ほろほろ旅日記2002 9/1-10

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タイ 9月1日(日) バンコク

 マレーシアから帰ってきた日に再会した兄ちゃんが、今日ミャンマーへ旅立った。良い旅を。
 入れ替わるように、マレーシアに行く前日に会ったバンコクで英会話学校に行っていた人と再会。縁とは本当に妙なものだ。

 ウィークエンドマーケットにでも行こうかと考えていたが、日曜日は早めに終わるとのことで、やめ。日曜日はどこに出かけても込んでいるし、近場で見たいところはもう見尽くしたので出かける事自体、やめ。
 ネットカフェと宿のロビーでごろごろと過ごすが、今日一日で一気に宿泊客が減った。ホリデーシーズンも終了に向かいだしたか……。


タイ 9月2日(月) バンコク

 カオサンの代理店、いつの間にやらなじみになったMPツアーに出向き、ラオスビザ申請。出来上がりは木曜日。
 後で考えたら、どうせ時間があるんだから、遠くても自力でラオス大使館に出向いてもよかったよなあ……。失敗。


 次いで日本人街に行って本を売り、日本風調理パンを買って後エンポリウムをぶらつく。
 特に面白そうな映画もやってなかったので帰ることにして、BTSを最後まで乗り、船に乗り継いで宿へ。
 

 ピーチーゲストハウス一階のネットカフェでだらだらしていると、6月にカンボジアで会ったSくんに出会った。バンコクは再会の町だなあ、本当。前回プノンペンで会って以降、彼はラオスとミャンマーに行っていたそうだ。当初この後西を目指す予定をしていたのを、英語の学校に行きたくなったからオセアニアを目指す事に変更したとか。いろいろだなあ。


タイ 9月3日(火) バンコク

 ふと思ったのだが、海援隊の『贈る言葉』にある、
「♪信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい」
 って、基本的に海外で旅人がそれを実践したら、あっという間に全てが終わるよなあ……。



 とにかくよく寝た。数えてみると12時間以上。おかげでなんか今日は元気だ。
 午後、郵便局へ行き、日本にいる友人と兄弟に小包を送る。嵩張るものだとはいえ、高いなあ。2パックで1170バーツもかかってしまった……。

 その後、ラオスはシーパンドンの人達への土産に写真をプリントして持っていこうと写真屋を探す。近場にあった写真屋はやたらと混んでいて、しかも何か日本人客がスタッフを占領していて、何時間待てばいいのかわからないような状態だったので断念。
 他の店を探すが、見つからない。コダックの店はそこらじゅうにあるんだけど、フジフィルムの店はなかなかない。しかもメモリーカードからプリントする必要があるので、さら店が限定されてしまう。というか、見つけられなかった。数時間経って最初の店の前を通りかかると、まだ店内は混みまくっていたし。これはもう仕方ない、今日はあきらめよう。
 帰り道に古本屋で、前から気になっていたロードオブザリングの原書第一巻、『旅の仲間』を購入。英語でこの分厚さ、果たして読みきれるだろうか。でも日本語の本だとすぐに読み終わり、嵩張るわ手持ち無沙汰だわで困っていたから丁度いいかも。

 宿に戻ってくると、一階の食堂の兄ちゃんが僕を見て声をかけてきた。
「今日はまだ、ここで食べてないぞ」
 うーむ、完全に常連と化しているなあ……。


タイ 9月4日(水) バンコク

 それにしても、日本人旅行者の男で頭にタオルを巻いている者が非常に多い。白人や現地の人の間ではほとんど見かけないのに。猿岩石の影響がまだ残っているとかだろうか。分からん。

 ラオス行きにあたって必要な買い物をする。チャイナタウンに行こうかとも思ったが、結局行かずに全ての用事が済んだ。
 まずは昨日できなかったデジカメプリント、一枚10バーツ。まあ仕方ない。ついでにデジカメのデータをバックアップの意味でCDに焼いてもらう。
 たまたま見かけた金物屋で欲しかったナンバー錠を発見、即購入。ひとつ110バーツ。以前MBK(マーブンクロン)で100バーツで買ったから、そんなもんだろう。カオサンとかだと250バーツで売ってる所もあるんだから。
 明日は日本人街に行くかな。


タイ 9月5日(木) バンコク

 9月1日に再会した英語学校に通っていた兄ちゃんが、今日の深夜便で日本に帰国するそうだ。気をつけて。

 昼に焼き増しを頼みに写真屋に行くと、なぜか女子中高生であふれ返っていた。何があったんだ?
 関係ないけどタイの中高生の制服、なんとなく日本を思い出すなあ。


 なんとか用事を済ませ、次に日本人街へ向かう。が、車がいつになく混んでいて、二時間近くかかってしまった。
 ラオスへの手土産にと、折り紙とスーパーで見かけたアラレを購入。気に入ってもらえるだろうか。


 午後五時半、帰宅にかかる。またしても殺人的な混みようだ。さすがバンコク。
 いつ帰り着けるのか本気で見当がつかない渋滞ぶりだったので、バスを降りてBTSに乗り換え、シーアム(サイアム)まで出る。BTSのチケットを買う時、タイ人の兄ちゃんと譲り合う形になり、顔を見合わせて笑った。こういうささいな事が嬉しいんだよなあ。
 BTS内では日本人のビジネスマンらしき数人のおっちゃん達が
「バンコクのバスはよく分からん。絶対一人では乗れない」
 とか喋っていた。そうか、僕は慣れたのか。確かに最初の頃はそんな風に思っていたよなあ。
 そういえばここに至って、ほぼ間違いなく日本人を日本人と見分けられるようになった。日本人は顔立ちとか以上にその目つき、表情に特徴がある。その見分けがつくようになった。

 午後七時、シーアムから乗った2番バスでカオサンに戻り、まだ開いていたMPツアーでラオスビザを受け取る。よしよし。


タイ 9月6日(金) バンコク

 アクロスに行きそびれてしまった。明日行かなくては。
 おかげで日曜夜にラオスに向けて出発する予定が狂ってしまった。参ったなあ。

 夜、ピーチーGH下のネットカフェで遊んでいると、Sくんがやって来た。なんでもここに投宿しているんだそうだ。よく会うわけだ。
 暇だったのでいろいろ話し込んだ。
 大学を出たての彼だから、そりゃあ感性は僕と違って当然だけど、それでも受け入れられないこともある。
 だって彼、
「旅は若い時にするもので、30や40になってまでしてる人はダメですよね。おかしいですよね」
 とか熱く語ってくるのだから。
 自分で思う分にはいいけど、他の旅人、それも30を超えている僕に同意を求められても……。
 他の旅人や現地の人、自分とは思考も行動も全く違う人々から刺激を受けるのが旅の醍醐味の一つとはいえ、さすがにこれは……。
 思わず、
「それは違うよ」
 と熱く語ってしまったけど、どこまで理解してもらえたことやら。


タイ 9月7日(土) バンコク

 がんばって早起きし、8時半に来た15番バスで移動。これが恐ろしいほどガラ空きで、カオサンの北の外れにある宿からパッポン通りの近くにあるアクロスまで一時間もかからず、9時10分には着いてしまった。嘘だろう?
 アクロスで無事ガルフエアのチケットを受け取る。帰りにリコンファームが必要なのか。面倒臭いなあ。
 日本への帰国便も押さえておく必要があるかなとも思ったが、面倒臭いからまだいいや。

 日本人街へ移動。この後は当分機会がないだろうからと、おにぎりと日本式のパンを山のように買い込む。

 すっかりビールを飲む生活に慣れてしまったけど、タイのビールは基本的にシンハとチャンだな。チャンの方が安いけど、味の好みとしてはシンハのほうかなあ。


タイ 9月8日(日) バンコク

 紀伊国屋でチャンピオン購入。駅には行けず、ラオス行きは一日延期。特に理由はなく、単に気分的なもの。いかんなあ。


タイ 9月9日(月) バンコク

 ホァランポーン駅に行き、ウボン・ラチャタニー駅行きの夜行券を購入。これでやっと動ける。一度だらだらモードに入ると再始動には時間と力が必要だなあ。


タイ 9月10日(火) バンコク →

 さあ、久しぶりの移動だ。
 ヨーロッパに行った後で時間のなさを嘆くことになるのは確定だけど、仕方ない。
 11時半、チェックアウト。列車の時刻までリュックを預かってもらおうとしたら、フロントのおっちゃんが、
「手数料に10バーツかかる」
 と言ってきた。え、以前は無料だったよ?
「いつから変わったの?」
「変わってない。元から10バーツかかっている」
 こらあ! 10バーツは高くないけど、人が納得してないのに、勝手に10バーツ払って荷物を預けるように手続きを進めてるのに腹が立った。このおっちゃん、以前も人の洗濯物を紛失しておいて、
「もう渡した」
 とぬけぬけと言っておきながら、後から出てきたら平然と渡してきたような人だからなあ。これがタイ人平均だとは思わないけどさあ。あー業沸く。重くてもいいから持って歩くわい! 最後の最後に面白くないなあ。

 7時半までネットカフェ等で時間を潰し、バスで駅へ。
 ウボン行きの寝台夜行は夜9時に発車した。この時期は外人客は少ないなあ。しかもウボン行きだしなあ。


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