ほろほろ旅日記2002 10/21-31

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ルーマニア 10月21日(月) ポイエニレ・イゼイ → シゲット・マルマッティエ → サトゥ・マーレ

● ポイエニレ・イゼイを後にして
 起きて下に行くと、奥さんは既に僕を車で送る準備を万端整えて待っていた。やる気満々ですね。
 朝食後、車が出るまで少しあるので外を軽く散歩。あ、ここからだと新旧の教会が並んで見られるんだ。


 午前10時前、ドライバー役の兄ちゃんがやって来て、奥さん(マリアさん)と三人で出発。あらためて見ると、ここも谷の一番奥にある村なんだ。グロードよりはずっと谷が広いからそんな印象は薄かったんだけど。こりゃあ確かに、歩いて出るような所じゃないわ。
 ルーマニアのメーカー、DACIAのリアシート、スプリングの調子がいまいちで、バウンドしまくりだ。まあこれも味なんだけど。自然と伝統が今に色濃く残っているマラムレシュの谷を車は疾走していく。


●久々の長バス旅
 11時前にシゲット・マルマッティエイ着。
 マリアさん達と別れ、アウトガーラでバイア・マーレサトゥ・マーレ、またはオラデア行きのバスの時刻を調べると、一番早い便で、サトゥ・マーレ行きが14時ちょうどに出るとのこと。よし、それに乗ろう。サトゥ・マーレってどんな町か全く知らないけど。

 バスまで時間があるので、ちょっと買い物に出かける。鉄道駅前の古着屋で薄手のセーターを買うが、あまりにも安すぎて驚いた。40,000レイ(150円)って……。

 13時45分にアウトガーラに戻ったが、まだバスは来てなかった。本当に来るのか心配になりだした発車5分前、ようやく来た。乗客も少ないなあ。のんびりできていいんだけど。やはりここからだとバイア・マーレが主要路線で、こっちはマイナー路線なんだろうか。

 発車して40分ほどしたところで、あまりにのどかなのでうたた寝をする。ガイドブックとかでは海外の交通機関で居眠りをするとスリがとか書かれているけど、このバスは大丈夫過ぎる雰囲気に満ちているし、いいや。
 シゲット・マルマッティエ−サトゥ・マーレ間の距離は106キロ。料金は10万レイ。どう考えてもこの国の公共交通機関、他の物価に比べて安いよなあ。ツーリスト関係じゃなければこれが基準なのかもしれないけど。
 バスははじめ、マラムレシュ盆地を快調に飛ばしていったが、約40キロほど走ったところで大きな峠に差し掛かった。道の左右は、こまめに手入れされてるんじゃないかというほどすっきりと綺麗な林が広がっている。黄葉した葉が地面を覆い尽くし、その上にすっとまっすぐ伸びた樹々が林立している……。それがずっと続いているなんて、日本では考えられない景色だ。
 曲がりくねり、いつまでも続くのではないかと思いかけていた峠もピークを過ぎ、バスはサトゥ・マーレJud.に入った。途端、眼下に広大なパノラマが広がった。そうか、ここから先はハンガリーに連なる平原だ。視点の位置が高いので、どこまでも見通せそうだが、どこまでも平野が広がっている。
 山を下りて平地に出、15時26分、とある町で停車。あれ、こんな小さなところで停車するの? 15時45分、新しい客を積んで出発。そこからは少し走っては降ろし、また乗せ、の繰り返し。このバス、地域の路線バスの役も兼ねているようだ。
 景色は四方いずれも、見渡す限りの平原。いわゆる「グレート・ブレイン・ハンガリア」の圏内か。確かハンガリー帝国領時代も長かったはずだし。そんな中を貫く埃っぽい道、少しさびれた感じ、ちょっとだけカンボジアを思い出した。まっ平らな平原(畑)の只中を、道路がすとんとまっすぐ貫いている。たまに村が出てくるが、それ以外はただひたすらに平原を進んでいく。山の中にあったマラムレシュとは全く違う。ここまで景観が変わると、ほとんど別の国だな。ブカレスト周辺の平原ともまた違う感じだ。こっちの平原は本当に平らで、うねりというものがあまり感じられない。目指すサトゥ・マーレはハンガリー国境に程近い町だし、雰囲気もこれまでとは違うんだろうな。
 などと見ているうちにバスは妙に広い町で停車した。サトゥ・マーレだった。


●未知の地、サトゥ・マーレ
 思ったより早かったな、もう着いたのか。え、降りろ? ここはまだガーラじゃないようだけど、ここで? ここの方がセンターに近い? 駅にも近い? 分かったよ、オーケー。
 言われるままに降りたが、そうは言ってもガイドブックにも載っていない、何の情報も得ていない初めての町だ。どこがなにやら分からない。とりあえず同じバスから降りた兄ちゃん達が歩いていくのについて行ってみる。とにかくここからの列車の時刻を確認して、ホテルを見つけないと。そのためにも、まずは地図だ。それにしてもこの町、なんか教会が多いなあ。それも、一つ一つが大きいし。

 センターらしき所に出た。
 目に付いた二軒の本屋に入ってみるが、この町の地図はないという。なら次は、駅だ。本屋の店員さんに聞いた方向に歩いていく。
 歩きながら気付いたんだけど、この町は地勢だけじゃなく、これまでのルーマニアの町とは空気が違う。妙にからっとしているというか……。しかも、妙に人がそっけない。こっちを見てはくるんだけど、挨拶しようとすると声をかける前に目をそらして知らぬ振りをする。都会ではこれが普通なんだけど、これまでブコヴィナやマラムレシュでの懐っこさに慣れていた身には、やけに冷たく感じてしまう。そして、駅がやたら遠い。大リュックから何からフル装備した状態で、歩いて15分ほどかかったか。いや、時間自体はそんなにかかってないんだけど、駅に近付くほどにだんだん周囲が寂れてきたのには参った。通りがかりの人も誰も笑いかけてこないし……。

 そして着いた、サトゥ・マーレ駅。……鉄道とバス、同じ場所にあったのか……。これじゃあ何のためにセンター近くで降ろされたのか分からないな……。
 ともあれ、せっかく来たので駅構内に入って情報収集を。くそう、CFR(ルーマニア国鉄)の窓口が見当たらない……。掲示されている時刻表を見るが、やはりここから南へ行く列車はそう多くない。その中でさらにハンガリーに行く列車は少ない。駅前には「Budapesti」と書いたミニバンが停まっている。アジアでなくてもこういうのって走ってるんだ。ま、僕の旅は可能な限り、気の向く限り鉄道を使うのが基本線だからとりあえずは関係ないけど。


●二転三転、町の印象
 駅前にもホテルが一軒あった。そうだな、先のことは後にして、まずは宿を決めて一息つこう。けど、この駅前ホテルはなんとなく雰囲気が合わないのでやめ。しんどいけどもう一度センターへと足を向ける。
 途中ですれ違った父子連れに
「ブーナズィア」
 と声をかけたら、
「ハッハーン」
 と冷笑された。は!? 待てコラ。感じ悪い。
 この町はあかんのかなあと思いかけた矢先、次にすれ違ったカップルが陽気に声をかけてきた。
「ハーイ、キナー」
「ノー、ジャポネ」
「オー、ジャポネ。ハーイ」
「ハーイ」
 みんながみんな、差別して感じ悪いってわけでもないようだ。

 センターに着くまでも周囲を探しながら来たが、ホテルは見当たらない。どこにあるんだ?
 センターで僕を追い抜いていったじいちゃんと目が合ったので挨拶すると、足を止めて振り向き、僕の全身をしげしげと眺めてから一言。
「ジャポネ?」
「ダー」
 そうです、よく分かりましたね。
「どこに行くんだ?」
「ホテルを探してるんですが」
「それなら向こうだ。ホテル・アウローラとホテル・ダチアがある」
 そう言って指差し、あまつさえホテルの前まで連れて行ってくれた。ありがとう。ちょっと中国人に差別意識を持ってる人が多いようだけど、基本的にはここも人のいい町のようだ。今日はもう、よっぽど高くない限りはこのおじいちゃんの勧めてくれた宿に泊まることにしようっと。歩きながらおじいちゃんが言う。
「どうだ、このサトゥ・マーレの町はきれいだろう(註:いろいろ言ってたけど『フルモース(きれい)』しか聞き取れてません)」
「ダー。フルモース」
 などと話しているうちにホテル・ダチアに到着した。おじいちゃんはそのまま、笑顔で握手して去って行った。本当にありがとうございました。


●サトゥ・マーレの夜
 ホテルのスペルは「HOTEL DACIA」。車メーカーのダチア系列なのかな。というか、えらく立派なホテルなんだけど、大丈夫なのか? 恐る恐る、きちっとスーツを着込んだ礼儀正しいフロントの兄ちゃんに尋ねると、一泊85万レイ。一泊3000円くらいか。オーケー。英語も通じるし、久しぶりの感じだ。
 いいホテルって、いつ以来だろう。バーレーンのトランジット以来かな。あの時は飛行機の延着でほとんど眠れなかったんだよなあ。となると、いいホテルでくつろいだのって……マレーシアのジョホール・バルで日本系列のホテル・ブルーウェーブに泊まって以来? 四ヶ月ぶりか。なんか建物とスタッフの印象はいいし、町の印象も陽気なカップルと先のおじいちゃんのおかげで急激によくなってきてるし、せっかくだからここで二泊程してもいいかな。


 ともあれ部屋で旅装を解き、外へ。時刻は18時50分だ。何はともあれネットカフェへ。ホテルで教えてもらった所、妙に立派だなあ。ちょっとびっくり。ここでも例によって日本語環境は入っていないが、プログラムのダウンロードとイントスールがオーケーなので、よし。
 ネットでサトゥ・マーレの地図を見つけることができた。これで一息つける(『中欧の迷い方』内、サトゥ・マーレ市及びサトゥ・マーレマップ)。どうやらこのホテルの前の自由広場周辺が中心のようだ。見どころは教会とミュージアムで、それもこの近くに固まっているようだ。これなら明日はゆっくりできそうだ。
 ちなみにここサトゥ・マーレはSatu Mareと表記し、「Satu」は「村」、 「Mare」は「大きい」。つまり「大きい村」の意だとか。ハンガリー語だとSzatmar(サトマール)、ドイツ語だとSathmar(ザトマール)だそうだ。ちなみに結局行かなかったバイア・マーレは「大きい炭鉱」の意だそうだ。
 ネットを終え、支払いをする段になって50万レイ札しか持ってなかったので「No good」と言われてしまった。すいませんねえ。


●最高の美味
 ここまで歩いていて、あまりピンと来る食堂はなかったし、夜も九時を過ぎていたので、今日の食事はホテル・ダチアのレストランで摂ることにした。値段が高くないといいなあ。

 ……人間の最高の幸せの一つって、本当においしいものを食べた時にあると思う。
 ここのチョルバ、なんだこれ? 一口食べた瞬間、冗談でなく衝撃を受けた。
 ギリシャ風のなんとかいうのを頼んだんだけど、こんなにおいしいのは初めて食べた。Pui(チキン)のチョルバで、澄んだスープの中に、チキンとニンジン、そして小麦粉を練ったものをみじん切りにして茹でたような具が大量に入っていた。これがプリプリザクザクつるんと、歯ざわり、舌ざわり、喉越し、どれも最高!
 一緒に頼んだスパゲティも、今まで食べた中で一番おいしいんじゃなかろうか。パスタにソースが見事に絡まり、山とかけられた糸のようなチーズがふんわりと風味を増していて……幸せだ……。
 おまけに、これにURUSUSビールを足して、8万レイかからないなんて、考えられない。ここに泊まって良かった。
 今日は幸せに、気持ちよく眠ることができそうだ。


ルーマニア 10月22日(火) サトゥ・マーレ

 9時に目が覚めた。11時半に寝たから……よく寝たなあ。気持ちの良い、深い眠りだった。やはりたまには張り込んでいい所に泊まるのもいいもんだ。
 ……が、確認してみてびっくり。このホテルダチア、二つ星だった。これでシゲットのTISAと同じランクって……ありえない。一体、格付けってどういう基準なんだろう……。


 料金に含まれている朝食はビュッフェ形式だった。普通においしい。
 出かける前に洗濯を頼む。出来上がりは明日の10時か。これで明日朝8時の列車には乗れなくなるが、ま、いいや。
 レセプションの向かいでツーリストエージェンシーが営業していたので、ブダペストに行く方法を尋ねてみる。お勧めはミニバスらしい。料金は7〜80万レイ。やっぱり国際線はちょっと高いなあ。国境越えということと距離を考え合わせるとそんなものなんだろうけど。ってミニバス、ブダペストの市街地じゃなくて空港に着くのか。それはちょっと。

 決断には至らず、とりあえず外に出る。

 まず郵便局へエアメールを出しに行き、さらにCFR(ルーマニア国鉄)を探し出して行ってみる。ちょっと古びたニュータウンというか、いかにも共産党時代の街並みというか、こんな鉄道と無縁なところに営業所があるのか。なんか不思議な感じだ。
 
 尋ねてみると、ブダペストに行く方法は二つらしい。01時49分発の直通か、15時35分発・23時着の乗り換え便か。料金はともに713,000レイ。値段はそんなものとして、昼間の便はないのか。うーん、深夜に到着するのも嫌だけど、真夜中にサトゥ・マーレの駅に行くのも嫌だなあ。しかも夜のうちに国境を越えるってことは、トルコからブルガリアに抜けた時みたいに寝てるところを叩き起こされて国境通過手続きをしなくちゃいけないだろうし。なるほど、エージェンシーの人がミニバスを勧めるわけだ。いっそ先にハンガリーのデブレツェンまで行って、そこから改めてブダペストを目指すか……考えどころだな。

 それはともかく、寒いから暖かい服を買いたいんだけど、トレーナーを売ってるところが見当たらない。どこにあるんだ? 高そうなの、女子供のものならあるんだけど。
 途中で目についたMUSIC SHOPでCDを買う。二枚で258,000レイ。どれがどれやら分からないので、店員さんに「トラディショナル」と「ニューポップ」のお勧めを一枚ずつ選んでもらった。
 気がつけば、センター近辺の町は大体見たと思う。あとは服を買いたいので、ホテルのレセプションでバザールの場所を尋ねた。
「ウンデ バザール? アッシャ ヴリュ トレーニングウェア(バザールはどこですか? 僕はトレーニングウェアが欲しいんですが)」
 なんだかんだでこれくらいは話せるようになっている自分に驚き。

 ホテル・アウローラからさらに西へ入っていった、PIATA(ピアツァ)というバザールがいいらしい。駐車場を使っているが、こんな大きいバザール、ルーマニアに来てから初めて見た。

 奥の方が服コーナーらしいので歩いていっていると、今現在ジャージを履いているからか、やたらと「ジーンズ」と声がかかった。ま、ジーンズはともかく、この際だから色々買っておこう。これから先、物価はどんどん高くなる一方だろうし。
 トレーナー20万レイ、靴下四足3万レイ、前チャック式セーター45万レイ。
 などと買い物をしていたら、他の客やら店の人やら、えらく人が集まってきた。やはりアジア人はここまではあまり来ないようだ。
「クンフー?」
「キナ」
 やはり中国人が基本なのか。笑って首を振って
「ジュードー」
「ジャポネ」
 と言って、手近な男の人に組みついて投げる真似をしたら受けた。陽気な人達との楽しい一時。いい町だ、サトゥ・マーレ。このバザールでの一時だけで、この町に来た値打ちは十分以上にあったよ。


 夜はネットカフェでゆっくりと。居心地がいいのでついつい夜10時まで居付いてしまったが、こんな時間に外を歩いていてもそんなに治安が悪い感じはしない。

 今夜の夕食もホテルのレストランで摂ったが、昨日食べたギリシャ風チョルバは品切れだった。残念。仕方ないのでポークフィレ、サラダ、ビール、パンというシンプルな食事。
 食後、外の空気を吸いたくなったのでちょっと外に出ると、一人の女の人が寄ってきて「SEX?」うわ、なんつーダイレクトな。いらんいらん。
 しかしなんだな、この町に来てから、急に英語が通じるようになったけど、もう英語は通じないものという頭が出来てしまっているから、急に英語を喋ろうとしても言葉が出てこない。参った。


ルーマニア 10月23日(水) サトゥ・マーレ

 蚊が、蚊が……。
 初日はいなかったのに、昨夜はえらくいて、おかげで熟睡できなかった。1時前に寝たのに、4時には我慢できずに目が覚めてしまった。
 一体なぜ?
 部屋を調べてみて分かった。窓が開いたままだったのだ。昨日、ルームキーパーさんが掃除した時に開けて閉め忘れてたんだな。カーテンで隠れてて、暖房がよく効いていたので気付かなかったよ。
 この国の暖房装置はテラコッタという、鉄の大きな蛇腹のようなものの中にお湯でも通しているのか、その熱で暖めるというもので、暖かくなるまでは時間がかかるが、ストーブやエアコンより自然な暖かさで、部屋全体が温まる。これはいいよなあ。よすぎて今夜は窓が開いてたことに気付かなかったんだけど。

 5時ごろ、また眠くなってきた。3時間睡眠ではもたないよ。蚊はまだいるけど、だいぶ減ったので今度は眠れそうだ。おやすみなさい……。
 次に目が覚めたのは、10時半。あちゃあ、朝食時間終わってるよ。
 なんかここで妙なスイッチが入ってしまい、まだ夕方の列車には十分間に合う時間なのに、ここにもう一泊することにした。
 理由は特にない。ただなんとなく。
 とりあえず12時前にホテルのレストランで食事。チョルバ、ウェイターさんのお勧めのやつにしたんだけど、これがまた絶品! この店、スープが絶妙においしい。

 暇なので昼間からネットカフェへ。ビジネスタイムのせいか、回線がえらく重い。
 平日の昼間なのに10歳くらいの子供がタバコをくゆらせながらアダルトサイトを閲覧していたりする。
 それはともかく回線が遅すぎてどうにもならないので、店を移る。こっちも回線は遅いが、まだ日本語プログラムのダウンロードはできる。700バイト/秒レベルだけど。ダウンロードが終わるのをぼーっと待っていると、他の客が座ったまま何もしてない僕を不思議に思ってか、僕の席を時折覗き込みに来る。面白いものは何もないよー。挙句に残り900バイトのところでフリーズしておじゃんになるし。しょうがない、気分転換に散歩に出よう。
 しばらくしてから戻ってみると、昨日日本語環境を整えたマシンが空いていた。ラッキー。日本へのメールとか情報チェックとかをした後、ハンガリー国鉄サイトを調べる。うーん、やはりデブレツェンからブダペストへはたくさん走ってるなあ。でも、それに乗るにはサトゥ・マーレ8時15分発のに乗らないといけないのか。起きる自信がないや。ま、起きたタイミングで選ぼう。
 ついでなのでハンガリー以降の接続も調べてみる。うん、なんかうまく夜行を乗り継げは、ドイツやデンマークで泊まらずに、一気にスカンジナビア半島に突入できそうだ。しんどそうだけど。


ルーマニア Romania → ハンガリー共和国 Republic of Hungary
 10月24日(木) サトゥ・マーレ → ヴァレア・ルイ・ミハイ → ニュラブラニイ → ブダペスト

●さらばサトゥ・マーレ
 9時半に目が覚めた。うん、よく寝た。そしてさようならデブレツェン行き列車。もう発車しちゃってる時間だし。
 この時点で今日の選択肢は二つ。今夜11時にブダペストに着く便か、明日の夕方に着く便か。これ以上ずるずるしたくないので、深夜着に乗ることにする。

 CFRに行き、切符を購入。深夜着なので初めて訪れるブダペストの治安も気になるし、果たして宿が取れるかも気になるが仕方ない。鉄道料金は70万3千レイ。
 ホテルに戻り、レストランでルーマニアでの最後の食事。何かのプレゼンテーションかシンポジウムが行われていたが、二階のテーブル席なら食事可能らしいのでそちらへ。Tribeスープ(チョルバ・デ・ブルタ)を頼むが、やはりおいしい。今まで食べたチョルバ・デ・ブルタは僕には酸味がきつかったけど、これはちょうどいい。チキン胸肉のフライ、ボイルポテト、ピラフと奮発して食べても13万レイ。満足しました。

 今日の天気は、雨が降る一歩手前という感じ。ともあれチェックアウトして駅に向かう。列車は15時35分発予定だ。

 手持ちのルーマニアレウは残り68000レイ。両替しておきたいが、どの両替屋に行っても
「それでは少なすぎる」
 と言って相手してくれない。確かにユーロ換算だと2ユーロ程度だけど、ここでは使いでのある額だけに、死に金にしてしまうのはなんとも惜しいのだが。
 この交渉の中で気付いたが、ヨーロッパの人ってこういう、「出来ないものは出来ない」と言う際、常に「できない」とだけ言うんだよなあ。アジア的感覚なら一言「ソーリー」とつけそうな時でもつけない。これがなんとなく冷たい面があると感じていた一因かもしれない。
 とかしているうちにサトゥ・マーレ駅に着いてしまった。こうなったらこのお金で何か買うか。お酒ならウォッカ500mlが62000レイだし。が、嵩張るので直前で思い直し、ガムにする。
 列車は定時にサトゥ・マーレを出た。



●さらばルーマニア
 列車は発車してすぐに町域を抜け、車窓には見事な大平原が広がった。所々に村や町が見えるが、後はもう、ただひたすらにまっ平らな畑、平野。そんな中を列車は走り、定刻通りに国境の駅、VALEA LUI MIHAI(ヴァレア・ルイ・ミハイ?)着。
 あまりに普通の駅だったので着いたことに気付かずぼんやりしていたら、近くの席のおっちゃんが教えてくれた。言われなければ国境の駅だとは気付かないよ。乗り合わせた時に雑談でその辺の事を言っておいてよかった。ムルツメスク(ありがとう)、おっちゃん。助かりました。

 駅自体も全然物々しくないし、駅前も商店が数軒あるだけの、どう見てもローカル線の一小駅という風情だ。両替商どころか店舗すらどこにあるのか分からない。ここの国境で両替しようとか考えてなくてよかった。



 ここで列車を乗り換えるので外に出る。寒い。二枚重ね程度ではそろそろきついか。
 国境を越えてブダペストまで行く列車は18時30分発予定なので、結構待ち時間がある。寒さに震えながらぼんやりと待つのはそれなりに楽しさもあるからいいんだけど、駅周辺に人っ子一人いないのが寂しい。国境の駅だよな? 日没が迫ってきているのと寒さが、物悲しさを倍増させている。ホームのベンチに一人腰掛けてぼんやりしていると、駅員さんが
「目の前に停まっている列車がハンガリー行きだ」
 と教えてくれたので、まだ時間はあるが乗り込む。
 

 おお、確かにMAV(ハンガリー国鉄)のマークがある。シートもレザー張りになっていて、ルーマニアのとはちょっと違う。別の国に行くんだという気分が出てきた。
 えーと……車内には誰もいない。もしかして、この列車でハンガリーに行く乗客って僕一人だけなんだろうか? などと思っていたら、17時30分の時点で、僕の乗っている車両に二人の乗客が入って来た。ちょっと安心。

 それはそうと、こっちに来てからずっと不思議なんだけど、コンパートメントの座席番号、絶対順番に並んでないのは何故だろう。必ず
窓 |71 73 77 75| 扉
側 |72 78 74 76| 側

 こんな感じだ。何か理由があるんだろうけど、僕には分からない。変な感じだ。
 などととりとめもないことを考えながらぼんやり発車を待っていると、18時、口笛を吹きながら二人組の警官と出入国管理官がやって来た。僕のパスポートを見て
「長いことルーマニアに居たなあ」
 とあきれられた。
「どこを回ってきた?」
 というので、最初から順番に言っていると、途中で
「もういいから」
 と苦笑しながら止められてしまった。この流れは、一応犯罪チェックなんだろうか。
 で、最後にこんな質問が来たので、思わず力一杯答えてしまった。
「Do yo like Romania?」
「Yes,Da!」
 本来一週間から十日くらいで抜けるつもりだったのが二十日もいたんだなあ。本当にルーマニアは楽しかったし、好きになったよなあ。
 パスポートに出国スタンプを押して去り際にその二人、笑顔で
「グッバイ、サヨナラ!」

 と。おお、こんなところでも日本語が! つくづく、僕が思っている以上に日本って浸透してるんだなあ。

 18時18分、カスタムコントロール。変なものを持ち出そうとしていないかの確認だ。が、パスポートを見て日本人と分かると、明らかに係員の雰囲気が変わった。調べるというよりは確認だけという感じで、ざっとしたチェックのみ。リュックを見て
「Just cloth?」
 さすがに衣類だけってことはないけど、確かにほとんど服ばかりです。リュックの口を開けて上から見て、ぽんぽんと外から触っただけでカスタムコントロール終了。何度経験しても、この日本人に対する信頼ぶりには圧倒されてしまう。ありがとうございます、先人の皆さん。

 ここで日没。ハンガリーは闇の中を行く事になるようだ。
 ちょうど列車の進行方向が西で、夕日が雲に反射してきれいだ。シルエットが駅と林というのも風情がある。これが見れただけでも、この列車にした甲斐があったというものだ。さっきから寂しさと物悲しさが胸中を占めているけど、これが旅情だよな。
 列車が動き出した。いよいよお別れだ。ムルツメスク(ありがとう)、ラ・レヴェデーレ(さようなら)、ルーマニア




●こんばんはハンガリー
 薄暮の中をひた走る列車。暗くてよく見えないけど、車外にはサトゥ・マーレからずっと平原が続いているはず。「グレート・プレーン」なんだよな。
 検札に来た駅員さんが話しかけて来るが、何を言っているのかさっぱり分からない。ハンガリーのマジャール語かな。そろそろ基本のハンガリー語くらいは覚えないと。えーと、「はい」がイゲン、「いいえ」がネムか。これまでダーとネイだったので、なんか面倒臭いような。

 18時45分、ハンガリー側の国境の駅、NYIRABRANY(ニュラブラニイ?)着。
 ここでは軍人さんみたいな格好の人が入国審査にやって来た。パスポートを見ながら質問してくるが、マジャール語なのか何なのか、言っていることが全く理解できない。国境の係官で全く英語が通じない人は初めてだ。いや、中国ではどうだったかな。ともかく
「ブダペスト? ルーマニア?」
 と聞いて来るので、サトゥ・マーレ−ブダペストの鉄道チケットを見せる。その前はブルガリアだとも言い添える。そんなに難しい感じでもなかったが、
「ちょっとそこでそのまま待ってて」
 というジェスチャーを残して、パスポートを持って列車を降りていった。降りろとは言われてないので大丈夫だろうけど、ちょっと心配。何かまずかったかな? パスポートを国境の詰め所まで持っていってなにやらチェックしていたが、スタンプを押して返してくれた。これで無事入国だ、よかった。やましいことなどなくても、国境ではいつもドキドキしてしまう。

 19時10分、後から来た行き違い列車が行ってしまってから発車。うーん、やっぱり他国人のあまり来ないボーダーなんだろうな。そういや、チケットチェックはあったけど、税関検査はなかったな。いいのか?
 それにしてもMAV(ハンガリー国鉄)は保線状態がいい。横揺れがほとんどないよ。ルーマニアも決して悪くなかったけど、ハンガリーはさらにいい。広軌の面目躍如だな。
 そうそう、ルーマニアとハンガリーの間には一時間の時差があるんだった。ほとんど北に行くだけなんだけども。ともかく今は19時過ぎじゃなく、18時過ぎになるわけだ。どのみち外は真っ暗だけど。うーん、秋深し。
 コンパートメントには僕の他に一人だけってのが、効きすぎの暖房と共に寂しさを増している。このコンパートメントだけじゃなく、どこもその程度の乗車率みたいだし。国も越えたし、これから増えてくるかな? 窓から首を出して外を見てみると、わずかな太陽の残光で、大平原の中を走っているのはなんとか分かる。もし、もう一度この地を通ることがあったら、今度は昼間にしたいところだ。

 18時55分、何か大きな町に来た。デブレツェンかな?(これを書いてて気付いたけど、それならデブレツェンに行く選択肢は残ってたんだな)
 その後も列車は快調に走行を続ける。暇だから基本のハンガリー語だけでも覚えるか。えーとなになに、「ありがとう」がクスヌム。うん、これはいけそう。「こんにちは」がヨーナボトゥ キヴァーノク……長すぎるよ……無理……。
 とかして過ごしている間にも列車は闇の中を突き進み、ほぼ定刻に終着駅、ブダペスト西(ニュガティ)駅に到着した。


●こんばんはブダペスト(深夜の宿探し)
 大きい駅だろうと小さい駅だろうと、人気がないと寂しいのは同じだ。ブダペストニュガティ駅は大きいが、今はその空間が物寂しい。
 23時を過ぎ、もう夜も遅いし、とにかく今夜の宿を見つけないといけない。さすがにこんな時間では客引きもいないので、事前に入手した情報とガイドブックを頼りに歩くしかない。ガイドブックは『地球の歩き方・中欧編』なので、あくまで補助的なものと思わないといけないし、大丈夫かなあ。

 まずは駅から一番近いメトロホテル……見つからないので断念。次に少し歩くが、安いパッカー宿だと情報のあったベストホステルへと足を向ける。今度は見つかったのはいいが、入り口に鉄柵が下りていて、呼びかけようにも呼び鈴の使い方すら分からない。どうしたもんだか……。
 このホステルの入っているマンションは大通りに面していて、こんな時間でも結構人通りがあるのだが、大荷物を抱えて途方に暮れている僕を見かねたのか、通りすがりの一人の兄ちゃんが助け舟を出してくれた。僕のメモを見て、なにやら呼び鈴の操作盤をいじって中と繋げてくれた。感謝しつつ受付らしいおばちゃんの声とインタホンで会話する。さすがパッカー宿の人、英語が普通に通じるのがありがたい。が、答えは虚しく「満室」。参ったなあ。するとそのやり取りを聞いていた兄ちゃんが、
「それならあっちにもホテルがあるよ」
 と教えてくれた。ありがとう、通りすがりの兄ちゃん。本当に助かったよ。それにしても、えらくさわやかな人だったなあ。別れ際にも実に自然にウインクしていったし。
 ともあれ教えてもらった方向に行く。が、言われたところにはホテルはなかった。仕方ないので近くにあった高そうなホテルBEKEに行くが、一泊140ユーロ+税とのこと。いくら深夜とはいえ、お話にならない。もう日付が変わるけど仕方ない、次だ、次!

 ガイドブックの地図によると、ここから地下鉄を二駅ほど行ったところに、大きいホステルがあるようだ。もう今日の地下鉄は終わっているから歩くしかないけど、行ってみよう。
 いやあ、歩いた歩いた。大リュックから何から背負ったフル装備状態で、深夜のブダペストを一時間。が、たどり着いたホステルは、入り口に24時間受付って書いてあるのに、どこからどう見ても閉まってるんですが。潰れたのかな? とことんついてない。
 まあ、ブダペストが思いのほか治安がよく、こんな深夜に旅行者が荷物を抱えて一人で人気のない暗い夜道を歩いていても、そこまで危険を感じないのは助かってるけど。とはいってもこのまま野宿はさすがに勘弁願いたい。
 仕方ないので近くに聳え立っていた、立派で綺麗で高そうなホテルに行ってみることにした。この際、多少の出費は我慢しよう。さっきみたいに140ユーロとかだとさすがに論外だけど。

 Ibis Accor Volga。二つ星の割には綺麗で、一泊69ユーロ(19200フォリント)だった。まあ。仕方ないか。もう時間も遅いし、さすがに疲れたし。ここに決めよう。
 こんな時間でも笑顔でチェックイン。いいなあ。というか、部屋に入ってみて驚いた。すごく綺麗で広くて立派。日本並みの値段だと思っていたが、日本でこのレベルのホテルなら、倍は取られるんじゃないだろうか。窓からの夜景も綺麗だし。


 旅装を解いてから、もう深夜だが空腹が耐え難かったので、何か買えないかと下に降りる。と、ロビーにいた二人の姉ちゃんが「SEX」と声をかけてきた。ロシア人だと言われても知らんよ。勘弁してくれ。
 フロントに何か食べ物を買える所がないか尋ね、教えてもらった近くのガソリンスタンド兼用のコンビニに行く。大きいサンドイッチ一つで1500フォリントか。相場が分からないからなんとも言えないや。食べ物と飲み物をいくつか買い込んで部屋に戻り、やっと一息ついた。おお、ここのバスルームにはバスタブがあるぞ! 値段だけのことはあるなあ。なんか延泊したくなってきたかも。どうせブダペストには長居しないし。
 それにしてもブダペストの町、今晩歩いてみただけでも、噂どおりに、想像以上に、いい町だ。なんか気に入ったよ。気に入りすぎて長居しないように気をつけなくては。



ハンガリー 10月25日(金) ブダペスト

●おはようブダペスト
 9時半に目が覚める。空は曇っているが、降ってはいないようだ。昨夜予想した通り、部屋からの眺めはなかなかいい。
 ともあれ朝食は10時までなので、急いで食べに行く。ロビーに降りてみてびっくり。なんだ、この客の多さは? よくもまあ昨夜、あんな時間に部屋が取れたものだ。
 食事は、予想通りビュッフェ形式。終了間際だというのに、人がいっぱい。食べ物もいっぱい。これ、絶対時間内に掃けきらないよ。まあそれはともかくおいしかった。

 電池の充電も完了した12時にチェックアウト。
 宿は移るつもりだけど、念のため今夜の空室状況を聞いてみたら予約で満室。昨夜は幸運だったんだなあ。
 さあ、まずは宿探しだと歩きだす。とりあえず、昨夜ここに泊まる前に見た、すぐ近くの閉まっていたホステルに行ってみるが、やはり閉まっていた。それも長い間締め切られているような雰囲気だ。これは営業してないよなあとしげしげ見ていると、中から人が出てきて、一言。
「ホステル、フィニッシュ」
 やっぱり潰れてたのか。

 その人が他のホテルのパンフレットをいろいろくれた。マルコポーロ(あまり安くないユース)、三ツ星のフォーチュナホテル(ちと遠いし、三ツ星は高いだろう……)、他にもあるが、どうしたもんか。大荷物を抱えての長距離徒歩移動はしんどいしなあ。道端に腰掛けて、今もらったパンフレットや『地球の歩き方』を見て検討していたら、今いる新市街のペスト側とは反対、ドナウ川を挟んだ向こうの旧市街・ブダ側の、なんとか歩いて行けそうな所に、三ツ星なのにえらく安い、ホテル・パピロンPapillonというのがあるのを見つけた。よし、とにかくここに行ってみよう。駄目ならその時はその時だ。


 西駅まで一度出てトラムに乗ろうかとも考えたが、なんかヤケな気分になり、歩いて行くことにした。


 ……程なく、激しく後悔。フル装備で歩くと暑くてたまらない。なのに外気は寒いので、お腹の具合がおかしくなってしまった。有名なマルギット橋を渡った時も、腹痛で景色どころじゃなかったし。
 ……ほとんどグロッキーな状態で、なんとか目指すホテル・パピッロンを発見。この名前は蝶の意なのかな。住宅街の中にちょっと入り込んだ所にあるので、『歩き方』にある住所と外見の写真がなければ見つけられなかったかも。ともかくまず、受付のおばさまに頼んでトイレを借りる。……なんとか落ち着いたよ……。
 うーん、ここの宿も予約が多いようだ。最大二泊までならいいらしい、それで十分だからお願いします。一泊8000フォリント。オーケー。それでもユーロ換算で約33ユーロするんだ。先進国に近付くにつれ、高くなっていってるなあ……。レセプションのおばさま、すごくゆっくりと、聞き取りやすい英語を喋ってくれる。助かるなあ。こういう心配りはありがたい。しばらくお世話になります。ちなみにルームナンバーは13号室。ハンガリーの人は13を気にしないんだな。日本人の僕も気にしませんが。
 風邪を引くといけないので、とりあえず部屋で汗が引くまで一休みしてから外へ。

●こんにちはブダペスト王宮

 
 町の風景、ハンガリーに入ったら急に近代的になったなあ。トイレットペーパーの質も急に良くなったし。駅ではダンボールハウスで暮らしているホームレスもいるし。日本車をやたらと見かけるようになったし。なんというか、世界が変わった。その是非は置くとして、日本人にすればこれは観光に来やすいだろうなあ。

 とりあえずブダペストでまず観光に行くところは……。ブダペストはドナウ川を挟んで大雑把に旧市街と新市街に分かれていて、旧市街のブダBuda地区は丘陵地帯で歴史的施設が多く、新市街のペストPest地区は平坦で、商業や政治の活発な地らしい。そして今いるのは旧市街のブダだ。となると、なにはさておき、やっぱり王宮でしょう。地図によれば、ホテルから結構近いみたいだし。


 戦争や火災で幾度となく壊され、現在の王宮は第二次世界大戦後に修復されたものらしいが、だからと言って行く価値がなくなるものでもないし。

 王宮というだけあってドナウ川を見下ろす丘の上に聳え立っているので、よく目立っている。適当にそちらに向かって路地を歩いて行くと、「城はこの上」の看板に出くわした。普通観光客は通らないだろうという生活道路を選んでいたつもりだったんだけどなあ。


 指示に従って階段を登っていく。何か面白い。

 やがて丘を登りきり、城壁に行き当たった。早速城壁をくぐって旧王城の中へ。
 ……あれ? 入場にチケットは要らないの? 観光名所だから当然必要だと思っていたので不思議に思いつつ、中に入ってみて納得。北の端、ウィーン門Becsi kapuから入ったのだが、この辺りは昔のたたずまいを残してはいるが、今も普通に人が暮らしている地区なんだ。ハンガリーは中世の町並みが近代化の後も残っている割合が多い気がするなあ。しばらくはその町並みを散策する。

 電気工事や修復工事などが行われていて、生きている町だと実感。

 しばらく進むと、天に精緻な彫刻が施された塔が見えてきた。ガイドブックにもあるマーチャーシュ教会で間違いないだろう。

 見事な建物だ。外から見るだけでも、旧ハンガリー帝国の強大さがしのばれる。
 と、その手前にあるヒルトンホテルの前に出ている看板が目に入ってきた。なぜ目に付いたのかと思ってよく見てみると、日本語だった。

「すしバイキング8800Ft」。
 ……なんというか、力が抜ける。なんでわざわざ日本語で書いてるんだろう。しかもバイキングってことは作り置きの寿司じゃないのか。ハンガリーって内陸国だし……。

 気を取り直し、マーチャーシュ教会は後回しにして奥に進み、漁夫の砦に登る。250Ft。


 期待以上の眺めだった。ドナウ川と、そこに架かるいくつもの美しい橋、対岸の真正面に立つ国会議事堂、そこここにそびえ立つ歴史的建築物……。
 ここまで景色がいいとは思ってなかっただけに、嬉しい。初めて来た時から結構いい印象を持っていたが、この景色でさらにブダペストが好きになった。30分ほど、ぼんやりと景色を眺める。

  

 マーチャーシュ教会から漁夫の砦にかけては観光スポットなので、もちろん観光客は大勢いて、賑わっている。が、なぜか白人ばかりだ。タイミング的なものか、日本人のツアー客、パッカーともに全く見かけない。珍しいこともあるもんだ。さらに、ここ漁夫の砦の一番高いところには何故か誰も来ないし。少し遠いからかな? おかげでこの景色を独り占めできる。
 

 次にマーチャーシュ教会に入ろうかと思ったけど、入り口に団体客がひしめいて待っていたのでやめ。何かイベントでもあったのかな?(写真は裏手、漁夫の砦側から見た図)



●こんばんは王宮下の地下迷宮
 この次は、通常なら観光のメイン、王宮本体に行くのが筋なのだろうが、それは後にしておく。それよりも正直、ブダペストの観光案内を見てからこっち、なんとしても行きたかった所を優先することにした。気になっていたんだ、地下迷宮。この王城の地下には無数の地下通路があり、その一部が一般公開されているらしい。昔懐かしのウィザードリーとかのRPGが好きな者としては、行かねばなるまい。
 が……入り口はどこだー!
 『歩き方』や宿でもらったガイドマップを頼りに探してまわるが、見つからない。どうして?
 途中、マーリア・マグドルナ塔に寄ったが、今日の入場は終わっていた。そうか、もうそんな時間か。第二次大戦で壊れ、鐘楼のみが残っているもので、独特の風情がある。


 と、それはいいけど、だから地下迷宮の入り口はどーこーだー!
 
 絶対あるはずなので、とにかく王宮の城壁内を片っ端からうろついて探し回る。
 
 道行く人にも何度か尋ねてみるが、あまり知名度はないのか、知らなかったりあやふやだったりする答えしか返ってこない。
 
 一時間以上うろついても見つけられず、さすがにあきらめようかと思った時、『歩き方』に住所が載っていることに気付いた。なんだ? 地図と全然違う所になっているぞ。これだから『歩き方』は……。

 ともあれ、ようやく見つけた入り口を、意気揚々と中に入る。100Ft。

 
 中はえらく暖かい。地下は気温が一定に保たれるというけど、それでかな。ともかくGO!
 おいおい。中世の地下洞窟だろう、ここ。何で古代の壁画があるんだ。これ、フランスのアルタミラ洞窟の壁画じゃあ……なるほど、壁にモルタルを塗って、そこに描いたのね。洒落っ気満点やね。

 しかし、それにも増してムード満点だ。人がほとんどいないのもそれっぽくていい。

 気分を盛り上げる音楽や、心臓の鼓動を模した音が流れたりして、音響面での演出も力が入っている。ランプも適度に少なく、そこここに闇があるのも雰囲気を醸し出していていい。ワインの泉と説明があったところでは、本物の赤ワインが流れてたし。地中の水路からワインの香りが漂ってくるのって、不思議な気分だ。まさかここまで凝っているとは思わなかった。脱帽です。

 なんか王冠を被った巨人の頭像が半分地中に埋もれていたりもした。そんなの闇の中から突然現れたら、びっくりするって。

 最後の方は、テレビや携帯電話の形が岩に彫り込まれていたりして、ユーモアの種類も様々だった。

 観光気分、探検気分、ゲーム気分、ユーモア気分、様々な気分がないまぜになり、とても楽しい。こういう楽しさって、旅に出てからあったかな? 地下迷宮(ラビリンス)自体も一見入り組んでいるようで、一本道で決して迷わないように整備されていて安心だ。物足りない気もするけど、一般公開する以上は必要なことだよなあ。

 なんか一人で盛り上がり、かなり長居して遊び倒してしまった。いいなあ、ここ。いやあ、面白かった。これだけでもブダペストに来た甲斐があるというものだ。入場時に貰ったパンフレット、道中では地図を見るのにしか使わなかったけど、英語で色々解説があるようなので、後で読んでみよう。

●おやすみなさいブダペスト
 外に出ると、もう午後五時半だった。今日の観光はここまでだな。宿に帰ろう。
 途中、モスクワ広場近くでバーガーキング発見。見つけてしまったからには、フーパーを食べなければ。……なんでチラシにマリリン・モンローなんだろう?



 今日は昼間食べてなかったせいか空腹感が強く、これだけでは足りなかったので、一度宿に戻り、近くにあるレストランを尋ねる。ホテルパピッロンは一階レストランが改装中か何かで、食事は朝食のみだし。
 でも、教えてもらったところも安いほうらしいんだけど、僕には結構高めに感じてしまう。一品1,000〜5,000フォリントだし。その分しっかりボリュームはあるんだけど。それはともかく、どうもビールをビア(ラオス語)という癖が抜けなくて困る。今日もウェイターさんに怪訝な顔で聞き返されてしまった。
 代金は2,660フォリント。食後、ボーイさんがレシートを持ってきて、
「これはこのメニュー、この合計額は商品だけで、サービスは入っていない。合わせて3,000フォリントです」
 と言ってきたのには笑ってしまった。アジア人(日本人)はそこまできっちり言わないと、チップを出す習慣がないから忘れるってことをよく知ってらっしゃる。

 食後、近くにネットカフェがあったので遊んでから宿に戻る。

 ふかふかの部屋で暖房効きまくり。くつろぐなあ。夜は11時には寝ようと思っていたんだけど、ついつい今日行った地下迷宮のパンフレットを読みふけってしまった。

 
 気がついたら1時。今、日本は朝の8時かあ。寝よう寝よう。



ハンガリー 10月26日(土) ブダペスト

●ブダの山側へ
 まだブダペストなんだよなあ。トルコを出た時の計画では、今頃はとうにノールカップを見終えているつもりだったんだけど。ルーマニアが想像よりはるかに楽しかったからなあ。

 9時半起床。なんかこの時間に起きることが多いな。
 今日も外気温は16度くらいらしいので、ジャンパーなしで出かけよう。昨日、それくらいの温度で着ていたら汗だくになったし。思い切ってトレーナーもやめてみよう。長袖のTシャツでいけそうな感じだ。
 ホテルパピヨン(フランス語だからPapillonでパピヨンなんだ、知らなかった)のラウンジで朝食。いっぱい客がいるなあ。こう見ると、よく部屋が空いていたものだ。出された食事はパンとハムのベーシックなものだが、お腹は大きくなった。ま、最近は何故か食べても食べてもお腹がすぐ空くんだけども。
 観光に出る前にネットをしようとしたら、閉まっていた。土日は閉まるらしい。残念。

 気を取り直して観光に出る。まずはラックレールが魅力の登山鉄道に乗ろうと思う。やっぱ鉄道好きとしては外せない。ちと遠いのが難だが、幸いブダ側に泊まっているので、さらに奥にある登山鉄道に向かうのもさして苦ではない。いや、トラムを使えば歩かなくてもいいんだけど、まだ乗り方がよく分からなくて……。
 ブダ側の交通拠点でもあるモスクワ広場の少し手前に、大きなショッピングモールがあった。昨日ここのスポーツショップに寄ったけど、大リュックに被せられるようなレインカバーがなかったんだった。全体ではこんなに大きい施設だったのか……。ここならネットカフェがあるかもと思い、入ってみる。あ、あった。大きな本屋の一角に。区切りがないので晒し者状態になるが、別に問題はない。料金は一時間400Ft。うむ。日本語を読むことは出来たし、上々だ。前払い式って珍しいと思ってたら、一時間経ったら強制シャットダウンがかかるのな。ま、これから観光に出るから一時間で十分だけど。
 時刻は12時。登山鉄道の始発駅まで、モスクワ広場から北へ1〜2キロだ。広場横のマクドで軽く腹に入れ、歩きだす。

 昨日、一昨日と重い荷物を背負って歩きまくったので、足が痛い。というかダルい。けど、今日も結構な距離を歩くはず。耐えろ、僕の足。マッサージとか受けたいけど、この國には少なそうだよなあ。ブダペストには温泉がたくさんあるそうだけど、ホモの温床になっていて、東洋人は狙われやすいとか聞いたので、完全に行く気が失せてるし。
 それはともかく。落葉の舞う、風情のある景色の中を歩いて行く。


 さすがに観光のメイン地域を外れているので、人通りは少なめだ。

●ブダペストの登山鉄道
 よし、駅に着いた。あれ? マウンテンバイクに乗った人達が大勢たむろしている。ここ、登山鉄道の駅だよなあ? ちゃんと線路の真ん中には、列車に備え付けてある歯車と噛み合わせて急勾配を安定して走行するための機構、ラックレールもあるし。
 料金は105Ft。自販機で買ってから乗り込む。切符にパンチを受けるんだ、ここ。
 乗り込んですぐに発車。ラックレールの歯車を噛み込んで登っていく手応えが、足元から伝わってくる。力強く、安心感のある振動だ。すぐに、登山鉄道ならではの急勾配にさしかかった。いいぞ。座席から何から、急勾配用に最初から斜めに作られている、山岳鉄道ならではの座席が水平になったので座る。雰囲気あるなあ。


 12時20分に出発し、12時50分に落書きだらけの山頂駅に到着。なんかあっという間だった。本当に30分も乗ってたんだろうか。そして到着した駅は、ペイントによる落書きだらけだった。まあ見慣れた景色と言えばいえるけど、それにしても凄い。とても日本の比じゃない。
 

●ヤーノシュ山上からの眺め
 しかし、この駅からではせっかく標高527メートルのヤーノシュ山の上の方まで来たというのに、全く見晴らしがきかない。勿体無いのでさらに上の方へと歩いていく。
 ……あれ? また別の駅が現れたよ? ここはもうガイドブックの地図の外なので分からないんだけど、ここは何? まさか、ちよろっと書いてある、山頂の稜線を走る、子供鉄道か? というか、それ以外考えられない。見ると、次がちょうど13時発のようだけど、乗らずにやりすごす。まずはこのヤーノシュ山上からブダペストを眺めるんだ。

 とりあえず、発車する列車を見ていたら、他は子供だが、機関士はさすがに大人だった。そりゃあそうだ。時刻表によると、次の便は14時発。乗るかどうかはその時に考えよう。
 それより今はブダペストのを見晴るかす景色だ。見晴らしのいいところはあるはず……。自分の勘に従って子供鉄道の駅から下り、アンテナがそびえている方へ歩いていく。が、いざアンテナ塔の場所に着いてみると、電波関係の施設ばかりで全然景色は開けてこない。が、それでも先に歩いていくと、突然視界が開けた。

 
うわあ……。なだらかな斜面、一面の草原。牧草地というわけでもないようだ。ただただ草地が広がっている。そのずっと向こうには、ブダペストの町並みが。誰もいない草っ原で景色を眺めていると、さっきのマウンテンバイク集団がフル装備でダートの道を駆け下っていった。ダウンヒラーかシクロクロサーか。格好いい。
 ……いいなあ、ここ。頑張って来た甲斐があった。また、けっこう天気がよく、天地のコントラストもくっきりしているのもいい。30分ばかりぼんやりと、雰囲気に浸って過ごす。実に静かで、心地いい一時だった。山上なので風が強く、さすがにセーターを羽織ったけど。



 さあそろそろ帰るかと登山鉄道の駅に向かう。駅舎同様に落書きだらけの券売機に105Ftを入れて……あれ? チケット出てこないよ? なんか勝手に入金前の状態に戻っちゃったんですけど。105フォリント返せー! あれこれ試してみたが、どうにもならない。駅員なんていないし、よびだしボタンも見つけられないし、周辺には通行人一人いないしで、諦めるしかないのか……。

●山上の子供鉄道
 なんか気勢をそがれた。これはあれか、子供鉄道に乗れってことか。確か、子供鉄道の反対側の終着駅からモスクワ広場まで、56番のトラムが走っていたはずだし。
 時計を見ると13時56分。急げば14時発の便に間に合うかな? 行ってみよう。充血してむくみ、痛む足を励ましながら子供鉄道の駅に向かう。駅が見えてきた。列車待ちをしているらしき観光客ののんびりした姿が見える。ついで空のホームが見えた。よし、まだ入線してない。
 ではとっととチケットを……あ、終着駅の名前知らんわ。子供鉄道の名に違わず駅員はみんな子供だけど、英語は通じるかな? 目が合った駅員の10歳くらいのお嬢ちゃんに尋ねてみる。
「I want to ride from here to finish.」
「One way? Two way?」
 やったー、通じたー。片道です。150Ft。


 ホームに出て線路を見てみると、さすがは山岳鉄道、結構な狭軌(ナローゲージ)だ。726かな?

 山の上を走るんだし、子供が駅員から車掌までやってるんだし、これは100%観光鉄道なんだな。
 ほどなくやって来た列車に乗り込む。週末だからか、乗車率はかなり高い。というか、ほぼ満員だ。そんなに人気の乗り物だったのか。発車すると、マーヴMAVの制服を着た子供が、パンチを手に検札に来た。子供だから可愛いのは当然として、慣れているんだろう、態度も堂々としたものだ。

 どうもヤーノシュ山一帯がハイキングなどで賑わう人気観光スポットのようで、線路の左右には人家などある気配すらしない森が続いている。その森の至る所でハイキングを楽しんでいる人々の姿を見かけた。森以外何もないような途中の駅でも、かなりの人の乗降がある。
 子供の車掌も、遊びではなく仕事は実にきちんとやっている。立派なものだ。今まで東南アジアやここまでのヨーロッパで会って来た子供達の姿が思い出され、そのギャップにしばし思いを巡らせてしまった。

 14時50分、終点に到着。最後までほぼ満席だった。折り返しのホームにも、人がいっぱい待っている。親子連れが多いようだ。この終着駅には子供鉄道のミュージアムがあるけど、まあそれはいいや。今日はまだまだいっぱい回らないといけないし、どうせマジャール語は分からないし。

 駅を出て下に下りると、すぐにトラムとバスのターミナルが見えてきた。トラム56番線の終着がここだもんなあ。
 チケットを買って、きれいな車体のトラムに乗り込む。ここからモスクワ広場まで結構あるが、105Ftでいいのがありがたい。

 
 この路線では、トラムといいながら途中道路を離れ、専用軌道を行く。山間の谷間を小さい車体で縫って行くのが面白い。
 ブダペストを京都とすると、京阪電車が山科から蹴上を抜けて行くような感じかな。あ、でも今はもう御陵から西は地下路線になってなくなったんだっけ。



●ドナウ川岸の散策
 郊外から走り続けた56番トラムの終点、モスクワ広場に到着。


 さて、これからどうしようか。……やっぱ、ブダペストに来たからには必須のポイントということで、くさり橋かな。ここからだと旧王宮の丘を抜けて行かなくてはいけないけど。
 さあ、頑張って歩こう。
 しんどいけど、歩けるだけ歩くのが僕のやり方だ。人気のないところでも、ブダペストは基本的に安全だという感触があるので気にせず進む。めざすはドナウ川。でもやっぱり足が痛いから、速度は落ちてるよなあ。

 ひいこら言いながら、どうにかドナウ川に出た。目の前の対岸に、国会議事堂が。川沿いに建っているその姿、ネオ・ゴシック形式とかルネッサンス風とか言われてもさっぱり分からないけど、風格あるなあ。正面を改装中なのか、一部木組みがしてあるのが残念だけど、それでも悪くない。


 そのまま川沿いの道を、くさり橋を目指して南下していく。途中にも、教会などが散見される。道は太いが、そんなに人通りはない。チャリダー(自転車乗り)とかツーリストとかがそれなりにいるだけだ。というか、さすがヨーロッパ、チャリダーも自転車屋も多いなあ。のんびりと歩いているだけでも楽しい、雰囲気のいい道だ。
 それにしても足がしんどい。軸足の左足は、蹴りがそこまで強くないのでなんともないが、右足は大変だ。こうやって疲れ果てると、足をどう使っているのか実感できる。靴を変えてからこっち、水ぶくれのできる場所が変わったのは、靴による足への影響の大きさの証明だよな。いい靴を履かないといけないよなあ。

 ドナウ川には美しい橋が何本も架かり、正面にはゲッレールトの丘、右手には王宮の丘、川向こうには中世を色濃く残す建築物群……見事な景観だ。ブダペストを誉める人が多いはずだ。

 そしてくさり橋に到着。


 さすがは一番の名所だけあって、美しく、堂々とした石造りの橋だ。頑張って歩いて来た甲斐があった。これが風格というものか、生で見ると一段と伝わってくる。教会などは結局似ているので、いくつも見ているうちにだんだん慣れてくるのだが、こういう橋は今まで見てなかったので実に新鮮だ。

 さらに南へ歩くと王宮への登り口に行き当たったが、ここは後で来るつもりだから今は横目で見るだけ。



 次に到達したエルジェーベト橋はえらくシンプルだ。ガイドブックによると、元々は優雅で装飾的な橋だったのが、第二次大戦中に破壊され、この形で再建されたのだとか。


 ここからもゲッレールトの丘に登れる(写真は中腹にある、丘の名前の由来となった聖ゲッレールトの像)のだが、もう一つ向こうの自由橋も何か面白そうなので、歩いていってみることにした。
 
 時刻はもう16時10分。丘の下、川のふもとを歩いていっていると、ここにもたくさん、地下洞窟の入り口らしき扉が立っている。そんなに地下迷宮だらけだったのか。歴史を感じるなあ。

 で、自由橋。これは鉄橋だが、デザインが凝っていて面白い。


 橋はそれぞれ表情が違うので、見ていて面白い。背後の王宮の城壁や、それに続く門とかも重厚だし。なのになんで肝心要の王宮はシンプルで、あまり迫ってくるものがないんだろう。


●ゲッレールトの丘へ


 時計を見ると、16時40分。『地球の歩き方』によれば、ここから標高235mの岩山、ゲッレールトの丘の上まで、歩いて30分と書いてあるの。なら大丈夫だ。行ってみよう。
 ビューポイントとして名高いのは伊達ではないようで、地元の人も、もう暗くなりかけているのに、続々と上がっていっている。

 ……丘を登る道は舗装されているし、階段もコンクリート等でしっかりと作られている。えーと、あのー……足が痛い僕でも、15分で上がれてしまったんですが。30分って何……。

 丘の上に立つ、シュロの葉を掲げる女神像だ。第二次大戦後、ナチスからの解放を記念して旧ソ連軍が建てたものだそうだ。首都を見渡せる、見晴らしが良くて登りやすい丘。歴史的にも色々な時代を経てきているのが容易に想像できる。



 さあ、まずは何はなくともパノラマポイントだ。昨日漁夫の砦でドナウのパノラマを見てるから、なんてことはないんじゃないかと思っていたけど、いい方に裏切られた。高さも角度も違うので、また新鮮なドナウ川の眺めだ。動画もどうぞ。こうして見ると、ブダペストの東(ペスト)側は本当に大平原だな。町が平原に向けて、ずうーっと広がっている。実に滑らかに。日本の都市のように、ボコボコしていないのもいい。夕日は今日はそこそこで、西の空は少々雲が厚いが、それでも十分見応えがある。

 せっかくここまで来たんだからと、300Ft出してツィタデッラCitadellaに入る。

 かつてハプスブルク帝国がハンガリーの王宮を監視するために建てた要塞だったところで、この丘の一番上の部分だ。やはり最上部に来ると、風がけっこうある。内部には旧ソ連軍が残していった兵器とかもあるし、有史以来の歴史の展示のパネルもある。なかなか興味深い。

 ヨーロッパに入ってからこっち、散々嫌になるほど見せられてきたので感覚が麻痺してきたのか、大量のカップルが所構わず濃厚にお熱く過ごしているのにも慣れてきた。あんなもん、ただの風景の一部だ。
 と、散歩がてら来ているような、ハンガリーの若者三人が声をかけてきた。
「ドナウで泳がないのか?」
「スイム?」
 風邪引くって。いや、そういう問題じゃないか。
 しかし、夕方17時半でもう薄暗くなりかけてるのに、まだまだ続々とツアー客とかがやって来ているのは何故だろう。ああ、夜景目当てか。僕はそろそろ降りるとしよう。


●ブダペストの夜景と王宮
 丘をのんびりと下っていっていると、ここでもそこここで風景の一部が実にお盛んだ。
 と、後ろから一人の男性が追い抜いていった。縁の青いガイドブックを持っているアジア人。日本人だ。久しぶりに見たよ。でもこの人、挨拶しても無視して歩き去るし、ちょっと感じ悪い。顔立ちや持ってる本からして、韓国人じゃなくて絶対日本人だよな。日本人に会いたくないモードか何かだったのだろうか。

 下に降りきってエルジェーベト橋のふもとまで来た時、先のハンガリー人の若者三人組にまた会った。笑顔で再度尋ねてくる。
「スイム?」
 だから泳がないって。

 川岸を歩き、くさり橋のふもとに到着。17時50分。ちょうど夜のライトアップが始まった。さすがにきれいだ。


 だがあんまりのんびりしていると、またぞろ風景の一部軍団が大挙してやって来そうな気がしたので、ほどほどで切り上げる。
 次の目的地、地下迷宮に行くにはここから王宮の丘を登らなければらないが、もうさすがに足がやばいので、ケーブルカーを使うことにした。って片道450Ft? いくら観光用とはいえ高すぎないか? ま、仕方ないか。もう完全にへばっているし、乗りますよ。


 ケーブルカーが登っていくにつれ、どんどん暗さを増す夜景がパノラマとして広がっていき、実に美しい。が、あっという間に上に着いてしまったのは、やはり物足りない。
 と、丘の上ではやはり大勢の観光客達が夜景を見ていた。これだけきれいなら、そりゃあ見るよなあ。

  
 お、日本人観光客の四人連れがいる。……この人達もこっちの挨拶を無視してくれやがりました。……もしかして、日本人と思われてなくて、怪しい人が近寄ろうとしているとか思われてるんだろうか……。

●ブダペストのラビリンス再び
  
 そして、今日もやって来てしまいました。地下迷宮・ラビリンス。やはり洞窟の中は暖かい。今日は前もってブックレットを読んできたから、展示物の意味を色々と推し量りながらまわれるぞ。
  
 しかも、わざわざ18時以降にしたのは、この時間以降は観光客が入る際、懐中電灯ではなく、昔ながらのランタンを渡してくれるのだ。このサービスがあるのに気付き、今日も来ることに決めたんだ。完全な闇の中を、ランタン片手にダンジョン探検……。雰囲気ありすぎ。RPG好きにはたまりません。ああ、至福の一時。
  
 今日は他の観光客がいないのを見計らってフラッシュを焚いて撮影もしたし、解説が頭に入ってるから、じっくりと味わいながら見て回ったこともあり、なんだかんだで一時間も洞窟の中を遊び歩いてしまった。
  
 二度目だし、単に雰囲気作りだと分かってはいても、ドキドキしたり、不気味だったり、バカバカしかったりする展示物は実に楽しい。いやあ、堪能、堪能。



●2002年サマータイム最後の夜
 満足して外に出、宿のホテルパピヨンに戻る途中、モスクワ広場脇のバーガーキングで夕食。レストランで食べるより安いから、ついつい入ってしまうんだよなあ。
 次いで昼間行った、本屋のネットカフェに寄る。しかしここの一時間制限、問答無用だな。友人へのメールを打っている最中に時間が来て、問答無用でブラックアウトして『セーブしてないデータはロストしました』と来た。時間制限警告とか出てたっけ? 仕方ないけど、辛い。ちなみにここのマシンは富士通製だった。

 気がつけば20時30分になっていた。少し考え、まっすぐ宿に戻らず、トラムに乗ってブダペスト西(ニュガティ)駅へ移動。どうせなら明日乗る夜行列車のチケット、寝台券があるうちに押さえておいた方がいいだろう。昼間、王宮内のツーリストインフォメーションでは扱ってないと言われてしまったが、国鉄駅なら扱ってないわけないもんな。それにニュガティ駅まではトラム一本で行けるし、そんなに遠くないからさして苦ではない。
 が。
 IBUSZ(ハンガリーの大手旅行会社)が土日は閉まるってのは知ってたけど、チケット売り場まで閉まってるとは思ってなかった……。
 案内板によると、インターナショナルな路線の受付は夜9時で閉まるようだ。今の時刻は夜9時15分……何しに来たんだろう……。

 がっくりと肩を落として宿に戻る。なんだかんだでもうへろへろだ。
 笑顔で出迎えてくれたレセプションのおっちゃんが、
「今日でサマータイムが終わる。明日からは通常通りだ」
 と教えてくれた。今ひとつぴんと来ないが、時計を一時間遅らせるってことは、一時間余計に眠れるってことだな。
 レセプション脇の冷蔵庫から、水・ビール・ジュースを買って部屋に戻り、一杯やりながらテレビをつける。お、K−1をやってるじゃないか。ミルコ・クロコップの試合はこっちでも人気があるようだ。


ハンガリー共和国 Republic of Hungary → オーストリア共和国 Republic of Austria
 10月27日(日) ブダペスト →

●ブダペスト最後の朝
 サマータイムの切り替えのおかげで、本当にゆっくりと眠れた。
 さらにゆっくりと朝食を摂り、11時半、チェックアウト。さあ、今日から大移動だ。色々考えたが、後で取りに戻るのも無駄なので、大荷物ごと一気に駅まで動いてしまうことにした。
 フロントで確認してもらったら、ベルリン行きの夜行列車はウィーン経由で、ブダペスト東(ケレティ)駅から出るらしい。おや、そうだったのか。東駅というと……。ここからだと、モスクワ広場から地下鉄に乗って行く事になる。

 モスクワ広場に行き、これまで無縁だったブダペストの地下鉄へ……深い。一体このエスカレーターはどこまで潜っていくのか、という気分になった。ブダの山側からドナウの下を潜る線路の位置まで下るんだから、そんなものかもしれないけど。
 そんな地下深くを走る地下鉄に乗って到着した東駅。建物自体は西駅とそんな極端な差異は感じないが、人の出入りはこっちの方が多い気がする。タクシーの客引きもいるし。おいおい、日本人宿の客引きまでいるじゃないか。今さらゲストハウスのチラシとかもらってもなあ……。今夜この国を発つんだし……。


 僕が到着した時の西駅にいてくれたら泊まってたろうけど、今回は縁がなかったということで。ま、僕が来たあの便に外国人旅行者がいるなんて想定できないだろうし。


●チケット購入
 400フォリントで駅に大荷物を預け、まずはチケット売り場へ。おお、行列の中に日本人や韓国人の姿もある。が、それよりなにより、順番待ちの列が長い。しかも、窓口が二つしかないからなかなか動かない。今日は特に予定はないからいいけど、いつになったら買えるんだろう……。2時間以上待って、やっと順番が来た。
 ベルリンまでの夜行寝台チケット下さいな。
 やはり、先進国のドイツに行こうとすると、国際列車も高い! 2等客車の乗車賃で37,400Ft、さらに寝台券5,250Ftって……2万円超えてるよ……。うーん、ノールカップまで金銭的体力、もつかなあ……。本気でここから先はハイスピードに巡っていかないといかんなあ。値段を聞いた瞬間、ここまでずっと目標だったノールカップ行きをやめようかと本気で考えてしまったほどに衝撃だった。高いのは分かってるつもりだったけど、実際に金額を聞くとダメージがでかい。予想の1.5〜2倍の値段だったもんで……。
 でも、ここまでバラナシ、フンザ、カッパドキア等を切り捨ててまでノールカップに賭けて来たことを思い出し、辛うじて踏ん張ることができた。


●のんびりまったりと

 チケットを買った後は発車まで暇なので、ケレティ駅近くをぶらぶらとする。

 なんかタクシーの運ちゃんがやたらと声をかけてくるけど、僕は今日ここを発つんですってば。
 なんか今日はもうしんどいので、近場で見つけたネットカフェでだらだらとたまる。残念ながらペスト側を積極的に観光して回るほどの元気はないよ。今夜からの強行軍に備える必要もあるし。
 次いでフォリントをユーロにチェンジ。残ったフォリントで水を三本買う。あ、これじゃあご飯代残らないや。まあいいか。一食くらい抜くのは珍しくないし。
 時間までぼうっと東駅構内で人間模様を眺めて過ごす。うわあ、東駅に着いてたら宿、いくらでも探せてたやないか。くそー、ニュガティを差別するなー。


●さらばブダペスト
 やがて時間が来て、ホームに入線してきた列車は、これまで見てきた列車よりずっといいものだった。ドイツ製なのかな、やっぱり。6人コンパートメントだから、クシェットだろう。2等だし。
 発車10分前の時点で、定員6人のコンパートメントに、僕を入れて4人。それにしても、サマータイムが終わったせいで、日が暮れるのがやたらと早く感じる。と思っていたら、雨が降ってきた。そういや向こう数日間、ベルリンはずっと雨予報だったな。それも「時々曇り」とかの入らない、きっぱりとした「雨」。
 列車は定刻通りに出発。おや、同室は4人だと思っていたが、一人は見送りだったようで、発車間際に降りていった。
 さあ、いよいよこの旅の最大の目的地、ノールカップに向かっての移動が始まる。



●初のEU、西欧圏へ
 それにしても、いい車両だ。寝台列車が欧州ではバリバリの現役だということを実感する。いわゆるB寝台なのに、こんなにいい車両を使っているなんて。
 ちなみにこの列車は、ベルリンのツォーZOO駅に着く。調べてみたら、いわゆる西側諸国の列車が着く駅だとか。ハンガリーって、いわゆる東側じゃなかったっけ……と思ったが、よく考えたらオーストリアを経由するんだった。オーストリアは西側の国だっけ。その後北へ向かうにも、ツォー駅だと都合がよさそうだ。天気は不安だけど、なんか幸先いいような気がする。

 あれ? そういや発車してから一時間は経ってるのに、検札が来てないぞ。乗車の際、駅員さんがシートを教えてくれたけど、あれが兼ねてたのかな?
 とか思っていたら、19時20分、パスポートコントロール。やっと来た。制服を着た係の人が僕を見るや否や、笑顔で声をかけてきた。
「コンニチワ」
 おお、ここでも日本語アタックだ。ありがとうございます。と、それはいいんだけど、国境を越えるのにスタンプないの? 同室のハンガリー人も押されてなかったなあ。ハンガリーはまだEU加盟国じゃないのに、いいのかな。

 パスポートコントロールが終わって程なく、19時30分、停車。……なんかえらく長く停車しているけど、もしかしてここがボーダーなのかな? 尋ねてみると、ボーダーだった。ブダペストから2時間で着くとは。ほとんどノンストップだったとはいえ、速い。そして再度パスポートコントロール。と言ってもラフなもので、パスポートの顔照合もなしに入国スタンプを押してくれた。えらくシンプルなスタンプだが、汽車のマークがあるのがかわいい。オーストリア入国だ。そして同時にEU加盟国に入った。ここから先はしばらくEUの国が続く。

 次いでチケットチェック。というか、丸ごと持っていかれてしまった。で、待っている間にサービスで水が出てきた。本当、国によってスタイルが違うのが面白い。

 再び走り出してしばし、20時45分、やけに大きい駅に着いた。
 駅名表示もアナウンスも何もないから分からないけど、乗降客も多い、停車時間も長い。ということは、ここがウィーン(ヴィエナ)だろう。って、ブダペストからたった3時間? ヨーロッパの小国の小ささを実感。

 と、中国人の集団が乗り込んできた。これでベッドは全て埋まったか。彼らは例によって遠慮というものを知らないから実にうるさい。せっかくここまで静かに気持ちよく旅して来れたのに、勘弁してくれ。ブダペストから一緒の他の二人の客と顔を見合わせ、肩をすくめ合う。そりゃあ各地で「キナ」呼ばわりもされるわ。

 21時20分、やっとウィーンを発車。気がつけば進行方向が逆になっている。スイッチバックしたのか。
 やっとシートをベッドにしてくれたので、割り当てられた上のベッドに上がって休む。三段ベッドだが、屋根の部分がカーブしてるおかげでスペースが広く取れ、楽に座れる。全然狭くないぞ。素晴らしい。さあ、明日からの強行軍に備えて寝よう。



ドイツ連邦共和国 Federal Republic of Germany

 10月28日(月) → ベルリン →


●朝起きればそこはドイツ
 実に寝心地のいいクシェット車だった。2時間ごとに軽く目覚めつつ、気持ちよく揺られて眠り、なんだかんだで6時半に起きた。
 当然だが、ここはもうとっくにドイツだ。EU加盟国同士は国境で出入りのチェックをしないって本当だったんだ。おかげでよく眠れた。

 窓の外を見るが、さすがドイツ。道も家も車も、しっかりしていてきれいだ。この辺りは以前は東ドイツ、いわゆる東側だったはずだけど、今見る景色からはそんな印象は受けない。統合後盛り返したのか、元々東ドイツは東側の優等国だったからそれもあるのか。ともあれきれいに見える。地勢は小さい山がぽこぽこと散見され、日本人にはなじみやすい景色だ。
 が、本来のベルリンツォー駅到着予定時刻だった8時19分になっても、列車はただひたすらに田園地帯を走り続けている。かなり遅れているようだ。
 延着のお詫びにか、朝食が出てきた。コーヒー、パン、ジャム、バター。これはなかなかありがたい。ここから先の旅路は、お金が湯水のように消えていくはずだし。
 空がなにやら怪しくなってきた。予報では雨だったしなあ。それはともかく、8時55分に停車した駅名表示を見て、苦笑してしまった。LEIPZIG。ライプツィヒ。まだそんなとこか。

 
ベルリンまでまだ150キロもあるじゃないか。一体昨夜、寝ている間に何があったんだ。果たしてどれくらいの遅れで到着するのやら。僕は特に急ぐ予定もないからいいけど、中にはこの遅れで打撃を受けている人もいるんだろうなあ。
 9時18分、列車の進行方向を変えるスイッチバックでライプツィヒを発車。既に一時間遅れだ。
 9時50分、Bitterferdビターフェルド。田園の只中だ。

 10時40分、切符が返ってきた。列車は今は森林地帯の中を疾走している。ベルリン着を11時と踏んでいたのだが、この分だともっと遅くなりそうだ。12時を過ぎるな、こりゃ。三時間以上延着したら、日本では払い戻しがあるんだけど、同じ先進国のドイツではどうなのかな。……結論から言うと、そんなものはなかった。

 なんだかんだでようやくベルリンに到着し、ベルリンZOOツォー駅着。
 が、同室の兄ちゃんが降りようとする僕を止め、「ここじゃない」と言う。冗談ではないようだし、確かになんか中心駅ぽくなかったしで、その言に従って乗り続け、終点のベルリン東駅で降りた。本当にこの駅でいいのかな。


●ベルリン東駅にて
 ともかくまずはお金を下ろし、次のチケットを買おう。
 その前に情報を得ようと思ってインフォメーションを探すが、なかなか見当たらない。やっと見つけたインフォメーションでは英語は思いっきりカタコトしか通じないし。困った。せめて駅名表示くらい、英語も併記して欲しいな……国際関係にも気を配らなきゃならない先進国なんだし……。

 ガイドブックを見てDBがドイツ国鉄の略号だと知り、DBのオフィスを探して尋ねてみる。ここなら国際列車も扱ってるんだから、英語が通じるだろう。
「コペンハーゲン行きありますか? できれば夜行で」
「マルメ行きならありますので、そこで乗り換えて下さい」
 マルメ? どこ? ……って、調べてみるとスウェーデンだった。スウェーデン? デンマークの先、スカンジナビア半島にある町だから、途中でコペンハーゲンを通るんじゃないのか。ま、何はともあれこれで行こう。その場でクシェット券を買う。95ユーロ。そのうち10ユーロはマルメ−コペンハーゲン間だ。
 ……後で考えたら、先を急ぎたいんだから、せっかくスウェーデンに入るのなら、そのままストックホルムに向かって良かったような……疲れてて、そこまで頭が回ってなかった……。
 なんにせよ、英語が通じるのはありがたい。ちなみにマルメ行きの列車は23時発だ。体がもつかなあ。

 最低限の手続きを済ませ、次いで腹ペコなので、駅構内にあった中華料理屋に吸い寄せられるように入る。一番安いメニューは……焼きそば2.5ユーロか。じゃあそれで。さあ、いよいよ物価が高くなってまいりました。
 同じ店内で、地元のおしゃれっぽい姉ちゃんが同じく焼きそばを頼んでいた。ドイツ人もお箸を使って食べるのかなと思って見ていると、選んだ食器はフォーク。
 えええ、フォークで焼きそば!?
 見ていると、フォークでスパゲティを食べるようにくるくるっと巻き取って食べている。うわあ……。日本でスパゲティを食べる時、お箸を使ったらいい顔をされないのに(いや、僕はそれでもしてますが)、こっちではそれはオーケーなんだ。
 というか、改めて自分に出された焼きそばをよく見てみると、フォークで食べやすいように、麺の一本一本がやけに短い。おかげで逆にお箸だと食べにくいったらなかった。アジアンフードもヨーロピアン仕様になってるなあ。



●ベルリン彷徨
 時計を見ると昼の1時になっていた。このままここで発車まで10時間も粘るのはさすがに間抜けなので、せっかく訪れたベルリンを軽く観光することにした。ベルリン大聖堂は列車の中から見たのでいいや。近場で一つ選ぶなら、やっぱブランデンブルク門かな。東西冷戦終結の象徴の場所でもあるし。
 ……と、そちらに向かおうとしたが、近郊路線の乗り方がよく分からない。周囲に東アジア人ぽい人は多いが、日本人かどうか判断できない人が多いし、それ以上にみんな忙しそうで、話しかけるのがためらわれる。ま、これまでどおり、自力で何とかしましょう。
 ガイドブックを見て、適当に見当をつけて買う。2.1ユーロ。近郊のベルリンAB内を2時間乗り放題、のはずだ。


 ホームに上がると、切符のパンチマシンはあるが、それ以外は改札も何もない。変なシステムだなあ。こんなので大丈夫なんだろうか。列車に乗ってしばらくして、その理由が分かった。改札の代わりに、車内で検札があった。ジーンズにジャンパーのおっちゃんが、何か抜き打ち的に身分証を見せ付けてチケットを見てまわる。まあこのシステムなら検札はあって当然だけど、なんで私服で偉そうな態度で抜き打ちやねん。
 途中、車窓からトラムが走っているのが見えた。黄色くて新しくて、きれいなトラムだ。なんというか、いかにもドイツっぽい。



●雨のブランデンブルク門
 目的のフリードリヒ通り駅に着いたので降りる。さて、ブランデンブルク門を目指そう。ガイドブックによれば、駅から南へ向かって6月17日通りに当たってから西に折れ、一キロもないはず。さすが都心部。太い道、たくさんの車、ごっついビルの群れ……。この辺りは以前東ドイツだったはずだけど、少なくとも外見はもうそんな印象は残ってないなあ。

 と、ブランデンブルク門が見えてきた辺りで雨が降ってきた。それもかなり激しい降りだ。列車は思いきり遅れるし、雨にはたたられるし。これは、ベルリンはあんまり僕にいて欲しくないのかなあ。はいはい、そんなことをしなくても今夜には出て行きますよ。この雨ではどうしようもないので、急いで門の下に駆け込んだ。

 雨宿りしつつ、雨が止むのを待つ。平日の昼間だからそんなに人は多くないが、それでも僕と同じように雨宿りしている人が結構いる。誰ともなく顔を見合わせるが、こういう時の表情やしぐさは皆同じだ。困った顔で、互いに首を横に振ったり肩をすくめたりし合う。門から東、6月17日通り周辺を見ると町だなあと思う。この天気じゃなければもっと人出があるんだろうな。


 うーん、このままでは風邪を引いてしまう。さすがに北上してきただけあって、ジャンパーを着てても邪魔ではなくなってきている。スカンジナビアに入ったら、セーターを着ないとおっつかなくなるんだろうなあ。

 と、30分ほどして、やっと雨が止んだ。おかげで視界が晴れ、見えるようになったのだが、ここブランデンブルク門から西に225haにわたって広がる緑地公園・ティーアガルテンTiergartenの彼方に、特徴的な塔が見える。戦勝記念塔ジーゲスゾイレだ。


 北の方を見ると、なにやら透明ででっかいドームがあって、人がたくさん行き来している。どうやらあれが国会議事堂らしい。

 左手のずっと向こうには、保存されているベルリンの壁チェックポイントチャーリー博物館があるんだよな。
 そしてここ、ブランデンブルク門は、かつて東西分断の象徴でもあったわけで、確かに歴史の重みは感じるけど、思ってたよりずっとシンプルなものだった。


 それはそうと、道行く人を見ていると、ドイツ人って思ってたほど大きくない。タイで4/22〜27の間一緒だったマークスやトーマスはでかい方だったんだ。ま、どのみち僕が小さい方なのには違いないんだけど。


●西へ、ティーアガルテンを抜けて
 時間がそう潤沢にあるわけではないので、この後どこに行くか考えに考えた結果、ティーアガルテンを抜けて戦勝記念塔を見に行けば、さらにその向こう、ベルリンツォー駅のそばにあるカイザー・ヴィルヘルム記念教会という観光ポイントにも足を伸ばせると思い、西へ進路を取った。
 後から思えば、国会議事堂はすぐ近くなのに、なんでわざわざ遠い方に行くかなと我ながら思うが、その時はそう思ったんだから仕方ない。

 間の悪いことに、塔に向かう途中、上がったと思っていた雨が、何度も何度も断続的に降ってきた。門から戦勝記念塔の間はただひたすらに公園で、雨宿りできるところさえない。いまさら引き返しても同じことなので、気休めにできるだけ木陰の下を選びつつ、冷たい雨に一人打たれながら進んでいく。僕、そんなに日頃の行いが悪かったんだろうか。
 とかなんとかして、どうにか戦勝記念塔にたどりついた。


 うーん、上に立っている女神の像は立派なもので、見ごたえがある。ま、造形以上にこれが建てられた意味のほうがずっと重要なんだろうな。なにしろ戦勝記念塔だし。

 と、このへんで夜行+雨+歩きの疲れがどっと出てきた。とはいえ、ここまで来てしまうと引き返した方が時間がかかりそうだ。無理矢理へろへろの体に鞭打って、当初の予定通りにベルリンツォー駅を目指して歩いていく。進路は戦勝記念塔のロータリーで西から南に変更。
 なんとか公園を抜けると、普通に近代的な都会が広がった。しかもこの辺り、アジア人地区じゃないのか? 中華料理屋がやけに多いし、寿司屋「みゆき」ってのもあるし、東洋人をやたらと見かけるし。
 一度など大きなスーツケースを転がして歩いてきた東洋人の兄ちゃんに北京語で「助かった」とばかりに話しかけられて困ったりもした。中国語は全く分からないんですよ……。

 そんなこんなで、なんとかカイザー・ヴィルヘルム記念教会に到着。戦争の悲惨さを伝えるために空襲を受けた姿がそのまま残されているというから原爆ドームみたいなものかと思っていたら、それよりずっと大きく、また立派なものだった。変に考えすぎていたかな。




●体が一番大事
 この時点で15時30分。最初に乗り放題切符を買ったのが13時30分だったから、制限時間を過ぎてしまっていた。新しい切符を買わないといけなくなったが、ツォー駅にもチケット売り場はなかった。どうしろと言うのだ。もうへろへろなんだから、あんま無茶をさせないでくれ。
 結局、ホームの中に自販機があったので、なんとか切符購入。こういうシステムなんだろうけど、慣れてない個人旅行者にはかえって手間だ。
 そして、また車内で私服兄ちゃんの抜き打ち検札があった。なんだかいちびってるみたいでこのやり方は好きになれない。横柄な兄ちゃんの態度にも原因はあると思うけど。

 まだ列車まで時間があるので、別のところにも行こうかと思っていたけど、もう疲労が限界まで来ていたので、やめておとなしく東駅に戻ることにした。
 博物館なんかは月曜日が休みのことが多いし、結果的には行かなくて良かったのかも。と無理矢理自分を納得させて。


●ベルリン東駅の夜
 日が暮れる。明日の太陽はドイツでは見ないんだなあ。


 ベルリン東駅の床は大理石張りでものすごくきれいなんだけど、今履いている靴の固い靴底ではつるつる滑って歩きにくくて仕方ない。
 しかし、他の旅行者からドイツ人はアジア差別がけっこうきつくて好きじゃないって聞かされていたけど、今のところ、そういうのは感じない。

 それはともかく、お腹が減った。減りすぎと体調不良が合わさって、なんかやばい感じになってきた。まずい。お金はかかるけど仕方ない、何か食べよう。
 レストランは高いのでパスして、駅の地下にあったスーパーで、500mlのスポーツドリンク2本とチョコバー1本を購入。しめて1.11ユーロなり。スポーツドリンクはこれでは足りなかったかも。今の体調からすると、水分と糖分が足りないのが分かるんだがなあ。仕方ない、今は血糖値を上げるのが先決だ。やっぱりお金がかかってもいいから、まともに何か食べよう。
 駅のファーストフードコーナーに行ってソーセージサンド、1.99ユーロ。さらに中華コーナーでご飯と鳥のフライ甘あんかけ(ホンコンなんたらってメニューだった)。しめて6ユーロ。とりあえず一息ついたが、これなら最初のチョコバーはいらなかったなあ。

 落ち着いて見ると、ベルリン東駅はつくづくきれいな駅だ。さすが先進国の中心駅。
 そしてちょっとだけ元気が戻ってきたので、二階にあるネットカフェへ。関係ないが、この国では日本で言うところの一階を地階、二階を一階と呼んでいる様な気がする。
 ネットカフェは30分3ユーロ……高いなあ。日本語が使えるか尋ねたかったのだが、ここの人には僕のインチキ英語では通じず、何度か
「Please,speak English」
 と言われてしまった。いや、インチキとはいえ英語だぞ。それとも英語ではなく、Janglishとか旅人語とかだとでも言うのか? 結局、中一レベルまで落として話したらなんとか通じたからよしとしよう。
 結局日本語環境はなかったけど、日本語プログラムのDL&インストールの許可をもらうことはできた。
 ここってもしかして光回線なのかな? えらい速いんですけど。5Mのプログラムも30秒くらいで落とせたし。ただ、ここのシステム上の問題でデスクトップもタスクバーも使えなかったので、スタッフに相談。ふむふむ、DL終了後、保存せずに直接OPENか。なるほど。でもそのメニュー、どのみちドイツ語で僕には読めなかったので、来てもらって助かりました。
 うーん、どうもさっきから頭と体の回転が鈍ってきてるなあ。疲れが蓄積してきたかな……。なんかネットをしながら頭がぼうっとして、朦朧としてきた
 おかげで気がついたらかなり長居してしまっており、ここの店員さんに清算時に『次に来たらタダで使えるパスチケット』をもらってしまった。ありがとう。けど僕は今夜ドイツを発つんですよ、残念ながら……。

 気がつけば9時半。列車の時間までもう少しなので、駅のベンチに腰掛けてぐったりと時が過ぎるのを待つ。明朝までの水分も確保しないといけないので、売店でまたドリンク購入。

 今回はスーパーの特売品ではないので、500mlで1.5ユーロ。
 関係ないけどここベルリンでは、東洋人と同じくらい黒人も多いなあ。今まで黒人はほとんど見かけることがなかったからなんか新鮮だ。
 せっかく綺麗なんだけど、この駅の難点は、両替機がないことだ。トイレに行きたくても50セント硬貨を持ってなければ、何か買い物をして釣り銭で入手するしかない(店で崩してもらうという発想はこの時の僕にはなかったようです)。仕方ないのでマクドに入る。お、店内のトイレは0.3ユーロだ。

 などとしてどうにか時間を潰していると、ようやく電光掲示板に「マルメ行22:54」のクレジットが出た。
 ……え、22:54? 23:00じゃなくて? それならもうあまり時間がないじゃないか! 本当にこの時間の発車だったら困るので、急いでホームへ。またこれが結構遠いので、疲れた体に鞭打って、必死に走って行く。……嘘だった。最初に聞いた23時が正しかった。勘弁してくれ……。


●夜行列車・連続二夜目
 ともあれ、せっかくホームに来たので、入線していた列車に乗り込んだ。
 今夜も三段ベッドの寝台車だ。まあクシェットだから当然なんだけど。そして、今日も最上段のベッドが割り当てられる僕。上り下りが面倒だけど、個人的には上の段が好きなのでちょうどいい。今日の車両も上の段の方が居住スペースがたっぷりあってくつろげるし。
 23時07分(また発車が遅れている)の時点で、6人定員のクシェットに4人。僕、おじいちゃん、姉ちゃん二人。既に荷物スペースは一杯だ。同じスペースに無理矢理詰め込んでいるのか、人気路線なのか。まあ機関車に連結されている客車は三両しかなかったから、人気路線も何もあったもんじゃないけど。
 
 ともあれ今日の車両は古さもグレードも、僕の持っているクシェットのイメージにぴったり来る。とはいっても日本の寝台車両と比べたら遥かに清潔で明るく、こっきりしているが。夜行列車のコンパートメントで若い女の人と一緒になったのは初めてかも。その……なんだ、お年を召された方と一緒だったことは何度かあるけど(^^;
 結局この列車、スウェーデンに行くのに陸路でデンマークを経由して行くのか、船を使って海路で一気にスウェーデン入りするのか、どちらなんだろう。車掌さんに尋ねればいいんだけど、自分で確かめたい気分だったので聞かなかった。
 それはともかく、今日はもう寝よう。疲れた……。


スウェーデン王国 Kingdom of Sweden → デンマーク王国 Kingdom of Denmark → スウェーデン
 10月29日(火) →  マルメ → コペンハーゲン → マルメ →



●渡海
 残念ながら熟睡はできなかった。2時間+3時間って感じの睡眠だった。
 うつらうつらしながら確信したのだが、振動と音からして、やはりこの列車は車両ごと船に乗せられ、バルト海を渡って直接スウェーデンに向かっている。乗客はそのまま列車の中ってのがまた面白い。
 午前3時ごろ、何か止まって機関車をごそごそしているなと思ったら、妙に音の響くところに入り、しばらくしたらゆったりと船特有の揺れ方を始めたのだから間違いないだろう。元気なら外に出て景色を見てみたかったが、あまりの眠さに起き上がることが出来ず、そのままベッドに横たわっていた……。我ながらもったいないが、無理だったんだから仕方ない。


●スウェーデン上陸
 7時頃、港に着いたようで、揺れが止まり、パスポートチェックの係官がやって来た。ここで特徴的だったのは、チェックの時、係官と一緒に犬がいたこと。麻薬犬かな?
 ちなみに船の中には、この客車列車だけでなく、貨物列車も一緒に乗っていた。船を出て、地上に走り出たところにあったのは、TORELLEBORGトレールボルグという駅だ。ここからマルメまでは、約20分らしい。
 ちなみにガイドブックによれば、マルメという地名はMARMO(Oの上に点二つ)と書き、最後の母音はエとオの中間で、日本語にはない発音らしい。

 列車はスカンジナビア半島の上を走りだした。車窓から見える風景は、片側は海、片側は地平線の彼方まで広がる畑。こういう景色もいいなあ。
 ここがもうスウェーデンだという意識も手伝ってか、寒さの中にもぴりっと締まったような印象を受ける。車窓に見える建物も、それだけ寒さに強そうな作りになってきているというか。このあたり、寒いとは言ってもまだ、畑の水は凍っていない。


●マルメ
 おおよそ定時にマルメ中央駅着。きれいな駅だ。国が変われば雰囲気も変わる。
 
 ちょっと駅前に出てみたが、こぢんまりと落ち着いた感じの町だ。ごつい茶色のレンガ造りに、ヨーロッパらしさを感じる。

 そして、コペンハーゲン行きの車両は……おいおい、なんか立派過ぎないか、これ? そのコペンハーゲン行き列車、ビジネスマンを満載して発車。いくら海を越え、国をまたぐとはいっても、マルメとコペンハーゲンの間は20キロほどしか離れておらず、これだけ近ければここから通う人も多いだろうなあ。


●デンマークへ
 列車はいかにも先進国の車両という風情であっというまに加速し、実に滑らかに加速していく。
 うわあ、国境の海に橋が架かってるよ。トンネルかと思ってたのに。これは絶景だ。



●到着、コペンハーゲン
 20キロほどだからそんなものかもしれないが、列車はあっという間に海峡を渡り、デンマークの首都、コペンハーゲン中央駅に到着した。

 この駅も列車に負けてない、実に堂々とした立派な駅だった。
 参った。参りました。正直な話、これまでデンマークにもコペンハーゲンにも全く関心がなかったんだけど、認識が改まったよ。でも、こんな所で滞在したりしたら、お金が空を飛んでなくなってしまうので、コペンハーゲンは今日出させてもらうけど。
 この後ノールカップを目指すルートとしては、ここから海路ノルウェーの首都オスロに向かい、フィヨルド伝いに北上するプランもかなり魅力的だけど、個人的に思い入れのあるスウェーデンを短時間のマルメだけで終わらせることは考えられないので、ストックホルムを目指すことにする。これで三日連続夜行になるのかぁ。ずっと乗りっぱなしならまだ楽なんだけど、こういう動き方をしながらの連続夜行はさすがにしんどいなあ。

 とりあえず、北欧ではユーロは使えないので両替をば。100ユーロを716デンマーククローネに。
 そして今夜の夜行列車のチケットを調べる。……あった、あった。ストックホルムまで685クローネか。大体一万円強だな。ああ、列車はマルメ発か。コペンハーゲン始発ならまだなんとか意味を見出せたんだけど、本当、何しにコペンハーゲンに来たんだか……。
 夜行はマルメ発23時10分、ストックホルム着6時10分。……東京−大阪間の急行銀河みたいなタイムテーブルだな……。またここのチケット売り場のお姉ちゃんがきれいで。いろんな意味で見直しました、デンマーク。またいつか、機会があったら来たいかも。
 さっき両替した100ユーロはもうなくなってしまったので再度両替、70ユーロを515クローネに。


●ウォーミングアップ
 それはそれとして、今日はこの後どうしようか。
 なにはともあれ、コペンハーゲンの観光に出る前に、シャワーを浴びたい。まる二日入浴してないから、いくら寒い季節とはいえ、さすがに気持ち悪い。幸い、ここコペンハーゲン中央駅にはシャワールームがある。タオル貸し出し料込みで25クローネ。助かったあ、ふう、さっぱり。
 改めてコインロッカーに大リュックをぶちこんで(ノーマルサイズ25クローネ)から、外へ。

 駅のすぐ前にあるツーリストインフォメーションで色々聞きたかったんだけど、平日だというのによく混んでますなあ。待合スペースもたっぷりあったので、腰掛けてのんびりと順番が来るのを待つ。そしてコペンハーゲンカードの一日券を入手。

 これがあればコペンハーゲンの公共交通機関は乗り放題、美術館等が無料又は割引になるという、ヨーロッパの都市ではまま見かけるものだ。が。

 ……215クローネ? 『地球の歩き方』情報では175クローネなのに、えらく高くなってるなあ。これでは元を取るのは無理かもしれない。

 観光の前に、夜の列車待ちに備えて駅周辺でネットカフェを探すが見つからず。代わりにバーガーキング発見。発見してしまった以上は入ってフーパーを食べるしかない。セットで50クローネと高かったが、その分今まで食べたどの国のフーバーよりもボリュームがあった。デンマークって大食の国なのか?


 コペンハーゲンの観光スポットといえば、何はさておきチボリ公園だろう。本家がここにあることは知らなくても、ほとんどの日本人がその名前は知っているはず。場所的にもちょうどコペンハーゲン中央駅の目と鼻の先にあるし。が、しかし。冬季は閉鎖しているとのことで、入ることはできなかった。残念。仕方ないのでそれ以外の観光に行くことにする。


●Den Lille Havfrue
 コペンハーゲン中央駅に戻り、コペンハーゲンカードを使って近郊電車に乗り込む。
 コペンハーゲンを短時間で見て回るなら、何はさておきここに行っておかなければならないだろう。世界的に有名な、人魚の像


 世界三大がっかりのひとつにも数えられるが、前知識で知っているからがっかりすることもないだろう。そういや世界三大がっかりって、コペンハーゲンの人魚の像とシンガポールのマーライオンはよく聞くけど、あとひとつは何なんだろう? 個人的にはベトナムのフエ宮殿にがっかりしたけど違うだろうし、まさか札幌の時計台ってこともないだろうし……。

 ともあれ、近郊電車で3駅のOsterport駅で降りる。周囲には博物館やら公園やらがあるが、タイミング的なものか鉄道を使うのは一般的でないのか、あまり観光地っぽい雰囲気はない。ここから人魚像までは徒歩十分、約一キロほどのはずだ。観光案内図を参考に歩いていくと、海が見えてきた。

 海が見えるのは嬉しいんだけど、海岸は工業地帯なので、正直そんなに景色がいい訳ではない。
 が、多くのカモメ? 餌をねだってやってきて、周囲をぐるぐる飛び交いだしたのは楽しかった。あげられるような餌は持ってないけど。


 とかしながら海沿いの遊歩道っぽい道を歩いていると、前方の海上に何か見えてきた。あれかな?


 そうだった。
 ……散々話には聞いていたが、それでも思わず拍子抜けしてしまったほど、人魚像は本当にこぢんまりとしていて、可愛らしかった。
 
 これはこれでありだと思うが、思い入れ激しく来てしまった人ががっかりするのも納得できる。海岸沿いにぽつんと置かれていて、観光地らしさとは無縁だし。
 周囲に全く人気がなかったのでしばらくのんびりと見ていたが、なんかTV局やツアーバスやが続々と来だしたので退散。


●五角形
 『地球の歩き方』によれば、コペンハーゲンの主な見所は、今いる人魚の像からコペンハーゲン中央駅に向かう道すがらに大体集中しているらしいので、ちょうどいい。
 まずはすぐ近く、というか人魚像の後背にある、昔の要塞跡なのがまる分かりな、五角形の堀に囲まれた敷地に入ってみる。『地球の歩き方』によれば、このあたりはコペンハーゲンの中でも特に美しい一帯らしい。

 五角形の中に入る前に、ゲフィオンの泉と聖アルバニ教会が目の前に現れた。見事な四頭の雄牛と女神の像が佇立している泉と、小さいながらも美しい尖塔を持つ教会。周囲が整備された緑地であることもあってか、実に見事なものだった。こういう、日本ではありえない形で洗練されたものを見るのも旅の大切な刺激の一つだ。


 五角形の中に入る。周囲が高く盛り土されていたり、入り口が分厚い門でできていたりと、詳しくない身でもかつては軍事拠点だったことが容易に想像できる。今はきれいに整えられ、芝生と植え込みで美しい緑地と化しているけど。
 またこちらでは、基本的に人間が危害を加えないからか、野生の鳥が驚くほど近くに平気でやってくる。鳥好きとしては嬉しい限りだ。……って、これは何の鳥だろう? 真っ黒ではなく、白黒のツートンだけど、サイズ、体形的にはどう考えてもカラスだ。こんなのもいるんだ。初めて見た……。

 五角形の中にはカステレット教会というのがあったのだが、正直それよりも立ち並ぶ伝統的なレンガの建物群が印象的だった。思わず人気もなく、殺風景といってもいい建物の間をあてもなくうろつきまわってしまった……。



●宮殿
 次いで、カステレットからわずか数百メートル歩いたところにある、アメリエンボー宮殿を見に行った。


 丸い広場の周りに四棟のこぢんまりした建物が並んでいる宮殿を、その周囲を巡回している衛兵を見ながらガイドブックを読んで驚いた。ここは元々は貴族のマンションだったものだそうで、それを接収したものだから、宮殿にしてはこぢんまりしているのは不思議ではないらしい。
 けどそれより何より、ここアメリエンボー宮殿が現役の宮殿だということに驚いた。女王の住まいのすぐ目の前まで、僕みたいな異国の一般人がごく普通に来れるとは……。デンマークの治安とそれに対する自信と自負が相当なものだということがうかがい知れる。

 道路を挟んだ正面にある、フレデリック教会も立派なたたずまいだ。大理石の教会と呼ばれているらしい。うーむ、ある意味この一帯がコペンハーゲンの中心になるんだよなあ……。ロイヤルライフの華麗な品々とかには全く興味がないので、建物の中にある宝物展示室には行かず、宮殿を外から見ていた。なんかコペンハーゲン、満足できたかも。


 広大な公園の中にある、緑に映える赤レンガが美しいというローゼンバーグ宮殿も、外から見ただけでもういいやという気になってしまった。疲れてきたのもあるし、中にあるのはまたしても僕には関心の持てない宝物館だというし。入場はコペンハーゲンカードを使っても無料にならないしなあ。でも緑と赤レンガの対比は、確かに見事だった。

 日の光があると気にならないが、陰るとさすがに寒い。でも、まだセーターの出番というほどでもないかな。っておや、朝はよく晴れてたのに、曇ってきたじゃないか。どうしよう。


●ラウンド・タワー
 そろそろ日が傾いてきだした。歩いて行ける範囲内の面白そうなところを全部回るのは、もう時間的に無理だな。蓄積してる疲労の問題もあるし、どこまで見ることができるかな。

 とりあえず、今いるローゼンボー公園から、にぎやかそうな北欧最大の歩行者天国、ストロイエの方へ向かって歩き出す。

 歩いていると、前方に特徴的な塔が見えてきた。縁があったら見てみたいと思っていた、円塔だ。

 昔は馬車が高さ36メートルの塔の上まで駆け上がっていたとガイドブックにあったので、
「一体どうやって!?」
 と思っていたのだが、なるほど。内部が幅の太いらせん状の斜路になっていたのか。でも、都会にそびえる塔の中をこんな構造にするなんて、よく思いついたものだ。これは面白い。

 やっといい観光が出来たかと思っていたら、高校生か大学生くらいの20人くらいのグループが馬鹿騒ぎしながらやって来た。またこの斜路の音響がいいので、余計に音が響き、うるさくてたまらない。
 仕方ないので斜路のなかほどにあるミュージアムにいったん退避。おお、ここは昔の地図とか写真を展示しているのか。百年ほど前でも石造りの五・六階建ての建物が林立している様は、基本的に今とあんまり変わってないなあ。これが日本とは違うところだな。木と石やレンガという、主体となる建築素材の違いもあるだろうし、日本だとかなり田舎のほうでもないと、百年前と今とでは町の姿はかなり違ってるだろうから。
 落ち着いてから改めて円塔の頂上に上り、コペンハーゲンの町を見渡す。寒いし雲が垂れ込めて暗いけど、風情のあるいい町が広がっている。いい景色だ。



●Museum Erotica
 さて、次はどこに行こうか。……商店街を歩いていたら、その並びで普通に「ミュージアム・エロチカ(性事博物館)」なんてものがあって衝撃を受けてしまった。日本だと秘宝館とか、田舎の方にあるよな。なんか一気に北欧に来たことが実感できてしまった。……ええ、入りましたよ、せっかくだし。男一人で入るのもアレでしたが。
 入場料は89クローネか13ユーロ。やっぱりいい値段するなあ。入って早々カタログをくれたが、正直こんなのもらっても扱いに困るよ……。

 中身は当たり前だけどその事一色で、しんどくなってしまった。まあ、何だかんだ言っても人類の根幹で、太古から世界中で様々に扱われてきたことだしなあ。
 ミュージアムは奥に入っていくにつれ、次第次第に過激さを増していく……というか、どんどんアブノーマルな世界に入っていく……これはキツイ……。軽いのでは、雑誌のプレイボーイやマリリンモンローのコーナーなんてものもあったけど。……ふう。一通り見終えて外に出た時、思わずため息をついてしまった。なんかちょっと、濃すぎて当てられてしまった感じだ。普通の観光名所に行って気分転換したくなってきた。


●運河エリア
 ここからなら行けそうな所という事で、歩行者天国ストロイエを横切って南へ、運河エリアにあるクリスチャンボー城を目指す。元宮殿で、今は国会議事堂として使われているこの城と周辺エリアは、運河の背後に歴史的な堂々とした建築物が立ち並ぶ、コントラストが見事な見ごたえのある場所だ。
  
クリスチャンボー城、旧証券取引所、国立銀行、中に入らず外を見て歩いているだけでも実に楽しい。タイミング的なものか、人通りはそんなに多くなかったが、閑散としているわけでもなく、いい感じに風情を楽しめた。
(この場所の雰囲気を味わってもらうために、動画も用意しました。例によってぐるりを撮影してます。wmvファイル、733kbです。)
 気がつけば地下遺跡がもう閉まる時間になっていたのが残念だったが、それだけ堪能できたと解釈しておこう。
 


●歩行者天国ストロイエ周辺
 歩行者天国ストロイエに戻る。人通りが多く、歩いているだけで楽しい通りだ。
 もう暗くなってきたので、行けるところは残り少ない。次に行ったのは、ストロイエの西の端、市庁舎前にある派手な装飾のキワモノ博物館、ビリーブ・イット・オア・ノット(信じられるか?)。
 冒険家が世界各地から集めてきたという、ナイアガラの滝を樽で下って生還した人とか、小人、大人、人の燻製、首長族、等々、虚実取り混ぜた妙なものがいっぱい展示されていた。そこそこ楽しめたかな。隣の地下迷宮と拷問というおどろおどろしい世界を再現したものはいまいちだったけど。ダンジョンはブダペスト、拷問はプノンペンで本物を見てきてるからなあ。
 なんにしても、これだけ古色蒼然とした格調あるたたずまいの町なのに、夜が長いせいか、人の想像力、妄想力が妙な方向にはじけてる感じだ。人間、真面目だけではやっていけないってことなんだろう。

 これで大体160〜70クローネ分は見たかな。うう、やっぱカードの元は取れなかったか。でももう、外は真っ暗で出歩くところもない。そう、午後五時で外はすっかり夜の帳が下りている。緯度が高い分、日本より日が落ちるのが早いなあ。
 まあ、なんとかぎりぎり、外の光が残っているうちに市庁舎にたどり着くことができたので、よしとしよう。




●夜のコペンハーゲン
 もう観光することはできないが、列車までは時間がある。ので、それまですることといえば、僕の場合はやはりネットになる。
 駅近くに一軒だけ発見しておいたネットカフェに行く。受付の姉ちゃんに尋ねると、日本語の読み書きはできるとのこと。が、やってみると……あれ? 確かに読めるけど、これ、一体どうやって入力したらいいのさ……あれれ? 結局、店の人に尋ねてあれこれ試したが、日本語入力はできなかった。仕方ないけど、日本語入力ができないとなると、読むだけではあっという間にすることがなくなってしまう。一時間で早々に退散。

 さて、このあとどうしようか。マルメ行き列車の出る22時まで暇だ。まだ19時前だから、かなり時間がある。特にすることも思いつかなかったので、駅前の大通りをぼんやりと眺めつつマンウォッチングする。アジア人の姿も結構多いなあ。そしてここでもやっぱり風景の一部カップルはたくさんいる。けどハンガリー以前ほどどぎつくはないな。日本でも受け入れられるくらいかな。


 お腹が減ったので、近くのスタンドでホットドッグを買う。18クローネ。
 今日一日、変な回り方しかしてないけど、それでも今まで何のイメージもなかったデンマークとコペンハーゲン、おおよそのイメージはついた。いい感じの町だけど、やっぱり物価は高いなあ。それと、ますます目立ってきたのが自転車。自転車専用レーン、自転車積み込み用列車……中国とかとはまた違う感じで、市民生活に大きな地位を占めているな。

 ……いかん、どうも日が沈むと体内電池が切れてしまう。さっきから駅前の橋の欄干にもたれかかってぼーっとしているだけだ。一気に動いた上に昼間は観光で動き回ってたから、そろそろ限界かな? ちなみに今日のコペンハーゲンの気温は、日没直後で10℃。ストックホルムに行ったら、また一気に下がるんだろうな。せめて、天気と風の強さがましならいいんだけど……。
 結局この夜は、そうやってぼんやりと夜の街を眺めていただけだった。


●ストックホルムへ
 時間が来たので移動開始。21時44分コペンハーゲン発の列車に乗ってスカンジナビア半島へ向かい、22時15分、マルメ着。
 列車内ではスーツケースを抱えた英語の達者な中国人の姉ちゃんが人気だったなあ。まあヘロヘロの僕には関係ない話だけど。



 マルメでは、ストックホルム行きの夜行列車がもう入線していた。ううむ、いかにもな寝台列車だ。乗車率もいい。というか混んでいる。ま、寝台だから自由席と違い、スペースは確保されてるのでいいんだけど。
 それにしても、ここから先、どうしようかなあ。スカンジナビアは物価の高い地域なので、一気に駆け抜けてしまいたいから、ストックホルムでもすぐに夜行に乗って北極圏に突入してしまおうかなあ。でも、疲労が蓄積してきて体力的にきつくなってきてるし、何よりストックホルムは昔からの憧れの地だったから、一泊くらいしたい気もする。そうそう、憧れといえば、スウェーデンの山岳地帯を南北に縦断する鉄道路線は廃線になっているので、列車で行くなら唯一残っている海岸側の路線を使わないといけないんだ。となると一気に北極圏、ラップランドに突入してしまうなあ。うーん、アビスコには行ってみたいんだけどなあ、どうしようかなあ。
 などと考えながら発車を待つ。発車20分前で、もう6人クシェットに4人入っている。それはいいけど、えーい、なんで寝台車は発車前は暑いんだー!




スウェーデン 10月30日(水) → ストックホルム


●到着、ストックホルム
 6時すぎ、ほぼ定刻にストックホルム着。
 ああ、よく寝た。この列車、終点に着いてもすぐに降りろとは言われないんだ。ありがたくのんびりさせてもらい、6時45分に下車。

 うお、ここまで来るとさすがに寒さのレベルが違う。これは寒い。
 とりあえずチケット売り場の前で一息。スウェーデンはポケット時刻表をタダで置いているから助かるなあ。それにしても、駅の早朝、通勤通学ラッシュの雑踏って久しぶりだ。いや、嫌いなんですけどね。それでも久しぶりだとなんか新鮮に感じる。こういうのはどの国でも変わらないんだなあ。



●ストックホルムの第一印象
 駅の外に出てみる。なんか、タダで新聞を一部もらってしまった。いいのかな。号外ってわけでもなく、普通の朝刊なんだけど。
 それにしても寒い。ビルの電光表示板に外気温が出ていたが、0℃。寒いわけだ。昨日から一気に10℃も下がったのか。まあ、まだこれくらいなら大丈夫ではあるけど。
 ともあれ、100デンマーククローネを両替。120.5スウェーデンクローネになった。
 まだ駅周辺しか見てないけど、ストックホルムの街並みは、コペンハーゲンのようにきっちりと詰まっている感じじゃないな。なんというか、余裕を感じるというか……。ストックホルム中央駅の建物も、色合いといいデザインといい、迫力より落ち着きを感じさせるし。


 ともあれ今日も駅構内でシャワーを借り(25スウェーデンクローネSKr)、荷物を預けにコインロッカー35SKr。
 これから動くに当たって、まずはATMを探さないと。もう現金がほとんど残ってないや。どこだー!? 駅周辺なら簡単に見つかると思っていたのだが、なかな見つからない。頼るもののない異邦の地でお金がないというのは、極端な話、生存に関わる話だから本気で困る。

 なかなか見つからないATMを探して歩き回りながら、自分の体調をチェックする。昨夜あれだけよく寝たのに、予想以上に疲れが取れていない。元気なら今夜の夜行でさらに動くことを基本線にするところだが、今の体を考えると、ここで一泊はするべきだとは思う。ストックホルムは昔からあこがれていた町でもあるし。とはいえ、やっぱりこの物価高ではそんな行動を取るのは厳しい。……駄目だ、考えがまとまらない。また後で考えよう。

 散々迷いながら歩き回った結果、どうにかATMを発見し、やっとスウェーデンのお金が手に入った。
 ので、駅のアジアもの屋台で朝食。なのに何故サンドイッチを選んでますか、僕。

 人心地が付いたので、とりあえず駅から少し歩いたところにある、公園脇のツーリストインフォメーションに出向き、パンフレットを読みあさる。特に目新しい情報はないようだ。ストックホルムカードを買おうか考えたが、昨日のコペンハーゲンカードのことが思い出され、無駄になりそうなのでやめる。


●町歩き開始
 一通りの情報チェックが終わったので、外へ。だらだらしてたから、もう10時半だ。うー、やはり疲れが相当蓄積してるなあ。
 でも、ストックホルムの町はきれいで感じがいい。バスも全て低床車。人間工学に基づいて作られた町、か……。


 とりあえず、観光するにも歩いていけるところ、ということでここから比較的近い、ガムラ・スタン(昔の町並みが残っている島……といっても小さな島で、丸々市街地らしい)に向かって歩きだす。途中、商店街の一角に、なにやら見覚えがあるような感じの店が目に付いたが……ゲームズワークショップだ!

 高校の頃、ゲームにはまっていた時に雑誌でよく目にしたんだよなあ。店内にはメタルフィギュアのジオラマあり、フィギュアの塗装あり、子供から大人まで大勢詰め掛けて、大賑わいだった。ってあんたら、学校や仕事は? 平日の昼間なのに。おお、ホワイトドワーフ誌もたっぷり置いてある。

 こっちではウォーハンマーが大主力だってのは本当だったんだなあ。その関連ばかりが目に付く。あとは今が旬のロードオブザリング関係か。ウォーハンマー40000とかいうSF系のラインナップも多いなあ。フィギュアメインの、日本で言うところのホビーショップや模型屋みたいな感じなんだなあ。いや、特に買ったりはしないけど、普通の旅ばかりではなく、こういう現地の趣味人の生の空気も味わいたかったから、満足満足。


●方針決定
 再度ガムラ・スタンを目指して歩きだす。ストックホルムの市街地は、川というか湾というか、とにかく大きな水源地が真ん中に横たわっているのが特徴だ。


 ガムラ・スタンの島が見えてきた時点で、既にあれが王宮なんだろうなという建物がはっきりと分かる。さすがに大きいなあ。
 と、その手前の小さな島にある、中世ストックホルム博物館が目に止まった。40クローネか。よし、入ろう。特に何がどうという外見でもなかったが、なぜか気が向いたので。こういうフィーリングは、特に旅の途中では大切だから。内部は、中世の鎧や漁村の暮らしなど、バラエティーにとんだ展示がしてあって、面白い。小学生の見学グループが、何かの作業にチャレンジしている。建物といい、入館者といい、なかなかいい感じのところだ。
 ……と、雰囲気を味わっていたら、自分の中で何かのスイッチが入ったのを感じた。うーん、これは……これまでのストックホルムの印象を総合して考えると……うーむ……。

 よし、決めた!
 博物館を出てすぐに踵を返してツーリストインフォメーションに戻り、ストックホルムカードを購入した

 どうもこの町とは相性がよさそうな気がするので、可能な範囲でじっくりと見て回りたいと思うようになったので。料金は220クローネ。これで24時間、提携している交通機関・施設が割引になったりタダになったりする。案内の冊子裏に記載されている英語の売り文句を引用すると、以下の通り。
・Free admission to 70 museums & sights
・Free local travel
・Free parking in metered spaces
・Free boat sightseeing
・Bonus offers

 カードを買ったので、この後のプラン変更。もう今日はストックホルムに泊まることにする。


●市庁舎はどこだ
 ということで、無料で見てまわれるガムラ・スタン観光は明日にして、今日はお金のかかるところに行くとしよう。
 まずはやっぱり、ノーベル賞授賞パーティーが行われるので有名な市庁舎だろう。なんでも12時からガイドツアーがあるらしいし。今は11時35分。迷わずまっすぐ行ければ、なんとか間に合いそうだ。てくてく歩いていく。
 ……えと、迷ってしまいました……。
 地図によれば、市庁舎はここのはずなんだけどな……。でもこれ、どう見てもノーベル賞受賞パーティーが開かれる建物には見えない。時刻はもう、12時を過ぎてるし。間に合わなかったか。仕方ないのでその建物の中に入って近くにいた人に尋ねてみる。何かの会社か施設のようではあるし、なんとかなるだろう。北欧の人は基本的に英語がペラペラらしいし。
 その人が突然の来訪者に驚きつつも丁寧に教えてくれたところによると、ここも市庁舎だけど、市庁舎違いらしい。親切にも正しい場所まで教えてくれた。……あー、観光スポットの市庁舎は、ストックホルム中央駅のほんの近くにあったんだ。わざわざこんな遠くまで歩いて無駄足とは。言われてガイドブックを見直せば、確かにそう書いてあるのに。……本当、何してるんだろう……とほほ。
 やっぱり三夜連続の夜行利用、かつ昼間は必死に歩き回って観光という強行軍の疲れがきてるんだろうか。こんな初歩的な見落としをするなんて……。


●スカンセン入場
 仕方ないので市庁舎は後で再訪することにして、今日は今から東の郊外にあるスカンセンと、その近くの博物館に行くことにした。スカンセンは、ゆったりした敷地の中に昔のスウェーデンの家屋を移築保存してある、野外博物館のようなところらしい。ガイドブックを見るまで存在自体知らなかったけど、面白そうだ。
 距離があるといっても市内交通はストックホルムカードを使えばタダだし、問題ない。まずは地下鉄で中心部に出て、そこから47番バスに乗り換えてスカンセン方面へ。

 ここでもボケていて、スカンセンのある島に入ってしばらくしたところで、ずっと左手に広大なスカンセンの敷地が見えているので焦ったのか、バス停を一つ早く、チボリで降りてしまった。けど、これはリカバリー可能だからまあいいや。
 ちょうど横にあったバーガー屋で昼食にし、歩いてスカンセンの入り口へ。あ、日本人だ。結構いるぞ。だからどうだってものでもないんだけど。

 スカンセンの公式サイトはこちら。
 公式サイトにある日本語での紹介文はこちら(pdfファイルです)。

 入場してすぐのところに動物園がある。そう、スカンセンは首都近郊に広大な敷地を持ち、古代から中世のスウェーデンの家屋コレクションをしているだけじゃなくて、こういうものもあるんだ。せっかくなので入る。60クローネ。スカンセン自体は平日なので30クローネ。だけど、ともにストックホルムカードがあるので無料。いいなあ。
 マダガスカル地方の猿とか、マントヒヒの群れとか、あまり見たことのない動物がすごく身近で見られて新鮮だった。


●スカンセン・その1
 そしていよいよスカンセンの中へ。
 赤い、どっしりした建物が次々に現れる。正直建築関係はさっぱりなので、どれがどうとか分からないし、そんなに関心も湧かないが、自然豊かなゆったりした空間の中に点在する、歴史の風格を備えた様々な建物を見て回っているだけで、かなり楽しい。うん、いいなこれ。来て正解だった。

 こんな赤い木造の塔(?)もあれば、

 こんな風車小屋もある。

 ヨーロッパの今までの国の家と違い、ぐるりを塀でがっちりと囲んである建物もある。これは民家なのかなぁ。

 こういう辻に立って周囲を見回すと、本当に昔ながらのヨーロッパの田舎に立っているような気分になる。ルーマニアでもこんな気分になったけど、大都会ストックホルムの真ん中でこんな気分が味わえるとは思ってもみなかった。

 お、屋根の上に草がびっしり生えてる。テレビとかで見て、そういう家があることは知っていたけど、管理が手抜きとかじゃなくて、意識的にああしていたんだったのか。保温のためという説明があったような。こういうその地独特の文化は、実際に見てみないとぴんと来ないものだなあ。

 民家ばかりでなく、こういう塔も移築されて保存されている。これだけの建物を移築してくる手間だけで、どれだけかかったものやら。そう考えるとこのスカンセン、かなりの手間暇かけて作られてるなあ。


●スカンセン北部動物コーナー
 スカンセンの北のほうにも、動物園ではないけど動物コーナーがある。そちらに向かう途中の林の中で見つけたリスは小さくてかわいかった

 けど、こっちのコーナーの方にはヒグマとかヘラジカとか、極地方の動物がいるようだ。どれもでかいなあ。
 
 間に仕切るものがさしてない状態で、こんなでかいヒグマと目が合うと、正直怖い。ポーズはユーモラスなんだけどなあ。


●スカンセン・その2

 スタッフが民族衣装を着て昔の生活を再現しているのも面白い。

 こういう高床式の倉庫は、世界共通のものだったのかなあ。

 
 夏至祭に使われる、メイポールというらしい。凝った作りだと思ってよく見ると、高いところに小さな人形が並べられていたりする。豊かな文化を持っていることが、このポール一本からでもありありと伝わってくるなあ。
  

 他にもいろんな年代の、いろんな建物が次々と現れ、楽しませてくれる。こういうゆったりとした空気が流れる場って、好きだなあ。心が休まるよ。


 あちこち歩きまわって終わりも近づいてきた頃、中世の通りを再現した一角にあるOld Shopで、思わず焼きアーモンドを買ってしまった。試食したらおいしかったもんで……。包装も油紙で包んであるだけで、当時を再現しているらしい。いろんな意味で実に味わい深い。

 最後にガラス工房を見て、スカンセン見学終了。ここから先の移動予定を考えると、スウェーデンの田舎の方は行けないだろうと思うけど、ここで十分その気分は味わえたからいいや。いやあ、満足満足。
 面白くて夢中で見てまわってたから忘れてたけど、今の良くない体調で広い敷地内を歩き回ったから、かなりへばってきている。ちとまずいな。早々に切り上げて、今夜の宿を確保して寝てしまった方がいいかもしれない。


●北方民俗博物館
 体力的にきついのは確かだが、スカンセンを満喫して精神的にはまだまだいける。せっかくユールゴーデンまで足を伸ばして来ているのだから、せめて北方民俗博物館には行っておきたい。スカンセンからバスで停留所を二つ戻る。いや、三つだったか。よく覚えていない。ともかく博物館の目の前に停車するので降車。

 博物館は、まるで宮殿みたいな立派な構えの建物だ。ここでもストックホルムカードのおかげで60クローネが無料に。
 昔の生活をしのばせるような家具や衣服などがいっぱい展示してあり、面白かったけど、この中がまた、えらく広いんだ。入館時から体力が限界に来かけていた僕にはきつかった。なんでここまで無理して見てるんだろうと思ったりもした。でも民族衣装を集めてあるコーナーはかなり楽しかった。落ち着いている中にセンスのよさを感じる。


●体力回復
 大体見終えたところで時計を見ると、四時だった。時間的にはまだ、すぐ隣にあるヴァーサ号博物館を見に行けるが、もういい加減体力のヘロヘロ具合も限界に達していて、正直それどころじゃなくなっていた。
 もういいや。もう戻ろう。
 そう思ってバス乗り場に行くが、ちょうど目の前でバスが行ってしまった。がっくり来ながら周囲の写真を撮っていると、とある塔の上部だけが赤いのに気付いた。

 なんとなくそういうライトアップでもしてるのかと思っていたが、はっと気付いた。あそこだけ夕日が差してるんだ!
 慌てて西空が見えるところに移動して見てみると、おお!

 夕焼けがものすごくきれいだ。美しい夕焼けに出会うと急に体力が回復するのが我ながら不思議だ。よし、夕日を求めて前進だ! いいアングルを求め、西へ、西へ。

 結局、バス停留所そばから最初に見た瞬間がピークだったようだが、いいものを見せてもらった。


●ヴァーサ号博物館
 夕日が終わってしまったので我に返って周りを見回すと、すぐ横にヴァーサ号博物館があった。真横に大きく聳え立っていたのに、その瞬間まで本当に存在に気付いてなかったので、思わずびくっとしてしまった。そこまで夕日に没頭していたのか。うーむ、ここまで来たら行くしかないな。一時的に元気も戻っていることだし。

 ヴァーサ号。現存する最古の完全船。ちなみに17世紀の船だそうだ。入館料は70クローネだがここも無料。あ、カードの元が取れてしまった。
 中に入ってまず目の前の飛び込んできたのが、そのヴァーサ号の実物。でかい!

 またそのほとんどが木製だというのがすごい。圧倒的な迫力で迫ってくる。これはインパクトがある。来てよかった。
 結局、気力の限界もあってそんなにじっくりとは見れなかったけど、それでも博物館内を一通りは見てまわった。さすがにガイドツアーには参加する力は残ってなかったけど。


●ホテル探し
 もうすっかり暗くなった中、来た道の逆をたどってストックホルム中央駅に戻り、ホテルを紹介してもらうことにする。他に声はかからなかったし、もう自力で宿を探す元気なんて残ってないし。とにかく安いのお願いします。
 紹介された中で一番安かったのが、Bemaホテル。一泊590クローネ、紹介料50クローネ、デポジット59クローネ。駅からも近いし、このホテルにします。ここでまず紹介料とデポジットの109クローネを払う。シングルの部屋は満室だが、ダブルの部屋をシングルユースで貸してくれるそうだ。このホテル、『歩き方』には690クローネとあるけど、ガイドブックの調査のあった四年前から値下げしたのかオフシーズン価格なのか。

 ともかく大荷物を持って歩いていく。おお、あった。Bemaホテル。フロントとか、思ったより小さいな。レセプションにはおばあちゃんが座っていた。さっき紹介された者ですけどー。
「ああ、来たわね。えーと……Mi、Mi……日本人の名前は難しいわ」
 そうかな? MIYAMAってそんなに難しくないと思うんだけど。確かに下の名前は他の国の人には難しいかもしれないけど。まあそれはお互い様だから、仕方ないよなあ。
 部屋に荷物を置いて一息つく。ふう。


●ストックホルムの夜
 さて、食事と、できればネットをしに外へ出ないと。あ、近くに本屋ないですか? え、もう閉まってる? 確かに外は真っ暗だけど、まだ六時ですよ? 仕方ないなあ。
 外に出てみて、納得。本屋に限らず、周囲の店はあらかた閉まってしまっている。ネットカフェは、回線は5メガを二秒で落とすなど、光の速さだったけど、それ以外の操作性が全然で、日本のネットに繋げなかった。今日はもう無理だな、あきらめるしかない。
 さて、夕食だ。体調が優れないので奮発して、朝食べた、駅のアジア食スタンドでお米のご飯。この国は、至る所でお箸が使えるからいいなあ。落ち着く。食事代は55クローネ。

 ホテルへの帰り道、ビールを買う。この国では酒税がべらぼうに高いらしいが、まあ一回くらいなら。でもこのビール、なんか2.8%とか3.5%とか、発泡酒みたいな数字が並んでるなあ。すっきりした飲み口で、なかないけるから別にいいけど。
 部屋に戻ってビールを空けたところで完全に力尽きた。お休みなさい。

 が、12時に一度目が覚める。乾燥しているのか風邪を引きかけているのか、鼻の奥の粘膜が乾いている感じがして、痛い。フラフラする。いよいよもってやばいぞこれは。



スウェーデン 10月31日(木) ストックホルム


●体調と相談する朝
 熱はないが、調子は昨日を20%としたら、50〜60%くらいか。ううむ。
 9時、朝食をおじいちゃんが持ってきてくれた。食堂に下りていく形式じゃないんだね。このおじいちゃんもそうだけど、スウェーデンの人ってこっちが日本人だと分かると、知ってる日本語を使っていろいろ話しかけてくれる。感じいいわあ。

 11時にチェックアウト。この町でもう一泊した方が体のためにはいいんだけど、どうにも決断がつかないので、とりあえず出てきた。

 とにもかくにもストックホルム中央駅へ。そして荷物は35Kr(どうもこの国ではクローネよりクローンの方が通りがいい。どのみち綴りはつまるところKROWN、王冠なんたけど)のコインロッカーへ。おう、1クローン硬貨は使えないのか。両替機もそこまで対応してないし。どうしようと思っていたら、たまたま横にいたおばちゃんが両替してくれた。ありがとう!


●市庁舎へ
 時刻は11時過ぎ。よし、今日こそは。少し早いが、今から市庁舎へ向かおう。


 ノーベル賞といえば、今年は日本人が二人も受賞しているらしい。実家に
「ストックホルムの市庁舎を見に行く」
 とメールしたら、
「ちょうどタイムリーだから、しっかり見て来なさい」
 と返ってきた。珍しい。そんなに日本では盛り上がってるのか。基本的に派手なのには興味はないが、これは見ておきたい。
 ちなみにストックホルムカード、有効期限は今日の12時半までだけど、大丈夫かな……。


 今日は迷うことなく、無事に着いた。……凄く立派な建物だ。これで市庁舎なのか。とても人口が一千万もいない国が作ったものとは思えない。赤くて重厚な、スウェーデンの見本みたいな建物だ。他を圧する迫力を感じる。


●市庁舎
 入り口を見つけて尋ねてみると、ストックホルムカードの有効期限はオーケーだった。これで無料で見れる。よかったぁ。
 
 ちなみに参加するのは12時からの英語ガイドツアー。ここは個人で勝手に見てまわれないから、ツアーに参加するしかない。さすがに日本語ツアーはないし。服にツアー参加の目印となるシールを貼り付けて、チケットの代わりにするスタイルだ。
 
 ツアー開始まで時間があったので、まさに市役所の受付窓口のような(ようなじゃなくてそのものか)所でじっとしているのも勿体無かったので、市庁舎の敷地内の庭を歩き回る。湖岸に建っているので眺めも素晴らしい。重厚な庁舎は外から眺めているだけでも実に見事で飽きないし、12時までなんてあっという間だった。
  


●市庁舎ツアー
 今回のツアーのグループは白人がほとんどだが、中国人と韓国人も少し混じっている。日本人はいない。ま、今の体調だとその方が気を回すことが増えなくてありがたい。正直、昨日から体調のワーニングランプが点灯しっ放しだ。今日はせめて、メーターがイエローゾーンからレッドゾーンに入らないように気をつけないと。
  
 ガイドツアー開始。ブルーホール、議会室、塔、黄金の間……。赤レンガと黄金の豪奢な組み合わせ、そして贅を尽くした見事な細工の数々。

 いや、いいものを見せてもらいました。芸術方面はさっぱりで興味もない僕でも、ここまで見事だとただただ圧倒され、感嘆のため息しか出てきません。頑張って来た甲斐がありました。本当に。(体調の関係であまり長くは書けてないのが残念。)
 特に印象的だったのが、ノーベル賞受賞祝賀晩餐会が行われる青くないブルーホールと、その上にあるノーベル賞受賞パーティーの舞踏会が催される黄金の間だった。特に黄金の間は、文字通りまばゆい黄金に埋め尽くされ、でもそれが決して下品ではなく、感嘆のため息しか出てこなかった。
  
 受賞者が黄金の間からブルーホールへ階段を下りてくる……想像するだけで絵になるなあ。
 
 こういう世界的な場所を見られるのも、旅の楽しみの一つだ。


●リッダーホルム
 相変わらず外は寒い。え、それでも5℃もあるのか。今日は雲がどんよりと垂れ込めていて、風が冷たいからもっと低いと思ってた。
 市庁舎を後にし、昨日直前でやめたガムラ・スタン(旧市街)へ向かう。


 それにしてもストックホルム、至る所に豊かな水景があって、実に美しい町だ。水の都の名前は伊達じゃない。ガムラ・スタンへ向かう途中に見える市庁舎もきれいだ。


 まずはガムラ・スタン島の西に陸続きである小さな島・リッダーホルムへ。

 ここは元々宮殿や貴族の邸宅などがあった島だそうで、世が世なら僕などが足を踏み入れることはできなかったんだなあ。

 一時期王宮としても使われたというヴランゲル宮殿を見てから、この島の中心・リッダーホルム教会をめざす。ストックホルムで最も古い教会の一つで、尖塔の先が、中身が詰まっていないスタイルなのはここだけとのことで、ずっと気になっていたのだ。おお、この高さと美しさは見事だ。珍しく角度を変えて二枚。
 
 と、ここで日本人らしい女の子二人連れと目が合ったので会釈したら、二人してこっちを見つついきなり爆笑してそのまま去っていった。ちっ、なんだよ、失礼な。傷つくなあ。


●ガムラ・スタン

 景色がいいのでリッダーホルム島をぐるりと回って見てから、いよいよガムラ・スタンへ。

 まずは王宮だ。ううむ、これは大きいなあ。中には入らないけど、20年前まではここが現役の王宮だったんだなあ。
 
 見張りの兵隊さんがそこかしこにいる。授業で来ている小学生の質問に答えている兵隊さんを見ていたら目が合ったので会釈したら、目礼で答えてくれた。さっき日本人に爆笑された心の傷が癒えました。ありがとう。ついでに一枚、写真を撮らせてもらいました。


 次いで旧証券取引所へ。今はノーベル博物館として使われている。ストックホルムカードはもう使えないし、入場料が50クローンもかかるので入る気はなかったんだけど、外から中を見ているうちに、どうしても入りたくなってしまったので入る。さっき市庁舎で受賞パーティー会場を見てきたのが効いているな。


 ちと高いけど、なかなか楽しめた。レーザーホログラムをうまく使った展示は、なんか未来的で面白かった。受賞者の紹介ムービーでは、ちょうどダライ・ラマと湯川秀樹博士のを見ることができたし。

 後はここガムラ・スタンの町歩きだ。そんなに広くないので十分歩いてまわれる。
 
 狭さで有名な、幅90センチの路地を通ったりとなかなか面白い。

 それにしても、やっぱり王宮のこの大きさは目立つなあ。

 うん、ガムラ・スタンも大体まわったな。満足できたのでストックホルム中央駅に戻る。



●ストックホルム二夜目の宿
 今の体調を勘案して、やっぱりもう一泊していくことにする。ストックホルムが気に入ったってのもあるんだけど。
 今日もツーリストインフォメーションでホテルを紹介してもらう。最初、そんなに金持ちそうに見えたのか、一泊899クローンの所を紹介されそうになるが、慌てて安いところをとリクエストして、一泊495クローンだけどやや遠くて、バスで片道25クローンかかるうえにシャワー・トイレが別のところか、ガムラ・スタン内にある一泊590クローン(三ツ星ホテルのスペシャルプライス。確かに『歩き方』には一泊1200クローンからと載っている)の二つを示された。
 そんなの、考えるまでもないじゃないか。ガムラ・スタンで決まりだ。ホテルの名はリカシティホテルRica City Hotel・ガムラ・スタン。大きな系列のホテルのようだ。

 ホテルに向かってガムラ・スタンの中を歩き、たどり着く直前、雨が降ってきた。参ったなあ。
 しかしこのホテルは本当に立派だった。

 これでこの値段は本当にスペシャルプライスだ。でも、いくら体調がよろしくないとはいえ、このままでは夜が暇なので、買い物にでも行きたいところだが、CDとかはセントラルに行かないと売ってないらしい。薬局はこのガムラ・スタンの島の中にあるらしいが。体調が悪いから薬を買いに行きたいが、この本降りの雨の中、薬局を捜し歩くのはちょっと……。


●セントラル散策
 逆に遠出になってしまうが、セントラルまで地下鉄に乗って行くことにした。その方が濡れないし。運賃は20クローンなり。
 まずは本屋とCD屋……リカホテルの受付のお姉ちゃんが言っていた、スウェーデン一立派なデパートというのはすぐに見つかった。たしかにこれは大きい。
 本屋もあった。確かに大きい、けど……これでとびきりなの? こっちでは漫画の占めるシェアがないとはいえ、いかに日本が出版大国かを再認識してしまった。まあドラゴンボールは置いてあったけど。まあこれだけテレビ放送されてるんだし、不思議はない。それはいいが、探してもオリエンテーリング関係の本は置いてなかった。本場スウェーデンだからあるかと期待してたんだけどなあ。店員さんに尋ねると
「ああ、オリエンテーリングの本ね。えーと……今はないわね」
 というくらいに認知されてはいるようだけど。日本だったらまず「えーと……オリ……なんですか?」だもんなあ。店の規模からして、シーズン中でないとないのかな?
 スウェーデンのオリエンテーリング協会に行ってみる事も考えたが、今からではアポを取って行くだけの余裕はない。体力・気力の問題もあるし。うーむ、聖地スウェーデンでもトップスポーツというわけではなさそうだ。
 それからCD。いつの間にか国ごとに買うようになってるなあ。
 ちょうど本屋に三枚99クローンのスカンジナビアなんたらがあったが、どうもクラシックっぽいのでパス。おいおい、ウォーハンマーの音楽CDなんてあるんだ。

 それからセントラルの薬局で風邪薬を買った。というか喉用トローチを。店員さんに喉を押さえて咳をしたら、トローチを勧められたもので。頭を押さえて見せるべきだったかな。まあトローチも必要だから買ったけど。しかしこの一箱287クローンって、500円くらい? 安くないか? 福祉大国だからなのか?

 それはともかく、商店街を歩いていて気付いた。そういや今日は10月31日、ハロウィンだったんだな。日本ではあまり認知されてないからぴんと来てなかったけど。
 カボチャなんかのディスプレイはあったが、あんまり大々的にイベントをしてるって風でもなかったような。少なくとも僕が歩いてみた範囲では。

 それにしてもこの国って面白い。町を歩いていると、黄色人種も黒人も、全然珍しくない。ありふれている。
 これだけ混じっているのも珍しい気がする。それとも西欧諸国はみんなこうなんだろうか? 歩いていて全く気にされないのは気楽でいいが、東南アジアで見つめてこられたら見つめ返す癖がついているもんで、ちと寂しい気もする。

 おお、セルゲル広場のモニュメントがライトアップされている。



●夜の帳を
 ネットカフェ、今日もかんばしくない。まあこういうのは巡り合わせもあるからなあ。しかし、ヨーロッパのネット屋で日本語を打ちたいと言うと、
「キーボードが合わないから駄目だ」
 と言われる事が多いなあ。異質な言語だから、何か特別な専用のキーボードでも使わないと打てないとでも思ってるんだろうか。ごく普通のキーボードで問題なく打てるのになあ。読むだけならXPが入ってるマシンなら問題なくできるし。
 ちなみに今日行ったネットカフェのマスターも黒人だった。僕が終わって外に出ようとしたら、そのマスターが入り口のところで扉を塞ぐ形で友人との雑談に夢中になっていた。のいてくれと言おうと思ったが、ちょっと気が変わってそのままあえて静かに立って待っていたら、二分ほど経ってから、だべっていた友人に言われてやっと気付いた。ふむ。そしたらそのマスター、平然と
「Please say something.Don't shy」
 うーむ。確かに日本人はシャイだけど、今回は違うんだけどな。仮にもサービス業の店長が、どれくらい周囲に気を配っているかという……まあいいや。もうしんどいから帰るよ。

 雨が上がっていたので、地上を歩いてガムラ・スタンに戻る。うん、なんだかんだで体力は回復方向に向かってるかな。
 ガムラ・スタンにあったセブンイレブンでお買い物。+レストランでピザの夕食。もうなんか捨て鉢になってるのか、お金使いまくりだな。
 宿に戻ってシャワーを浴びる。ああ、気持ちいい。
 夜に読む本が何かないかと思っていたが、めぼしいのが見つからなかったので、言葉は分からないがテレビを見る。
 それにも飽きたので、眠気が来るまでの間、観光案内図を引っ張り出して眺める。こういうのに載っている現地の広告って、結構面白かったりするし。……って、ん? 日本料理店の広告、思い切り日本語で書いてあるんですが……そんなに日本人、多いのか……。
 


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