ほろほろ旅日記2002 9/21-30
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トルコ 9月21日(土) イスタンブール
窓のすぐ前が壁で外の光があまり入らない部屋だったので、9時に目が覚めた時も薄暗かった。安い部屋だからなあ。
共同トイレ(当然トルコ式なので、東南アジアでもおなじみの手動水洗式)の水は当然冷水なので、さすがに冷たい。これからトルコ東部に行ったとしたら、もっと寒くなるんじゃなかろうか。耐えられるかな。
ごそごそして、昼前にやっと外に出る。一晩ぐっすり寝たおかげか、足の痛みも結構ましになっている。
エミノニュ方面へとうろついていき、スィルケジ駅を覗いてから屋台でパン(48万リラ)を買って食事。ついでマクドナルドの店頭で売っていたドンドゥルマ(粘りの強いトルコアイス。35万リラ)を食べる。噂には聞いていたが、伸びるというより溶けにくくて固いという感じだ。マクドが片手間に売ってるものだから、本物の味とは違うのかもしれないけど。
しかし、涼しい。早く慣れないと体調を崩しそうだ。
マレーシアで買った「Malaysia」Tシャツを着て歩いていると、やたらと「マレーシア人か?」と声をかけられる。違うってば。確かにマレーシアにいた時からしょっちゅうマレー人と間違われていたけどさあ。まぁ、冷静に考えればトルコをうろついているマレーシアTシャツを着た人間が日本人というのはちょっと変かもしれない。ならいっそ、ラオスのやつを着てやろうか。でもあれはランニングシャツだから、この気温では着てられないか。
日本語を話す土産物屋の兄ちゃんにつかまり、焼き物とカーペットを売り込まれる。本当にイスタンブール名物なんだな。
買う気が微塵もないのできっぱり「土産は買わない」と言うと「面白いね。バイバイ」と。日本語の捨て台詞まで覚えてるのか。
ネット屋に寄ってから外に出ると、四時。日没まではあと三時間ほどか。観光名所は早いところだとあと一時間で閉まる。今日はもうじっくり観光することは出来ないな。とにかくスルタンアメフット地区……というか、トプカプ宮殿の周囲をざっと歩いて回るか。
うーん、さすがに見所が多いから、後日じっくり来た方が良さそうだ。それでなくても有名な観光スポットなうえ、裏手がバックパッカー的に有名な安宿街なものだから、日本人と見ると声をかけてくる者が多いこと多いこと。残念ながら、僕は何も買う気がないし、そろそろエミノニュの方に戻りたいから、相手している時間もないんだよ。手にした「地球の歩き方」か顔立ちで日本人と見る者6割、着ているTシャツからマレーシア人と見る者4割くらいな印象。うーむ。
ともあれエミノニュに向かって歩く。勝手な印象だけど、やっぱりトルコの女性って、反則的にかわいい子が多い気がする。男は正直そうでもないんだけど。洋の東西が混じっているせいかな。トルコの女性がきれいだなんて、事前情報ではなかったのになあ。
イスタンブールは海沿いなのに空気が乾いていて、雲一つない青空が、高く、遠く広がっている。そう、この街の空は広いんだ。
またこの街、どこを取っても絵になる。いわゆる「いい所」だけじゃなく、そこらの当たり前の景色を切り取っても。これには驚いた。
さすがは観光都市イスタンブール。ツアー客の多いこと多いこと。日本人、西洋人等人種を問わず、ツアーバス、ツアー集団、ツアー、ツアー。本当に多い。こんな大勢の観光客、久しぶりに見た。
2・3時間歩いただけで、足が疲れてしまった。痛めている左足首のせいかな。それとも最近、歩く量が減っていたからか。
もう時間がないので宿に近いエミノニュ周辺で見れるところということで、ガラタ橋のたもとにあるイェニジャミイ(ジャミイとはイスラム寺院のこと。モスクと同じ意味と考えていいのかな)に行った。噂に違わず、ハトがいっぱいだ。通行人もたくさんいるけど、それに負けてない。
ジャミイでは、入り口前の階段に群がるハトに夢中になって餌をあげている女の子がいた。なんかすごく絵になっていたので、写真を撮らせてもらった。
次いでイェニジャミイのすぐ裏にある、こじんまりしているが活気のあるエジプシャンバザール(香辛料で有名らしい)に入る。
狭い路地にぎっしり詰まっている人の波をかき分けて進み、入り口が分かりにくいリュステム・パシャ・ジャミイへ。しかし本当にここの入り口は分かりにくい。観光は基本的に考慮してないのだろう、看板や表示があるわけでもなく、おかげで周囲を二周してしまった。まさか、塔へ上る入り口がそうだったとは。
いわゆる正面口が、このジャミイでは上層階に作られているんだ。ジャミイの中には祈りを捧げている信者の方々がいたので気後れしてしまい、人の波が引くまで入り口脇で親を待っていた女の子と遊んで過ごした。でもこの子、どうしてカメラを向けたらパンをくわえるんだろう。
その後で中に入らせてもらう。青くて静かできれいで、宗教建築らしくて落ち着くところだとは思ったけど、ガイドブックにある「息をのむ青タイルの美しさ」はよく分からなかった。やはり美術方面は苦手だ。
そして一日の締めくくりに金閣湾をまたぎ、旧市街と新市街を繋ぐガラタ橋へ。
さすがは有名な観光スポットだけあって、すごい人の数だ。ってん? 釣りをしている人も多いな。近所のイスタンブール市民の憩いの場でもあるようだ。新市街を見ればガラタ塔、旧市街を見ればリュステム・パシャ・ジャミイ。奥を見れば金閣湾が続いている。どちらを向いても見応えのある景色ばかりだ。
個人的な嗜好からいって、都会で景色に息を呑むことはないと思っていたんだけど、ここにはやられた。ここまで来たら日没まですぐなので、有名なイスタンブールの夕焼けを見てやろうと大量の人々と一緒にガラタ橋の上で時間を潰す。
そして日没がやってきた。やられた。ほぼ水平なイスタンブール旧市街の向こうに沈んでいく夕日、シルエットとなって浮かび上がるジャミイ。なんでこんに広いんだろう。同じ夕日のはずなのに、シーパンドンのそれとは全く別のものに映る。が、これはこれで壮大な美しさだ。夢中になってシャッターを切るが、僕の腕とコンパクトデジカメの能力でどこまで切り取れるだろうか。
7時半、ホテルに戻る。日本人客が誰も居ないので一人で食事に出る。
「歩き方」に載っていたHATAYレストランに行くが。えー……庶民的……なの? ビール一本250万リラ、ドリンクヨーグルト100万リラ、ケバブ400万リラ。サービス料を入れてしめて800万リラ。約5ドル。安いとは思えないんですが。これが相場なのかなあ。
ついでにぶらぶらとして、9時半に宿に戻る。昨日もいた、ぎっくり腰で静養しているコアな日本人旅行者が一人、ロビーにいた。どうもこの人は苦手なんだよなあ。旅慣れてて僕の話が面白くないのか知れないけど、こっちの話には基本的に反応せずに軽く流し、すぐに彼の旅の話になってしまう。まともに会話する気あんのかな、この人。早々に切り上げて、部屋へ。
トルコ 9月22日(日) イスタンブール
8時に目が覚めた。まだ眠かったので二度寝しようかと思ったが無理だっので、洗濯をすることにした。流しで洗い、干そうと屋上に持って上がると丁度いたおかみさんが干してくれた。ありがとう。今日もいい天気だ。
●博物館巡り
今日はトプカプ宮殿に行くことにする。なんと言ってもイスタンブール最大の観光スポットだ。ここまで来て、かつて繁栄を極めた大帝国の中心を見ておかない手はない。歩いていく道すがら、国立考古学博物館の入り口にさしかかった。入館料を見ると、500万リラ。行く気は全然なかったが、案外安いので行きがけの駄賃に見ていくことにした。
なんというか、トルコというよりはロゼッタストーンぽいものやらリキヤの石棺やら、ここから中東・エジプト方面の遺跡からの出土物を展示してある印象で、オスマントルコ帝国時代の領土の広さがしのばれる。ちなみにここの博物館はカメラのフラッシュが禁止されているだけで、撮影はOKらしい。
加えて夥しいと言ってもいいくらい多量の彫刻が展示されているのだが、そのうちの相当数が首を落されたり顔を潰されたりしている。むしろそうなっていて当然と言わんばかりの数だ。これは当時のキリスト教の関係か何かでされたんだっけか。ふいに廃仏毀釈という単語が頭の中をよぎった。
そうやって見ていくうちに、ガイドブックにも必見と書かれているアレキサンダー大王の石棺の前にやってきた。正直あまり期待しないで来たのだが、その期待は見事に覆された。紀元前に作られたものとしては信じられないくらい保存状態がよく、そこに施されている彫刻も見事なものだ。左端に彫られているのがアレキサンダー大王の姿らしいが、威風堂々としたものだった。これを見れただけでも来てよかった。
並びにある古代東方博物館、装飾タイル博物館も一緒に見て回る。日曜日なのに人も少なく、落ち着いて見て回る事ができた。トロイの木馬とか面白いものもたくさん見れたし、予定外だったけどいいものが見れてよかった。
●壮麗絢爛、トプカプ宮殿
さて、いよいよ本日のメイン、トプカプ宮殿へ。さきほどの博物館のすぐ隣なのに、こっちは黒山の人だかり。えらい違いだ。
トプカプ宮殿の観光は、本体部分、ハレム、宝物館の三つに区切られていて、入場料はそれぞれ1500万リラ(約9$)。さすがに高すぎるので、ハレムと宝物館は断念して、本体部分のみにする。それでもかなりの部分が見て回れるので、十分なはずだ。入場チケットには入り口となる送迎門が実際にあるのと同じ姿で写っていた。
中に入ると、まずトプカプ宮殿の模型が出迎えてくれた。この立地は素人目にも軍事的に重要だと分かる。金角湾からボスポラス海峡まで望む事ができる小高い丘の上。古来、東西の交流路の重要な中継地点であり、ここを抑える事が肝要であったのがよく分かる。
中庭を取り巻くように建てられている、かつての厨房などを改造した展示室を見ていると、支那製か日本製か、日本でも床の間に飾ってあるような置物が展示されていた。一般家庭にあるようなのとは価値が段違いなんだろうし、オスマントルコの交流範囲の広さを示すものなのも分かるけど、なんか苦笑いしてしまった。ヨーロッパの観光客なら、これを見てオリエンタリズムを感じるんだろうなあ。
これだけの広さと重厚さを持つ石造の宮殿だけあって、重厚さとともに歴史の重みを感じる。精緻な象嵌や彫刻をふんだんに使った巨大宮殿。ここがかつて世界一の大帝国の中心だった事が、肌で感じられる。この雰囲気は凄い。
宮殿の外れの方、かつての馬屋の場所では美術展が開かれており、2001.9.11のニューヨークの一件がテーマになっているようだった。ここは宮殿の他の部分とは違って人も少なく、静かだった。観光客のツアーコースからは外れているんだろうな。
豪華絢爛というのは、ここを表現するためにある言葉なのかもしれない。そう思うほど、このトプカプ宮殿は素晴らしい。僕は基本的に派手なもの、壮麗なものには興味がないはずなのに、ここには圧倒されてしまっている。
広々とした緑豊かな庭園を抜け、博物館として公開されているかつての宮殿へ。
展示舘の中に入る前に、建物の豪華さに目を奪われた。よくこれだけ絢爛かつ精緻なものをこのスケールで作り上げたものだ。中に入る前にしばし、遠くから近くから、感心しつつじっくりと眺めた。本当、たいしたものだ。
元のサイズでもどうぞ。
中では武器展が開かれているようだった。ファンタジーものの映画やRPGでしか見たことがないような武器が、現実に使われていたものとして展示されている。もうそれだけでファンタジー好きとしては嬉しくなってしまう。様々な武具が所狭しと並べられている。中でも目を引いたのが極端に曲がっている曲刀、そして人の身長をはるかに越える、一体どうやって振り回すんだと言いたくなる化け物じみた巨大な剣。それがまた、日本の武者鎧の隣に展示されているのがミスマッチで面白かった。
展示室から奥に抜けて外へ。そこにはマルマラ海からボスポラス海峡にかけて一望できる景色が広がっていた。反対側を見やると、スルタンアフメット・ジャミイ(ブルーモスク)がそびえている。素晴らしい眺望だ。
大きい画像でもどうぞ。
手すりから下を見ると屋台があり、ケバブを焼いていた兄ちゃんと目が合った。兄ちゃんは調理の手を止め、にっと笑いかけてきた。
楽しいなあ、ここ。ハレムと宝物館を見ないでもこれだけ楽しめるとは。予想をはるかに上回っている。
第四庭園・キョシュキュと見て回り、巡回路の最後、バーダッド・キョシュキュへ。ここではガイドブックて褒めちぎっていたイフタリエからの眺めより、サーカムスタンルームの外壁を飾るタイルが見事すぎた。ここを見るまで、タイルがここまで美しいものだとは想像した事もなかった。
どうぞ元のサイズでも。
よく語られる、青いタイルの美しさというのを初めて実感できたかも。来てよかった。さすがはイスタンブール最大の見所。
●幻想的空間、地下宮殿
次に向かったのは、ガイドブックを見て以来行きたかった地下宮殿(入館料は800万リラ)。
宮殿といっても実際の宮殿だったわけではなく、地下の貯水池がイスタンブールの市街地のど真ん中の地下に広がっているというものだ。イスラム勢力が来るより前、ビザンチン時代に作られたと言われる地下空間は、当時の様式で作られた数多の列柱で支えられている。異世界へ誘われるような独特の空間が作られていて、よかった。静かに流れるクラシックと、わずかな篝火に照らし出された幻想的な雰囲気。ビザンツ様式の天井から滴り落ちてくる水滴を見ていると、都会の真ん中にいることを忘れてしまう。
そしてこの地下宮殿最大の呼び物、二体のメデューサ頭部像。それぞれ横向き、逆向きで列柱の基部に使われているというのは、何かを鎮めるためなんだろうか。あると分かっていても、暗闇の中でこんなのが浮かび上がってくるとドキリとしてしまう。
そんなに時間はかからないけど来てよかった。他にはないものだった。
●ヒッポドローム
次いでブルーモスクに行こうとして、その前に広がるヒッポドロームに来た。思っていたより綺麗な所だったので散策してみることに。イスタンブール市民も憩いの場として普通に散歩している。もうフードを被ったイスラム女性がいても当たり前だと思うようになっている。我ながら馴染んだなあ。
ここは古代ローマ時代、戦車競技などの競技場として使われていたという細長い広場だ。当時の競技場は細長いのが普通だったらしい。まず目を引いたのは、ガイドブックによるとドイツの泉というらしかった。
ここヒッポドロームを特徴付けているのは、三本の碑だ。南側からテオドシウス一世のオベリスク、蛇の柱、切石積のオベリスクと言い、最初からここに建てるべくして建てられたのは最後の切石積のオベリスクだけで、他の二つはいずれもエジプト、ギリシャから持ってきたものらしい。中でも目を引くのは、真ん中の蛇の柱だ。これだけ角柱ではなく、らせん状の柱だし、途中で折れているし、特徴的だ。
こんなさりげないところでも面白い。イスタンブールは奥が深い。
●ブルーモスクとアヤソフィア
ヒッポドロームを見終わり、ブルーモスクの反対側にあるトルコ・イスラム美術博物館を見た後、いよいよスルタンアフメット・ジャミイ、通称ブルーモスクへ。が、丁度祈りの時間に当たってしまい、中には入れなかった。
隙間から中を見てみたところ、噂に違わぬ壮麗さなのだろうなとは思ったけど、ちゃんと見ないとよく分からない。まあ今日はもうトプカプ宮殿を堪能したし、祈りが終わるまで待たなくてもいいかな。なんか今日は疲れたし。
その後、白人のツアー客の姿を見て、世界中どこでも同じだなとか益体もない事を考えていたら、物売りに声を掛けられた。トルコに来てから初めてだ。絵葉書1ダースセットなんていらないけどさ。適当に断っていたら、最初「200万リラ、100エン」と言っていたのが勝手に100万リラまで下がった。200万リラが100円って、無茶苦茶なレートだな。というか、100万リラで12枚って安すぎる気がするんだけど、言い方からして適正価格はまだ下っぽい。原価はいくらなんだ?
なんかもう疲れて中に入る気をなくしてしまったアヤソフィア博物館を横目で見、のんびり歩いてホテルに戻る。さすがに六時間歩き詰めは疲れた。
●イスタンブールの午後
この街は至る所に城壁があり、築300年は経っているだろうと思えるような建物が、普通の一般家庭として当たり前のように現役で使われている。石造りだからだろうけど、歴史の力を感じるなあ。
その代わりというわけでもないんだろうけど、イスタンブールではここまで一度もコンビニを見かけてない。ファーストフード店はそこらにあるんだけど。小さな雑貨屋が数多く、夜遅くまでやっているから進出しようがないのかな。マレーシア東部もそんな感じだったっけ。
その他にこの街で特徴的だと感じるのは、城壁などのそこここに設置されている蛇口。トプカプ宮殿の中、街中、本当にどこにでもある。市民はその水をガンガン飲んでるし。これも公共サービスの一種なんだろうけど、なんか独特だなあ。これから行くヨーロッパでもそうなんだろうか。
それと、ここが東南アジアではないことを強く実感させるのが、こっちの人は日常的によく走る、ということだ。走るなんて当たり前の事のはずなのに、半年の東南アジア放浪ですっかり向こうの習慣に馴染んでいたようで、なんか新鮮だ。
まだ日没までは2時間ほどあるが、まだ足首の痛みは残ってるし、今日はもうしんどいしでどうしようかと考えながらホテルのロビーでうだっていると、この2日間で顔見知りになった人達が次々に帰国の途についていく。なんでまた、みんな一斉に。そんな人の中に矢部さんもいたので、これが最後だからと途中まで見送ることにして付いて行き、バーガーキングで食事。
この國ではキョフテバーガーなんてものがあるんだ。まあ僕にはキョフテとハンバーグの違いがよく分からないんだけど。他の國のバーガーキングと違い、ケチャップだけでなくマヨネーズもついて来るんだ、珍しい。値段も他の物価から考えると安いし。
矢部さんは新市街のタクスィム広場まで行くとのことなので、途中、ガラタ橋近くのスーパーマーケット(ここの名前はハイパーマーケットだが)に立ち寄って買い物をば。確かにバックパッカーは土産を地元のスーパーで買うことが多いよなあ。ここで同じ宿の日本人客とばったり会うし。みんな行動パターンは同じなんだなあ。
矢部さんは土産にとチャイの葉やドンドゥルマの素なんかを買っていた。僕はヨーグルトとジュース、果物を買う。トルコではヨーグルトが1.5キロとか3キロとか、バケツのような容器に入って激安の値段で普通に売られている。知らなかったけど、トルコではヨーグルトを当たり前のように使うんだ。隣国のブルガリアだけじゃなかったんだな。
ここでアエロフロートを使ってモスクワ経由で帰国するという矢部さんと別れ、エジプシャンバザールの中を通ってホテルに向かう。ヨーグルトを食べるのにスプーンがいるので、適当に安いのを買おうと思って。木のスプーンを75万リラで買い、ホテルに戻る。
洗濯物を取り込んで一服したところでスーパーで会った人と一緒に夕食に出る。ロカンタでケバブとラク(酒)。ラクは臭いはヨーグルトっぽくておいしそうなんだけど、味がちょっと合わないような。ってん? ラクはトルコの地酒だけど、トルコって飲酒禁止のイスラム國じゃなかったっけ? ……深く考えるのはよそう……。
外出ついでにネット屋に寄り、ホテルへの帰り道に誘われるままバーでビールを一杯。これもトルコの地ビール、エフェス。これは結構好きな味だ。バーならでは、入れ方も上手いし。泡が絶妙だ。
さあ、明日はJCBに行く日だ。実のところ、痛みは相当ましになり、もう医者に診てもらわなくてもいいような気もするのだが、一応念のために行っておこう。でも今日なんて6時間以上歩き倒したけど、別に悪化とかはしてないように思うんだよなあ。
トルコ 9月23日(月) イスタンブール
今日も8時に目が覚めた。なんか不思議。今日も明かりをつけたまま、シーツを被らずに寝てしまっていたし。疲れてたんだろうけど、こういう時こそちゃんと寝ないといけないのになあ。
●噂のサバサンド
今日はJCBに行くついでに金角湾の向こう、新市街を散策する予定だ。でもその前に、イスタンブール名物だというサバサンドを食べに港の方へ。ボートの上で魚を焼いている人を発見。あれかな?
近付くと、日本語で
「サバサンド、サバサンド」
と連呼してくる。お見通しですか。
値段は一つ150万リラと安い。パンとサバが思いの他マッチしていて確かに美味しいけど、日本人としてはやっぱりご飯が欲しくなった。
●新市街へ
話には聞いていたけど、こっちに来たら日本人も「ブルース・リー」「ジャッキー・チェン」と言われるようになるってのは本当だった。思えば遠くへ来たもんだ。中国人も日本人も、みんな「東アジア人」というくくりなんだろうな。
新市街へ向けてガラタ橋を歩いていると、10代後半位の小奇麗な若者が四人、集団でこっちにやって来て、全員で物乞のポーズをしてきた。身なり、表情からすると明らかに悪ふざけだ。当然無視したけど、これがまたしつこくて。ガラタ橋を過ぎても延々どこまでも付いて来る。おかげで地下鉄の写真を撮りそこなってしまった。
その地下鉄(テュネル〈トンネルと同じ語源か?〉)、1875年に作られた世界最古の地下鉄のひとつらしい。確かに風格がある。車体も設備も古くても瀟洒だったし。ローカル線のようにガタガタ揺れながら走る地下鉄なんて初めてだ。ましてやこの地下鉄は川の沿岸から丘の上の新市街を結ぶ、ケーブルカー的なつくりで斜めに斜面を上がっていく。
地下鉄を降りて外に出ると、目の前にトラムが待っていた。小さくてかわいい車体は、周辺の古い町並みに実にマッチしている。
このトラムの通り道は石畳で、車道もトラムの通る幅の分しかなく、車はすごく通りにくそうだ。トラムもゆっくりとしか走れないし。ここなら走って追いかけて飛び乗る、映画のようなことが実行できそうだ。地下鉄もトラムも料金は50万リラ。せっかくなのでトラムには乗らず、歩いていくことにした。
●噂の真・ドンドゥルマ
このあたりはイスティクラール通りという観光的にもメインの通りらしく、様々な店が軒を並べている。その中にドンドゥルマ(トルコアイス)屋があったので一つ所望。100万リラ。
注文を受けてコーンにアイスを入れ終えた兄ちゃんは、板の上に載せたドンドゥルマを僕に差し出した。が、何を思ったのか、僕が受け取ろうと差し出した手の直前で板を止める。
「?」
兄ちゃんは僕を見てにやりと笑い、次の瞬間、ドンドゥルマを載せた板をくるりとひっくり返した!
「うわぁ何するねんな!」
思わず日本語で叫びつつ手を出したが、ドンドゥルマは板にぺたりとくっついたままぶら下がっていた。兄ちゃんと周りで見ていたトルコの人たちはそんな僕を見て大爆笑だ。やられた。これは定番のイタズラなのか。ドンドゥルマは粘りが凄いというのは知識としては知っていたけど、まさかこれほどとは。あー恥ずかし。
改めて渡された本物のドンドゥルマは、おいしいんだけどなんとも不思議な食感だ。トルコ、侮り難し。
●日本を探してそぞろ歩き
新市街の中心部、タクスィム広場に出た。
改めてトルコの女性がきれいなことを実感。民族衣装を着た女の子が鳩の餌を売りに来たり、チェックのスカートをはいた黒タイツ姿の女子高生が闊歩していたり。それらがどれも似合っている。なんでだろう。それだけじゃないけど、なんかいい感じのところだ。
そしていよいよ今日のメインの目的地、JCBプラザに向かう。ここからなら十分歩いていける距離だ。
少し迷った挙句に辿り着いたそこを見て驚いた。日本文化センター内にあるのは知ってたけど、まさかイスタンブールに来て障子を見ることになろうとは……。
と、それはいいんだけど、開かないんですが。「警備のため、日中もドアを閉めています」のはいいんだけど、どうやって入ればいいんだ? 呼び鈴も見当たらないし、呼びかけても反応ないし、中を覗き込んでも灯りどころか人の気配すらないし。もしかして、土日祝が休みとあるけど、その祝日ってトルコじゃなくて日本の祝日を使ってるんだろうか? 日本だと今日は秋分の日だし。
これからどうしようか。JCBは別に行かなくてもいいんだけど、問題は医者だ。日を追うごとに回復してはいるけど、このまま放置していいのか不安はある。あれだけ痛かったんだし、怪我したのも雑菌だらけのところだしなあ。
気分を切り替え、新市街の路地に入り込んで散策。こういう町のそぞろ歩きは好きだ。新市街はつまるところ、坂の町だ。そこら中に急な斜面があり、人々はその斜面に張り付くように建っている家に住み、急勾配な道を通って暮らしている。狭い路地の両側に、当たり前のように6,7階建ての石造りの建物が新旧取り混ぜてびっしりと建ち並んでいる。うーん、このあたりも風情があっていいなあ。
たまたま出くわしたので、何の用事もないけど日本領事館に寄ってみる。古い建物を借りているらしく、掲げられた日の丸以外は周囲に溶け込んで目立たない。12時から14時まで昼休みで中には入れなかったけど、警備をしている地元のおっちゃんが愛想よかった。
その後、再度JCBプラザに行ってみる。おや、呼び鈴あったのか。名札かと思ってさっきは見逃していたよ。鳴らすと上からトルコ人スタッフが降りてきた。日本文化センターがメインらしく、JCBの話はどうも噛み合わない。
……って、待てよ。ここはJCBで、僕が今使おうとしている保険会社はJTB系列のJI保険。別物だ。……やっちゃった……。
仕方がないので事情を話してJIに電話してもらい、JIまでの地図をFAXしてもらった。もうここまで来たら意地だ。JIの住所のLEVENTってどこだろう。バスでしばらく行った街の外側らしい。ガイドブックによれば高級住宅街らしいが。ようし、行くぞ。
そんな所へ、日本人カップルがやって来た。
「日本のCDと本を買いたいんですけど、売ってるとこってありますか?」
僕などよりずっとまともな用件だが、係の人の答えは単純明快だった。
「ありません」
にべもないなあ。確かに日本語はかなり達者だけど、そういう時に相手の心情を慮る日本スタイルの対応も学ぶ必要があると思う。仮にもここは「日本文化情報センター」なんだからさあ。というか、これだけの大都市なのに本当にそういう店は一軒もないの?
●LEVENTへ
ここからが大変だった。タクスィム広場でメトロに乗ろうとしたら、いきなり乗務員に
「お前はここじゃない!」
と強引に追い出されてしまった。後で分かったんだけど、そこは身障者用の入り口だった。追い出すなら追い出すで、どこに行けばいいか教えてくれよ。こっちはちゃんと尋ねてるのになんで無視するんだ。
感じ悪いのでバスで向かおうとしたら、LEVENTに向かうはずの59番バスにはRとかLとか色々な種類があって、何がなんだか分からない。
切符を買っておこうとチケット売場に行ったら、
「ここではジェトンは扱ってないよ」
とはねられてしまうし。どうなってるんだ。仕方なく再度メトロに戻る。今度はちゃんと乗れる入り口を確認して入る。入り口で空港みたいな金属検査をするだけあって、中はきれいなものだ。新しいということもあって、生活感はあまり感じないけど。一度動き出してしまえば後は早く、ほどなくレベント駅に着いた。地上に出てみると、高級かどうかはともかく確かにそれなりの住宅街っぽい雰囲気はあった。
外に出たところのベンチで一服しながら日記を書いていると、小学生くらいの男の子が2人、寄ってきた。国際都市イスタンブールといっても、観光ポイントでもない生活ゾーンに外国人がやってくるのは珍しいのかな。トルコ語で話してくるが、ごめん、トルコ語はさっぱり分からないんだ。
言葉が通じないと分かっても、2人は色々と必死に話してくる。僕も相手をしたいんだけど、共通言語も共通の話題もないので途方に暮れるしかない。そのうち2人が僕の耳の形に目を止め、指差して尋ねてきた。これはジェスチャーで分かったので「柔道」と答えたら、これは通じたようだった。やっとお互いに笑顔になれた。
この2人はJIデスクへの道の半ばまでついてきた。人なつっこいなあ。
子供達と別れて歩いていると、『地球の歩き方』を手にした日本人の女の子2人組が。なんでこんな所に? 声をかけてみると、エミノニュに行った帰りらしい。エミノニュって僕の宿がある地区だから、行動起点が僕と逆なんだな。ホテルがこっち側にあるんだろう。身なりや雰囲気からして、それなりのホテルに泊まってそうだし。ふらふら散歩していたらここまで来たとの由。
●慇懃無礼
さて、JIデスク。着いたはいいけど分かりにくい所だった。
また僕の対応をした日本人スタッフの姉ちゃんが、見事なまでに『慇懃無礼』。観光客ズレしたタイ人みたいだ。言葉遣いはちゃんとしてるけど、明らかに態度や表情が「あー面倒臭い。こんなのとっとと終わらせたい」と語っている。笑顔ひとつなし。親身って言葉、知ってる?
「提携病院は港の近くなので、電話いただいた所(タクスィム広場)からなら乗り換えなしの一本で行けたのですが」
そういう事はその時に言ってくれ。
病院の具体的な場所が分からないから教えて欲しいと言ったら、パンフレットのトルコ語住所を指差して
「ここです」
馬鹿にしてる?
図で教えて欲しいと地図を出したら、
「それには載ってません」
分かってるよ。書き足して教えて欲しいんだよ。
なんでこんなに見下されなきゃならんのだ。
怪我の状態や今後の予定を聞くのも、ただ「仕事をこなしている」だけで、「心」がどこにもない。マネキンか。
保険を使うので医者にかかるのは無料でも、薬代は払わないといけないが、申請すれば返って来るって、こっちが尋ねるまで教える気なかっただろ。
この姉ちゃんとはこれ以上話したくないよ。
●そぞろ歩きを兼ねて
病院の予約は夕方の6時半になった。旧市街の空港へ向かう途中にあるらしい。
地下鉄でタクスィム広場に戻ろうとしたら、間違えて反対のホームに行ってしまった。正しいホームに戻った時には地下鉄は行ってしまっていた。仕方なくホームでぼうっとしていると、地元の男子高校生が2人、話し掛けてきた。今度は英語だから相手できるぞ。でも正直、2人の英語力は日本の高校生のそれと大差ないような。話題はワールドカップ。日本と対戦してトルコが勝ったなあ、とか話していると、輪の外にいたおっちゃんも加わってきた。トルコ人がサッカー好きなのか、単に人なつっこいのか。ともあれいい感じだ。
タクスィム広場からはミニバスが出ているという話だったが、発着場が分からない。仕方ないのでとにかく旧市街に行こうと下りにかかる。丁度トラムが発車してしまったところだったし、当然歩きだ。
これが想像以上にきつかった。足首はさして痛くないが、足の裏が疲れてしまっている。イスタンブールに来てからこっち、よく歩いているからなあ。
街歩きを兼ねて下っていく。脇道はさらに細い。カーブも勾配もきつく、そこらで段差がある。この車のことを考えない道作りは、昔からある道の証だよな。
新市街のシンボルとも言えるガラタ塔の脇を通りかかった。対岸からも目立つので気になっていた建物だが、人気もなくひっそりとしている。午後五時を過ぎ、今日は閉まったようだ。
などと気を紛らわせながら歩いていたが、かなりへばってきた。今はまだ寒気も熱もないけど、体内に風邪の菌が入ってきて、白血球が戦っているのが分かる。気がつけば喉も腫れていて、唾を嚥下しにくい。ちゃんと対策していても、具合が悪くなる時にはなるんだなあ。足首のこともあるというのに、タイミングの悪い事だ。この町は空気が乾燥してるし、街だからその空気も決してきれいじゃないし、気温も今までと違って低めだ。こういった環境の変化に体が慣れる隙を突かれたのかなあ。
それでも今は歩くしかない。JIを出てから1時間半、どうにかスィルケジ駅に到着したのが17時45分。ここからは列車で20分、徒歩で5分と言っていたから大丈夫だろう。
●ローカル列車内にて
列車は18時5分に出るようだ。丁度いい。
始発駅なので既に入線している列車を見るが、正直ボロい。元は寝台列車のコンパートメント車両だったものを改造した車両のようだ。面白いんだけど今は写真を撮る気力も湧かない。しんどいし、足首はじんじんしてるし、加えて風邪の兆候。列車より僕の方がボロボロだ。
車内に入り、一つ空いていた座席に崩れるように座り込む。これでインターナショナルホスピタルのあるイェシュルユルト駅まで、少しは休めるかな。
甘かった。列車はかなり混雑していて、一駅走ったところでよいよいのおじいちゃんが乗車してきた。少し離れた所だったので気にせず座っていたら、とんとんと他の乗客から膝を叩かれ、おじいちゃんと替われと合図された。確かに、ざっと見たら座っている中で僕が一番若いようだ。でも、この車両の中でおじいちゃんの次にへばってる自信はあるよ。
とはいえ、言葉も通じないし、指名されてしまった以上場の空気というものもある。立つしかなかった。立った瞬間、立ちくらみとともに左足首に鈍痛が。足をもつれさせるようにして向かいの席の背もたれに掴まる。なんか嫌がらせに演技したみたいで嫌だなあ。
僕に「代われ」と声を掛けたおっちゃんが気まずそうな顔をする。周囲の乗客も同じ。でも足首が痛いのとへばってるのは事実だから仕方ない。しかも、立って周りを見ると、そのおじいちゃんのすぐ近くに明らかに僕より若いヨーロピアンのカップルがいた。おいおい、僕じゃなくこっちを選ぶのが筋だろ?
立ったことでもう一つ、困った問題が起きた。この鉄道はアナウンスをしないので窓の外を見ていないとどの駅にいるのか分からないのだが、駅名表示板は一駅に一つしかないうえ、座ってないと見えない高い位置に掲げられている。
なんとか人の隙間から駅名を確認しようとかがみこんで外を見ていたら、さっきのおっちゃんが
「どこまで行くんだ?」
と声を掛けてきた。ずっと気にしてたんだな。イェシルユルトだと言うと、おっちゃんの降りた二つ先の駅だと教えてくれた。ありがと。
なんだかんだで駅に着いた時には18時41分になっていた。予約の時間はとっくに過ぎてしまっている。駅の外に出てみても、病院らしきものは見当たらないし。本当に五分で着くのか?
駅前にいたタクシーの運ちゃんに尋ねると、やはりけっこう先らしい。まあ、慇懃無礼姉ちゃんの言った事だからなあ。ともあれ行くしかない。
●診察結果
遠かった。暗くなる中、痛む足とだるい体で知らない地を歩いたから余計にそう感じたのかもしれないが、遠かった。もう駅の近くとすら言えない場所に建っているインターナショナルホスピタルにどうにか辿り着いた時、既に7時を回っていた。結局20分かかったのか。
受付でJIのカードを見せるが、あれ? 予約が入っていた気配がない。担当すると聞いていたアーメッドさんとかいうお医者さんもいないし、症状等、一から聞かれるし。何より連れて行かれた先は救急の部屋だったし。遅刻したからかな。
結局他の先生が診てくれたけど、あっさりしたものだった。どうやってぶつけたか尋ね、患部を見て、ちょっと触診して終わり。そして一言、
「大事ないよ(This is not important wouns.)」
骨には影響ないかと尋ねたら、大丈夫だと。消毒してガーゼを貼ってもらって終了。
確かにこれで一安心だけど、たったこれだけのために、えらく時間と手間がかかったものだ。
念のため、痛み止めともう一種類の薬を出してもらうことになり、処方箋を書いてもらった。外の適当な薬局で買うようにと言われたので、日本のように病院内か、すぐ近くに薬局があるのかと思って尋ねたら、ないとのこと。街中で探さないといけないらしい。しんどいなあ。と思っていたら、診てくれた先生が察してくれたのか、
「ここに取り寄せてあげよう」
ということになった。ありがとうございます、助かります。
薬を貰って病院を辞去し、帰路に着く。ううむ、怪我はともかく風邪っぽいの、悪化してきたぞ。そっちも診てもらったほうが良かったかな。
列車に乗ってスィルケジ駅に帰って来たのは20時15分。ブルガリア行きをどうしようかと思って窓口を見たら閉まっていた。仕方ない、全ては明日だ。けど、体調のこともあるし、怪我のこともある。明日は出発できないかもしれないな。
途中でサンドイッチと水、桃などを買い込んでホテルに戻る。部屋に戻って軽い食事の後、日本から持って来た最後の風邪薬を飲む。鞄の中から防寒用にずっと持ち歩いていたジャージと長袖Tシャツを出し、着込んでベッドに潜りこむ。
足は
「Your problem is not problem」
らしいからもういいとして、気になるのは風邪だなあ。
トルコ 9月24日(火) イスタンブール
寝る前にたらふく水を飲んだのに、起きても別にトイレに行きたくない。やはり熱があったのか。
計ると37度1分。気にする必要もないくらいの微熱だけど、だるくてしんどい。喉の奥が二箇所ほど腫れてて痛いし、今日は大事を取ろう。
とはいえ手持ちの食料がないので買い物に外へ。飴が欲しくてスーパーに行くが、なかなか見つからない。結局オレンジジュース、ヨーグルト、チーズ、ポテトチップ、スティックチョコ、バーキャンディーと買う。ごはんになるものがないんだよなあ。
まだ少しは元気があったので、精のつきそうな食事を求めて歩く。今日は体調を考えてジャージでうろついていたのだが、これがトルコの人には珍しいらしく、かなり注目を集めてしまった。歩いてるだけでこんなにジロジロ見られたことってあったっけ。
しばらく歩いたところで食堂が並ぶ通りを発見。が、人気のありそうなロカンタにはピラフが出てなかったのでやめ、中華料理屋に入る。体調が悪い時にはお米を食べたいよ。卵チャーハンと中華サラダ、炭酸水もつけて610万リラ。高いが今は体調が優先だ。味はまあまあ。ちゃんと華僑の人が料理しているようだ。食べ終わって
「大謝(ターシー)」
と言うとびっくりしたようにこっちを見てたし。
昼前にホテルに戻る。体温は36度8分。ほぼ平熱。確かに熱っぽくないが、しんどくて喉が痛く、加えて重くて辛い。当初の予定通り、後は部屋で大人しくしていよう。風邪は治りかけが大事だし。
……って、やってしまった……。スーパーでチーズとバターを間違えて買ってしまった。そんなベタな……。こんな大量のバター、どうしよう……。
ともあれ部屋で静養。こういう時には自由な一人旅はありがたい。心細いけど、誰にも迷惑や心配をかけなくて済む。ゴロゴロしながら本を読む。A&Bストルガツキー『蟻塚の中のかぶと虫』。日本語の本はすぐ読み終わってしまうのが難点だなあ。新しい本はそう補充できないのに。
夕方、お腹が減ったので外へ。食欲があるなら大丈夫だろう。バターが勿体無いのでパンを購入。ついでに今度こそチーズ、ハム。イチジクも安かった。
トルコ 9月25日(水) イスタンブール
今日も一日、何もしないで過ぎ去ってしまった。
泥のように眠りこけ、起きてからもぼうっと『小説十八史略』を読んだりしていて気がついたら午後五時。あちゃあ。
これで一日が終わってはいくらなんでもナンなので、ともかく外へ。体調も治ったのに一日部屋に引きこもりなんて冗談じゃない。
まずスィルケジ駅へ。次の目的地、ブルガリアの首都ソフィア行き寝台列車の明日の切符を買いに。23時発で所要時間は13時間らしい。3970万リラ、大体22ドル強で、もちろん座席は一番安い寝台二等。けど、完全手作業の発券を、こんな長距離の、しかも国際列車でされるのは初めてだ。中国やベトナムでもコンピュータ発券になってたもんなあ。他の表示を見てみると、ハンガリーのブダペスト行きの発車も23時だ。途中までは一つの長大編成列車で行くのかな。
この時点で6時。今さら観光に行ける所なんてどこにもない。仕方ないので近くのガラタ橋に夕焼けを見に行く。今日はそこそこ雲が出ているので、きれいな夕焼けが見れるかもしれない。いつの間にやらすっかり夕焼け好きになってるなあ。
緯度のせいか、湿度のせいか。
ラオスのシーパンドンで見たような、「目の覚める鮮やかさ」はないが、
代わりに遥か遠くまで届くような、「澄み渡った黄金色」の夕焼けだ。
モスクも、家々も、全てが黄金色に輝いている。これはこれで素晴らしい眺めだ。イスタンブールの夕焼けが有名なのも分かる気がする。
暗くなってきたので帰る道すがら、サンドイッチで夕食とし、ネットをしてからホテル近くのバーでビールを一杯。
トルコ 9月26日(木) イスタンブール →
今日はイスタンブールを出る。
滞在期間の割にあまり見て回ってない気がするが、その分今日は列車が出るまで動き回ろう。
●グランドバザールへ
ホテルをチェックアウトし、スィルケジ駅のATMで2億リラ下ろす。一万六千円くらいかな?
トラムに乗ってチェンベルリタシュ駅まで行く。降りたすぐ前に、駅名にもなっているチェンベルリタシュの塔がある。トラムも走っている、車でごった返すメインストリートの脇にある広場の片隅に立つ塔は、ここがコンスタンティノープルとして都になったことを記念して建てられた、イスタンブール最古のモニュメントらしい。これだけ大きな街が名前自体、何度も変わっている。有為転変を象徴するような碑だ。
が、あまり省みる人はなく、僕もここに来た目的はこれではない。この奥のグランドバザールを見に来たのだ。
噂に違わず、大きい。やたらと広い。非シーズンの平日昼前という時間に行ったため、そんなに混雑はなかったが、ピーク時の賑わいは想像できる。この広さの中にこれだけ小さい店がびっしりと並んで居たら、それはもうえらい騒ぎになるだろう。建物がイスラム風建築なのも雰囲気が出ていていい。増築に増築を重ねて今の大きさになったのだろう、通路と通路との繋がりが合っていないところも結構あったりする。
そこから続く古本街にも行ったが、案外規模が小さくて、期待したほどの品揃えでもなかった。トルコ語の本は充実している風だったけど、英語の小説があんまり……まして、日本語の本なんて……。掘り出せばあるのかもしれないけど、一瞥した限りでは見かけなかった。まあ仕方ないや。古本街に限らず、こういうバザールは特に買わずにぶらぶら歩いているだけでも楽しい。貴金属、ガラス、タイル、絨毯などの数々のきらびやかな露店がびっしり並んでいるのは見応えがある。
●静寂のイスタンブール大学
次いで西隣にあるイスタンブール大学のまわりをぐるりと。グランドがないせいか、結構小さい。
警備のおっちゃんに中に入っていいか訪ねたら、
「どこから来たんだ」
「日本」
「どうぞ」
で中へ。つまり、尋ねるまでもなかったんだな。敷地内にあるベズヤット塔は、残念ながら閉まっていて入れなかった。
でも大学の中というのはやっぱり独特の雰囲気があるなあ。しかもここはイスタンブールのど真ん中。すぐ外は人、人、人で賑わっているのに、内部は静かな空気が満ちている。この対比が余計に雰囲気を際立たせている。よく手入れされた敷地の庭園には散策する者、ベンチで語らう者など、学生達が思い思いに過ごしている。僕もベンチで一憩。大学の本館の前にはケマル・アタテュルクの像、本館自体は歴史を感じさせる風格のある建物。観光スポットではないが、いい感じのところだ。
●ローマ時代の遺構、ヴァレンス水道橋
大学のすぐ後ろにスュレイマニエ・ジャミイがあるが、外から見る姿だけでも十分すぎるくらい立派だし、ジャミイばっかり見てもなあという気分だったので、パスしてヴァレンス水道橋に行く事にする。そんなに遠くなさそうなので、てくてくと歩いて向かう。
途中の公園で一服していると、2人組の兄ちゃんが近寄ってきた。
「靴を磨かせてくれないか」
「見ての通り運動靴履いてるんだけど」
「それでもいいよ」
ハハハ、ナイスジョーク。この2人、僕が日本人だと知ると、しきりに「チチ」と言ってきた。父? 乳? 分からないんですけど。しばらくすると、二人は一方的に握手をして去っていった。何だったんだろう。
午後一時にスュレイマニエ・ジャミイから聞こえてきたお祈りの声を聞き終えてから、移動再開。ようやっとヴァレンス水道橋のふもとにやってきた。そんなに急勾配ではないが、それでも谷間になっているところに水のための橋を架け、イスタンブール中心部へ水を送るためのもので、ローマ時代の遺構だ。
え、この水道橋って上に登れるんじゃないの? これだけの年月を経てなお、堂々たる構えで聳え立っている風格を感じる。が、なんかもう一つぴんと来ない。しんどい体調面も影響しているのかな。
●ガラタ塔からの360度パノラマ
南に下って海岸沿いの城壁を見に行くつもりだったけど、時間も気力ももうなくなった。仕方ないのでトラムに乗ってエミノニュまで戻る。体力の残っているうちに、ガラタ塔には登っておきたい。
ガラタ橋を渡って新市街に入り、塔を目指して斜面に作られた町並みを歩いていく。体がだるくてしんどく、力が入らない。うむー。風邪は治ったと思っていたんだけどなあ。
なんか胡散臭いほどに幅の狭い路地が雰囲気があっていい。多分、昔のままの道幅なんだろう。両側の家も築何百年だろうと思うくらい古い家が多い。
とかしてようやくガラタ塔に到着。入場料は600万リラ。……『地球の歩き方』情報の3倍か……。でもま、せっかくここまで来たんだから上ろう。
塔は、上までエレベーターが通じていた。楽は楽だけど、なんかなあ。上はそんなに人がいなくて、広々としたパノラマを堪能できた。昔とそんなに変わらず、特別目立った高層ビルのないイスタンブールという町を再認識した。だからこんなに景観がいいんだろうな。おおむね360度、全てに地平線か水平線が見える。確かにこの見晴らしから夕暮れの景色を見たら綺麗だろうな。
と、ものごっついカメラを二つ持ったツアー客の日本人がいた。カメラマンか? アマチュアだとしたらかなりのマニアだな。とか見ていたが、やっぱりだるい。しんどい。気分が悪い。どうしたんだろう、なんか急に来た。別に変なものを食べたとかもないのに。色々考えたがよく分からない。これもしかしたら、日射病かな? 理由はともかく、今現在体調が悪くてへばっているのは確かなのでホテルに戻ることにした。まだ午後四時前なので、この体調では残念だがとても夕暮れまで待ってられない。
今の天気は薄曇りだから、多分残っていてもあまりいい夕暮れは見られないだろう。もしいい条件で見られるなら、その時はここ、人でぎっしりなんだろうな。どんなにいい夕焼けでも、人がひしめく中で見ると感動が薄れてしまうんだよなあ。これまでの旅でカンボジアのバン・キナック、ラオスのプー・シーと身に沁みて経験して来ているから間違いない。やっぱり夕焼けは寂しい奴と言われようと、孤独に、一人静かに眺めるのが好きだ。
●へばって時間待ち
へばりつつ、午後五時前にホテル・エメッキに戻り、時間までロビーで休ませてもらう。六時になったが、今日はロビーにたむろする日本人旅行者がいないので、一人で夕食に出かける。ロカンタでナスにひき肉を詰めてチーズをかけ、トマトソースで煮込んだもの(名前は知らない)と小魚のフライ、ピラフの食事。店頭で揚げていた小魚のフライを試食したらおいしかったので。これから本式にヨーロッパに入ったら、米を食べる機会は減るだろうなあ。
宿に戻る道すがら、買い物を値切ろうとして英語能力が乏しいためにうまくいかず、逆ギレしている日本人の若者がいた。悪いけど見苦しいよ。
ホテルに戻ってホテルの人と話していて、なぜこの国に到着した時はあんなに日本人が多かったのか、なぜ前の日曜日にみんな一斉に帰国したのか、ようやく分かった。日本のカレンダーだと二週連続で三連休があり、うまく休めば10連休が取れたんだ。だから一斉に来てたのか。なるほどなあ。旅しているとその辺の感覚がなくなるからなあ。
夕方からいるけどこのホテルのロビー、今日は僕以外はトルコ人だけだ。ぼーっと過ごしていると、ロビーでだべっていたトルコ人のおっちゃん三人が声を掛けてきた。もちろんトルコ語で。トルコ語はbir(千)とメルハバ(こんにちは)しか知らないんだよなあ。
なんか僕の体つきと耳を見て、
「レスリング」とか言ってくる。
「柔道だよ」と言うと楽しそうに笑い、
そこから会話が盛り上がった。
とはいえ、お互いに言葉は全然通じないのでジェスチャーで組み合って遊んだだけだけど。やはりジェスチャーは世界共通語だなあ。ありがとう、柔道。この旅では何度となく助けられてるなあ。
●国際夜行列車
9時半、列車の発車一時間半前になったので、余裕を持ってスィルケジ駅へ。駅は吹き抜けなので寒いけど、まあ普通に我慢できる寒さだ。
ベンチに腰掛けて列車を待ちつつ日記を書いていると、日本語で話し掛けられた。声をかけてきたのは同じ日本人旅行者の黒田さん(33)。仕事を辞めて旅に出て、ギリシャ・トルコと来て、ブルガリアのソフィアに向かうところらしい。僕もソフィアに向かうところだから心強い。
と思いつつ入線してきた列車に乗り込むと、なんと同じコンパートメント。偶然もあるものだと思ったが、黒田さんの話によると東洋人は白人と分け、東洋人同士で一緒にされることがあるらしい。白人の中に東洋人を嫌う人がいるからだとか。
発車時刻を待っていたら、さらに日本人が。僕達よりもうちょっと年上っぽいカップル。40と43だという2人は、女の人は大学の日本語教師で年三回ほど10日位の休みを取り、海外へ出ているらしい。いい身分だなあ。今回はソフィアにいるという元教え子に会いに行くところだとか。男の人は自由人だとのこと。
2人は僕と黒田さんの放浪旅をやたらと羨ましがるが、常時旅ができるそっちの立場も羨ましいですよ。
またこの女の先生が喋ること喋ること。11時に発車する前から、夜も更けるまで延々と喋り倒し。参りました。
それにしても、やはり日本人はいるもんなんだなあと痛感。
深夜一時ごろ、就寝。
トルコ共和国 Republic of Turkey → ブルガリア共和国
Republic of Bulgaria
9月27日(金) → ソフィア
●払暁のボーダー
気持ちよく寝ていたら、激しいノックの連打で叩き起こされた。
時計を見ると3時55分。何事かとドアを開けるといかついおっちゃんが
「パスポートコントロール!」
うへえ、こんな時間にするのか。
コントロールポイントは別のホームにあるので、そこまで歩いて行かなきゃならないし、しんどいなあ。駅名表示を見ると、エディルネ。確かに国境だけど、またえらく早く着いたもんだなあ。
ぼーっとした頭のまま、裸足に靴を突っかけ、サブザックだけ引っ掛けてほろほろと歩いて行く。プラットホームは常夜灯が点いているが、煌々としているわけでもなく、なんか薄暗い。だが待ち構えている役人さんはこのためにいるのだから元気なものだ。
「ポリス! パスポートコントロール!」
はいはい。けど半分寝ながらなので、どこに行って何をすればいいのか同じ人に二度尋ねてしまい、嫌な顔をされてしまった。何か分からんままパスポートを渡すと、何か機械でチェックして、ポンとスタンプを押して終了。いいのか、こんな適当で。
黒田さんと二人で列車に戻っていたら、近くを歩いていたメル・ギブソンっぽい白人の兄ちゃんが
「ブルガリアのパスポートコントロールはないのかな?」
と聞いてきた。さあ? 少なくともここではないようだねえ。コンパートメントに戻ってしばらくしてから、車掌がチェックしにやって来た。うーん、このチェックシステム、効率が悪い気がするんだけどなあ。最初の叩き起こすのにしても、起きるのを確認しないやり方だから、この期に及んでまだ起きてない人もいるし。なんやかんやで再び動き出したのは4時53分だった。
そこから30分ほど走って5時20分、再び停車。今度はブルガリアのパスポートコントロールなんだろう。係員のおっちゃんがやって来て、
「パスポートコントロールだから、そのまま待っているように」
と触れて回っている。
が。
待てど暮らせど、誰もやって来ない。どうなってるんだろう。ようやっと係員がやって来たのは、またもや1時間経った6時20分を過ぎてからだった。役人さんがパスポートと顔を見比べながら、
「ツーリスト? ソフィア? プロウディフ?」
「イエス、ソフィア」
一瞬で終了。
パスポートをコンパートメントの四人分まとめて外に持って行き、無線でパスポート番号をチェックしてスタンプを押し、返却。三人がかりでしないといけないほどの仕事なのかな。やっぱり効率が悪いような。黒田さんは「こんなことならバスにすればよかったと」ぷりぷり怒っているし。僕はまあ、トラブルを含めて列車旅が好きだからいいんだけど。今はトルコもブルガリアも日本人はビザ不要だからこれだけの手間で済んだけど、少し前の必要だった時はもっとかかってたんだろうなあ。
それはともかく、満足に眠れなかったのが辛い。眠いよう。
●ブルガリアの大地を行く
散々待たされて6時35分、ようやく発車。外はもう明るみかけている。外はすでにブルガリア(Bulgaria,Бьлгария)だ。さすがに冷えてきたので毛布をひっかぶってもう一眠り。どうせソフィアに着くのはまだ先だ。
9時半、なんとなく目が覚めたので窓の外を見やる。そこに広がるブルガリアの景色は、平地に広がる畑と森が主役だった。列車は小さな駅にちょこちょこと停車しながら進んでいく。トルコと比べ、てきめんに冷えてきている。家の造りもトルコとは明らかに違っている。少し動いただけなのに、面白いもんだ。しかしこの寒さは堪らない……。ソフィアに着いたら防寒着を買わなきゃいけないかな。車窓から見える町行く人も皆長袖だし、そのうちの半数以上がジャンパーまで着ているしなあ。
黒田さんがトルコで英語が通じないで困った話をしているが、ブルガリアも似たようなものなのかも。ま、それを言ったら日本だって通じる國とは言えないもんなあ。多少やりにくいのは確かだけど、仕方ない。
●曇天のソフィア
12時過ぎ、目的地の首都ソフィア(Sofia София)に到着。ホームでは、同じコンパートメントだった大学の日本語の先生の教え子が待っていた。
外に出るが、厚い雲がどんよりと垂れ込めていて、寒いうえになんか暗い感じだ。この寒さは、すっかり秋めいてきた寒さだなあ。防寒着はまだ持っていないがこの寒さには耐えられないので、長袖Tシャツの上にTシャツを着るなどして、少しでも暖かくなるよう工夫する。遠からず防寒着買わないと耐えられないな。
ここまでのブルガリアの景色を見ていて思ったが、確かに景色はきれいだし、車が古いのは仕方ないと思うけど、家が……。ソフィアに着くまでの車窓からも、修理しないといけないだろうというレベルのものがそこここで放置されているのが見えた。屋根のラインが不自然に波打ち、瓦(?)がめくれかかっているような家がいくらでもあった。工場とかは放置されているのか、さらに悲惨な感じのものが多い。民主化されたのって、もう10年以上前だよな?
ソフィア駅近くになっても、あまり都会という感じがしないし。大丈夫かな。その駅そのものの印象も、正直言って暗い。エスカレーターは全部止まってるし、ターミナルのテナントも空きの方が多く、なんか全体的に薄暗い。いくら鉄道贔屓の僕でも、これはちょっと……ソフィアから次の町への移動はバスにした方がいい気がしてきた。
それはともかく、まずは宿探しだ。ホテルよりは安く泊まれるんじゃないかとプライベートルームを探すことにした。ここまで一緒だった大学の先生やその教え子の女の人が、駅の公衆電話からあちこちにかけて探してくれたが、最低でも一泊11ドルのところしか見つからなかった。それはさすがにきついなあ。仕方なくホテルに切り替え。10ドルで泊まれる所があるらしいし。他の人達と別れ、黒田さんと二人で町の中心部へ向けて歩き出す。
寒い。本気で寒い。また、歩いていると町並みも寒い。旧共産党時代の置土産か何かか、道はやたらに広くて平らで真っすぐで、戦車でもガンガン通れそうだ。そして道路の空中には、トラムとトロリーバスが使うための電線がびっしりと張り巡らされている。建物も古いとはいっても4,50年前のものと言った感じだ。天気のせいもあるだろうけど、正直ここソフィアからは荒んで寂しげな印象を受ける。ガイドブックによるとブルガリア人は表情に乏しいと言われているらしいので、その印象のせいもあるのかもしれない。
何はともあれ新しい國に来たのだから、まず必要なのは現金だ。ATMに寄ってお金を下ろし、さらに歩いてホテルを探す。ガイドブックに載っていたホテル・エニー。予定通り、一泊10ドルだったのでチェックイン。予定は一泊のみ。考えてみたら、人と相部屋するのって久々だなあ。旅装を解き、身軽になって外へ。
●ソフィアの印象
明日のテッサロニキ(ギリシャ)行きのバスチケットを押さえに行くという黒田さんに付き合ってバスセンターへ行く。
それにしてもこの國では言葉が、英語が全く通じない。覚悟はしていたけど、見事なまでに通じない。その辺もあるんだろうけど、町の雰囲気自体、なんか重いような気がする。気候のせいばかりではない。何かぴりぴりした空気も感じる。
駅前のバスステーションではテッサロニキ行きのバスが見つからず、街中のトラベルエージェンシーへ向かおうとしていた黒田さんが掏摸に遭いかけた。すんでの所で感づいて事なきを得たけど、怖いよ。この、街歩きすらくつろぐわけにはいかず、ピリピリと神経を尖らせていないといけないようなこのプレッシャーに満ちた雰囲気、久しぶりだ。カンボジアはプノンペンの夜歩き以来かな? イスタンブールから半日移動しただけで、気候も場の雰囲気も、ここまでがらりと一変してしまうんだなあ。
僕も明日にはこの町を出る気になっていたので、今のトラベルエージェンシー探しの間に町歩きと観光も済ませてしまうことにする。
昨夜から何も食べてないので、まずは食事だ。ケバブ屋台がそこらにあるが、トルコから来たところなので遠慮して、小奇麗で明るい雰囲気の普通のレストランで食事。トレーで選ぶ、いわゆる食堂屋形式なので、言葉が通じなくてもなんとかなる。小ビール、ライス、ソーセージ、スープ、プリンでしめて5.6レヴァ。300円くらいかな。
民主化して10年余り、経済政策があまり上手くいってないのか、重苦しいものを感じずにいられない。が、同時にこの國の歴史の重みも感じる。うまく言えないけど、動く時には触れ幅が大きそうな感じ。
ソフィアの街にはトラムとトロリーバスが市内を縦横無尽に走っている。ここまでトラム網が発達した國は初めて見るかも。石畳、建物、それらが作り出す空気。ここはヨーロッパだと強く感じる。
そして街道の樹々は黄葉しかけている。秋なんだなあ。寒いけど、おかげで蚊は少なそうだ。人々の表情も重々しいが、僕が街に感じているような、そんな暗さは実は人々からはあまり感じない。物乞いは想像以上にたくさんいるけど。
●ソフィア見聞
駅前からまっすぐ南北に伸びるメインストリートのマリア・ルイザ通りを南下していったら、
バーニャ・バシ・モスク(オスマントルコ時代に建てられたモスク)、
聖ペトカ地下教会(見えているのは上半分)、
旧共産党本部(大きすぎて全体像がフレームに収まりきらない)、
と次々に観光ポイントが現れてきた。特に旧共産党本部の壮大な迫力で迫ってくる様には度肝を抜かれた。立派だ。立派すぎる。大通りが分岐する、三角地の角というこの上なく目立つ場所に建てられた、威圧感に満ちた建物を見ているうちに、郊外で見た打ち捨てられたようなぼろぼろの民家が思い出され、そのギャップに愕然となった。搾取していた証、なんだろうなあ。
旧本部の左右に建つビルとも見事に調和が取れているし、往時はこの一帯全て、共産党のビル群だったんだろう。ブルガリアの経済力を想像するに、失礼ながらよくもまあこんなものをこしらえたものだ。
気がつけば、トラベルエージェンシーのある場所はとうに過ぎてしまっており、大きな公園の向こうに、国立文化宮殿が見えてきた。1989年の一連の民主化運動の際にこのビルをテレビで見た記憶がある。NHKの深夜にライトアップされた姿が延々映されていたと思う。それが目の前にあると思うと、感慨深いものがある。
国民文化宮殿(NDK)
近寄ってみると、思っていたほどの迫力はなく、ショッピングモールになっていたので入ってみた。元々はどうだったのか知らないが、建物の構造がショッピングモール向きだとは思えない。潰れたボウリング場をスーパーにしているような違和感を感じる。過度にきらびやかな装飾、ここから公園側を見ると、やけに遠くまで見渡せるようになっていたり、地下部分がやけに広々と、かつがっしりとしていたりと、やはり社会主義時代の建物かと感じてしまう。
なんだかんだで、ざっとは観光できたと思う。
ここから元来た道を戻りつつ、トラベルエージェンシーを探す。が、バルカンツーリストはホテルの紹介のみだと言うし、プリンセスホテルそばのニキアサツアーはエージェンシーは他の場所にあると言うしで、芳しい結果が得られない。結局、最初に行ったバス乗り場で探すしかないようだ。
国際線から何から取り扱っているはずの駅前のバス乗り場に戻り、もう一度じっくりと探す。今度は見つけられた。黒田さんはテッサロニキ行きのを20ドルで、僕はヴェリコ・タルノヴォ行き(朝9時発)を9レヴァで購入。町の雰囲気は重いし、治安は今ひとつだし、主だった所は外からだけどざっと見たし、街歩きも自分なりに納得できたし、ホテル代も高いし、なので動こうと思う。次の町も同じような雰囲気なのか、今はそれが気になる。もしそうならブルガリアは超特急で抜けてしまおう。
でも、このチケット購入には苦労した。行先表示がキリル文字しかないので、一体どれがヴェリコ・タルノヴォ行きなのか、さっぱり分からなくて。なんとかラテン文字と同じ読みの文字を拾い読み、文字の長さ、繋がり、本数の多さなどを総合して目星をつけ、窓口で「ヴェリコ・タルノヴォ?」と尋ねてようやく分かったのだ。でも、後で考えてみたら、そこらの人に素直に尋ねればよかったんだよなあ。
これでもう特に用事がなくなったので、後はソフィアの路地を適当にぶらつく。裏道に入り込み、おじいちゃんに手を引かれた小さい女の子に手を振ったり、生活観あふれる民家の風情を見て楽しむ。これだけ印象の悪いソフィアでも、そぞろ歩きは楽しい。
そして、メインストリートから外れたところにあるため最後に取っておいた、バルカン半島一のアレクサンダル・ネフスキー寺院に行く。
言うだけはあって、立派な寺院だ。そのかもし出す雰囲気に圧倒されてしまった。
すぐそばに建つ、ライオンに守られている聖ソフィア教会も見たが、何か寺院の周りに軍人さんが一杯いて、寺院前ではバンドのコンサートの用意が、少し離れた場所ではオーケストラの用意が進められていた。今晩コンサートかフェスティバルか何かがあるのだろうか。夜はもう出歩く気にならなかったので確かめに行かなかったけど。夜は寒さで凍えそうだったし。
夕食を済ませてからホテルに戻り、交替でシャワーを浴びて一息。いつの間にやら黒田さんがワインを買ってきていた。ブルガリアワインは有名らしい。ブルガリアビールは結構濃く、上部と下部、二段階の口当たりが印象的だった。
ブルガリア 9月28日(土) ソフィア → ヴェリコ・タルノヴォ
●ソフィア、発。
ホテルでベッドの中に寝ているというのに、寒さに我慢できずに七時に目が覚める。これはきつい。
それにしても土曜日とはいえ、首都の目抜き通り脇のホテルにいるのに、静かだなあ。ともあれチェックアウトして外に出る。寒い。まだ9月なのに吐く息が白い。できる限りの着膨れをしているが、ちゃんとした防寒着じゃないせいか、あまり効かない。
八時半、先に出るバスでギリシャのテッサロニキに発つ黒田さんを見送り、自分の乗るヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo Велико Тьрново)行きのバス乗り場に移動。昨夜のソフィアの印象から予定を立てたのだが、ブルガリアはもういいとか、どんな国でも都会と地方は違うとか、色々考えた結果、次の訪問予定国・ルーマニアに行きやすい地方都市で、面白いものもありそうなここを選んだ。時期が合えばバラの谷にも行ってみたかったんだけど仕方ない。
バスターミナルは舗装されておらず、砂が撒かれているだけだ。首都のセントラルターミナルでもこれなのか。悪天候の時なんか大変だろうなあ。
乗り場では多くのバス待ちの人がたむろしていた。そんな中に混じって動いているうちに、
スリに遭ってしまった。
いや、被害はなかったんだけども。
目当てのバスが到着して、さあ乗り込もうとステップに足を掛けた時のこと。ここが始発だと言うのになぜか降りようとしている人がいて、前が塞がれる形になった。後ろからは順番待ちの人が早く乗ってくれとばかりにぐいぐいと押してくる。後で考えたら、この二人がグルだったんだろうなあ。
押し合いへし合いしながらなんとか降りようとしている人とすれ違おうとした時、相手が変な動きをしてこちらを止まらせた。そして何かをベリベリと引き剥がすような音。彼の両手にはジャンパーがかけられていて手元は見えず、その下で、僕の首下げ式のパスポートケースのマジックテープを外してきていたのだ。こちらもその辺は当然対策済みで、そこにはパスポートのコピーしか入ってないんだけど。
しかしまあ、こんな稚拙な手口で仕掛けるかあ? 放っておいてもどうせ被害はないんだが、鬱陶しいのでマジックテープをいじる手を払いのけ、
「甘いわ!(日本語)」
と一喝すると、慌てて目をそらして逃げていった。外人観光客だと思って目をつけたんだろうけど、お生憎様。こいつ、数分後に別の人のズボンの尻ポケットを狙っていた。まさか、こんな下手糞な腕でプロのスリなんじゃないだろうな?
それにしても、わずか24時間のあいだに3件のスリを目撃しようとは。しかもその全てが失敗。なんて町だ、ソフィア。ヴェリコ・タルノヴォもこんなんだったら明日にはブルガリアなんて出てやるぞ。
●ヴェリコ・タルノヴォへ
ヴェリコ・タルノヴォはブルガリアの真ん中を東西に走るバルカン山脈の中にある古都だそうだ。期待はしてるんだけどなあ。
そんなこんなで乗り込んだバスは、ここまで見てきたブルガリア像を覆すような、とてもきれいで立派なものだった。乗客のうち、外人はどう見ても僕一人だけど。まあ、それはいいや。
ソフィアを出てバスが走る道路もよく整備されており、清潔で広く、しかも出発してはじめの40分程は高速道路をかっ飛んでいった。ううむ、昨日鉄道から見た印象とは随分違うなあ。その後一般道に入ると、途端に中央分離帯すらなくなるほど道が狭くなったが、そんな事は関係ないとばかりに変わらずぶっ飛んでいく。
車窓風景が、感心するほどきれいだ。さすがは山国ブルガリア。
ほとんど人の手で地形が変えられていない。山々と畑、牧草地……この上なく、牧歌的という言葉が似合う中をバスは進んでいく。
たまに現れる集落も、緑の絨毯と呼ぶしかないような樹々の中に赤い屋根の塊が見えているようなものばかりだ。どこかおとぎ話めいた雰囲気が、秋めいてきた山すその風景にとても似合っている。この国の人口がそんなに多くないこともあり、そうやって見えて来る家々、村もそんなに多くも大きくもない。いいなあ、実にいいムードだ。一気にブルガリアの印象が塗り替えられそうだ。
発車してから3時間あまりが経った、12時40分。大きめの町の中に到着した。バスターミナルではなく、ホテルの横に停まったが、乗客はぞろぞろと降りていく。おや? もしかして……? 隣に座っている兄ちゃんに尋ねてみた。外を指差して
「ヴェリコ・タルノヴォ?」
「ダァ、ダァ」
兄ちゃんはそう言って首を横に振る。
この國では肯定の意を現すのに首を横に振るらしいし、何より「ダァ」は「はい」のブルガリア語だ。間違いない。ここだ。
手にした『地球の歩き方・中欧編』にはバスでソフィアから四時間、バスは町の中心から三キロ離れた所に停車すると書いてあったので、危うく乗り過ごしてしまうところだった。三時間四十分で町の中心に程近いホテル・エタルの横に着くんだもんなあ。おいおいだよ。
降りてすぐ、プライベートルーム(いわゆる民宿)はどうだとおっちゃんに声を掛けられた。片言だけど英語だ。
一泊10ドル。どうしようかな……。元からここではプライベートルームに泊まるつもりだったけど、客引きの人がこのおっちゃんしかいないのがどうも。ま、プライベートルームで同じ値段なら、外れを引かない限りはそう極端な差はないだろう。あんまり変じゃなければこの人のところでいいかな。
まずは部屋を見てからということで、おっちゃん(クリストフというらしい)に案内されるまま歩いて行く。町並みが古い雰囲気になってきた。ここは旧市街の中だな。結構雰囲気があっていい。通された部屋は、ごく普通の鉄筋コンクリート製アパートの一室だった。明らかにクリストフの家の一室を示されて、どうだと。
まさにプライベートルーム。正直部屋自体はそんなに広いわけでもないし、昔ながらの家という訳でもなく、本当に普通だ。が、窓を開けると谷に面して窓が開けており、素晴らしい眺めが広がっていた。テレビもコンセントもあるし、いいんじゃないか、ここ。よし、泊まろう。……と言いつつ、まだ心のどこかで信じきってないのはソフィアでの緊張感が持続しているからなのか。一人旅をしている以上、必要なものだけど。
●ヴェリコ・タルノヴォ逍遥
それでもとにかく旅装を解き、外へ。
お腹も減ったし、ここから次に移動する時の目途だけは立てておかないと。多分この次はルーマニアに行くだろう、それにはやはり好きな鉄道で動きたい。ということで下見がてら、町外れにあるという鉄道駅に向かう。途中にいいところがあれば食事にすればいい。まずはメインストリートヘ。
本当に古い町並みがそっくり残ってるなあ。
ここはかつて、バルカン半島を支配下に置いたこともある第二次ブルガリア王国の首都だったこともある古都だというが、城はともかく、どこにそんなに人民の家があったんだろう。川が渓谷を刻んでいる谷あいの町なのに。当時(12〜14世紀)は違ってたってこともないだろうし。当時の規模のままなのかな。
適度な幅の石畳敷の道路がそここに伸びており、道行く人々の表情からも、ブルガリア人だから陽気というわけではないが、ソフィアと比べ、何か活気のようなものを感じる。この町の人口は七万ほどだそうだけど。歩いていると、二回プライベートルームのお誘いを受けた。もしかして結構な数あるのか?
にしてもこの街、小さいなあ。川に沿って曲がっているので、全体を俯瞰して見る印象よりはずっと歩きではあるだろうけど、規模自体はそんなでもない。一キロも歩いたら端から端まで歩いてしまえるんじゃないだろうか。
プライベートルームの勧誘をしてきたおばちゃん(彼女達は英語が話せるから助かる)に尋ねると、鉄道駅は街から二キロほど離れた谷底にあるらしい。観光客はともかく、地元の人が使うのに、夜とかはどうするんだろう。……家の人が車で送迎すればいいだけか……。切符の手配はわざわざ鉄道駅まで行かなくても、町の中心にあるツーリストインフォメーションでできると教えてくれたけど、あいにく今日は土曜日。例によって土日は休みなんだよなあ。ま、今日はまだ時間もあるし、街歩きをする日のつもりだったから、暇潰しがてら歩いて行ってみるよ。
予想以上に山道な駅へ続く道。本当に着くのか?
人気が全くない山道を延々と歩き続け、やっとの思いで駅に辿り着くと、そこには駅舎と食堂以外、何もなかった。
本当にここ、特急の国際列車が停まるような駅なのか?
どうせ誰もいないんだろうなと、駅舎に入ってみてびっくり。チケット売場に文字通り長蛇の列ができていた。外から見たら人気なんてなかったのに。
しかも予想通り、時刻表はブルガリア語、つまりキリル文字表記のみ。覚悟してたことなので、キリル文字をガイドブックの対応表を頼りに読み解く作業に入る。が。いくら必死に読んでも、ルーマニアのブカレスト行きの便が見当たらない。乗り換えが必要なら駅員さんに相談しないといけないけど、この混雑振りではとても声を掛けられるような雰囲気じゃない。なんでこんなに混んでるんだ?
ま、町の雰囲気もかなりいい感じだし、急いで出て行くこともないだろう。じっくりと調べればいいや。
……ブルガリアはキリスト教圏だから、性的規制が緩いんだっけ。いや、天下の往来で堂々と激しいキスに励むカップルがいたので、イスラム圏じゃなくなったんだなと改めて実感した次第で。
今日はもうこれ以上駅にいてもできることはないので、町に戻ることにする。
途中、来た時とは別の道を選んで歩いていると、なんか丘に出た。スヴェタ・ゴラ(Света Гора)の丘というらしい。市民の憩いの場のようだ。僕の持っているガイドブックには何も書いてないが、中欧全体のガイドブックだからあんまり詳しくないんだよなあ。ここに来るには町からはぐるっと回り込まなくてはならず、しんどそうなので、何があってもなくてもこの機会に登っておこう。明日発たないとすると、時間はあるわけだし。
思いのほか傾斜はきついが、よく整備された丘だ。タイミング的なものか、人気の全くない山道を歩いて行く。
と、ふいに目の前にパノラマが開けた。旧市街とツァレヴェッツの丘(かつての王城の跡。今でも堂々とした構えの遺跡だ)が一望の下に広がっている。予想もしていなかった景色に出会い、しばし心を奪われる。
うわあ、ここは来てよかった。幸運に感謝。
しばらくパノラマを眺めてぼんやりしていると、散歩にやって来る市民も何人かいた。やはり憩いの場だったのか。犬を散歩させたり、山羊を散歩させたりしている。
この町の人は総じて愛想はいいんだけどはにかみ屋で、シャイというかこっちをあまりまともに見てこない。このへんは日本人と通じる面があるなあ。
と思っていたら、スヴェタ・ゴラの丘を降りて宿に戻る途中、街中で出会った子供の集団が、僕を見て口々に
「グーテンタグ!」(ドイツ語)
「ハーイ!」(英語)
「ドーバルデン!」(ブルガリア語)
と色々な言葉で挨拶してくる。やはり子供は元気だ。
正直、この町に来てブルガリアの印象が一変した。ソフィアは一体なんだったんだ?
これだけ旅してきてつくづく思うのは、「何を見るか」以上に「誰に出会うか」が重要だ、ということだ。
●まどろみの古都
腹ぺこだけどいいレストランがわからないので、宿近くの雑貨屋で遅めの昼食を買い込んで部屋に戻ることにした。2リットルのジュースとアルプスの少女ハイジに出てくるようなパン、パンにつけるクリームチーズでしめて2.2レヴァ。大体一ドルくらい? 安い!
部屋に戻った時点でまだ3時だったので、一息入れたら博物館やこの町最大の見所、ツァレヴェッツの丘を見に行くつもりだったのに、ついうとうとしてしまって気が付いたら5時前。観光ポイントはいずれも5時までしか開いてないから、今日はもう無理だな、仕方ない。せめて旧市街の雰囲気だけでも存分に味わっておくことにして、ツァレヴェッツの丘の入り口まで、博物館や教会、古い町並みの中を散策する。
ブルガリアでは荷物を搬送するのに、車はもちろんだが、今でも普通に馬車が使われている。この景色はそのまま経済発展の度合いを現しているともいえるんだろう。車にしても相当な古さのものが当たり前の顔をして走っているし。馬車そのものは東南アジアでも散々見てきたけど、やはりスタイルがちょっと違う。
それにしても、ここの冬はよっぽど寒いんだろうな。ここまで見てきた家、どれも二重窓だ。
●偶然×2
六時を回って暗くなりだしてきた。夕食にしたいがいいレストランが分からないので、クリストフに尋ねようと彼の家へ戻っていると、雨が降ってきた。結構強い。雨具なんて持っていないので、家々の軒下を伝ってどうにか辿り着いた。
クリストフは不在だったので、時間潰しに一階の軒下でじゃれあっていた三匹の仔猫と遊ぶ。どうやら生まれてまだそんなに経っていないようで、みんな掌に乗るくらい小さくてかわいい。
しばらく遊んでいると、一組のカップルが前を通りかかった。なんとなく物腰が気になったので見てみると、日本人!
プライベートルームのおっちゃんが「この町に観光に来る日本人は多いよ」と言っていたけど、今日歩いた時には一人も見かけなかったし、そうでもないんじゃないかと思ってたのに。いるもんだなあ。
お互いにこんな所で他の日本人と会えたことが珍しく、仔猫と遊びながら雨宿りも兼ねて話し込んだ。
彼らは今現在で9ヶ月旅をしていて、この町は今日で2日目らしい。彼らも次の目的地はブカレストで、同じく月曜にツーリストインフォメーションが開くまでどうしようもないらしい。彼らは仕事してお金を貯めては旅に出るタイプの人だそうだ。男性は長井さんといって30歳、女性は小原さんといって28歳だとか。
とかなんとか色々話していると、またしても男女二人組の日本人が通りかかった!
確かにここは旧市街の旧街道で、観光客が通る所ではあるけど、それにしてもなんて偶然だ。
後からやって来た二人は青年海外協力隊の隊員で、今は遊びにここに来ているそうだ。元隊員の友人なら何人かいるけど、任期中の隊員に会ったのは初めてだなあ。巡り合わせというのは面白いものだ。
話しているうちに、五人で一緒に夕食に行こうという事になった。まだ雨はやまないので、長井さんに傘に入れてもらって動く。
道すがら話したところによると、協力隊の二人はそれぞれ、男性の方は石川さんといって、この四月からブルガリアの他の町にSEとして着任している29歳。プロボクサーだったこともあるらしい。女性の方は竹中さんといって、この町で幼稚園の先生をしている28歳。なんか充実してる感じがするなあ。僕は一人旅をしている31歳……ってもしもし? なんで僕が年齢を言ったらみんなびっくりするの? もっと若く見えていたんだと勝手に解釈しておこう。
それぞれがいろんな経験をして来ているので、各自がここまでの経験を話し合うだけで時間はあっという間に過ぎていく。
長井さん、小原さんの旅の話では、イランでは基本的に羊肉しかないので食べていたら体が臭くなった話とか、パキスタンで交通事故に遭った話とかが印象深かった。
石川さんと竹中さんの、実際にここに住んでいる人ならではのブルガリア評は興味深い。やっぱり住めば都じゃないけど、ここも面白い國なんだなあ。ただソフィアは別で、人が冷たいらしい。あ、やっぱり。さっさと逃げ出して正解だったんだ。ブルガリアに派遣される隊員に出される給料は、全世界の国の隊員の中で下から二番目だそうだ。へええ? 悪いけど、もっと貧しそうな國はいくらでも思いつくんだけどなあ。意外。
などと話し込みつつ、ブルガリアに詳しい(もちろんブルガリア語のメニューも読める)隊員の2人にお任せして、一人では絶対食べないようなブルガリア料理に舌鼓を打つ。
生ビールにカヴァルマ(Каварма。豚肉や野菜、チーズなどの煮込みオーブン焼き)の卵と猟師風、キョフテ(Кюфте)のチーズと鳥、フライドポテトwithチーズ、アイスと色々食べたのにわずか8レヴァ。安いなあ。お腹も心も、こんなに満たされたのは久しぶりだ。
食後、ツァレヴェッツの丘の城壁が夜10時からライトアップしてるかもとのことで、雨も止んでいるので連れ立って歩いて行ってみるが、残念ながらなし。四人と別れて部屋に戻る。
シャワーを借りて部屋でくつろぐ。が、もう夜11時をとっくに過ぎているのに、川向かいのホテル・ヴェリコ・タルノヴォの庭で大音量でコンサートが行われているようで、うるさい。五月に行った、ラオスのパクセを思い出すなあ。
ブルガリア 9月29日(日) ヴェリコ・タルノヴォ
九時半に目覚めて外を見ると、雨。
テレビをつけて天気予報を見ると、バルカン半島全体が雨模様のようだ。仕方ない。仕方ないんだけど、今日はどうしたものか。これでは観光は無理だしなあ。参った。
せめてメールでもと新市街へネットカフェを探しに出る。が、見つからない。雨も止む気配がないので仕方なく、風邪を引く前に一度戻ることにした。その道すがら、ふと見たビルの中、パソコンが何台か並べてあるあの雰囲気は……あった。ありました。案外宿の近くじゃないか。キリル文字のみでインターネットと書いてあったから分からなかったんだ。
だって『ИНТЕРНЕТ』としか書いてないんだから。でもここ、日本語環境はあるのかなあ。なさそうな気がするなあ。
とりあえずパソコンより空腹が勝ったので、当初の予定通りに雑貨屋でパンを買って部屋に戻る。
それにしても、街のどこを歩いていてもプライベートルームの声がかかるなあ。中には日本語の推薦文を持っている人までいるし。これは部屋を移れっていうことなのか? でも窓からの景色と居ついている仔猫は魅力だしなあ。ということで、今日もアパートの下でじゃれ合っていた仔猫達と遊ぶ。
たっぷり遊び倒してから部屋に戻った。
パンを食べてくつろいでいるうちに眠くなってきたので、ちょっとベッドに横になってうとうとする。なんか途中から雨音がしなくなった気もするけど、よく覚えていない。はっと目が覚めた時には、外はもう暗くなっていた。時計を見ると午後7時。やっちゃったよ。我ながら呆れるなあ。雨も上がっていたし。もしかしたら、観光する時間はあったんじゃないだろうか。
夜とは言ってもまだ早い時間だ。このまま部屋にいるのも癪なので、外に出る。もう夜なので新市街まで行く気にはならないが、近くをぷらぷらするぐらいならいいだろう。ここなら治安的にもそんなに問題はなさそうな皮膚感覚だし。
昼間に見たネット屋に行くが、満員だった。見た時に行っておくべきだったか。まだ開いていた雑貨屋で、別の種類のパンを買って帰る。これが夕食。さすがに小麦粉文化圏だけあって、パンの種類は豊富で、味もいい。お金も一食一レフ(60円)くらいで済むし。まだ米の禁断症状は出ていないし、これで今日はオッケーにしよう。
さあ、明日は晴れてくれるかなあ。
ブルガリア 9月30日(月) ヴェリコ・タルノヴォ
今日も朝から雨。参ったなあ。
一日中本降りってことはないと思うので、止むのを待つことにして部屋で待機。が、昼を過ぎても小雨になっただけで、止む気配は全くない。仕方ないので思い切って出かけることにした。ヴェリコ・タルノヴォ最大の見所、かつて第二次ブルガリア帝国の都だった時には宮殿だったという、ツァレヴェッツの丘(Царевец)へ。
くそう、傘はどこに売ってるんだよお。仕方ない、ウィンドブレーカーだけが頼りだ。風邪は引きたくないなあ。
まずは丘の入り口へと向かうが、アジアからヨーロッパまで見てきて思うが、西に来るほど物乞いの態度がでかくなってる気がする。今日いた子供なんて、露骨に見下した目でこっちを見ながら「仕方ないからもらってやるよ。ほら、出しな」とばかりに手を突き出してきたし。キリスト教文化圏に、施しをすることで徳を積むという思想はないはずなんだけどなあ。
●ツァレヴェッツの丘
さて、ツァレヴェッツ。旧王城の遺跡の丘。
入ろうとチケット売場に行くと、そこのおっちゃんが
「お金はいらないよ。入りな」
と通してくれた。雨の日に一人で来たからサービスしてくれたのかな? ありがとう、おっちゃん。
でも、さすがに天気が悪い平日だけあって、人気はない。見渡す限り、僕以外に三、四人いるかなってところだ。
この丘の入り口、狭い鞍部に門を作り、そこから城壁に挟まれた石畳がすっと伸びていく様は絵になるなあ。雨と靄に煙る様も来てみれば風情があっていいように感じるし。
順路もなく自由に歩けるので、まずは左右に広がる城壁に沿って、端から端まで歩いてみることにする。考えてみたら、中世ヨーロッパの城というものに入るのはこれが初めてだなあ。
ここの宮殿は攻められて滅んだだけあって廃墟と化しているが、修復保全はまだまだこれからだなあというのが正直なところ。至る所で木は生え放題・伸び放題、石畳の破損箇所もとりあえずコンクリートで固めて崩壊を止めてます、というのが基本的なパターンのようだ。というか、そもそもこれ以上の修復作業を行う予定はあるんだろうか。
思い切って来てよかった。結局雨はだんだん小降りになってきたし。城壁沿いにぐるりと巡る。南端の鐘楼跡から、北端の城壁が切れて小段丘になっているところまで、大体見て回った。
石造の基礎がしっかりしているから残っている、遺跡と城跡の中間という印象だ。栄枯盛衰を感じられて味わい深い。
さて、次はいよいよ丘の頂上にある教会だ。このかつて宮殿だったであろう中心部は、今では教会になっている。ガイドブックによると大主教区教会というようだ。廃墟の中にぽつんと聳える教会というのも味わい深くていい。急な斜面の坂道を、教会へと登りつめていく。周囲の風景とマッチした、そんなに大きくはないが堂々とした構えの教会だ。
中に入ると、受付におばちゃんが一人、ぽつんと座っていた。こんなところにずっと一人でいる仕事ってのも大変だなあ。
教会の中は賛美歌が流れていて、装飾や灯りなどもシックな感じで、いい雰囲気だった。人は一人もいなかったけど。ふうん、教会ってこんな感じなんだ。牧師さんとか神父さんとか、なんかそんな感じの人がいるとは限らないんだな。まあ日本のお寺でも必ず住職がいるとは限らないしなあ。
教会のすぐ脇には今はもう使われていないのが一目でわかるツーリストインフォメーションの建物があった。いい感じの遺跡だと思うけど、もうちょっと保全に気を使った方がいいんじゃないのかなあ。せっかくあるのにもったいないと思う。
帰り道、門に差し掛かると僕に気がついた入り口のチケット売場のおっちゃんが話しかけてきた。
「どうだった?」
「良かったよ」
「それはよかった。ところでお前は日本人か?」
「そうですよ」
「そうか。俺はトルコ人だ」
そう言って、おっちゃんは胸を張って笑った。
なるほど、この地はオスマントルコ帝国領だった期間がけっこうあったもんなあ。というか、この宮殿はオスマントルコの猛攻で落ち、瓦礫の山と化したんだった。歴史だなあ。
ちなみにこの会話は全てブルガリア語。ちゃんとは分からないが、流れとフィーリングでこんな感じ。おっちゃんの写真を撮らせてもらえないかとカメラを出すと、わざわざブースから出てきて城をバックに撮らせてくれた。
●町歩きいろいろ
部屋に戻る道中、土産物屋に寄って絵葉書を買う。ここの店員さんは英語ができ、加えてすごく愛想がよかった。あんまり感じがよかったので、全く買うつもりのなかったバラのオイルを買ってしまった。本当、この町に来てブルガリアの印象が一変した。
この辺りの人って、こっちが一人旅の観光客だと知ると、どのプライベートルームに泊まっているか、かなり気にする。色々あるんだろうな。僕がクリストフのところに泊まっていると言うと、まあ普通なんだろうなという反応が返ってくる。ちなみにまだ、雨は降り続いている。
すっかり僕を見ると膝に乗ってじゃれついてくるようになったクリストフのところの二匹の仔猫と遊んでから部屋に上がり、部屋で暖まりつつテレビを見て一服。ドイツの代表ゴールキーパー、カーンを起用したCMもあった。ヒーローだなあ。それより何より、テレビでドラゴンボールをやっていることに驚いた。ブルガリアでまで……日本のアニメって、本当に世界を席巻している。
まだ夕方にもなってないし、雨も小止みになったので、部屋から少し歩いたところにある旧街道沿いの土産物屋に行き、ブルガリアの伝統音楽のCDを買う。今まで音楽CDは買わずに来たけど、なぜかブルガリアのは欲しくなった。またここの土産物屋のおばちゃんが、置いている各種CDの内容を一枚一枚説明してくれて、これまたえらく感じがいい。一枚15レヴァ。安くはないけど、名高いブルガリアン・ボイスが聞けるんだからいいだろう。
雨はまだ降り続いているが、こうなったらできる限り用事を済ませてしまえと、郵便局とツーリストインフォメーションに行くことにする。時計を見ると、3時40分。郵便局は5時まで、ツーリストインフォメーションは6時まで開いているはずだ。当然まずは郵便局へ。
この國では、郵便局と電話局は隣り合っているものらしい。ここかなと思って入り、通じるかどうかは分からないが、日本語よりは可能性があるので英語で尋ねてみる。
「エクスキューズミー? ヒア、ポストオフィス?(我ながら貧弱すぎる英語で泣けてくる)」
すると一番近くにいた、いかにも紳士然としたおじさんがこっちを見て一言。
「チノ?」
話には聞いていたが、本当にヨーロッパではまず中国人と疑われるんだ。(考えたらチノのキノもチャイナも、みんな支那から来てるんだよなあ。なんで日本では中国って言うんだろう?)
「ノー。ジャポン」(ブルガリアでは、英語よりフランス語やドイツ語の方がまだ通りがいいらしいので)
と言うと、目に見えておじさんの愛想がよくなった。それはともかく、話によるとここは郵便局ではなく、電話局だそうだ。そのおじさん、わざわざ自分の持ち場を離れて出てきてくれ、横の郵便局まで案内してくれた。どうもありがとうございます。
日本や海外の知人に送る絵葉書、合計7枚で4レヴァ弱。切手を買って葉書に貼り、外にあるポストに投函するんだけど、ここでもスタッフがえらく感じがよかった。案内板の表示がブルガリア語のみなので分からず、記念品売場のおばさんに「どこに並んだらいいの?」「ポストはどこ?」等々、色々聞いてしまったけど、忙しそうなのに親切に教えてくれた。
皆、好意的なので嬉しくなってくる。本当にありがとう。
さて、次はいよいよルーマニアはブカレスト行きのチケットを買うべくツーリストインフォメーションへ。
バスもあるのでそれで行ったらどうかというようなことを言われたが、僕としては可能な限り列車で行きたい。便はあるかと尋ねたら、三本あるらしい。11時50分発、13時10分発、00時02分発。
話の内容が何かひっかかるので詳しく尋ねると、後の二本はここヴェリコ・タルノヴォからではなく、15キロ離れたゴルナ・オリャホヴィッツァ(Grna
Orajahovitza)から出るらしい。鉄道の乗り換え駅でもあり、そこそこ大きい町だそうだが。ヴェリコ・タルノヴォに停まる便はイスタンブールからの列車なのでよく遅れるため、ゴルナ・オリャホヴィッツァから乗る便がお薦めらしい。列車代は約20レヴァ。そんなもんか。そのゴルナ某まではここから10番バスに乗って20分らしい。確かにすぐ近くだな。
でも、ブカレストに着いた時のこと、こっちを出る時の事を考えると、深夜発も深夜着も勘弁願いたい。都市部の夜の治安は正直他のブルガリアの町では不安だし、ルーマニアのブカレストは治安が良くないので有名だし。しかも深夜発だと、国境のパスポートコントロールの時にまた叩き起こされるんじゃないか?
ということで、一日一本だけのヴェリコ・タルノヴォ発のに乗る事にする。チケットを買おうとすると
「ここでは買えない」
とのこと。近くのレイルウェイビューローで買わないといけないらしい。
教えられたとおりに歩いて探すが、見つからない。航空会社のオフィスならあるんだけどなあ。もう一度インフォメーションに戻って尋ねる。BDZの看板が出ているビルがそうらしい。
あ、あった。こんな暗めの雰囲気では分からないよ……。ともかく入って買おうとすると、受付の人に横のカウンターを示される。が、そこには誰もいない。え?
なんでも、受付は16時30分で終了したらしい。って、まだ16時40分なんだけどなあ。
「また明日来てね」
まあ確かに、もう誰も居ないんだからそうするしかない。くそう、ここを探し当てるのに迷いさえしなければ。あるいは、実際は19時まで開いているらしい郵便局を後回しにしていれば。残念。
ま、仕方ないか。なんとなれば当日駅で買ってもいいだろうし、どうしようもなければバスも考えられるし、なんとでもなるさ。
ともあれ次にネットをしようとインフォメーションで場所を尋ねる。え、そんな近くにあるの?
教えられたところに行くと、確かにありました。ネット対戦を遊ぶのがメインの、ゲームセンターみたいな感じの所が。
大体ネットカフェって、ツーリスト向けかゲームセンター化してるかのどっちかだよなあ。座った横では、ブルガリア人の兄ちゃんが日本の戦国シミュレーションゲームっぽいのをしている。横のモニターから日本語で
「進めい!」
「ぬう、無念じゃ……!」
とか聞こえてくるので変な気分だ。
肝心のネットは、Yahoo.comには行けても、日本のサイトに行こうとするとマシンがどうしてもフリーズしてしまう。仕方ないから最低料金の10ストチンキ払って退出。インフォメーションでもう一軒教えてもらい、行く。今度の所では日本語フォントをダウンロードする必要があったが、ようやくメールを読むことができた。ほっとしたよ。ここの料金は1時間1レフ。安いよなあ。
今日も今日とて雑貨屋でパンを買って夕食にする。安いしおいしいし、ちとわびしい以外は何の問題もない。
明日の行動は、明日の天気を見てから考えよう。昼まで本降りだったりしたら、出発を一日延ばした方がいいだろうし。