ほろほろ旅日記2002 12/1-10
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ドイツ
12月1日(日) パーダーボルン
●パーダーボルン大聖堂
のんびりと起きる。
今日は昼過ぎに歩いて町中にあるカテドラルを見に行く。さすがにトーマスが満を持して連れてきただけあって、でかい。
ここはドイツの中で一番カソリック教徒の多い町らしいが、なるほどだ。帰国後調べてみると、パーダーボルン大聖堂という名前だった。しかしこういうカテドラルって、見た目と音楽でその世界に包み込んでしまうよなあ。改めて実感。
ちょっと町歩きをしてから部屋に戻る。
●ついにぐうたら開始
あとは特にこれといった目的もなく、のんびりと過ごす。テレビを見て、口角泡を飛ばして演説している人を指してトーマスが笑いながら
「He is tipical Germany.」
と教えてくれたり、彼が
「Hmm...I need travel.」
と思い立って休みを取り、年末にミャンマーに行くことにしたというので、ネットで東南アジア行きチケットを探したり、トーマスが撮ったラオスのビデオを見せてもらったり(トーマスはJVCのビデオ持参で旅していた)して過ごし、お腹が減ったら外に食べに出た。
外は日曜だから、昼間は商店街にも広場にも人がいなかったが、夜になると溢れ返らんばかりになった。さすがはクリスマス前。ドイツ伝統のソーセージやクレープ、ホットワインなどを飲み食いしてまわった。
本当にくつろがせてもらっているよ。ありがとう、トーマス。
夜、また旅の話になり、
「そんな長く旅をしている理由を教えて欲しい」
と言われた。トムのお母さんにも聞かれたっけ。理由と言われてもねえ。旅が好きだから、可能な限り長く続けたいって、そんなに変かなあ。
これはもう、同じように長旅をする旅人以外、ほぼ全員から尋ねられる内容だ。僕なんて長旅をしている者の中ではかなり短いほうなんだけどなあ。
そして、あれやこれや話してたら、
「よく口にしてるけど、etoneってなんて意味? 日本語?」
と聞かれた。えー。どうやら僕、質問に答える前のクッションとして、この頃は無意識に
「えとね(ー)」
と連呼していたらしい。こんな意味のない言葉の意味を聞かれるとは。
「……well、かな。考えながら話すときに英語圏の人が言うだろ、あんな感じ」
「あー、なるほどね」
納得してくれたようだ。よかった。
ドイツ
12月2日(月) パーダーボルン
●いかん
いかん。いかんなあ。
もう12月に入り、この旅の残り期間も一ヶ月を切ったというのに、またぞろだらけの虫が目を覚ましてしまった。トーマスの好意に甘え、本来今日旅立つ予定だったのを、もう一泊させてもらうことにしてしまった。いかんなあ。
調べれば調べるほど、残り期間でもう一度ルーマニアに行くのはそう簡単ではないと分かってしまい、気力が萎えてはいるんだけど。
ドイツでは、早い人は普通に昼間働くサラリーマンでも朝7時から勤務が始まるのが普通だそうだ。7時勤務開始……。
それはともかく、今日はなんやかやであまり寝ていない(昨夜の睡眠時間は3時間半)ので、しんどい。おいおい、僕は前職を辞める前、ほぼ丸二年、そんな生活をしていたのか。今からすると考えられないな。
仕事に出かけるトーマスに、部屋の鍵のかけ方、帰って来た時の開け方を教えてもらう。……おいおい、ありがたいけどセキュリティ情報をそんな深い知り合いでもない僕なんかに教えていいのか。それだけ信用されてるということにしておこう。
ともあれ街に出て、少しぶらつく。いかにもドイツ、いかにもクリスマス準備開始という雰囲気がいい。
後はトーマスの家でゆっくりくつろぐ。予定外の延泊だから、特にあてもない。トーマスは仕事に行っていていないし。
のんびりとネットをさせてもらったり、本を読んだり。思わず、自分が旅人であることを忘れてしまった。友人宅に転がり込んで遊び呆けているだけのような気になっていた。旅人であることを忘れたのって、旅に出て初めてじゃないかな。
しかし、自分もこの旅の間に変わったもんだ。英語が通じると分かっていれば、ほとんど何の心配もしていないよ。英語が通じなくても、そんなに心配していないし。旅に出たばかりの頃とは大違いだ。あの頃は「中国語も英語もベトナム語も、『分からない言葉』という意味では同じ」だったのになあ。
●旅人トーマス
トーマスは17時20分頃に帰って来た。着替えもそこそこに、旅行代理店に行こうと言う。近々トーマスが乗る、ベトナムからミャンマー行きのエアチケットを取りに行くらしい。それって昨日行くと決めた旅の分だよなあ。即断即決だな。行動力あるなあ。ミャンマーかあ。行きたかったなあ。タイから陸路で行けるのなら行ってただろう。ともあれトーマス、楽しんできてくれ。
その足で駅に行って明日の僕の切符を購入。ハーダーボルンからチェコのプラハまで、111.20ユーロ。ま、高いけどICEにも乗るし、そんなもんか。
ネットで調べた限り、ルートは二回ある乗換えが、それぞれ4分、8分と結構タイトな設定になっている。そこでトーマスが駅の人と話して、少し遠回りになるけど接続が安全確実なルートを選んでくれた。何から何までありがとう、トーマス。
彼は東独育ちだから、ロシア語も読めるんだ。でも、その反動かドイツ人の習慣なのか、少し古くなったパンとか、どんどんぼんぼん、ためらいなく捨てている。僕の感覚からすると、まだ食べられると思うし勿体無いと思うんだけど……。
その後はまあ、今日もトーマスのミャンマー情報探しに付き合って過ごす。アジアだから、日本語ページの情報も結構多いし。少しは役に立てたかな。途中、昨日トーマスがネットでアマゾンに注文していたロンリープラネットのミャンマー編が届いた。どうして英語版なんだろうと思って尋ねると、ロンリープラネットにはドイツ語版がないらしい。へえ。
その後は夜遅くまで旅の話をして過ごす。
で、僕は寝る前にシャワーを浴びる。なんでもドイツ人は普通、朝にシャワーを浴びるらしい。朝シャンみたいなものかな。日本人とはこんなところでも習慣の違いが。まあ日本でも最近はそういう人が増えているらしいけど。
明日はトーマスは6時起きで仕事に行くらしい。ミャンマーへ旅立つまでに片付けないといけない仕事をクリアするためらしい。頑張れ。
ちなみに僕が乗る予定の列車は、パーダーボルン駅を10時44分に発車する予定だ。トーマスと同時に出て、どこかで時間を潰すかと思っていたが、ぎりぎりまでこの部屋にいていいらしい。完璧に信用されてるなあ。本当にありがたい。
ドイツ連邦共和国 Federal Republic of Germany → チェコ共和国
Czech Republic
12月3日(火) パーダーボルン → プルゼニュ
●ありがとう、さようなら、トーマス
8時に目が覚めた。トーマスはもうとうに仕事に行ってしまっている。というか、とうに仕事を始めている時間だ……。
とにもかくにも、用意してくれていた朝食を食べて、10時、トーマスに感謝のメモ書きを残し、出発。本当に助かったよ、ありがとう。まさか最後の最後まで、こんなに信用されるとは思ってなかった。何か持ち逃げしようとしたらやりたい放題だもんなあ。もちろんやらないけど。
のんびり歩いてパーダーボルン駅に着くと、まだ20分ばかり時間があったので、仕事中とは分かっているけど、トーマスに電話する。
……だから、30セントでは携帯電話相手にほとんど話せないんだってば。急いで5ユーロをコインにして、再度電話。にしても携帯、メールと本当に便利な世の中になったものだ。すまんね、トーマス。ともあれ、電話ではあるけど、ちゃんと最後の挨拶ができてよかった。
●さらばドイツ
で、駅の中へ。
コインで残った3ユーロがもったいないので、何か使えないかと目に付いた本屋に入る。日本でもよく見た漫画が氾濫しているので、どれか一冊手土産にでもと思ったが、気にいるものがない。嵩張るし。
列車の時間が迫ってきたので、結局何も買わずに乗り込んだ。
お札はそこらで換金のチャンスがあるけど、コインは使うか土産にするかしかないんだよなあ。3ユーロ。タイならいいCDが一枚買えてしまう値段だ。シーパンドンなら一泊三食済んでしまう値段だ。チェコに入るまでに何とかしたいなあ。
列車はそこそこの混み具合。今度はちゃんと禁煙席に乗ることができた。窓際なので外もよく見え、かなりいい景色が見えたりしたが、残念ながら撮影するチャンスがない。
ここでトラベラーモードに戻った自分の心境に気付いて驚いた。昨日のだらけモードと大差がない。もう今の僕にとって、旅は完全に日常なんだ。ううん、まさにリアルスナフキン。特別に旅しているからといってドキドキしたりはしなくなっているとことを改めて実感。
この境地って、我ながら凄いのでは。世界を渡り歩くことに何の疑問も不思議も覚えてないんだから。旅に疲れているわけでもなく、心は実に平らか。これは無感動とは違う種類のものだ。長旅をするバックパッカーだけがたどり着ける心理なのかもしれない。ここまで来ましたか。
とうの前に大概肩の力は抜け切ってたと思っていたんだけど、まだ先があったとは。これまでは、「ずっとここでだらけていていはいけない。旅人は前へ進まなければ」という思いが根っこにあったのに、今はもう「楽しいように、不都合がないように動けばそれでいい」になっている。それとも磨耗してきたのかな?
それはいいんだけど、いきなり列車、遅れてるぞ。カッセルKassel-Wilhelmshohe駅に、10分遅れで到着。トーマスの助言に従って、ルートを変更しておいてよかった。
それでも遅れた分、あまり時間がないけど、ここでユーロ硬貨を使ってしまおう。やはりまず足が向くのは本屋だが、高い。3ユーロ程度ではどうにもならない。と、ディズニー発行のこっちの漫画、W.I.T.C.H.があった。2.3ユーロと程よい価格だ。北欧だけかと思っていたけど、ドイツでも売ってるんだ。明らかに日本の漫画の影響を受けていて、興味深いんだよなあ。日本でも紹介されてるんだろうか。
3分遅れで来たICEに乗り、いざ、ニュルンベルクへ。
……さすがはICE。ドイツ最上級列車だけあって、揺れも非常に少ないし、走行音も静かなものだ。乗客数は思ったより少ない気がする。平日だからかな。車両のスタイルはコンパートメント式と座席が並ぶ新幹線式と、両方ある。さすがにスピードも速い。でも、やっぱり予定時刻からは遅れていく。なんでだ。
ニュルンベルク14時20分着の予定が14時30分になったので、ニュルンベルクは全然見れずに通り過ぎるしかなかった。
ここから出るプラハ行きの車両はICEの延着のあおりで、14時36分発のところが14時42分に発車した。この分じゃあ、プラハに着くのはいつになることやら。まあ、たどり着きさえすればそれでいい放浪中の身としては構わないんだけど。
この先を考えると、チェコとスロヴァキアは見てまわれるけど、そこから先、ハンガリーやルーマニアを再訪できるかどうかは分からない。かなり微妙な感じだ。どこからどう日本に帰るかを含めて、いろいろ検討していかないといけないな。チェコとスロヴァキアだけを見るなら逆に余裕ができることになるけど、そこまで気に入るかどうか。
それはともかく、ニュルンベルクを出た列車は一路、山のほうに向かう。ドイツとチェコの国境地帯は山地になっている。
15時を過ぎると一気に平野がなくなり、家も減り、見えるのは山と森と川ばかり。一気に地勢が変わった。赤いとんがり屋根が多いドイツの家は変わらないけど。そして列車はやたらとトンネルをくぐるようになった。元々山がちな国土の日本で生まれ育った僕には馴染み深い景色だが、ルーマニアを出て以来ずっと、平坦だったりフィヨルドだったりと、日本とかけ離れた地形ばかり見てきていたから、なんか新鮮だ。
なだらかな山は冬だというのに緑に覆われている。ゆるやかなカーブを描いた平野というか、丘陵地帯は、畑か牧草地か、緑のカーペットに覆われている。その間に、森に囲まれた十数軒の集落がぱらぱらと散見される。絵に描いたようなヨーロッパの農村風景だ。ルーマニアとかだと生活感が出ていたが、こっちはきれいで、それこそ絵画の中の風景のような感じがする。などと見ていると、ガスが出てきた。
●チェコ入国
16時02分、ドイツのパスポートコントロールが来た。……って、EU圏から出るのに、見るだけ? 出国スタンプは? チェコとは関係がいいのかな。
3分後、チェコのパスポートコントロールが来たが、これまた見るだけ。……え? いや、さすがに入国スタンプは必要なんじゃないのか?
つまらないよお。
国境を越えた気がしない。いいのか? 楽なのはいいけど、後でこじれたりしないでくれよ。
16時20分、chebというチェコの町に停車。
もう外は暗いが、明らかにドイツと比べて家や列車の格が落ちているのが分かる。工業国のチェコには申し訳ないけど。
もう辺りは山あいではなく、上りきった上にある平坦な地を走っている。
駅員がチケットのチェックに来たが、そこで言われたのは
「この列車はICEだから特急料金が必要で、既に払っている分はドイツ分だけなので、チェコ内の分は今払え」
とのこと。初耳なんだけど、本当か? 文書を見せてくれと言ってもいいが、どうせ読めないしなあ。いくら? 当然チェココルナはまだ持っていないのでそのことを言うと、ユーロなら2ユーロだそうだ。その額ならまあいいか。けど、ユーロはさっき処分したところなので、手持ちの最小は10ユーロ札だ。お釣りに8ユーロもらっても、コインだとどうしようもないんだけどなあ。この後ユーロ流通圏内に戻るかどうか分からないんだし。
駅員さんに事情を話して交渉し、3ユーロをチェココルナに替えてもらった。100コルナ。
ここまで色々話したので、ついでに入国スタンプは押さなくて良かったのか尋ねてみたら、
「too late」
っておい! 警官はもういないってことを言いたい、つまり
「俺は警官(入国管理官)じゃないから知らないよ」
と言いたかったようだけど、不安は残るなあ。確かに入国チェック時に確認しておくべきだったんだけどさ。なんでしなかったんだ、自分?
ごたごたしてて、ついチケットをプラハまで買ってしまった。まだ手前のプルゼニュで降りるかどうか決めてなかったんだけど。どうしようかなあ。
うーん、なんか気分的にケチがついたなあ。感じは悪くないけど、なんというか気に入らない。
等々、色々考えているうちに、プルゼニュに着いた。もう面倒臭いからこのままプラハまで行ってしまおうかと思っていたのが、プルゼニュの夜景を見た途端、
「降りよう!」
と閃いたので、降りることにした。
ICE代1ユーロが無駄になるが、仕方ない。プルゼニュの夜景が綺麗だったんだから。
それに、その国について掴むには、最低二つの町に行っておかないといけないというのが持論だし。ハンガリーとかエストニアとかラトビアとかは、首都しか知らないから国全体についての印象は分からないもんなあ。
ともあれ列車を降りる。
さっきの乗務員さんに
「まだプラハじゃないよ」
と言われたけど、うん、分かってるけど降りたくなったもんで。この自由さこそが放浪一人旅の醍醐味だし。
●プルゼニュにて
で、外に出る。『地球の歩き方・中欧編』の地図を頼りに中心部をさして歩きだす。
まず思ったのは、チェコって車窓から見た印象よりずっと進んだ国じゃないか、ってことだ。地下道はきれいだし、エスカレーターもちゃんと掃除されて動いている。帰宅しようとして道を行く車もそんなに古くない感じだし、途中で見つけたスーパーマーケットも立派なものだ。旧東欧では抜け出た存在だった(もちろん東独は別)チェコスロヴァキアで栄えていた町だというのもうなずける。
マーケットがスーパーのそばにあったが、もう18時を過ぎているので片付けにかかっていた。ま、ジャケットは週末にスロヴァキアで買う予定だから、別にいいんだけど。それまでくらいは今のボロボロになりかかっているジャケット、もってくれよ。
ホテルの情報はガイドブックしかなく、客引きもいなかったので、一番安く、発見できたSLOVANホテルに投宿。中は、廊下はすさまじくゴージャス、というか壮麗。正直びびったよ。でも、バストイレなしの部屋は一泊620コルナ。バストイレつきだと1720コルナ。この極端な差は一体。
レセプションの姉ちゃんに近くのATMの場所を教えてもらってとりあえず2000コルナ下ろし、今夜の宿代を払う。このホテルの壮麗さと古さからすると、少なくとも社会党時代にはもうあったんだろうな。
近くの雑貨屋やネットカフェはもう閉まっているそうだ。
とりあえず空腹なので、部屋で旅装を解いて身軽になってから、ホテル近くにある、レセプションのお姉ちゃんお勧めのレストランで食事。大衆レストランという感じの大きい店だ。さすが、僕の水準を分かってらっしゃる。
頼んだのは豚ソテーとライス。そしてプルゼニュに来たんだから、当然ピルスナービール。ここプルゼニュが発祥の地だというんだから、本場の中の本場だし、外すわけにはいかない。700年以上前からビールが作られていて、ピルスナービールができたのは1841年だとか。500mlのものが一杯19kc。ドイツと比べても、明らかに安い。ビール二杯とこのメニューで130kc。ビールはすっきりと口当たりが良く、すごく飲みやすかった。けど、その割に、思いのほか酔いがまわったなあ。
街の雰囲気も、変な横丁に入らなければ大丈夫な感じがしたので、ぷらぷらといい気分で夜の町を散策。
さすがにたいしたもんだ。プルゼニュの町は戦争でやられてないからか、古い建物と風格のある石畳が綺麗な状態で残されている。夜なのでうまく写真に撮れないが、列車を降りて正解だったな。来てよかった。
正直レストランの食事ではビール以外は物足りなかったので、見かけたマクドに寄って、例によってビッグマック。各国で食べ比べをしてるようなものだな。89kc。こんなに空いているマクドは初めてだ。バーガーが陳列棚にぎっしり詰まっていて、店内には数人の客しかいないんだもん。夜も遅いし、タイミング的なものかもしれないけど。
ここのビッグマックはレタスが少なく、タルタルソース が他の国とは違って、トマトかな? の風味が入っていた。うーむ、ここまで旅の中で食べたマクドの中では、中国がいちばんおいしかったかな。
チェコ 12月4日(水) プルゼニュ → プラハ(プラーグ)
●目が覚めれば、雨
22時に寝て、6時に目が覚めた。
かなり眠かったのか、昨夜は部屋に戻ってベッドに入ったら、スカーッと眠りにつけたよなあ。そんなに一昨日の三時間睡眠がこたえていたのか。
カーテンを開けて外を見ると、きっぱりと雨が降っている。果たしてプルゼニュに来て良かったのか。
●プルゼニュの旧市街
ごはんを食べて(ここスロヴァンホテルの朝のメニューにはパンがないので、主食はシリアルだ)、フロントでこの街の地図をもらい、それを参考に外へ。
プルゼニュの町にもいろいろ見所はある。雰囲気もあってなかなかいい感じだし。旧市街はそんなに大きくないが、そういう意味での密度は濃い。
まず行った地下道博物館は、なにやら技術的な理由で閉まっていた。カンボジアはアンコール遺跡群のタ・プローム遺跡のように、崩落の危険があるとかだろうか。
仕方がないので10時まで時間を潰してから本命のブリューワーミュージアム(ビール醸造博物館)に行く。
15世紀のモルトハウスを改造した博物館だそうで、雰囲気は抜群だ。
ここでは、昔のビアホールの再現やビール作りの歴史、製作装置などが展示されていて、面白かった。写真撮影が禁止なのが残念だ。
そうそう、昔のビアマグは蓋がついていたんだ。19世紀末のピルスナーの宣伝用カレンダーなんてものがある。王様が家来達と乾杯している絵柄は、ビールに対する愛情と喜びに溢れ、いかにもビールが飲みたくなる見事なものだった。
入場料は60kcとそれなりだったが、十分楽しめた。プルゼニュに来た甲斐があるというものだ。
ここで、栓抜きはちと高いので断念したが、絵葉書(5kc×2枚)、コースター(1kc×10枚)、ビールバッグ350ml・6本用(420kc)を買う。コースターは一枚約4円。実に手軽で嵩張らず、実用的な土産物だ。けどビールバッグ、大枚はたいて買ったけど、使う機会はあるのか? 見た瞬間、どうしても欲しくなって衝動買いしたけど。
(案の定、帰国してから一度も使ってません。が、デザイン的にお気に入りなのは変わらないので買ったのは間違いではなかったということで(^^;)
それからまた町中をぶらぶらと歩き、中心部にある聖バルトロミェイ教会へ。
ここは旧市街の中心でもあるので、周囲の建物も歴史的な重みと風情に満ちたものばかりだ。
なかでもこの外壁の精緻さには驚かされた。
聖バルトロミェイ協会の象徴でもある、14〜5世紀に建てられた、チェコ国内で最も高いという102mある尖塔には登ることができる。中ほど、62mのところまでだけど。
20kc。
もちろん昇ることにする。階段は301段もあり、木製で非常に急なので、雰囲気は満点だ。しかしここ、スカートの女性とは来れないな(^^;
尖塔の上からは、旧市街の外までプルゼニュの町並みが一望できた。雨に煙っているのが残念だけど、これがチェコの町並みかと思うと実に興味深い。
あまりに楽しかったので、思わずしおり(22kc)を買ってしまった。この一週間、全然お金を使ってなかったからその反動かな……。
それはいいんだが、なんかしんどい。というか、だるい。なんだろう。風邪って感じでもないんだが。水分不足とかならいいんだけど……。あと一ヶ月なんだ、壊れてくれるなよ、自分の体。
●プラーグへ行こう
昼前にホテルに戻り、チェックアウト。
手持ちの情報によると次のプラハ行きの列車は13時58分発で、かなり待たないといけないけど、ホテルの姉ちゃんが一時間毎にプラハ行きの便はあると教えてくれたので、なら12時台にもあるだろうと駅に向かう。
が、いざ駅に着いて駅員さんに聞くと、やはり13時58分までないとのこと。おやあ?
まあ仕方がないので大荷物を預け所に預け(20kc)、トイレへ。その後で念のためにインフォメーションに行って聞くと、13時02分の便があるらしい。なあんだ。さっきの駅員さんに会ったので、そのことを言うと
「そうだったな、悪い」
と笑っていた。臨時便か何かなのかな。
早いうちにと12時40分にホームに行くと、もう列車がいた。ここが始発なのか? そばにいた駅員さんに聞くと、この列車がプラーグ行きで間違いないようだ。ちなみにプラーグはプラハの別名。日本ではプラハで通っているけど、この名前も普通に使われている。
念のためにとツーリストインフォメーションで聞いた紙を見せ、昨日のチケットの残りを見せると、
「OK」
との返事。これ使えるの? 途中下車扱いなのかな。まあ、少なくともEXPRESS代は再度払わないといけないだろうけど。
ともかく列車に乗り込む。車両は昨日のICに比べれば、やはり格が落ちるのは否めないが、上々だ。
……しまった。何かジュースを買おうと思ってたのに、この一番線ホームにはキオスクがない! 大リュックを担ぎ直してまで買いに行く気にはならないし、かといってここにリュックを放置して買いにも行けないし……我慢するか。
列車はコンパートメントにおっさんと二人。例によってチェコ語しか話せない人で、会話がほとんど成り立たない。でもなぜか盛り上がる。
「ヤポネス? スモー! チェヒ、メジャー。TV、ユーロスポーツ!」
みたいな超カタコトの会話なんだけどなあ。
チェコではテレビのユーロスポーツで放送されてるから、相撲は有名らしい。
とかしているうちに14時40分、プラハ本駅着。市街に入る前あたりからすごくガスが出ている。
●宿の確保。流されるままに・・・
何はともあれ、今夜の宿を確保しないとな、とツーリストインフォメーションに入ろうとしていると、一人のおばちゃんに声をかけられた。
「バスつきで1000コルナのペンションはどう?」
と。
駅から旧市街とは逆の方向になるようだけど、そこまで遠くもないようだったので、とりあえず見に行ってみることにした。
……って、え?
この落書きまみれの汚いドアは何?
このボロっちい廊下と階段は何?
こ、これはどう見ても……うーむ。
部屋に入る。やはり。普通のアパートの一室を貸し出している、プライベートルームだ。それはいいが、テレビもないのか。小家族が住めるような妙に大きい部屋だし、僕一人でここに泊まるのは、ちとさみしくないかい? このおばさんは別のところ(プラハ本駅から列車に乗って行くくらい遠く)に住んでいるようだし。
それで1000かあ。う〜ん、値段まからない? 一人ぼっちになるんだし。900? ならまあいいかな……。って、電気つかないよ、ここ? 30分もすれば点灯するとのことで、待つことにする。
ここまでのおばさんの話からすると、どうも1000というのは一人当たりの値段ではなく、この部屋の値段のようだ。一泊一ルーム1000コルナ。グループで来てたりしたら激安だぁね。停電はプラハでは珍しいことではないらしい。二泊分先払いらしいが、電気がつくのを確認してからでないととても払えないよ……。
プラハの町のことを色々聞きながら待つが、なかなか復旧しない。16時になり、暗くなってきた。暗くてうすら寒く、物悲しい雰囲気になってきた……。
一時間も待ったろうか。おばちゃんは「大丈夫」と言っているが、どうしたもんか。宿として使い込まれているような注意書きやパンフレットがあるので、周辺の雰囲気はともかく、そんなにやばいところではなさそうではあるんだけど。
などとぼーっと待っていると、おばちゃんがいい加減帰りたくなったのか、
「一泊20ユーロ(600kc)でどう?」
とさらに値下げしてきた。確かに向こうにしたら、これだけ待った挙句にキャンセルされたらたまったもんじゃないだろうしなあ。もう暗いから、次の客を見つけるのも大変だろうし。こっちとしても、そこまで値下げしてもらったら、さすがに他の選択肢は選べない。まだ電気はつかないが、1200kcを渡し、それで手を打った。
●夜のプラーグ
しかし、ここで電気がつくのを待っていたおかげで、今日のうちに3,40分くらいは町を見てまわれるかと思っていたが、完全に潰れてしまったなあ。外はもう暗いし。
自分の家に戻るというおばちゃんについて本駅(プラハ中央駅)まで戻り、別れてからとりあえずプラーグの情報収集にかかる。
まずは交通の情報を仕入れに行く。まずは後日向かう次の目的地、スロヴァキアの首都ブラスチラバへの便だ。しかし、ツーリストインフォメーションで尋ねても、
「は、ブラスチ? どこ?」
と通じない。そんな馬鹿な。隣の国だし、そもそも10年ほど前までは同じ国だったのに。
……あ。ブラチスラバ(Brati Slava)か。言い間違えてた……(^^; すいません。似たような名前が多いから、正しく言わないと通じないわな。
次にエアチケット。日本まで、700ユーロ少々とか600ユーロ少々とか。プラハ発は安いと聞いてたけどそうでもないんだな。やっぱそんなもんだよなあ。
次に、夜の町を歩いてみる。
この辺り、街の雰囲気を感じられるようになってから夜でもある程度出歩けるようになった。いや、本当に古くて立派な町並みが残っている。きれいだ。
メインストリートのヴァーツラフ広場を歩き、くねくねと旧市街広場まで抜ける。……なんかいろいろと出店が出て、コンサートなんかもやっているんですけど。なんだろう。えらい立派なクリスマスツリーも立っているし。そういや宿のおばちゃんが
「明日の晩はニコラスの日よ。子供が楽しみにしてるのよ」
と言ってたっけ。ニコラス……サンタクロースか! 日が違うから気付かなかった。
道に迷いながら、観光ポイントとして有名なカレル橋まで歩く。正直、ちと遠い。人出があるので寂しくも怖くもないけど。
それにしても、すっかり夜なのに、写真を撮っている人がいっぱいいる。おーい、夜なのに撮れるのか? そんなに露出を上げてるようにも見受けられないんだけと。遠景はフラッシュ炊いても無意味だぞー。
帰り道、途中で見つけていたネット屋に入る。一分2kcと高いけど、日本語OKなのがありがたい。
宿に戻ってみると、ちゃんと灯りが点いていた。よしよし。おばちゃんに教えてもらっていた近くのレストランに行くが、満席。くそう。悪い感じじゃないんだけど、なんか今ひとつ巡りがよくないなあ、プラーグ。エストニアのタリンでもこんな感じだったっけ。
近くを少しうろついて、空いている中華料理屋を発見。おお、ここはスタッフが中国人だ。味もばっちり! ついつい食べ過ぎてしまった。260kcって。いやいや、久しぶりにおいしい中華料理を食べられたし、オーケーだ。しかし、こんなにおいしいのに、チェコ料理屋の混雑振りと比べると、えらい違いだ。去り際に一般的な「謝謝(シェーシェー)」ではなく「多謝(ターシー)」と言ったら受けていたし、やはり本物だな。
とかして宿に戻る。……やっぱり廊下は灯り、つかないでやんの。部屋の中が点いてるからいいけど。
シャワーを浴びて、一息。部屋もアパートの中でも奥の方だから胡散臭い感じがしてたけど、その分静かだよなあ。広い部屋に一人だからか、元々の建てつけがそうなのか、隙間から冷気が入り込んできていて、肌寒い。暖かくして寝よう。
買ってきていたプラーグのinyourpocketを眺めて明日のプランを考えてから就寝。そういやこの雑誌タイトルの都市名もプラーグだなあ。
チェコ 12月5日(木) プラハ(プラーグ)
●プラーグの朝
いやあ、冷気が忍び込んできてたのによく眠れた。途中、何回か目が覚めはしたけど、結局10時過ぎまで寝てしまった。
10時間睡眠か。その分観光時間が減ってしまったのは残念だけど仕方ない。ともかく準備して、ここから旧市街まで歩く時間を考えると……昼からだな、これは。ま、どのみちプラーグの観光は今日しか予定していないわけで。
●プラーグ観光〜旧市街広場周辺
改めてごりごりと旧市街へ歩いて行く。
「プラハの春」「ビロード革命」の舞台になったヴァーツラフ広場はこの際置いておいて、エアチケット探しも置いておいて、今日はもう、とにかく観光だ。
まずはプラーグの東岸の中心、旧市街広場に歩いていく。
精緻な飾りの施された建物がそこここにあるし、雰囲気あるなあ。
旧市街広場に着いてみると、昨夜の出店は片付けられるどころか、その数を増やしていた。さすが聖ニコラウスの日、本番だけはあるということか。やはり日の光の下で見ると、印象が違ってくる。第一印象は「観光客が多い!」……あかんやん。いやいや、本当にきれいな町だ。土産物屋が京都の新京極なみに多いけど。
由来は知らないけど、明らかに今日用のコスチュームに身を包んだ人たちもいる。え、写真撮ってくれって? 喜んで。
●プラーグ観光〜天文時計と旧市庁舎
旧市庁舎にある、有名な天文時計を見る。
ほぅ……。
理屈抜きにため息が出る美しさだ。これは素晴らしい。
毎正時に仕掛けが動くらしいが、今の時刻は11時45分。まだ15分あるので旧市庁舎の塔を昇り(30kc)、プラーグの町を見下ろしてきた。しっかりした塔だ。ぐるぐるとゆるいスロープで上がっていったが(エレベーターがあるのに何やってるんだか)、最後の最後に狭い螺旋階段を昇る。ここから見るプラーグは本当にいい感じだ。特に城の方を見ると、楽しくなってくる。
正午まであと5分になったので、急いで下に降りる。予想はしてたけど、天文時計の前、黒山の人だかりだ。骸骨が鐘を鳴らし、上の出窓から聖人が次々に姿を現してくる仕掛けだ。凝っているなあ。
●プラーグ観光〜カレル橋
さて、次はプラハ城に向かうとしよう。
まずはその前にあるカレル橋だ。向こうの丘にプラハ城が見えるロケーションがまたいい。
幅は広いが、15世紀に出来た歩行者専用の橋なのでのんびりと渡れる。が、差し渡しが520mもあるだけあって、結構遠い。その分橋の上から見るヴルタヴァ川の眺めは見事なものだが。
橋の上も観光客でごった返している。寒いけど雰囲気がいい。
この橋の左右の欄干にはのべ30体の像が並んでいて、これもカレル橋が有名な一因だ。聖母マリアの像、
フランシスコ・ザビエル像、
などを見て歩く。像の上に鳥がとまっているのがまた楽しい。旧市街からここまででも十分すぎるくらい密度の濃い観光をしてきている。プラハ城を楽しむだけの精神的体力、残るかなあ。
像の中でも特に人だかりのしているヤン・ネポムツキー像を見る。
人だかりに混じって僕も像に触れる。こうすると幸運が訪れるらしい。どうか幸運、お願いします。悪運はある気がするけど、幸運はあんまりない人生だから。訪れて欲しいなあ……。
そんなこんなでカレル橋を渡り終える。いよいよプラハ城が近づいてきた。
●プラーグ観光〜プラーグ西岸
橋を渡り終えるとプラーグ西岸だ。ここから丘を上っていく。昔から栄えていた一帯だけあって、いかにもヨーロッパらしい、歴史的風格を感じる町並みが続く。
日本大使館(この一角にも日本大使館が。夏の洪水の影響か?)、
聖ミクラーシュ教会、
と見つつ坂を上って行く。いくら丘の上とはいえ、こんな坂だとは思ってなかったよ。
その分町並みは堪能できたから文句はないんだけど。そうしてようやっと、丘の上にあるプラハ城に到着した。
●プラーグ観光〜プラハ城
今日の観光のメインはここだ。
プラハ城の入り口はツアー客まみれなので、気持ちがあんまり盛り上がってこないけども。
とかぶつくさ思いながら、門前で佇立して、微動だにしない衛兵に守られた城に入っていく。入って少しいった宮殿の受付で、城内の三つのポイントに入れる160kcのチケットを購入し、いざ中へ。
うお!
宮殿の門をくぐり抜けて中庭に出たところ、いきなり目に飛び込んできた、聖ヴィート大聖堂のごつさに目を奪われた。
いやあ、凄い。こんなに大きい建物を、ここまで凝りまくって作り上げるとは。ヨーロッパおけるキリスト教の力を改めて見せつけられた気がする。大きすぎて、中庭からカメラを構えたのではとても全体がフレームに収まらない。まさに圧巻。東岸から見えていたのもこれだったんだな。プラーグの象徴的な建築物なんだろう。しばらくの間、先に進むのも忘れて眺めていた。
ようやっと一息ついて、先に進む。中庭に沿ったすぐ向こうには旧王宮があるが、その前に、下に降りて行ったらあったギャラリーへ入る。別払いで50kcだったけど、なんか見たくなったので。
結構広いスペースに余裕をもって、プラハの日常、夕焼けなどが美しい写真として展示されていた。そしてそれらと同時に、プラハの春とビロード革命の時の写真も展示されていた。この国の歩んできた苦難の歴史に思いを馳せずにはいられない。その道のりの先に、今こうして観光都市のプラハがあるんだよなあ。
さあ、次は旧王宮だ。
大聖堂の迫力に比べると、正直、旧王宮は見劣りするのでは……と思っていたんだけど。
中に入り、それが誤りだったことを理解した。ごめんなさい、間違ってました。華麗さでは聖ヴィート大聖堂に負けても、歴史の重みを感じさせるという面では全く見劣りしない。凄いよ。中世のホールの床が板張りというのはちと意外だった。ヴラディスラスホールVladislavsky
salという名前の、大きなホール。さらに奥の様々な部屋にも入る。棺を納めた部屋、壁と天井にびっしりと紋章が書き込まれた部屋、等々。
それからせっかくチケットを買ったので、大聖堂に戻り、中に入る。……こんなに立派だとは思ってなかった。ものすごく高い天井の上まで届く大きな窓に、精緻を極めたようなステンドグラスが息をのむほど美しい。写真撮影禁止なのが残念だ。こっそり撮ってる人もいたけど。
順路に沿ってまわっていくと、大聖堂の尖塔には昇れなかったものの、地下に潜ることができ、昔の遺構(この大聖堂は何度か改築されているので、その昔の建物の名残だろう)と、棺の納められた部屋を見ることができた。……すごいわ。それしか言葉が出ない。
それからさらに奥に行った所に、聖イジー修道院。ここにも地下に棺部屋があった。この地の風習なのかな? ごめん、素朴でいい感じなんだけど、先にあの大聖堂と旧王宮を見てしまっているので、どうしても見劣りがしてしまう。
これから少し城を下り、当時召使や錬金術師達が住んでいたという通り(カフカも住んでいたことがあるらしい)、黄金小路に入っていく。
小さいが風情のある家々は、今は土産物屋になっている。……こうも土産物屋ばかりだと、逆に買う気が起きないよ。ボヘミアンガラスはきれいだけど、帰国までに絶対壊れるから買えないし。
小路をあちこちうろついていると、上へ上がる階段があった。何も案内がでていないけど、閉められていないから行けるんだろう。何があるのかな。……これが、ファンタジーの好きな身としては大当たりだった。上がった先は、長〜〜〜〜〜い廊下になっていて、その一方の壁には中世の武具、主に鎧と槍がずらあっと並べられていた。スピア、プレートメイル、等々。本当にこんなに色々な種類があったんだ。チェインメイル、その当時の人々のドレス……。いやあ、いいなあ。
さらにこの一方の端には武具屋が。店内にはずらりと中世の武器・防具が並べられている。銃刀法の関係で、刀は持ち帰れないけど、防具なら……とまで考えたところで正気に戻った。こんな重くて嵩張るもの、買えるわけないじゃないか。でも、手甲4000kc、チェインメイル16000kcからと、いい値ではあるけど、普通に買えるレベルなんだよな。欲しいなぁ……。
もう一方の端、一番奥はボウガンの射撃をさせてくれるコーナーになっていた。5発で50kc。当然やる。やらいでか。
10mほど先の的を狙えばいいらしい。おお、照準もついているのか。扱いやすい武器だったってのは本当のようだ。弓のように放物線を考えないで、一直線に飛んで行くんだ。なるほど。これなら狭い廊下の中でも射てるな。が、それでもやはりメガネ君には扱いが難しい。裸眼では的自体がろくに見えないし。結局、一本だけ的の紙の隅っこに当たっただけだったが、十分楽しめた。最後に記念にと、的だった紙をもらえたし、満足、満足。
これで城を横断して、大体見たことになる。他にもおもちゃ博物館というのがあったが、別途50kcいったのでやめた。
見終えて東の端から外に出ると、こっちにも衛兵が。ちょうど15時になるところで、衛兵の交代式を見ることができた。儀礼に則った見事なものだ。観光客がわっと集まって見物していたが、衛兵さん自体が観光スポットみたいなもんだなあ。チェコに限らないだろうけど。交替して帰って行く時も、ずっと儀礼ばった膝を曲げない歩きで、リーダーに従い、捧げ銃で銃剣を持って、無表情に歩いて行く(途中、人気のない時には少し崩れていたけど(^^;)。
プラハ城は丘の上にあるので、見晴らしがいい。観光用にだろうけどきちんと整備されている登城道とともに、いい眺めだ。
このまま帰ってもよかったけど、はじめに入った所にあった土産物屋に行きたかったので、城を戻っていく。
聖ヴィート大聖堂まで戻ってきたところで、一人のアジア人青年に英語で声をかけられた。写真を撮って欲しいと。いいですよー。
少し自信なさげな人当たりのよさそうな態度、そして丸眼鏡。ややふっくらした体型。顔つきから韓国人や漢民族でないことは分かったが、日本人でもない顔だ。台湾とか、中国の少数民族とか、そのあたりだろうか。と思って聞くと、なんとタイ人だった。ドイツに留学中で、一人でここにやって来た由。タイ人かあ。ヨーロッパで会うのは初めてだ。物価の差を考えると、日本人がするより留学なんかもずっと大変だろうな。そういうお金持ちの息子なのかもしれないし、ものすごい苦学生なのかもしれないし。どちらにせよエリートさん?
ともあれ、タイ人なので久しぶりに
「サワディーカップ」
と言うと喜んでいた。彼とは英語で話したが、ドイツ留学中ってことは、当然ドイツ語もいけるんだろうなあ。
彼はこれから旧王宮に行くというので別れ、ちょっと北にあるカレル庭園を覗く。こっちの門にも衛兵さんがいて、観光客に一緒に写真を撮られまくっていた。その間ずっと動かず喋らず、無表情をキープ。……大変だあ。
土産物屋に行って絵葉書二枚とマウスパッドを買う。カレル橋とプラハ城の夜景で、城が黄金色に輝いているマウスパッドは一目見て欲しくなったので、これまた衝動買いだ。300+10×2kc。
絵葉書も綺麗だったので、誰に出すつもりもないのに買ってしまった。
外に出て、雑貨屋でサンドイッチとジュースを買い、遅い昼食。もう16時だよ。暗くなってきてるよ。16時? おお、ちょうど正時だ。
またしてもたまたまいい場所にいたので、今度は西側の衛兵交代式を見る。
そして展望台に行こうかとも思ったが、もう暗くなってきたし、何より今日は散々歩き倒して、もうへとへとで、新しいものがこれ以上自分の頭に入ってこないことがわかってたので、帰ることにした。丘を下る。
●プラーグ、聖ニコラウスの日の夜
途中見つけたCD屋で、フォークミュージックのCDを一枚。どれがいいとか分からないので、例によって店員さんお勧めの一枚をば。279kc。約1100円……この値段では、さすがに二枚は買えないな。高くはないが、この国の物価からしたら安くもない。土産物のCDははもっと高いけど。
昨日の店でネットをしばらくして、18時。またしても天文時計を見に行く。それはいいんだけど、何なんだこのとんでもなくすさまじい人出は? 地元の人が大半のようだが、聖ニコラスの日というやつには、何か出かけずにいられないような祭りかイベントでもあるのだろうか。ま、お祭りなんだろうしなあ。
大人も子供も、天使や悪魔のコスプレをしている人が多い。子供なんてすごくかわいいけど、この混雑では写真を撮るどころの騒ぎではない。そういうコスプレまでは行かなくても、頭に二本の光るツノのカチューシャをつけている人もやたらに多い。ピカピカと光ってきれいだけど、なんか不思議な光景だ。どんないわれがあって、この風習が定着したんだろう。
もっと見ていたかったけど、さすがにへばりきっていて、体力もそうだけど何より精神力が限界に来ていたので、人ごみを抜けて帰ることにする。
ラトビアではリーガでの独立記念日、マレーシアではクアラルンプールでの独立記念日、そしてここプラーグでは聖ニコラウスの日と、何かと特別なイベントの日に縁があるなあ(タイのソンクラーンは狙って行ったけども)。
昨日と同じ中華料理屋「和平〜ハーモニー〜」に今日も行く。
餃子とチキンチャーハン、チンジャオロース、ビール一本で298kc。いくら体力回復のためとはいえ、ちと食べ過ぎたか。
昨日最後に「多謝(ターシー)」と言ったからか、今日は向こうから
「ハオチー?(おいしい?)」
と声をかけてきた。観光エリアから外れていることもあるし、二言、三言だけとはいえ中国語を話すアジア人の観光客は珍しかったようで。うん、プラーグの宿はここで結果的によかったよ。こんなおいしい中華料理屋にも巡り合えたし、今日なんてオールドタウンに宿を取っていたら、うるさくて寝れたもんじゃなかっただろうし。
やや暗いイメージもないではないけど、駆け足だったけどチェコはかなり楽しめたよ、うん。
チェコ共和国 Czech Republic → スロヴァキア共和国
Slovak Republic
12月6日(金) プラーグ(プラハ) → ブラチスラバ
●チェコ最後の朝
寝ては起き、その繰り返しだった。多分22時半に寝て、23時ごろに隣の部屋で金槌を使う音で目が覚めたのが原因だろうな。何だったんだろう。
それにしても、6時半に目が覚めた時にそのまま起きていれば、もう一本早い列車で行けてたのに。そう、今日はチェコを後にして、スロヴァキアに移動する予定だ。
結局起きたのは8時20分。今日の天気も曇り。雲ってばっかりだな……。季節柄、仕方ないとは思うけど。
●国立博物館で憤慨
10時、最初の日に言われたとおり、鍵を部屋の中に置いたままにして部屋を出て、プラハ中央駅に向かう。
ブラチスラバ行きに繋がる列車はここプラハ本駅からは出ない。少し離れたホレショヴィツから出る。それが12時58分発。
荷物預け所に大リュックを置き(30kc)、まずは鉄道のチケット購入。615kc。この端数の15kcがEC(ユーロスター)代なのなかあ。
発車までまだまだ時間があるので、すぐ近くにある国立博物館に行くことにする。何度見ても広場と言うより大通りにしか見えないヴァーツラフ広場。
そのの南端、突き当たりに聳える建物は、博物館と言うより何か別種の威厳があるように思える。この建物はここで「プラハの春」や「ビロード革命」を見てきたんだなあ。
って入場料80kc? 高い! けどまあ、ということはそれだけのものはあるのかなと思い直し、入る。
アフリカの未開民族の風習の展示、宝石(含原石)と装飾、ラトビア特別展、化石展、昆虫展、動物の剥製・模型コーナー、等々。実に多岐に渡り、盛りだくさんな博物館だった。この入館料もまあわかるかな。ただ残念なことに、個人的に今の僕にぐっとくるものはなかったなあ。オーストラリアにいて絶滅したモアの剥製(模型?)のどでかさには度肝を抜かれたけど。
で、ここの売店で何か土産はないかなと見てまわっていたら、虫がらみのものが結構多くあった。適当にいくつか見繕い、58kc。100コルナ札の上に8コルナ分のコインを乗せて出したのに、この店の係のおばはん、札だけを抜き取って受け取って、コインで42kcを返してきくさった。こっちはお札のお釣りが欲しいから、わざわざそういう出し方をしたっていうのに。
即座に苦情を言うと、
「もうレシートに打ったから駄目」
と取り付く島もない。ふざけんな! こっちはもう一時間もしたらこの国を出るのに、大量のコインなんて持ってられるか! コインは両替所で扱ってくれないことが多いんだぞ! くそう。5分ほど粘ったが、これは駄目だ。交渉するだけ時間の無駄だ。社会主義時代の悪癖が残っているのか。全く感じが悪い。
なんで最後の最後にこんな嫌な気分にならないといかんのだ。二度と来ることはないだろうことを救いにするしかないのか……。うーん、やっぱチェコは僕にとって、どうも相性が今ひとつのようだ。楽しいことも多々あったから、まるきり駄目とは言わないけど。
●国際列車に向けて
で、気を取り直して11時48分。
まだ時間まで一時間以上あるが、プラハ本駅に戻って大リュックを受け取り、地下鉄に乗る(チケット代12kc)。ううむ、堂々としたきれいな地下鉄だ。この夏に洪水で使えなくなっていたとはとても思えない。だから余計にきれいにしたのかな。すごく近代的で、いい地下鉄だ。駅も、鉄道も。車内アナウンスまであるし。
ホレショヴィッツ駅で降り、地上の鉄道駅に向かう。まだ50分もあるけど、まあいいや。
何はともあれ、まずは両替だ。何軒か両替屋があるが、電気がついているのは一軒だけだ。繁華街ではないとはいえ……。その一軒に行って、まず100kc札を出して両替を頼む。チェココルナ(kc)をスロヴァキアコルナにして欲しいと言うと、
「I don't have Slovakia」
……表の看板にはBUY、SEL、ともに出てるんだけど……。タイミングが悪かったかな。仕方ない。
なら日本円との両替は? ない。これは無理もない。ならばユーロで。……出てきたのは、3ユーロのコイン。しまった、ユーロは5ユーロ札が一番安いお札なんだった。これまでもコインは両替してくれないことが多々あり、困った経験は豊富なので、なんとかこれは避けたい。
「不足分のチェココルナをコインで出すから、なんとか5ユーロ札と両替してくれません?」
と駄目元で尋ねてみると、なんとOK! 言ってみるもんだ。ありがとう、いい姉ちゃんだ。チェコ人でもこういう融通のきく人もちゃんといるんだよな。
あと63コルナ出せば、5ユーロに届くらしい……。ありったけのチェココルナを掘り出すが、52コルナ……。あ、鞄の中にユーロのセントが少しならあったはず! で、ひっくり返して何とか70セント出して、どうにかこうにか5ユーロ札を入手。コミッション代がどれくらいか分からないが、もうそんな小さいことはどうでもいい。こんなチャンポンコインで両替してくれた、ありがたい両替屋のお姉ちゃんがいたことだけ覚えておこう。ありがとう!
本当にチェコは、僕に対して嫌な面といい面、両方を見せてきたなあ。そんな極端に振れる事は、ヨーロッパに来てからはそんなに多くなかったんだけども。
これで昼食代は完全になくなったわけだけど、まあいいや。
インフォメーションで2番プラットホームからブラチスラバ行き(終着はブダペスト)の便が来ると聞く。が、アナウンスが入る。なになに、一時間遅れ? いや、そんな大騒ぎするほどの遅れではないんだけど、それだと向こうに着いた時には、ブラチスラバ駅のツーリストインフォメーションが閉まってしまっている……。宿の斡旋を受けられないではないか。うまく行かないもんだなあ、つくづく。だからといって代案があるわけでもない。
寒いけど、他にすることもない。トイレに行くお金すらもうない。仕方ないので大人しく、ホームで寒風に吹かれながら列車を待つ。他にも二、三人、同じようにして待っている人がいる。寒い時には体を動かすのがいいんだが、長年の習慣でそういう時には柔道の一人打ち込みをついついしてしまう。が、周囲の不思議そうな目に気付き、慌ててやめる。
●スロヴァキアへ
列車は結局、一時間どころではなく、70分も遅れてやって来た。
そのくせ、ここホレショヴィツ駅での停車時間は予定通り10分、きっちり取っていた。遅れを取り戻そうという意識はないのかねえ。発車しても、列車は特に飛ばしている風でもない。駅の放送では「すいません」って言ってたけど、車内放送では一言もなし。サービスとか誠意って言葉の解釈が違うのかしらん。列車はきれいだけど、それだけではいかんよな。
車内はよく混んでいる。ベルリン発ブダペスト行きの列車だ。寒い中、一時間以上待たされた人が一斉に乗り込んだもんだから、トイレが大盛況だ。いつになったら順番がまわってくることやら。
列車はプラハの市街地を抜けると、ゆるい丘が一面緑の畑になっているところに出た。ヨーロッパでは珍しくない眺めだけど、慣れてきたとはいえやはり日本人には目を引く風景だ。検札の車掌さんは、ボブカットの女の人だった。15時を過ぎた辺りで、大体チェコの国土の真ん中あたりかな。このあたりから次第に山がちになっていった。うーん、はっきりした変化だ。
15時30分、それでなくても曇っているってのに、ついに雨がぱらつきだしてきた。これは……今は別にいいけど、ブラチスラバでは降ってて欲しくないなあ。
それにしてもお腹が減った。昨日の夕食はたっぷりすぎるくらいに食べたけど、考えたら朝はミールバーを一本とウェハースチョコだけだったんだよな。それで昼を抜いてるし……空腹になって当然だわ。
いつのまにか雨は上がった。16時00分、外はもう暗くなっている。
ヨーロッパでは列車内での携帯電話での通話、別に制限されてないんだ。みんなベラベラしゃべりまくっている。
16時45分、ブルノ着。プラハとブラチスラバの間で最大の町だ。乗客もここで大量に降り、そしてそれ以上に乗り込んできた。どうなんだろう、遅れは多少は回復したのか、70分遅れのままなのか。って、ブルノではたった三分の停車で発車したよ。車窓から見える道も太く、帰宅ラッシュの車の列が伸びている。大きい町だ。
ブルノを出てから、列車が飛ばし始めた。今までにないスピードだ。
17時15分、停車。この雰囲気は国境だな。はじめ、停車中にスタッフがまわって来た。何か書類審査を受けている人がいる。多分税関だろう。8分停車して、発車。パスポートチェックの人がやって来た。スロヴァキアの人のパスポートってIDカードみたいなのなんだな。
チェコ側の出国チェックはやはり簡単に顔を照合するのみ。スタンプもなし。スロヴァキアの方もそこまでいかなくても簡単で、顔を照合して入国スタンプをポン。……え、これで終わり? 走行中の車内での、まあシンプルな審査だこと。あれ、スロヴァキアの入国スタンプ、CZと書いてあるぞ。CZってチェコのことだよな。あれ? でも係の人、確かにスロヴァキア国のワッペンをつけてたよなあ。チェコから入国した、ってことかな?
それとは関係ないが、久しぶりに超ベタベタカップルに遭遇。そういう地に入ってきたって事なのかなあ。
17時51分、スロヴァキアの国境駅を出てしばらくしてから、チケットチェックの駅員さんがやって来た。今度はチェコ入りした時のように「スロヴァキア分のEC代を払え」とは言われなかった。これだけのことで、第一印象はずいぶんよくなる。
外はもう、完全に夜だ。後はブラチスラバでちゃんと降りるだけだな。ま、心配しなくても首都なんだし、大勢降りるはずだから分かるだろう。
やはり、心配することもなく、無事に分かって降りることができた。
●ブラチスラバでの第一夜
ブラチスラバ駅から外を望んだ感じでは、大都会ではないまでも、加古川と姫路の間くらいの感じみたいだし、悪くない。小雨がぱらついているのには参ったけど。
駅の両替所で少しだけ両替してから外へ。
ツーリストインフォメーションは、やっぱり閉まっていた。仕方ない、誰もプライベートルームとかの声をかけてこないし、『地球の歩き方』にある中では安い、ホテルキエフを目指すとしよう。もしその途中に「これは!」ってのがあれば、そこにすればいいし。何せブラチスラバ駅は町の中心から外れたところにあり、センターにはしばらくゴトゴトとトラムに揺られて行かないといけないんだから。トラム、想像以上にきれいで、想像以上に人が少なかった。中心部に行けば混んでくるだろうけど。
……そして、「これは!」なんてなかった。
到着したホテルキエフ、なんかえらくごっつい立派なホテルなんですが。リトアニアで泊まったホテルシャウレイより大きいよこれ。高そうだと思ったら、三ツ星ホテルだった……。
朝食つきで一泊2000スロヴァキアコルナ(sk)らしい。今はそんなにスロヴァキアコルナを持ってないと言うと、アメリカドルやユーロ払いでもいいという。ユーロで払うと、50ユーロだとか。まあ、このホテルのグレードからして、そんなもんかなあ。他の選択肢もないし、お世話になります。
部屋に向かおうとすると、ボーイさんが案内してくれた。ひええ、そんなグレードのホテルなのか。またこのボーイさんがえらくフレンドリーで。僕が日本人だと言うと「コンニチワ」と言って来るし。ちょくちょく泊まりに来てるんだろうな、日本人。
今のところ、スロヴァキアのファーストインプレッションは上々だ。
一番安いシングルだからか、少々グレードが落ちているようにも見える部屋だが、特に文句はない。荷物を下ろし、窓から外を見る。1010号室、つまり10階なんだけど、高いだけあっていい眺めだ。目の前にドナウ川とブラチスラバ城が夜景のパノラマとなって広がり、夜だけどガスに光が照り返して幻想的な美しさを醸し出している。……いいなあ、ここ。この眺め、気に入ったよ。
とても腹ペコだけどお金がないので、とりあえず外へ。何はさて置き銀行に向かう。現金を入手しないと。ATMで5000sk下ろす。約1万5000円だな。
資金も手に入れたことだし、どこかのスロヴァキアレストランに入ろうと思って探しにかかったが、どうにも空腹を堪えられず、最初に目に付いたマクドナルドに入る。うわ、ここのビッグマックおいしい。パンが特に。
お腹が落ち着いたら、次はネット。ホテルで教えてもらった一軒目は日本語が使用不可。何もできなかったのに使うことは使ったからとミニマムチャージの10skを請求された。あちゃあ。二軒目はホテルそばのスーパー、TESCO内にあるもので、ここでは日本語プログラムのダウンロード&インストールがオーケー。助かった。接続料金は一分で2sk。よしよし。
その後、地下一階のスーパーで食べ物を買い込む。空腹だった反動で、少し食べすぎかもしれない。
さあ、明日はブラチスラバ観光だ。どんな街かも知らないので、今夜ガイドブックに目を通しておこう。
そしてその後は……どうしよう? 何もプランが決まっていない。バンコクに戻る飛行機に乗りにトルコへ向かうか。それともこの辺りで探すか。う〜ん、ま、明日は明日の風が吹く。命に関わらない風ならなんでもいいや。
スロヴァキア 12月7日(土) ブラチスラバ
●What's about スロヴァキア&ブラチスラヴァ?
8時半起床。最近九時間睡眠が基本になっているなあ。
ホテルの朝食。まずまずおいしいけど、これで200skはちと高いかも。
10時、ブラチスラバ観光に出かける。正直、実際に来るまでどんな町かどころか、町の存在すら知らなかったが、どんなものがあるんだろう。
なにはともあれ、情報収集にツーリストインフォメーションに向かう。近かったし。
まずはスロヴァキアの地図を購入。60コルナ(クラウン−クローン−コルナ?)。この地図をカウンターの上にばさあっと広げ、スタッフの人にスロヴァキアのお勧めを教えてもらう。情報の少ないガイドブックを頼るより、この方がいい気がしたもので。
近場の城、山リゾート、山あいのきれいな町。『地球の歩き方・中欧編』で紹介されているところと一つも被らなかったのがまた面白い。ありがとう、参考にさせてもらうよ。
●ブラチスラバ旧市街
その後、何はともあれこの街で群を抜いて目立っているブラチスラバ城を見るべく歩いて行く。
909年には、いや、旧石器時代からその原型があったという城だ。ホテルの部屋から見た時も、その独特の角張った形は目を引いたし、気になっていたんだよなあ。
ツーリストインフォメーションから、旧市街を抜けて歩いて行く。
石畳、古い町並み、確かにきれいなんだけど、ヨーロッパではこれまでもそういうところばかり歩いてきたから、正直特別な印象はない。
城に行く前に、たまたま目の前に現れたので、旧市街の中にある武器博物館に立ち寄った。昔の城門で唯一残っているものを利用した博物館で、入館料は20コルナ。
……だから入り口が分かりにくいんだってば。内部は木造なのに、7,8階建てくらいの高さはある。が、しっかり漆喰で固めてあるから、そんな不安は感じない。
展示されている武器は、下から上に行くにつれ、時代が新しくなっていく構成になっていた。そして最上階では、外に出て市街を見渡すことができた。いい感じの眺めだ。そして、背後を振り返るとそびえ立っている城。近くで見ると、分厚く大きい壁が重量感があるなあ。
●ブラチスラバ城へ
次はいよいよそのブラチスラバ城だ。
太い道路を渡り、城のある丘のふもとに取り付くが、登り口がわからない。一体どこから行けばいいのやら。冬でオフシーズンだから修復作業をしているせいもあるかもしれないけど、看板を出すとかした方がいいんでは……。
旧市街を囲む城壁(?)の西の端に、聖マルティン教会があった。
これが85mの塔か。立派なものだ。
ということは、この少し向こうにドナウ川にかかる橋が……あった。
こっちから回り込んだら登城口ないかな。
などとうろうろと歩きまわり、なんとか入り口を見つけることができた。ふう。ここからだと、城がいかにドナウ川の脇の丘に立てられたのかがよく分かる。この立地なら、大昔から城があっても不思議ではないな、うん。
(例によっての360°のwmv動画ですが、よければどうぞ)
入り口の手前に、ドナウ川を見下ろすように建てられている見張り台があったので昇る。と、そこへの斜路が、やたらとつるつる滑る。下一面に、氷が薄く張っているんだ。よく滑るスケートリンクの上をつるつるのスニーカーで歩いているようなものだ。危ない危ない。全然踏ん張りが利かないが、なんとかバランスを取って上る。これだけ凍結してるってことは、今日は開いてないんだな。見張り台の中は博物館になっていた。
●ブラチスラバ城
そしてブラチスラバ城の中へ。うーん、ガイドブックにあったけど、『ひっくり返したテーブル』は上手い表現だなあ。日本人の僕の目から見ると、テーブルというよりも『ひっくり返した将棋(囲碁)盤』だけど(^^;
スロヴァキア共和国 Slovak Republic → オーストリア共和国
Republic of Austria → スロヴァキア共和国
Slovak Republic
12月8日(日) ブラチスラバ → ヴィエナ(ウィーン) → ブラチスラバ
●晴れたる青空
9時に起きる。うーん、もう少し早く起きたかったなあ。次のウィーン行きバスは11時発か。
外を見ると、快晴だ。ブラチスラバに来てから、こんなに晴れてるのは初めてだ。城からの景色、今日はいいんだろうな。
●ウィーンへ
ともかくバスターミナルに行ってチケットを買う。往復で820sk。オーストリアに行くからか、国をまたぐからか、所要時間の割にちょっと高いな。
いくら日帰り旅行だといっても、ナップサック一つの軽装で国境越えなんて、初めてだ。
日曜だからターミナル内の店も閉まってて、なんか物寂しい。チェンジマネーの声をかけられたのも久しぶりだ。道を歩いてて「火、貸して」ってのならこれまでもあったけど。
バスはさすがというか、結構いいバスで、乗客も多い。乗車率80〜90%といったところか。ユーロラインのブースでチケットを買ったが、やって来たのはOBBSなんたらという赤いボディのバス。ドル箱路線だろうし、共同運行してるんだろう。購入時にパスポートの所持確認がなかったんだけど、一応は国際路線なのに、いいのか?
ブラチスラバは国境の際にある町なので、発車して10分でもう国境に着いた。スロヴァキア、オーストリア、ハンガリーの三つの国境がすぐ近くなので、下手に国内の他の街に行くよりウィーンに行くほうがはるかに近い。
スロヴァキア出国は、わざわざパスポートを回収して行ったのに、スタンプなしか。次にオーストリア入国。こっちはバスを降りて、パスポートコントロールに並ぶ。久しぶりだ。が、チェックも何もなく、あっさりスタンプ。
再発車は11時33分。将来スロヴァキアがEUに加盟したら、このルートの手間と所要時間、圧倒的に短縮できるんだろうな。
オーストリアに入っても、ブラチスラバ城はばっちり見えている。で、ボーダー近辺はさすがに田園地帯だ。野井戸があったりするし。
12時35分、ウィーン到着。先に空港に着いたが、両替より町を見るのが先だからそのまま乗り続ける。
で、終点で降りたんだけど……ここ、どこ?
地図でイメージしていたのとはかなり違う。駅名表示を見て……ドイツ語のみだからよく分からない……えー、どこだ……。人に聞こうにも、やけに人通り少ないし。困ったなあ。20分ばかりうろうろして、やっと分かった。分かった、ウィーン南駅だ、ここ!
『地球の歩き方・中欧編』にゲートウェイとしてオーストリア、ウィーンが少しだけ紹介されているのが頼りなんだから、頼むよ。
●初見のウィーンとオペラ劇場
ウィーン南駅は街の中心部からは少し離れているが、大丈夫だ。Uバーン(地下鉄)を使って中心部に行こうとしたが、これは何……? 切符の買い方がさっぱり分からない。駅員さんのいる窓口も見当たらないので、お手上げだ。
仕方ないので面倒臭がらずに歩いて中心部に向かうことにした。どうせ一キロかそこらだし、知れてる。てくてくと歩いて行くが、思ったより冷え込んでいて、帽子を持って来ればよかったと後悔した。が、まあそんなもんだ。
ウィーンの町、歩いてみるとメインストリートは実に道が太い。そして秩序がある。
歴史的建造物か、それらに調和するように建てられたのかは分からないが、背が高く、大きい建物が肩を並べて建っている。こういう『中世ヨーロッパが今に』って町は正直食傷気味だったんだけど、ここは明らかに格が違う。こんな堂々とした建物が並んでいるのは初めて見る。国が違うのに、ブラチスラバのツーリストインフォメーションの姉ちゃんが勧めるわけだ。これは既に来た甲斐があった。
でも、この感想はさんざんヨーロッパをまわってから来てるからそう思うんであって、日本からいきなりここウィーンに来たら、衝撃を受けるんではないだろうか。
てこてこと歩き続け、ここにもオタクショップがあるのに苦笑したりしながら中心部へ向かう。おう、ウィーン中心部の環状道路、リンクはさすがだ。ここまで見てきたのよりさらに広く、立派だ。
まず見えてきたのは国立オペラ劇場。リンクの脇に立っているからよく目立つ。
古びてはいるが、歴史の重みを伴って、圧倒的な重量感で聳え立っている。中に入るつもりも時間もないが、これは凄い。さすがは芸術の都、ヴィエナの中心だ。
いいかげんお腹が減ったので、その国立オペラ劇場の裏手にあるホテルザッハーへ。せっかくここまで来たんだから、有名なザッハートルテなるものを食べてみたい気がしたもので。……なんですか、この大渋滞は。ホテルのカフェ、思いっきり満員で、外に順番待ちの人の群れが20人からいる。やっとれんわ。ということで断念。ウィーンでは三時間ほどしか予定してないんだし、仕方ない。
にしてもさすが名高い観光地、ウィーン。日本人観光客がどこにでもいる。数分歩けば少なくとも一グループは見つけてしまう。
●王宮
ここからリンク沿いに西進し、次に目指すのは王宮だ。ってもすぐそこなんだけど。
王宮側から見て、リンクの向こうに一対のごっつい建物がある。どっちも今は博物館だが、これを見ただけでも、かつて中欧一帯を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国の昔日の威光を窺い知る事ができる。
この帝国は銅像好きだったのか、立派な像がいくつも、庭の中に鎮座して存在感を主張している。
ウィーンについては来るつもりがなかったので、ほとんど何も下調べしてなかったのでよく分からないが、ガイドブックによればカール大公とオイゲン大公の像だそうだ。聞いたことがある気はするけど、よく分からない……。
王宮に正面の門から入ってみると、まず圧倒されたのが右手にある新王宮。ゆるく弧を描いて大きく広がっている壁は見事。19〜20世紀の建立らしい。
そして正面にある旧王宮。大きいけど彫刻とかはそんな派手ではなく、しっとりとしたたたずまいだ。
他と比べて少し寂しい感じもしたが、裏手に回るとその印象はひっくり返された。新王宮に負けず劣らず豪華だ……。こっちが正門だったのかな?
こちらの側には、王宮から道路を挟んだ反対側には民間のビルやらなんやらが立ち並び、道路も王宮の門の前から放射状に伸びている。王宮前は観光客でごった返している。さすがは日曜日。
ホテルザッハーとザッハートルテの本家争いをしているというレストラン、デーメル(元王宮御用達らしい)を覗いてみるが、こっちも順番待ちが外まであふれている。諦めろってことだな。
ウィーンは芸術と音楽の都として知られている(あ、CD買うの忘れた)が、さすがというか。王宮前の路上にバイオリン弾きがいたんだけど、これが上手い。いや、音楽のことはさっぱりな僕が言うのもなんだけど、上手いと思う。
(かなり劣化してますが、一部WAVファイルで録音してます。よければどうぞ)
●市庁舎
そして次の目的地、市庁舎へ。堂々たる歴史的建造物だが、今も現役の市庁舎として使われている。途中、公園を抜け、国会議事堂を横目にして行く。市庁舎の尖塔は高く、目立つので道に迷うことはない。それにしても、つくづく人出が多い。なんなんだ。
市庁舎にたどり着いて納得。出店がいっぱいだ。市庁舎前の広場は凄い人であふれ返っている。人混みは苦手なんだよなあ……。ガイドブックをよく見たら、今日のオーストリアは聖母無垢受胎節という日らしい。……またか。なんでよりによって、ピンポイントでそういうイベントの日に当たるかな……。市庁舎の主塔にかかっている「24」の幕も、それに関係してるんだろうなあ。
●シュテファン寺院
あまりの人込みに市庁舎を早々に退散して、町歩き再開。ウィーン大学、ヴォティーフ教会と見てから東に転進。
あとはシュテファン寺院を見ておきたいので、リンクの内側に入っていく。
と、シュテファン寺院の前後は目抜き通りになっていて、人通りが賑やかだ。
民族衣装を着た女の子のグループがいて、何かなと思っていたら歌いだした。手前には逆さにした帽子が。大道芸かチャリティーか知らないけど、なるほど。でもその歌は……。悪いけど、音楽の都っても、当然みんながみんな、音楽の達人というわけでもないんだな。日本人が全員黒帯かつ空手マスターじゃないのと同じように。
とかして到着したシュテファン寺院は、ものすごい迫力だった。中に入ってみたかったが、時間がなくて断念。
この周囲には、何かいわれのあるパフォーマンスなのか、力のある前衛芸術なのか、金色や銀色を全身に塗りたくり、彫像のようにじっと立っている人が何人かいた。
なんだったんだろう。
●ウィーン散策終了
そのへんの見物をだいたい終え、駅に向かう。
途中で見かけたホットドッグスタンドに立ち寄る。これで昼食にしよう。
ホットドッグといっても見たことのないスタイルのものだった。ソーセージの長さとほぼ同じ長さのパンの一方の端を切り、よく熱した鉄の串(何本も垂直に立っている)にパンを突き立てておいて、いざ注文が入ったら、熱した串でパンに開いた穴にマスタード、ケチャップ、そしてソーセージを入れる。こんなやり方もあるんだ。またこれがおいしくて。
2.9ユーロ。うぬ、やはりブラチスラバから来てる身には高いな。
そして、危うく見逃して通り過ぎてしまうところだったウィーン中央駅。外見は何の特徴もない、ごく普通のビルで、全然駅っぽくなかったもので。
空港への行き方を駅のツーリストインフォメーションで訪ねると、丁寧に教えてくれた。トルコ−タイの便を使うかどうかはまだ分からないが、どちらにせよトルコリラを手放しておけば、色々と選択の幅ができるし。それにもしかしたら、帰国時にウィーン国際空港を使うことになるかもしれないし。空港に行っておいて損はない。
えーと、行き方は分かりましたが、切符は自動券売機で買ってくれと? その使い方が分からないんですがねぇ……。説明を聞いてもさっぱり分からないし……。う〜ん、もう少々高くてもいいや、エアポートバスを使おう。
シティエアターミナルという名のバスターミナルで、バス待ちの間にオーストリアの新聞と絵葉書を買う。
なんか店の中に、日本や中国の新聞や雑誌もあったけど、古新聞・古雑誌なんだろうか?
ここのビルに入っているツーリストエージェンシーオフィスの張り紙を見たら、日本まで569ユーロだと。とびっきり安いというわけではないが、プラハと同じ値段だな。本当にプラハは安いのかな?
ともかくバスに乗る(5.8ユーロ)。
国際空港行きのバスだから、みんな大荷物、それもスーツケースをガラゴロさせて、悪戦苦闘しながら積み込んでいる。手荷物のみだと本当に楽で楽で……。いかん、なんか無意味に優越感を感じてしまっている。
前の席には日本人のカップルが。なんか二人の世界に入っちゃってるので話しかけないけど。で、空港に到着。
●ウィーン国際空港
さて、トルコリラの両替にチャレンジだ。
ウィーン国際空港はイスタンブールのアタテュルク空港と直行便が飛んでいるからトルコリラを両替してくれる可能性はあるが、ここまででトルコリラの弱さは身に沁みているから、駄目元だけども。もしユーロに換金できる両替屋があるとしたら、到着ロビーにあるはずだ。
あった。
一軒だけだが、両替してくれる。ありがたい!
早速手持ちの1億7250万リラを……108ユーロ少々。うーん、多少のレートの悪さは仕方ないとして、またインフレが進んだのか。仕方ないなあ。そんなんではEUへの加盟は難しいぞ。
ともかくこれで、絶対にトルコに行かないといけないという縛りはなくなった。
せっかくだから、記念に空港のパンフでももらっておくか。
ここからスロヴァキアに帰るには、空港をを経由する国際バスに乗ればいい。バスオフィスに行き、朝買ったチケットの復路分、オープンだった時刻を確定してもらう。次のバスは17時25分らしい。一時間以上あるなあ。のんびり待つか。
手持ちのユーロ硬貨を確認したら8ユーロもあったので、売店を物色する。
●ブラチスラバに帰る
帰りのバスは結構空港から乗る人が多く、ここで座席は大体埋まった。便数や到着先の場所を考えたら、鉄道じゃなくてバスを使うのも分かるなあ。
ボーダーではオーストリア出国は係員が乗ってきて、一人一人のパスポートにスタンプを押してまわった。スロヴァキア入国は、係員がパスポートを回収して、まとめてスタンプを押して返してくれた。どうもスロヴァキア、入国時にはきっちりスタンプを押すようだ。
ブラチスラバに帰り着いたら18時33分だった。
センターに戻ってまずテスコに行き、取るものもとりあえずネット。
うん、やっぱりタイに戻るのはやめて、この辺りでチケットを取り、余った時間でスロヴァキアとかをもっと堪能しよう。この国、なんか居心地いいし。
トーマスからメールが来ていて、僕が当初の予定通りタイに戻るなら、そこで会えそうだとのことだったけど、ごめん、戻らないことになりそうです。
夕食は、ホテルキエフ横に店を構えているピッツェリア。メニューがイタリア語しかないって……おいしいからいいんだけど。
テスコで明日の朝食も買ったし、オーケー。
それにしても残り日数も少なくなってきたというのに、最後まで未定の連続ってのは困ったもんだ。まさにほろほろ旅だなあ。
スロヴァキア共和国 Slovak Republic → ハンガリー共和国
Republic of Hungary
12月9日(月) ブラチスラバ → ブダペスト
●荷物を送りたいんだけどなあ
目が覚めたのは9時半。確か昨夜は12時に寝たよな……我ながらよく寝るなあ。
今日はとにかく、日本へのチケットをなんとかしないと。最後には成り行き任せだけど。
その前に、まずは貯まりに貯まって重くて嵩張って困るようになってきた、新聞やパンフレットを捌くため、旧市街の中にあるポストオフィスへ。
……英語表記がないうえ、滅茶苦茶混んでるんですけど……。困った。なんとか開いている窓口に行って、新聞の入った袋を見せ、
「日本に送りたい」
と言うと、まずは入れ物になる箱を売ってくれた。23.8コルナ。
が、郵便に送り出すのはここじゃないらしい。別の小包窓口に並ぶ必要があるようだ。大人しく列に混じって待つ。やっと順番がまわって来た。
「この荷物、日本までお願いします」
……なんで首を横に振ってるんですか?
「ポスティ、ニェ」
……扱ってない? それは、国際小包はやってないってこと?
なんか紙に住所を書いて渡された。ここに行けってことか。でも文字の住所だけ渡されてもどこのことやらさっぱりなので、近くにあったツーリストインフォメーションに行って尋ねてみる。
どういうことなんでしょうか。
ふむ、1kg以上の荷物は郵便局では扱ってない、と。カウンシルに行く必要があるらしい。で、このメモにある住所はどこですか? ……めっちゃ遠いがな。やめや、やめ。それならここと同じくチケットが安いらしいから、近々調べに行く予定のハンガリーで出すよ。
と、気がつけば13時過ぎ。今日はまだ何もしてないのに、もうこんな時間か……。まあ、この国の人は対応は悪くないのでそんなに腹は立たないんだけど。
●エアチケット探し
小包は後日回しにして、次なる用事は、日本行きのチケット探し。こっちが今日の主目的だ。なるべく安そうな旅行代理店を見つけないと。まずツーリストインフォメーションで教えてもらった所に行く。
ブラチスラバ発モスクワ経由のアエロフロートより、ウィーン発のブリティッシュエアの方が安いってのはどういうことだ。片道で24,000sk弱。税別。7万円くらいか、それなら出せるな。高くはない。高くはないんだが……ううむ、560ユーロ。ここまで調べた中で一番安いけど、ここで決めてしまうにはやっぱりちと高い。あと100ユーロ安ければ決めてるんだがなあ。
他にもいろいろと何軒もまわってみるが、
「日本行き? 扱ってないよ」
「12月24日までに到着したいの? もう9日だし、今からでは遅すぎるわね」
等、散々だ。やはりもう一つ、ハンガリーで調べてみてからでないと決めきれない。チェコ、スロヴァキア、オーストリア、ハンガリーと四カ国を調べた上で決めよう。……普通はこういう調べ方はしないよなあ。
●スロヴァキアを出る
ネットをしてからホテルに戻り、ハンガリーはブダペスト行きの列車の時間を聞く。20時半発のがあるらしい。それって、向こう着が23時とかになるのでは……。もう、ブダペストにはそういう巡りなんだな。
なんか今の気分的に日本人宿に行く気がしないし、向こうでの宿は前回泊まった二軒を基本線に当たってみよう。しんどいけど。どっちの宿も24時間受付してるはずだけど、どっちも満室になることが多そうなのが気がかりではある。
……というか、まだ17時半なんだけど、もっと早い便はないんですか? ない、そうですか。
……しかし、ブラチスラバのトラムのチケットをホテルのフロントで買えるとは思わなかったよ……。
とにかく動き出そう。
天気予報を見ると、中欧全体に寒波が到来しているようだ。最高気温で-3℃、最低気温は-15℃。これが南はルーマニアのブカレスト辺りまでの気温だ。すごい。これが冬のヨーロッパってやつか。あ、今ならラップランドに行けば、オーロラが見られるんだろうな。
トラムに乗って、駅へ。
あっさりとブダペスト行きチケットを購入(700sk)。
スロヴァキアコルナからハンガリーフォリントへの両替(2,000sk→10,600Ft)も無事完了。
って、これだけやってまだ19時か。まだあと一時間半もあるよ。暇。もうすることもないので、ただひたすらに「寒いよお」と震えながら列車を待つ。
●ブダペスト再訪
列車は定時にやって来た。当たり前のことなのに、それがすごく嬉しい。
EC(ユーロシティ)の列車はさすがにいい車両で、断熱も暖房もしっかりしており、快適だ。
が、さすがは深夜ブダペスト着になる列車だけあって、乗客がいない。一本前(僕がプラハからブラチスラバに来るのに使った便)とはえらい違いだ。
列車は闇の中を快調に走り、21時20分、停車。えらく長く停まってるなあと思っていたら、出国のパスポートコントロールがやって来た。まだ早いと思ってたけど、ボーダー駅だったのか。
じっくりとパスポートを見て、入国スタンプの上に強引にスタンプ。そしてスロヴァキアの係官のすぐ後ろで順番待ちしていたハンガリーの入国管理官が入国チェック。順番待ちしているのが面白い。ただ、この時点で、既に列車は動き出していた。いいのか。パスポートをじっくり検分し、顔写真を青いライトで照らしている。偽造の確認かな。というか、そんなに顔、違ってるのかな。そういやスロヴァキアの出国チェックの管理官氏も何かの機械と照合してたなあ。適当ではないが、やっぱりシンプルなボーダーチェックだこと。
ブダペストまではまだ一時間半ある。地図を見るとぴんと来ないけど、ブラチスラバ-ブダペスト間では、ハンガリー国内を走る距離の方が長いのかな。
そういやこの辺りってドナウ川の曲がり角、ドナウベンドと呼ばれる景色のいいところのはずなんだよな。真っ暗で何も見えないけど。残念。
22時、停車した駅でえらく長く停まってるなあと思ってたら、入管審査の人がやって来た。今度が税関審査なのかな? アジア人旅行者の僕を見て、少々戸惑っているようだ。
「Where do you come from?」
「Japan.」
「…Ah…Prague?」
ああ、そっちを知りたかったのね。
「Bratislava.」
「OK.…declare?」
「No」
ちょっと気がかりそうに言っていたのは、デクレアが通じたかどうかが自信がなかったからなのかなあ。大丈夫、申告するようなものはありませんよ。
その後、チケットチェックの駅員さんも来てから、無事発車。
その後は問題なく走り続け、慣れ親しんだブダペストニュガティ(西)駅に到着。
時刻は23時前。
宿はどうするか考えたが、さすがに遅いので、今日は前回と同じibisホテルに向かう。地下鉄はもう走ってない時間だから、少し距離を歩かないといけない。今回は、ブダペストのこのあたりは深夜に歩いてもまあ大丈夫だと分かっているので少し気が楽だ。
オフシーズンだし、空き部屋はあると思うんだけど。こっちの方が高いけど、立地的に、先にパピヨンに行って埋まってたら、体力的・精神的なダメージは甚大になってしまうからなあ。
とか思いつつ辿り付いたibisホテル、空いていた。安かった。さすがはオフシーズン。素泊まりとはいえ、税込みで55ユーロで泊まれるとは。前回10月の末に来た時は69ユーロだったもんなあ。新しくてきれいなホテルだけど、少々古びてきているブラチスラバのキエフホテルと大差ないのか。これなら来て正解だ。
ガソリンスタンドに付随した、深夜営業しているコンビニにドリンクを買いに行く。コンビニの店員さん、なんか僕を覚えているようだったなあ。やはり日本人が深夜に来るのは多くない場所なんだろう。さて、これで軽く食事して寝よう。
……今回はいないかなと思っていたら、ホテルのロビーに娼婦の姉さん達、いるよ。オフシーズンで客が少なくて暇だからか、商売抜きで雑談をしてくる。こっちも暇なので軽く話すが、いくら寒い季節とはいえ、アイスを持ってるからソファに腰掛けてまで本格的に話す余裕はないんですよ、ごめんなさい。このロビー、よく暖房が効いているし。
ハンガリー 12月10日(火) ブダペスト
●宿を移る
2時就寝、9時起床。やっぱここの宿は快適だ。外の天気は快晴。
さて、今日こそ郵便を出して、身軽になろう。そして日本へのエアチケットを探すんだ。ブダペストも航空券が安いと言われているけど、果たして自分に見つけられる範囲の代理店でいいのが見つかるかどうか。
ともあれ10時半にチェックアウトし、移動開始。
勝手知ったるブダペストの町を地下鉄とトラムを乗り継いで移動する。まだすぐにはこの町を出られないので、まずは宿を移動だ。ホテルパピヨンへ。気心が知れてるところってのは過ごしやすくていい。部屋は簡単に取れた。今回は一号室だ。
前よりずっといい部屋、というかダブルルームじゃないか。さすがはオフシーズンといったところか。料金は6250Ft(フォリント)、25ユーロ。前回は8000Ftだったから、やっぱりここもオフシーズンディスカウントしてるんだ。思わず長居したくなってしまいそうだが、まずはやることをやってからだ。
フロントのお姉さんに郵便局の場所を聞く。ついでにツーリストエージェンシーの場所を聞いたら
「ここでも予約できますよ」
と。うむ。安ければなんでもいいんだが。
それにしてもブダペスト、相変わらず感じのいい町だ。こっちの行動もうまくいってくれればいいんだけど。
●荷物を送る
何はともあれ小包を出しに、教えてもらった中で一番近くの郵便局に行く。が、ここがもう殺人的な大混雑。しかもEMSマークがないので国際小包を扱っているかどうか分からないし。
これはあかんわとトラムに飛び乗り、ニュガティ(西)駅そばの郵便局に行く。ここは大きい局だから、EMSも扱っているだろう。あった。……けど、なんなんだ、この狂ったような混雑ぶりは。こらあかん。
ということで、今度は地下鉄に乗って再度移動。今度は中央郵便局だ。ここはまだ、混雑ぶりが他に比べてマシだ……が、なんでEMSの窓口だけが長蛇の列なんだ? 西駅の列の倍以上あるじゃないか。
自らの間の悪さに舌打ちしつつ、四局目を目指すことにする。地図を広げて見ると、ここから歩いて行けるところに二つあるようだ。一つ目はよく空いていて感じも良かったんだけど、EMSどころか小包も取り扱ってなかった。二つ目は……潰れてるよ、おい。
あたりは繁華街。異郷の地で郵便局を求めて延々走り回っている自分が、なんかえらく寂しい存在に思えてきた。疲れたよ……。
トイレに行きたくなったので、無料のところを探して適当なホテルに入って使わせてもらい、気を取り直して中央郵便居に戻る。すごい長さの列は変わってなかったので途方に暮れる。
たまたま近くを通りかかった職員のお兄さんに、並ぶところはここでいいのか確認のために尋ねてみる。がこのお兄さん、ドイツ語はいいが英語は駄目だという。荷物を見せて
「日本に送りたいんだ」
と言うと分かってくれたようで、建物の反対側にあった小包コーナーに連れて行ってくれた。おお、別の場所なんだ。何も考えずにこの長蛇の列に並ばなくてよかったよ。
あれ? こっちは閑散としている。さっきの列は一体? 大きい局で、あちこちにいろんな部署が分かれているから、分かりにくいんだよなあ。ここにしても、知らずに見たらただの仕分け所にしか見えないし。
……けど、窓口の向こうに係の人がいないんですが……。仕方ないので少し外をぶらついてから戻ってくると、帰ってきていた。
荷物を入れる箱を買い、こっちの住所と送り先の住所を。……こっちの住所? ホテルのアドレスでいいらしい。
重さを計ってみたら、5.8kgもあった。さすがに紙は集まると重いや。料金計算をしてくれていた係のおばちゃんが、あきれた声を上げた。うん、僕もあきれました。
航空便で送ると、なんと16,760フォリントもかかってしまうという……約9,000円か……。ノルウェーのアルタでの経験から、6,000円くらいは覚悟してきてたんだけど、それどころじゃなかった……。船便だと9,450Ftでいけるよと教えてくれたが、航空便だと到着まで15日、船便だと30日はかかるとのこと。帰国が迫ってきている今、それだと航空便にするしかない……泣きそうだ。こういうことに大金を吸い取られるってのは、本当に辛い……。しばらくはこのダメージを引きずりそうだ……。
●エアチケット探し&夜のブダペスト
どうにか発送を終え、体も懐も心も異様に軽くなって外に出ると、ほとんど夜になっていた。それもそのはず、もう16時30分だった。今日一日はこれで終わりか……。
抜け殻のような気分のまま、ツーリストインフォメーションに足を運ぶ。ここでお勧めのツーリストエージェンシーを紹介してもらう。VISTAという、かなり大きいところ。が、ここでは678ユーロのものまでしかなかった。
「12月24日? ハイシーズンだわ。しかもあなた、学生じゃないんでしょ? これがウチの出せるベストプライスよ」
と断言されてしまった……これは駄目だ……。16万フォリントなんて、とても出せない……。
この時点で17時15分。今日はもう、他のエージェンシーに行っている時間はない。いいことのなかった一日だったな……。
地下鉄でブダ側の王宮近くのターミナル、モスクワ広場に戻る。そういやブダペストの都市交通機関に乗るのだけは今日一日で慣れたな……。
そばのデパートに入る。何かハンガリーの民族音楽でも買うかと見てまわるが特に発見できず、ネットをする。
宿に戻ってフロントのおばちゃんと話す。近くでディナーにいいところ知りません? このおばちゃんはいい人だけど英語がそんなに得意じゃないんだよな。人のことは言えないけど。でもディナーをテレフォンと聞き違えるってのは凄いような。
食堂に向かっていると、ジャンパーの前のチャックが壊れて取れてしまった。このジャンパー、確かにもう限界だったけど、まさかここまで……。中欧にいて、冬が来たというのに防寒着が駄目になったというのは痛い。至急なんとかしないと。それにしても寒いと思っていたら、今日の外気温、-8℃だとか。寒いわけだ。
結局あまりいいレストランが見つからず、前回「高っ!」と思った宿近くのところに行く。
今回はビールを頼まないなど工夫して、2046フォリントに抑えた。それでもパプリカチキンはおいしかったし、結構お腹もふくれた。満足満足。
宿に戻るが、昼間のダメージが抜け切っておらず、明日の計画を立てようとするが身が入らない。横の部屋ではカップルが盛大にいちゃついているし。ええい、やかましい!
昼間にここでもエアチケットが取れるとの事で調べてもらっていたが、こちらも16万フォリントかあ……。フランクフルトとかソウルとかで乗り換えるという工夫はあるが、手の出せる値段じゃないよなあ……。
こうなったらブラチスラバでの560ユーロのチケットに決めて、埋まる前に押さえてしまうかな……。
でもその前にジャンパーの買い替えは絶対しないといけないし、せっかくだから日本人宿のあるあたりのエージェンシーも2,3当たっておきたい。それでも条件が変わらなければスロヴァキアに取って返そう。
もう頭の中からは完全に今あるイスタンブール発バーレーン経由のバンコク行きルートは消えてしまっている。ま、リコンファーム期限の明日16時まで、どうなるかは分からないけど。
"I changed my mind."
って、元々はシベリア鉄道で帰るつもりだったし、いろいろ変わってるよなあ。アルカイダの自爆テロ宣言とか、イラク問題とか色々あって。イラクはまだ大丈夫だと思うけど、日本にいる家族の懸念を無視する選択肢を選ぶってのはないし。
ここまで色々あるけど、年末までに帰国するという方針には変わりがない。今入っている海外旅行保険が12月24日で切れるし、それより何より正月は実家で家族揃って過ごすという、我が家の絶対の習慣があるし。かくいう自分自身が、実家以外で正月を迎えるなんてここに至っても全く考えていないもんなあ。