ほろほろ旅日記2002 10/1-10

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ブルガリア 10月1日(火) ヴェリコ・タルノヴォ

 朝から本降りだった。
 何もすること・できることがないので、部屋でごろごろしつつ読書。タイから持って来ていた『無限アセンブラ』も読み終わってしまった。あああ、暇だ。

 午後になっても雨はきついままだが、今日こそ切符を買わないといけないので、雨の中を出かける。雨や気候に応じた服やなんかを買いたいのに、近くにある店は女物専門で、靴や防寒着どころか靴下や傘すら買えない……。

 ブルガリア国鉄(BDZ)の営業所に行く途中、3日前に会った長井さんと小原さんのカップルにばったり出会った。てっきり今日の便でブカレストに行ったものと思ってましたよ。と言ったら同じ言葉を返されてしまった。彼らも僕と同じく明日、ヴェリコ・タルノヴォ駅からの便でブカレストに向かうらしい。御縁がありますねえ。
 その前に、どうせ今日は暇だから一緒にどうですと夕食に誘われた。お互いの手持ちの日本語の小説やなんかを交換しましょうと。もちろんオーケーです。海外で長旅をしていると時間が出来るので、読書をする機会は増えるんだけど、日本語の本自体が入手しにくいので自然とこういう交換をすることになる。お互いそれだけ長旅をしているということなんだよなあ。

 彼らと別れ、BDZに行く。国内線のカウンターはものすごく混んでたけど、国際線はガラガラで、待ち時間なしだった。この國の鉄道もまだオンライン化されていないようで、押さえた席は係りの人が手持ちの帳面に書き込んでいた。料金は22.93レヴァ。よし。

 これで後は夕食まで暇なので、雨な事もあり、ネットカフェに繰り出す。マレーシアのクアラルンプールで会ったドイツ人のアレックス、相変わらずメールに対する反応がいいなあ。まだマレー半島をゆっくり動いているようだ。リゾートビーチの話題を嬉々としてして書いてくるあたり、やはり欧米人の例に漏れず、バカンス好きだなあ。


 雑貨屋でいつものようにパン・ヨーグルト・ソーセージを買い込み、部屋で遅めの昼食。テレビをつけたら、今日は名探偵コナンを放送していた。日本をはるか離れたブルガリアにいることが疑わしくなってくる。

 18時になったので、待ち合わせのレストランに行く。向こうも同じタイミングでやってきた。
 腰を落ち着け、まずは本の交換。四冊と四冊。貰ったのは宮部みゆき、ピーコ、中島らも……自分では買わない作家だなあ。こういう、普段読まない本に出会うのも楽しみの一つだ。
 今日の食事は奮発して10レヴァと張り込んだ甲斐があり、おいしかった。
 しかし、外の雨は時間が経つほどきつくなってきている。参ったなあ。
 長井さん達が日本語環境のないパソコンでメールが見れないものかと言うので、ネット屋に移動して、僕がフロッピーで持って来ていたプログラムをコピーしてあげる。フリーソフトだから問題ないだろう。

 2人と別れて家に戻ってくると、隣室に新しい客が来たところだった。もう夜の9時なのに、いるもんだなあ。
 ちょうどいいタイミングなのでクリストフに明日発つことを伝え、ここまでの清算を済ませる。

 部屋に戻り、早速ピーコ『片目を失って見えてきたもの』を読む。
 二時間ほどでさらっと読んでしまえたが、いろいろと思うところはあった。同意できない部分も多々あるけど、読後感はさわやかだった。
 この気持ちを大切に、僕もこの旅を今まで以上に大事にしていこう。きっかけは何であれ、誰だってやり直せるんだ。この旅という得難い経験をしているんだから、見るもの、聞くもの、全てを大事にしていこう。ここのツァレヴェッツの丘だって、何年か後に来ることがあれば、その時はまた違うものが見えるはずだし。だからこそ、今、この時、今の僕が見て感じる、それが大事なんだ。旅で会う人々も、仕事を辞めずに問題もなく、平凡に暮らしていたら決して知り得なかった人達なわけだし。
 それにしても、10月か。3月末に日本を出たから……長いなあ。なんかメランコリックな気分になってきた。
 頭の中で武田鉄矢の『思えば遠くへ来たもんだ』の「思えば遠くへ来たもんだ この先どこまで行くのやら」と、
 吉田拓郎の『唇をかみしめて』の「ええかげんな奴じゃけ ほっといてくれんさい アンタと一緒に 泣きとうはありません」
 がエンドレスで流れている。
 今はそういう心境だ。
 帰国した後の姿は、まだ見えない。見える兆しもない。
 などと、
 雨に打たれる部屋の窓を見つめながら、柄にもなく感傷に浸る。
 そんな、夜。

 雨がさらに強さを増してきている。明日の朝もこんな調子だったら、長井さんの言うとおり、バスで駅まで行かなくてはならないな。


ブルガリア共和国 Republic of Bulgaria → ルーマニア Romania
10月2日(水) ヴェリコ・タルノヴォ →(ルセ)→(ギュルギウ)→ ブカレスト

●さらばヴェリコ・タルノヴォ
 8時半に目覚ましをかけていたが、例によって何の役にも立たず、9時半起床。
 一度目が覚めてしまえば、準備はすぐ済んだのだが、クリストフがいない。部屋を出るまで待ってたけど、帰って来なかった。いつも午前中は大体いたのに、今日に限って。……仕方ない。僕もこの列車を乗り過ごすわけには行かないし。最後の挨拶ができないのが心残りだけど、感謝の言葉を書いたメモを残し、部屋を辞去する。ごめんなさい、ありがとう。
 部屋の下で仔猫達とも別れを告げる。元気でな。



 寒かったので動きたくなり、どうせ下りだからとバスをやめ、歩いて駅まで行くことにした。のんびりと歩いて谷底の駅まで1時間弱かかるかと思っていたのが30分程で着いてしまい、思いがけず暇な時間ができてしまった。
 列車にはまだ早いので、駅前には誰もいない。駅以外何もない駅前だから、することもない。ぼうっと時が過ぎるのを待つ。肌寒いが天気がいいので、こういう一時も悪くない。待つほどに、11時40分、長井さんと小原さんが他のブルガリア人の客とともにやって来た。が、案の定列車はまだ来ない。暇なので、売り子からケバプチェ(Кебапче。ハーブの効いた細長いハンバーグみたいなもの)とかを買って食べる。

●国際列車でルーマニアへ
 結局、列車は90分遅れで来た。予想通りボロめの列車だが、一つのコンパートメントが八人乗りなのにゆったり座れるというのはさすがだ。ちなみに車掌さんは若い女性。
 車窓に広がる山、地平線。地方に来ると家が少なくなり、それとともに道路の舗装がなくなる。広大に広がる畑、赤いレンガの家、丘の形がはっきり分かる畑。自分がイメージするヨーロッパそのものが眼前に広がっている。素晴らしい景色の中を列車はマイペースに進んでいく。日本的に言えば、北海道的なパノラマが当たり前のように続いている。家が少ないだけでなく、電線も走っておらず、大地が無骨に削られた跡もない、ありのままの自然が。
 二都市しか行かなかったけど、いい国だったな、ブルガリア。


 さあ、後は無事ボーダーを越えられるかだ。16時20分、国境の駅、ルセ(Русе)着。
 税関の係官がパスポートチェックに乗り込んできた。が、これがまた遅いんだ。今回も待ち時間が一時間を優に越え、後から向かいのホームに入線してきた逆方向の列車が先に出て行った。えーとここ、まだブルガリア出国の段階やよな? ま、何はともあれボーダーでは大人しく待つ以外の選択肢はないんだけども。18時12分、約二時間待ってようやく出発。疲れた。
 でもおかげでタイミングが良くなったようで、国境のドナウ川を渡る際、沈みゆく夕日が見事な赤で僕の目を刺し貫いた。またドナウ川を渡る鉄橋で、列車の進みが極端に遅くなるんだ。それにしてもドナウ川、広いなあ。広い川ってだけなら中国とかでも見たけど、ここのは夕焼けの中で見ているせいもあるのか、川自体が綺麗だ。西岸にばあっと森が広がっているのがまた雰囲気を醸し出している。ブルガリア側が工業地帯になっており、工場や船がびっしりとひしめいている。その左右に広がる川や森とのミスマッチが不思議な雰囲気だ。
 このへんの地勢は面白いなあ。いろんなパノラマが次々に出てきて、見ていて飽きない。国境地帯だったので、さすがに写真は控えたけども。

 ルーマニア側の国境の駅、Giurgiu Nord駅(ギュルギウ北駅と読むのかな?)に着いたのは18時50分だった。タイムテーブルではもうブカレストに着いているはずだったんだけど。こういう遅れにも大概慣れたなあ。
 今回は国境の鉄橋を渡っている時に既にパスポートは集められていたので、ちょっとは早くしてもらえるかな?
 女係員が順番に入国審査と手続きをしていく。僕の番になった時、その係員が訊いてきた。
「なんでまたルーマニアに来たの? WHY?」
 いや、なんでって言われても、観光としか答えようがないんですが。
 これまで他の國でも何度も聞かれたけど、この人の言い方が一番きつい気がする。なんか詰問されてる気分。またこの姉ちゃんの英語が訛ってて聞きづらかったから戸惑っていたら、
「Can you speak English?」
 と呆れた口調で言われるし。勘弁してよ。日本人がルーマニア入国に際してビザ不要になってからあまり経ってないのも影響しているのかな?
 続けて入国審査として禁止物を持ってないか尋ねてくるんだけど、
「ヘロイン? マリファナ? コカイン? ガン?」
 っておい。仮に持っててもそんな聞き方で「イエス」って言うわけないと思うんですが。水際で阻止する気がどれくらいあるんだろう。
 で、荷物を開けろと? タイのココン以来だなあ。でもま、ちょっと開けてざっと上から見て終了だからそんな手間でもなかったけど。
 こういうのは審査時の態度で怪しいかどうかを判断するのかなあ。

 どうにかこうにか自分の審査を終え、後は他の人が終わるのを待つばかり。
 外はもう夜だけど、この列車、コンパートメントに一つ、豆電球みたいなのが点いただけやよ? ううん、暗いなあ。そんな中、横に座っていたチェコ人のおっちゃんは用意よく持参のパンを取り出して夕食にしている。おお、車内でも食事前に水で手を洗うんだなあ。東南アジアでも中国でもあったし、車内の座席でだとおしぼりは使っても水は使わない日本は少数派なのかなあ。
 19時40分、50分の停車で発車。この調子だと、目指すブカレストに着くのはいつになることやら。

●首都・ブカレスト
 列車は黙々と闇の中を走る。車窓から見る限り、ルーマニアの田舎には常夜灯というものが見当たらない。車内も暗いし、本当に闇の中だ。でも、ルーマニアに入ってからは思いのほか快調に飛ばし、結局9時過ぎにブカレスト・ノルド(北)駅に到着。
 降りて長井さん、小原さんと三人でほっと一息。ここまで得た情報では、この駅構内は治安がいいが、駅周辺はとても誉められたものではないそうだ。まあ、それ以前にブカレストの治安の評判自体がよろしくないんだけど。確かに構内から外に出る際にゲートがあり、チケットを持っているか入場料を払わないと構内に入れないシステムだからその区分けも分かる。しかも今は夜だし、気をつけないと。

 駅構内にATMがあったので、ルーマニア通貨を持っていない身としてはありがたいと見に行くが、Cirrusはいけるけど、Plusは使えない(CirrusもPlusもキャッシュカードの国際的グループの名前)。くそう、Plusのカードしか持ってない身には役に立たないじゃないか。両替所も開いていたけど、US$からはできても、ブルガリアレフからの両替はしていなかった。おいおい、隣国だろう? そこから直行の国際列車で来たというのに……参った。
 困っていると、両替所の人が向こうにいる両替の兄ちゃんに頼めと言ってきたが、店も構えていない胡散臭げな人からは嫌だ。特にこの國、それ絡みがやばいと聞くのに。
 とりあえずこの場は小原さんが代表で100万レイ引出し、その一部を貸してもらって構内のマクドで食事。何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。ビッグマックセットで9万レイ弱。350円くらいかな? これがこの国の物価と比べてどうかはまだ分からないけど、客層や雰囲気からして、多分高いんだろうなあ。

●宿を求めて
 ともあれ、これで少しは落ち着いた。もう時間も時間なので、三人で宿探し開始。他に情報はないので『地球の歩き方』に載っている、チェルナホテルをまず探すことにする。ここは駅から近いはず。が、全然見つからない。焦った気持ちのまま、夜のブカレストをさ迷い歩く我々三人。
 が、それはそれとして、ブカレスト、思ったより寒くないなあ。天気がいいこともあって、案外気持ちいい。治安が悪いと聞いていて、こんな夜に大荷物を抱えて歩き回るんだから正直心配はあったけど、人気は少ないもののソフィアのようなやばげなムードは今のところ、駅前で少し感じただけで、あとはそんなにない。

 散々迷った挙句、その辺を歩いているルーマニア人に尋ねたりしてどうにかチェルナホテルに辿り着くことができたが、ここってブカレストノルド駅の斜め前やん。駅前公園の中じゃないじゃないか。毎度のこととはいえ、『歩き方』めええ!
 で、空き室を尋ねると、答えは無情にも「フル(full)」。どうしよう。
 ホテルの外で声をかけてくる人の言う宿に行くのもなんか胡散臭いしなあ(三人とも同意見)。言い値はそんなに安くないし、ここから近くないみたいだし。何より今、もう夜の10時やぜ?
 チェルナホテルの人に、同じ一つ星ホテルで、近くのBucegi(ブチェジ)というホテルを教えてもらって行くが、ここも「フル」。ええい、観光シーズンは終わってる平日だというのに、一体この町に何があるとゆーのだ。

 Bucegiホテルのフロントは他のホテルの情報を知らないし、どうしようかと思っていたら、長井さんと小原さんが再度チェルナホテルのフロントに行って尋ねてきてくれた。駅から少し離れた、と言っても歩いて行ける所に「マルナMarna」というホテルがあるらしい。もうそこに懸けるしかないな。
 少し歩くとのことで、治安の心配がないではなかったけど、他に選択肢はない。幸い、今は三人いるし。と気負い込んで歩き出したのだが、治安云々以前に人通りも少なく、とはいっても最低限の通行人と車通りもあり、そんな危険は感じずに辿り付く事ができた。
 到着したマルナホテルは古い(エレベーターが外の見える格子式だよ!)けれど、よく手入れされた綺麗なホテルだった。空き室はあるとのこと。ふう、やれやれ。
 料金は一泊ダブルで675,000レイ、シングルで425,000レイ。えー……女将さん、今は僕、ルーマニアレウは一銭も持ってないんですけど? ドル払いは不可。両替もしてない。う〜ん……。結局、パスポートを預けておいて、明日両替所で現金を入手してきて払うということで手を打ってもらった。ここのボスのおばちゃん、話す態度は一見冷たそうだけど、よく話してみるといい人だな。スタッフもなんかニコニコしてて愛想がいいし。当たりかも。
 部屋は長井さん達がダブルで一部屋、僕がシングル。部屋も、大体12ドルくらいのものとしてはすごく綺麗で立派だ。

 風呂トイレは外だけど、それくらいは慣れたものだし、朝食までついているというし。
 うわあ、いいんかな。なんか過分なところに泊まってないかい? ちなみにチェックインしたのは午後11時。
 さあて、明日はPlusのATMを見つけてお金を下ろすのを最優先課題にしないといけないな。


ルーマニア 10月3日(木) ブカレスト

 昨日は午前4時過ぎまで寝付けなかったので、眠い。長井さん達と朝食の約束があったので、なんとか8時半に起きる。
 トマト、ピーマン、チーズ、パン、紅茶の朝食。というより軽食だけど、無料なのがありがたい。

 ATMを探してブカレストの町を歩き出す。案外暖かいので、Tシャツの上にウィンドブレーカーでなんとかなるかな? 関係ないけどブカレスト、ルーマニア語表記からすると、現地発音はブクレシュティの方が近かったりするのかな。とりあえず人の多い方に向かう。勝利者広場を過ぎてしばらく進んでいくと、Plusが使えるATMを発見。よかったあ。けど、なんで一回の引き出し限度額が200万レイなんだ? いくらなんでも少ないよ。ま、回数下ろせばいいんだけど、手数料が痛いんだよなあ……。
 それにしても、ここまで歩いて回った感じだとブカレスト、思ったよりいいかも。町も車もブルガリアのソフィアよりきれいだし、ルーマニアが中欧で唯一のラテン系国家である関係か、なんとなくムードも明るい気がする。そういやブルガリアでは黒系の服を着ている人が圧倒的に多かったっけ。国が違えば違うもんだなあ。

 
 ここまで歩いていて思ったが、この町は交通渋滞が結構ある。まあ東南アジアとは比べるべくもないが、ヨーロッパに来て以降では一番だと思う。
 ATMでお金を下ろそうとしていた時も、地下のショッピングモールの片隅で、ヘッドホンで音楽を聞き、ローラーブレードで走り回っている兄ちゃんの集団がいたし。都会だなあ。
 ルーマニアのお札、なんかプラスチック的な手触りだなあ。こんなの初めてだ。硬貨はアルミ製でなんか安っぽいし。一円玉以来かな。
 などと見ながら、ともあれお金ができたので、宿に戻って小原さんに8万4千レイを返し、フロントで宿泊代を二泊分(85万レイ)払って一息。一息ついでに洗濯をしたりしていたら、もう昼になった。

 昼食に出ようとレセプションを通りかかると、一人の女性がチェックインしていた。見るからに日本人だ。
 声をかけてみるとヘルシンキから3ヶ月かけてここまで下ってきたらしい。ここに一泊してからブルガリアに向かう予定だとか。せっかくなのでロビーでヴェリコ・タルノヴォはいいよとか、ソフィアは行かなくていいかもとか教え、代わりにここから北の情報をもらう。こういう情報交換をする時間が旅の楽しみのひとつなんだよなぁ。

 改めてブカレスト市内へ観光に出る。中央市場はそこそこの規模でほどよく活気があり、なんか過ごしやすい。衣類で色々買わないといけないものがあるので、後でまた来よう。手持ちもあんまりないし。

 歩いていて皮膚で感じる感覚としては、この町は少なくとも歩いた部分では、そこまで危なくないんじゃないだろうか。人々は陽気だし、へんなねちっこさも感じないし。まあ横にぴったりとくっついて歩いてくる物乞いには閉口だけど、そんな特別なものじゃないし。ルーマニアの女性は確かにきれいな人が多いように思う。10年余り前まで続いていた共産党政権時代の名残だろう、古い建物はそこらに残っている。が、それがいわゆる古い町並みに結びついていない。町自体が変貌しようとしているところなのかな。道路も道幅が広く、まっすぐ伸びているのでそういう印象を抱かせないというのもあるのかもしれないけど。


 とか見ながら、ブカレストで一番ごついはずの国民の館(別名チャウシェスク宮殿)へ。……でかい。異様にでかい。圧巻だ。

 館の周囲にはこれまた広大な公園が広がっているのだが、それですらバランス的にはおっつかないほどの大きさだ。なんなんだろうこれ。迫力と圧力、ありすぎ。今でこれなら、チャウシェスクが権勢を振るっていた当時の威圧感はどれほどのものだったのか、見当もつかない。周囲の公園の外周をぐるりと回るだけでも疲れてしまった。ので、中には入らなかった。このスケールで内部の豪華絢爛なのを見る気にはならないよ……。打倒されたとはいえ、いかに搾取の限りを尽くしてきたかの証明でもあるんだし。

 外周を回りながら、施設の入り口に通りかかった折、警備に立っているポリスの兄ちゃんが
「ベリービッグ(どうだ、でかいだろう)」
 と話し掛けてきた。まったくもって同意だったので、呆れたような身振りつきで
「イエス、トゥービッグ」
 と答えるとニヤリと笑い、いろいろ話し掛けてきた。向こうも
「中に入らないのか?」
 とは尋ねてこない。かわりに
「日本人か?」
 と。
 しばらく話し込み、写真も撮らせてもらった。感じのいい人だった。はじめはこんな物々しいところを警備している警官だからと緊張していたけど、そうでもないもんなんだなあ。



 ここまで見た感じだと、ルーマニアはブルガリアに比べると優位に立っているのかな?
 
 なんにしても残っているブルガリアレヴァの処理に困る。両替屋に行けば
「銀行で両替してもらえ」
 銀行に行けば
「ウチは扱ってない。レートがない」
 隣国だし、国交あるんじゃないのか。今日は見かけた金融機関に片っ端から都合2、30件行ってみたけど、結局どこも扱ってなかった。20ドル近くあるから放っておくのも無念なんだけど。

 ともあれ観光もしたいので、遅めの昼食の後、革命広場に足を向ける。旧共産党本部の前、道が広くなっている場所と言った風情の広場だ。
 革命広場
 旧共産党本部
 壁の弾痕
 旧共産党本部の圧力はブルガリアの方が上だったらしいが、ここでは1989年、革命のために銃撃戦が行われ、流血があったのだ。
 石畳はどんどんアスファルトに替えられ、旧共産党本部の向かいにあるアテネ音楽堂の前の芝生広場では、地元の人たちがくつろいでいる。ここにも確実に時は流れているんだ。
 それでも周囲に建つ、当時からあったと思われる建物の壁には多数の弾痕が刻まれたままで、雄弁に歴史を語っている。
 最低限、国民の館とここは見ておきたかったんだ。搾取の時代の象徴と、それをひっくり返した革命の現場とを……。

 ホテルに戻ると、ちょうど先ほどチェックインしていた日本人の女の人が居たので、ブルガリアレヴァとルーマニアレイを交換してもらう。60万レイは20ドルに足りないが、レートとかそんなのは関係ない。死に金にならなくて済んだのが嬉しい。
 一息入れてからホテルとブカレスト・ノルド駅の間にあるC.F.R(チェフェレ。ルーマニア国鉄の略称)に行き、明日のシナイア行きのチケットを買う。12時15分発で、16万レイ。おお、ルーマニアの鉄道チケットは厚紙の、いわゆる硬券なのか! なんか懐かしくて嬉しい。

 それはともかく、それでなくてもそうのんびりとはしていられなくなっている上、都会は滞在費が高いので早く地方に動いてしまう必要がある。
 シナイアはブカレストから120kmほど北上したところにある山あいの風光明媚な町とのことなので、動く先には丁度いいだろう。
 帰り道で中央市場に寄り、靴下を2足買う。一足一万レイ。って安! タイよりずっと安い! しかもぬくそう。まあそれは國の立地もあるんだろうけど。パンツも買いたかったけど見つからなかった。

 ホテルで声をかけ、長井さん達と夕食に出かける。
 途中で予定を変更して中華をやめ、ミティティ(バー状の肉団子)とピザ生ビール。カロリー高いなあ。まあいいけど。
 夜、長井さん達と今日来た女の人との四人で、長井さん達の部屋でだべる。情報交換も日本語のコミュニケーションも、長旅をしているバックパッカーには必要不可欠なものだ。
 そうそう、この國に来て、ついに飲料水が噂のガスウォーターになった。糖分とか一切なし、炭酸を入れただけの水。なんか変な感じ。慣れたら普通になるんだろうけど……。


ルーマニア 10月4日(金) ブカレスト → シナイア

●ブカレストぶらぶら
 8時半起床。屋上に干しておいた洗濯物を取り込む。よし、大体乾いている。
 朝食後、ふらりと外へ。曇っていて少々肌寒い。湿気も感じる。降らなければいいんだけど……。
 市場はまだ開いたばかりのようで、準備中のところも多い。シャンプーやパンツなど、買いたかったものが売っているが、何となく気分が乗らないのでやめ。シナイアで買えればいいんだけど。


 それはともかくブカレスト、想像以上に車が多い。東南アジアみたいに出鱈目に多いということはないんだけど、その分道があんまり広くないこともあり、しょっちゅう渋滞している。バスも常にすし詰め状態で乗っているし。


 それはそうと、ルーマニアのお札、特に2000レイ札のデザインは独特だ。今までこんなの、見たことない。真ん中に透明セロファンみたいな覗き窓があるし、このデザインは太陽系? 1999年に皆既日蝕があったからのようだけど、面白い。
 ブルガリアは第一印象が悪く、後からどんどん取り返してトータルではプラスになったけど、ルーマニアは最初っからいい感じで、印象がいいなあ。

●シナイアへ
 昼前になり、時間が来たのでブカレスト・ノルド駅へ。
 

 列車は地元の人達でぎっしりだ。座ろうにも空きの座席すら見当たらない。立って行くことに不満があるわけではないんだけど、ヨーロッパのコンパートメント車両の場合、廊下って喫煙コーナーと化すからなあ。吸わない者には辛い。
 
 予想していた通り、30分遅れて発車。こういう國で育ったら、列車に乗る時は発車予定時刻に家を出る癖がつきそうだな。
 ルーマニアの鉄道、車両は立派だけど列車待ちをちょくちょくすることからして、線路は単線部分が多いのかな? 路線図を見ると線路自体は国土を縦横無尽に張り巡らされているようだけど。
 それはともかく、車窓風景にはやっぱり感動する。360度、ぐるりと地平線が広がっているのだから。見渡す限りの畑の中を進んでいる最中、面白いものを見つけた。レール引き替え用列車。こんなのあるんだ。長大編成で、見ていてとても面白い。

 ブカレストを出て一時間半、ついに山の中に入ってきた。2000メートル級の山々がルーマニアの真ん中に「つ」の字状に連なるという、カルパチア山脈だ。さすがはヨーロッパ、何気ない森ひとつ取っても、よく見ると下生えがほとんどない。手入れしているというより、元々こういう土地って感じだ。すなわち土地が痩せているってことでもあるんだけど、見た目、山々は美しい。時期もよく、樹々が見事に黄葉しており、色鮮やかだ。そのぶん寒いんだろうけど。
 午後三時過ぎ、ブカレストから北へ動くこと約120キロ、シナイア着。ガイドブックにもあるとおり、大きくて立派な駅だ。シナイアはカルパチアの真珠と呼ばれる、昔からの別荘地らしいが、それにふさわしい駅なのだろう。
 ここでシナイアに寄らずブラショフに向かう長井さん達とはお別れだ。お元気で。


●まずは宿決め
 列車を見送って外に動きかけた時、遠くに日本人らしき女性旅行者が一人いたのを見かけた。まあ遠いので声はかけないけど。
 シナイア駅の外に出ると、待ち構えていたプライベートルーム(民宿)の客引きが群がってきた。あまりぼったくられなければプライベートルームに泊まろうと思っていたので、渡りに船だ。それにしても、久しぶりに見る客引きの群れだ。とりあえず少し減らそうと、歩みを止めずに話を聞いていたら、客引き同士で話がついたのか、一人のブロンドの姉ちゃんが来て、手を取って引っ張って歩き出した。一泊30万レイ(10$弱)らしい。ふむ、そんなもんか。
 ともかく部屋を見せてもらおうとついて行く。駅前の階段を上り、シナイアのメインストリートに出る。さすが高原リゾート。日本によくあるそれと同じようなたたずまいだ。山あいの斜面に広がるこじんまりした町並み、町の規模の割に太いメインストリート、その両側にのみ建ち並ぶ大きいビル……。シナイアは安全な町だそうだ。確かにそんな雰囲気が漂っている。
 坂道を上りつめて辿り付いたのは、シナイアの後背にそびえるブチェジ山へと登るケーブルの駅の近く。本当の民家、納屋の一部を改装して部屋にしてあると言った風情で、部屋の装飾もなんというか、伝統のヨーロッパっぽくていい感じだ。寝るところがベッドかソファーか分からないが、ふかふかしてて気持ちよさそうだ。窓は小さいが、どのみち裏手の方しか見えないし、その分ぬくそうだし。ここまで大荷物を抱えててけてけ歩いてきたことで疲れてしまったのもあるし、ここに決める。

 なんか部屋に日本のポスターが貼ってある。こんなところにあるなんて意外。けど、この和服を来た女の人、山本洋子って誰だろう?
 とりあえず2泊分を先払いする。お互いのカタコトの英語では話がいまいち通じないが、まあなんとでもなるさ。

●初めての町ではまずそぞろ歩き
 ここの娘さんにお薦めのレストランとインターネットカフェの場所を尋ねる。ネットカフェはこの町に3件あるらしい。町の規模からすればたいしたもんだ。
 とりあえず街の雰囲気を掴みに外を軽くぶらついてみる。途中で見かけたスーパーで、ジュースとお菓子を買って帰る。このジュース、ファンタのShokata味というのが何の味か分からないけど、風味がよくておいしい。一緒に買ったホワイトチョコ、包装がちゃちかったので期待してなかったんだけど、すごくおいしい! 感動したので、思わず商標らしきものを転記。「S.C.VIVEROM S.R.L piata Sfatnlui 12 Brasov CIOCOLATA DE CASA」ルーマニア語の特殊記号が出せないけどこんな感じ。

 それにしても足が痛い。どうしたもんかな。なんか頭も痛いし。まあ我慢できる程度だからいいか。
 再度外へ出る。歩いていると、やたらとプライベートルームの声がかかる。ヴェリコ・タルノヴォと同じだなあ。物乞いもすぐ寄ってくるし。
 ってだから、アジア人を見たら無条件に「チノ(支那)」と声をかけるのは勘弁してくれ。こんな中華料理屋もないような町でもアジア人=中国人なんだなあ。しかし、こっちが日本人だと知ると「蛇」と言ってくるのは一体なんなんだ? 中国人はカンフーで、日本人は蛇……???

 歩きついでに平日のうちに見ておきたかったシナイア僧院に行く。そんなに大きくはないけど、教会ではなく僧院と言うだけあって、僧坊があった。キリスト教も色々だなあ。ブルガリアもそうだったけど、この中欧から東側では正教会が強いんだっけ。そしてここの僧院は、今もって現役バリバリ。中に入ると現役の宗教建築の持つ重み、荘厳さを強く感じる。なんというのか、聖的空間の持つ、ぴりっとした雰囲気というか。こっちの人はめいめいに祈っているけど、見てもやり方がさっぱり分からない。なんか手順が多くて覚えられない。
 

 僧院を出て、町歩きを続ける。途中、追い抜いていく車の中から子供達に手をぶんぶん振られたり、道端でサッカーをして遊んでいる子供達にどこかのサッカークラブのタオルを自慢げに見せられたりと、フレンドリーな雰囲気が楽しい。山あいの町だけあって、風景にいろんな表情があるのもいい。夕方の5時から7時過ぎまでの二時間あまり、外に明るさがある間、ぷらぷらと歩き続けた。どうせこの時間には観光スポットは閉まってるし。


●夜のシナイア
 夕食は宿の姉ちゃんに教えてもらったレストラン、ブチェジで。ってなんか高そうなんですけど。
『地球の歩き方』を参考に、ルーマニア料理のサルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)とママリガ(トウモロコシ粉とミルクで作ったマッシュポテトみたいなの)、ステラビールを注文。独特の風味があるけど、それが料理にマッチしていておいしい。これがルーマニアの味か。
 しめて10万3千レイ+チップ1000レイ(チップは自動引き落とし)。特別高いわけではないな。また来よう。

 ここまで歩いてきて、昨日潰した右足裏の水ぶくれの痛みが強くなってきた。また水がたまったのかな? 左足の踵も痛い。
 実は日本から履いてきている靴がもう限界で、無理をして履いているからそれが影響しているんだろう。出発時点でかなり履き潰してくたびれていたから、そろそろ買い替え時だ。

 食後、インターナショナルホテルにネットをしに行く。ここのネットカフェ、回線スピードの速さからしてADSLを引いてるな。たいしたもんだ。それと、ここを取り仕切るマスター、いい人だ。そのままでは日本語環境がないので、日本語IMEをダウンロード&インストールしていいか尋ねたら、
「大歓迎さ。どんどんやってくれ」
 と言ってくれるし、インストールするまでのネット代は無料でいいと言ってくれるし。なんでもたまに日本人観光客が来るから、日本語環境を導入するのはホテルにとっても有益なんだそうだ。まあ確かに、普通のルーマニア人が日本語環境を整えるのは難しいだろうなあ。導入後、色々とネットで遊び、気がつけば閉店時刻の10時を優に越えてしまっていたのに、嫌な顔ひとつせずにニコニコと待ってくれ、二時間以上使ったのに一時間分の2万レイでいいと言ってくれた。大サービスだなあ。ありがとう、おっちゃん。

 夜も11時になろうかというこんな時間に宿への暗い道を歩いていても、全然危ない感じがしない。リゾート地だからというのもあるんだろうけど、治安がいい町なんだな。性質の悪い子供もいないし、物乞いもえらくあっさりしているし、みんなニコニコして愛想いいし。女の子もかわいいし。

 で、宿の部屋に戻ると、宿のおばちゃんが部屋にヒーターをつけてくれていた。ありがとう! ただ、シャワーで水が出ないアクシデントは参ったけど。
 この部屋、ありがたいことにテレビがついている。なんか贅沢な気分だ。白黒テレビだけど。まだ現役のところもあるんだなあ。ブカレストでは全然見かけなかったから、ここの人が物持ちがいいのか、最近まで珍しくなかったのか、どっちだろう。

 明日は朝からこのシナイアを見てまわりたいけど、天気予報によると明日は、雨。しばらく、雨。
 ルーマニア王室の離宮だった城と、背後にそびえる2000メートルを越える山頂からの景色の二つは絶対に見たいし、降らないで欲しいなあ。
 シナイアの町はいい感じだけど、この北欧まで一気に駆け抜けるプランを考えると、そうのんびりともしていられないんだよなあ。


ルーマニア 10月5日(土) シナイア

●シナイアの朝
 10時間ほど寝た。疲れてたんだなあ。たっぷり寝たのはいいけど、こういう時にはえてして嫌な夢を見るのが困る。
 ベッドの中でぼうっとしていると、扉をノックして宿の奥さんが入ってきた。昨夜帰りが遅かったからと、ここの設備について色々教えてくれた。廊下の電気のスイッチの場所、シャワーの使い方など。ついでにシナイアのお勧めスポットも教えてくれたが、ロープウェイに乗ってブチェジ山に登るのがいちばんらしい。ううむ、登るのは登るけど、今日にするかどうかはまだ未定だなあ。
 ともあれ昨夜水を出せなかったので使えなかったシャワーを浴びる。ああ、さっぱりした。

 今日は山に行こうか、それとも城に行こうかと考えながら外に出る。朝食を摂れる屋台かスタンドか何か、あるだろう。
 バス停でたむろしている若者の集団と目が合った。皆サッカーのレプリカジャージを着ている。どこかで試合でもあるのかな。向こうも僕を見てアジア人旅行者だと気付いたようで、声を揃えてサッカーの応援風に
『コーリア、コーリア』
 と声をかけてきた。なんでコリアなんだろう。ここまでヨーロッパでは一人も見かけてないのに。違う違うと手を振ると、
「ジャポネ?」
 と。そうだよ。いつも思うけど、なんか日本が先に来ない事が多い気がする。すると今度はその集団、先ほどよりずっと大きな声で、
『ナカタ! ナカタ!』
『ジャポーネ! ジャポーネ!』

 の大合掌。ノリがよくてテンション高いな。こっちまで楽しくなってきた。
 スタンドで3万レイのケバブを食べるが全然足りないので、マガジンでお菓子を買ってぶらついていると、路地を入り込んだところに小さいけどマーケットを発見。これで服とか買えるかな。後で来よう。
 そんなこんなでぶらつきつついろいろ考えた結果、天気もそんなによくなく、今にも雨が降りそうだったので、少しでも見晴らしのいいうちに町の後背にそびえるブチェジ山に登ることに決めた。
 といっても今から軽装で2500メートルを越える山に自力で登るのは無理なので、宿の奥さんのお勧め通り、途中まではロープウェイを使う。

●ブチェジ山ロープウェイ
 ロープウェイ乗り場に向けて歩いていると、小学生の集団を乗せたバスが通りかかった。なんか子供達が僕を見て、窓から鈴なりに身を乗り出して手を振ってきた。アジア人ってそんなに珍しいんだろうか。そのうち一人の女の子が、両目の端を引っ張って細めの吊り目にしてみせた。残念、それは支那人(チノ)。こんなギョロ目でタレ目の日本人にそれをしても合わないよ。

 ロープウェイ乗り場で尋ねると、上には駅が二つあり、一つ目のホテルがあるCOTA1400までは運行しているが、その上のCOTA2000までは運行していないらしい。運行してないなら仕方がない。名前からして1400メートルのところにあるのかな。そこから山頂までは1100メートルか。どうしようかな。とりあえず行ってから考えよう。COTA1400までの往復チケットは7万レイ。
 このロープウェイの中でも、ひたすらずっとキスし続けているカップルがいる。町中どこにでもいるが、ここでもか。正直うらやましくはあるがそこまでは僕には無理だ。というかそれについて考えると物悲しくなってくるので他の事を考えよう。
 ロープウェイは力強く上昇し、下界がぐんぐん遠ざかる。眼前にパノラマというか、箱庭めいた眺めが広がっていく。緑濃い森のふもとに、いかにもヨーロッパ風の集落がある、コントラストが非常にはっきりしている眺めのせいもあるんだろう。とかしているうちにCOTA1400に到着。


●山頂を目指して
 COTA1400の周囲にはホテルも売店もあり、ここからでも十分見晴らしがいいので下を眺めたりして楽しんでいたが、気がつくと一緒に乗ってきた他の乗客は皆、どんどんずんずんと上を目指して登っていっている。ここからCOTA2000まででも2時間位かかるらしく、そこまで行くと今日中に城も見るのは無理になってしまうので、この辺を軽く散歩して下に戻るつもりだったんだけど、みんながラフな格好で当たり前のように登っていくのを見て気が変わった。ちょっとだけ、気の済むまでだけ行ってみようと登りだす。

 これがターニングポイントだった。山の上なのに思ったより寒くなく、天気がよくない割に見晴らしがそこそこあったのも響いた。元々、山登りは好きなので、登り始めると足が止まらなくなってしまった。ゆっくり歩く家族連れなどをどんどん追い抜き、がんがん登っていく。こうなったらもう、行くところまで行くしかない。
 

 小雨がちらちらしていたので、本降りになったら止めて下山しようと思っていたのにそうはならなかった。空気がやや薄いのか、体がなまりまくっているのか、あるいはその両方か、とにかくすぐに肩で息をしてしまう。情けない。が、足は止まらない。筋肉の疲労もさほどでもない。体が休憩を要求すれば別だが、それはまだ先のようだ。構わずぐいぐいと登っていく。すぐ前を歩いている革靴のおじいちゃんには負けられないという対抗意識も正直あったと思う。
 

 しばらく登っていくと森林限界を越えたようで、それまではある程度まばらとはいえ、黒々とした森の中を歩いていたのが、ある所を境にして、ただただ一面の草原と瓦礫が広がるのみになった。登ってきてよかった。こういう広がりのある景色には弱いんだ。


 森を抜けてから下界を見下ろしてみると、シナイアが山の中に開かれた町だというのがよく分かる。カルパチア山脈、か。
 今度は草原をひたすら登っていく。COTA1400の頃と比べると登り続けている人の数も減ったが、もう勢いが付いてしまっているから関係ない。ここまで来たら行くところまで行くしかない。
 このあたりは冬場はスキー場としても有名らしいが、なるほど何本かリフトが走っている。こんなところまで登ってきてスキーするのか。



 言われた通り、COTA1400から約二時間かかってCOTA2000に到着。まだここは斜面の半ばで山頂ではないが、もうすぐそこに稜線が見えている。こういう広い景色だと、遠くにあっても近くに見えるものだが、それでも見えているというだけで気持ちも違ってくる。
 COTA2000の山小屋での休憩もそこそこに、登りを再開する。目指すのはもちろん稜線。アンテナ塔や管理人の住居らしき山小屋が向こうに見えているが、それより何より、風がきつい。そして寒い。ここに来るまでぴりぴりと降ったり止んだりしていた雨も、ここでは風の冷たさが勝っているので降っているのかどうかすら分からない。さすがに疲れてきたが、もう足は止まらない。ただひたすらに、前へ、前へ。

 

●山頂地帯の景色と犬
 ついに稜線に辿り着いた。ここまで来ると、もう他に人はいない。それまで見えなかった、向こう側の風景が目の前に。


 ……思わず息をのんだ。その光景の、雄大さに。
 標高2500メートルという高地に、なだらかな盆地状の草原が、見渡す限り、視界いっぱいに広がっている。
 人っ子一人見当たらない、ただただ広いその景色を前に、強風に吹き晒されながら佇んでいると、寂しいような、清々しいような、どこまででも行けるような、もうここから動けないような、なんとも言えない気持ちが心を満たしていった。茫然自失と言っていいかもしれない。しばしその光景に目も心も奪われ、その場に立ち尽くしていた。



 ふと気がつくと、三匹の犬に囲まれていた。こんな山の上で何故? 首輪はしていないが、人には慣れているようだ。こんな山上の別世界で野良犬もないだろう。向こうに見える山小屋で飼われているのかな。三匹は目で僕に「食いもんおくれー」と訴えていた。たまたま朝マガジンで買ったバタークッキーがあったので、それをやる。おおー、三匹とも貪るように食べる食べる。手持ちのクッキーがなくなるまで犬達と遊んでから時計を見ると、午後二時半を過ぎたところだった。
 
 三匹はその後しばらく僕の後をついてきた。下山を始め、COTA2000を過ぎる頃まで。

●下山
 ここでは期待以上のものを見せてもらった。十分以上に満足だ。一日仕事になってしまったが、登って本当によかった。これでシナイアには最低もう一泊プラスになるが、後悔はない。
 気がつくと雨は止んでいた。が、下界の方は雲で覆われている。下では降っているのかな。雨があがっているので、山を下っていても気分がいい。雲というかガスというか、山肌に張り付いて移動しているので、それをよけたり見たりするのも楽しい。雲を上から見下ろすというのもそうはできない体験だ。
 
 この山を登っている間に2回、カメラのシャッターを頼まれた。一人でぷらぷらしてる奴は頼みやすいんだろうなあ。一回目は登っている途中にカップルが、二回目は下りの途中に若者の集団が。この二回目の集団、僕が足を止めて写真を撮っているのを見つけて声をかけてきたんだけど、実は声をかけてくる前に仲間内で話しているのがこっちまで聞こえていた。誰が僕に声をかけるか相談している中で、声をかける役に決まりそうだった女の子が 「I don't speak Chinese.」 って言っていたので、心の中で 「Me,too.」 と答えていたんだけど、やはり東アジア人イコール中国人なのね。言葉が通じるかどうか気にしながら、ものすごく緊張して声をかけてきたお姉ちゃんに英語で応答したら、えらく驚かれた。ルーマニアにいる中国人って英語喋らないのかなあ。
 

●シナイア、いい町です
 COTA1400を16時に出る便で8分、下山した。上と比べて、とても暖かい。それだけ山上が寒かったということなんだろうな。

 ロープウェイ駅下の土産物屋で地図を買い、売店で水を買い(ガス入りかガス抜きかを尋ねられた。ガス入りが好きな人もやっぱりいるんだ……)、宿に戻る。
 ちょうどボスが庭に面した倉庫で野菜の漬物みたいなのの樽を相手に作業をしていたので、もう一泊追加の旨を伝え、30万レイ追加で払う。建物の中に入るとおかみさんがニコニコして迎えてくれた。ええ、おかみさんのお薦めの通り、山に登ってきましたよ。楽しかったです、はい。宿の部屋は日中に掃除してくれていた。ゴミは片付けられ、ベッドもきちんとメイクされている。ありがとう。まだ四時台だったけど、疲れていたのでベッドに倒れこんで一服。どうせ今から城に行っても、5時までだから間に合わないし。

 日記を書きつつうとうとし、気がつけば六時前。まだ外は明るいし、せっかくだからマーケットに行ってみることにした。が、ここは午後六時で終わりらしく、行った時には続々と店じまいしているところだった。明日はもっと早く来よう。
 仕方ないのでマーケットの向こう、鉄道の線路がある方へと降りていってみる。特に観光的に見るものはないはずだが、そういう普通のところを歩くのもまた楽しい。ほどなくシナイアの中心から外れ、太い幹線道路に行き当たった。谷間を流れる小川に沿って鉄道と道路が走っている。この辺りになるとシナイアと言ってもリゾート地ではなく、元々の地の民家ばかりだ。道端で男の子と女の子が三人、遊んでいた。こっちに気がつくと、みんなしてじっとこちらを見つめてくる。こちらも見返すが、何をするでもなくただひたすらにじっとこちらを見つめてくるのでこっちも身動きが取れなかった。不審がられたかな?
 道を渡り、川や鉄橋を写真に撮っていると、先の子供のうち男の子のほうが近寄って話し掛けてきた。言葉が通じず、ジェスチャーで話すしかないのに、この物怖じのなさはラオス以来かな。その時、ちょうど線路の向こうから列車がやってきたのでカメラを構えたら、運転士さんが明るく手を振ってくれた。感じいいなあ。写真は失敗したけど。ひとしきり写真を撮ったり子供と遊んだりしているうちに、さすがに暗くなってきたので彼らと別れて中心に戻る。

 マガジンで買い物をして、昨夜と同じくブチェジレストランに行く。チョルバとチキングリル、ビールで12万2千レイ。チョルバのスープが特においしかった。ルーマニア料理って舌に合うかも。出る段になって言われた金額をぴったり払ったら、苦笑いされた。もしかして、今回は別にチップがいったのか? でも苦笑いされるということは、アジアの方ではチップの習慣がないことが知られているのかな。よく分からない。
 7時半から昨夜と同じくインターナショナルホテルへネットをしに行く。本当、ここのネットカフェは設備といい管理人のおっちゃんといい、居心地がいい。のでついつい長居してしまった。今日も閉店の時間を過ぎて10時20分、三時間弱遊んで代金を払おうとすると、三時間に満たないから二時間分でいいと言ってくれた。本来は分単位で支払う必要があるのだが、ありがたく好意に甘えることにする。ありがとう、おじさん。

 ホテルから宿への帰り道、のんびり歩く僕を追い抜いたカップルの男の方から「ジャパン?」と尋ねられた。そうだと答えると、何故かその兄ちゃん、ガッツポーズしていた。なんなんだろう。
 こういう小さな出来事のひとつひとつの積み重ねで、その町、その國の印象が決まっていく。今のところ、シナイアの印象は非常にいい。なんか状況が許せば沈没したくなるような町だ……。


ルーマニア 10月6日(日) シナイア

 東南アジアからヨーロッパに来て不便に思うのは、トイレに水桶が置かれなくなったことだ。……って、日本でもないんですがね。
 昨日ネットで調べたところによると、今日の最高気温、ハンガリーのブダペストは15℃、チェコのプラハは10℃、スウェーデンのストックホルムは5℃だそうだ。……いいかげん防寒具を買わないと。けど、シャツ系統は見かけるけど、トレーナー系統はあんまり見かけないような。楽なんだけどなあ。

 今日もスタンドでケバブの軽食の後、観光スタート。歩きだして早々に女の子二人連れの物乞いにぴったりとついて来られて少々閉口したけど。
 今日はかつて離宮として建てられた、古城群の観光だ。メインストリートから山に向かって登るように伸びる道を歩く。一昨日訪れたシナイア僧院を過ぎたあたりから観光客の姿が増え、土産物の屋台も増えてきた。目指す古城群はこの先、山すその奥まったところにある。
 土産物屋を見ていると、ふっと欲しくなったりするが、この旅の性質上、嵩張る物、壊れる物は買えないんだよな。と思って見ると、買えそうなものが何もなかった。十字架ブーメランがそこここで売らていたのには笑ったけど。屋台のおっちゃんがデモンストレーションで飛ばし、それを子供達が夢中になって追っかけている光景は微笑ましい。

 城が見えてきた。いくつかのタイプの異なる城が、狭い範囲内にまとまって建っている。ペレシュ城の壮麗な建築、ペリショール城のシックな木造建築などが色濃く黄葉した樹々の間に聳え立つ様は見事の一言。この時期にここへ来たのは絶妙のタイミングだったかもしれない。城のたたずまいが周囲の景観と実にマッチしていて美しい。故チャウシェスク大統領が別荘にしていたというフリショール城は閉ざされていたけど、他のが見られただけでも十分だろう。



 はじめは城を外から眺めるだけでいいやと思っていたのだが、せっかくここまで来たのだからと思い直し、入れる所は入ってみることにした。入館料はペレシュ城7万レイ、ペリショール城5万レイ。まずは近い方のペリショール城へ。黄葉した樹々のトンネルを抜けていく。

 森を背景にするのではなく、森の中に建てられているペリショール城。元々は狩猟用だったというこの城は、外見はシックだが中は豪華らしい。
 ……ってあれ? 入れないぞ? 他の観光客も同じように外で待っている。待てばそのうち入れるのかな。しばらく経って、ようやく扉が開けられた。ああなるほど、この城の見学はガイド付きなんだ。当然ルーマニア語なんて挨拶程度しかできない僕は、英語ガイドのいる集団へ引っ張っていかれた。


 内部に入ると、木造建築なので歩くたびにギシギシときしむのが面白い。ヨーロッパの城でもこんな造りのものがあるんだ。保護のためか元々か、いたる所にカーペットが敷いてあり、それを守るために全員、靴の上からカバーを装着させられた。なるほど、靴を脱ぐ習慣のないところではこうするんだ。
 で、中に入る。ガイドさんは事細かに、壁にかけてある肖像画の一枚一枚まで説明してくれる。これは王子で何年に生まれ、何年にガンで死んだ、等々。そして順路に従って進んでいく。王の寝室、王妃の寝室、子供の寝室、客の寝室、朝食の間、24人が一同に会して食事できる夕食の間(映画でよく見るような、異様に長い食卓テーブルの実物なんて初めて見た)、派手すぎて僕なんかには落ち着かないダイニングルーム、天井のステンドグラス、等々……。一度は実物を見てみたかったけど、もうおなかいっぱいです。なんかげんなりしてしまった。

 続くペレシュ城は、近くに行って外から見ただけで「もうええわ」という気分になってしまったので、チケット売場に戻って払い戻してもらった。すいませんねえ。外から見る姿はきれいでいい感じなんだけどなあ。


 疲れた体を引きずって町の中心部に戻ってきたのが昼の一時。おや、まだこんな時間か。
 スタンドでハンバーガー(2万レイ)とホットドッグ(1万レイ)の昼食。とりあえず一息入れに宿に戻る。予想以上に時間ができてしまったので、服とかの買い物にマーケットへ行ってみよう。でもここのマーケット、規模が小さいからどこまで期待できるかな。
 行ってみた。……なんで3時でもう店じまいを始めてるんだ? 早朝マーケットというわけでもないだろうに。下着3枚6万レイ、トレーナーXXLが12万レイ、真冬用ジャンパーXXLで50万レイ。うーむ、このジャンパーは失敗だったかも。50万レイ(約1800円)という安さにつられて買ってしまったけど、ちょっと大きすぎるし、真冬用なので今はとても着られない。嵩張るから扱いにも困るし。まあ、ここから先は北欧をはじめ、寒いところに寒い時期に行くだけだからなんとかなるか。買い物についてはこれから先、いくらでも機会があるだろうから一旦置いておこう。
 ついでに昨日と同じく、観光地ではない普通のシナイアの町中をぶらぶら。こういう景色は落ち着くなあ。
 

 シナイアで見たいところは大体まわったので、これから先どこに行くかを考えないといけない。まだルーマニアを抜けてしまう気にはならないが、ドラキュラ城で有名なブラショフ、世界遺産都市シギショアラ、同じくルーマニアの田舎マラムレシュ、候補地はたくさんある。うーむ……。
 とりあえずは近くて有名なブラショフに行こうかと駅へチケットを買いに向かうが、駅舎を目にしたところで気が変わった。手持ちのガイドブック『地球の歩き方・中欧編』は一冊で中欧全体をカバーしているために見所はかなりはしょられており、これだけで行先を決めるのは情報不足だ。せっかく今はインターネットという旅人の武器があるんだから、もっと情報を調べてから決めようと思い直す。行きつけのインターナショナルホテル一階のネット屋に方向転換。

 今日は回線が遅いそうだが、仕方ない。腰を据えてかかろう。『地球の歩き方』で紹介されているサイトから見始める。うーむ、中欧の紹介ページは穴だらけなんだよなあ。ブカレストで会った女の人が言っていたゲルラーの村って、ウルルン滞在記で扱われた所なのか。パス。ルーマニア観光局のページ、各種掲示板、個人旅行記のページなどを見ていくが、全体的にブラショフはあまり名前が出てこない。そんなに印象的じゃないのかな? 代わりによく出てくるのが黒海五つの修道院シビウシギショアラマラムレシュあたりか……。かなり遠いところも多いな……よし、この中で一番近いシギショアラに行こう。観光地化されてるようだけど、ヴラド・ツェペシュの生家を含む世界遺産地区のある町だし、楽しそうだ。それから時間があればマラムレシュかな。
 うーん、メール以外で久々にインターネットが役に立ったかも。訪問候補地のホテルリストなんてものもプリントアウトできたし。ネット上に地図がないのは仕方ないけど。ネットカフェのおっちゃん、今日は回線が遅いから半額でいいよって、いつもいつもおまけしてくれてどこまで人がいいんだ。なんか申し訳ないな。こういうのでルーマニア人の印象がどんどんよくなっていくんだよなあ。

 外に出ると、すっかり夜も更けていた。もう11時近い。
 今日はずいぶんと寒い。霧雨まで降っていて、さすがに冷えてきた。日曜の夜遅くだし、人通りもすっかり絶えている。こんな時間に宿に戻る事が多いけど、危険は感じないよなあ。道端では例によってルーマニア人カップルがお盛んだ。
 それはともかくさすがにお腹が空いたので、この時間でもやっているマガジンスタンドに行く。もうすっかり顔を覚えられてるよ、ははは。まあこんな場所で深夜に日本人が何回も来たら、そりゃあ覚えるわなあ。店のおっちゃんお薦めのルーマニアビール、Hopfen Konig (ホプフェン・コニグ)を買う。since1681というから相当なものだ。創業321年!? そりゃ凄い。ついでにファンタとスナックも買って帰る。この国ではビールは同量のジュースと同じ値段だ。発泡酒じゃなくてれっきとしたビールなのに。酒税のシステムの関係だろうけど、なんか嬉しい。


ルーマニア 10月7日(月) シナイア

 寝る前にビールを一本飲んだだけなのに、どういうわけかえらくまわってしまった。途中で何度も目が覚める浅い眠りで9時間。
 そして起きて外を見ると、雨。
 これ以上ないというくらいきっぱりとした、本降りの雨。参った。
 おかみさんがやって来て今日でチェックアウトするのかと尋ねてきたが、旅立つ気分じゃなくなったので外の雨を指し、「ワンモアナイト」と。

 このまま部屋に篭っていても虚しいので外に出ようとしていると、おかみさんが傘を貸してくれた。ありがとう。
 まずはマーケットに行き、折り畳み傘(5万レイ)と手袋(2万5千レイ)を購入。傘はともかく、手袋はちょっと高かったかな。
 いつものスタンドでケバブの朝食中、野良犬が寄ってきた。食べ終わって包みをゴミ箱に捨てようとしたところに飛びついてきて、包み紙をぱくり。おいおい、がっつきすぎ。牙が手に激しく当たったけど、まあこの犬はおかしい様子もないし、僕も日本を出る前に狂犬病の注射を打って来ているし、大丈夫だろう。

 傘を差して雨の中をシナイア駅へ。駅に着くと、シナイア到着時に見かけた日本人旅行者の女の人がいた。一年以上旅している米山さんという人で、旧ユーゴスラビア一帯も回ってきたらしい。よかったそうだけど、そこまで回る時間はちょっとないなあ。彼女はこれからブラショフに行き、その後一気にブダペストまで動くらしい。僕がシギショアラに行くつもりだと言うと、ルーマニア国鉄の時刻表を取り出して調べてくれた。ありがとう。どうせ暇なので、彼女の列車が来るまで一時間ほどいろいろと話し、ブラショフへ発つのを見送った。
 その後チケットを買おうと窓口に行くが、ここでは発車の一時間前にならないと発売しないらしい。また明日だな。

 天気は相変わらず悪いし、特にする事もなくなった。のでぶらぶらと歩き回る。幹線道路沿いの道、かなり昔に宅地開発されたらしい住宅街。
 
 大体巡り終え、マガジンでお気に入りのチョコレートと200mlのペットボトル入りウォッカを購入。このウォッカなんて1万7千レイで買えてしまった。少量とはいえ、こんなに安くていいのか。

 ともあれ今度こそ靴を買うべく、再度マーケットに足を向ける。
 と、顔なじみになったマーケットの露店のおばちゃんの一人が
「ベトナム? シノ(支那)?」
 と尋ねてきた。ベトナムって言われたのは、ベトナム以外では初めてだよ。それはそうとこのおばちゃん、中国のことをシノと言うんだ。ルーマニアではチノだと思っていたけど。違うよと首を振る。
「コリア?」
「ネー、ジャポニャ」
 と答えると、なんか受けていた。微妙なルーマニア語が面白かったのかな。あるいはここまでの会話、僕は自分の出身国を尋ねられてると思ってたけど、どこの製品が欲しいのか尋ねられていたんだったりして。

 地図を出して日本はここだと説明する。そこから世界地図を見ながらわいわいと盛り上がったのだが、おばちゃんの一人が
「私の父さんはここの出身よ」
 とはしゃいで地図の一点を差した。
……アナディリ?
 僕の持っていた地図は日本語でしか書いてないので声に出して読み上げると、そのおばちゃんは嬉しそうに頷いた。
「そうよ。私はロシア人なの」
 そこはロシアの東端も東端、アラスカに程近い所だった。全然イメージできないよ……凄いところが父祖の地なんだな……。


(帰国後調べたところによると、この地はチュコト自治管区と言い、首都のアナディリでも人口13,000人しかいないらしい。日本の国土の倍程の面積を持ちながら、人口は2002年当初で73,800人。毎年500人以上が転出していく、ロシアで最も過疎化が進んだ地域で、経済も最低レベル。道路インフラも整備されておらず、移動は飛行機・船・ソリだとか。)

 昨日ジャンパーを買った露店のおばちゃんとすっかり仲良くなったので、このおばちゃんから運動靴も買うことにした。が、サイズが合うものがなかなか見つからず、次から次へと試したが結局見つからなかった。すると隣の店に出向き、そこから次から次へと持ってくる。悪いね。僕が普段履いているサイズの「26.5センチ」は、こっちのサイズだと単位は知らないけどなんせ「44」らしい。
 なんとか見つけ、買ったのはHAODELI 製。……ってどこの國のメーカーなんだ? HAOってあるし、21万レイ(800円程?)と激安で買えたし、中国製かな……やっぱりそうだった。あと三ヶ月ほど、帰国までもってくれればいいんだけど、やたら安いし中国製だし、正直不安。
(後でブランドショップでリーボックの靴を見たら、100万〜350万レイ(約3,600円〜12,600円)と、日本と大差ないいい値段だった。この国の物価で考えるとえらい値段だよなあ。)

 昨日から色々買ってるけど、アジア製のものが多い。ヨーロッパまで来ているのになあ。ってここで買った折り畳み傘、日本製って書いてあるじゃないか! 意外。
 安かったので、少々野暮ったいけどインド製のボールペンも購入。予備が必要になってきてたんだ。

 その後レストランでパパナッシュ(ルーマニア風揚げドーナツ)とチョルパ・デ・ブルタ(酢が入った牛の胃袋スープ。ルーマニア名物のチョルバ<スープ>のうち、定番メニューらしい)を食べる。まずまず。
 もうすることがないし、まだ四時と早いので再度マーケットに行き、後はおばちゃん達とだべって過ごす。最後に残っていたみんなと写真を撮りあって遊んだ。
 
 みんな笑顔、笑顔。生きているといろいろあるけど、少しでも笑える時間を増やせるように生きていきたいものだ。


ルーマニア 10月8日(火) シナイア →(ブラショフ)→ シギショアラ

●さらばシナイア
 いつもと同じく9時半頃に起き出し、リュックに荷物を詰める。今日は移動だ。
 しかし防寒具を買った分、荷物が増えた。予備バッグもフルに使えばかろうじて持ち運べるけど。もっと寒くなってジャンパーを常時着るようになるまでの辛抱だ。リュックのレインカバー、先代の小さいリュック用のだからきついなあ。どこかで機会があれば買わないと。

 列車までまだ時間があるので、荷物を置いてぶらりと歩きに出る。
 いつものスタンドでいつものケバブを食べ、いつものインターナショナルホテルでいつものようにネット。そうしてこの数日で顔なじみになった人達に別れを告げ、宿に戻る。
 大小二つのリュックを体の前後に背負い、出発。ボス、おかみさん、お世話になりました。


●鉄道の旅:ヨーロッパの中のヨーロッパ
 時刻は2時。ちょうどいい頃合いだ。駅に行き、切符を購入。目指すシギショアラまでは特急料金と合わせて17万9千レイ。

 列車は予定時刻からわずか三分遅れで来たし、コンパートメントの席も空いている。このコンパートメントがシナイア駅からの乗客の割り当て分ということなのかもしれないけど、いい感じ。向かい合わせの6人掛けで、僕の他には兄ちゃん一人、二人連れの姉ちゃんの計四人。


 車窓から見えるブチェジの山々がきれいだ。黄葉・紅葉している森の上に、岩山の奇峰群がにゅうっと突き出し、最上部には少し雪がかかっている。さらにその上に軽く雲がかかっている様は実に幻想的だ。あの上まで登ったんだよなあ。山の眺めだけで言えば、シナイアのひとつ北の駅辺りからが一番いいかもしれない。このあたりはいい眺めが続く。列車は山あいの谷間を、せせらぎのきれいな小川に寄り添うようにしながら進んでいく。周囲に広がるのはいかにもヨーロッパ的なとんがり屋根の民家と畑の田園風景。いいなあ。
 車両もきれいだ。車内音楽を流すためのスイッチまである。同じコンパートメントの兄ちゃんがスイッチを入れて音楽を流すが、東南アジアでよくあったような騒ぎ立てる曲ではなく、雰囲気もいい。
 プレデアル駅を過ぎたところで広がったパノラマがまたよかった。眼下一面に広がる山と森、その間を縫う自然なカーブの川と道。コントラストが絶妙で、この景色には感動した。ルーマニアの自然はまだ人の手があまり入ってないからこんなにきれいなんだろうなあ。このあたりから長いトンネルが出てきだし、カーブ、坂、鉄橋と山岳地帯を進んでいることを実感する。やがてそれらを抜け、広い平地が広がった。と思ったら程なく町が現れた。ドラキュラ城ことブラン城で有名なブラショフだ。なるほど、これは栄える立地だ。

 しばしの停車の後、列車はブラショフを発つ。向かいに乗り込んできた夫婦にポテトチップをおすそ分けしてもらった。気さくな人が多いなあ、ルーマニア。
 ブラショフを出てすぐ、列車は再度田園地帯に入った。この辺りの村は丘のふもとにあり、赤い屋根に白い壁、尖塔のある教会のを中心に、周囲に密集しているというパターンが多い。家々の間にも樹々が繁っていて、まるで森の中に集落があるように見える事もしばしばだ。やはりアジアとは違う。山や丘も、牧草地や畑になっていても基本的に元の地形を保ったままだ。森も下生えが少なく、すっきりとしている。村の家々から夕餉の煙が立ち昇りだした。放牧されている羊の群れ、人を乗せてとことこと進んでいく馬車、木がまばらに生える、牧草地の丘。僕がまさにヨーロッパの田舎としてイメージしていた景色が、ここにあった。

 そんな中を、ブラショフからシギショアラまでノンストップで飛ばす特急列車。確かに途中に停車するような町も見当たらなかったけど。17時20分、シギショアラに到着。降りなきゃ。車窓から見た感じだと、なんか寂しい。人口3万7千人だからそんなに大きくないとは思っていたけど、それにしても。駅が町外れにあることもあるんだろうな。

●世界遺産都市シギショアラ
 ホームに降り立った途端、声がかかった。
「Hello!」
 何かと思ったら、プライベートルームの客引きだった。素早いなあ。できればプライベートルームに泊まりたいと思っていたから丁度いい。声をかけてきたのは若い兄ちゃんの二人連れだった。こういう時、若いと逆にちょっと警戒してしまう。世界遺産に登録されている旧市街(シタデル)の中にあるプライベートルームで、一泊26万レイだそうだ。多分値引き可能なんだろうけど、面倒臭いからそれでいいや。他のプライベートルームの客引きは見当たらないし、まずは部屋を見せてもらおう。
 兄ちゃんと英語で雑談しながら歩いて行く。ここトランシルヴァニア地方の者は皆ブカレストが嫌いだそうだ。なるほど。プライベートルームまでは歩いて10分ほどとのことだったので、駅前からタクシーに乗って行こうと誘われたが、断って歩いて行く。兄ちゃんはタクシー代は宿代に含むから気にしなくていいと言っていたが、ごめん、いきなりそこまで警戒心を解くことはできないよ。初めての町は自分の足で歩いて雰囲気を掴みたいというのもあるし。
 ……やっぱり、10分というのはサバを読んでいて、実際には20分ほどかかった。こういうのは世界共通だ。川を渡り、城壁らしきところを登っていった先は、確かに旧市街らしい風格のある街並みだった。



 案内されたのは看板も何もない、本当に普通の民家だった。兄ちゃんは築500年とか言っていたが、だとするとヴラド公の時代からわずか数十年後に建てられたことになる。が、それもありなんと思ってしまう建物だ。とはいっても実にしっかり建てられていて、石壁がやけに分厚い。この家はこの兄ちゃんの家の別棟らしく、普段は誰も住んでいないそうだ。

 部屋は3人部屋のドミトリーだったが、今は他に宿泊客はいないらしい。ま、今は観光シーズンでもないしなあ。宿帳を見たら、僕で今月に入って四人目の客だった。このペースだと、ほとんどシングルルームだな。というか、この建物全体が宿なので、超短期の借家って感じだ。部屋の一角にでんと鎮座しているストーブと暖炉の中間のようなテラコッタが興味深い。

 それはともかく、もうすっかり夕方なので、早いとこシギショアラの地図を手に入れ、食事を摂らないと。二人のうち一人の兄ちゃんがここの担当のようだ。というか、ここの代表らしい。ラーレッシュという名の彼は観光客の相手も慣れているようで、日本語で「キュウシガイ(旧市街)」とか言ってくる。一通りこの宿について説明を受け、大時代な鍵を玄関と扉にかけてから町歩き開始。

 もう大分薄暗くなってきているが、一人でぼうっとしていても寂しいだけなので、行けるところまで行こう。ラーレッシュが店やなんかが色々あって賑やかで楽しいと言っていたセンター(中心部)をめざすことにする。

 
 それにしてもこの旧市街、本当に中世の町並みそのままだ。実に雰囲気がある。コンクリートやアスファルトの混じらない、完全な石畳の通りは、道の真ん中に向かって低くなっており、真ん中に排水溝が通されている。建物だけじゃなく、目に入る全てから歴史の重みを感じる。のはいいんだけど、どうも道を間違えてしまったようで、気がつくとひっそりとした住宅街に出てしまった。えーと、ここはどこだ?
 旧市街は元々城砦の内側だったので、小高い丘の上に作られていて、新市街はその周囲、丘のふもとに広がっている。旧市街の東の端にはランドマークになる時計塔があり、道路は時計塔の下をくぐって下へ伸びている。時計塔のすぐ脇に、ドラキュラのモデルとして有名な串刺し公ヴラド・ツェペシュの生家がある。この日は公開はしてなかったけど。


●差別意識?
 時間が悪いのか、歩いた場所が悪いのか。地図が欲しいのに本屋を見かけない。ツーリストインフォメーションかトラベルエージェンシーならと思ったが、見かけたのはどことも午後5時で閉まっていた。シギショアラに着いた時点でとっくに閉まっていたのではどうしようもない。

 それにしても、今の暗くなってきた新市街にはマナーがなっていない者が目につく。
 チッチッと舌を鳴らしてこっちの注意を引いて喜んでいる女連れの兄ちゃん2人。
 数人で固まって遊んでいる子供の一人が大声で「グッドアフタヌーン!」と叫んでくるのはいいんだが、その後ろで他の子供達はこっちを見ながら憎々しげに地面に唾を吐き捨てていたりする。声をかけてきた子供も明らかにただの度胸試しで、僕が反応するかどうかで遊んでいるだけだ。しかもその子供達、次から次へと順番に叫んでくるし。参った。なんで非友好的なのにこっちに関わってこようとするんだろう。
 あと、僕を見るなり「サヨウナラ!」と叫んできた兄ちゃんもいた。さっきの子供達と同じだ。やっぱりこの町にはそこそこ日本人が来てるようだ。
 道を歩いていると脈絡なくこっちを見て「チノ!」と吐き捨てられることなんて、多すぎて何回あったか途中から数える気も失せたし。侮蔑の意が露骨に感じられて感じが悪い。
 とまあ、かなり印象の悪い新市街だったが、物乞いの子供はヨーロッパには珍しく、腰が低かった。その分粘り腰だったけど。
 それにしても、二人の姉ちゃんを連れた大柄な兄ちゃんが「この2人の写真を撮らないか」と言ってきたのはなんだったんだろう。「もう暗いからいい」と断ったけど、写真代を請求するつもりだったのか、売春の客引きか。

 そろそろ暗くなってきたし、新市街はもういいから旧市街に戻ろうと思って歩いていたら、仕事中っぽいジャケットの兄ちゃんが「今何時ですか?」と尋ねてきた。ルーマニア語だったけど、ジェスチャーで意味は分かる。なるほど、腕時計をしている者の少ないルーマニアでは、旅人に尋ねるのが確実だよなあ。
 マガジンで軽食にチップとチーズ、水を買ったら「フィリピーナ?」と言われた。おお、ついにフィリピンまで出たか。これで東アジアで言われてないのはブルネイとインドネシアくらいだな。

●夜闇のシギショアラ
 旧市街に戻りながら気付いたが、この町には常夜灯がないのかな。午後7時、完全な日没とともに通りが真っ暗になった。これはちとやばいかも。旧市街の中も同じように、いやそれ以上に真っ暗だ。

 家から漏れ出る明かりくらいしか頼れるものがない。懐中電灯も持っていないし、これはもうレストランに行くのはやめてまっすぐ帰ろう。こんなことならさっきのマガジンでハム・パン・バターあたりも買っておくんだった。旧市街の中は店の前以外は本当に真っ暗だ。この町の安全性に確信が持てない今はうろつかない方が無難だな。どうせもう数件のレストランくらいしか開いてないし。

 ここまでのシギショアラの印象は、プラスとマイナスが両極端に別れている感じだ。ラーレッシュやマガジンのおばちゃんはすごくフレンドリーで感じが良かった。ルーマニアというよりは世界遺産都市だから、観光客ずれしてる面があるのかな?
 しかし、地図が入手できなかったのは痛い。夜が暇だという以上にここのイメージが掴めないし、プランが立てられない。せめてネットカフェの場所が分かればなあ。明日ラーレッシュが来たらネットカフェの場所とこの町の夜の安全性を尋ねよう。この分だと、明日は町歩きだな。最低限、地図と列車の時刻表を入手しなければ。
 それにしても、この外の暗さはどうしたわけだろう。正直怖いんですが。ブカレストでもシナイアでもこんなに暗くなかったのに。これがルーマニア平均なのかな。 などと思いながら外を見ると、今さらながらに道路に灯りがつきだした。時計を見ると8時。なんなんだ? もう今さら出かけなおす気にもならないからもういいけど。

 さすがに寒いので、シャワー上りにテラコッタを点けてみる。ガスに点火した炎が轟々と音を立てて燃え上がる。炎の盛大さの割にはなかなか暖かくならないので調べてみたら、このテラコッタ、全体が分厚い陶器製だった。簡単には暖かくならないわけだ。しばらく待っても暖められた空気が部屋の中に出てきている様子がなかったのでよく見ると、熱気を送り出しているはずのパイプが壁の中に入り込んでいる。まさか、壁の中にパイプが巡らせてあるのか? こんなんで暖かくなるのかと思っていたら、次第に部屋全体がほんのりと暖かくなってきた。こういう暖房方式もあるんだなあ。燃料の消費効率はあんまりよくなさそうだけど、部屋全体がじんわりと暖かくなるこの感じは快適だ。うん、いいな、これ。

 それにしても、こうやって広い部屋で一人で寝ていると、一人の寂しさが身に迫ってくるなあ。


ルーマニア 10月9日(水) シギショアラ →メディアーシュ→ ビエルタン →ドゥンブラバン→ シギショアラ

●予定は未定、朝のシギショアラ
 昨夜は早々に寝たのに、朝の6時・7時・8時に教会の鐘が大きく鳴り響いたのに起きられず、結局9時過ぎまで寝ていた。
 外の通りにも人通りはほとんどなく、静かなものだ。10時半、ラーレッシュが来た。とりあえず昨夜の一泊分を払おうと50万レイ札を出すと、お釣りがないというので両替を兼ねて、一緒にツーリストエージェンシーへ。ラーレッシュはこの間高校を出たところで、今はアートグラフィックの大学に通っているらしい。若いと思っていたら、本当に若かった。煙草を吸っているが、この国では18歳以上が喫煙可能年齢なので問題ないとか。
 ツーリストエージェンシーに来たついでに、2万5千レイでシギショアラの地図を購入。地図依存症の僕もこれでやっと人心地がついた。
 さらについでに、ここから近くにあるという世界遺産のビエルタン(Biertan。ビェルタン?)への行き方を尋ねると、そこに行くバスも鉄道もないと言う。タクシーで15ドルだって? ちょっとシャレにならない額だな、それではとても行けないや。

 旧市街から離れ、だいぶ鉄道駅の方に来ていたので、ついでに駅まで足を伸ばして列車の時刻を調べておくことにする。ここのインフォメーションでも念のためにビエルタンへの行き方を訊いてみると、行くには大きく二つの方法があるらしい。え、行けるの?
 ひとつはメディアーシュ(Medias)まで鉄道で行き、そこからバスに乗る方法。もうひとつはドゥンブラバン(Dumbraveni)まで鉄道で行き、そこから歩く方法。ドゥンブラバンからだと数キロ程度の距離らしい。それくらいなら確かに歩けるな。そっち方面への列車は、11時40分にRAPID(快速)が、13時20分に普通があるらしい。ちなみにドゥンブラバンには普通列車しか停まらないとの由。
 
 うーむ。どうしようかな。ラーレッシュはシギショアラもビエルタンもいい所なので、可能ならどっちも見るべきだと言っている。行けるものなら行きたいな。

 学校に行くというラーレッシュに駅前のインターネットカフェを教えてもらって別れる。まだ11時になったところなので、この後シギショアラに戻るか、ここまで来てることだし思い切ってビエルタンに行ってしまうか考えながら、ネットカフェに入る。が、パソコンには日本語フォントが入ってなかったので、入れていいか尋ねたら答えは「Nu」。駄目ですか、仕方ない。お金の手持ちも心許ないし、朝から何も食べてないので空腹でもある。どうしようかなあ。
 でもせっかくここまで来てるのだからと、マラムレシュバイアマーレ方面への時刻表がないか、再度駅のインフォメーションに行って尋ねてみる。駅の人と話しているうちに、流れで全国版のCFR(チェフェレ。ルーマニア国鉄)の時刻表を5万レイで買うことになった。ルーマニアは気に入ったし、時刻表を眺めるのも好きだからちょうどいい。

 早速中を見てみる。ルーマニア全土の路線図が載っているが、かなり細かいところまで走っているようだ。まだまだ建設・計画中の路線もあるようだし、実は鉄道王国だったりするのかな。



●日本人の会釈、しばしの同道
 時刻表を買ったことで勢いがついた。タイミングもいいので今日このままビエルタンに行くことに決め、切符購入。11時40分発の快速列車なので、乗車券19,000レイ+RAPIDチケット6,100レイ。
 発車までの20分ほどをホームで待とうと中に入ると、向こうのホームにルーマニア人男性とバックパッカーっぽいアジア人女性がいる。日本人かな? 会釈してきたので会釈を返す。日本人のようだ。旅先では日本人と話したがらない人もいるけど、この人は大丈夫そうだ。そちらへ行ってみると、その女の子が
「日本人だよー」
 と大受けしていた。アジア系だけど日本人じゃないと思ったが、念のために会釈してみたら返してきたので日本人だと分かったらしい。
「会釈を返すのは日本人だけだからねー」
 と。ううう、どうしてこう、僕って日本人に見てもらえないんだろう……。

 彼女は高木さんといい、僕と同じ列車に乗るらしい。11時40分の列車はハンガリーのブダペストまで行くのだが、そこまで一気に動くのだそうだ。ルーマニア人男性は今朝まで泊まっていた宿のスタッフで、見送りだとか。サービスいいなあ。しかし、ヨーロッパに入ってから出会う一人旅の日本人は女性ばかりだ。東南アジアで会うのはほとんど男性だったのに。偶然だろうけど、不思議。
 僕の泊まっているラーレッシュの宿が一泊8ドル(26万レイ)と聞いて、高木さんは宿のスタッフと
「安いねー」
 と言い合っていた。
「プライベートルームでドミ部屋だからね」
 と言うと納得していたから、普通のホテルに泊まっていたのかな。

 そんなこんなで話していると、列車が来た。ガラガラで、空のコンパートメントがいくつもあった。おかげで気兼ねせず、久しぶりに思い切り日本語をしゃべることができた。
 僕は根っからの関西人だけど、丁寧に話そうとすると逆に関西弁ではなくなるらしい。出身地を言うまで、関西人だと思われてなかった。お互いの旅の話をするが、最初にシナイアがお気に入りだという点で意見が合い、話が弾んだ。ドイツ人は差別するとか、旧ユーゴは良かったとか、いろいろ聞いたが、僕がルーマニアはこの後マラムレシュに行って抜けるつもりだと言うと、
「えー。スチャバいいよ。五つの修道院。行けるなら行くべきだよ!」
 と熱心に語られたので心が動いた。こういう出会い、こういう一言で予定が一変してしまうのが気ままな旅の面白いところだ。そんなにいいのか。なら検討してみよう。
 などと話していたらあっという間に27分が過ぎ、メディアーシュ駅に到着。高木さんと別れ、外へ。気をつけて、よい旅を。


●どこにある、ビエルタンへの道
 さて、ビエルタン(Biertan)行きのバスは、と……。駅前にバス停があったので行ってみると、ちょうどトロリーバスがやって来た。トロリーバスなので郊外のビエルタンまで行くとは思わないが、尋ねてみる。すると、
「それならアウトガレ(AUTO GARE、バスステーション)に行かなきゃ。すぐそこだから乗って行きな」
 と言ってくれた。公共交通機関なのにタダでいいらしい。ありがとう。アウトガレは本当にすぐだった。駅前広場を過ぎて回り込んだところ。100メートルくらいしか離れてなかった。見えてなかったから乗せてもらって助かったけど。

 アウトガレには何台かバスが発車準備をして停まっていた。あの中のどれかだったりするのかな。急いでチケットカウンターのおばちゃんに尋ねてみる。おばちゃんは例によって英語が分からないが、こういう用件なら地名が言えて数字が書ければなんとかなる。
 え、ビエルタン方面行きのバス、次は16時発? 12時20分発のがあったけど、出たところらしい。時計を見ると、12時27分。タッチの差だったんだ……。
 仕方ないので待合室の壁にもたれてCFRの時刻表を調べてみると、ドゥンブラバンに停まる普通列車がメディアーシュ発12時34分にあるじゃないか!

 急いで鉄道駅に戻って切符を買おうとするが、一つしかない切符売場の窓口の前には人がぎっしり。ルーマニア国鉄は手作業で硬券の切符を発券するから時間がかかるんだよなあ。これでは無理だ。なすすべもなく、定時に出て行く列車を見送った。ルーマニアの交通機関は時間が正確だよなあ。いいことなんだけど……。

 仕方がないので頭を冷やそうと、メディアーシュの駅前近辺の散策に出る。駅前が栄えているから歩きでがあるなあ。観光地ではないためか、人がスレてない。物珍しげに見てきて、目が合うと笑顔。これが本来の姿なんだろうなあ。ぐるっとまわって鉄道駅に戻る。さて。
 16時発のバスだと今日はビエルタンに泊まるしかなくなるが、シギショアラの宿がややこしいことになりそうなのでそういうわけにもいかない。もう今日はやめようかとも考えたが、まだ時間もあるので駅前にたむろしているタクシーの運ちゃんに一応聞いてみることにする。もちろんここでも英語は一切通じないので、筆談だ。
『Medias → Biertan  ?』
 と書いた紙を渡すと、
『300,000』
 とのこと。安くはないけど、考えられないことはない値段だな……。今日行くことに決め、交渉開始。25万レイで成立。

 タクシーの運ちゃんは気のいいおっちゃんだった。言葉は通じないけど乗っていて楽しかった。
「ジャポン? コリア? チャイナ?」
 日本が最初に出てきたよ。なんか嬉しい。
 この国を走っている車は、国産のDACIAと韓国のDAEWOOが多いようだ。古い車が圧倒的に多く、そもそも通行量がそんなにない。自動車自体、馬車よりは多いけど圧倒的とまではいかない印象だ。その割に道路はよく整備されている。そんな中をタクシーは快調にかっ飛ばしていく。メディアーシュの市街地を抜けたら交通量がガクンと減ったので、タクシーはさらにスピードを上げた。車は幹線道路を離れ、ビエルタンへと通じる谷へ入っていく。雰囲気が一変し、道が急に田舎の太めの農道になった。谷といっても幅は広く、天気もよく、周囲の緑豊かな眺めが快い。やがて、前方に古そうな集落が見えてきた。ビエルタンだ。

●世界遺産、ビエルタンの要塞教会
 ビエルタンは世界遺産のわりに、全然観光地っぽくなかった。トランシルヴァニア地方の七つの村の要塞教会が世界遺産に登録されていて、その一つのはずなんだけど……。
 タクシーはその要塞教会の前で停車した。要塞というだけあって、丘の上に作られている教会は、ふもとにも塀が巡らせてあり、攻めるのはてこずりそうだ。
 
 教会の前の広場には誰も居ない。平日だし、タクシーで時間をずらして来たからかなあ。運ちゃんはわざわざ降りて、僕に要塞教会の入り口まで案内してくれた。ありがとう。ここ、チケットはいらないのかな。誰もいないし何もないし、入り口は開け放してあるし。中に入り、木でできた回廊状の廊下を上っていく。
 
 しばらく続く階段を上りつめた先は、内塀に守られた丘の上の教会だった。人っ子一人いず、静まり返っている。こういう雰囲気は好きだ。聖人の棺を集めた塔とか、木製の塔なんてものもある。

 

 ここから見下ろすビエルタンの町は美しかった。シギショアラとはまた違い、いかにも地方の村の風情がある。こぢんまりと固まった村の背後には、うねりながら広がっている畑と山々。いいなあ。村では犬が吠え、家々の煙突からは煙が立ち昇っている。こんな平和を絵に書いたような村でも、中心のここが要塞教会で、防壁に囲まれているってことは、かつては剣呑な土地だったんだよなあ。不思議な感じがする。

  
 ここからの眺めの動画もよければどうぞ。WMVファイルで7秒です。
 機械仕掛けの鐘が時を告げた。と、それに合わせたかのように、ツアー客が大挙してやって来た。ドイツ人かな? ビエルタンは中世に入植してきたドイツ人が作ったものなので、その関係もあるんだろうか。さっきまでの静謐さはどこへやら、にわかに騒がしくなった要塞教会を後にする。

●変わるものと変わらぬもの
 
 ビエルタン自体がいい感じの町並みなので、教会の周りをぐるりと巡ることにする。昔はどこでもこうだったんだろうなという、ヨーロッパの農村の風景が息づいている。中世ドイツ風の村だが、1989年のルーマニア革命をきっかけに、この村にいたドイツ人の多くはドイツ本国へ渡り、今は住民の一割にも満たないそうだ。
 
 馬車で道行く人の姿も、ここでは何の違和感もなく周囲に溶け込んでいる。教会の周囲といいつつ、気がつけば村の中を気の向くままに歩き回っていた。村の家屋も雰囲気があっていい。また、村の中を流れる小川の水のきれいなこと。いい気分で町中の散策を終え、教会前の広場に戻って一息。ふう、ビエルタン、堪能しました。

 ここからシギショアラに戻るのに、タクシーは見当たらないので、メディアーシュにバスで戻るか、ドゥンブラバンまで歩くか考える。ドゥンブラバンまでは数キロほどだったはず。
 その前にいいかげん腹ぺこなので広場の近くにあったマガジンに入るが、食料品がなかったのでジュースを買う。ついでにドゥンブラバンの方向と距離を尋ねる。……10キロ? さすがにちょっと遠いかな……。メディアーシュ行きのバスはついさっき出発したところで、次は17時15分までないらしい。今はまだ14時だから、3時間も待つのはちょっとなあ……。どうしようかな。

 学校帰りらしい二人の女の子がこっちを見て手をふってきた。ふり返すとよほど嬉しかったらしく、何度も何度も振り返り振り返り、手をふりながら去っていった。いいなあ、こういうの。
 マガジン前で遊んでいる男の子の一人が「コンニチワ」と言ったと思ったので振り返るが、どうも違うようだ。ルーマニア語の「ブーナズィア(こんにちわ)」を聞き間違えたかな。目が合うと笑いかけてきたので話しかける。言葉は通じないが、そこを悪戦苦闘しながらコミュニケーションを図るのが楽しい。



 別のマガジンでクロワッサンとビスケットを買う。やっとごはんにできる。広場のベンチに腰掛けてクロワッサンを食べていると、犬が寄ってきた。こういうこともあろうかと買っておいたビスケットを放ってやる。どこかの飼い犬かな? ビスケットを食べたら後は大人しく控えていた。
 と、女の子が二人、隣のベンチにから興味津々の態でこっちを見ているのに気付いた。目が合ったので笑いかけると、一人が話しかけてきた。
「ジャポニヤ?」
 これまでチノだのコリアだの言われてきたが、やっぱり一発で当ててくれると嬉しい。彼女達の写真を撮ってデジカメのモニターで見せてあげると大喜びだった。つくづくデジカメはいいコミュニケーションツールだ。



 ようやく決心がついた。歩いてドゥンブラバンに行くことにする。違うルートで帰った方が面白いし。
 谷の口の方へと歩き出すと、ほどなくバス停が現れた。そこにはバス待ちの小学生の集団がいたのだが、僕を見るや否や、
「ハロー!」「ハロー!」「ハロー!」
 と皆で手をぶんぶん振って呼びかけてきた。声と態度で大体の気持ちはわかるよなあ。呼ばれるままにそちらへ足を向ける。外国人が珍しいのだろう、みんなの目がキラキラしている。彼らは僕と同じく英語が少し話せた。僕がシギショアラに戻るところだと知ると、口々に
「ドゥンブラバン行きのバスなら当分ないよ」「今から行くならタクシーだよ」「メディアーシュ行きのなら五時過ぎに来るよ、ドントウォーリー」
 などと言ってくる。ありがとう、参考にさせてもらうよ。君達はビエルタンの学校に通ってるの? 家はどこにあるの? この枝分かれした谷の奥にあるんだ、そう。バスを待ってるんだね。
 などと話しているうちに、彼らの乗るバスがやって来た。バスはかなり混んでいたが、ここで大勢の乗客が降りた。時間的なものだろう、学生の姿が多い。降りた者もバスに乗り続けている者も、こんな所にいる日本人が珍しいのだろう、あからさまな好奇心をこちらに向けてくる。が、その視線には温かみがある。いいなあ、ルーマニアの田舎って。


●ドゥンブラバンへ、旅は道連れ世は情け

 バスに乗って子供達が去っていき、人気もなくなったところで時計を見れば14時40分。あと2時間も待っていられないので、再び゛ドゥンブラバンを指して歩き出す。10キロ程度なら問題なく歩ける。ドゥンブラバン発16時43分の便に乗れるかな? 間に合わなくても18時58分のには乗れるから気は楽だ。

 天気がいいので気持ちがいい。広がるトウモロコシ畑を横目に、のんびり歩いて行く。
 
 ビエルタンの集落を出外れて10分も行った頃だろうか。後ろからやって来た一台の乗用車がクラクションを鳴らして停まった。「どうしたの?」なんてものじゃない。「何してるの、さあ乗って!」てな勢いで、一人で車を運転していた女の人がドアを開けて呼びかけてきた。これもヒッチハイクになるのかな。ありがたく乗せてもらう。
 このお姉ちゃんもドゥンブラバンに行くところだったので、ちょうど良かった。車はかなりのスピードでかっ飛んでいく。この分だと、まさかの15時34分発に間に合ってしまいそうだ。

 この人(名前は聞いたが失念)は妹さんがドイツにいるので、英語よりドイツ語の方がいいんだけどなと言いつつ、僕が唯一コミュニケーション可能な英語で色々話してくれた。
 車は15時10分には駅に着き、お礼なんていらないわよと笑顔で手を振って去っていった。ありがとう、助かりました。こういう出会いが旅の楽しさだなあ。


●ドゥンブラバン駅、ラテンの陽気さと懐っこさ
 シギショアラまでの切符を購入、16000レイ。
 ホームには学生が大勢いて、思い思いに列車待ちの時間を過ごしている。駅の背後に小さな集落、あとは見渡す限り畑ばかりだけど、近くに高校か大学でもあるのかな。空いたベンチに腰掛けて列車を待っていると、一人の女学生が話しかけて来た。こんなローカルな駅に現れた、見知らぬ日本人が珍しいのだろう。

 この子がよくしゃべる子で、片時もじっとしておらず、向こうにいる彼氏らしき兄ちゃんとこっちの間を行ったり来たりしながら、次から次へと話しかけてくる。どこから来たのか、何語が喋れるのか、カラテか、ジュドとジュードーのどっちが正しいのか、ルーマニアはどうだ、どんな本を持っているのか、日本語の表記はこっちとは違うから変な感じだ、なぜ他の国ではなくルーマニアに来たのか、一人で来たのか、家族はどこにいるのか、等々、等々。まさに立て板に水。とは言っても英語のレベルは僕と大差なく、もどかしい会話になったのはここでも同じだったけど。好奇心を瞳にたたえ、本当に楽しそうに話してくるので、質問攻めもしんどくなかった。


 この子達はメディアーシュに帰るところだそうだ。僕も同じ所に行くのなら、まだまだ話し続けたそうだったが、メディアーシュ行きの列車が来たのでここでお別れ。彼女達は列車が発車して姿が見えなくなるまで、列車の窓から手を振り続けていた。



 すぐ後に僕の乗るシギショアラ行きの列車もやって来た。ホームが低いので、車両に乗り込むのが一苦労だった。車両は予想通り、結構ボロい。
 乗客はのどかなもので、みんなにこにこと笑いかけてくる。雰囲気いいなあ。それはいいけど車掌さん、切符のチェックをしなくていいの? これではキセルし放題なんじゃ。とかしてるうちに、夕方が迫ってきたシギショアラ駅に到着。

●二度目のシギショアラ散策
 ホームに下りると目の前に、朝、高木さんを見送りに来ていたホテルの兄ちゃんがいた。また別の客を見送りに来ていたのだ。向こうも僕を覚えており、せっかくだから自分のホテルを見るだけでも見に来ないかというので行く。駅から歩いてそう遠くない、旧市街からも歩いていける距離にあったそこは、ユースホステルだった。ということは、今のラーレッシュのプライベートルームって、ユースの1ベッドより安いってことか。
 ユースを辞し、宿に戻りながら思うが、高木さんも言っていたけど、シギショアラはいい所だけど、あまり長居するって感じじゃないんだよなあ。


 昨日と同じマガジンで夜食用のパンとジュースを買った帰り、まだまだ明るいのでぶらぶらと旧市街を散策する。


 ビエルタンにいたツアーの人達とここでも出会った。やはりシギショアラに宿を取っているんだろうな。城壁を見た後、旧市街の中心の教会を目指してぶらぶらと歩いていると、小学生くらいの女の子が何人か、城壁や塔のあちこちに貼ってあるプレートを探し、メモして駆け回っていた。学校の課題か何かかな。
 
 旧市街の中心、一番高い所をまだ見てなかったことに気付き、足を向ける。ここにも長い木のトンネル状階段があった。ただしこっちは直線だ。上にはお墓と教会が。やはりビエルタンと同じだ。
 
 ふう、シギショアラの旧市街はそんなに広さもないし、ヴラド公の生家も外からだけど見たし、これで大体満足したかな。時計塔の時報の仕掛けも見れたし。



●一日の終わり、シギショアラの夜
 夕暮れの迫る中、今度は旧市街の丘から降りて周囲の新市街を歩きながら夕方の風景をカメラに撮りまくる。うまく撮れてるかな。

 
 今日の夕食は、ラーレッシュが3日前にオープンしたばかりだと教えてくれたピザッツァに行く。ビール、ピザ(何のスモーク肉を焼いてるんだろう)、カルボナーラスパゲッティで、しめて14万4千レイ(+チップ6千)。おいしかった。ピザなんてチーズたっぷりで焼いてるのに、日本のそれと違ってあんまりくどくないし。後で知ったけど、シギショアラはルーマニアの中ではピザッツァがおいしくて有名な町らしい。道理で。


 宿に戻ってシャワーを浴びて一息。今日は本当に楽しい一日だった。ルーマニアのいい面にもいっぱい触れることができたし、満足だ。こういう日があるから旅はやめられない。
 それにしても朝買ったシギショアラの地図(という名のパンフレット)を見ているが、いいのかこれ……。ドラキュラを前面に押し出すのは理解できるけど、ユースホステルの宣伝写真に、ベッドルームやシャワールームはともかく、何でトイレ……それもごつつい兄ちゃんが全裸で……。感性の違いなのかなぁ……。



  


ルーマニア 10月10日(木) シギショアラ → ブラショフ → シナイア → ブラショフ →

ルーマニア国鉄CFR路線図
●行き先決定
 6時の教会の鐘で目が覚めた。さすがサマータイム、まだあたりは真っ暗だ。
 これから先どこに行こうか考えながら身支度を整え、のんびりとラーレッシュが来るのを待つ。

 やって来たラーレッシュに当初の予定通りマラムレシュに向かうのと、昨日高木さんから聞いて急に候補に上がったスチャパに行くのと、どちらがいいか尋ねてみた。彼が言うには、マラムレシュももちろんいいが、スチャバはいいよと。特にいいよと。二人から言われてしまったら、これはもう行くしかないでしょう。ルーマニアの滞在予定が一週間延びてしまうけど、仕方ない。元々観光客は90日までならビザなしで滞在できるんだし。

 ルーマニアの北東部にあるスチャバに行くには、一度首都のブカレストまで戻らないといけないのかと思っていたが、時刻表を見るとブラショフからでも向かえるようだ。しかも、ブラショフ発スチャバ行きというおあつらえ向きの夜行列車まである。よし、これに決めよう。ラーレッシュ曰く、ブラショフの駅の中はちょっと危ないから気をつけたほうがいいとのこと。忠告、感謝。

 時間があるのでラーレッシュとしばし雑談をする。ルーマニアの有名人には誰がいるかという話になり、故チャウシェスク大統領体操のコマネチドラキュラ伯爵ハダジ(サッカー選手)だとのこと。うーむ、サッカーには詳しくないからハダジは知らないけど、確かにそれらは日本でも有名だ。それにしても、ドラキュラ伯爵のインパクトがどれだけ大きかったかということでもあるよなあ。
 去る際にラーレッシュにここまでの感謝を込めて、日本のTシャツをプレゼントした。どうせこれから先は寒い地ばかりだし。

●ブラショフへ

 シギショアラ駅に行ってブラショフまでの切符を購入。これから親知らずが生えてくるよう歯医者に行くらしいラーレッシュも時間を作って見送りに来てくれた。ありがとう。

 13時35分の二階建て特急に乗ってブラショフへ向かう。

 車中のコンパートメントで同室になったのは、二人のおっちゃん。いや、一人はおじいちゃんかな。例に漏れず、まず「キノ?」「コリア?」と尋ねてきたが、日本人だと分かると投げキッスつきで
「ラブ、ジャポネ!」
 と来た。ラテンのノリだなあ。
 次いでおじいちゃんの方が何事か一生懸命言ってくる。始めは何を言ってるのか全然分からなかったけど、よくよく聞くと
「エンペラー・ヒロヒトがルーマニアに来た」
 と言っていた。え、昭和天皇が? 冷戦時代かその前か知らないけど、そうだったんだ。そういや最近も、皇族の中欧歴訪があったっけ。このおじいちゃんはビッグイベントとして、ちゃんと名前を覚えてくれているんだ。僕もこれから、日本に他国の王族や大統領が来たら、少しは覚える努力をしよう。
 などと僕達がどうにか会話をしている間、おっちゃんの方はパン、ハム、ゆで卵を取り出して食事にしている。作業にナイフを使うのはいいけど、ゆで卵を殻つきのまま真っ二つにして、黄身と白身をナイフでくり抜き、ナイフの先に乗せたまま口に入れる食べ方は初めて見た。

 そんなこんなでのんびりとした空気に包まれて、ブラショフ着。一度通過したから見当はついてたけど、大きい駅だ。

●ブラショフにて
 駅の預かり所にリュックを5万レイで預け、行動開始。
 まずは今夜のチケットを押さえようとするが、買えない。寝台チケットでも発車一時間前にならないと買えないようだ。仕方ないので、かなりある待ち時間を潰そうと駅の外に出る。

 近代的で雑多で、正直あまり良くない雰囲気も感じる。事前にラーレッシュからそう聞いていた先入観もあるんだろうけど……。気分が乗らないので、バスに乗って市街地に行くのはやめにした。そんな僕の横を、東洋人の技術者っぽいおっちゃんが、スーツケースを手に歩いていった。目が合うとどちらからともなく会釈したので、高木さん流に解釈すれば日本人だろう。

 やはりここでもプライベートルームの客引きが何人か寄ってきた。僕が今夜の夜行でブラショフを出るというと、泊まらないのを承知の上で、
「列車の時間は分かるか? 一時間前からチケットを売り出すからな」
 等、親切に教えてくれた。そんな中の一人、ガブリエルという兄ちゃんが、
「うちにはよく日本人が泊まるんだ。昨日は三人いた」
 と言うのでその日本人の名前を尋ねると、サイン帳を見せてくれた。ドラえもんが書いてあるそのページ、アキ&シュウって……ブラショフに五泊したって……ブカレストまで一緒だったカップルに間違いない。今日シギショアラに向かったらしいので、ちょうど入れ違いになったようだ。そうなると残る一人はシナイアで会った米山さんだろうか。こういうちょっとした繋がりを感じるだけで嬉しくなる。

●予定外のシナイア再訪
 列車の時間まで暇なので、ネットでもしようと駅近くのネットカフェに行くが、日本語×のくせにタバコ○だったのでやめ。とはいえ、列車が出る夜の10時まではまだ6時間以上ある。これから夜だから特に見てまわることもできないし、やっぱり市街地に出てネットカフェを探そうかと思ったが、その前にふと思いついて時刻表を調べてみた。ビンゴ。

 1600発の普通列車に乗り、先日滞在していたシナイアに向かうことにする。ネットをするためだけに。料金は片道23000レイ。バスで10分も行けば市街地に出れるというのに、こんな行動を取る奴なんて他にはいないだろうなあ。でもこの機会にもう一度シナイアに行っておきたくなったんだから仕方ない。

 もう慣れたけど、普通列車はガラガラだ。8人掛けのコンパートメントに1人か2人ずつくらいしかいない。それにしてもルーマニアの鉄道って、トンネルがやけに暗い。長いトンネルでもトンネル内はもとから照明がなく、車内も明りをつけないので真実真っ暗闇になってしまう。防犯的にも安全的にも大丈夫なのかなあ。
 車窓風景というものは同じ路線でも、列車のグレード、時間、気分によって全く別のものになる。この風情の違いが面白い。ゆっくりと進む各駅停車だと、道が、谷が、人の暮らしが、近い。そうやって着いた、しばらくぶりのシナイア。といってもわずか三日ぶりなのに、黄葉が見事な紅葉に変わっていた。きれいだなあ。

 スタンドやマーケットに寄ってから、馴染みのホテルインターナショナルでのんびりとネット。やっぱりここはいいわあ。係のおじさんもいい人だし。
「シギショアラに行くと言っていたのに、どうしてまた戻ってきたんだ?」
 と尋ねられたけど。無理もない。
 夜8時になり、20時36分発の列車でブラショフに戻ろうと席を立つ。係のおじさんが
「Take care & Have a good trip!」
 と見送ってくれた。ありがとう。
 と、ここでナップサックのダイヤルロックを紛失したのに気付き、探していたら20時20分になった。このホテルからシナイア駅まで、僕の足で普通に歩くと20分はかかる。これまでの経験で、ルーマニアの鉄道は比較的時間に正確なのは分かっている……。
 いやあ、走った走った。リュックを持ってなくて正解だった。駅まで8分で駆け抜け、その勢いのままチケット売り場の姉ちゃんに
「ブラショフ!」
 と叫ぶが、お姉ちゃんは電話で雑談しながらのんびりとチケットを発券。まあ確かに、まだ時間はあるけどさあ。

 改札をくぐり、入線してくるはずの3番乗り場へ跨線橋を渡って移動。時計を見ると20時34分。まだ2分ある。よし、間に合った。
 ……えー……と、なんでこのホーム、無人なんでしょうか? 夜でもブラショフ行きに人がいないはずは……いないなあ。列車も来ないし……。20時40分まで待っても、他の乗客も列車も来る気配がない。あれ? そこで駅に掲示してある時刻表を見ると……やってしまった……。20時21分に列車は行ってしまった後で、次の列車は2116までないんだ。そりゃあ人気もないし、窓口の姉ちゃんものんびりしているわけだよ……。

 僕が乗る予定の寝台列車がブラショフを出るのは22時48分だから、大体定刻通りに着けばいいけど、そうでないとブラショフで一泊するか、突発的に他の町に行く夜行に乗るかしかなくなってしまう。仕方ない。

● I'M HEFIN DRACULA!
 定刻より五分早くやって来た列車に乗り込む。最初に入ったコンパートメントでは、先にいたおっちゃんに困った顔をされた。この車両は夜を徹して走り続けるのだが、今から寝るところだったようだ。慌ててまだ起きている隣のコンパートメントに移動。程なく二人組の検札がやって来た。

 僕を見て一目で日本人と分かったようで、やけにオーバーリアクションで
「ジャポネ!」
 と驚かれた。まあ確かに、日本人がいると思える列車とタイミングじゃあないけど。
 二人のうち、太って年配のほうの人はかなりの日本好きらしく、僕の向かいに座って話し込んできた。って仕事はいいのか?
「カタナ、カタナ、サムライ!」
「オー、ジュードー、コードーカン!」
 などと知っている日本語で話してくる。もちろんそれだけでは会話にならないので、途中から英語を使って話しだした。
「刀は一本いくらくらいするんだ、5000ドル以上か?」
「柔道してるのか。ブラックベルトか? 何段なんだ?」
 段位制度まで知ってるよ。旅行者に対する興味というだけでなく、本当に日本が好きらしい。
「日本の映画も見たぞ。セブンサムライとかスカイ&グランドとか。素晴らしかったよ!」
 それぞれ『七人の侍』と『天と地と』かな。
「君は25歳位か? 30歳? それで仕事がなくて結婚もまだ、ガールフレンドもいない? オー、なんてこった!」
 ……それはさすがに放っといてくれ……自覚してるから……。
 そんなハイテンションで陽気な彼だったが、僕の前職の月収が2000ドルくらいだったと知ると、
「俺は今、月収120ドルだよ……」
 と寂しそうに言った。彼は38歳だそうだけど、物価の違いがあるとはいえ、やはり格差は大きいな……。

 その人との話はかなり盛り上がった。おかげで同じコンパートメントにいた乗客や、検札の同僚の若い人は半ばあっけに取られながら笑っている。
「ルーマニアは気に入ったか? そうか、それは良かった。ならルーマニア人のガールフレンドを作らないのか? ここで働かないのか?」
 さすがにそれはちょっと無理ですよ。僕がスチャバに向かうつもりだと知ると、
「そこにはいい修道院がある、いい選択だ」
 と賛同してくれた。これはいよいよ期待しても良さそうだ。
「日本はいいよなあ。特に芸者はいい。今度会ったらルーマニア人を紹介するから、芸者を紹介してくれよ」
 彼が同僚と話している間に、このあたりの会話をメモしておこうと日記を書いていると、ノートを覗き込んでペンごと奪い取り、記念だからとサインを書きだした。英語は分からないから綴りを教えてくれと言いながら。二行目はルーマニア語とのチャンポンで、ドラキュラの息子と書いてあるらしい。茶目っ気ありすぎ。


「ドラクラ一族の力、見せてやる!(この車掌さん、自分はドラクラ伯の孫だと連呼していた。末裔の一人なのか、洒落なのかは分からないけど) お前もサムライスピリッツを見せてみろ!」
 となんだか脈絡のないことを言いながら腕相撲を挑まれたりして大騒ぎしていたら、それを聞きつけて他の乗客まで見物に集まってきて、さらに本格的な大騒ぎになってしまった。陽気な人達だ。こういう一時を味わうと、旅していて良かったと心底思う。
 腕相撲の勝負は勝ったり負けたりで互角に近かったために何度もすることになり、最後には車掌さんも僕も疲れてしまい、暗黙の了解で互角に組み合って力を入れるフリをしながら休んでいたら、もう一人の車掌さんがそれを掴んでぐらぐらと揺さぶって
「あんたら、フリだけで力入れてないやん」
 とオチをつけ、まわりがどっと沸いたところでやっと終了。

 最後に賑やかに記念写真を撮った後、車掌さんたちは仕事に戻って行った。


●日本の知名度
 まだブラショフまでは時間があるので、同席しているコンパートメントの夫婦と話す。さっきの騒ぎで僕が日本人だと分かっているので、自然と話題は日本のことになる。
「日本には有名な、きれいな山があるよね。なんと言ったかな……」
 とご主人が悩んでいると、奥さんが助け舟。
「マウント・フジでしょ」
「そうそう、それだ! 確か日本語ではフジサンだったよな」
 有名なんだなあ。ちょっとびっくり。その後も夫婦の間で日本の話題が続いていた。ルーマニア語は分からないけど、会話の中に「トーキョー」とか混じっていたし。
 そういやさっきの若い車掌さんも「ムサシマル、タカノハナ、チャンピオン」と大相撲のことを知ってたし、僕が想像するより遥かに日本は知名度があるらしい。ルーマニアでこんなに知られているとは思わなかった。
 この夫婦と話を続けていると、旦那さんの知り合いがブラショフにいるんだが、その奥さんが1985年に世界体操で優勝したジバンだとか。ジバンという選手はよく知らないけど、さすがは体操王国ルーマニア。ジムナスティは至る所にあるんだなあ。

 などとわいわいやっていると、あっという間にブラショフに着いてしまった。こんなに楽しい列車なら乗り続けたい位だが、そうもいかない。
 列車から降りると先の車掌さんも降りていた。ブラショフまでの勤務だったそうだ。
「気をつけろよ。スチャバまでの夜行列車はあまり柄が良くないからな。騒いで飲んで賭博して。寝れないかもしれないから気をつけてな」
 ありがとう。本当にいい人だ。

●夜汽車は行く

 時間は十分間に合った。が、22時48分発のチケットを買うのも余裕だろうと思って売り場に行くと、既に寝台は売り切れていた。座席車しかないのでそれを買うが、248,000レイって安すぎ。
 発車時刻が近いのでとっととホームに上がる。なんか暗いなあ。大丈夫かな? 既に入線していた列車に乗り込むと、車内は普通のコンパートメントだった。定員八名のコンパートメントに、乗客は僕と中年夫婦のみ。これは助かったかも。

 発車してしばらくは、向こうも外人、それも見慣れぬ東洋人と一緒ということで緊張していたが、すぐに打ち解けることができた。この辺の心安さがルーマニアが好きな点の一つだ。
 とはいえこの夫婦は英語がさっぱりなので、ガイドブックの会話集を指差しながらのジェスチャー会話しかできなかったけど。時刻表の路線図を指差しながら、この町はいいよとかの話で時間が過ぎていく。
 夜も更けてきて、そろそろ眠ろうかという時間になった時、夫婦は僕にコンパートメントのシートを一列使って体を伸ばして寝なさいと言ってくれた。三人だから座ったまま寝る気でいたんだけど、いいんですか? 有難うございます。
 というわけで、心配していたような柄の悪さも全くなく、座席夜行では考えられる限りの快適さで眠りにつくことが出来た。シートの長さが日本のクロスシート座席とは段違いなので、コンパートメントを一列使うと体を普通に横にできるのがありがたい。
 それにしても、移動だけなのに色々あった一日だった……。


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