ほろほろ旅日記2002 6/1-10

前へ


タイ王国 Kingdom of Thailand
6月1日(土) バンコク

 ……あかんがいや。起きられへん。
 まさか二日連続で寝過ごすとは。昨夜は思い切り早寝したのに、二時間ほどで目が覚めてしまって、そのまま夜明けまで寝付けなかった。なんなんだ。時計を見ると12時半。チェックアウト時刻すら過ぎているじゃないか。もう一泊するしかない。こうなったら明日以降、早起きに失敗しても、普通に起きられたらアランヤプラテートまで行くことにしよう。アランヤプラテートに行く列車は、早朝の次は昼下がりまでないので二の足を踏んでいたが、そうも言ってられなくなってしまった。

 それはいいんだが、我ながら心配なのが今、「次に行こう!」とする、前向きのモチベーションが湧いてこないことだ。何故だろう。お金がもったいないが、ここはあえて浪費して、ぐずぐず留まっていてはいかんと思うように仕向けてみよう。
 ということで、サイアムの伊勢丹に週刊少年チャンピオンを買いに行く。そう決めたのはいいけど、そちらに向かう15番バス、全然来ないんですが。40分待って来たバスに40分乗って到着。帰りのバスは1時間半待って、ようやく来た。バンコクの渋滞は凄いというのを改めて実感。チャンピオンは175バーツもしたが、その甲斐はあったように思う。


タイ王国 Kingdom of Thailand
6月2日(日) バンコク

 昨夜、下痢が悪化したせいもあって寝つきが悪かった。早朝に目が覚めた気がするが、夢うつつの状態のまま起きられず、再度眠りについてしまった。再び目覚めた時には午後二時を過ぎていた。
 体調がなかなか好転しないので薬局で薬を買おうと思ったが、どことも閉まっていた。そういや日曜日だった。そこで、口にするものを変えてみることにした。スポーツドリンクや乳酸菌飲料を摂り、水はドリンキングウォーターをやめ、高くてもミネラルウォーター。効果があるかどうかは知らないが、なんとなく良さそうだったもので。浅智恵かな?

 カンボジアを再訪する目的は、大きなものとしては2つある。一つは前回駆け抜けたカンボジアをちゃんと見ること。もう一つはカンボジアの鉄道に乗ること。前回とは違って時間の縛りはないので、一つめは問題ないだろう。が、二つ目は……。なんかガイドブックを見てもろくなことが書いてないし、乗ったという旅行者にも会った事がないので、もしかしたら難しいのかもしれない。廃線になってるという噂もあるし。
 ともかく、地図を見る限りではプノンペンを拠点に三路線が延びている。その中で唯一タイ方面に伸びている路線の始発駅がバッタボンなのだ。以前はタイと線路が繋がっており、最近までは国境近くまで走っていたそうだが、今は一部廃線になり、バッタボンからになっている。ガイドブックを見ても特に目ぼしいことの書いてないバッタボンに行こうとしているのは、鉄道の始発駅だからである。この路線でなくてはいけないわけではないが、一度シェムリには行っているし、機会は少しでも多いほうがいい。


タイ王国 Kingdom of Thailand
6月3日(月) バンコク → アランヤプラテート

 これから当面の間、サッカーワールドカップの日本戦の日程が、旅の行程に大きく影響してくる事になる。サッカーは特に好きというわけでもないんだけど、ワールドカップは見たい。周囲の空気に影響されてるのかなあ。

 早朝には無理だったが、普通の時間に起きてようやくチェックアウト。体調を気にしながらホァランポーン駅へ。1305発の普通列車でアランヤプラテートへ。例に漏れず、よく混んでいる。
混雑してるというか、程よい人込みというか。本数少ないし。
 二時間も進むと、360度どこを向いても地平線という状態になった。目の届く限り、ひたすら田んぼだ。やっぱり地平線は見ると感動するなあ。たまにぽつんと村が現れたと思ったら、駅に停車する、といった具合だ。
 終着駅が近づくと、列車内でGHのビラを配り始める。ここでもやってるんだ。最初は驚いたが、そろそろ慣れた。薄暗くなってきた1830、到着。

 駅から外に出ると、町の規模からすると多すぎるトゥクトゥクが待ち構えていた。客引きの群れの中に飛び込むのもなんなので、駅の中で少しぼんやりしていると、同じようにしている一人の東アジア人旅行者を見つけた。何人かわからなかったが、日本語で話し掛けてみて反応があれば日本人だろうと「日本の人ですか?」と声をかけると、「いいえ、韓国人です」と日本語で返事が返ってきた。ごめん……。
 ペラペラというわけではないが、カタコトの日本語が話せるこの人と一緒に、アランガーデン1ホテルまでなら無料というトゥクトゥクに乗る。あとで見たら、列車内で配っていたチラシにもこのホテルのものがあった。FANのみでシングル一泊150バーツ、テレビつき200バーツ。テレビつきにしよう。
宿。思わずテレビつきを借りてしまった。

 一息ついてから、夕食と散歩をかねて外に出る。コンビニに入ったら、二人組の日本人青年がいた。気にせずお菓子を物色していると、向こうから声をかけてきた。シェムリアップに向かうらしい。基本だな。自分はバッタボンに向かうと言うと、「その町には何があるんですか?」と聞かれた。何があるんだろうね。駅があるってことしか知らないよ。
 アランヤプラテート、なんか面白い町だな。雰囲気がなんかいい。屋台や食堂の人、道行く人、路傍で遊ぶ子供達。みんな楽しそうで、ぶらつくだけで楽しくなってくる。食事はタイの麺料理、一杯10バーツ。それにしても、みんなW杯見てるなあ。分かってたけど、サッカーは人気がある。明日は日本・中国・韓国と東アジア三カ国の試合があるから、注目度はもっと上がるんだろう。夜九時過ぎにスコールが来たので宿に戻る。

 バッタボンに行くというと、ホテルの人から屋台の姉ちゃんまで、みんながみんな「なんであんなとこに行くんだ」と聞いてくる。何もないんだな、つくづく。従業員の兄ちゃんには、真剣な顔で「ボーダーからバッタボンの間にはバンディッツ(山賊)が出るから危ない。できるならやめた方がいい」と言われた。まあ必ず出るってわけではないらしいが……。
 うーむ……やっぱりシェムリに行こうかなぁ……。でも、ここで頼んで300バーツってのは……バンコクからでも250バーツほどなのに。


タイ王国 Kingdom of Thailand → カンボジア王国Kingdom of Cambodia
6月4日(火) アランヤプラテート → ポイペット → シェムリアップ

 40バーツのトゥクトゥクで国境に7時半に到着したが、まだ開いてない。イミグレの列は既にかなりの長さになっている。朝一番で入りたい人って多いんだなあ。と列を眺めていたら、昨夜の韓国人の兄ちゃんがいた。朝六時から並んでいたそうだ。ひええ、お疲れ様。一人でぼんやり待つのも暇なので、兄ちゃんと雑談しながら待つことにする。兄ちゃんは初めてのカンボジアで、シェムリアップに向かうつもりらしい。兄ちゃんに「今日のワールドカップ、韓国も日本も試合がありますね」と話題を振ったら即座に「そうだね、日本頑張れ」と返ってきた。気を遣ってくれてありがとう。

 7時45分、オープン。入国前から客引きがしつこい。ま、カンボジアだし。入国手続きを終えてポイペットの町に入って8時半。バッタボンに行く車を探そうとしたが、マイナールートなのでなかなか見つからない。そうするうちに雲霞の如く群がってきた客引きにうんざりしてしまい、昨夜忠告された山賊の話が頭をよぎり、なんかもういろいろと面倒臭くなってしまったので、韓国人の兄ちゃんと一緒にシェムリアップに行く事に変えた。列車はプノンペンに行ってから考えればいいや。全路線、プノンペン始発だし。(ポイペットとバッタボン、シェムリの位置関係はここを参照願います)

 カンボジアは砂埃が凄いので、できればトラックバスではなく、バスに乗りたい。二人でバスステーションを探したが、ガイドブックの地図が役に立たず、すぐに訳がわからなくなってしまった。仕方なく、しつこく着いて来ていた客引きに尋ね、案内された先はトラベルエージェンシー。しかも出発予定時刻は11時半。ピックアップ(トラックバス)ならもっと早く出るが、車内15ドル、荷台10ドルだと。なめんな。値段交渉のための初期設定としてもぼりすぎ。ポイペト⇔シェムリをピックアップの荷台で行くと、1ドルか2ドルだって知ってるんだ、こちとら。目の前のメインストリートでは、荷物や乗客を満載したピックアップが続々と発車していっている。変なのに当たっちゃったかなあ。
 やってられないので客引きを無視し、公共バス乗り場の見当をつけて歩き出す。それでもついて来た客引きは、始めはエージェンシーに引き戻そうとしていたが、無理だと分かると態度を変え、「グッドだ。この先にはパブリックバスがある」とか言っている。やがて、それなりに大きなバスターミナルに行き当たった。よし、合ってた。大型バスも停まっている。この国では珍しくちゃんとした大型バスで、シートはタイでよく見る5人掛けだ。

 が、バスの運ちゃんには英語が通じず、先の客引きが言うことには10時発で15ドルだとか。ええかげんにせいよ。そんなわけあるかとガチャガチャやっていると、英語を話す警官(ツーリストポリスのチャンナラー氏)がやって来た。こっちの言い分も真面目に聞いてくれ、親身になって交渉してくれた。このあたりでは警官も人によっては信用できないらしいのだが、この人はいい人だ。
 おかげで5ドルで話がついた。早速チケットを買って券面を見ると、ちゃんと5ドルと印刷されていた。どうやら10時発というのは時刻表どおりの時間らしい。客引きにまとわりつかれて時刻表を見れなかったが、後で見てみたらちゃんと掲示されていた。
 チャンナラー氏は「この町を出るまでにまた何か困ったことがあれば、自分の携帯電話にかけて欲しい」と電話番号のメモを僕に手渡し、その番号が正しいことを示して見せてから、バイクに乗って町のパトロールに戻っていった。ありがとう、チャンナラー氏。会えて幸運だったよ。
 最初から付き纏っていた客引きの兄ちゃん、まだ諦めきれないらしく、最後には「チップを1ドルくれ。20バーツでもいい」と。アホか。チップを貰うに値する事、何一つしてへんやないけ。

 韓国人の兄ちゃん、ここまでのごたごたで心底うんざりしてしまったらしく、怒ってタイに帰ってしまった。タイに戻ると言いだした時は、入国して一時間足らずで帰るなんて冗談だろうと思っていたが、本気だった。バスの料金は決着したからもう大丈夫だ、カンボジアビザの代金だってもったいないだろう、等々説得を試みたが、握手一つして本当に戻っていってしまった。
 いくらカンボジアだって、ここまでなのは国境近辺だけだと思うんだけどなあ。しかもツーリストポリスのおかげでクリアできたのに。もったいない。ま、いろんな価値観の人がいるということなんだろうけど、びっくりした。

 シェムリまでの予定時間は四時間。ワールドカップの日本vsベルギー戦は四時ごろからのはずだから、一時間やそこら遅れても大丈夫だ。客引きもいなくなり、ぽつんと一人、バスに乗り込んで発車を待つ。この微妙に不安な時間がまた楽しい。のはいいが、やはり5ドルは高いのか、バスはがらがらだ。発車間際になれば混むんだろうか。やがて、僕より恰幅のいい白人旅行者の姉ちゃんが二人、やってきた。これで少しは心強くなった。向こうもこっちの出で立ちから旅人だと分かったらしく、「ハイ」と笑いかけてきた。聞いてみると、二人ともスロヴェニア人らしい。
 例によって少し遅れ、10時半出発。結局、バスはガラガラのままだ。自分達3人の外国人以外は、地元の人が数人乗っているだけ。
 道は相変わらず剥き出しの地面で、ガタガタだ。が、車窓風景は違う。前回は見渡す限り、地平線まで一面の荒野だったのが、草が芽吹いて一面の野原になっている。これだけでかなり印象が違う。
ご覧の通り、カンボジアの大地は緑で覆われてました。   4月訪問時→
 前回はやたらと工事中の橋を迂回したが、それもなくなっていた。時期的なものなんだろうか。雨に洗われて、強烈な轍ができているところも数箇所あったが、まあ大したことはない。
 車窓から見るカンボジア、クメール人はやっぱり愛嬌が感じられる。小さい子はすっぽんぽんで走り回り、バスに向かって必死に手を振ってくる。女性は巻きスカート……そうか、ラオスと似てるんだ。習俗もそうだが、ワットプーの遺跡とかがあったことからしても、ラオス南部にはクメールの血が入ってるんだろうな。古代のクメール帝国の版図は大きかったらしいし。旅先で出会った誰かが言っていたな、大帝国を築いたことのある民族は、えてして女性がきれいだと。どうなんだろうか。
 しかしなんだな。道が未舗装で悪路だろうが、馬車が走ってようが、子供が裸で走り回ってようが、慣れたなあ。
 途中、スコールが来た。バスでよかった。前後を走っているピックアップの後ろに乗っている人、どうしようもなく濡れるに任せている。雨だけならともかく、土埃が混じってるからドロドロになるんだよなあ。

 道すがら、スロヴェニア人の姉ちゃんといろいろ話をした。スロヴェニアという国はピンと来なかったのだが、イタリアの東隣にあり、最近独立したばかりだそうだ。小さいがきれいでいい国だという。機会があれば行ってみたいものだ。でも、こうやって海外に旅に来ているということは、それなりに進んだ、裏を返せば物価もそれなりの国なんだろうな。
 と、姉ちゃんの一人がTシャツの肩をめくって見せてきた。そこにはタイでやったのか、入墨(タトゥー)が彫られていた。漢字で一文字、「女」と。……えーっと……。言葉を捜して困惑する僕をよそに、当の姉ちゃんはニコニコと嬉しそうに「知ってる? これは中国の文字で、womanって意味なのよ」と説明してくる。……ええ、日本人も漢字使うんで、もちろん知ってますよ。……しかし……これは……なんというか……。まあ、本人が喜んでるんだからいいか。

 とかなんとかして、16時半、シェムリアップ着。さすがに乗り心地は良かったが、延着が二時間になるとは思わなかった。バスから降りると集まってくる客引きはポイペットよりはるかに少なく、しつこくない。勝手知ったる小さな町。急いでタケオGHに向かう。GHの前に置いてあるテレビには、予想通り日本人が群がっていた。ちょうどベルギー戦の真っ最中で、まだ0対0だった。間に合ってよかったぁ。
 初対面の日本人旅行者に混じり、リュックを降ろすのももどかしく観戦。結局、2対2の引き分けだったが、海外の旅先でこうやって見る日本代表の試合というのも、えらく盛り上がるものなんだな。楽しかった。それと、ここのシェイクはやっぱりおいしい。
 タケオGHに来たのはテレビを見るためで、今回はチェンラGHに泊まろうと思っていたのだが、サッカーの時に隣で観戦していた感じのいい兄ちゃんとだべっているうちに面倒臭くなり、このままタケオに泊まる事にした。今回も相部屋と言いながら一人だけだ。体調もあり、ドミトリーという名の廊下で寝る気にはなれないので有難いが。

 夜にぶらぶらと散歩していて気付いたのだが、タケオのすぐ近くにあるガソリンスタンド、カルテックス附属のコンビニ・スターマート。24時間営業なんだ。アランヤプラテートでコンビニが24時間営業だった事より意外だった。いくら観光地とはいえ、今のカンボジアで、この町の規模で……。物珍しさに誘われ、カップラーメンでも食べてみようかと中に入ってみると、昨夜アランヤで会った日本人の二人組にばったり出会った。彼らにはバッタボンに行くと言っていたので、えらく驚かれた。うん、僕にも意外だったよ。


 さて、ここから先、どうしよう。少なくともここで2泊はするけど。まあプノンペンに行くんだろうな。ボートもいいが、今回はバスに乗ってみたい気もする。少々時間はかかるが安いし。治安面がどうだという話もあるが、実際に行き来している人の話を聞く限りでは、勝手な検問や強盗などは、少なくとも昼間はあまり心配しなくていいレベルになっている気もするし。


カンボジア王国 Kingdom of Cambodia
6月5日(水) シェムリアップ

 何もする事がない。
 予定外にやって来た、二度目のシェムリアップ。アンコール遺跡群に行く気にもならないし。興味がないわけではないけど、入場料が今の自分には高い。体調も完調には程遠いままだし。しかし、暑い。湿気を含んだじっとりとした暑さだ。雨季だと言う事を実感する。

 タケオゲストハウスは日本人宿だ。だからというわけでもないだろうが、日本の本・漫画が豊富に取り揃えてある。かつての旅人が置いていったか、別ルートで寄贈でもあったか。ぼんやり過ごしているうちに、本棚に手が伸びた。それまで読んだことのなかったかわぐちかいじの『沈黙の艦隊』を最初から読み出したら止まらなくなってしまった。アンコール遺跡のすぐそばまで来て何やってんだとは、多少思ったけど……。
 風がある分涼しいので軒下で読みふけっていると、午後、物凄いスコールが何度かあった。出歩かなくて良かったかも。
 夕方、同じ日本人宿泊客から「一緒に夕日を見に行きませんか」とお誘いがかかったので、一台のバイクに3乗してプノンバケンへ。夕方5時半以降はチケット不要だから遠慮なく行ける。
まさかもう一度ここに来るとは思ってませんでした。 プノンバケンからの眺めはやっぱり良かったです。
 誘ってくれた二人の兄ちゃんが、ともに長い竹筒のような楽器(インドネシアあたりの民族楽器だったかな? 説明してもらったんだけど忘れた)を演奏していたのだが、その素朴で独特な音色が風景にマッチして実に良かった。周囲に大勢いた他の外国人旅行者達も彼らの写真を撮りまくりながら聞き入ってたし。
アンコールの遺跡と妙に雰囲気が合ってました。 二人は知り合いでもなんでもなく、たまたま一緒になっただけらしいのですが、同じ日本人が同じ楽器を持って同じタイミングでここに来る。偶然てのはあるものです。

 完全に日が暮れたので宿に戻り、その二人や他の日本人宿泊客と一緒に、近くの地元食堂で夕食。せっかくカンボジアに来たんだし、クメール料理を食べようと入ったのはいいが、メニューが全く解らないので見た目で判断するしかなく、当たりだ外れだと大騒ぎになった。それが楽しかったんだけど。
 タケオに戻って食後のデザートにまたしてもシェイク。一体何杯飲んでるんだ。
 アンコール遺跡も、シェムリアップの町も、この宿も。そこら中で工事が行われている。数年後にはすっかり様変わりしてそうだ。

 その後、再び漫画タイム。夜なので室内、本棚のある廊下というかロビーというか、で蚊と戦いながら11時まで。さすがに眠くなったので切り上げる事にして、同じようにロビーで本を読んでいたもう一人に挨拶して部屋へ戻る。
 と。
 
バスルームにさささ、蠍が……!!!
 掌大で、真っ黒な体。サソリだよ蠍だよスコーピオンだよ……!!
 あまりにも想定外の事態に、一瞬硬直してしまった。女性だったら叫んでたのかな。自分は逆に一言も声を発しなかった。慌ててドアを閉め、ロビーに取って返す。まだいたりゅーたPAN(昨日W杯観戦時に横にいた青年)に事態を説明し、箒と塵取りを手に部屋に戻る。
 二人で協力して蠍をトイレに流し、ほっと一息。カンボジアにも蠍っているんだ。野生種と対峙すると、やっぱり怖いや。後で冷静になってから考えると、写真に撮っておけばよかったとも思ったけど、その時はそれどころじゃなかったからなあ。
 ああ、びっくりした。巻き込んでしまったりゅーたPAN、ごめん。


カンボジア王国Kingdom of Cambodia
6月6日(木) シェムリアップ

 今日も一日、沈黙の艦隊を読みふけっていた。こんなにボリュームがある話だったとは。とかいいつつ、読み終わると他の本に手を出したんだけど。ゴーマニズム宣言って読んだことなかったけど、思ったより読みやすいな。
 それにしても、本当にスコールが増えた。バケツの底をひっくり返したようなという表現をよく目にしていたけど、雨粒がこんなに大きく、しかも痛いほど強烈に降るものだなんて知らなかった。

 夕方、宿の前庭で例によってシェイクを飲みつつ日本人客とだべって過ごす。ふと夕焼けがきれいだったので、宿の前の道路から撮影。それをディスプレイで他の人に見せると、突如として夕焼け撮影ブームが。身近なところにも、きれいな風景はあるんだよな。

タケオGH前の路上からの夕陽。

 夜、親しくなった人たちで改めて自己紹介しあった際、ラオスのビエンチャンでパスポートを盗られて落ち込んでいた時に会った大島くんが泊まっていたことが判明。大島くんは風邪で臥せり気味だったとはいえ、何度も会って言葉を交わしていたのに、お互いに3日間、気付かなかったとは……。

 他の人たちは、明日車をチャーターして、遠くにある遺跡を見に行こうと盛り上がっているが、僕は気乗りしないのでやはり転がっている予定。

カンボジア王国 Kingdom of Cambodia
6月7日(金) シェムリアップ

 他の人に言われて気付いたんだけど、シェムリアップは綴りからするとシェム リアップ なのに、みんな略する時はシェムリと呼んでるなあ。

 それはともかく、今日になって初めてシェムリの「町」をうろついた。これまでは宿とバス停、アンコール遺跡しか行ってなかったからなあ。思ったよりずっと小さい町だ。分け入ると、観光客ずれしてない、普通の人の顔が見える。
ハンモックにはにかむ子供達。ラオスとイメージが被るなあ。 全く言葉が通じなくても、カメラを向けると写されてくれました。コミュニュケーションツールとして、デジカメは強力です。
 舗装してある道もかなり多いが、土地柄か、土埃がどこに行っても凄い。道路に面して建つ家の裏側を見ると、川の上にせり出していたりして、町中でもそうなのかとびっくりさせられる。
川沿いに建ち並ぶ家。これ、川が氾濫したら危ないんじゃないのか。綺麗事だけじゃないんだよなあ。この家々が特に貧しいのかそうでもないのか、自分にはちょっと判断がつかない。 バイクが基本です。
 夕方、宿に戻ろうとメインストリートを外れて歩いていると、いろんな外国食レストランに混じって、やけに大きいハングル看板を掲げた店があった。話題の北朝鮮レストランってこれなんだろうか。

 明日プノンペンに行くツーリストバスを頼めるか宿のモムさんに尋ねると、分からないと言われた。最終的には席を取れたが、もっと早く予約しておくべきだったなあ。
 宿の客の多くは近いうちに僕と同じくプノンペンに来る予定らしいが、りゅーたPANはバンコクに戻るらしい。残念。


カンボジア王国 Kingdom of Cambodia
6月8日(土) シェムリアップ → プノンペン

 バスは朝7時に迎えに来ると聞いていたのに、6時半過ぎに来るなんて。準備が間に合わないよ。キャピトルツアーのワゴンが2台来て、自分は2台目の最初の客だった。車はHYUNDAI製。
 その後、8時頃までかけて、シェムリ各所のゲストハウスを巡り、客をピックアップしていく。
車内はこんな感じ。こんなに空いてるのは珍しいんじゃ。
 自分の乗った車に客は9人。大きなバンだったので、ゆったりと座ることが出来た。日本人は僕一人。町外れのガソリンスタンドで一服してから、出発。
こうやって見ると、ガソリンスタンドというか、空き地みたいだな……
 噂に違わず、凄い道だった。午前中は特に。もう悪路には大概慣れたつもりだったが、甘かった。加えて車のシートが合わず、お尻が痛くなった。
後部座席から後ろを見てみました。蛇行してるのが道です。大体こんな感じの道ばかりでした。

 昼食後は、次第に道が良くなってきた。どんな悪路でも、道幅はたっぷり2車線分確保していたし、将来に向けての計画は出来ているんだろう。
 と、何か走りがおかしくなったと思ったらパンクしていたようで、道沿いの商店の前で車を止め、修理にかかった。ここに停めたのは、運ちゃんが人手と工具を借りる為だったのかもしれないけど、客としてもトイレを借りたり水やコーラを買えたりしたので、この判断は有難かった。
パンクしてからもしばらく進んでましたが、この店で修理に必要な道具を借りるためだったようです。 修理風景。かなりてこずってました。店の女の子が、興味深そうに覗き込んでいるのが印象的でした。幹線道路の道端で修理してても問題のない交通量というのがまた寂しいというか、これからというか……
 じりじりと照り付ける太陽の下、なんとも言えない時間を過ごす。修理にはかなり時間がかかり、暇だったので、近くをぶらぶら。国の大動脈なんだろうけど、舗装はもちろんのこと、そもそもの交通量もあまり多くない。少し戻ったところで道が分かれており、案内板が掲げられていた。クメール語は読めないが、英語が併記されていたのでパチリ。
修理中、少し離れた場所に立っていた案内板。英語とクメール後が書かれています。
 修理が終わって再び走り出した夕方4時過ぎ。スコールがやってきた。日本の夕立程度だったら喜んで濡れに行く子供もいるんだろうけど、こうも頻繁に、しかも強烈に降られるとさすがに堪らないようで、みんなさっさと雨宿りしている。
スコールに打たれる一般的な民家 これ、もしかして田んぼだったりするんでしょうか

 五時半を過ぎて薄暗くなって来た頃、どうやら首都プノンペンの都市圏に入ったらしく、道が舗装路になり、人やバイクや自動車が激増した。郊外型レストランや店舗も姿を現すようになり、レストランなどは土曜夜だからか、混雑している。
 午後六時半過ぎ、キャピトルゲストハウス着。半日かかった。案内書や外務省HPで警告のあった、検問とかそういうものは、気配すら感じられなかった。状況が変わってきてるのか、たまたまそうだったのか。オフィシャルの情報と旅人の口コミ情報の取捨選択は難しい。

キャピトル3。贅沢? 体調面もあるし勘弁してください。
 プノンペンはやっぱり大都会だ。カンボジアを巡ってから来ると、より痛感する。宿は新しいキャピトル3にした。シングル一泊4ドル。キャピトルに泊まるレベルの者としては贅沢だと、自分でも思う。


カンボジア王国 Kingdom of Cambodia
6月9日(日) プノンペン

 きれいな鉄筋コンクリートのホテルで寝てると、なんか不思議な感じがする。ここは本当にあの雑多で猥雑なプノンペンの中心部なのだろうかと。

 それはともかく、今日も今日とて山ほど寝て、のろのろと起きる。すぐ隣にあるキャピトル1の一階にある食堂に行くと、シェムリで何度か会った人がいた。カンボジアが気に入らなかったようで、すぐベトナムに行く便を手配していた。癖の強い国だから、そういう人がいても無理はないよなあ。
 今日もスコールと土埃は凄かった。だるかったので、食堂で知り合った日本人旅行者とうだって時間を過ごす。夕方から見たいテレビもあることだし。今日知り合った兄ちゃん、120万の予算で一年八ヶ月(20ヶ月)の予定で旅をしているそうだ。それが終わったら帰国して、バイトで金を貯めたらまた次の旅に出るつもりだとか。旅人の世界だなあ。

 夕方5時から、キャピトル食堂のテレビのまん前の席を陣取ってかじりつく。そう、今日はワールドカップ、日本の2戦目だ。前の試合、トルコ-コスタリカ戦が1-1の引き分けで終わり、6時過ぎから続々と日本人旅行者が集まってきた。といってもせいぜい10人位だけど。タケオGHで一緒だった人が3人プノンペンに来ているのに気付いた。
 サッカーは詳しくないのだが、日本が強くなっているのは分かった。ヘッドの競り合いとかは大体負けているのに、その後のフォローをきっちりして、最終的な支配権を握る事が多かったのが印象的だった。試合は1-0で勝ち! 一緒に見ていた他国人旅行者もこぞって祝ってくれたし、カンボジアの人達もこっちを日本人と見ると、おめでとうと言ってくる。自分が何かしたわけではないんだけど、嬉しいなあ。なんかサッカーへの好感度がアップしそうだ。


カンボジア王国 Kingdom of Cambodia
6月10日(月) プノンペン

 昨夜、ネットからラジオジャパンの周波数・放送予定時間一覧をプリントアウトしたのが良かった。旅に出て初めて、ちゃんとラジオで日本語放送を聞けた。

 10時ごろから、一人でぶらぶらとプノンペンの街中を、あてもなく散策。前回は時間が足りなくてほとんどできなかったので、やっとだ。夜は危ないと言われているが、昼日中ならそんな危険を感じた事はない。まあ、自分が多少ごつい系で、色も黒いってのも無関係ではないのかもしれないけど。
プノンペン市街地。アジア的というよりは、かつてのフランス植民地時代の風が残ってるんじゃないかと思えるんですが。
 とにかく広い。さすがは首都で100万都市。しかし、どの道を歩いていても生ゴミの匂いがしてくるというのはどうなんだろう。人が生きているということを実感させてはくれるのだが、まだそこまで水準が上がってないと言う事でもあるんだろうなあ。
ロータリー。カンボジアの他から見れば、この舗装ぶり、車や単車の多さ、本当に大都会だと思います。

 しばらく歩いてから地図で現在地を確認すると、プノンペン駅近くに来ていることが分かったので、折角だからと足を向けた。大きい駅だ。駅舎もきれいで立派だし、敷地も広大で、一角にはきれいに修復されたSLが展示されている。さすがは一国の中央駅。……その部分だけを見れば、だけど。
展示してあったSL。きれいでした。
 駅舎の内部は人っ子一人いない、ただのがらんとした空間。ポスターも何もなく、灯りもついておらず、廃墟のような寂しい印象だ。外が賑やかだから余計にそう感じるのかもしれないが。レールも何かいがんでいて、本当にまともに走れるのか心配になってくる。駅の敷地内に足を踏み入れる前に、本当にここは使われているのか、廃駅になってしまってるんじゃないのか、としばし悩んだほどだ。
停車していた貨物列車 シアヌークビル行きのホーム。6時40分発のようで。
 しかしよく見ると、別の小さな建物が事務所になっていて人が働いていたし、ホームには一両の貨物列車が停車していたので、頻度はともかく鉄道はまだ走っていると確信できた。潰れている等の噂も根強かったので、これだけでも来た甲斐はあったというものだ。
駅舎。大きくて綺麗だけど、生活感というか、生きてる印象に乏しいんですよね……
 しかしこの駅舎、外面は塗装をやり直してでもいるのかやけにきれいだけど、なんで駅名標がどこにもないんだ? 改装途中なのかな?

 駅の立地条件は実にいい。駅のすぐ前を目抜き通りが走り、駅前広場のスペースもふんだんに取ってある。これで肝心の線路がしっかり整備されていれば、また話も違っただろうけど、内戦からこっち、どうも鉄道はあとまわしというか、おざなりに扱われてきたような感じだ。
 なにはともあれ、客車列車が出るのは早朝だけなので、その時間帯に来ないと駄目だ。窓口自体が閉まっているので、何も分からない。ホームに立っている看板で、3方向に向かう列車の発車予定時刻は分かるが。……一日一本、しかも週に三本しかないのか……。一日に何本も走り、時間も費用も快適性もずっと有利なバスに完敗してるのも当然だな。しかし、カンボジアを再訪した最大の目的はカンボジア鉄道に乗ることなので、走っている以上、乗ってやる。……まさか外国人お断りなんてことはないだろうな……。
 路線は3つ、そのうち検討するのは2つ。西のバッタボンに行く線と、南のシアヌークビル(コンポンソム)に行く線。どちらでも、そこからさらに乗り継げば、タイとの国境に行ってくれるが、どうせなら別のルートを通りたいので、シアヌークビルに行こうかなと考える。港町で、ビーチもあるって話だし。

 次に駅から少し東に行ったところにある寺院、ワット・プノンへ。プノンペンの名の由来となった、由緒正しい寺院だそうだ。周囲が公園としてきれいに整備された小高い丘の上に建てられていて、拝観料というか、入場料は1ドル。
ワット・プノンと丘の斜面に作られた花時計 猿がこんな街中で元気してました
 丘の上に建ってはいたが、樹々がよく繁っていたし、そこまで高いわけでもなかったので、そこまで見晴らしが素晴らしいというわけではなかった。が、こんな街中なのに猿が住み着いているのが興味深かった。
壁画があるのにも慣れてきたけど……この説話は知らないなぁ…… 東南アジアの寺院は派手です。ヒンドゥーの影響なのか、仏教自体元々はこういう側面があったのかは知りませんが。

 次にワット・プノンからもう少し東にあるGPO(中央郵便局)へ。……この国では郵便事業はあまり盛んじゃないのかな、あんまり混んでなかった……。しかし、せっかく行ったのに、日本へ出すつもりだった葉書をゲストハウスに忘れてきており、無駄足になってしまった。日を改めて来るしかないな。

 なんだかんだで、今日は10キロ近くは歩いたと思う。へばってキャピトルに舞い戻り、だれていると、今日のシェムリからの便で来た人達が到着した。またしてもタケオGHで一緒だった人たちと新たに合流。ベトナム情報を教えたり、シアヌークビルと鉄道情報について、向こうが持ってるガイドブックを読ませてもらったりしつつ、ベルギー-チュニジア戦を見る。
キャピトルの食堂から外を見て。丁度帰宅ラッシュでした
 夕食は奮発して、前から気になっていたラッキーバーガーという店に行った。ハンバーガーとホットドッグ。アメリカ資本なのか、味付けは濃いが、まあまあだった。これで3ドルほどだから、日本料理店に行くよりは安い。夜は例によってネット。なんかネット中毒だな……。


次へ

トップへ  雲水旅トップへ