ほろほろ旅日記2002 5/21-31

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ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic
5月21日(火) チャムパサック →(パクセ)→(バン・キナック)→(バン・ナカサン)→ シーパンドン(ドン・コン)

 今日も今日とて早起き。いよいよシーパンドンだ。メコン川下流、ラオス-カンボジア国境のラオス側に広がる、広大な多島地帯。ここではメコン川の川幅が13キロほどにまで広がっていて、そこに多数の島々が浮かんでいるらしい。いいところだという話だが、どんなところなんだろう。楽しみだ。
 6時過ぎに乗合軽トラが来て、チャムパサックを出立。座席は満員だったので、まこっちゃんと自分は荷物と一緒に屋根の上へ。これが実に気持ちよくて面白い。日本なら過積載の状態なので、スピードも出ないし。風に吹かれながらのんびりと進んでいく。
乗ったところ。 托鉢風景。ルアンパバーンで見て以来だ。
 2キロほど北上して、メコン川の渡し場に到着。例によって車ごとはしけに乗船。はしけといってもベトナムやカンボジアで乗ったような立派なものではなく、二艘のボートを板で繋げただけの簡素なもの。川が荒れてたらすぐ転覆してしまいそうだ。それでもこれはまだ立派な方で、ただのボートに人を詰め込んで渡っていくものもあった。
はしけ。素朴というか危ないというか。 限界越えてません?
 川を渡ってしばらく、大動脈たる国道13号に出た。ここはしっかり舗装されている。パクセに向かって北上。乗客が徐々に降りていき、途中で運ちゃんが下に降りて来いと言う。気持ちいいのでここでいいと言ったが、強く降りてくれと言われた。もしかして、この国でも屋根の上に乗るのは実はまずいのか。
国道13号線。
 30キロほど北上して、パクセ近郊のバスステーションに到着。どのみち南下するんだから、国道に出た所でシーパンドンに向かうバスを待つという手も考えたけど、バスのタイムテーブルなんてないし、この国では途中乗車するとなるとかなり厳しいのが分かってたので。

バスターミナル。途上国を旅した人には懐かしい雰囲気でしょう。
 シーパンドン方面に向かうバスを探していると、バスというか乗合トラックの運ちゃんに声をかけられた。シーパンドン方面はこれが普通なのかな。シーパンドン最大の島・コーン島の中心、ムアンコーンまでという事で話がまとまった。
この程度のボロさはなんでもなくなってました
 8時に出発。我々は助手席に。普通はお坊さんの席なのだが、たまたまいなかったから、外国人を乗せておけってことなんだろうか。13号線はずっときれいに整備されていて、快調に走っていく。どこまでも広がる空と平野と森、そこを真っ直ぐに貫いていく道。ほとんどない交通量。気持ちいい。
 途中で運ちゃんが「ムアンコーンじゃなくてバン・ナカサンに行くがいいか」と言ってきた。おいおい。自分は元々シーパンドン最南部のドン・コンに行きたかったので、バン・ナカサンはその中継地点だからむしろ嬉しいけど。まこっちゃんはムアンコーンに行くつもりだったのだが、コン島にも行くつもりだったからいいと同意してくれた。よし。
 2時間余り南下して、ムアンコーンへの分岐点にさしかかった。標識に「3km」と出ていたのでまこっちゃんと「3キロか」と話していると、運ちゃんが頷いて「サンキロ」と言った。ラオス語も中国語に影響を受けているので「3」は「さん」と発音するし、外来語の「キロ」も共通だから、普通に通じていたんだ。面白い。

 関係ないが、ラオスをここまで見てきて感じた事を二つばかり。
 セパタクローが本当に人気だ。大人も子供も、日本でいうキャッチボールのような気軽さで楽しんでいる。足でやるバレーボールみたいなものだが、慣れ親しんでいるだけあって上手い。
 行き交う車は韓国製のHYUNDAIかDAEWOOばかり。タイあたりでは日本車ばかりだったので何故かと尋ねると「日本車がいいのは分かってるが、高い」と。ごもっとも。

 バン・ナカサンの前にバン・キナックという村に立ち寄るため、国道を外れ、村の中に入っていく。急に道が悪路になった。簡易舗装が部分的にはがれ、えぐれた部分に水が溜まり、なんかもうえらいことに。未舗装時より悪くなってるだろ、これ。車は跳ねるようにして、どうにかこうにか進んでいく。遊園地のアトラクションじゃないんだからさあ。
道というか水たまりというか
 町を抜けると、途端に道路状況が改善された。こっちの感覚からすると、逆であるべきだと思うのだが。
 このあたりの家には電気が来ていないように見える。テレビ受信用のパラボラアンテナが立っている家は、発電機でも置いているのだろうか。
国道を外れ、バン・ナカサンへ。
 3時間ほど走り、いよいよバン・ナカサンへ。交易のために発展した村って感じだ。小さいながらも市場があり、川べりには商店が建ち並んでいる。日本の感覚で言えば村というより集落なのかもしれないけど、もう慣れた。
バン・ナカサンのメインストリート 一応、バン・ナカサンの港です。
 ここまで来たら、島は目の前だ。川べりに出ると、すぐボートから声がかけられた。デット島まで5,000kip、コン島まで10,000kip。コン島を目指そう。気に入らなければ、まこっちゃんの行きたかったコーン島のムアンコーンに移ればいいさ。
ボートに乗る直前。非常にお気に入りの一枚。
 エンジンつきの小さなボートはトコトコと川を渡っていく。と、運ちゃん(と言って正しいんだろうか)が、桶を渡してきた。意味がわからず首をひねっていると、床を指差して掻き出すしぐさをする。床を見て、わかった。防水が完璧ではなく、水が沁み込んで来るのだ。定期的に掻き出しておけば沈む心配はないようだが、なんとおおらかな。
 船上から見るシーパンドンの景色は実に独特だ。大河の中に、密集して島が浮かんでいる、こんな景色は他にはない。少なくとも自分は知らない。天然の水路が、島と島の間を縫うように、縦横無尽に走っている。素晴らしい。
 やがてコン島に到着。

 宿は、上陸地点(間違っても港とか船着場なんて言葉は使えない)の目の前にあった所。到着と同時におかみさんが客引きしてきたのだが、そんな悪くなかったので。シュロの葉で編まれた壁と屋根。電気も水道も当然なく、夜の灯りはロウソクのみ。ここではこれが普通だ。電気は来てないんだし。一泊1万kip。いいのかってくらい安い。
材料費は0ですかねえ。
 この島には車などない。それ以前に太い道や舗装された道がない。島に来る手段が小さいボートのみなのだから、当然と言えば当然なのだが。情報として知ってはいたが、凄い所だ。実際に来てみると、不便というより、これはこれでバランスが取れている感じだけど。
バン・コンのメインストリート
 ゆったりと流れるメコン、近く遠くに重なり合う島々。そこで暮らす人々。ここまで20日ほどラオスにいて、ラオスの時間の流れに慣れたつもりでいたが、ここはさらにその上をいっている。ここでの時は、分・時間などで区切られておらず、太陽とともにある。川にせり出したベランダで、そんなことをぼんやり思いながらハンモックに揺られていると、本当に時の経つのを忘れてしまいそうだ。
子供、特に女の子は可愛いです。男の子はなんかワルっぽいんですが。なんででしょうかねえ。
 日本人の姿は我々以外見かけないが、数人の白人観光客は見かけた。
 1時半、まこっちゃんと島の見物に出かける。コン島西部は観光エリアとして区分されているようで、一日5,000kipが必要だ。まず見たいのは、個人的に最大の目的地、鉄道跡。今現在ラオス国内に鉄道は走ってないが、大東亜戦争当時にフランス軍が貨物輸送用に敷設した鉄道の跡が、ここにある。というか、5,000kip払った目の前に、いきなりあるんですが。
鉄橋。
 レールこそないものの、鉄道跡だとはっきり分かる。コン島と、すぐ北のデット島とを結ぶ鉄橋もしっかり残っていて、生活道路として使われている。その両端からは、鉄路特有のゆるやかなカーブを描いた盛り土が視界の届く限り伸びている。破壊されてから半世紀以上、しかも熱帯なのに、残ってるものなんだなあ。
一応、レールの残骸が使われてます。他にもレールの一部は島民の生活部品として、各所で使われてました。 鉄橋の上。
 鉄橋の上から、川を望む。立派な川幅だが、大メコンの中の小さな水路に過ぎないんだよなあ。
右手がコン島、左手がデット島です。
 少し入ったところに、SLの残骸も展示されていた。小さい車体で、いわゆる狭軌用だ。戦時中の貨物路線なんだし、そんなものだろう。そして、この線路を破壊したのは旧日本軍。こんな別天地のようなところでも、戦争があったんだなあ……。
 一応柵で囲われてはいるが、端的に言えば野ざらしで、保存状態は悪い。
まこっちゃんも写ってますね。SLです。

 今日はこれで終わってもよかったが、せっかく5000kip払ったので、島の西端にあるソンパミットの滝を見に行くことにした。途中、日陰で休む野良豚? を見たり、島唯一の寺院を見たりしながら、のんびりと行く。
大きな体で寝そべってます。 仏教国なんですよね。

 バン・コンの集落から5キロほどあるのかと思っていたが、30分ほどでソンパミットに到着。
 そして、圧倒された。すごい迫力だ。ここまで穏やかに流れてきたメコンが、こんなに暴れているなんて(メコン川のほんの一部ではありますが)。まさに激流。自分が直に見た滝の中では、文句なしに一番力強い。大量の水が渦を巻いて流れ落ちていく。轟々とした音が周囲を圧している。
滝の流れ落ちる直前。岩肌が剥き出しです。 一番太いと思われる滝。
 滝そばの売店の人の話によれば、雨季の終わりごろはもっと凄いらしいが、美しいのは今だろう。水を買い、店員さんとカタコトの英語とジェスチャーでだべる。
売店です。時期が悪かったのか、全然人いませんが。

 バン・コンに戻る途中でスコールに遭遇したが、水着しか着てなかったので、何の問題もなかった。あまりに激しく降るので、荷物を守るために高床式になっている寺院の僧坊の下で雨宿りしたけど。

 夜、タンクの水によるシャワーを済ませ、思ったより明るいオイルランプの灯りの下、くつろぐ。期待以上にいい所だ、シーパンドン。少なくともバックパッカーにとっては。もう残りのラオスはここでくつろぐだけでいいかな。日没とともに夜が始まったので、10時にもなるとかなり夜更かししてる感じだ。寝よう。


※ちなみにシーパンドンというのはラオス語で「四千の島」という意味。「シー(4)パン(千)ドン(島)」。四千というのは、いっぱいというくらいの意味らしい。ここから発展して考えると、ドン・コンというのは「コン島」という意味か。バン・キナック、バン・ナカサン、バン・コンなどのバンは「村」とか「集落」というくらいの意味らしい。だからドンやバンは表記しないことも考えたけど、地元の人が会話の中で普通に入れているので、基本的に表記しています。

ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic
5月22日(水)シーパンドン(ドン・コン →コーンパペン → ドン・コン)

 宿(Mr.Bounphan G.H.)の人やツーリストに尋ねたところ、やはりというか、今は外国人が陸路でカンボジアへ抜けることはできないようだ。タイに戻るしかない。まあ仕方ないか。ビザはあるし、タイに戻っても再訪する意欲が衰えなければ行ってもいいし。

 よく眠れた。7時過ぎに起きて、のんびりとくつろぐ。朝食後に朝シャワーを浴びたりしてなんとなくゴロゴロしていると、宿の兄ちゃんがやって来て「今日はこれからどうするんだ」と聞いてきた。コーンパペンの滝に行くつもりだと言うと、バン・ナカサンまでボート、そこからバスを使って行くと、往復で一人6万kipかかるが、自分の出すダイレクトボートを使えば、まこっちゃんと割り勘すれば一人4万kipで済むがどうだ、と言ってきた。
 まこっちゃんと、乗り継ぎで値段交渉をして4万程度で行ければと話していたところだったので、文字通り渡りに船だ。ダイレクトだから楽だし、乗り継ぎの手間や待ち時間、値段交渉の手間も省けるし。ガイドブックには急流で、船では行けないと載っていたけど、行けるんだ。
 10時に自分達を乗せたボートは出発した。島の人が足代わりに使っている、普通のエンジンつきボートだ。

 ボートは迷路のような水路の中を進んでいく。やはりシーパンドンの地形は面白い。かなり太い水路でも、ほんの一部に過ぎないんだよなあ。入り組む島と川。こんなの、他に知らない。内陸部なのに、全然そんな気がしない。
 しばらくして、一際太い水路に出た。真ん中あたりは特に急な流れになっており、危なそうに見える。ボートはその部分を横切り、迂回し、乗り、巧みに進んでいく。やがて前方に水煙がもうもうと立っているのが見えてきた。コーンパペンだ! 滝口から数百メートルしか離れていない、ちょっと開けた砂場になっている川岸に着岸。所要時間30分と早かったが、正直、エンジンが止まったらお陀仏だったんじゃないのか。

 少し歩いたところにあるチケット売り場で9,000kip払う。そこから滝までの歩きがまた長かったんだけど、まあいいや。荒野としか言いようのない道を歩いた最果て、辿り着いたコーンパペンの滝は確かに凄かった。昨日のソンパミットの滝よりずっと大きい。東南アジア1の滝、東洋のナイアガラと言われる気持ちも分かる。いや、本当にナイアガラと比べたらあれなんだけど。展望台から俯瞰して見ただけでも迫力に圧倒される。轟々と音を立てて落ちてくる大量の水、舞い上がる水煙。ラオスの奥深くまで来た甲斐があった。

コーンパペンの俯瞰図。全容は一枚では収まりませんでした。 中心部をズームで。
(動画も用意してみました。320×240のASFファイルです。こちらにはwmvファイルも。右クリックでダウンロードしてから見てもらったほうが確実だと思います。)

 この後の滝に関しては、趣向を変えて写真を羅列します。各写真のコメントは、写真をポイントしてお読みください(これまでもしてたので、説明不要かもしれませんが)。
 タイミングが悪いのか、観光用に整備されている割に、観光客の姿はほとんどない。それでもお腹が減ったので、食堂で腹ごしらえ。魚料理を頼むとクーラーボックスを開け、どの魚がいいか尋ねられたが、どの魚がどんな味かなんて知らないよ……。 いかにもラオスらしいトラックバスで、ラオス人メインの観光客がやって来ました。観光地として成り立ってはいるんだなあ。

展望台からたっぷり滝を眺め、堪能したのでそろそろ戻ろうかと考えていると、まこっちゃんが下に降りる道を見つけた。正式な道ではないようだが、明らかによく使われている。まさか水際まで行けるのか? ……行けちゃいました。全く整備されてなかったけど。危険に関しては自己責任ということなんですね。おかげで、さらに大迫力で滝を見ることが出来ましたが。

地元の漁師さんでしょう、「DANGER」の看板(3angerじゃないよな……)の真横で投網漁をしてる人もいました。いいタイミングでシャッターが切れました。 あっという間にこの釣果。 さっそく売ってました。観光土産なのか日常の風景なのかは分からないけど。

滝もいろいろあり、本流から脇にずれた支流の滝では、こんな感じの爽やかな流れもありました。 支流部分では、簾を使った仕掛けも見られました。というか、こんな大きい簾を見たのは初めて。

 まこっちゃんと2人、夢中になって滝を巡り、写真を撮って遊びまわって2時間ほど。堪能したのでそろそろボートに戻ろうとしていると、料金所で休んでいた宿の兄ちゃんが様子を見に来たのにかち合った。通常の観光客よりずっと長い間、滝を見ていたらしい。
 帰りは川の流れに逆流して進むので船の進みは遅くなり、揺れも激しかった。45分かかってコン島に帰着。

宿の子供達。だと思う。夜暗くなってもいたし。
 部屋で一息入れてから、この後の行動を考える。ガイドブックによれば、ここコン島とデット島での見所は、後は河イルカウォッチングくらいなものらしい。でも見れるとは限らないものにお金を払うのもなんだかなあということでやめ。デット島を見物するというのもあるが、それは明日する予定だ。ということで、まだ日が高いのに、特にすることがなくなってしまった。
 そこで、昨日見かけた可愛い猫と女の子が印象的だったレストランに、まこっちゃんと連れ立って行ってみることにした。食事時ではなかったので、氷で冷やしたビアラオを飲みつつうだうだと過ごす。どのみち他に客もいなかったし。カタコトの英語で会話したところによると、3人いた女の子のうち、ここの子はソムサヌークといって、レストランの名前にもなっているそうだ。まさに看板娘だな。暇なのか、近くにある観光地区へのチケット売り場の兄ちゃんも顔を覗かせた。デジカメで写真を撮ってあげたり、折り紙やあやとりをしたり、彼女の書いた絵を見せてもらったり、猫とじゃれたりして夕方まで遊ぶ。
ハンモックが日常品なんですねえ。

 本当にのんびりしてていい島だ。アスファルトすらなく、電話も島に一本という環境と、それでなくても穏やかなラオス人の性質が融合して、少なくとも自分には楽園じみてさえ映る。
 夕方になってきたのでレストランを辞し、宿に戻ると、川で子供達が遊んでいた。泳いでいるのか入浴タイムではしゃいでいるのかはわからないけど。こっちがデジカメを持っていると分かると、わっと集まってきた。しきりに撮ってくれとせがんでくる。デジカメは撮ったのをすぐ見れるから、撮られるのが面白いらしい。電池もつかなあ。なんだかんだで、日が沈むまで遊んでしまった。
何枚写真を撮らされたか分かりません(笑)。ブレて写るのも面白いらしく、なかなか止まってくれませんでしたし。 フラッシュを焚かないといけない時間でもお構いなし。目もいいんだろうなあ。

 部屋に戻ると、夕焼けがとても綺麗だった。素晴らしい。
素晴らしい夕焼けでした。自分の見た中で、5本の指には間違いなく入ってます。


ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic
5月23日(木)シーパンドン(ドン・コン)

 この島にいると、生活がまろやかになっていくのを自覚する。
 シーパンドン最後の日だ。コン島でのんびり過ごす事にした。いいんだ、ラオスはそれが一番似合う国なんだから。
 東西に伸びるメインストリートを、今日は東の端まで行ってみよう。何もないと分かってるけど。
慣れると、このメインストリートが必要十分な太さだと気付きます。 メインストリートの東の端。水路で途切れてました。水牛さんが不機嫌そうに睨んできたので、早々に退散。
 にしても、つくづく子供が多い。何枚写真を撮ったことか。カメラを向けると、みんな気軽に撮らせてくれるのがまた嬉しい。
写真を撮ってもいいかと尋ねると、わざわざ別の場所で作業をしていた男衆まで呼んできて写ってくれました。なんか悪いな。 水遊びが遊びの主力なのかな。水着なんてものはないので、行水か入浴か水遊びか分かりません。というか、線引きされてない気がします。

 昼からソムサヌークレストランに出向く。今日はなぜか折り鶴を作りまくるはめに。ソムサヌークとその友人達みんなに作ってあげることになったため。はじめは子供達が自分で作ってみるという話だったのに、なにがどうなったのやら。
ソムサヌークレストランに集まる子供達。 観光料金所の兄ちゃん。国管轄のようなので、一応公務員ということになるのかな?
 明日ここを発つと言うと、幸運のおまじないでみんなが僕の手首に紐を巻いてくれた。
猫はいい。 風通しのいいレストランです。
 宿に戻って夕方、バンガローでくつろいでると、顔見知りになった近所の子供が遊びに来た。まこっちゃんは隣のバンガローのニュージーランド人の青年とギターをやってたので、僕はその子達と遊ぶ。日が沈む頃になると、近くの水辺で子供達の行水が始まった。毎日夕方に必ずしてるってことは、入浴的なものなのかも。
バンガローにやってきたところ。 こういうブレた写真がまた受けがよかったんですよ。
 どの家も、夕方になってもなかなか明かりをつけない。節約とか以前にみんな目がよく、暗さの基準も日本人とは違うんだろうな。かなり暗くなってもみんな平気な顔でうろついてるし。


ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic
5月24日(金)シーパンドン(ドン・コン → ドン・デット → ドン・コン)

自分の部屋の前から並びのデッキを撮りました。ここでハンモックに揺られるのは至福の一時でした。
 昨晩まこっちゃんと相談し、悩みに悩んだ結果、ここにもう一日滞在する事にした。いや、本音を言えばもっと居たいのだが、ラオスビザが明日で切れるのだ。こうなったら途中のパクセやウボン・ラチャタニーで泊まらず、一気にバンコクまで行ってしまうかな。

 ともあれ今日一日はお気に入りのこの島にいられる。ゆっくりと朝を過ごし、10時頃にまこっちゃんと散策に出かける。すれ違う誰もが笑顔で「サバイディー」と挨拶してくるのは、どれだけ慣れても気持ちいい。心が弾む。
本当に写真に撮られるのが好きです。おかげでタ(ー)イ・フープというのがラオス語で写真と言うのだと覚えてしまいました(^^;
 レンタサイクル屋で1台5時間1万kipで自転車を2台借りる。これでコン島とデット島を巡ろう。まずはコン島最南端を目指す。イルカウォッチングの出港ポイントまで行って対岸のカンボジアを見やる。
対岸ではなく、その向こうの山がカンボジアらしい。
 ここで「今からイルカを見に行かないか」と声をかけてきたおっちゃんがいたのだが、鉈で作業をしている時に手を切ったらしく、ぽたぽたと親指から血が垂れてきている。大丈夫なのかと尋ねると、「うん、怪我してる。絆創膏持ってないか」って、イルカウォッチングに誘っている場合じゃないだろう。持ってたからあげたけどさ。
 次いでソンパミットの滝を再訪。少し水かさ増えたかな?

 そしてデット島へ。地続き(?)のこの島をちゃんと見てまわるのは今日が初めてだ。まずは廃線跡の道を辿ってひたすら北へ。道の両側は一面の田んぼで、水牛が水たまりにつかって休み、その上で水鳥が羽を休めていたりする。
島の内部はこんな感じ。
 島中央部の田園地帯を抜け、ようやく到着した路床の終わりは島の東岸に面していて、貨物積降用の大きなコンクリート製ラックが残っていた。戦時物資輸送用に敷設されただけあって、住民の便など端から考えてないのが廃線跡を辿るとよく分かった。
 ここからは島の縁にそって伸びている細い生活道路沿いにさらに北進。
道の終わり。左手に見えるのはさらに北にあるゲストハウスです。
 この道はコン島にあるものより細いが、両側にはコン島よりずっと多くの民家が建ち並んでいる。特にゲストハウスが多い。旅行者の数もデット島の方が明らかに多い。デット島はツーリストの島だったのか。
どこに行っても子供を見かけます。みんななつっこい。
 道沿いに会う人と挨拶を交わしながら、コン島に戻る。帰りは川沿いの道をぐるりと回りこんで帰る。
対岸のデット島から自分達の泊まっている宿を撮ってみました。 くつろぐ人。ゆったりと暮らしてるなあ。足元には猫が。猫もいっぱいいるので、猫好きには嬉しい。
 バン・コンに帰り着いて思ったのは、ドン・コンとドン・デット、ともに思った以上に大きな島だということだ。すっかり行きつけになったソムサヌークレストランで昼食を摂ってから宿に戻る。
お絵描きを楽しむのは万国共通ですね
 3時過ぎ、スコールが来た。いいタイミングで戻ったものだ。

 夕食は宿のレストランでポテトフライドライスを食べようと思っていたのだが、ソムサヌークのところが是非食べに来いと誘うので、そちらに出向く。途中、滞在中に何度か見かけ、是非とも写真を撮りたかった次元大介髭の山羊に遭えたのでパチリ。
次元大介・山羊。見難いですが。

 ソムサヌークとお父さんとお母さんとお兄さん、近所の友達やチケット売り場の兄ちゃんなども集まって、にぎやかな食卓になった。ラオラーオ(ラオスのお酒。強くて有名らしいがやや強めの焼酎みたいな感じで、自分にはそこまでじゃなかった)をラオス流にみんなで回し飲みしたりして楽しいひとときを過ごした。
 宿に戻る段になっても雨が強く降っていたので、ソムサヌークとお兄ちゃんが傘を差して宿まで送ってくれた。最後までありがとう。

 宿に戻ってみると電気の灯りはついておらず、オイルランプが灯っているだけだった。今夜は客がいないかららしい。その片隅で、大量の羽虫をタライに浮かべてあるのが目に入った。羽をむしって料理の素材に使うのだそうだ。食べてみたかったが、多分外人客向けには出してないんだろうな。メニューになかったし。
 宿代を清算し、お腹は大きいが最後のチャンスなのでポテトフライドライスとビアラオを頼み、飲み食いしながらまこっちゃんと明日の相談をする。
 島を6時に出るボートで行こうかと考えていたが、その先の接続の事もあり、一番早い5時20分発の便で行く事にした。そんな早い時間に起きられるかなあ。宿のおかみさんが起こしてくれると言ってくれてるから少しは安心だけど。

 明日はタイに戻る。ズボン一丁で過ごし、オイルランプの灯りの下で日記を書く生活とも今日でお別れだ。
 絶対、いつか再訪しよう。ラオス自体かなり気に入ったが、その中でもここはとびきりだ。まだまだ旅はこれからだが、ここに近いレベルで気に入る所はあっても、ここ以上に気に入る場所はないんじゃないだろうか。
 シーパンドン、これはこれで一つの答えの形だろう。


ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic → タイ王国Kingdom of Thailand
5月25日(土)シーパンドン(ドン・コン)
ワンタオ → チョンメック →(ピブン) → ウボン・ラチャタニー

 無事五時前に起床。ということで、当初の予定通り、5時20分のボートに乗ってバン・ナカサンへ。さらばシーパンドン、また来る日まで。
早朝、最後のシーパンドン。日すら差してないので暗いです。

 タイ国境に行くために、まずパクセに向かう。乗合バスは6時発の予定だったが、乗客が少ないとかで一向に出発しない。一時間程遅れ、7時にバン・ナカサンを出発。よくある話だ。
バン・ナカサンを出発したところ。路傍の仏塔のようなものは、日本でいう所のお地蔵さんみたいなものなんだろうか。
 が、いくらも行かないうちに途中乗車してくる人がどんどん現れ、あっという間に満杯。しまいには乗車拒否をせざるを得ないほどの混雑ぶりになった。いい加減慣れたけど、この辺はさすがに直すべきだと思う。
 バスは国道13号線を快調に飛ばしていく。途中の休憩時に、運ちゃんのムーサンが持っていた弾丸を見せてくれた。なんでそんなものをと聞くと、俺はソルジャーなんだ、と。軍人が副業していいのか? それとも民兵みたいなものなのかな。ラオスの軍制は知らないからなんとも言えない。とりあえず「Great!」と応じるしかないな。
 その次の休憩時に、最後だから虫の串焼きを食べてみようと思い立ち、集まってくる売り子に尋ねてみたが、たまたま焼虫売りはいなかった。残念なようなほっとしたような。虫を食べると言っていた僕を面白そうに見ていたまこっちゃんには残念だったかも。10時前、パクセの南バスステーションに到着(15,000kip)。

 例によって集まってきた客引きにタイボーダーに行きたい旨を伝えると、外人客の基本パターンの一つなのだろう、心得た様子で一つのトゥクトゥクに乗せられた。まずは国境行きの便が発着するセントラルバスステーションへ行き(2,500kip)、着いたと思ったらすぐ別の軽トラを改造したトゥクトゥクに乗り換えさせられ、即発車。手際がよすぎるので不安になって側の乗客にこれはタイへ行く便かと尋ねると、にこやかにそうだと頷いた。たまたまタイミングがよかっただけか、ほっ。
 やけに小奇麗で立派な橋で、メコン川を横断した。ODAで日本が作ったものだ。間違いなく国境に向かってるようだ。実際に通ってみると、パクセから見て感じた以上に立派な橋だ。日本の面目躍如といったところか。
 タイとの国境の町、ワンタオまで5,000kip。ほとんどの乗客がワンタオまで行くからか、到着するずっと前に集金を済ませてしまった。11時50分、ワンタオ着。バン・ナカサンの出発に手間取っただけで、後はこれ以上ないくらい快調に来れた。まさか昼前に国境まで来れるとは思わなかった。

 ワンタオは、町というより国境地帯に開けたマーケットという印象だ。地面が土むき出しで、雨でところどころえぐれていたりするせいか、区画整備もあまりされずに雑然と存在しているように感じる。が、それはともかくこんなに商店が建ち並び、商品が山と積まれているのを見るのは久しぶりだ。
ワンタオを歩きながら。

 ここの国境は丘にある。雑然としたワンタオを抜けると現れた、しっかりと舗装された太い道をタイに向かって歩いていく。が、全然国境という感じがしない。ラオス=タイ間の緩衝地帯なのは分かるんだが、国境特有の緊張感がない。警備する兵士の姿が全然目につかず、タイ国境のゲートは広々と開け放たれ、人々は気ままに行き来しているように見える。いいのかこんなんで。もしかしてタイとラオスの国民は、行き来が自由だったりするんだろうか。
 おかげでイミグレの建物を特定するのに手間取ってしまった。闇両替はいないので焦る事もないだろうが、イミグレ脇にあるBANKで残っていたkipをバーツに両替。20300kip→90バーツ。レートが悪いのは仕方ないか。それ以前に物の値段が違うしなあ。
 イミグレはラオス側、タイ側ともに外国人は自分達だけだった。週末だからかもしれないけど。ここのボーダー、ガイドブックによっては週末は閉まっているとか書かれてたし。ラオス側の土日出国料金(このボーダーでは必要)は50バーツ。国境の門をくぐり、タイのイミグレでスタンプを押してもらい、二度目のタイ入国。

 タイ側の国境の町、チョンメック。当然、こちら側にも国境のマーケットが開かれている。緩衝地帯から人が多かったのであまりぴんと来なかったが、ワンタオと比べると、明らかに活気が違う。人の数、マーケットの規模、商品の数、町の整備具合。国力の違いというものを見せ付けられた感じだ。圧倒される。
チョンメック。空気が変わりました。
 ここから直接バンコクに行くバスも出ているはずだが、列車好きとしては列車に乗りたい。タイの長距離バスは、ものによっては盗難等に遭うこともあるらしいし。まこっちゃんも列車に乗るつもりなので、ここから一番近いターミナル駅のあるウボン・ラチャタニーに行かなくてはならない。が、こういう町ではバス乗り場は整備されていないのが常なので、それらしき気配を求めてしばしうろつく。と、国境から少し離れたところでトラックバスが数台並んで駐車していた。尋ねると、ウボン行きもここから出るらしい。よし。
 そうやって話している横で、一台のトラックバスが出て行った。話をする車を一台間違えたかな。まあいいや、一服したかったし。次のトラックバスは1時に出るとのことなので、目の前にある食堂で昼食を摂る。おお、建物がコンクリート製だ。ってなんでそんなことで感動してるんだか。無難にフライドライスを注文。ケチャップを使ってない、タイの味だ。
食堂から。目の前に泊まっている車はトラックバスではありません。
 トイレも済ませ、いざ出発。ガイドブックによれば、途中の町、ピブンで乗り換えるはず。料金の25バーツはこのトラックバスの分だけだろう。4トントラックの荷台を改造したトラックバスは、乗客で一杯だったので、まこっちゃんと二人、開放しっ放しになっている後ろのへりに腰掛け、ラオスの思い出を語りつつ、流れていく景色をぼんやりとながめる。この道の向こう、あの雲の下はラオスなんだな。シーパンドンのみんなはこれからも笑って日々を過ごしていくんだろうな……。
 たまにはこうやって旅人の寂寥感に浸るのも悪くない。
トラックバスに揺られながら。真っ直ぐに伸びる道、この向こうにはラオスがある。じゃあな、ラオス。
 東南アジアで車が左側通行なのはタイだけだ。それはともかく、分離帯や路肩がしっかりしている。東南アジアの他の国とはレベルが違うなあ。
大きい湖の横を通りました。名前は失念。見えている一番遠くの雲は、カンボジアの上に浮かんでいるのだろうか。
 一時間ほどで町に入り込む。ピブンだ。バスターミナルに行くのかと思っていたら、適当な路地で止まり、降りろとのこと。何事かと思ったら、対向車線に停車しているバスに乗り換えるらしい。たまたま行き合ったのか、ここで乗せかえるのが普通なのか。不思議な感じだ。
 今度はくたびれてはいるが、普通の路線バスだ。とはいえ、道の幅は日本と違わないのに、座席の数がやけに多いため、ゆったりとは出来ないが。ここからウボンまでも25バーツ。同じく一時間程走ったところで鉄道の駅っぽいところに停車した。慌てて車掌さんに確認すると、ウボン・ラチャタニー駅だとのこと。着いた。終点のターミナルからトゥクトゥクを使って行かないといけないと思っていたから、これはラッキー。疲れが出てこっくりと舟を漕いでいたまこっちゃんを慌てて起こし、荷物を持って飛び降りた。
ウボン・ラチャタニー駅。バイタクが多い。
 駅に着いたんだから、何はともあれバンコク行きのチケットを買おう。まだ3時台なので、焦らなくてもいい。飛び込みで当日の夜行の券だって、これまでの経験からすれば問題なく買えるはずだ。窓口がよくわからなかったが、外国人は別室で買うようになっていた。駅務室のようなところで英語の分かる駅員さんが、コンピュータ発券してくれた。オンライン化されてると、融通はともかく便利だなあ。
 僕は寝台車に乗りたかったので、1930発。まこっちゃんは座席夜行で行くので、1725発。バン・ナカサンを出てから後、アクシデントもなくうまく接続できたので、間に合った。座席夜行に間に合わなければ同じ寝台で行こうかと話していたのだが。後は列車の時間まですることがないので、二人してベンチに腰掛けてぼうっと時間を過ごす。駅売店で5バーツのアイスを買って食べたのだが、自分でも不思議なくらいにこにこしていた。

 時間が来た。まこっちゃんは荷物を背負い、列車に乗り込んだ。バンコクで会う可能性はあるが、ここでお別れだ。キリマンジャロ登山、頑張って。一足先に発つまこっちゃんを、手を振って見送る。
駅ってこんなに近代的なものだったのか
 寝台で行く自分の時間までは、まだ2時間近くある。駅でぼうっとしていてもいいのだが、せっかくなので、パクセを出て以来確認できてないメールを見れないものか。駅員さんにネットカフェがないか尋ねると、町に行けばあるだろうとのこと。近いなら行ってみるか。
駅前広場に展示されていたSL。この国でももう現役じゃないんだな。
 バイタクの運ちゃんに往復チャーター20バーツで話をつけ、乗せていってもらう。ネットカフェと言っても、地元の若者御用達のネットゲームセンターみたいな感じなので、メールが出来て日本語が読めるところを探し当てるのに三軒ほどまわる羽目になった。ウボン自体観光都市ってわけじゃないし、鉄道の駅は町の中心部からかなり離れてるし。仕方ないな。
 バイタクの運ちゃんは一時間したら迎えに来ると言って去っていった。メールをチェックすると、日本では特に何もなかったようだ。一安心。一時間10バーツ(安!)の料金を払い、迎えに来た運ちゃんに乗せてもらって駅に戻る。

 7時を過ぎ、暗くなってきた。雨まで降ってきた。列車に乗ろうとホームに向かうと、編成が長大で、自分の乗る二号車はプラットフォームのないところに停車していた。ステップに足を引っ掛け、よいしょと体を引き上げて乗り込む。車内は……空いてるなあ。先の駅で乗って来るんだろうけど。車内を見渡すと、こっちの子供はラオスと違ってきっちりと服を着込んでいる。それがいいことなのか幸せな事なのかはさておき、改めてラオス行が終わったんだなと感じた。
 日本を出た当初は、中国・ベトナム・カンボジア・タイとまわり、ラオスを見に行くところまでしか考えていなかった。ここから先は具体的なプランすら未定だ。面白い。

 そんなに定刻から遅れることなく、客車列車が動き出した。イサーン(タイ東北部)は田舎だと言われているが、確かにウボン・ラチャタニーの町を出外れると、人家の灯りは稀にしか見えない。それはいいんだが、他の乗客、発車してすぐに寝台を用意してもらって横になっている。まだ8時にもなってないのに。
 8時を過ぎたあたりで、雨風が激しくなり、雷雨になった。水滴は窓を滝のように流れ、雷はひっきりなしに闇を白く切り裂く。
 最初の停車駅で、どやどやと人が乗り込んできた。自分の寝台席は上段なのだが、それまで空席だった下段の人もやってきた。パジャマを着込んだ子供とその親。パジャマ? それはともかく、即座に席をどかされ、ベッドメイクをされてしまった。それはいい。だがこの親子、えらく態度が横柄で、感じが悪い。最初に来た時も会釈どころか笑顔のひとつもなく、邪魔者を見るような目で見てきたし、夜遅くまで親子で声高に喋り続けるし。
 この親子に限らないが、タイに戻ってからこっち、違和感を感じて仕方ない。タイは微笑みの国と言われていたはずだが、それはいつの話なんだろうか。前回は気にならなかったが、ラオスから戻ってきてみると、それを強く感じる。ずっと笑っていたラオスとの落差が凄いので。
 ともあれ自分のベッドに引っ込んで枕灯を頼りに日記を書き、就寝。


※参考
 外務省のHPによれば、ラオスの人口は552.6万人(2002年)、タイは6,346万人(2002年)。文字通り桁が違います。国土面積が倍ほど違うといっても、差がありすぎです。かつての共産政権下で虐殺が行われたという背景もあるにせよ、そもそも人が少なかったんですかね。まさに偉大なる田舎。タイのバンコクの人口は800万人とも言われていますから、それにも負けてます。というか、兵庫県の人口はH16年7月1日現在で5,591,898人と発表されていますから、ラオス全体で兵庫県程度の人口ってことですね……。

面積:ラオス24万ku(日本の約0.6倍)・タイ51万4,000ku(日本の約1.4倍)・兵庫県 8,393.34ku(ラオスの約3.5%)


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5月26日(日) バンコク

 寝台列車は例によって遅着。45分遅れの6時半、ホァランポーン駅に到着した。ゆっくり眠れたからありがたかったけど。
 客引きを適当にあしらいながら駅舎の外へ。勝手が分かっていると動きの効率がいい。ちょうど53番の赤バスがやって来たので飛び乗る。さすが日曜の早朝、混雑もなくすいすいとバスは進み、20分ほどでP.S.ゲストハウスに到着した。前回の滞在時に気に入ったので、バンコクの常宿はここにしようと思っていた。
 無事チェックインでき、部屋で荷物を解いてほっと一息。26時間連続移動はやはり疲れた。

 朝食を摂りに外へ。久しぶりにセブンイレブンに入る。東南アジアでは日本と違って豆乳が人気だ。ミルクっぽいものはまずソヤミルクだと思っていい。豆乳好きには嬉しい話だ。が、それはそれとして、なんかお腹の具合が悪い。近所でネットをやって、あとは大人しくしていることにした。

 夕方、少しましになったのでカオサン通りをぶらついていると、まこっちゃんに会った。バックパッカー御用達のカオサンとはいえ、会うものなんだ。

 その後、日本の友人に送るTシャツを物色してうろついていた時に、雑貨屋でなんとなく「懐中電灯ある?」と聞いたのがよくなかった。シーパンドンで川に落としてしまっていたので新しいのを買う必要があったんだけど、よりによってカオサンで聞いてしまうとは。観光客ズレした店がガンガンぼってくるのに。
 案の定、店員の兄ちゃんが350バーツだと言ってきた。話にならん。が、断っても食い下がってくる。「いくらなら買う?」と。しつこいので「10バーツ」と言っても引き下がらない。立ち去ろうとするのを強引に引き留め、値下げ交渉をしてくる。180バーツまで下がったが、体調も悪いし馬鹿馬鹿しくなったので「No thank you.Bye」と立ち去りかけると、こっちの肩を荒々しくどついて「You,No good!」と吐き捨てやがった。タイでは買わない客ならどついてもええんかい。ふざけるな。切れそうになるのをこらえ、足早に立ち去る。外国で個人旅行者が現地人ともめ事を起こすと、こっちが悪くなくても不利になるって言うし。でも、次こんな事があったら我慢できる自信はないな。
 この事だけじゃなく、タイは便利だけど、その分スレてて感じ悪い人も少なくない。微笑みの国の二つ名はふさわしくないと思う。ラオスと比べるからかもしれないけど。

 カオサンから二本離れた通りの屋台で夕食を摂っていると、横のテーブルにいた日本人女性に話しかけられた。Wさんは一人旅で二ヶ月、チェンマイとネパールに行ってきたらしい。同い年ということもあって話がはずみ、食事を終えてからも僕の宿に場所を移して話し続けた。しばらくロビーでだべっていると、ギターを持った日本人客が帰って来た。話の輪に加わりつつ、ギターを爪弾きはじめる。外で弾くつもりだったが、雨が降っていたので戻ってきたそうだ。
 この兄ちゃんは若いな。学生か駆け出しのミュージシャンって感じの人だ。一週間の旅らしいが、その間、バンコクにずっといるらしい。「(一度動いたら)動かずに、そこにずっといるのが旅だと思うんですよ!」……まあ、旅の定義は人それぞれだから構わないけど……正直、その論理はよく分からない……。だんだん興に乗って弾き始めたが、残念ながら音楽に興味がないので、すぐ飽きてしまった。体調もよくないし、最後まで付き合うのは辛い。幸いWさんは関心を持っているようなのでお任せして、9時半頃、二人に暇を告げて席を立ち、部屋に戻って寝ることにした。

 とりあえずバンコクで一息つこう。ベトナム・カンボジアで一緒だったMさんからメールが来て、二三日中にバンコクに戻るという話なので、会う予定だ。動くのはその後。
 タイから陸路ですぐに行ける異国は、ビザを持っているカンボジアと、ノービザで行けるマレーシアだ。とりあえずカンボジアに行こう。当初はマレーシアに向かうつもりだったが、カンボジアに心残りがあるので。


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5月27日(月) バンコク

 久しぶりに熟睡した気がする。四月に比べ、過ごしやすくなっているなあ。
 今日はなんとなく気が向いたので、日本食と映画館を求めて日本人街に行くことにした。11時、カオサン通りの南から出る2番の赤バスに乗る。宿からバス停までやや歩かないといけないけど、これだと一本で行けるので、トータルで見ると便利だ。
 まずはフジスーパーへ。ウーロン茶と天むすおにぎり・鮭トロおにぎり・いなりずしを購入。やはり日本人には日本食がいい。
日本人街近くの高層ビル群
 食後、大通りを挟んだ向かいにある大きなビルに行く。最上階あたりに映画館がありそうな気が……あった。言葉がわからなくてもなんとかなりそうな気がするスパイダーマンをチョイス(120バーツ)。
 タイでは映画が始まる前にタイ国王の映像が流れ、全員が起立するんだ。知らなかった。周りに合わせて立つが、なんか圧倒されるというか、違和感を感じてしまう。
 平日の昼間なのに、席は7割方埋まっていた。しかも場所柄、客の1/3ほどは日本人のようだ。自分の横にも親子連れが座った。男の子が映画に反応して「怖いー」「今の面白かったね」等と父親に話し掛けるたび、父親が大人しくさせようと苦労していたのが微笑ましかった。映画は案の定、言葉はあまり分からなかったが、大まかな流れは分かったように思う。少しは英語の勉強になっただろうか。

 映画の後、古本屋巡りをすることにした。小説はもとより、漫画雑誌まであるんだ。が、チャンピオンはないなあ。日本人街を離れて伊勢丹の紀伊国屋書店まで行けば新品ならあったが、一冊168バーツはきつい。BTSに乗ってタニヤ通りの古本屋にも行ってみたが、やはりない。異国の地で特定の古雑誌があると思う方が間違ってるんだとも思うけど。
 タニヤ通りの古本屋を出た時には夕方になっており、ちょうど風俗系のお姉ちゃんが大挙して出勤してきていた。ある意味壮観だった。

 お腹が減ったので伊勢丹に戻り、マクドナルド。ショーグンバーガー(てりやきポークバーガー)を食べてから電気屋へ。ここで懐中電灯を探すと、ナショナルの安いのが50バーツであった。これくらいのものだよな。昨日買わなくてよかった。充電池も2本購入(300バーツ)。しかしこの伊勢丹、買い物をするのにバーツだけじゃなく、日本円・アメリカドル・香港ドル・ユーロでもいいんだ。なんかすごい。

 宿に戻ってから今日買った小説に没頭してしまい、気がついたら午前四時だった。


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5月28日(火) バンコク

 10時前になんとか起きてごそごそしていると、約束どおりMさんが訪ねてきた。旅人同士がこうやって再会するというのも面白いものだ。連れ立ってカオサンの方を散歩しながら、お互いの旅の話や情報交換などをじっくりとする。

 いろいろ話をしていると、今、ミャンマー(旅行代理店や外国人向けのガイドブックだと、今でもミャンマーではなくBURMA・ビルマと書かれているのがほとんどだが)に行くのは少し良くないようだ。スー・チーさんの軟禁が解除されたというのがマイナスに働いているのか。
 マレーシアの次に行くことも考えていたが、今後のプランから外そうかな。どのみち入出国に飛行機を使わなければいけない国だから乗り気薄だったし。陸路で行けるなら間違いなく行くんだけど。Mさんは是非一度行っておく価値のある国だと言っているけれども。

 Mさんにも会ったことだし、明後日30日くらいにはカンボジアに行こうと思う。


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5月29日(水) バンコク

 体調があまりに悪くてどうしようもない。ひどい下痢で出歩くのもはばかられる状態。宿から出ず、へたばって一日過ごす。食事は下の食堂で。外人価格だけどまあいいや。店員さんともすっかりなじみになってるし。しかしこの体調では、明日の出発は無理だな。早く治さないと。
 それとは別の話だが、シーパンドンで手首に巻いてもらった糸を見て「イサーン(タイ東北部)に行ってきたのか」と何度か言われた。そちらでもやっている、仏教のお守りだとかなんだとか。仏教関係だったのか。


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5月30日(木) バンコク

 この後カンボジアに行くのはいいとして、どうやってどこに行こうか。いちばん簡単なのはカオサンから出ているツーリストバスに乗ってシェムリアップまで行くことだが、同じというのも芸がない。公共交通機関を使って自力でバッタボン(バッタンバン)に行くというのも心惹かれるものがある。顔なじみになった旅行代理店でだべりつつ考え、自力でバッタボンを目指すことにした。
 体調はあまりよくならない。明日、大丈夫なんだろうか。
夕日がきれいでした。宿の屋上から。
 気分転換にカオサンにある竹亭という日本食レストランに初めて行った。以前カオサンを歩いていてビラをもらったのを思い出したのでなんとなく。
 店に入ると、前回ビラを渡してきた日本人のおっちゃん(店長かな?)がいた。向こうもこっちを覚えていたようで、声をかけてきた。
「やはり日本人でしたか。ビラを渡そうか迷ったんですが、よかった」
「迷ったのは韓国人か台湾人とですか?」
「いえ、タイ人とです」
 あう。
 ゴールデントライアングルで日本人旅行者に現地人と間違えられたのはいいとしても、カオサン通りのようなツーリスト区画で、しかも日本食レストランの日本人店員に迷われるほど、今の自分は日本人離れしてきたのか……。


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5月31日(金) バンコク

 寝過ごしてしまった。昨夜の寝つきが悪かったから嫌な予感はしてたが……。
 体調は良くなったとは言えないものの、なんとか動けるくらいには回復したのになあ。
 これで選択肢は2つ。出発を明日にするか、今日国境の町・アランヤプラテートまで行ってしまうか。カンボジアの交通事情を考えれば後者がいいのは明らかだが、ラオスで細切れ移動して風邪を引いた印象が強く残ってるので腰が引けてしまうなあ。結局、もう一日ゆっくり静養することにした。フロントで何食わぬ顔で追加の一泊分を払い、ロビーで言葉の分からないテレビを白人客に混じって見る。
 ケンタッキーに行ってみた。ハンバーガーはバーガーと言うし(日本ではサンド)、クリスピーの衣が日本よりずっと少なく、肉は柔らかい。ナイフとフォークを使って食べているし、違うもんだなあ。


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