を過ぎると、一気に山と畑のみの風景に変わった。ターミナルプトラ駅は山と山の谷あいに、バスや車へのジャンクション(乗り換え)駅として作られたものだった。駅周辺には駐車場、バスストップ、高速道路がある。広い駐車場には車がびっしりと停められ、バス停には人がわんさと並んでいる。
再度中心部に戻り、今度はマスジッド・ジャメ駅で降りる。ここから別路線に乗り換え。スターLRTといって、こっちはプルタLRTより古いようで、運転手もいるし、車両編成も違う。乗ったのが6時半と遅くなってきたので、短い北行きだけ乗る。こっちの終点近くは閑静な住宅街だ。7時すぎ、チャイナタウンに戻る。
8時半までネットや夕食で時間を潰し、ユースに戻る。夜11時近くに帰ってきた同室の2人とだべり、寝る。
マレーシア Malaysia
7月6日(土) クアラルンプール
今日は歩いてKLタワーを目指す。ガイドブックを見る限りではチャイナタウンまでの倍くらいの距離のはず。
途中、ATMがあったので寄る。が、自分の持っているカードとはリンクがないとかで使えなかった。そうこうして歩いているうちに、KLタワー到着。
丘の上に建っていて、堂々とした構えだ。さすがに大きい。下から見上げると、首がしんどくなってくる。プロムナードをタワーに向かっていると、噴水の両脇に様々な旗がなびいている。マレーシアはイスラムの藩国が集まってできた国なんだっけか……。その旗なのかな。見たことのないイスラム的なデザインのばかりだし。
タワーに上がるべく受付で料金を支払……15RM? ガイドブックには8RMと載っているのに。これで手持ちの現金が2RMになってしまった。後で真面目にATMを探さないと。あたりでは、バスで乗り付けてきた小学生の集団がにぎやかに走り回っている。社会見学か何かかな。エレベーターに乗る前、手荷物検査があった。カバンの中までじっくり調べられたのは、旅に出て初めてだ。
展望台からの眺めは素晴らしかった。さすがは世界4位の高さ。ただ、遮光ガラスなのかもやなのか、視界が少し曇っていたのが残念だった。それでもじゅうぶん料金分の値打ちはあったけど。
一時間程見物して降りる。降りぎわにエレベーターのスタッフに、「アリガトー、アジノモト!」と声をかけられた。日本人と分かってもらえたのは嬉しいけど……こっちの人はつくづく味の素が好きだなあ。
町に戻り、使えるATMを探すが、なかなか見つからない。ふと思ってJCBのブックレットを見てみると…ちゃんとATMの場所、説明してあるやん。一番近くの使えるATMに行き、1,000RM引き出す。一気に小金持ちだ。そこらの屋台で昼食。さすがにそろそろこっちのシステムにも慣れてきた。一息ついたところで14時。次の予定は夕方なので、18時までチャイナタウンをぶらついて時間を潰す。
夕方の目当ては、土曜の夜のみ開かれる、ムルデカスクエアの歩行者天国。まだ明るいので、もう少し遠くにあるそごうに足を伸ばしてみる。
その後、歩いてムルデカスクエアを目指す。途中、同じく土曜の夜のみ開かれる、パサール・マラムのナイトマーケットに寄る。あまり広くない路地の両側に出店が並び、多くの人が出歩いていてにぎやかだ。
そしてムルデカスクエアに到着。ラジャ大通りの歩行者天国は、広場と道を挟んで反対側、スルタン・アブドゥル・サマルビルのライトアップが美しかった。出店がないせいか人通りはそんなに多くなく、閑散としている印象を受けるが、じっくり見れていい。なんか雰囲気あるし。家族連れ、カップル、カメラを持ったツーリスト。定番の人達が夜の散歩を楽しんでいる。
ユースに戻り、談話室で酒を飲みながら宿泊者同士で雑談する。すっかり定番になってきたな。来た日から毎夜、同室のケヴィン(Kevin・マレー人のおっちゃん)とアレックス(Alex・ドイツ人の兄ちゃん)に誘われるまま話していたら、段々慣れて来た。宿泊者で日本人は僕だけなので、英語の会話についていくのに必死だ。僕の英語力がかなり貧弱なのはみんな分かっているようで、あまり話を振らないし、振る時はゆっくりめにしゃべってくれてるので一応はなんとかなってるけど。うう、情けない。せっかくの機会だから、英語能力をここで向上させたいものだ。
ちなみに、このユースでは僕は、名字をもじったあだ名で呼ばれている。
マレーシア Malaysia
7月7日(日) クアラルンプール
七夕ですね。全く関係ないですが。
KLのユースに来てから、アレックスとケヴィンにつられて朝が遅くなったような。今日はまず、改めてムルデカスクエアに行く。てこてこ歩き、まずは川の交点に建てられている有名なモスク、マスジット・ジャメへ。きれいなモスクだったけど、閉まっていた。時間的なものか日時的なものか。
仕方ないので横から眺めただけで、すぐ近くのムルデカスクエアへ。日の光の下で見るスルタン・アブドゥル・サヌル・ビル、煉瓦造りの重厚な建物だ。後ろを振り返れば、ムルデカスクエアの広場が広がり、その奥には高さ100m、世界一の国旗掲揚柱がそびえ立っている。このスケールになると、まさに桁が違う。そのサイズに合わせて作ってある国旗も当然、とんでもない大きさで、遠くから見ないとなんだかよくわからないほど。でも日曜の昼なのに、人出が少ないなあ。
ムルデカスクエアの地下に広がるフードコートで朝昼兼用の食事。一皿3RM、お茶が一杯0.9RM。これくらいはするってことだな。
まずはすぐ横にある図書館に行って、KLの昔の写真を見たいと思ったが、改装中のようで閉まっていた。仕方ないのでその後行くつもりだった歴史博物館に行く。入場無料。
入ってすぐのところに、古地図が展示されていた。日本も含まれた地図があったので見ると、18,9世紀のやつで、本州の真ん中にMeako(都)があり、その西隣にYAMAGUCHI(山口)、ximonoseki(下関)とある。時代だなあ。順路に沿って見ていく。
地階は先史時代。当時の遺跡・習俗について展示されている。仰向けに横たえ、頭上と足の上に副葬品として器を置く埋葬方法のなんて初めて見た。あと、なんだかよくわからないけど自然石をやたらと突き立てている遺跡とか。この頃の東南アジアって、スンダランドがもっと大きな大陸だったんだよなあ。さぞかし豊かだったんだろう。
2階は歴史時代。大体植民地時代について。マラッカ(ムラカ)の発展を主に、川べりに数件の家があっただけの時から発展し、侵略を受け、戦いに明け暮れるまで。欧州のいろんな国がやって来ていたのがよく分かった。複層的な歴史を持っているのを実感。
3階は大東亜戦争以降。おなじみの日本兵の姿がいっぱいある。一台自転車が展示してあったが、これが機動部隊として有名な銀輪部隊が使っていた自転車なんだろう。そして独立・反共の戦いへ。当然だけど、ベトナムでは共産主義の勝利を、ここでは共産主義の打倒を描いている。銃、検問、列車爆破……。当時の紙幣も展示してあったけど、一枚がB5ノートほどもあるお札って、使いにくくて仕方ないと思うんだけどなあ。
上へ上へとあがっていき、これで終わりかと思って順路を下っていくと、地下にまだあった。マレーシアが英連邦の一員である事を強調しているコーナーだ。そういやテレビでアジア大会とかのように、英連邦を対象にしてやるスポーツ大会のコマーシャルをやってたっけ。
博物館見学は面白いが、疲れる。フードコートでひと休み。
次はレイクガーデンに行こう。少し距離があるが、十分歩いて行ける距離だ。炎天下によく整備された人気の少ない道をてこてこ歩いて行く。前方に白人の姉ちゃんが1人、同じように歩いているのが見える。レイクガーデンの北の方から行っているので、まずは隣接するスカルプチャーガーデンを抜け、ナショナルモニュメントへ。あ、ツバメだ。この季節って、日本とかの東アジアにいるんじゃないのか。越冬ツバメならぬ、越夏ツバメなんだろうか。
そして広大なレイクガーデンへ。よく整備された、きれいな公園だ。人出も結構多い。
遊歩道を歩いていて気付いたのが、歩道の半分に、ランニング時の人体への影響を考慮してだろう、クッション素材を使っていること。たいしたものだ。日本でもここまで徹底した公園はあまりないだろう。緑の多い都市計画といい、居心地がいいんだよなあ。
ガーデン内にある一コーナー、ディアーガーデン。その名の通り、鹿がいっぱいだ。
次いで土日祝は有料(1RM)のハイビスカス&オーキッドガーデン。ハイビスカスが咲き乱れる様は見事だった。シーズンから少し外れているのか、しおれた花も多かったけど。
ここまで見てまわったところで、へばりかけている自分を自覚した。もう夕方になってきているし、あとバタフライパークだけ行って帰ることにした。……って、ここはどこだ。国立モスクじゃないのか? 全然方向違うじゃないか。参った。
そうやってたどり着いたバタフライパークは……入場料10RMにカメラ持込1RM? 高っ! 狭っ! いや、園内をジャングルの生態系にするなど、維持管理や生育に手間がかかるのは分かるし、蝶好きにはたまらないんだろうけど。さらに言うと、蝶って小さくてぱたぱた動き回るので、写真を撮るのが至難の技だ。途中で断念してしまった。ま、蝶以外にもいろんな虫の標本を見れたし、亀やカメレオンも見れたからいいけど。
18時、チャイナタウンに戻ってきた。まずは食事と思ったが、時間的なものもあって、どことも混んでいる。今日は屋台って気分でもなかったので、ファーストフードに行く。バーガーキング。店員の兄ちゃんがえらく愛想がよかった。そんなに混んでないこともあるだろうけど、出来上がりまで雑談するなんて、ファーストフードのチェーン店では初めてだ。この兄ちゃんには一発で日本人とばれた。カタカナ発音のせいかな。
で、ここのフーパー(Whooper)、でかい。これならハンバーガーも食事と呼べる。味も思ったよりよかったし。また来よう。
最近すっかり定番になった、バトルカフェでネットをしてユースに戻る。
ユースでは、いつものように談話室に宿泊者が集まり、夜の雑談。ケヴィンに「ジャパンミラクル」の秘密を教えてくれと言われ、困ってしまった。経済は詳しくないんだよ。英語も詳しくないし。小泉総理のことをどう思うかも訪ねられたし、マレーシアの人が日本について関心が高いのは本当のようだ。
何か、アレックスは僕と一緒にマラッカに行きたいらしい。まだしばらく、一週間くらい先になる予定なのに、好きな話だ。僕が
「いいけど、いつマラッカに行くか分からないぞ」
と言うと、
「大丈夫。じゃあ俺も分からないから」
て答えるし。
人の考えはそれぞれだけど、そこまでして待たなくても。でもそうなると、そろそろ宿を移ろうかと考えていたけど、できないな。まあいいけど。
しかしアレックス、あんまりはっきり言ってくれるな。「そんな英語(Your English is not so good.)で今までやってこれたのか」って……。自覚はしてるんだからさ。
その後はもうぐちゃぐちゃ。ケヴィンが即席のムエタイ(TOMOY)教室をはじめ、流れで僕が柔道をやってみせたり、日付が変わってからケヴィンがパンやトーストをふるまってきたり……で、床についたのは三時半だった。また昼からしか動けないな……。
マレーシア Malaysia
7月8日(月) クアラルンプール
眠い。辛い。しんどい。嫌な感じの脂汗も出てるし。長旅では、楽しむ以上に体調管理が大切だ。
一日寝てなきゃならないほどじゃないので、激しい観光はしないことにして出かける。朝食は平日のみやっているホテル横の屋台。
まずはLRTに乗ってブキッ・ビンタンに向かう。クアラルンプール随一の繁華街と言われているところだ。繁華街に興味はないが、JCBプラザがある。行くだけでウエットティッシュがもらえるし、いろいろ情報収集もしておきたい。
町外れにある駅に到着し、少々歩いてブキッ・ビンタン着。お腹の具合が悪く、まずは伊勢丹のトイレに直行。バンコクでもそうだったけど、そごうとか伊勢丹とか、なんか馴染みのある名前がいっぱいだ。
JCBプラザは立派なビルの上階にあり、エレベーターに乗るには受付を通らないといけないほど管理がしっかりしていた。中に入ると、久しぶりの快適な日本空間だ。スタッフは現地人だが、おばちゃんの日本語はかなりうまい。全ての会話が普通にできる。僕も英語、このレベルになりたいなあ。日本の新聞が置いてあるし、パンフレット等も大量に置いてあるし、ドリンクの無料サービスもあるし(オレンジジュース、何杯飲んだろう)で、ゆっくりくつろぐ。
その後体調と相談して、今日は大人しく列車の乗り潰しをして過ごす事にし、別のLRTの駅に向かう。まだ乗ってない区間、けっこうあるし。
駅に向かう道すがら、モノレールが試運転をしているのに出くわした。まだまだ発展していくようだ。
マレーシアはイスラムの国なので、イスラム頭巾(正式名称知りません)を被っている女性が多いのだが、これが実に多種多様。一応の建前上、してるだけとしか見えない人もいれば、タリバン政権下のアフガニスタンのように、真っ黒な布で全身を完全防御している人もいる。当然旅行者や出張者、華人などは何もしてないし、バラエティーに富んでいて実に興味深い。
そして鉄道。スターLRTは途中で路線が二つに分かれているが、たまたま乗ったのはかなり長く伸びている方、SRI Petaling行きだった。路線が分岐したあとは線路が高架でなくなり、昔から鉄道があったのだろうと思える車窓風景になった。線路と町並みがしっくり融和している。大都市近郊の住宅街の風景だなと思いつつ一時間ほど乗っていたら、終着駅の二つ前から再度高架に。このあたりから住宅の並びも新しくなった。しばらくKTM(マレー鉄道の近郊路線)と並行して走っていたが、やがて高架の高速道路のさらに上を豪快にまたぐ大高架が現れた。駅間距離も相当開き、地面と高架が交互に現れる、曲がりくねったジェットコースターのような線路になった。こんなダイナミックで面白い路線だとは思わなかった。
かなりの時間をかけてたどり着いた終着駅は、予想通りモダンで新しいもので、駅前には高層マンションとスタジアムがあった。ここから先を見ると、まだまだ宅地造成中で、さらに伸びて行きそうだ。
分岐駅まで戻り、残るアンパン行き路線に乗る。こっちはさほど長くない。こっちはさらに昔からあった路線のようだ。当然高架などはなく、地上を進んでいく。日本の都市近郊を走っているような錯角を覚えそうになった。
チャイナタウンに戻り、日課のネット。日本の友人の室からメールが届いていた。マレーシアのオリエンテーリング協会と連絡が取れ、会える事になったそうだ。ついては明日の夜にでも僕が直接電話して、話を通さないといけないらしい。ついに英語で電話をする日が来るのか。緊張するなあ。知らない人相手だし、それ以上に電話って声だけなので、表情やジェスチャーの助けが得られないし。本当に意思の疎通なんてできるんだろうか……。
それはそれとして、夜はいつものように談話室で延々と雑談。今日はケヴィンもアレックスも帰ってきてないが、他の部屋の長期滞在者ともすっかり顔なじみなので問題ない。今日はノルウェー人の若い兄ちゃんがいた。彼はなんと六甲アイランド在住で、日本で生まれ、日本暮らしも11年らしい。日英ノ三ヶ国語がペラペラだ。日本語も、たいした違和感なく話せている。読み書きはさすがに難しいようだが、それでもたいしたものだ。もうすぐノルウェーに帰らないといけないらしいが、日本語の読み書きを学ぶためのテキストとして、ドラゴンボールを全巻持って帰るつもりだと言って笑っていた。他の人もいるので今日も会話は英語だったが、分からない言葉があれば彼が助けてくれたので、今日は会話に入っていきやすかった。
この国に入ってから、日本人とは一人も話してないが、日本語のうまい外国人と話す機会は妙にある。
アレックスとケヴィンが日付が変わってから帰ってきた。遅いよ。実はケヴィンはミュージシャンだとか、興味深い話題が出たが、体調が悪いので早々に退散して眠りにつく。体調管理が一番大事だから仕方ない。談話室からケヴィンの弾くギターの音が聞こえてくる。僕は音楽はさっぱりなので、下手じゃないのは分かるがプロレベルかどうかは判断できない。
マレーシア Malaysia
7月9日(火) クアラルンプール
いつも通りの遅い朝食後、雨が降ってきた。雨季だもんなあ。とはいえ、今日はKLCCのペトロナスツインタワー(世界一ののっぽビル)に行くつもりだったのに、ちと具合が悪い。どうしたもんか。
ということで、先にバトルカフェにネットをしに行く。……MS-IME入ってるよ! 間違いなく僕が毎日欲しい欲しいと言ってたからだろうな。店員さんも僕の姿を見たら嬉しそうに教えてくれたし。ともあれこれで入力がずいぶん楽になる。
気がつけば3時半。天気もましになったようだし、タワーが開放されるのは、午後は3時からだったのでKLCCに行ってみる。これが大誤算。タワーの今日の分の入場券配布はとっくに終わっていた。ならばとこのタワーの名前にもあるペトロナス石油の博物館的なパビリオンでも見て帰るかと思ったら、一周するのに時間がかかるらしく、終了1時間半前に行ったのに「今からだとちゃんと見れないから、お勧めできない」と言われてしまった。なんて日だ。
このままで終わるのも癪なので、国立博物館に行く事にした。KLセントラル駅から歩いて行ける距離だが、まともな歩道が通じておらず、びゅんびゅんかっ飛んでいく車道の脇を歩いて行くはめになった。でもま、それだけして行った価値はあった。入場料がわずか1RMとは思えなかった。展示物の量的には先日行った歴史博物館の方が多かったけど、こっちは具体的で見ていて楽しめた。影絵芝居の人形とか、大量の動物剥製と模型とか。
なかでも全長五、六メートルあるワニの剥製はど迫力だった。これ、生身の人間が一人で挑んだら、絶対勝てない。
見終わった頃にはかなりへばっていたので、帰りは道を変え、国立モスクを横に見ながらチャイナタウンに戻った。
またしてもバトルカフェでうだうだとうだり、ユースに帰ったのは十一時半。今日はまた一人、TOMOY(ムエタイ)の使い手のマレー人がいて、またしても柔道を教え、TOMOYを教わる日になってしまった。そして談話室には、米アーミーだという人がいた。本当にいろいろだ、うん。
マレーシア Malaysia
7月10日(水) クアラルンプール
しんどい。だるい。体調が回復してない。ハードな観光とかしてないのになあ。仕方ないので日中はだらりと過ごす。
元気が多少なりとも戻ってきた2時すぎ、いよいよ今日のメインイベント、マレーシアオリエンテーリング協会への自力での電話。ユースのフロント横にある公衆電話からチャレンジ。とりあえず手持ちの10セン硬貨を投入し、友人の室から連絡先として教えられた、ウォン(Wong)さんの携帯電話にかける。ああ、ドキドキする……。
プルルルル、プルルルル……ガチャ。
出た!
『Hello?』
「は、ハロー。あ、アーユー ミスターウォン?」
『Yes.』
「あー、アイアム…」
ガチャン! プー、プー……
……切れるの早すぎ……。
慌てて小銭を探すが、公衆電話に使える小銭がほとんどなかった。ユースのフロントにも、あいにく小銭はない。慌てて徒歩15分ほどのセブンイレブンまで走り、ジュースを買っておつりを硬貨でもらう。よし、3RM50センの硬貨が手に入った。夕方4時、再チャレンジ。今度は途中で切れることもなく、無事に最後まで話すことができた。友人の室が事前に大まかな話を通しておいてくれたおかげで、
『Oh,I know you!』
と、話自体も非常にスムーズに入れたし。明日の朝9時、部下のリー(Lee)さんがユースまで迎えに来てくれるらしい。マレーシアのオリエンテーリング界の話を聞かせてもらえるだけでなく、地図をくれて、なんかテレインにも入らせてもらえるらしい。やったー!
ただ、残念だったのが会話。ウォンさんの話す英語は非常に分かりやすいものだったが、『分かりやすい英語』ということは分かっても、今の英語力では肝心の内容は三割ほどしか理解できなかった。丁寧に話してくれたのに申し訳ない。まあ、旅に出た当初は分かりやすい英語かどうかすら判別不能だったことを考えると、少しは成長したんだろうか。
4時半。今、ユースにいる客は僕だけだ。暇なので、観光にでも行こう。まだ見てなくて、今からでも行けるところって、レイクガーデンにいくつもあるミュージアムのどれかくらいしか思いつかない。前から行きたかったバードパークは5時までとのことだったので明日以降にして、警察博物館というところに行く。無料なのが嬉しい。
考えてみればもっともな話だが、スタッフは全員、警察官だった。みんなニコニコして、すごく愛想がいい。本物の警官だと気づいた時には身構えたが、そんな気持ちも笑顔のおかげですぐにほぐれた。警官といっても国や地域、場所によって、様々なんだなあ。
屋外には装甲車が展示されていた。パビリオンのような凝ったデザインの、博物館本体の建物の中は、小川のセットで順路を区切ってあったり、雰囲気のある音楽が常に流れていたり、ナイフがずらっと展示してあったり、ビデオ上映があったりと本当に凝っている。これで無料とは信じられない。最後に来館者名簿に記入。
正直全然期待しておらず、こういう時でもないと行かなかったろうけど、かなり楽しめた。
続いて隣にあるイスラム美術博物館に行こうかと思ったが、入場料の8RMと、美術館という言葉に引っ掛かり、やめにした。空を見ると、そろそろスコールが来そうだし。案の定、ユースに着く手前で降りだした。
その後はいつも通り、ユースの談話室に陣取ってだべりまくる。ここは本当にいい英語の練習になる。日本語のフォローが期待できず、自力で喋って聞く以外に道がないんだから、多少なりとも上達しなきゃ嘘だ。
それはそうと、ガイドブックにはクアラルンプールのチャイナタウンでは、日本人と見ると話し掛けてくるサギが非常に多いので注意とあるが、自分がこの街に来て一週間。チャイナタウンも頻繁にうろついているが、ただの一度も話し掛けられたことがない。どういうことだ。日本人とは分かるようだが……それはそれで寂しいな……。