ほろほろ旅日記2002 11/11-20
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ノルウェー王国
Kingdom of Norway → フィンランド共和国
Republic of Finland
11月11日(月) カラショク → イナリ
●ありがとうカラショク、ノルウェー
夜中に何度も目が覚めてしまった。筋肉痛のせいかな。ともあれ、ちゃんと目が覚めたのは8時だった。
テレビをつけると、ポケモンの映画をやっていた。もう海外のテレビで日本のアニメをやっているのには慣れたけど、今日って月曜日だよな? 平日だよな? 今はこの地方では長期休みか何かなのかな。
ともあれ朝食を済ませ、チェックアウト。三泊で1890クローナ。
●国境を越えるバス
準備を整えてホテルのロビーで待つうちに、9時20分、バスが来た。そう、この町に来る長距離バスはこのRICAホテルの庭先まで来てくれるから便利だ。
乗り込んでみると、乗客は僕一人。……始発なのかな?
料金はイナリまで15.6ユーロ。クローナは受け付けてなかった。たまたまドイツで使ったユーロの残りを持ってたから良かったけど、フロントまで両替をしてもらいに走るところだった。そっか、フィンランドはユーロのみか。EU加盟国だもんな。
バスは凍りついた道を、平均時速90km/hで飛ばしていく。確かに速いけど、いつものことだからもう慣れたよ。そういや今更気付いたけど、北欧では路面凍結防止剤、見たことないなあ。
白と灰の大自然の中を、バスは行く。ホテルを出て15分ほど走り、カラショク川を渡ればそこはもうフィンランド、スオミだ。(スオミはフィンランド人が自国を呼ぶ名。ジャパンと日本の関係みたいなものかな?)。
バスの運ちゃんと国境の係員が軽く挙手の挨拶をしただけで通過。普通に小川を渡っただけだし、全然国境って気がしない。うーん、スカンジナビアだなあ。
そしてほどなく、フィンランドに入って最初に出てきた集落で停車。15分停車をしている間に、荷物を積み込む。これはラップランドのどこに行っても変わらないなあ。旅客運送よりも貨物運送のほうがメインなんではなかろうか。ちなみにこのバスは毎日運行だ。
雪がちらちらと舞っている。極北の地のようにバラバラとではなく、どちらかというと日本的に、ふわふわと。
おっと忘れていた、時差だ。フィンランドに入ったんだから、一時間進めないと。今まではただひたすらに遅らせてきたけど、これからは進めていくんだなあ。09時56分だと思っていたのが、一瞬で10時56分に。
ここで一人、女の子が乗ってきた。これで乗客は二人。
バスは白い荒野を行く。山地を横切っているんだろう、やたらとアップダウンが多い。そして、走っても走っても、他の車は全く見かけない。
11時45分、イヴァロ方面への道路と合流。ようやく他の車もぱらぱらと一、二台出てきて、少しは人の気配がするようになった。これまではどこからどうみてもただひたすらに無人の野だったからなあ。
11時50分、カーマセンKAAMASEN着。さらに女性が一人乗ってきた。考えたら、カラショクを出てから停車すること自体、これでまだ二回目だ。途中には何もなかったのか。……なかったなあ。これがラップランドなんだな。
ここでも運ちゃんが降りて荷物を受け取ってきた。この様子だと、次に停まるのは僕の目的地、イナリInariだろう。そう思って乗っていたが、実際、その通りだった。
●到着、イナリ
12時15分、イナリ着。バス、速かったなあ。時差を考えなければ、実質二時間かかってない。ここのところ、長距離移動ばかりしていたから、かなり拍子抜けした感じだ。
言われていた通り、確かに小さな村だ。下手したら、ルーマニアのポイエニレ・イゼイより小さいかも。でも、大きな町が苦手な僕には、極北のフィンマルク地方からの復帰のステップとしてはちょうどいいかもしれない。
バスは町の中心部にあるらしい、そんなに大きくないホテルイナリの前に着いた。まだ時間もあるし、このホテルがベストの選択なのか分からないので、まずはすぐ隣にあったツーリストインフォメーションに行く。今日は月曜日だからちょうどいい。
『地球の歩き方』に書いてあるのとは違い、ここのインフォメーションはそんなに小さくない。なんでも今、イナリにホテルは二軒あり、ホテルイナリが近いし、チーペストだそうだ。よし、なら行くとしよう。
ホテルイナリの一階はレストランになっていた。客の多くは飲みながらロトくじで遊んでいる。尋ねてみると、ここがレセプションでもあるらしい。シングル一泊25ユーロとのこと。ああ、久しぶりに安めの宿だ。ほっとするなあ。まあ、こから先に訪れる予定のロヴァニエミやヘルシンキではまた違って来るんだろうけど。部屋もコンパクトでシンプル。……少し寂しいと思ってしまったけど、それは最近高い部屋に泊まることが多かったために生じた錯誤に過ぎない。この部屋でも僕には十分豪華なんだってば。
イナリ湖が氷結している現在、イナリ最大の観光ポイントであるシーダSIIDAは今日はお休みらしい。一週間のうち、月曜だけ休みだとか。あらあ? ということは、ここで二泊はしないといけないわけか……。諦めて先に行くことも考えないでもなかったけど、いいや、泊まろう。
それにしてもイナリ、相当寒いかと思っていたが、そうでもない。なんか拍子抜けだ。そりゃあカラショクに比べれば標高も緯度も低いけどさ。それでも温度計を見たら−7℃だったから寒いはずなのに。感覚がズレちゃってるなあ。
●町歩き
今日はもうすることがなくて暇なので、ぶらぶらと町歩き。雪と氷の白い世界はいくら見ても飽きない。道路脇の林も、極地方だから下草がろくに生えず、実にすっきりとしている。こんな中を走り回ったら気持ちいいだろうなあ。
イナリの町は、イナリ湖の湖岸にあるので、すぐそこに湖が広がっている。地図を見てもかなり大きい湖だと分かるが、それが完全にではないものの、見事に氷結していて、実に見事な眺めだ。
湖に流入する川も氷結していて、その上にうっすらと雪が積もっているので、川岸と陸の境目が分かりにくい。護岸工事などしていないからというのもあるんだろうけど、興味深い景色だ。
●衝動買い
ぶらぶらと町外れまで歩いていき、たまたま見かけたこじんまりしたハンディクラフト工房にふらりと入る。特に何も買う気はなかったんだけど、リップクリームの小瓶を見つけたので、必要かと思って買った。花の香りがつけてあって、6.5ユーロ。スーパーでスティックタイプの既製品を買えば安かったのになあ。
次いでサーミ人の土産物屋があったので見に入る。さすがはサーミ人、専門店の人。僕がジャンパーのチャックのところにつけているサーミのキーホルダーに気付き、
「どこで買ったの?」
と尋ねてきた。アルタで買ったんだけど、なんでもカラショク地方のサーミの模様だそうだ。
「サーミは好き?」
「もちろん!」
あれやこれやと雑談しつつ、店を見て回る。気が向いたのでお勧めのCDをいろいろ聴かせてもらい、トラディショナルなのとモダンな人気歌手のと、二枚のヨイク(サーミスタイルの音楽)のCDを買った。二枚で43ユーロ。日本では全く音楽を聴かないのに、我ながら不思議だ。
どれがいいのか分からなかったので、おばちゃんのお勧めを尋ねると、
「私はMARI BOINEが好き♪」
と、踊りながら勧めてきた。本当にお気に入りだというのがひしひしと伝わってきたよ。試聴させてももらったが、なかなか綺麗で力のある歌声だ。サーミ語の歌なので意味は当然分からないが、歌詞カードの英語訳を見ながら聞いてみた。
おばちゃんお勧めのCDの一曲目、「Eallin/Life」の出だし、前奏と英訳された歌詞の「I wanted to give you a gift,Life」のくだりでぞくっと感動し、涙が出て来そうになった。旅の身に沁みる歌詞だったこともあるし、この地で聴いたからかもしれないけど、これはもう買うしかない。買っても帰国までは聞けないので、とりあえずここで数曲聞かせてもらった。
(Harmony Ridge Musicの中のMari Boineのページで「Eallin/Life」の冒頭部分が試聴できます。さすがに直リンはしませんが、中段右側にある、子供が両手を挙げている「Room Of Worship」の緑色のジャケットの下、「Life.mp3」がそれです。 )
●イナリの夜
そろそろホテルに戻ろうと歩いていると、子供が下校していた。こういう風景はどこの国でも変わらないなあ。
ホテルの向かいにあるスーパーに買い物に行くと、レジの横にパソコンが一台置いてあり、ネットは無料との事だったので使わせてもらった。すぐそこのツーリストインフォメーションのパソコンだと30分3ユーロなのに、いいのか?
もちろん買い物もした。お菓子のコーナーで妙なものを見つけた。普通の板チョコなんだけど、商品名が「GEISHA」。そう、芸者。ご丁寧にも、日の丸の扇子を手にした芸者さんのイラストまで描いてある。メーカーはFazerという、フィンランドのメーカーだ。それにしても、なぜチョコレートに芸者なんだろう?
たっぷりネットも堪能したし、買い物も済ませたし、そろそろ帰ろう。時刻はまだ夕方の五時だが、外はとっくに夜になっているし。
ホテルイナリの一階のレストランで夕食。8ユーロ。これでもかというほど大量のピザだった。ビールは2.5ユーロ。おや、まっとうな値段だよ? 国が変わったからかな。夜、ホテルの窓からイナリ湖をぼんやりと眺めていると、スノーモービルをかっ飛ばしている人達がいた。氷結した湖面は恰好の遊び場なんだな。
テレビも特に興味を引くものはないし、そろそろ寝よう。暖房はあるけどそこここから冷気が沁み込んで来ているので、風邪を引かないようにしっかり防寒対策を取って寝ないといけないな。
フィンランド
11月12日(火) イナリ
●イナリの朝
先日来続いている筋肉痛のせいか、夜中の3時に目が覚めた。
一度目が覚めるとなんか寝付けなくなってしまったので、こういう時のための原書指輪物語を読みながらゴロゴロする。……あれ? なんで英語の本を読んでるのに眠くならないんだろう……。気がつけば7時半。外はまだ真っ暗だけど、もう朝だ。仕方ない、起きるか。
……と思ったところで今さら眠気が襲ってきて、いつの間にか眠ってしまっていた。気がついたら9時40分だった。
危ない危ない。もう少しで宿代に入っている午前10時までの朝食を逃すところだった。やっぱり眠いや。それにしても、ここはいい所だ。このホテルはメインストリート沿いに建っているんだけど、夜の間、車も人の気配も全くなく、完全な静寂が訪れていた。しんと静まり返った静寂は大好きだ。
こっちで生活していると、日本で暮らしていた頃はあまり用がないと思っていたコーンフレークなどのシリアル食品の重要性を実感する。繊維質と炭水化物に牛乳をかけて食べるんだもんな。不足しがちなものを補っているのがよく分かる。食べると体に沁み込んでいく気がするよ。
外を見るとどんよりと曇り、雪がちらついている。これはもう、今回の旅でオーロラを見るのは無理かもしれないな。時期が時期だから仕方ないけど。
しかしまあ、静電気の強いこと強いこと。ちょっと金属を触ればパチッ! と来るのには閉口してしまう。あまり静電気静電気してない体質だったから、今日のこれはちょっと意外だ。
●シーダでオーロラ
11時過ぎにこの町に来た最大の目的、野外博物館のシーダSIIDAへと歩いていく。筋肉痛の体で降り積もった雪の上を歩くのはちょっとやりにくいなあ。この天気と体を考えると、イナリを出るのは明日にした方がよさそうだ。
シーダの入場チケットは7ユーロ。
代金を払いながら受付の人と話すと、展示館の一角に映写室があり、そこで12時からオーロラのビデオ上映があるらしい。オーロラか……縁がなかったし、ここで見ておくかな……。まだ何も展示を見ていないが、12時まで20分ほどだったので、そのまま受付の所で待つことにする。
と、係の人が
「人も少ないし、前倒しで上映するからおいで」
というので中に入る。確かに数人しか客いないもんな……。上映前に様子を見に来たスタッフの姉ちゃんが僕を見て、そばにやって来た。
「Japanese?」
と尋ねてきたので何だろうと思いながらそうだと言うと、
「それなら日本語バージョンのムービーがあるから、次の回にそれを流してあげる」
あるの? なら、せっかくなのでお言葉に甘えることにする。
こんなフィンランドの奥の博物館に日本語バージョンがあるのかと思ってパンフレットを見ると、バージョンは四つだった。フィンランド語、英語、ドイツ語、日本語。……なんでこの選択肢で日本語があるんだろう。ここ、そんなに日本人来るのか?
前の方の席に座っていた姉ちゃんがそのやり取りを聞いて、
「イスパニッシュバージョンはないのか」
と尋ねていた。うん、気持ちはよく分かるよ。
ということで、上映を一回待って入った12時からの回にいたのは、当然ながら僕一人だった。確かに北極圏に入ってからこっち、ただの一人も日本人を見かけてないしなあ。まあ平日だし、何国人とか言う前に入場者自体あまりいないんだけど。
ビデオの上映が始まった。……こうやって見ると、やっぱりいいなあ、オーロラ。可能なら直に見てみたいものだ。でも、こう曇天続きだと無理だから、ここでその代わりに見ておこう。「北極圏でオーロラを見た」には違いないし(^^;
北の大地の上に広がるオーロラの映像を見ていると、なんだか超自然的な、魔法とか奇跡とか、そっちの範疇にあるかのような雰囲気を感じてしまう。なんというか、ここに限らず砂漠地方なんかでもそうだろうけど、自然というものが人間の絶対上位に君臨しているような、共存とかそんな生やさしいものではなく、圧倒的な力で人間を従えているかのような、そんなものを感じる。などと考えながら見ていたらムービーは10分ほどで終わった。楽しかった。堪能できたよ。
●屋内展示物
映写室から出て、建物内部の展示を見てまわる。2室だけだけど、広いスペースを効果的に使った、なかなか凝った、力の入った展示がされていた。
どの展示もなかなか興味深かったので英語の解説をじっくり読んでいたら、すっかり疲れてしまった。一室目の、古代からのタイムスケールに沿った、大地の気象条件の変化と、ここに住むサーミの動きが書かれているのを見終わったら、もう13時半になっていた。いかん、肝心要の野外博物館を日のあるうちに見ておかないと。ちょうど小学生の見学と、ペラ海沿いの町オウルOuluからの大人のツーリズムが来て、展示室内がにぎやかになってきたことでもあるし。今のうちに外を見に行くとしよう。
冬なので、野外展示の建物は開いていないが、順路に沿って森の中を見て回ることはできるらしい。それで十分だ。防寒装備の服をがっちり着込んで、外へ。
●屋外展示〜家屋〜
案内板に従って順路を歩いていたはずなのだが、気がついたらなぜかイナリ湖の上へ出てしまっていた。足の下は湖に張った氷。え?
スノーモービルがそこらをかっ飛んでいるくらいだから、人一人が乗ったくらいではびくともしないんだろうが、そこはやはり氷。上に立って体を動かすとたわむし、立っていると四方から「ピシッ」「キシッ」ときしんでいるのかヒビがいっているのか分からない音がしてくる。落ちたら間違いなく死ぬだろうし、怖くなったので早々に地面の上に逃げ戻った。
改めてシーダ、サーメ野外博物館の中を歩きだす。タイミング的に当然だけど、僕以外の人影を見かけない。迷ったりアクシデントで動けなくなったりしたら、そのまま野垂れ死んでもおかしくないな、これは。
7ヘクタールの地に、1900〜1960年代に実際に現役だったサーメの人々の家を移築保存している博物館だ。歩いていると、ぽつり、ぽつりと森の中から現れてくる。移築したと言ってもかつては実際に人が暮らしていた家だし、森の中という立地条件もあってか、本物の風格がにじみ出ている。いいなあ。
と、サウナの家というのがあった。サウナ……この地では必要不可欠なんだろうなあ。蒸気を逃がさないためか、窓も小さく、室内全体が密閉できるようなつくりになっている。
鬼太郎ハウスみたいな食料保管庫は、獣にやられないためにかな。極地の冬なんて、食料争奪戦はかなり凄まじいだろうからなあ。
牛に食べさせる草を保管する干草掛けなんてのもあるんだ。トナカイよけか何か、えらく高いところに草を掛けるようにしているし(トナカイは大きいです)。
建物の横にある解説つきのイラストで、鞭打ちをしているイラストがあった。説明を読むと裁判所だったらしく、打たれているのは罪人だとか。ひええ。
次に、川のほうに降りていく。漁村だ。数軒しかないのでムラというには小さい気もするけど、ここには6000年前から人々が漁をして暮らしていた漁村が実際にあったそうだ。見ると、釣りのことが分からない僕が見ても、漁をするにはいいところだと分かる。なるほど。
●屋外展示〜小屋等〜
そこからさらに歩いていくと、夏の間に使用するテントがあったが、今は冬なので覆い布が取り外されていて、骨組みだけなのであまりぴんと来なかった。
うわ、羊小屋も藁葺きで、古代の家みたいだ。面白い。極地だから、家畜も放置は出来なかったんだろうな。
皮なめし用の巨大な回転車も迫力があった。ぱっと見ただけでは何なのかさっぱり分からなかったけど。この説明版も、ものによってはびっしりと霜が降りていて、必死にこすり落とさないと読めないものも結構あった。当然だけど、改めてオフシーズンだということを実感する。
トナカイREIN DEER小屋は羊のそれとは違い、でかい。でかくしないと入らないしなあ。
●屋外展示〜仕掛け〜
その次に、サーミ族の狩猟の展示として、色んなトラップの模型が展示されていた。
魚の罠みたいに先に行くほど狭くなって後戻りできない仕掛け、小動物から熊まで、引っかかると上から重石が落ちてくる仕掛け、落とし穴、変わったものでは高い木の上を二股にしてそこに餌を置き、狐とかが背を伸ばして食べようとしたら足が引っかかるようになっている仕掛けなんてのもあった。こんなの、言われなかったらただの木にしか見えないよ。
他にも鳥の巣箱を作って卵を取る仕掛け、罠にかかると重りが落ちてきて一気に吊り上げられる仕掛け、等々。いろんなものがある。マレーシアのジャングルでも狩猟用トラップはいくつも見たけど、同じトラップでも全く違う発想で生み出されたものがたくさんある。人間の発想の豊かさには感心するばかりだ。
沢の底にはラップランドでの砂金取りの道具も再現してあったが、雪と水に埋もれててよく分からなかった。その小川の谷に転がる巨石のほうが迫力あったなあ。
それにしても、一気に暗くなってきた。森の中の道さえ見えにくくなってきたので、急いで展示館に戻る。
●屋内展示 その2
シーダの展示館に戻り、さっき見てなかった第二展示室に行く。
実はここのメインなので、じっくりと見て回る。外から戻ってきた時には、他の入館者はいなくなっていた。でも閉館時間はまだ先なので、気にせず見てまわる。広い展示室のぐるりをこの地の12ヶ月の風景画に取り囲まれ、各月の特色を写真やビデオ、または音響などで解説してあって、なかなか興味深い。
そうか、ここは夏、虫が大発生するのか。確かに地形を見れば当然なんだけど。人呼んでモスキートパラダイス、か……堪らないな。景色は綺麗だろうけど、夏には来ないほうが良さそうだ。
あー、やっぱりオーロラを生で見たいなあ。でも今の季節では無理だよなあ。11月は荒天続きと書いてあるが、確かにその通りだ。おかげでノールカップは大迫力で良かったんだけど。今回北極圏を旅したのは北の果ての大地の厳しい自然を見るのが主目的だったから、オーロラが見えないことと安宿がないことを除けば、今の僕にはベストの選択だったんだ。
ぐるりを見終えてから展示室の真ん中に行く。ここはサーミの生活について(衣服・狩猟・漁業・放牧・宗教、等々)の展示だった。
ふう。
じっくりと一通り見終えて時計を見ると、16時だった。ここは17時に閉まるから、いいタイミングだな。というか、僕はシーダに何時間いたんだ? 当然、外はとっくに真っ暗だ。最後にシーダの土産物コーナーを見ていく。ラップランドについての写真集の中に、日本語入りのものがあった。なんか変な日本語だったけど、思わず買ってしまった。13ユーロ強。鹿のフン型の飴と、蚊のバッジ。こんなのあるんだ。
外に出ると、雨樋の下部から流れ落ちてきた水がつらら状に凍っていた。
●夜のとばり
ホテルイナリに戻り、ちょっと早いけど食事にする。6ユーロでビュッフェ式のものがお勧めとのことなので、それで。マッシュポテト、ミートボール、ハムマヨ、パスタ、生野菜サラダ。なかなか嬉しいメニューだった。
食事が終わっても17時40分。まだまだ夜は長い。道向かいのスーパーにふらりと出かける。他に行くところもないし。またGEISHAチョコ買っちゃったよ。絵葉書もついでだから買おう。北極圏らしい北極圏にいるのも今日が最後だし。
ジュースでは、いかにもフィンランドらしいムーミンのイラストのMUUMIというのを買った。(ちなみに本来のムーミンのスペルはMOOMIN)
……なに無意味な散財してるんだろう、僕。
ついでというかこっちが本命というか、ツーリストインフォメーションのパソコンでは日本語環境を導入できなかったので、スーパーのパソコンでネットをする。スーパーの入り口の横、レジの後、袋に買ったものを入れる場所の横にパソコンが置いてあるので少々恥ずかしいが、気にしたら負けだ。
何人かからメールが来ていた。
タイで会ったウエムラさんは帰国後に沖縄巡りをしているそうだ。
カンボジアで会った吉村くんは今トルコのイスタンブールで、これからケニア方面に向かうそうだ。
ラオスとカンボジアで会った大島くんは今上海で、これからフェリーで帰国の途に着くとか。
旅の仲間の今を知ると、時の移ろいをしみじみと感じてしまう。当たり前だけど、人は皆、いつまでも同じところに留まってはいないんだよなあ。時の河は休むことなく流れる、Time
goes by...ってのは何の歌詞だっけ。
ホテル一階のバーで軽くやりながら地元の人達と雑談に興じる。スオミ語もサーミ語もできないので、もちろん英語で。現地のおっちゃんが話すところによると、ここイナリでも今はサーメ人の倍以上、スオミ人(主流のフィンランド人)が住んでいるんだそうだ。アジア人の僕にはそれこそ民族衣装でも着てくれないと見分けがつかないけど。
話をするのは楽しいけど、ビールのあてがハンバーガーというのは我ながらどうかと思う。でもおかげで、お腹も心も満足した。
外の凍った湖上では、今日もスノーモービルがかっ飛んでいる。元気だなあ。頃合を見て部屋に戻り、シャワーを浴びて寝る用意。やはり外は曇っていた。
フィンランド
11月13日(水) イナリ →(イヴァロ)→ ロヴァニエミ
●旅と旅人
実感として、ノールカップから相当南下してきたと思っていたんだが、地図を見てみるとまだまだ世界的にはすごく北方にいる。北極圏ど真ん中だ。
9時起床。
昨夜は23時に寝たから、10時間か。しかも放っておいたらまだまだ眠れそうな勢いだった。
下に降りて行って朝食。今日は雪がひらひらと降っている。10時半、ガソリンスタンド兼任のスーパーにネットをしに行く。ここから先の情報を仕入れないといけない。
今日はルーマニアのシギショアラで会った高木さんからメールが来ていた。そうか、もう日本に帰ったのか。考えたら、シギショアラ駅で彼女に会ってなければスチャバには行ってなかったんだよなあ。そうしたら今頃はとうに北極圏を抜けていただろう。本当、ちょっとしたきっかけでいくらでも旅は変わる。
そういえば、最近新しい旅人に会ってないなあ。というか、そもそも今の北極圏では全く見かけないし。ツアー客が少しいるくらいだからなあ。日本人旅行者と話したのは高木さんが最後だし、一ヶ月以上前だよ。日本人と話したのも、ストックホルムで会ったおばさまと話して以来ご無沙汰か。全く気にしてなかったけど、気がついてしまうと少々寂しくもあるなあ。
にしても、約八ヶ月も旅を続けていると、知り合った人の旅が次々に終わっていく。まだしばらく先の話だけど、僕が帰国した後も旅が続く予定の人って、東南アジアで会った吉村くんとルーマニアで会ったアキ&シュウくらいだ。それだけ長く旅しているってことか……。
外は雪が強くなってきた。
12時前、チェックアウト。
2泊、50ユーロ。ミニバーガーとバッテリー(リアルゴールドみたいな感じのジュース)の昼食で4.5ユーロ。
このホテルの前にバスが来るので、チェックアウト後もそのままテーブルに腰掛けてバスを待っていると、隣のテーブルで飲んでいたおっちゃんが話しかけてきた。
「兄ちゃん、旅人だろ」
はい、そうですよ。
「どうだ、ノーザンライトは見れたかい?」
いやあ、それが無理だったんですよ。
「ま、今の時期はそうだよなあ」
仕方ないですよねえ。
「俺はウツヨキから来たサーミだ。ウツヨキを知ってるか、ここからずっと北にある村だ」
はい、知ってます。行ってみたいんですが、お金と時間がなくて……。
「そうか、次の機会には来てくれよ。で、シーダにはもう行ったのか?」
行きました。面白かったです。
「面白かったか。そうだろう、そうだろう。ところで兄ちゃんはどこから来たんだ?」
日本です。
「おお、日本? ならアイヌを知ってるか? We have some contact them.」
知ってますよ。知り合いはいませんけど。
なるほど、極地の少数民族どうしだもんな。今の世の中、繋がりがあって不思議はない。
それにしても陽気でフレンドリーなおっちゃんだった。おかげで楽しい一時を過ごすことができたよ。ありがとう、おっちゃん。社交辞令抜きで、いつかウツヨキにも行きたいなあ。
●南へ向かう旅
12時20分、バスが来た。
僕を入れて客は三人。目指すロヴァニエミまでは328km、40.2ユーロ。そんなもんか。
バスは白い世界の中を走り出す。南に下るにつれ、少しずつ、森の密度が濃くなってきているような気がする。下生えも増えてきているし。それにしてもイナリ湖の白さが美しい。夏に水面が広がるのもまた別の美しさがあるんだろうけど。
12時55分、イヴァロIvalo着。ここで30分休憩。特にすることもないのでのんびりとトイレに行ったり、周辺を見てまわったりして過ごす。確かにイナリよりは栄えている感じだ。まあ、個人的にはあえてイナリを外すほどでもないかなという印象だ。
それにしてもこのバス、停車時はドアを乗り降りのたびに開閉できるし、車体前面にはごっついフォグランプとバンパーがついているし、タイヤのスパイクぶりもすごいし、さすがは極地仕様車だ。バスはスカニア製(地元かな?)で、よく見るとヘッドランプには金網が張ってあり、氷結を防いでいるようだ。ステップも、ノルウェーのように停車ごとに車体ごと沈み込むことはないが、ボディの一番下のステップと地面との間に、停車時には金網のステップが一段、追加で出てくる。色々な工夫があるもんだ。
そういやここイヴァロでは、まだまだ雪の中なのに、ついに自転車を見かけるようになった。ソリと自転車の併走などという不思議な光景も目にした。
バスは雪の中をひた走り、サーリセルカとかの町に30分に一度くらいのペースで停車しつつ進んでいき、15時45分、ソダンキュラに着いた。停車は20分間。目指すロヴァニエミまではあと120kmだ。
かなり薄暗くなっているが、それでもまだ光が残っているという事実がかなり南に下ってきたことを実感させる。だってもう16時前なのに。
樹々も、もう雪の花なんてものはなく、それどころかあまり雪を被っておらず、黒々と林立していて、平地とのコントラストを形成するようになっている。道路もそろそろアスファルトが露出しはじめてきたし。川も、流れの中央は凍ってない川を見かけるようになってきた。本当に南下してきたんだなあ。ものすごく実感が沸いてきたよ。
暗くて見るものがなくなってきたので、自然と時計を見ることが増えた。16時30分、ロヴァニエミはまではあと100km。
なんか西の空が明るい。月かなと思ったが、よく見ると日の光の残光だった。ここまで南下しているのか。驚いた。月は東の空に出ていた。上弦を少し過ぎたあたりか。月を見るのもえらく久しぶりだ。でも、雲越しに見えているだけだ。やっぱり雲は空を一面覆っているので、オーロラは無理だな。
などと思いながら暗い車窓風景を楽しんでいたら、とうとうバスはロヴァニエミに着いた。中心部に着く前に、サンタパークを通っていく。うーん、やっぱり思いきり観光地観光地しているなあ。
●到着、ロヴァニエミ
そうして辿り付いたロヴァニエミは大きな町だった。人口は三万とかそんなもののはずだけど、大きな町のない極地から下ってきたという心理的作用も手伝ってか、本当に大きく感じる。人口に関係なく、地域の中心だけあって町のたたずまいには風格があるし。
鉄道駅に停車した後、バスは終点のバスターミナルに停車した。真っ暗だが、時刻はまだ18時前だ。
バスステーションでは大した情報が得られなかったので、鉄道駅に向かう。さっきバスで通った所なので、大体の場所は分かるし、そんなに離れてないので。バスステーションから南へ、丘を下れば着く。
駅は明るかったし、駅舎も堂々とした立派なものだった。何もなかった(閉まっていた?)バスステーションとはえらい違いだ。さらに助かったことに、駅にはインフォメーションコーナーがあった。ここでこれから先、そして今夜のための情報を集めないと。ここから先、どのルートでヘルシンキに向かえばいいのか。そして今夜泊まる安宿にはどんな選択肢があるのか。調べる優先順位もこの順番だ。
ここから南方面へ向かう長距離バスは、今までに入手したリーフレットからヘルシンキ行きの夜行しかないと分かっていたので、元から狙いは鉄道だった。でも、いざ調べてみると、昼行はヘルシンキ着が夜遅くなるし、通るルートも今ひとつ魅力を感じない。何かないかなあと駅員さんに見せてもらった時刻表を前にうなる。それでなくても僕の旅程も当初の目論見からすればかなり後ろにずれ込んでしまっているから、あまりフィンランドに長居できないんだよなあ。と、クオピオなら一泊すれば行けそうかな。路線も湖沼地帯の中を走っていくし、楽しそうだ。町の名前の語感もいいし。クオピオに行くか、一気にヘルシンキに行くか、の二択かな。
それから駅のベンチに腰掛け、今度は今夜の宿探しだ。ここでは手軽にタウンマップとホテル情報を入手できるのがありがたい。こういうのにも慣れたよなあ。見知らぬ町で夜に宿が決まってなくても何も不安に感じないし。ホテル情報を見比べていき、朝食つきで駅から至近ということで、決めた。もう夜なので、その足でゲストハウスに向かう。タウンマップのおかげで、どこに向かえばいいのか明確に分かるのがまたありがたい。
目指すゲストハウスまで、鉄道駅の北の太い道を西へ二百メートルも歩いたろうか。想像以上にすぐ着いた。一泊38ユーロのゲストハウス、Matka Borealis。尋ねてみると空きがあったので、即チェックイン。テレビはないが、別にいらないので問題ない。長居する雰囲気ではなかったが、元々一泊だけのつもりだからそれも問題ない。
●夜の散歩
もうすっかり夜だけど、もったいないので町歩きに出かける。北欧の治安は信用しているし、地図もある。
雲は相変わらず多いけど、切れ間から星が覗いている。北極星が高い位置にあるのを見て、改めて高緯度地方にいることを実感。首を折らないと見えないもの、北極星。マレーシア南部では位置が低すぎて、遮蔽物に遮られて見えなかったことを思い出し、本当に地球を上ってきたんだなとしみじみしてしまった。
今夜の散歩でここまで行けば折り返そうと思っていた、名物のローソク橋を見た。よし、あとは違う道を通って宿に戻ろう。
とりあえず、こんなもんかな。この町の博物館も、ガイドブックに載っている展示内容からすると、シーダに行ったらもういいかなとも思うし、ガイドブックを見る限り、ここロヴァニエミにには他に僕の興味を引くようなものはないようだし。
宿を目指して歩いていると、広場の一角に大量のスノーモービルがずらりと並べられていた。はじめは何かと思ったが、こんなに並ぶと壮観だ。
そういえば夕食がまだだった。お腹が空いたのでバスステーションのそばにあるのをチェックしておいたスーパーに行く。
……夜9時まで開いているのは有難いんだけど、惣菜コーナーに類するものがないんだよなあ。だからぁ、パンもスナックも、どうしてキングサイズばっかりなんだ。安かったらいいってもんじゃないんだよ。一人暮らしにはいいかもしれないけど(この町には大学がある)、一人旅の身には持て余してしまう。パンとバターでお腹がいっぱいになるのにはもう飽きた。買ったら残すのが嫌なので食べ過ぎてしまうし、パンだと食べても暖かくないから侘しいし。
仕方なく、1.5リットルのジュースとポテトチップを買う。甘いパンよりはましかなと。
と、帰り道、バスステーションの一角でホットドッグ(ケバブ)屋を発見。ありがたい!
結局、オーロラは見れなかったなあ。なんかそれっぽく空が明るくなった時はあったけど、町の灯りかどうかよく分からなかったし。
宿に帰ってケバブとポテトチップとジュースの食事をしながら明日のことを考える。
目指すのはヘルシンキかクオピオか。クオピオだと町に着くのは夜遅くなんだよなあ。ヘルシンキでも夕方。なんというか、微妙だなあ。どっちがいいとも判断がつかない。ならもういっそのこと、ヘルシンキの向こう、タリンまで行ってしまうってのはどうだとも思う。うーん、どれも決め手に欠けるなあ。でも、計算したらこの先、バルト三国にもあまり長居はできないんだよなあ。その先に場所と日取りの決まっている予定が一つ、二つ、できたから。
外の気温は−6℃らしい。そんな中を「暖かくなったなあ」と思って帽子を被らずに二時間ほど町歩きをしたせいで、耳が痛い。暖かく感じても、やっぱり氷点下は氷点下だな。
フィンランド
11月14日(木) ロヴァニエミ
●さて、どうするか。
昨夜、2時まで眠れなかったのでずっと外を見ていたが、結局オーロラは見れなかった。雲ばっかりで。
9時に起きる。
まだ、今日どう動くかの結論は出ていない。外は雪。うーむ。
考えたら、長いこと日本語を話していないが、そんなに飢えてもいなければ恋しくもない。この日記とネットのおかげだろうか。
ともあれ方向性は定まらないが、この宿に居続けるつもりはなかったのでチェックアウト。10時50分。
とりあえず鉄道駅に行く。乗れる限り、やはり列車に乗りたいし。
とりあえず荷物が重いので、駅のカーゴルームが開くのをしばらく待つが、開く様子がない。どうしたものかと周囲を見回すと、コインロッカーがあった。どうも使いつけてないので目に付かなかったようだ。日本だと逆なんだけどなあ。人間が対応してくれる楽さに慣れてしまったようだ。
それでほっとしてしまったのか、動く気力が抜けてしまい、待合室のベンチに腰掛けてしばらくぼうっと呆けていた。なんだろう、妙にだるくて動く気になれない。
と、待合室に一人のアジア人らしい男が入ってきた。というか、話はしてないけど昨日宿で見かけた人だ。……失礼だが、かなり汚い。このフィンランドにあって、薄汚れた格好をして、手入れもなく髪や髭を伸ばしている旅行者。アジア人という以上に、場の空気から浮いてしまっている。日本人なのかどうか分からないけど、正直言って、関わり合いになりたくない。あの宿に泊まっていたんだから、最低限の身だしなみを整えるお金もないわけじゃないだろうに。
よく母からのメールで「汚い格好をして、日本の恥にならないように」と書かれているんだけど、この人は僕が服装に対して無頓着なのとはどう考えてもレベルが三つ四つ違う。というか、この北欧でこれは、意識的でないと無理だろう。貧乏旅行は一つのスタイルだけど、それとこれとは話が違うと思う。もしかしたら、何らかの事情があるのかもしれないけど、かなりみっともないと思う……。
それはもとあれ、今後の方針も決まらないまま、ここで何もせず、動きもせずにぼーっとしていても時間の無駄だ。ロヴァニエミを出る踏ん切りがつかないのなら、予定を変更してロヴァニエミを観光することにしよう。ということで、町の少し北、北極圏ぎりぎりにあるロヴァニエミ一番の観光名所、サンタクロース村に行くことにした。『本物』のサンタクロースがいることで有名な所だ。
バスで往復5.4ユーロ。
●サンタクロース村
サンタクロース村といっても、別に本当に人が暮らしている村ではなく、ひとつのレジャー施設なんだ。そりゃあそうか。
派手で大きい施設に、これまでの北極圏の旅との大きなギャップを感じてしまい、頭を抱えながら中に入る。
まずはツーリストインフォメーションで案内図でももらおうかと入っていくと、いきなり
「こんにちは!」
と完璧な日本語で出迎えられた。思わず
「えっ!?」
と驚きの声を上げながら見ると、カウンターの向こうには、明らかな日本人の女性が笑顔で立っていた。……どうしてこんなところに日本人がいて、日本語で話しかけてくるんだ? 完全に不意打ちだったので、すっかり気が動転してしまい、彼女と何を話したのかよく覚えていない。後でその時に書いた日記を見ると、サンタクロース村の従業員というわけではないようだった。ならなんの人だったんだろう……。
それはともかく、ここがサンタクロース村で、本物のサンタクロースに会えると言っても、プロスポーツの会場にいるマスコットのように探せば常にどこかにいるというわけではなく、出てくる場所と時間は決まっていた。僕が行った時はタイミングが合わず、「謁見」できなかった。まあそれならそれで別に構わないや。
(本物のサンタクロースの家。ちなみにここでの音はこんなでした。wavファイルで20秒ほどです。)
それにしてもこの「村」、レストランにカフェ、土産物屋しかないよ……。元々そんなに期待してなかったとはいえ、さすがにがっかりだ。ここが北極圏の境となる線上にあるとか言っても、ヨーロッパの北の果てから下ってきた身にすれば、「ここまで南下してきたのか」ってだけだし。
正直、気分が乗らない。元々アミューズメントパークってのは苦手なんだよなあ。でも、せっかくなのでクリスマスに相手に届くというポストカードを日本の家族と友人に出した。ま、何事も経験ということで。
外で空を眺めて一息ついていると、冬空を戦闘機が横切っていった。サンタクロース村のようなファンタジーな夢の世界の上を過酷な現実世界の象徴たる戦闘機がぶっ飛んでいくというのも、なんというかシュールだなあ。
今の僕は、サンタクロース村を訪れるにはタイミングと精神状態、状況がよくなかったな。一人旅で冬の北極圏を、荒々しい自然を堪能してきたところだったのが特に響いたような。友人や恋人と来ていて、ヘルシンキから足を延ばして来たとかだったら楽しめてたんだろうけど。残念。
●強制力発動
ともあれロヴァニエミに戻り、マクドでビッグマックとマックフェストの昼食。
それからネットカフェの場所を尋ねて行く。そこで実家からのメールで銀行預金の残高を知り、衝撃を受けた。そんな事態になってたのか……。一刻も早く北欧から逃げ出さないといけない。もう猶予はない。この先の動きは決まった。かっ飛ぶしかない。
その足で鉄道駅に向かった。15時40分。
ヘルシンキ行きの夜行のチケット下さいな。が、16時10分発のクオピオ経由の夜行チケットはもう発券が終了していた。満席でもないのに、なんでー。30分前ではぎりぎりすぎたのかな。
ならばと次の夜行、18時25分発、西海岸まわりのヘルシンキ行きを所望する。こちらは買えた。二等寝台で寝台料金10ユーロを入れて73.2ユーロ。日本に比べたら安いけど、やはりかなりな高水準だよなあ……。
●もう一度、ロヴァニエミ
あうー、まだ列車まで二時間以上ある。暇だよう。
ぼーっと外を眺めていると、道行く人や車が結構面白いことに気がついた。車は急カーブをする時はわざとスピンターンしているし、人は当たり前のようにスケート靴を手に歩き回っている。ここもやっぱり極地なんだなあ。でも大して寒くない。いや、寒いことは寒いんだけど、カラショクの寒さを体験した後ではあまり寒いとは思えないというか。
列車待ちで暇なので、もう一度ネットカフェに行く。
夕食も今のうちにしておくべきだが、さっきの残高の額が頭を離れないのであまり食欲が……。スーパーに行って果物でも買うことにする。地元のりんご、Omend
Jonagoldが安い。1kgで0.49ユーロって……。二個買ったら30セントだった。これは安い。北欧は概して高いけど、フィンランドは日本よりはやや安めかな。
飲み物もいるなと駅に戻ってから気付き、キオスクで水0.5リットルを1ユーロで買う。ガスが入ってないと安いのかな。そういや、ガス入りの水にも慣れたなあ。
●北極圏、入るも出るも夜行列車
そんなこんなで時間が来て、列車に乗り込む。
最後は駆け足になったけど、北極圏の旅は本当に印象深く、懐には大ダメージだったけど、来て良かったと思う。
と、それはそれとして、自分のベッドがどこか分からず、いきなりつまづいてしまった。このチケットの表示がよく分からない。60号車かと思って行くと、6番のベッドは出てないし。あちこちに聞いて回った結果、P60列車の56号車、6番ベッドだった。列車番号が書いてあるなんて知らなかったよ……。
この列車は全て寝台車で、二等寝台はコンパートメントと言ってもこれまでの国とは違い、2or3ベッドごとに区切られた一室になっている。鉄板でがっちりとロックし、ドアはキーカードで開ける形だ。まるで走るホテルだ。各コンパートメントに手洗いもついてるし。交通機関の設備は国によって違いは大きいが、中でもここのはかなりグレードが高い方だろう。二等寝台でここまでしてるってことは、一等はどんなになってるんだろう、。
発車10分前になってもそんなに乗客はいない。僕のいる56号車には7,8人しかいない。いくら平日でオフシーズンだとはいえ……途中からどんどん乗ってくるのかな。なんといっても、まだ18時15分だし。
発車5分前、三人コンパートメントの中段の人が来た(僕は上段)。フィンランドの人だったので、例によって定番の挨拶を交わす。
「やあ、よろしく」
「ども。こちらこそよろしく」
「どこから?」
「日本です」
「また遠い所から……観光で? ビジネスで?」
「観光ですわ」
「俺はヘルシンキまで行くんだけど、君は?」
「僕もヘルシンキまで行きます」
ま、この列車ならそれが多いだろうなあ。
話を聞くと、この人も僕と同じく、明日はヘルシンキを越え、エストニアのタリンまで行く予定だそうだ。
発車前、最後のロヴァニエミを見る。今は15cmくらいの積雪だけども、これから冬本番に入り、ピーク時には1.5mくらいまで積もるそうだ。11月だから当然だけど、まだまだ序の口なんだなあ。
列車は定時に発車した。
実に滑らかな乗り心地だ。検札にやって来た車掌さんも愛想がいい。
「下段ベッドの人は、ケミから乗ってくるよ」
このコンパートメントも埋まるのか。結構混んでるんだなあ。
発車してしまうと、外は真っ暗で何も見えない。特にすることもないし、大人しくしていよう。
……と、大人しくしすぎて、まだ宵の口だというのに早々に寝てしまっていたようだ。20時過ぎにケミで下段の人がやってきた音で目が覚めた。背の高い白人さんだ。そういえば中段の人は発車早々に出て行ってから、まだ戻ってきてないようだ。ずっと食堂車にでもいるのかな。
早いけど本式に寝ようとトイレに行く。……なんでこんなに清潔なんだろう。フィンランドのイメージどおりではあるけど。参った。ここまで完璧だと、降参するしかない。スペースもすごくゆったりと取っているし。体の大きい白人用だからそう感じるのかもしれないけど。
フィンランド共和国
Republic of Finland → エストニア共和国
Republic of Estonia
11月15日(金) → ヘルシンキ → タリン
●到着、ヘルシンキ
6時半、車掌さんのノックで目を覚ました。寝つきは悪かったけど、まあまあ眠れた方かな。
7時、定刻ぴたりに列車はヘルシンキ中央駅に到着した。この駅、一国の中心としてはそんなに大きくない方かなあ。まあヘルシンキ自体、人口数十万ほどらしいかそんなものか。
外を見ると、雪は被っているが、うっすらとしたものだ。外の気温は−3℃。外に出ても、寒さはあるけど正直、暖かい。外はまだまだ暗く、東の空にほのかに明りが広がり始めたところだ。でもそんなことには関係なく、都会人の日常は始まっていて、通勤する人達はもう大勢行き来している。この活気と緊張感は、紛れもなく都会のそれだ。急に旅人である自分の身が不自然なものに感じられてしまった。まあ、とはいっても今の自分は旅人以外の何者でもないわけで、気を取り直してコインロッカーに荷物を預け(3ユーロ)、トイレに行く(1ユーロ)。
さて、まずは朝ごはんを食べて、それからあんまり時間がないからポイントだけ簡単に押さえてヘルシンキ観光をするとするか。いや、朝ごはんと言っても昨夜買ったリンゴの残り一個だけなんだけども。
●早朝のヘルシンキ散策
まだまだ外は暗いので、手近で暗くても見れそうなところということで、まずはヘルシンキ中央駅から西へ、国会議事堂を眺める。ここから北西方向をぐるっと回ってくれば、後は港近辺を見たら簡単ヘルシンキ観光としては納得できそうだ。議事堂のすぐ北向こうに何か歴史的で立派っぽい建物が見えたので行く。国立博物館だった。
どちらも早朝すぎるので中に入るとかの選択肢はなく、そのままどんどん歩いてオペラハウス、オリンピックスタジアム、シベリウス公園と見て回る。シベリウス公園のこの寒空の下でも凍ってない池の色彩が鮮やかだ。
有名なパイプのモニュメント。芸術に疎いので、なんだか分からないけど存在感あるなあとしか思えなかったけど。
シベリウス公園は海のすぐ横にあったので、公園を見た後は西に開けた海岸沿いを南下していく。首都の中心から30分ほど歩いただけなのに、こういう風景があるんだなあ。
歩いてみての印象だと、ヘルシンキは広々と土地を使ってるなあ。
道路は思い切り凍結しまくっているが、そこら中で砂利をまいているので、思ったよりは歩きやすい。とは言っても結構滑る。旅人の僕だけでなく、慣れているはずの通勤に向かう地元の人達も結構つるつるしている。安心したような、もっと対策しろよと思うような。
ここまで歩いてきて、体がすっかり冷えてしまった。寒い。−4℃の気温以上に寒く感じる。夜行明けで暖かく感じたので完全装備していなかったのと、風との相乗効果かな。体感温度は思いのほか低いぞ。
ヘルシンキのドライバーのマナーは想像以上にレベルが高く。氷でつるつる滑りながら必死に運転しているのに、僕が横断を待っていると、無理矢理にでも停車して渡らせてくれる。待つから別にいいのに。なんか申し訳ない。
オペラハウスの向こう、東側には湖があり、シベリウス公園の向こう、西側には海がある。そういやヘルシンキも半島の先にある町だったっけ。なんとゆーか、姫路や岡山の1.3倍くらいという印象だなあ。
半地下のテンペリアウキオ教会を外から見やって通り過ぎ(ここなんて入ってみたいんだけど、まだ開いてないんだよなあ)、ヘルシンキ中央駅に戻る。
この時点でまだ9時過ぎ。シベリウス公園のあたりから明るくなってきた。この分だと本当に昼までに見終わりそうだな、ヘルシンキ。
●元老院広場周辺
目抜き通りを抜け、ヘルシンキ大聖堂を見る。ルーテル派の本山という話だが、よく分からない。が、それはともかくこれにはちょっと圧倒された。白くて大きくてきれいで。
中には入れないが、入り口のところまで階段を上り、そこから眼下の天老院広場と見る。これは雰囲気あるわ。見れてよかった。
(元老院広場のぐるりの動画です。動きが早いですが(^^; 最後に正面に移っている建物はヘルシンキ大学だそうです)
元老院広場を見ていたら、トラムがやって来た。ヨーロッパでは珍しい存在ではないが、こんな雪景色の中で見るのは初めてなので、新鮮だ。
元老院広場から東へ約200メートル行くと、そこはもう東側の海だった。……本当にヘルシンキの中心部、そんなに大きくないんだな……。うわあ、海面も氷結してるよ。この季節でこれなら、真冬はどうなっちゃうんだろう。
東の用水路を挟んだ正面、丘の上に聳えるウスペンスキー教会を見上げる。ロシア正教の赤いレンガ造りの建物は周囲の建物とは全く色合い、雰囲気が違い、非常に目立っている。なんというか、存在感あるなあ。
●ヘルシンキ南港から
時計を見ると、まだ9時半。早くて教会もどこも開いてないんだよな……。
ウスペンスキー教会から少し南に歩き、海を見渡す休憩所に出る。スオメンリンナ島行きの船の出る船着場のベンチで、この日記を書いている。湾の向こうにはシリヤライン(スウェーデン行き)のごっついフェリーが2艘、停泊しているのが見える。
岸壁に小さい雪だるまがあった。なんかなごむなあ。
さて、10時になった。ツーリストインフォメーション開いたかな。そっちを目指して歩いていると、中国人(?)のツアー客がそこら中で写真を撮りまくっていた。台湾や香港とかの南部の人なら、この白い景色は珍しいだろうな。ああ、中国人のめったやたらにポーズを取って写る風習、久しぶりに見たよ。
しかし、ここまで散々北欧を回ってから来たせいか、何も開いてない早朝しか見てないせいか、悪くないんだけど、なんか印象薄いんだよなあ、ヘルシンキ。
ツーリストインフォメーションでエストニアはタリン行きの船の便を教えてもらう。
次の目的地はここから船でちょっと南下したところにある、バルト三国最北の国、エストニアだ。ここからジェットフォイルで100分かかり、今からだと12時25分発(37ユーロ)、15時00分発(18ユーロ)らしい。って、なんでこんなに料金に差があるんだ? 所要時間が段違いなのか? まあこのどっちかに乗ればいいか。
まだまだ時間があるので、なんとなくぶらぶらとヘルシンキ中央駅に向かって歩いている時、大きい本屋を発見した。おお、これなら日本の大型書店にもひけを取っていないぞ。でもオリエンテーリング関係の本(スオミ語ではsuonotus)は見当たらず、店員さんに調べてもらっても品切れだった。やはり時期が悪いんだな。ちなみにコミックコーナーには日本の漫画がいっぱいあった。高橋留美子がやたらと目に付くような。アニメがテレビで流れるのは慣れたけど、漫画も人気なんだ。結局特に買うものはなかったなあ。
ストックマンデパートの向かいにある、三人の鍛冶屋像を見た。力強くていい感じだ。
それからヘルシンキ中央駅に戻って荷物を受け取り、ジェットライン乗り場に向かう。どうしようかな。値段が高いのは嫌だけど、到着が遅い時間になるのも好きじゃない。だから、とにもかくにも船着場に行って、そこで買えた方に乗ることにしよう。もし15時の便になっても、図書館にでも行けば時間は潰せるし。
●海のボーダー
大荷物を抱えて歩くのになんか疲れたので、へろへろとゆっくり歩いていたら、駅を11時40分に出て、船着場に12時10分に着いた。30分ってかかりすぎだろう。
ともあれチケット売り場の窓口に行くと、受付の兄ちゃんは何も言わずに発券作業に入った。パスポートを見せるのも久しぶりだなあ。兄ちゃんがこっちを見て一言、
「18ユーロ」
ということは15時00分発か。と、チケットを見ると「12時25分」と刻印されていた。なんだ、昼の便でも安いチケットあるんだ。ラッキー。とりあえずでも来てみてよかった。
すぐに搭乗手続きの列に並ぶ。ゲートが『EU』と『それ以外』で分かれていた。
順番が来たら、パスポートのコピーを取るだけで手続き終了。ぽんと出国スタンプを押してくれた。また楽なボーダーやねえ。
船はビジネスクラスとジェットクラス(一般)の二つに分かれている。ジェットクラスは見事に自由席で、ファーストフードコーナーと共同になっている。あまり混んでないのを幸い、1シートに大リュックを置き、窓際に座る。ああ、ゆったり。窓が少々汚れているのは定期客船だから仕方ない。船内設備はきれいだからいいか。
船内で売っているファーストフードはフィンランドの値段だな。ホットドッグが2.7ユーロとか。エストニアは安いといいなあ。
ユーロとエストニア通貨のクローンとの交換レートは、大体ユーロからだと15.xくらいらしい。大雑把に1EEK10円くらいと思っておくかな。10円もないんだけど、まあそんな感じ。昨日の預金残高ショックが抜けてないので、何も食べる気が起きない。販売コーナーを眺めるだけにしておく。
●海を渡る
船は12時25分の定刻にヘルシンキの岸壁を静かに離岸。搭乗口に並んでいる人の列の長さからして、遅れるだろうと思っていたけど頑張ったんだな。
ヘルシンキの白と黒の岸が遠ざかっていく。結局、ヘルシンキには6時間もいなかったなあ。
なんというか、船内のムードも国内便みたいだ。フィンランドとエストニアはお仲間なのかな。それでもそこは国際便、Tax Free Shopのパンフレットがある。まあ僕には縁のない品ばかりなので安いのかどうかは分からないけど。
12時45分、大体港湾地区を出たようで、船は少しスピードを上げた。船の揺れの感じも変わったし、ああ、外に出たんだなあ。
特に何も買い物をする気はなかったが、ユーロのコインがちょっと嵩張って持て余し気味なので、サンドイッチとジュースを買う。4.2ユーロ。やっぱり安くないよなあ。これで残りユーロのコインは22セントだ。
船は快適な航海を続けている。
途中、スチュワーデス(でいいのかな?)の姉ちゃんが
「Don't you feel seasick?」
と尋ねてきたが、
「Thank you,no problem」
ですよ。
海ばかり眺めていても飽きるので、途中から前方のスクリーンで流されている船内VTRを見ていた。トムとジェリー、久しぶりに見たよ。子供の頃、何やらエピソードの最後に線がのたくっていたのを覚えていたんだけど、「That's all folks!」って出てたのか。
スクリーンにミュージッククリップが流れはじめた。その中でGorillazというグループのプロモーションビデオがアニメだったので、外国でもこういうのが出てきたのかと思って見ていたら、曲の途中、サビの部分にテロップで
『かっこいい靴磨きほしい』
と出た。
ええ!? な、なんだこれ!?
基本的に非日本語圏で流れる映像になんで? 歌詞は普通に英語だったのに。というか、それ以前に一体どんな歌なんだ? かっこいい靴磨きって……一体……?
(この旅日記を書くに当たってYouTubeを調べてみたら、19/2000という曲でした。埋め込み無効なので普通に外部リンクで。)
●到着早々途方に暮れる
14時10分、エストニアの首都、タリンTallin着。ここから先は旧ソ連、バルト三国だ。何のイメージも持ってなかった国なので楽しみだ。
窓から外を見ると雪は積もっているが、溶けかけててやばい感じだ。地面グチョグチョやん……。
思いのほか人の少ないターミナルを出たら、タクシーが声をかけてきた。これも久しぶりだなあ。タリンのことが何も分かってないのにいきなりタクシーには乗れないよ。
まずは港のAターミナルにあるツーリストインフォメーションの分室へ行く。ホテルの情報を教えて欲しいと言ったら、まずはタリンの情報誌「IN YOUR POCKET」を買えとのこと。ここって紐付きのインフォメーションなのか? そんなの初めてだ。どうせ買うつもりだったからいいけどさ……。
でも、まだ通貨のエストニアクローン(ここではクラウンと発音する。表記はEEK)、持ってないんだよなあ……ATMはどこ? 教えてもらった所に行くが、僕のカードの系列のPLUSは提携していないや。もちろんJCBも駄目。VISAカードは取り扱っているけど、持ってないから関係ないしなあ……。ツーリストインフォメーションに戻って他のATMも教えてもらうが、結果は同じだった。どうしよう……その旨を言うと、ツーリストインフォメーションの人は仕方ないなあという態度を露骨に出しながら、IN
YOUR POCKETのホテル情報のページをコピーしてくれた。ありがとう。でもこれ、地図もなく現地語で通りの名前が書いてあるだけだから意味不明なんですが……。
結局エストニアクラウン(そういやここを含めて北欧の国の通貨の名前はみんな王冠、なんだな)を入手できてないので交通機関は利用できないため、歩いて市街地を目指すことにする。というか他に選択肢ないし。『地球の歩き方・バルトの国々』の地図を信じるなら、市街地までは2キロほどかな。遠いけど仕方ない。だだっ広くて何もなく、ターミナルでごそごそしている間に人気すら絶えた港から、フル装備を背負って歩き出す。
ともかく、今必要なのはお金と宿だ。
まだ2時半だから、なんとか3時半くらいまでにはその二つを整えて、ちょっとでも観光して明日の足しにしたいなあ……。
しかしこの、雪解けの泥だらけのぐちゃぐちゃの道、歩きにくいなあ……。靴の中に水、どんどん入ってくるし。車は歩行者がいるのにお構い無しに泥しぶきを跳ね上げながら走ってくるし、横断歩道はないし、車は横断者がいても止まる気配すらないし。加えて空模様までよくない。寒くて冷たくて疲れて……なんでこんなにネガティブ要素満載なんだ。参ったなあ。
ひいこら言いつつ、ツーリストインフォメーションのおばちゃんが安宿があると言ってくれた旧市街に着く前に、B&Bの紹介所があるようなのでまずそれを目指す。……ないぞ。『地球の歩き方』、いい加減にしてくれ。一体何度人を途方に暮れさせたら気が済むんだ? 冬だから民宿もみな閉まっていただけかもしれないけどさ……。
歩いている途中で見かけたATMも全部クレジットしか使えない感じだったので、エストニア通貨はまだ手に入れられてないし。
●憤然
とりあえず、旧市街の入り口までたどり着いた。
宿の前にお金を入手しない話にならないので、ここからいちばん近くにあるツーリストインフォメーション、旧市街の真ん中、ラエコヤ広場で旧市庁舎の向かいにあるものを目指すことにする。そのすぐそばにATMもあるはずだし。
それにしても、ここまで歩いてきて、かなりへばってしまった。大荷物を抱えてヘルシンキで歩きまくったうえに、ここタリンでは散々ぬかるみを歩いてきたので、そろそろ限界が近いかも。ぬかるんでるのでそこらで腰を下ろして休むってのもできないし。きついなあ。
ATM、タリンではハンザ銀行とサンポ銀行のを見かけたが、どっちもプラスには対応してないんだよなあ。くそ、さくら銀行のマエストロになら対応してたんだけど、今の三井住友では駄目なんだよなあ……ふう。
ともあれ旧市街の中に入る。雰囲気はあるんだけど、今はもうへばっているのでそれはともかくって気分だ。丘の上に作られているので、坂道をひいこら言いながら上っていく。
よく分からない道をあちこち歩き回っていたら、広場に出た。タリンの旧市街で大きな広場は一つしかないはずだ。
ということは、ああ、ここがツーリストインフォメーションか。さっそく宿とATMの情報を求めて中へ。
……あれ? 僕が入っていっても、中のスタッフ、こちらをちらりとも見ずに、仕事もしないで自分達の雑談を続けている。
……あれ? 何か情報がないかとパンフレットを漁り、特にないのでスタッフの席に向かっても依然として完全に無視。
……あれ? 大丈夫かなと思いつつ声をかけると、にこりともしないで冷ややかな目でこっちを見てくる。
なんだよこれ。感じ悪いなぁ。
ATMのことを訪ねると、
「この横に銀行があるからそっちで聞いて」
とつっけんどんに。
もうかなりヘロヘロで、肩も大概痛くなってしまっていたので
「銀行を訪ねてくる間、この大きなリュックをここに置いててもいい?」
と聞くと、即答で
「NO!!」
と。駄目なら駄目で別にいいけど、そんな嫌な言い方で問答無用に強烈に否定しなくても……。むっちゃ感じ悪い。なんだここ。なんだこいつら。
おい、『地球の歩き方』よ。「エストニアのタリンはもう北欧の一つの首都と言っていい」だと? ふざけるな。こんなサービスの心構えもホスピタリティも愛想もへったくれもない奴らが国一番の観光地のツーリストインフォメーションにいるような国のどこが北欧だ? ……くそ、もうこんなとこ、二度と来るか!
ツーリストインフォメーションを憤然と出て行き、隣のサンポ銀行へ。
お、銀行にいる一般人は人がいい感じだ。当然だけど、エストニア人全体が冷たいわけではないんだよな。フル装備でよたよたと銀行に入ろうとする僕のために、わざわざそのへんのお客さんがドアを開けてくれるし、受付の姉ちゃんもわざわざ機械で照会して、さらには上司に尋ねてプラスのカードが使えるか調べてくれるし。ありがとう。
残念ながら、結局この銀行では下ろせなかったので、当座の資金として予備に持っていた50ユーロ札をエストニアクラウンに替える。手数料がかかるけどまあいいや。で、763クラウン入手。とりあえずこれで一息つけるかな。
●宿と銀行を探して途方に暮れる
さて、次は宿を決めて旅装を解きたいぞ。
なので、世界遺産でもある旧市街の中をさまよう。バックパッカー向けの安宿はこういうところにあると相場が決まっているし、港のツーリストインフォメーションで教えてもらったり、ガイドブックにもそう出ているので。
中世の雰囲気を色濃く残す城壁とか塔とか、面白い感じだけど、石畳の中世ヨーロッパの街並みって、先日ルーマニアのシギショアラで見たしなあ。あそこよりは大きい感じだし、雰囲気もちょっと違うけど、正直な話、そんなすごい感動はない。
ツーリストインフォメーションでの強烈なマイナスイメージとATMが使えない焦り、まともに食事してない空腹、大荷物を持って歩き回っていることによる疲労、ぬかるんだ地面の嫌さなんかが総合的に合わさって、このマイナス評価に繋がってるんだと思う。客観的な評価ではないけど、今の心象風景を通して見るとこうなってしまうんだ。仕方ないよな、うん。写真を撮る気力すら湧いてこないし。ああ、早く宿を見つけないと。
港のツーリストインフォメーションで教えてもらったUUS通りを探し当てたが、あんまり宿は見当たらない。一軒B&Bの看板が上がってたけど、明りはついてないし鍵はかかってたし。これは駄目だ。このすぐ近くにホステルがあるはずなんだけど、見つからないし……。
もう仕方ないので、先にサンポ銀行で教えてもらった、旧市街を外れたところにあるノラデア銀行を目指すことにする。一度旧市街を出たほうが気分転換にもなるし。
サンポ銀行はフィンランドにもあったよなあ。このノラデア銀行はノルウェーにもスウェーデンにもあった。そういう系列銀行なら、プラスの使えるATMがあるかも……ATM自体、置いてないですと? ここの兄ちゃんが
「ユーフィス銀行Uhis Pankならあるのでは……」
と教えてくれた。旧市街のツーリストインフォメーションが感じ悪いだけで、タリンの人全体で見れば感じがいいような気がする。親切な人、多いよなあ。道を歩いていて目が合うとにこっと笑いかけてくれる人も多いし。
兄ちゃんの言葉を頼りにそこそこ近くにあるというユーフィス銀行に行ってみる。そこの行員さんに尋ねると、
「プラス? 分からない。やってみて」
とのこと。お言葉に従ってATMにカードを入れてみると、問答無用で突き返された。とほほ……。
もうここまで来たら一緒だと、センターの中にあるホテルG9に行ってみる。……交通量の多い道路前にあって、なんか夜、うるさそう……。建物も古いなあ。いや、問題は部屋の中身だから。ともあれ尋ねてみる。
「一泊500クラウン」
500かあ……ま、いいかな……。
「今は空きがないけど、一時間したら多分空くわ」
もう夕方なのに。変なの。まあいっか。
「なんなら荷物を置いてていいわ。一時間したら戻ってきて」
いや、もうへばりきってるし、外は暗いしお金もないし。で、行くとこなんかないのでここで待ってるよと言うと、あきれた表情で肩をすくめられた。オイ。しかも、
「悪いけど泊まれるのは一泊だけよ。明日は予約で一杯なの」
ときた。うーむ。この町はどうも験が悪いから早々に立ち去る気分にはなってるけど、それでも始めから一泊と限定されてしまうのはどうも……。別にこのホテルにこだわりたいわけでもないしなあ……やーめた。
16時半を過ぎ、かなり暗くなってきたが、ともあれ再度、気分を奮い立たせて旧市街を目指す。こうなったら、タリン港でもらったコピーと『歩き方』の情報に頼るしかないな。
験が悪く気候も悪く、現金も手に入らない。ここまで巡りが悪いこの国には長居しない方が良い気がするので、なんかもう、明日出てもいいかという気分になってきた。
ユースホステルがあったと思うんだが……。ヴァナ・トムという名の宿を探して歩く。あ、ここか。……看板はあるんだけど、これ、入り口はどこだ? ストリップ屋の入り口ならあるんだけど。ん、ストリップ小屋のすぐそば? 今日はもうへとへとなのに安眠できないんじゃないかと思ったのでやめにして、さっき見つけられなかった別のホステルを再度探す。かなり暗くなってきたけど間に合うかな。
……あった。小さく看板が出ているだけであまり宿っぽくなかったので、さっきは分からなかったんだな。
中に入って尋ねてみると、ホステルなので基本的にドミ部屋だそうだ。11人部屋200EEK、4人部屋240EEK、シングル350EEKとのこと。別にどれでも良かったけど、お勧めに従って4人部屋にした。入ってみると、他には誰もいない。のんびりできていいような、なんか寂しいような。ともあれ、やっと落ち着くことが出来た。ふう。時刻は17時を過ぎていた。
●日本からのメール
タリンの後は明日、バスでリーガに行くつもりだと言うと、宿の主人がわざわざバスステーションに電話して時刻を尋ねてくれた。ありがとう。いい人が多いなあ。本当に旧市街のツーリストインフォメーションはなんだったんだ。
タリンだけでも3時間少々も大リュックを背負っていたせいか、右肩に激痛が。ひどいコリようだ。やばかったかも。
一息ついてから、宿のおばちゃんに食事のできるところとネットカフェの場所を教えてもらう。そこまで言葉が通じるわけではないが、ジェスチャーで大まかなところは伝わる。タリンthisウィークに載ってた住所を地図上で指差してもらった。ありがとう。そして外へ。
途中で両替屋があったので、追加で20ユーロを300EEKに替えた。大雑把なレートだなあ。ま、いいけど。
レストランは見当たらなかったので、フィンランドでも見かけていたHESバーガーに行く。ハンバーガーとかのファーストフードは楽だよなあ。行ってみて驚いた。メガバーガーっての、本気ででかい。バーガーキングのフーバーよりでかいよこれ。ほぼ一日絶食状態に近かった、大食漢の僕が満足できたんだから相当なものだ。味も良かった。付け合せのフライドポテトがおいしいって思ったのなんて初めてかも。
その後、TALLINA Kaubamajaというデパートの五階にあるネット屋へ。ここでは日本語、読むことはできた。一時間35EEK。
日本からのメールで、親友の一人だと思っていた友人から、12月8日に結婚する予定だと言われた。……約20日後? 見合いで決めたらしいが、それなら何ヶ月も前に決まってたんだよな? いくら僕が長いこと日本にいないからって、彼がメールが苦手だからって、こんな間際まで教えてもらえなかったとは。そうですか。確かに旅に出てからこっち、彼へのメールは二十回くらい出したけど、返事は二回くらいしか来てないしなあ。
つくづく、僕も扱いが軽くなったもんだ。「順境は友を作り、逆境は友を試す」って本当だな。どんどん友人が減っていくよ……。他にも色々と、この旅は、結果的に日本の友人を大きくふるいにかけることになってる気がする。まあ、調子のいい時しか付き合えないうわべだけの友人なんて願い下げだし、いいんだけど。と強がって精神の平衡を保っておく。それでなくてもネガティブな気分だったのに、なんて日だ。
明日、昼までに旧市街観光が終わったら一気にラトヴィアはリーガへ行こう。ちょっと半日では終わらないような気もするけど。
宿の近くのショップで水と新聞を購入。やっぱりこの国ではロシア語の影響は強い。ロシア語の新聞ももちろんあるし、ロシア語を話してくる人も多い。ロシア人かどうかなんて、アジア人の僕には見当もつかないけど。
部屋に戻っても、他の宿泊客はいないままだった。気楽でいいけどやっぱり寂しい。オフシーズンはこんなものなのかな?
暇なので公的なパンフレットのTallin this weekと、In your pocket Tallinを読んで時間を過ごす。ううん、色々紹介されてるなあ。僕には無縁なところの方が多いけど。
22時半過ぎ、隣の部屋にうるさいカップルがやってきたようだ。ええい、貸切じゃないんだから静かにしろぃ。
果たして僕、明日の夜はラトヴィアにいるんだろうか……?
そういや天気、新聞には1℃、雨まじりの雪と出ていた。気温が割と高めなので、屋根の雪がばっさばっさと落ちてきている。濡れて逆に冷えかねないな。気をつけないと。
……なんか、ルーマニアのシナイアで買った靴とジャンパー、ともに駄目になりつつある……。少なくとも、靴は帰国するまでもたないだろう。お金もないというのにきついなあ……。
なんにせよ、いろいろと精神的にこたえた一日だった。早く寝てしまおう。明日はいい日になるといいな……。
エストニア 11月16日(土) タリン
●新たな一日
9時半に目が覚めた。
まだまだ肩は痛い。昨日はへろへろだっただけに、よく眠れたなあ。そりゃあ昨日はほとんど何も食べず、前日夜行で、ヘルシンキを数時間うろついただけで大リュックで持って、駅から港へ歩いた後で、タリンに来たらジュクジュクの道をまた大リュックを持って三時間歩き、旧市街のツーリストインフォメーションで不快な思いをして、日本からのメールにショックを受けて……ボロボロだったもんなあ。
今日になってもきつい肩こりは治ってないが、他はまあ、なんとか大丈夫かな……そういうことにしておこう。……でも、もう一泊しようかな……町を、国を動く元気はないかも……。
なかなか動き出す元気が出ずにぐずぐずしてしまい、気がついたら11時をまわっていた。
仕方ないのでお金はないけどもう一泊することにして11時半、宿のおっちゃんにもう今夜の宿泊代を払う。この空きっぷりなら何の問題もない。宿のちょっとしたロビーでサービスのコーヒーを飲み、どうにか元気を出して動き出そうとしていたところ、新しい客がやって来た。どう見ても日本人だった。タイミングが合わずに話さなかったけど、この国、ツーリストもそうでないのも合わせて、想像以上にいっぱい日本人がいるようだ。日本でのエストニアの知名度や存在感を考えると、正直ちと意外だ。
●タリン旧市街散策
ともかく。
仕切りなおして街歩きをスタート。
参考にする地図はTallin this weekについていたもの。旧市街独特の建物の形や路地の細まりまで書いてあるので、明らかにガイドブックに附属のものより有用そうだ。
まずは旧市街の中心、ラエコヤ広場をめざすことにする。宿のある旧市街の東側、ウースUus通りから歩きだす。旧市街エリアに足を踏み入れると、空気が変わる。雰囲気あるわあ。
旧市街は丘の上にあるので、坂道を上っていく。車などない昔の町並みがそのまま残っているので、坂道の傾斜や道の太さなど、現代の感覚からしたら無茶苦茶としか思えないような箇所もそこらにあるが、それがまた面白い。途中、聖霊教会を眺めて行く。昨日も見たけど、教会だったのか、これ。(下の写真は違います(^^;)
ラエコヤ広場に来た。昨日も来ているが、疲労困憊の中、必死にツーリストインフォメーションや銀行を求めていったので、周囲の景色は全く印象に残っていない。改めて見回す。
四囲が建物で囲まれている、いかにもなヨーロッパ中世都市の広場だ。元処刑場、晒し台、井戸などの跡が石で示されている。ここでかつては斬首されていたのかと思って回りを見回す。世界遺産になるほど保存のいい街だから、当時と見た目は大差ないんだろうなあ。まさにここで行われていたのか……。なんだか感慨深いものを感じる。知らなければただの石なのになあ。
そこから南のほうへ、街をぷらぷら、ぷらぷらと歩いていく。
途中で見かけたCD屋に入ってみた。CD、カセットテープと並び、レコードもそんな中に力一杯現役で売られていた。お金があれば一枚欲しいところだけど……。
日本大使館の入っている建物は、歴史のある城壁の一部になっていて、いい感じだ。ナイトクラブと同居しているってのも、ある意味この国らしいし。
で、旧市街の南端までやって来た。
ここまで来たら、流れでキークインデキョクを目指そうかと思ったが、トイレに行きたくなってきた。旧市街そのものはそんなに大きくないので、北寄りにあるホステルに戻る。公衆トイレはお金がかかるもんな……みみっちいけど。
で、落ち着いて再度外へ。
昨日は何も思わなかった街並みも、落ち着いた気持ちで改めて見直してみるとかなりいい感じだ。ルーマニアのシギショアラとはまた違った、少し開けたムードのある中世の街並みは、歩いていて気持ちがいい。実用性は分からないが、長靴を模したお洒落な雨樋を見つけたりして楽しく歩く。
ガイドブックを真に受けて、北欧の一つだなんて思おうとするからおかしくなるのであって、エストニアはあくまでエストニア、バルト三国の一つだと思って見ればなかなかのものだ。
●台所を覗け
先ほどとは違うルートを取り、トーンペア(山の手)へ続くピック通りの坂道を上がっていく。
そこに観光案内板があったので、それを見ながら少し考える。そしてキーク・イン・デ・キョク(台所を覗け、という意味らしい)の塔にまず行くことにする。お城のあるトーンペアではなく、旧市街を取り囲む城壁の最南端にあるので、ピック通りを南へ外れる。
古い路地の中を回り込みながら歩き、キーク・イン・デ・キョクに到着。
塔は博物館になっていて、入場料は15クラウン。決して安いわけではないが、それだけの値打ちは十分にある、面白いところだった。
この辺の施設はみんなクロークがきちんと整備されているのが助かる。暖房の効いた中へ、外を歩くのと同じく完全防寒スタイルで入るのは厳しいからなあ。
塔の下層部、地下牢の跡(地下三階くらい)は、国境警備隊の写真展と記念品売り場になっていた。こんな所にぶち込まれたら逃げられないし、外界とは完全に切り離されるしで、たまらんよなあ。にしても、こういう高くてボリュームのある塔を、15世紀とかに石組みで作ってしまったというのには恐れ入った。15世紀って、日本で言うと室町時代だよなあ。
昔の大砲や銃、防具なども展示されていて、興味深かった。チェインメイルって、ハンマーとかからは身を守りようがないんだよなあ。実物を見ると実感を持って納得できる。プレートメイルはやっぱりすごく動きにくそうだったし。
最上階からはタリンの色んな方向が見れて楽しかった。窓はガラスがはめ込まれてて寒くなかったし。一箇所、ガラスの向こうに鳥が止まっていて、今見ている景色は鳥と同じなのかと思うと、なんか嬉しくなってしまった。
●お城のある山の手
キーク・イン・デ・キョクを出て、次はトーンペアに再度向かう。
町中で一際異彩を放っているロシア正教の教会、アレクサンドル・ネフスキー聖堂を眺めつつ、
議会の横の坂道を上っていく。国旗がずらりと並んでいるが、エストニアの国旗は青黒白の三色だから、独特な雰囲気がある。
そしてトーンペアで一番高い塔の「のっぽのヘルマン」へ。
この塔のあるトーンペア城は、今でも政府や議会がはいっているため、観光客は入れない。なので、その横から外を眺めるか、景色は、正直そんなでもなかったなあ。
次に、トーンペアの、ひいてはタリンの中心にある大聖堂を目指す。途中、議会の上にエストニアのシンボル(紋章)、三頭のライオンのレリーフの上に国旗が翻っているのを見た。
議会の奥にフィットネスルームがあり、マシンエクササイズをしているおっちゃんがいたのも見たが、場所的に国会議員か関係者なんだろうけど、一般人にそういう姿が見られる立地と言うのはどうなんだ。
で、大聖堂(トームキリクToom kirik)。
この国最古の教会だそうだ。無料だしせっかくなので中に入ってみると、予想通りではあるが、重厚な雰囲気が満ちていた。こういうのは嫌いじゃない。礼拝時以外は観光客に開放されているようで、ツアー集団が二グループいた。壁に掛けられた精緻な紋章の数々を見ていると、何やら重々しい気分になってきた。背景は知らないけど、一つ一つに様々な歴史が背負わされてるんだろうなあ。床石には13−4世紀の人の墓石が使われているとのことだったが、磨り減っていてほとんどなにも分からなくなっている。が、確かに墓石だというのは分かる。これも歴史だなあ。
大聖堂を見た後、トーンペアの展望台を二つ、見に行く。やはり下町でも、旧市街が見えているほうがいいなあ。
と、後ろからやって来たエストニア人の大柄な兄ちゃんに
「コンニチワ」
と話しかけられた。一発で日本人と分かってもらえたのは嬉しい。
「ミンゾークオンガク」
と連呼して、エストニアの音楽CDを次々と出してくる。展望台の上の吹きっさらしで、実に寒いところで。多分、欲しかったら売ってくれる……のかな? 話を聞いていたら、展望台のすぐ下の建物を指して、
「今度、あそこで僕と仲間がミニコンサートをやるんだ。良かったら来てよ」
と。なるほど、そっちの宣伝か。いや、申し訳ないけどお金に余裕がないし、それ以上にタリンに長居はしないんだ。「ありがとう」と彼は去って行き、他の観光客にも手当たり次第に声をかけていた。大変だなあ、頑張ってくれ。
昨日はやはり、「貧すれば鈍す」だったようだ。今日、歩いていたら、エストニア人、気さくで愛想がいい。ルーマニアのサトゥマーレに続き、ここも最初の印象が完全にひっくり返された。いい街だ。時間も金もないからすぐに出て行かなくてはならないのがもったいないよ。
●大外から回り込む
トーンペアの階段を下りて、旧市街の外へ出る。
たまたま近くにあったので、エストニア鉄道(ER)のタリン駅に行ってみる。調べてみたが、やはりラトビア行きの列車はない。タリン発の国際列車は、モスクワ行きとサンクトペテルブルク行きの二本しかない。ロシア行きのみか。シベリア鉄道で帰国するならここから乗るという選択肢もあるんだけどなあ。うーん、乗る予定はなくてもやはり鉄道にはチェックを入れてしまう。
ホームには列車が三編成停車していたけど、正直、なんか古っぽかった。エストニアカラーの青黒白のカラーリングはクールで格好いいと思うんだけど。
次に、城壁を見に行く。旧市街の城壁はそこら中にあるんだけど、駅の正面にあるあたりが一番保存状態がいいらしいので。
上に上れるようなので、行ってみる。(7EEK)。受付は子供達がやっていた。週末だからかな。お疲れ様。
螺旋階段をひたすらぐるぐるとまわっていくと、上に出た。おー、城壁の上部の通路だ。見張りの塔の上へは、さらに狭くて暗くて急な階段を昇っていかなくてはならなかった。雰囲気あるなあ。よくこんなところを観光客に一般開放しているものだ。こりゃ、ここにちなんだ怪談の三つや四つはあるんじゃないか。値段に見合った楽しさだった。
ここからさらに、街歩きを楽しみながら、北へと進んでいく。
とっても高いオレフ大聖堂と、「石になったオレフ」を見る。昔話の一つのパターンである、「俺の名前が分かったら、この建物をただ同然で作ってやる。分からなかったら山ほどよこせ」の話の主役らしい、オレフというのは。でも、巨人という話だが、ここの「オレフ」、一般人より小さいように見えるんだけど……。
旧市街を縦断して北の端、塔というより円筒形の要塞とでも言いたくなるようなふとっちょマルガレータの塔の大ボリュームを見て、満足した。
大体ここの旧市街はこれでいいかなぁ。あとは二つ、博物館を……。
一つは、聖ニコライ教会。町の南側。何回も通ったのに、すっかり忘れてたよ……。ここは博物館になっていて、入館料は35クラウン。高いけど、その値打ちはあった。ここもスタッフはフレンドリーで、とっても感じが良かった。昨日のあそこ以外はみな感じがいいよ。
入ってすぐのところに、木彫の古式ゆかしい、壮麗で大きい一枚扉があった。説明員のおばあちゃんの話によると、最古の扉らしい。第二次大戦で1944年にこの教会は一度破壊されているのだが、これやなんやは無事だったらしい。埋まっていたとか、空を飛んでいたとか(笑)。いや、気のいいおばあちゃんだった。
そして、メインの礼拝堂の横にある小ホールに、有名な「死者とのダンス」があった。どんなものかと思っていたが、骨と皮の「死者」と、王侯貴族が一緒に踊っている。「死者」は楽しげだが、「生者」はものすごく迷惑そう。そういや中世は死がすぐ隣に常時待ち構えている世界だったんだな……。
正面の祭壇もなんか聖者二人の話が書かれていた。あと、磔になったキリスト像と。ギルドの関係での銀製品の展示室も、そこだけやけに明るくて、すごく豪華だった。来てよかった。
最後に行った歴史博物館(10EEK)は、コインとマジャール人の移動、古代の装身具がメインだった。しかし、なぜマジャール人? 関係あったっけ?
●雑多なこと
今日、町をそぞろ歩きしてる時に、チラシを渡してきたおっちゃん。「ベストタバコショップ!」
……いや、僕、吸わないんですが。この国ではタバコの地位はまだまだ高いのかな?
ピック通りの「覗き見トムの家」。屋根の上に、向かいの家を覗いているトム(だろう)の人形が置いてある。
昨日はそんな上まで見てなかったけど、洒落っ気があるなあ。よく分かるように、人間サイズより大きい人形だし。しかし、英語で覗きのことを「Peeping
Tom」と言うけど、ここが発祥の地だったりするんだろうか。
ちょっと寄ってみた土産物屋の人も、実に感じがよかった。バルト名産の琥珀、欲しいけど、やっぱり宝石だけあって高いなあ……。原石でいいから安く手に入らないかなあ。そういやここの店員さん、「コハク」って日本語知ってたよ。
そういやこの国では、物乞いが居るなあ。北極圏では全く見かけなかったけど。
今日も夕食は昨日と同じ、ヘスバーガー。「with meal」でポテトとドリンクがついてくる。だから、1セット+1バーガーだって。誰が2セットも食べるんだ。この店のバーガー、ボリュームたっぷりなのに。……エストニア人はよく食べる人が多いのかな?
それにしても、一日経っても肩のコリはあんまり良くなってない。さらにはふくらはぎもぴきぴきといっている。参ったなあ。
靴も悪いんだろうな。はじめから固いソールでクッション性はあまり良くないと思っていたんだが、足の土踏まずの前方部分が横一文字に割れてしまい、穴が開いてしまっているので、いい加減買い換えないとどうにもならない。
同時に駄目になってきているジャンパーは、縫い目が次々にほつれていき、中の詰め物のスポンジがはみ出てきてるし。もうボロボロだよ。安物なのは分かってたけど、早いなあ……。ま、よくスカンジナビアの極地を耐え抜いてくれたとは思うけど、そろそろ買い直さないといかんよなあ。バルト三国のどこかで安ければ買おう。両方で5000円までであればなあ。北極圏は過ぎたから、ジャンパーはもう、道を極めたようなごっついのじゃなくてもいいし。
ネットをしに昨日と同じデパートへ。一時間35クラウンてのはいい感じだ。
その横で、ジャンパーが売られていた。真冬仕様ではないが、299EEK。2200円くらい……って、今の限界ジャンパーと同じ値段やん。この国でATMが使えていれば即買いしていたな。この国で使えるお金はあんまりないので断念。残念。バルトのほかの国でも似たレベルだといいんだけどなあ……。
ちなみにこの国、この季節は16〜17時頃に暗くなっている。日本人にも馴染みやすいリズムだ。
宿に帰ってまったりと日記書き。
今日もルームメイトはなし。11人部屋には何人かいるようだけど。すぐに出て行く身としては、顔を出して挨拶に行くのもなあ。
タリンの町、なんだかんだで居心地がいいし、民族博物館にも行きたいところだけど、お金がなあ。ないんだよなあ。ATMが使えないから。いや、ユーロと米ドルの手持ち現金を両替すればなんとかなるとは思うけど、あと二カ国あるし、ここは動いておいたほうがいいだろう。
僕はこうして旅してる時、各国に入る時、最低限「こんにちは」と「ありがとう」だけは現地語を覚えるようにはしている。エストニアでは「テレ(こんにちは)」「アイタ(ありがとう)」らしい。
うーん、やっぱエストニアの歌のCDは欲しいなあ。明日、両替屋は開いてるかなあ……。
困った。眠れない。もう深夜の2時を過ぎているというのに。することなんて何もないのに。あ、夜を徹して道の雪をどける作業をする車が走っている。お疲れ様です。
エストニア共和国 Republic of Estonia → ラトヴィア共和国
Republic of Latvia
11月17日(日) タリン → リーガ
●さよならタリン
10時に目が覚める。やはり日曜日は静かなようだ。
ともかく、CDが買えないかチャレンジだ。両替屋が開いているかどうか、まず行ってみる。開いてた! なけなしの20ドルが299クラウンになって返ってきた。
「1クラウン持ってないか?」
と聞かれたので、あればそれを渡して300クラウンになってたんだろうな。
それはいいんだが、雨だ。下は雪で、上から冷たい雨って……最悪やん。しかもだんだん本降りになってきてるし……やっぱりエストニアは僕には験が悪いようだ。もし今日観光するつもりだったら、もっと終わってただろうから、まだましと言えなくもないか。
CDを買えないかと、昨日見かけたCD屋に行ってみる。閉まってた。……えー、日曜日は閉店……。あかんやん。ならばとそこらじゅうの土産物屋に寄ってみたが、置いている店はなかった。なんでだ。この国は歌が特徴なんだろう? 土産物としてはあってしかるべきだと思うんだけど……。
買えないとなると、逆に買いたくてたまらなくなってきた。もうエストニアを出るというのに。ええい、こうなったらバスステーションに置いていることに期待するしかないのか? デパートに行く気力もないし。とか言いつつ結局行ったけど、置いてなかった。とことん運がない……。
そろそろいい時間なので、本降りの中、国際バスステーションに行くべく、大荷物を抱えてトラムに乗りに向かう。まずはそこらのキオスクで切符を購入。10EEK。
次の問題は、トラム乗り場が分からないことだ。くそう、下が半分溶けた雪、上は本降りの冬の雨、背には大リュック、手にはナップサックと傘、験が悪いにも程がある。いい国なのは分かった(それがマレーシアのコタバルとは違う)けど、とことんまで相性が悪いよなあ。
結局トラムの停留所は、プラットホームのようなものはなく、ちょこっと看板が出てるだけだった。分かるか、こんなもん! それが分かるまでの間、こんな状態で1kmも歩かされりゃ、そらあ気分も荒むわい。
ともあれトラムに乗ったが、アナウンスも表示も、何がなんだか分からないので近くのおばちゃんに「バスステーション?」と聞く。通じない。エストニア語で言わなきゃ通じないやと思い至り、ガイドブックを開いて言葉を捜していたら、そのおばちゃん、わざわざメガネを取り出して覗き込んできてくれた。あった。「AUTOBUS JAAM」だった。そうしたらそのおばちゃん、
「それならちょうど私も行くからついてらっしゃい」
と。本当にいい人が多いよな、この国。ありがとうございます!
そしてバスステーションに11時40分着。そういや切符にパンチしないといけないと本には載ってたのに、そんな機械はなかったなあ。もっと言うなら、そもそも切符は使わなかった。いいのか、おい。
●国際バス乗り場にて
これから乗る予定のバスは言っても国際便だし、こんな時間だと、もう12時発のに乗るのは微妙かなあ……。まあ、まだ13時過ぎの便があるから構わないんだけど。
ともかくユーロラインの発券場に行く。……12時発のチケット、あっさり買えてしまった。そんなに混んでない模様。200クラウン。バス代も安い。
ラトビアに着いてからエストニアクラウンを両替できるか不安だったので(トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーでの苦い思い出が……)、もうここの両替所で有り金全部ラトヴィアマネーに換える。
「おう兄ちゃん、これ全部換えてくんな!」
……は? 10ラトヴィア? たった? 確か400EEKくらいあったはずなのに……。1ラトヴィアの価値ってどんだけ高いんだ。しかも、34クラウンも端数は両替不能だと返ってくるし。もう出国してしまうんだから、役に立ちませんがな。2ユーロ弱もあるのに1ラトヴィアにも届かないのか。参ったなあ。
レシートを見ると、コミッション10クラウン。まあいい、レート、28.9……!? 後で調べてみたら、そんなものだった……。でもそれならあと1ラトヴィアくらいにはなってたんでは?
とにかく残った34クラウンがもったいないので何か買って使ってしまおうとキオスクに行く。レッドブル25EEKとジュース7.5EEK。この残りはもうどうしようもないから記念コインということで。
で、ユーロラインのバスに乗り込む。ラゲッジルームの係の人が何か言っている。それは一体何語? ……よく聞くと、
「Virinius?」
と聞いていた。そうそう、このバスはラトヴィアのリーガ経由、リトアニアのヴィリニュス行きなんだ。しかも二階バス。長距離バスで二階バスってのは珍しいような。
●国境を越えるバスの旅
そして定刻通り、12時00分に発車した。
すぐタリン港に行き、そこでだらだらと時間を潰す。港を出たのは12時30分。変なダイヤだなあ。雨はまだまだざんざか降っている。
バスは旧市街、そしてソ連時代の名残を残す町も抜けていく。雰囲気があるのはいいんだけど、道行く人達、これだけの雨が降っているのに傘も何も差さず、雨に打たれるがままの人が圧倒的に多いのはいいのか。この冷たい雨は体に悪いよ……。
トラムの駅、郊外になるとプラットホームがあるようになった。
キオスクで適当に買ったジュース、すごい味。久々の当たりだ。LINNUSeのKALI(エストニア語用の特殊記号もあるので実際になんと読むかは不明)。一応、コカコーラグループの製品のようだけど。それこそ風邪薬のエグ味のようなものが口の中に広がってくる……。非常に面白い味だ。キワモノドリンク愛好家としてはたまらない。エストニアにしかないのかな?
バスはひたすらに太く、まっすぐな道を南下していく。
平らな国土だ。見えるのはただ、平らにどこまでも広がっている畑と、森のみ。あとは林の陰に農家がまばらに見えるくらいだ。町と呼べるようなものは車内からは全く見当たらない。ここ、道も片側二車線と太いし、メインルートだよな?
14時、太いパルヌ川を橋で渡り、パルヌ着。タリンから135km。エストニア有数の都市だ。車の交通量もそこそこ。気温は+1℃とタリンと変わらないが、道端の雪が『なくなった』。この光景は久しぶりに見た。ストックホルム以来だな。ここから先には雪はないんだろうか。季節的、気温的にはあってもおかしくないんだけど。
……と、パルヌに停車するのかと思っていたら、あっさりと通過した。すごいぞ、国際バス。
車内の乗客はおおむね静かにしているが、ごく一部の者、もっと言えばただ一組の熟年カップルだけがけたたましくうるさい。しかもそれがよりによって僕の前の席だったりする。本当、運がない。
それはそうと、今気付いたんだが、このユーロラインのバス、音楽もラジオも流れていないや。
14時47分、ボーダーに着いた。
平原の畑の真ん中にある国境だ。高速道路の料金所みたいな所でバスは停車した。係の人がバスに乗り込んで、パスポートを回収しに来た。降りなくていいのか。
この国境、時間的なものか、車は全然並んでない。静かなもんだ。外では雨もまだまだ降り続いている。前の熟年カップルさえ静かなら、雰囲気のあるバス旅なんだけどなあ。
雨雲が厚いんだろう、けっこう薄暗い。ここで少しばかり休憩。みんな外に出て息をついているので、僕も外へ。雨は降り続いているが、バスが停車しているところは屋根がある。国境は通り過ぎるものなので、こんな形でのんびりするのは珍しいよな。向こうを見はるかすと、風力発電用の大きな風車がぶんぶん回っていた。
15時13分、パスポートが返ってきた。出国スタンプは押されないのか。しかしエストニアといい今度のラトヴィアといい、なんで続きではなく、最終ページにスタンプを押すんだろう。別にいいんだけどさ。
15時20分、発車。
今度は熟年カップルのさらに前にいる兄ちゃん三人組が馬鹿笑いしはじめた。勘弁してくれ。
運ちゃんが変わったのか、道路が少し悪くなったのか、発車してからはバスがかなり揺れまくるし、スピードも遅くなったように感じる。
右手の窓から、たまに海が見える。バルト海だ。それ以外はもう、ただひたすらに林の中を進んでいく。
暗くなってきた。16時00分、リーガ(RIGA。リガ?)まであと69kmの表示が見えた。
●こんにちはリーガ
バスはリーガの街中に入った。
リーガは人口80万近いバルト一の都会だという話だったから、どんなものかと思っていたけど、でかい。こりゃ確かにでかい。都会だ。
17時25分、バスはターミナルに着いた。
バスから降りてみてまず思ったこと。ぬくい。こりゃぬくいわ。4〜5℃はあるんじゃないだろうか。南下している実感があるなあ。
が、それはそれとして、まずは目下の焦眉の急、ATMを探す。
ん、なんか向こうの方にBaltic銀行のビルが見える……。ネットでラトヴィアのBaltic銀行のATMではPLUSのカードが使えるという情報を仕入れていたので、ここには期待してたんだ。……あった、PLUSマーク! ありがとううう。早速200ラット下ろす。多分、4万円弱……。
そして旧市街へ足を向ける。まずは宿を探そう。
エストニアではなんやかやとボロボロだったから、気分を盛り上げるためにも高級は論外としても、少しは小綺麗なところに泊まりたい。文句を言いながらもやはり基本的な情報源として頼らざるを得ない『地球の歩き方・バルト編』に載っていた、観光スポットでもある旧市街の中にある、R&D(Radi un draugi)に行ってみる。
ここがホテルの入り口かと思って入ったらカフェで、ホテルのレセプションは向こうやよと言われてしまった。
そうして辿り付いたホテル。空きはあり、一泊33ラット(1ラット≒180円だから、大雑把に5500円かな)とのこと。ここに居る間はそれくらいは許容範囲で出すから、この荒んだ気持ちを和らげてくれ……。
かなり精神的に来てたんだろう、部屋も見ないうちに二泊することにして、お金を払ってしまった。何してるんだ僕……。
予想通り、ここのロビーにも無料誌Riga this weekが置いてあったので入手。
そして部屋(211号室)へ。……うわちゃ、こんないい部屋を33ラットでいいの?
テレビ、バスタブ、冷蔵庫にコーヒーのサービスまでついている。無論、朝食も込みだ。思っていたよりずっと立派なんですが……。どうも、三ツ星のホテルのようだ。暖かいムードが実にいい感じだ。ちと高いのはこの際目をつむろう。
●リーガでの第一食
治らない肩のコリと足のハリがスカンジナビア以来の疲れを主張しているが、それはともかく、夕食だ。もう本当に腹ペコで、やばい。
ホテルにも一階に食べるところはある。最初に間違えて入ったカフェだ。いかん、カフェではいかん。今はしっかり食べたくてたまらないんだ。『歩き方』には安めのラトヴィア料理の店が載っているが、近くのに行ってみたら閉まっていた。
歩きながら、疲労と空腹で足元がふらつくのを感じる。
が、特によさそうな食堂は見つからない。落ち着いて食べられなさそうな雰囲気の店か、とても入れない高そうなものばかりが目に入ってくる。
日本料理屋なんてシャレにならない値段に決まっているし。ガイドブックに載っている例でそれは十分に予想できるので、食べたい気持ちはあるが、最初から足を向けない。
賑やかな通りから少しだけ中に入ったところに、上海という中華料理屋を見つけたので、ここに決めて入る。……いかん、コックと店員が中国人じゃないぞ。それだけなら偏見はよくないと言えるかもしれなかったが、メニューに中国語表記がない、テーブルにはナイフとフォークが並んでいるのみだ。しまった、なんちゃって中華か! 日本料理店ではよく聞くが、中華料理でもあるのか。
でも、もう空腹が限界だったので、このままここで食べてしまうことにする。
とはいえ、中華料理をナイフとフォークで食べる気なんてないのでお箸を出してくれるように頼んだら、フォークの隣に、体に対して直角に置かれた。お箸なのに。お箸はフォーク扱いなのか?
焼きそばを頼んだら、麺の一本一本がやけに短く切ってあり、実に掴みにくかった。ナイフとフォーク用のサイズにしてあるのかな。味付けもラトビア風にしてあるのか、変わった味わいだった。まあ、その分値段もそこそこだったから今回だけはいいということにしておこう。
●リーガの第一夜
とりあえず空腹はクリアできたので、ホテルに戻ってネット屋とマッサージ屋の場所を聞く。
ここお勧めのマッサージ屋は、今日は閉まっているとのことだった。日曜日だからか。うーむ残念。ネットでは、このホテルで一時間2Ls(リット)でやっているとのことだったので、とりあえず安心して、先に夜食とドリンクを買いに行くことにする。ホテルのフロントに教えてもらった、centrumというデパート。午後10時までやっているのがありがたい。
デパートだから当然食料品だけでなく、ジャケットや靴、CDなどの欲しい品も売っているが、今見たら深く考えずに変なのを買ってしまいそうなので、今日はそっちはスルーしてまっすぐ食料品売り場に行く。
……ここのスーパー、凄いや。リーガは都会だと改めて認識した。食料品、ハムやパン、全て一人分のサイズで売っている。これはありがたい。この売り方は都会の証だよな。
色々買い込んでホテルに戻り、さあネット! ……ここでも日本語の壁が……。ここのマシンはXPで、日本語を入れるのにアドミニストレータ権限でログインする必要があるのだが、それは勘弁してくれと言われては、どうしようもない。IMEどころか、日本語フォントすら入れられないから日本語サイトを読むこともできない。
仕方ないのでできるだけのことをしてから部屋に戻る。
なんか外、パラパラいってるなあ。明日も雨だったら困るぞ。でもそれはともかく、来て数時間だけど、リーガの街、気に入った。ここはいい街だ。雰囲気からして落ち着けるし、楽しめそうな気がビンビンする。明日の町歩きが今から楽しみだ。
ラトヴィア 11月18日(月) リーガ
●リーガでの目覚め
なんだかんだで昨日寝たのが2時半で、起きたのは10時。
寝不足ではないけど、疲れが取れきっていない感じがする。やはりマッサージに行くべきかな。料金が日本円にして3000円からと、今の僕には高いんだけどなあ。
ホテルで洗濯を頼む。それなりの値段はしてしまうが、自力では冬用のズボンとか、綺麗にはできないもんなあ。リガに来て、これまでより暖かくなって、急に汚れが気になったってのもあるし。
エストニアもそうだったけど、ここでも例によって水道水は飲めない。そもそも蛇口から出した水をコップに入れると、透明だったのがあっという間に石鹸水みたいに真っ白になるんだから、言われなくても飲まないけど。
ホテルのモーニングを食べて、11時。さて。どうしようかな。雨は降ってないようだが、月曜日なのでほとんどの博物館は閉まっているんだよなあ。
●リーガ旧市街南側
朝から、なんかだるい。気力もテンションも上がってこない。
……どうすんべ。リガの街を歩くの、楽しみなのにな……。
気がついたら12時を回っていたので、景気付けにとライ麦ジュースを1リットル一気飲みしたら少しは元気が出た。ま、行ける範囲で行っておくとしよう。
泊まっている宿が旧市街の中なので、ホテルを一歩出るといきなり雰囲気のある町並みが広がっている。
まずはツーリストインフォメーションのある、それ自体が観光名所のひとつでもある、ブラックヘッドのギルドへ。1941年にドイツ軍の空襲で破壊されたのを、4年がかりで2000年に再建したものらしい。確かに新しい。各地で見てきた、古びた歴史的建造物も、出来た当初はこんな感じだったのかなあ。それにしても綺麗な建物だ。ため息が出てしまう。あんまり派手なのは好きじゃないんだけど、これは派手というより綺麗という印象が先に立つ。
それはそうと、ギルドの前に群れを成している人は何? テレビカメラも二台もいるし。何かあるのかな?
ともあれ、ギルドの南にある占領博物館に足を向ける。ここは月曜日でも開いているとのことなので。
まずは時代による国境線の変遷、そしてシベリア収容所の再現。ここは……。映画で見たことはあるけど、現実の再現として見ると、こんな施設で極寒のシベリアの地で生活していたなんて……信じられない。こっそり防寒具を作り、持ち主が死ぬと、次の人のためにこっそりと受け継がれていっていた、なんてエピソードを見るといたたまれない気持ちになってくる。ヒトラーのドイツとソ連による支配の図が、物や写真を通して語られていく。これが、ほんの10数年前までここの人達には歴史ではなく、現実のものだったんだ……。そう思って見ると、展示してある端布で作ったラトヴィア国旗の重みなんて、僕にはとても計り知れないよ……。
それにしても見学してるの、子供が多いなあ。
次いで聖ペテロ教会を見る。中には今日は入れないが、大きい。尖塔の高さは123.25mあるらしい。見上げていると、首が疲れてくる。明日タイミングが合えば、登ってみたい。
そして聖ペテロ教会の前にある、これが有名なブレーメンの像か。確かにユーモラスだ。
聖ペテロ教会の背後にある聖ヨハネ教会を見る。これも外から眺めるだけだ。
この辺りは広場になっていて、露天が店を出しているが、ここでも琥珀を売っている。確かに湾入しているけど、ここもバルト海のすぐ近くだからなあ。バルト三国全体の名産品なんだろうか。まあここで買うつもりはないんだけど。
……い、いかん。やっぱりコンセントレーションが上がってこない。ここまで見てきて、今までの経験から当然感じると思える感動と、実際の感動の間に大きな隔たりがある。こんな日は、観光するメリットよりデメリットの方が多いんだよなあ。
ちなみに、ズボンは洗濯に出しているからジャージで出歩いてるし。ジャージは風通しがいいので、防寒対策に下には珍しくパッチを履いている。見た目を気にしている余裕はないが、冬のバルト三国で、観光地をジャージで出歩くってどうなんだと思わなくもない。
博物館も閉まりまくっているし、もう今日はマッサージにでも行って休むかなあ。でもなあ。もし今日あえて休んで、明日雨だったりしたら、ここから先のスケジュールにあまり余裕はないんだし、目も当てられないよなあ。
仕方ない、CDでも買うか……。CD屋は……ワグナー通り(ワグナーはこの地で暮らしていたことがある)にあるから、ヤーニスの中庭を通って行くことになる。……それって観光で巡るのと同じコースやん。なら、景色だけでもちゃんと見ておこう。一度通ったところは、ちゃんと見てようが見てまいが、二回目からはちゃんと見なくなるからなあ。
歩いていると、少年二人が寄ってきた。コインなんたらと言っている。物乞いかな? 放っておこう。意味もなく分け与える気はないよ。
到着したCD屋、中を見てみるとメインは土産物のようだ。なんか気が乗らないな。やんぴ。
●人の波が
日本語のできるネット屋でも探すかと、カリチュ通り(旧市街のメインストリート)に出ると、すごい人通りだった。しかも国旗を手にした人が多い。しかもみんな、同じ方向(新市街の方)へ歩いていっている。やはりこれは今日、何かあるんだろうな。つられて自由記念碑まで歩いていってみる。人々はここへ集まってきている。
広場には大きなテレビスクリーンも設置されている。何かのイベントがあるんだろう。何があるのか興味はあるが、元々人ごみが苦手な上、今は調子も良くないので、ここは逃げだ。
●旧市街北側
逃げに逃げてちょっと迷って、気がつくと猫の家(屋根のてっぺんに猫の置物がある)の前だった。
ええい、こうなったら南側だけでなく、北側の旧市街も一回りしてやる。中には入らない(入れない)けど。
この辺り一帯の宗教的中心だったリーガ大聖堂、
中世の住宅の姿がほぼそのまま残っている三人兄弟、
今は大統領官邸として使われているというリーガ城(周辺の建物より格上って感じがしないけど、本当に城なんだろうか……)、
80メートルの尖塔を持つ、13世紀には記録にも出てきたという聖ヤコブ教会、
かつて旧市街をぐるりと囲んでいた城壁、
唯一残っているかつての城門スウェーデン門、
火薬塔と見て回る。
……面白いし楽しいんだけど、やっぱり期待するようには心に入ってこない。実にいい感じなのに。もったいない。
それでもリーガ大聖堂の前、ドゥアマ広場から聖ヤコブ教会の方向を望んだ眺めがよくて思わずシャッターを切っていたりと、今の状態なりには楽しめていたけど。これだけの景色を見たらこれくらいの楽しさだろうという想像を常に下回っている感覚があるんだよなあ。
●仕切り直し
まだ14時だが、しんどいのでホテルに戻って一休み。
今日はもう観光する気力は残ってないけど、まだまだ時間はあるので、ジャンパーと靴でも買いに行こうかな。フロントで聞くと、新市街の真ん中に大きい店(ショッピングモール?)があるとのこと。新市街の真ん中か、ちょっと遠いな。どうしようかな。
とりあえず針と糸を貸してもらって、結構派手に破れて中から黄色い大きいスポンジがもろにはみ出してきていて、相当みっともない状態になっているジャンパーを繕う。ジャージでうろついておいてなんだけど、やっぱ最低限の体裁は大事だし。
で、繕い終えて下に降り、フロントに針と糸を返しつつ今から買い物に行こうと思うと話すと、
「今日はどの店も閉まっている。行くなら明日がいいわ」
とのこと。やっぱり今日は何か、国として特別な日なんだな。
●鉄道駅近辺
ならばと、どうもあと一泊だけではリーガは見終わらない感じなので、鉄道駅前にあるという安ホテルを見に行く。……ないんですが、安ホテルなんて。高そうなホテルしか見つかりません。名前も違うし。『地球の歩き方・バルトの国々』によれば駅前に三軒あるはずの安ホテルが、一軒も見つけられなかった。
ガイドブックにある通り、駅前地域はやっぱりちょっと怪しげだけど、工事しているところがやたらと多い。数年したら大改善されてるんだろうな。今日見て回った旧市街もそこここで工事中だったし。今のままでもかなりいい感じなリーガの町だけど、さらによくなっていくのか。凄いなあ。
ともかく安ホテルは諦めて、鉄道駅へと時刻表でももらえないかと行ってみる。
駅ビルの中に入ってみてびっくり。列車の古っぽさとは違い、中の内装は立派の一言だった。実に近代的な駅ビルになっている。綺麗な電光掲示板もばっちり稼動している。テナントもいっぱい入っていて、外観の整備が済めば、おしゃれショッピングスポットの完成だよ、これ。今のままでも十分人出は多いんだけどさ。
残念ながら、時刻表はもらえる形ではなく、掲示してあるだけだった。まあ、乗るかどうか分からないんだけど。
駅ビルのテナントの一つに大きめのスポーツ用品店があったので、入って見てみる。20Lsくらいの安物の靴はここでもやはり中国製だ。45Lsとかでアシックス製のがあった。う〜ん、やっぱアシックスの品質はいいよなあ……。でも45Lsって、日本で買うのと同じ値段だな……当たり前か。やっぱり頭が回ってないので、今日買うのはやめにする。
●祝日でした
16時を過ぎて薄暗くなってきたので、旧市街に戻ってマッサージ屋に行ってみる。15Lsは高いけど、このボロボロの体が治るなら……え、今日は一杯で、明日にしてくれないか? 無理です。予約をしてなかったのはこっちのミスだけど、体がギリギリのラインに来てるから来たんであって、明日のことまでは分からないもんで。仕方ない、やめだ。
今日歩いている時に見つけていたネットカフェに行く。ちょっと猥雑な雰囲気の所で、「日本語使える?」と聞いたら「どうぞ」とのことだったのに、入ってない。それはつまり、自力で使えるようにしていいってことなのかな。そう解釈させてもらいますよ。ここのマシンは98だし、やりますよー。ああ、久しぶりだ、日本語を打つのも。フィンランドのイナリ以来だ。
夕食にはラトヴィア料理が食べたくなったので、店を教えてもらいにホテルに戻る。そこで判明。
今日のイベントは、インディペンデンス・デイ(独立記念日)だったんだ。
当然休日だと。なるほど。それでか。通りに溢れかえる人、閉まっている店は。デパートでは国旗を配ってたし。できるだけ祭日は避けるようにして動いてたんだけど、今回はうっかりしてたなあ。
それにしても、この国の独立ってそう昔のことじゃないよな(今日の記念は、1990年のソ連からの独立ではなく、1918年の記念らしいが)。だからだろう、国民の熱気も違う。せっかくだ、この熱気と雰囲気だけでも味わっておこう。
●なんちゃって中華
でもその前にいい加減空腹なので、教えてもらったレストランに行ってみるが、数軒回ってどれも満員。やっぱ今日は日が悪いや。なんで韓国料理の店まで満員で溢れかえっているのか知らんけど。
仕方なく、ホテルR&Dの前にあったチャイニーズレストランに入る。ここは空いていた。今日みたいな日に空いているって……まずいよなあ……。そして、ここもなんちゃって中華だった……。
シェフは中国人ぽいけど中国語のメニューはないし、「ホイコーロー」も「チンジャオ(ニュー)ロース」も通じなかった。立地的に、ラトヴィアに適応して進化した、ラトヴィア中華ってわけでもなさそうだし。仕方ないので今日もビールとチャーハン。せっかくリーガの旧市街にいるのになあ……。ま、ご飯が食べられたからよしとしよう。今の体調を考えると。
この店、割り箸を入れてる袋に使い方を図解と英語で書いてあるのが面白い。
食事を終えて外に出ようとすると「シェイシェイ」と言われた。中国人と思われたようだ。広東語で「ターシー」と返したら目を白黒させてたけど、ちょっと意地悪だったかな。
しかしこの街、本格的な中華料理屋ってないのかな? この店も、チャイニーズなのに店内音楽には「さくら」がかかってたし。他にも寿司バー「Singapore」とか見かけたし、なんでもアリなのかな。まあ日本だって、チャイニーズレストランでバーミヤンとかあるもんなあ。
●リーガの夜・二夜目
20時から自由記念広場でプレジデントが演説すると聞いたのが19時55分。今、ホテルから向かったのでは間に合わないや。残念。
その後しばらくしてから、21時から川沿いで花火があるとの話を聞き、急いで向かうがこれも間に合わなかった。ビルの向こうに上がる花火を、たまたまその前まで来ていた日本料理屋「相撲」の従業員と一緒に見る。ここの従業員も、もちろんラトヴィア人だ。ウェイトレスがユニフォームに作務衣を着ていたが、なんかいい感じだ。そして、特等席ではないが、ラトヴィアに来て、こういう人達と共に花火を見るというのも面白い経験だよなあ。
15分間の花火だったが、花火自体のレベルはともかく(しだれ柳がしだれてなかったり、はじけた後の+αの変化がなかったり、そもそも花火が丸く爆発しなかったり……)、情熱を感じる花火だった。芸術よりも、独立の情熱を表現する花火だろうから、これでいいんだろう。
そして、今日もまだ開いているセントゥルデパートの食料品コーナーへ夜食を買いに走る。
夜道を走ったのには理由がある。今日のこういう状況でこのタイミングだと、絶対花火見物を終えた人達が押し寄せてくるから、その前に買い物を済ませないと。
「カルシウム、ミネラル、ビタミン」をテーマに、すもも、ハム、チーズ、牛乳、瓶ビール、チップス、水(ガス入り。最近はガス入りの方が良くなってきた。しかもこの水、本当にほのかにピンクグレープフルーツの風味がついている。センスいいと思う。実はこれ、気に入っているんだ。MANGALI社製のGAZETSガスMINERALUDENSミネラルウェーターAR ROZA GREIPFRUTU GARSUグレープフルーツフレーバー)。合計2.01リット。安いなあ。
ホテルに戻り、今まで確認するのを忘れていたのでこんな時間になってしまったが、明日も泊まれるか尋ねたら、明日は混んでいて、39ラットのダブルルームなら泊まれるとのこと。夕食時にレストランで料理待ちの間に調べていたんだが、この近くで30ラット台で泊まれるホテルは二、三軒しかない。それもあまり近くなく、引越し作業で時間を取られるのも勿体無いし、そんなに得するわけでもない。もうそれでいいや。あと一泊お願いします。
シャワーを浴びてからホテルのパソコンでネットをして、寝る。明日は精神の調子、戻ってるかなあ。
ラトヴィア 11月19日(火) リーガ
●始動
10時にドアをノックする音で目が覚めた。
昨日頼んだ洗濯物が仕上がってきた。4リット。思ったよりも安く済んだな。
で、朝食。うーむ、寝相が悪かったようで、ちょっと体調が悪い。
外を見ると、今日もどんよりとした曇り空で、聖ペテロ教会の尖塔の上部がガスに隠れていた。
11時10分、39Lsのダブルルームに部屋を移るべく荷物をまとめていたら、レセプションから電話が。
「Hello,here is reception speaking.You can stay this room tonight.You don't
need change room.」
ん? なんでか知らんけどありがたい。キャンセルが出たのかな。
●まずは買い物
ともかくこれで観光に行くかと思ったが、本当に歩くのが辛くなってきているので、先に運動靴を買いに行くことにする。フロントに靴屋を何軒か教えてもらった。
が、どこも高い。なるべく安く買わないといけないのに、きついよ。大きい店の方がまっとうな品をディスカウントする可能性が高いのではないかと思い、昨日教えてもらった新市街にあるという専門店に向かう(赤い×印)。遠いのは遠いが、まあ歩ける距離だ。両足ともソールのゴムが完全に風邪を引いて固くなってしまい、土踏まずの前方が端から端までぱっくりと裂けて中が見えている状態なので、長い距離は歩きたくないが、そうも言っていられないし。応急処置として、ガムテープで補強しているが、気休めにもならず、濡れた路面から水が沁みこんでくる。ううう、早く買い換えるぞ。
今の靴がそうで、なかなか難儀な目に遭っているので、中国製は避けたかったが、ほとんどの品がMADE IN CHINAかMADE IN VIETNAMだった。ベトナム製の品質ってどうなんだろう。
そして、ナイキはともかくアシックス製の靴、なんでこんなに高いんだ。関税がかかったらこうなるのか。日本人の足には日本のメーカーの靴が合うのは分かってるんだけど、この値段はきつい。
せっかくラトヴィアで買うんだから、こっちのメーカーにしようかとも思ったが、靴は品質の悪いものを履くと足がおかしくなるからなあ。今度はまっとうなものを買いたい。
ということで何足かじっくりと履き比べ、リーボックの26cmのものにした。38Lsのが19Lsで買えた。大体3500円くらいか。まずまずかな。
●自由記念碑
目当てのものは買えたので、一度ホテルに戻ろうかとも思ったが、せっかく新市街の真ん中まで来たのだからと、嵩張るが新しい靴を持ったまま、観光に出ることにした。
新市街を抜け、自由記念碑へ。
昨日は独立記念日のイベントで人が群れ集まってきていたが、今日は特に何もないので静かなものだ。記念碑の下に佇むコート姿の警備の人が格好いい。その周囲には迷彩服姿で警備している人もいた。ともに軍人さんなんだろうな。この兄ちゃんがまた、愛想が良くて。ますますラトヴィアの印象がよくなったよ。
それから稜堡の丘にまわる。1991年1月20日、「血の日曜日」にソ連に殺された人を悼む石碑と供えられた花を見る。日本人である僕にはぴんと来にくいが、独立というのはなまなかにことではないんだと、しばし黙祷。
●旧市街の博物館めぐり
旧市街の北の方の博物館は旧市街観光のメインになるものが多いが、今日まで閉まっているところが多い。本当に悪いタイミングでラトヴィアに来たものだ。それでも、昨日よりは見られるところはある。
旧市街の中へ歩を進める。と、見慣れたマークが目に入ってきた。
後で調べて分かったのだが、リーガは神戸市と姉妹都市だった。なるほど。というかさすがは神戸市、姉妹都市の選定もセンスいいなあ。
まず、三人兄弟の中の建築博物館に入る(無料)。不思議な場所から階段が出ていたりして、中世の古い家の中を歩くというのは面白い体験だった。僕の体格でも所々頭がつかえたりしたし、当時の人ってそんなに大きいわけではなかったのかな。
Amatu通りの勉強家の像(エストニアでもあったなあ、こういうの。この辺りの人は、こういうシャレが好きなんだな)を見ながら旧市街の南側へ移動。ワグナー通りへ。かつてワグナーの住んでいた家、と言ってもまあ、普通の家だったなあ。そのそばにある、昨日買うのをやめた店でやっぱりCDを買うことにした。ラトヴィアは合唱で有名らしい。なので歌の祭典のCDを買う。一枚1000円くらいだ。
次いで薬局博物館に入る(0.5Ls)。薬草の実物があったり、中世の治療具があったりで、なかなか興味深かった。ここの博物館の館員さん、人が来るとは思ってなかったようで、僕が入ると奥から受付のおばちゃんが慌てて出てきた。昔の家をそのまま使った博物館で、いろんな部屋を入ったり出たり、上がったり下がったりでめまぐるしかった。おばちゃんが「次はこっち」と案内してくれたからよかったようなものの、一人だったら迷ってたな。どちらかと言えば展示内容より、昔の家の中をうろつく楽しさのほうが強かったかも。
帯剣騎士団城址を見るために、特に興味のないギャラリーのチケットを買う。木のごっつい梁が巡らされているのとか、昔の城址として、見どころは多かった。多くの柱や梁の木に、ヒビが入りまくっているのはそういう材質なのか、そろそろやばくなってきているのか。この10年でリーガの町がいかにリストアされてきているかを比較する写真もあり、目を引いた。相当頑張って直しているんだなあ。受付のヌシのような太った猫もかわいかった。
そして、聖ペテロ教会。このあたりで雨が降ってきた。付属の博物館の方は開いてなかったが、塔に上がるエレベーターには乗ることができた。1.6Ls、カメラ0.5Ls。教会の塔の中を上がるエレベーターってのも変な感じだが、ま、日本だって城の天守閣にエレベーターで上ったりするところもあるもんなあ。
地上72mからの眺めはなかなのものだった。もちろんというか、タイミング的に僕一人しかいないので、景色を独り占めだ。が、ガスが出ている天気のせいで遠くまではよく見えなかったし、寒かったのが残念だった。
その後ブラックヘッドのギルド内にあるツーリストインフォメーションに行く。明日の移動に備えて、ラトヴィアで行けるなら行っておくべきだと思っているクルディーガと、一気に移動するならここだというリトアニアのシャウレイ行き、それぞれの便について尋ねる。リガからシャウレイには鉄道もあるはずだが、インフォメーションのお姉ちゃんに一言の下に、
「バス!」
と片付けられてしまった。鉄道には何かよくないことでもあるんだろうか。
クルディーガからシャウレイには便がなく、一度リーガに戻ってくる必要があるらしい。どうすんべか。
●一日完了しました
ともかく一度ホテルに戻り、靴の世代交代を行う。ああ、柔らかい履き心地、ぬかるんだところを歩くだけで浸水を覚悟しなければいけなかったさっきまでとは天地の差だ。
そしてついでに日記書き。
それらを終えてから雨の中、食事に出かける。今日こそはと勢い込み、昨日教えてもらったレストランへ。まだ17時半という時間もあり、よく空いていた。チキンサラダ、ステーキ、ビール(ビールがえらく安い。北欧で高いのに慣れてしまった感覚のせいかな)で、8.95リット。ラトヴィア風料理とのことだったけど、よく分からなかった……おいしかったからまあいいか。
まだ時間は早いから、夜もゆったりと過ごすことができる。
ネットをしてからいつものセントゥルデパートの食料品売り場に出かけ、買い物。歯ブラシを購入。果物コーナーに柿を見つけてちょっとびっくり。あるものなんだな……。新聞は0.25Lsだった。なんやかやと買い込み、北欧なら100クローナとか言われそうなだけ買ったのに、2.2Ls。安いよな、やっぱり。
ホテルの部屋に戻り、夜食をつまみながらくつろぐ。
さて、明日はどうしようかな。雨が上がっていたら、野外博物館に行きたいんだけどなあ。スウェーデンのスカンセンみたいな感じっぽいし。エストニアの野外博物館には結局行けなかったし。駆け足で抜けてしまわないといけないので、地方に足を伸ばせない代わりに行っておきたいところだ。
ホテルのネットでマレーシアはチニ湖で会ったオランダ人の友人、トムから来たメールに記されていた日程と、参考にと書かれていたアドレスを元に、リトアニアのクライペダ以降のルートを考える。彼はとうに帰国していて、僕が今ヨーロッパを旅しているとメールしたら、遊びに来てくれとあったので、バルト三国を抜けた後、オランダの彼の家に寄らせてもらうことにしているのだ。オランダのような物価の高い先進国を訪問する気はなかったのだが、こういう事情なら話は別だ。お邪魔する日取りはもう決まっているし、もう目前に迫ってきている。残りの日でバルト三国の観光を終えないといけないが、どうしたものか。
バスのルートを見ていて気付いたが、いまいち強い興味の持てないポーランドをスルーして、一気にドイツ・オランダへと行けるかもしれない。それも選択肢の一つだなあ。
ネットを終えて部屋に戻ろうとエレベーターを待っていると、同じくエレベーターを待っていた白人客のおっちゃんが
「この向こうにフィットネスクラブがあるのか?」
と尋ねてきた。別に汗とかかいてないんだけどな。まあ、ジャージ姿だから仕方ないか。
ラトヴィア共和国 Republic of Latvia → リトアニア共和国
Republic of Lithuania
11月20日(水) リーガ → シャウレイ
●雨の中、外へ
9時起き。外を見たら雨降ってるよ、おい。野外博物館、どうしよう……。
雨でも何でも開館はしてるんだから行ってやれと外に出ると、雨が止んだ。助かった。
30分に一本の1番バスに20分ほど待って乗る。料金は20サントス(約39円)。車掌のおばちゃんにガイドブックの該当個所を見せて確認。よし合ってる。町中をバスはまっすぐ進み、30分近くかかって郊外に至り、到着。車掌さんに「次降りるのよ」と教えてもらったところで下車。一人では降りられたかどうか。
●野外博物館
え、野外博物館の入園料ってたった0.25ラット? 安すぎない? スウェーデンのスカンセンみたいに、かなり広大な敷地の中にいっぱい昔の建物があるんでしょ?
人はそんなにいないけど、施設が広いうえに平日でこんな天気だからなあ……。
ラトヴィアの各地方ごとに、まとめて昔の民家を移築してきているらしいけど、この地の文化を知らないよそ者には微妙な違いは分からない。木造で藁葺きか板葺きで、軒がかなり低い位置にあるのが特徴だってのは分かるけど。
本物の持つ重みは感じるけど、当然だけど似たような建物が多いな。
道端に、石碑があった。大きさから言って、道標とか案内板みたいなものだろうか。馬と……十字架? どういう意味合いのものなんだろう。駅?
この広い敷地内に、どうだろう客は二、三人しかいないんじゃないだろうか。冬の平日、しかも朝は雨だった……無理もないか。いかんなあ、今日も精神が万全ではない。ヨーロッパで同じようなのをずっと見てきてるからかな?
などとして歩いていると、ユグラ湖畔に出た。湖の向こうにはリーガの町が見える。広々としたいい景色だ。心にも冷たくて気持ちのいい風が吹き抜けた気分になった。
奥の方を一人で歩いていると、突然大きい犬が吼え猛りながら突進してきた。
広大な松林の中、他に人影もないし、身を隠す場所もなく、犬相手に逃げられるものではない。戦うしかない。
即座に覚悟を決め、腰を落として右自護体に構えつつ、目に気迫を込めて睨み据える。こういう場合、最初に気合で負けたら終わりだ。
僕が唯一身につけている柔道で犬とどう戦うか考える。飛び掛ってきたら左腕を逆に口の奥に突っ込み、抱きとめつつ相手の勢いを利用して払い巻き込みを打ち、全体重を浴びせつつ叩きつけてやるか。うまくいけばいいが。
……そうして待ち受けていたら、その犬は直前で向きを変えて走り去っていった。
しばらくは側方から飛び掛ってこないか気を抜かず探っていたが、やがて気配もなくなった。どうやら行ってしまったようだ。なんだったんだ……。首輪もなかったし、野犬だったとは思うけど。
まあいいや、続きを見ていこう。
それにしても、展示している民家を見ると、どれも結構寒そうだ。これでこの地の冬の寒さに耐えられるんだろうか。11月でこれだと真冬は相当なものだと思うんだけど。すきま風とか入ってきそうだし。
井戸のくみ上げがつるべだけじゃなく、巨大シーソーみたいになっているのがあった。面白い。
風車もおとぎ話にでてくるようなものがあった。
とある民家の横に、蒸気機関の自動車みたいなものが展示してあった。なんだろうこれ、面白い。
そして、一番目を引いたのが、教会関係の建物だった。
19世紀頃のものみたいだけど、かなり独特で、味わい深いものが沢山あった。続けて色々と出てきたので、教会ゾーンとでもいうような場所だったんだろう。
でも本当に、僕の感覚からしたら不思議なものが沢山あった。登山の途中にある展望所みたいなもの、
二人も中に入ったら満杯になってしまいそうなもの(懺悔室?)、
建物の屋根に、強引にロシア正教式のたまねぎをつけているもの、
などなど。見ていて実に不思議な感じだった。
リーガの街並みだけでなく、ここで昔の農村を、来る途中のバスの車窓から今のラトヴィアの郊外を見ることが出来たし、来てよかった。
廻り終えて博物館外のバス乗り場に向かっていると、ちょうど自分の乗りたかったバスが出て行くところだった。タイミング悪いな。バスは30分に一本。周囲に他には何もないし、仕方なく停留所でぼんやりと待つ。
バス乗り場に10匹ほどの猫がたむろしていて、それに餌をやっているおばさんがいた。猫は大好きだし、彼女達を見ていたらあっという間に時間は過ぎていった。寒いけど。
そしてやって来たバスの車掌さん、行きのバスと同じ人だった。なんとまあ偶然。乗り込んでからお互いに顔を見合せ、ひとしきり笑った。本当、この野外博物館は来てよかった。実に楽しかったよ。
●国際バス
ホテルに戻って預けいていた荷物を受け取り、徒歩でバスステーションに向かう。
ラトビアは気に入ったからもっと色々見てまわりたいけど、トムとの約束があるから時間がないんだよな……仕方ない。クルディーガに行くのをやめ、まっすぐ南下してリトアニアのシャウレイを目指すことにした。
ツーリストインフォメーションで教えてもらったところでは、シャウレイ行きのバスの発車は16時00分のはず。今は14時40分だから余裕だな。と思っていた。
ところが。
いざバスステーションにたどり着き、乗るのは国際線だからユーロラインのオフィスに行き、シャウレイ行きの便の時間を聞くと、23時00分か15時00分だと。15時00分!? あと10分もないじゃないか! ツーリストインフォメーションで調べてもらった時、他の便はリーガからシャウレイまで2時間30分くらいかかってるのに、この便だけ1時間30分だから妙だとは思っていたんだけど、発車時刻が間違ってたのか……。
なにはともあれ大慌てで発券してもらう。2.60Ls。プラットホーム1か2ね、はいはい。
この時点で発車まであと5分。
と、ここでコインが2Ls分残っていることに気付く。380円分か……。これはちと痛いなあ……。手近にあったキオスクで何か買おう。でも、ジュースとかでも0.2Lsとかなんだよなあ……。スプライト1リットル、0.68Ls。チョコ2枚で0.92Ls。ポストカードセットとか、地図とか欲しかったんだけど、なにせ時間がない。ここまで来て乗り過ごすわけにもいかないし。ろくに考えずに目に付くものをぱぱっと買ったらこうなった。残りは0.45Ls……仕方ないか。
残り二分でバスを探さないといけなかったのに、ここのユーロライン、普通の白ボディのいいバスではなく、緑ボディの普通のバスで、ユーロラインマークも小さかったからなかなか分からずに焦ったが、なんとか発車前に発見して乗車することができた。
僕が乗り込むとすぐ、席に着く間もなく発車した。いやあ危なかった。本当にぎりぎりだったなあ。
●リトアニアへのバスの旅
車内は空いていて、客は数人しかいなかった。道理で発車10分前でも楽に買えたわけだ。
バスは15分ほどで市街地を抜けた。
旧市街の外にも大きいタワーがあったり、レンガ造りの豪華な塔があったり、石畳の道があったりして風情がある場所があった。うーん、見て歩きたかったなあ。
15時発と早いので外が明るく、景色が見られるのが嬉しい。
郊外に分け入っていくと、ひたすら平坦な土地が広がっている。畑と森の中を、太く、よく舗装された道がまっすぐに貫いている。ずっと、見える限りまっすぐ。こういう道を見るのは気持ちがいい。30分も走ると道路の舗装レベルが落ちたけど。
基本的には曇っているが、たまにある晴れ間に日の光が辺りを赤く染めてきれいだ。
車窓から時折見える民家がラトヴィアの「今」を語っている。うっすらと雪の残る中、ほとんどが煉瓦作り。そんな新しいものは多くなく、ちょっとくすんだ印象。今日野外博物館で見てきたものと大差ない家もあったりして、ちょっとびっくり。が、よく見ると畑の作業小屋だった。そういうのなら日本でもあるよな。
文化レベルとかを見る限り、元々の水準は高かったけど、今はまだまだこれからの国なのかな。遅れているという印象ではなく(インフラの整備とかはなかなかっぽいし)、まだまだ上は目指せるし、10年やそこらではソ連時代の呪縛がなくなったりはしてないだろうし。でもこの10年で相当に変わったんだろうなとも思う。
15時48分、ヤルガワ着。クールラント公国の首都だったこともあるらしく、結構大きい街だ。例によって古い建物はあまり残っていないようだけど。
16時20分、ボーダー着。前の3台の車を待って15分、ラトビアの警官が乗り込んできてパスポートを回収。一応、荷台を開けたりしてチェックはしてる。
16時45分、出国完了。パスポートに出国スタンプが押されている。
16時50分、今度はリトアニアの入国だ。パスポートを同じく警官が回収して手続きを。
16時58分、返ってきた。審査とかはなかったなあ。
さて、リトアニアだ。外はもう暗いなあ。どんな感じかよく分からないや。とかなんとか思いながらバスに揺られているうちに17時45分、目的地のシャウレイに着いた。
●リトアニアの第一印象
バスの車窓から見たシャウレイの第一印象は、バスターミナルまでの街並みからして、なんか古っぽいというか、規模の割に栄え具合がいまひとつっぽいというか……夜だから、その分割り引かないといけないだろうけど。
外は……雪? 内陸部だからか? リーガはなんだったんだ?
バスから降りると、いきなり客引きに
「ヴィリニュス?(リトアニアの首都)」
と声をかけられた。残念、違います。というか、それなら最初からヴィリニュス行きに乗ってるって。
ここに来るまでにガイドブックを見たところ、バルト三国の中でもここリトアニアだけは、首都以外に絶対見ておきたいところがいくつかあるんだ。だから首都ヴィリニュスに行かずにシャウレイに来たんだし。
それはともかく、夜だ。
この町の情報はほとんど持ってないし、地図もないから地理勘もない。
バスターミナル内にホテルのチラシか、せめて町の地図でもないかと探すが、ない。
夜に初めての町に着いて地図も情報もないと、手も足も出ないなあ。宿の客引きもいないし。ともかく『地球の歩き方』に載っている、町の中心に行ってみるしかないか。2軒載っているホテルのうち、安いほうのシャウレイSIAULIAIホテルも中心部にあるそうだし。
●宿探し
木々がここでは雪化粧をしている。歩きながら見ていると、典型的な地方都市の風情だ。
これが目抜き通りじゃないかな、と思えるところに出た。適当に折れ入ってみると、ツーリストインフォメーション発見。が、今まさに閉めようとしているところだった。時計を見ると、18時01分。うわああ。ホテル情報のパンフだけでももらえないかと慌てて入る。
スタッフの女の人は
「仕方ないわね」
という様子ながらも、笑顔で相手をしてくれた。サービスというのを分かっている、いいツーリストインフォメーションのスタッフだ。助かった。シャウレイの地図やホテル情報が載っているパンフレットを出してくれ、それを指し示しながら話を進める。
ふらりとやって来て宿を探しているのでバックパッカーだと分かったようで、一泊15Ltのホステルを勧めてくれた。が、そこはちと遠いような……うーん、どうしようかな。そんなに元気と体力に満ち溢れているわけでもないし。まず近くのホテルシャウレイに行ってみて、そこがいまいちだったら行ってみよう。
あんまりのんびりとはできないが、宿情報の他にもう一つ、お金を下ろせる場所の情報も聞いておかないといけない。CD……ATM……バンキングマシン(やっと通じた)の場所を聞いて、とりあえずこれでなんとかなるかな。ありがとうございました。
僕が外に出たら、即座に電源落として鍵閉めてシャッター下ろしてた。危ない危ない、本当にぎりぎりだったんだなあ。
とりあえず、聞いたATMの場所がすぐ近くだったので、そちらに行ってみる。うーん、提携グループが載ってないが……やるだけやってみるか……できた! 900Lt下ろす。
そしてホテルシャウレイへ。
……大きいホテルだな……高いんじゃ……。
と、おっかなびっくり入って行き、フロントに尋ねてみる。一泊60Ltらしい。ホステルの4倍だけど、1900円くらいか……フロントも愛想いいしな……もうしんどいし、遅いし……。部屋もまだ見てないけど、いいや、ここにしよう。それでもリーガの2/7だし。
フロントの一人に案内されて部屋に向かっていると、ホテルの広さの割に少々薄暗く、エレベーターもガタガタいっている。やっぱり古いんだ。そう思って造作を見てみると、これは……なるほど、旧ソ連時代のビルなんだな。でもよく掃除は行き届いててきれいだし、別に気にならないレベルだ。
部屋に入ってみると、旧ソ連ぽい構造ではあるけど、ベッドルームはきれいだ。テレビのチャンネルには衛星放送が入ってるし。いいんじゃないかな。
この国もバルト三国の例に漏れず、水道にきつめの薬が入っているようで、顔を洗うと目が痛い。目薬が手放せないな。
●シャウレイの第一夜
なにはともあれ、旅装を解いて一息。テレビをつけるとトムとジェリーをやっていた。ハンナ・バーバラは世界の定番だな。定番といえば、クイズミリオネア。世界中でやっている。もちろんここでも。
今日はリーガで買ったジュースとチョコがあるのでとりあえず部屋でゆっくりとくつろぐ。ここんとこ、ずっと空腹でじりじりしてたもんなあ。
それから改めて、細々とした用事をこなしに外へ出る。フロントで店の情報を訪ねるついでに安全についても尋ねてみたが、場所さえ間違えなければ治安もそこまで悪くないらしいし。さて。
……えっと。マジですか? この国、物価が安い。めちゃめちゃ安い。タイ並みというか、物によってはそれ以上に。
ネット(例によって日本語フォントも何も入ってなかったので、ダウンロードして入れさせてもらった)は一時間2Lt(リタ)≒0.5$。
チャイニーズレストランが終了していたので代わりに入ったレストラン、ビール500mlが4Lt、パンケーキ(小麦粉で、中にチキンの入ったちゃんとした食事)が6Lt。計10Lt(≒2.5$。350円くらい)。
深夜12時まで開いているスーパーも、すごく規模が大きく、品揃えも相当なものなのに(CDや服まであるよ)、マフラー7.99Lt、ハンバーガー1.99Lt、キビナイ(肉のパイ包み)1.99Lt、水1.5リットル1.19Lt、ファンタ500mlが1.76、ビール500mlが1.49Lt、ボールペン一本0.25Lt!
バルト三国といいながら、この国だけなんか抜きん出てないか? 決して特別遅れている感じはしないんだけど。旧ソ連の影響が残っているのは感じるけど、他の二国に比しても引けはとってないと思うんだけどなあ。まあリーガの旧市街界隈は別格として。これはタイと同じく、輸出力を高めるための国策だったりするんだろうか。
なんにせよ、久々に物の価格で(安いほうで)衝撃を受けたよ。もし次の長旅があるのなら、リトアニアは候補に入れなきゃ。時間がたっぷりあったらホステルに泊まって、ゆっくりと沈没したい感じだ。見所もいっぱいあるし。でも、ここからドイツとかに行ったら、物価の落差に大ダメージ喰らうんだろうな。
人もいい感じで、夜10時とかに外をうろついているのに、ヤバイ気配も特に感じないし、レストランやネット屋の対応も申し分なかった。少なくとも今日のところは。外務省のガイドラインとかではそこまで安心できる町ではないっぽかったけど、自分が直接感じ取った皮膚感覚を優先だ。
……しかし、この激安のボールペンはどこ製だろう。部屋に戻って早速日記書きに使ってるんだけど、さっきまで使っていたインド製に比べてすごく書きやすい。CENTRUM・PIONEER、か。リトアニア製かな……?
それはそうと、なんでMTVで日本製のアニメを次から次にやってるんだ? なんか知らないのから、ルパンまでやってるよ。