ほろほろ旅日記2007
5月1〜5日 九州・福岡県宗像行


2007年5月1日(火) 兵庫

 例によって、本来ならそろそろ寝なくてはならない深夜になってから、明日の準備を始める。
 数ヶ月単位の長旅だった2002以外、旅だろうと旅行だろうと遠征だろうと出張だろうと関係なく、毎回こうだ。直前になってからバタバタと準備するのが習慣になっている。前もってやっておけばいいと理屈では分かってるんだけど、できないんだよなあ。

 それにしても、実に久しぶりの旅だ。自分で「旅」と認識して旅立つのは、2002年の年末に帰国してからこっち、初めてだ。
 兵庫・大阪の外に泊りがけで出たことなら二、三回あるけど、それはどれも、目的地に行ってそこで遊んだり用事をしたりするのが主たる目的で、移動をも楽しむ「旅」にはなってなかったもんなあ。今回ももちろん目的はあるけど、そこに至るまでの所要時間、移動手段などを考えると、僕の中では「旅」という分類になる。
 そもそも、旅なしでは生きていけない旅人の僕が、こんなに長い間旅に出てなかったことが異常なんだよなあ。いい加減限界に近づいてて、なんかいろいろおかしくなりかねない感じだったから、金銭的にもかなり厳しいけど、ここはあえて行ってやる。

 それはともかく、時計を見たらもう午前三時を過ぎている。明日の朝はそんなに寝坊できないのに、まずい。急がなきゃ。


2007年5月2日(水) 兵庫−山口


●出発
 結局、昨日は午前4時半に寝た……。起きたのは8時半。出発の日って、いつも寝不足なんだよなあ。
 とりあえず天気予報や、不測の事態が起きてないことを確認すべく、ネットチェック。
 家を出たら山陽電車に乗り、JRに乗り換えるつもりだったが、バスでJRに出るというルートを思いつく。あ、これが一番安いじゃないか。家を出る時間も遅くてすむし。よし、これにしよう。片道7,000円を割るし。

 時間が来たので、大リュックを背負い、家を出て最寄のバス停に向かう。……バスを待っているうちに気がついた。どうせなら、JRまで自転車で行っておけば、もっと楽ができてたんだ。今さら遅いけど。バスがやって来た。普段自転車で走っている道も、バスの中という新鮮な視点で見ると、どこか違って見えるから不思議だ。

 駅に着いたので、早速一つだけあるみどりの窓口に向かう。前に二人ほど並んでいたが、ほどなく順番が回ってきた。が、山口まで普通の切符でと言ってもなかなか通じない。遠方への旅だと、新幹線を使うのが当たり前のようで、駅員さんもぴんと来ないんだろう。何度かやり取りして、ようやく乗車券のみでいいということで話が通じ、購入。
 ほどなくやって来た普通列車で、西へと移動開始。

 途中、新快速に乗り換える。時刻表によれば、この新快速には姫路を過ぎても乗り続け、相生で乗り換える必要があるらしい。知らなかったら姫路で降りてたろうな。情報収集は大事だ。

 ともあれ、列車は快調に西へ。いい天気だと思っていたが、だんだん雲が多くなってきた。天気予報では、降らないとなっていたけどなあ。1102、到着した姫路で車両切り離しのため、4分停車。乗り換えはここではなく、まだ先の相生だ。
 発車。あ、モノレール跡だ。僕の子供の頃からモノレール『跡』だったよなあ。何十年、廃墟のまま放っておくんだろう。列車は手柄山遊園の横を抜け、西へ。

 程なく市街地を抜けると、どんどん景色が山、田といった、田舎の風景に変化する。ああ、やっぱり僕は、こっちの風景が落ち着くなあ。



●岡山へ
 予定通り、相生で乗り換え。何度も経験しているので分かっていたことだけど、ここから兵庫−岡山の県境越え部分は列車のグレードが落ち、車両数も減るので必然的に乗車率はアップする。案の定、座れなかった。まあ、そのうち座れるだろう。

 相生から線路は山間に入っていく。谷間、田んぼの中を走っていく。これこれ、この雰囲気。これこそが、僕が日本の列車旅に求めている雰囲気だ。車窓風景から、車内の空気から、実にローカルな、日本の田舎の雰囲気が漂っている。ああ、幸せだ。


 のんびりとした空気につられてか、うたた寝をしている人も多い。僕も寝たし。ああ、いいなあ。うつらうつらと、列車は行く。兵庫・岡山の県境地域なので、山がちだ。
 ふと車内広告に目をやると、岡山地域に入ってきたことを実感させられた。そうか、岡山・広島でも自動改札導入か。慣れるまでが大変だなあ。

 岡山に入っても、山がちなのは変わらない。列車はひたすら、山間を走っていく。このあたりの地形は、僕の実家とそう離れてないだけあって、よく似ている。低い山が連なる眺め、昔ながらの瓦葺きと板壁の民家……。ああ、落ち着く。
 列車の旅は、近くを凝視する必要がないので眼鏡をかけてないんだけど、普段よりよく見える気がする。海外に行った時もそうだったし、精神的なものなのかなあ。


 瀬戸駅で、結構な数の高校生が乗り込んできて、車内は一気に賑やかになった。これはこれで悪くない。馬鹿騒ぎではない賑やかさは、むしろ好ましい。それにしても、今日はゴールデンウィークの間とはいえ平日なんだけど、学校は午前中で終わったのかな。
 次の列車乗換駅は、実は岡山−三原間ならどこでもいい。時刻表を見る限り、その間のどこで乗っても大丈夫なようだ。せっかく車内も空いてきて、気持ちよく座れているので、このまま終点の三原まで行ってやろうかとも思ったけど、よく考えたら昔、同じことをしたことがあるのを思い出したので、今日は始発駅の岡山で乗り換えることにする。
 聞くともなく、横の女子高生の会話を聞いていると、語尾に「〜じゃあ」とつけている。関西を出たことを実感。
 そして、皆ミニスカートに黒靴下なのに、完全にルーズソックス時代が終焉したことを実感。

 岡山に近くなると、線路は新幹線のそれと並行して走るため、ずっと北側の車窓には新幹線の高架が延びている。景色としては正直、つまらないが、これこそが岡山に近づいた証だとも感じる。そんなこんなで、1230、岡山駅に到着。

 岡山駅は、いつの間にか橋上に新しい駅がしつらえられていて、モダンな感じになっていた。まだまだ新しくてピカピカしているエスカレーターに乗って、上へ。どうも、先の吊り広告で見た自動改札は、まだ導入したばかりのようで、そこここに案内役の駅員がメガホンを持って立っていた。関西も導入時はこうだったんだろうか。

 広告看板にも地域性を感じたりしつつ、5番乗り場から9番乗り場へ移動。列車はここから1242に発車する。
 それにしても、何年かぶりに来た岡山は、関西より空気が涼しい気がする。都会のむやみやたらなカッキが減ったからなのか、空が曇っているからなのかは分からないけど。


●長距離鈍行列車の旅 岡山
 岡山から本州の端、下関までと今時の鈍行列車にしては長距離を走破する列車は、だからなのか、さっきよりきれいで、空いていた。
 
 岡山駅を出たら、西側に広がる操車場を、一段高い線路から眺めおろしながら加速していく。


 このあたりは、まだ言っても兵庫の隣だけあって気候・風土とも似ており、少なくとも列車の車窓からぼんやりと眺めている限りは、姫路や加古川あたりの眺めとそう大きな違いは感じられない。

 岡山を出てから17分、倉敷に到着。プラットホームの下の、黒地に白の格子模様が土地柄を表しているなあ。

 岡山の鉄道旅の大きな特徴の一つは、この長きに渡って併走し続ける、新幹線の高架ではないかと思う。本当にかなりの間、併走しているから。

 以前から気にっなっていた金光駅。やはりここには同名の宗教の本部があるらしい。日本人は宗教心が薄いとよく言われるが、こういう事例は日本のあちこちにあるよなあ。


 倉敷から25分、笠岡着。ここで、快速列車待ちのため五分間停車。だが、快速列車には乗り換えない。なぜなら、後からやってくる快速列車は、約15キロ先の福山駅が終点だから。山口まで行こうとしているのに、福山止まりでは意味がないもんなあ。妙な気分で先に発車する快速を見送る。
 東南アジアとかだと、こういう停車時間の隙を逃さず食べ物の売り子が乗り込んでくるところだが、ここは日本だから来ない。それ以前にホームにはそんなに人気がない。駅弁売りの風習は、僕が列車に乗るようになった頃にはとっくに廃れていたもんなあ。一度だけ、今はなき横川で峠の釜飯を買ったことがあるくらいだ。



●長距離鈍行列車の旅 広島
 暖かい春の午後の空気、程よく空いた車内、そして山と田と民家の、心くつろぐ景色……気がつくと、うとうととうたた寝をしていた。これが鈍行旅の醍醐味だ。次の大きな駅は福山だと思っていたが、気がつくと福山はとうに過ぎ、尾道に近づいていた。

 尾道駅では、向かいのホームに遠足帰りか何からしき小学生の集団がいた。尾道、降りたことはあるけど、まともに観光で歩き回ったことはないんだよなあ。

 列車の右の車窓には、すぐそこに迫る山、

 左の車窓には、民家の間から瀬戸内海がうかがえる。

 いい光景だ。山陽本線がこんな海のすぐそばを走るのって、兵庫の須磨近辺以来じゃないだろうか。ああ、四時間も乗り続けてまだ半分。この長距離移動ののんびりした感覚、忘れてたよ。やはり、たまには旅をしないといけないな。

 三原から西は、山に入る山陽本線と、海側を回る呉線に分岐する。ちょうど三原では、呉線の列車が出るところだった。

 本線を進み続けるこちらは、三原を出てしばし、列車は海のそばを離れ、山の中に分け入っていった。

 なんだかよく分からない、でっかい送電線の下をくぐり、山間の谷間を行く。広島に通じるショートカットルートなんだよなあ、これ。

 それまではよく空いていて、四人がけのクロスシートに一人で座っていたのだが、西条で大量に人が乗り込んできた。それも、ほとんどが二十歳前後と思われる、若者だ。なんでまた……あ、そうか。広島大学がここに移転してたんだっけか。僕の座るクロスシートにも、二人の学生さんが座ってきた。それも、二人とも女生徒だ。男女相席なんて気にしていられないほど混んでいるからなあ。でも、おかげで人一人分ほどある大リュックを網棚の上に上げてまでもう一人分を確保しなくても済んだ。座れなかった人には申し訳ないけど、大きかろうが小さかろうが、他の人が責任を持ってくれない限り、移動中は鞄を手放せない性なもので。すいませんねえ。

 20分あまり、一時的に快速になった列車はかなり混雑した車両をひた走らせた。予想通り、学生さんの大半は広島駅で降りていった。時計を見ると15時24分。


 広島を出た車内は、西条以前よりはさすがに多いが、それでも混んでいるというほどではない乗車率まで下がった。これくらいが落ち着いて乗っていられていい。
 宮島口駅着。宮島には行ったことはなものの、この駅には何度となく来ている。そのたびに同じことを思うが、さすがに元観光のメッカだっただけのことはあり、駅のつくりが大きい。なによりホームの長さが半端ではない。戦前、長大編成列車が停車していた名残なんだろうか。

 ちなみに、宮島はともかく、厳島神社そのものは、よく見えない。反対側の座席にいたこともあり、ビルの間から何度かちらりと鳥居が見えたくらいだ。

 宮島から西、大竹とかこのあたりの印象は、正直言ってない。これまでここを通過した時は、大体夜か、寝ているか、同行者と話しこんでいたかしていたからなあ。改めて見ると、おおむね南は海、北は山という、いかにも瀬戸内な景色が続いている。幹線沿いの風景というより、ローカル線ぽい雰囲気も漂っているが、こういうところの方が僕は好きだなあ。
 


●長距離鈍行列車の旅 山口
 そんな景色を楽しんでいたら、突然視界がぱあっと開け、平地が姿を現したと思ったら、岩国に到着した。ここでも大勢乗り込んできた。まだ16時08分、仕事帰りの人が乗ってくるには少し早いはずなんだけどなあ。岩国を過ぎると、またしてもおおむね左手に海、右手に山の地形に戻った。こう書くと変哲のない景色で退屈そうだが、きちんと見たことのない景色の連続なので、車窓を眺めているだけでも楽しくてたまらない。16時23分、由宇駅着。

 行ったことはないが、広島カープの二軍練習場のある土地だ。とはいっても、練習場自体は何キロも山のほうに入り込んだ奥らしいが。列車でも広島から一時間、山口県だから遠いと思っていたけど、それなりの近さだなあ、これは。

 関係ないが、女子高生のスカートの丈が長くなった。勝手な話だが、この方が落ちつく。そういう地域に来たんだなあ。
 このあたりまで来ると、同じ瀬戸内海地方でも、広島までとは空気が、たたずまいが違う。このあたりは駅も独特だ。古い駅が多くあるが、そのどれもがホームは狭いのに、やけに長かったりする。作られた時代の世相を反映しているのだろうか。

 由宇を出てからは、基本的に海のそばを走り続けている。瀬戸内海では尾道が海と山に挟まれた地として有名だが、柳井のこのあたりも結構いい感じだよなあ。

 その柳井を過ぎたあたりから、平地が姿を現してきた。近くに大都市があれば、とっくの昔に開発されて住宅エリアになっていただろうと思える地形だ。このあたりは何のイメージも持ってなかったけど、いわゆる「日本の風景」が残っている。こいのぼりを上げている家もそれなりにあるし。いいなあ。ただよく分からないのは、ガードレールがところどころ黄色いことだ。なんだろう、これ?

 岩田からは、一転して山の中に入った。景色にバリエーションがあって、この旅は楽しい。
 

 それまでは昔ながらの立派な駅に、田舎のたたずまいの田園風景という取り合わせを楽しんでいたのだが、

 徳山に入ったら、急にビルが林立しだした。都市部とそれ以外が、見事なまでにくっきりと分かれてるなあ。防府駅なんて、えらく近代的な高架駅になってたし。
 
 防府はそんなに高いビルとかは見当たらないけど、代わりに家がずうっと広範囲に建ち並んでいる。うーん、たまにはこういう景色もないと寂しいけど、やっぱり好きにはなれないなあ。住宅街を抜け、田園風景に戻ったらほっとしたよ。


 ずっと続く田園風景の中、四辻に差し掛かるあたりで気がついたのだが、時間的に帰宅ラッシュだろう、西に向かう道路に車がびっしりと並んでいた。毎日こんなになるなら、バイパスを作るとか片道二車線にするとか、何か考えたほうがいいんじゃないのかなあ。というか、都市部である小郡から帰るんじゃなくて、そっちに向かう車のほうが多いんだ。

 18時00分、新山口駅着。前来た時は小郡駅だったはずだけど、いつの間にか名前が変わっていた。



●長距離鈍行列車の旅 宇部
 ここで、これまでずっと乗り続けてきた山陽本線に別れを告げる。乗り換えだ。列車を降り、次の列車まで20分以上あるのでホームで一息つく。
 本当、こういう何時間もかかる旅、平気になってるなあ。海外で鍛えられたおかげもあるんだろう。昔は退屈したりだれたりしていたのが、なんともなくなっている。待合室で休もうかとも思ったが、女子高生が集団でにぎやかにしていたので、遠慮しておく。平日だもんなあ。
 ここで乗り継ぐ宇部線は、二両編成の近郊用車両だった。ロングシート車両なんて、今日初めてだ。時間的なこともあり、それなりの乗車率だ。地方の鉄道の例に漏れず、高校生の姿が多い。岡山では昼過ぎに帰っていたけど、山口では普通に夕方までやってたのかな?

 分かっていたことだが、宇部線は山陽本線に比べて、駅間距離が圧倒的に短い。少し走ったらすぐ次の駅だ。いわゆる私鉄の駅間距離だよなあ。

 兵庫から西に突き進んできただけあって、日没が遅くなっている。五月になったところなのに、午後七時を過ぎてもまだ明るさが残っている。
 それにしても、宇部線の駅は昔ながらの瓦葺の駅舎が多いなあ。目指す駅に着く前に、さすがに暗くなってきた。同時に少し肌寒くなったような。

 目指す駅に着いたので降りる。数年ぶりに会う友人Mが待っていてくれるはずなんだが……ホームの中で待っていてくれた。無人駅ならではだけど、ちょっとびっくりした。
 旧交を温めたり、数年前に来た時はまだ生まれてなかった娘さんに挨拶したりしながら、友人宅に歩いていく。昔からの友人って、数年ぶりに会っても気兼ねがなくていい。
 おいしいご飯をご馳走になりながら、明日行く宗像やラグビーの話、海外の話などをしつつ、夜は更けていった。こういう充実感を味わった一日は、本当に久しぶりだった。


2007年5月3日(木) 山口−福岡(前半)


●のんびりと出発
 人の家だと言うのに、思い切り熟睡していたようだ。ダイニングで寝させてもらっいたのだが、目を覚ました八時半には、友人はとっくに起きていて、奥さんは食事の支度を済ませていた。気づかなかったよ……。
 今日は宗像まで、友人の車で行くことになっている。そういや、自家用車に乗ること自体、結構久しぶりだなあ。まずは奥さんと娘さんを山口まで送り、その後九州に向かう段取りになっている。
 
 こういう計画の場合、大体そうなるものだが、今日も案の定、出発予定時間が遅れた。これは、今日は午後の試合から観戦できるかなと思っていたけど、もっと遅れそうだ。まあ、ラグビーの観戦自体は今日と明日、二日間予定を組んでいるから、そこまで気にしなくてもいいだろう。
 ともあれ出発。
 関西に比べて、土地の使い方に余裕があるというか、地形的にゆったりしていると言うか。田んぼのエリアが広く、集落と集落の間があいている印象だ。

 途中、田んぼの中にやけにモダンで新しい区画があるなと思っていたら、山口大学だった。こんななんだ。どこの大学も、昔の市街地にあるボロなのから、郊外に転出しているのかな。いや、山口大学が移転してきたのかどうかは知らないけど。こういう郊外型の大学って、学校の施設的にはいいけど、下宿先やバイト先など、学生生活的にはきつかったりするんだよなあ。

 なんやかんやで、山口着。奥さんと娘さんと別れ、九州に向けて出発。日差しは暖かいから少し暑いに入ったくらい。いい天気だ。

●九州へ
 元々昼過ぎから一時ごろには宗像に着いていたいなと言っていたが、九州に向かいだした時点で既に昼過ぎ。予定よりだいぶ遅れているが、仕方がない。
 山口県内を走っていく途中、山口の奥さんから友人に、携帯で道路の混雑情報がかかってくる。本当、便利な世の中になったものだ。元々お金をかけない方針だったので地道を使うつもりだったが、ダイナミックに遅れているからどうしようかと言っていたのだが、下関市内で祭りがあったり、今日博多でどんたくがある関係で高速道路が渋滞しているとかの情報を聞くと、わざわざ有料道路を使うメリットが見当たらなくなったので、当初の予定通り地道で行こうということになった。
 
 道路はゴールデンウィーク真っ只中だというのに混んでない。友人の言によれば、ごく普通の状態だそうだ。まあありがたいけど。
 
 結局、多少なりとも混雑していたのは関門トンネルのところだけだった。ここだけはいつも混んでいるらしい。料金所への列に、前のほうで割り込んでこようとしてくる車ってのは、どこにでもいるんだなあ。
 本州と九州を繋ぐ陸路はここと高速道路しかないんだから、それも無理はない。というか、交通量が多いのは分かってるのに、いまだにトンネル内は対向二車線ってのはどうなんだ。それ以前に、ここまで使い込んだら十分元は取れてるだろうに、無料開放してこの無駄な渋滞をなくせばいいのに。確実に収入が見込めるから無料にしたくないくらいしか理由が思いつかないけど、それってズルいよなあ。

 やっと料金所を抜けた。ここからは皮肉なくらい空いている。お、トンネルの入り口にふぐの姿が。さすが下関だ。
 


●北九州を抜けて
 北九州市内に車で来たのは初めてだけど、かなり大きい市のようだ。とにかく宗像に行くべく、車を走らせていく。

 海沿いを走ったり、

 市街地を走ったり、

 また海沿いを走ってトンネルをくぐったり、

 また市街地になったり。本当に大きい町だ。かなり合併を繰り返してできたんだろうなあ。

 それにしてもなかなか北九州市を抜けない。この分では、宗像に着くのはいつになることやら。
 あ、案内板に宗像の字が。目的地に近づいているのが、やっと実感できた。

 やっと北九州市をを抜けた。一時間くらい走ってた気がする。地図を見ると、本当にそれくらいあったようだ。九州に入ってから宗像への道のりの3/4くらいは北九州市だったから。
 ほどなく道は、高速と言うかパイパスっぽくなった。宗像はもうすぐそこだ。



●宗像到着
 宗像と言っても、目指すのはその東の奥のほうにあるグローバルアリーナという運動施設だ。最短距離らしい県道の分岐に注意しないといけない。
 地図で分岐する県道の番号を確認すると、すぐ目の前の交差点がそれだった。危ない危ない。

 分岐看板もなければ、地元の者でもなければ曲がろうとも思わないような小さな交差点だったので、確認してなければそのまま通り過ぎるところだった。でも、これで無事にルートに乗れたわけで、後は迷わず着けるだろう。

 いかにもな日本の田舎の道を走り、15時前に目指すグローバルアリーナに到着した。今回の旅の目的地はここだ。国内8、海外8の高校ラグビーチームがここに集まって一週間の勝負を繰り広げる、サニックス2007ワールドユース大会。今日と明日は順位決定トーナメントの準決勝が行われる予定だ。

 かなり遅れたが、それでも最後の一試合くらいは見られるかと思っていたが、第三試合の後半に間に合うことができた。東福岡とサモアの学校がやっている。その後、事実上の決勝戦と言ってもいいニュージーランドとオーストラリアの試合も見れたし、満足だ。試合の詳細はラグビー観戦記+にて(^^;
 


●寝床の確保
 今日の観戦も終わったので、次は今夜の宿を確保しないといけない。とはいっても、僕と友人は普通の宿に高いお金を払って泊まる気など毛頭ない。テントと寝袋を持ってきているので、どこか近場でキャンプできるところを探すつもりだ。最悪、適当な空き地を見つけるなり、車中泊をしてもいいし。

 事前にいくつか調べた中で、まずは一番近いところに行ってみる。グローバルアリーナから一キロも離れていない、その気になれば歩いてでも行けそうなところに八所宮というキャンプ場があるらしかった。
 キャンプ場の例に漏れず、集落を離れた山中にあるようで、見つけるのに苦労して、最後は野良仕事をしていたおばちゃんに尋ねて見つけた先は、神社の境内を利用したものだった。名前はそれっぽかったけど、本当に神社だったのか……!
 駐車場には何台か泊まっているけど、これはお参りしているのか、キャンプ場に来ているのか、どっちなんだろう。

 まずは神社に来たのだから、お参りをする。境内に泊まらせてもらうなら、まずはそこの神様に挨拶をしておくのは当然のことだし。

 話を通すために神社の人を探す。裏手に回りこんだところにいたので声をかける。どうも神域ではなく、普通に生活する民家スペースに来てしまったようだけど仕方ない。境内を掃除していたおじいちゃんに尋ねると、一泊150円と言っていたが、すかさず家の中にいたおばちゃんが、200円に改定されたことを教えてくれた。利用者がそんなに多くないのかもしれないし、それ以前にゴールデン・ウィークにキャンプするような物好きはあんまりいないんだろう。行楽地のキャンプ場は、7〜9月限定のところが多いし。

 ともあれ、一人200円払って申し込み。テントと寝袋持参なので、それ以上のお金は要らない。安いよなあ。
 キャンプスペースに歩いていく途中、弓道場があった。弓の神様をまつっていたりするのかな。弓道部の生徒とかは、もしかしてここでキャンプしながら合宿したりするんだろうか。
 炊事場に10人ほどの大人がいて、バーベキューをしながらギターを弾いたりして遊んでいた。神社のおばちゃんの話では、ヤマハの社員で、バーベキューに集まっているらしい。うーむ、僕が社員だったら、GWのど真ん中に集まって行事をするというのは勘弁して欲しいところだ。お疲れ様。

 我々二人の他に、宿泊予定の者はいないらしい。
 日が沈むとどうしようもなくなりそうだったので、何はともあれテントを張る。友人のテントを借りたのだが、最近のテントはワンタッチ式ではなくても、本当に張るのが簡単で助かる。



●軽くドライブ
 テントは張ってしまったが、まだ18時半を回ったところで、時間はあるし、ここには何もないし、外はまだ明るいので、日があるうちに行けるところを探してドライブに出かけた。
 地図を見ると、西に20キロほど離れた津屋崎というところに景色がいいマークがあったので、そこを目指す。時間的にも手ごろだし、そこは元々、八所宮がだめだった時は行ってみるつもりをしていた、夏季のみ営業のキャンプ場があるところだったし。

 さすがに市街地に出てきたし、博多に向かう道でもあったのでそれなりに車は多かったが、渋滞するほどでもなく、なんとか明るいうちに着けそうだった。九州の経度の関係で、7時をとうに過ぎてもまだまだ明るいというのもあったが。
 ともあれ、やっと島のようになっている津屋崎が見えてきた。津屋崎漁港からそちらに向けて折れる。

 いかにもな昔ながらの漁村を通り抜け、くねくねと曲がりくねる山道を上っていく。


 上り詰めたところに、東郷神社という神社があった。ここのキャンプ場も、神社の境内なのか。
 キャンプ場がどんなところか見るのは後回しにして、まずは残り少ない時間で眺望を楽しむため、展望台に向かう。でも夜が近く、曇っている上に霧が出ているこの状態では、見晴らしは望むべくもなかった。残念。

 それにしてもここの展望台、なんか戦艦ぽいデザインだなあと思っていたら、こんな記念碑でした。

 日本海海戦記念碑。こんなところにあったんだ。歴史に残る完全勝利を収めた海戦の経緯を示した図版もあった。

 全く予想外だったけど、つまらないところじゃなくてよかった。
 あれ、もしかして、すぐ下にあった東郷神社って、東郷平八郎にちなんでるのかな?


●夜の帳
 いよいよ暗くなってきたけど、ここまで来たのだからと閉鎖中のキャンプ場を見に行く。ううむ、確かに広くて立派だけど、開いてたとしても今回の我々のような旅には似つかわしくないキャンプ場だった。それこそ学校の郊外学習で使うような所だろう。あらためて、八所宮で正解だな。

 さすがに夜の帳が下り、闇に包まれだしたのでテントに戻る。途中、どこかでおいしそうな店があればそこで夕食にしようということで話がまとまり、海沿いに車を走らせた。
 のに、途中何軒かの魚を食べさせるレストランを見つけたのにもかかわらず、どれも車がいっぱいだったこともあり、なんか気が乗らなかったのでパスしてしまった(^^;
 結局、あちこちうろついた挙句、内陸部のサンリブというショッピングモールの一角にある、お好み焼き屋になった。こういうのを食べたい気分だったから、これはこれでよし。

 他にはすることもなかったので、本屋で少し立ち読みをしてから八所宮に戻った。時刻は21時半。予想通り、我々二人以外、誰もいない。真っ暗だし、暇なので23時には寝た。


2007年5月4日(金) 福岡−山口


●清清しい朝
 夜中に一度トイレに起きたが、本当に真っ暗闇だった。神社の境内なので別に怖くはなかったけど。
 遠く、道をかっとんでいる若者の運転する車のエンジン音が遠く聞こえていた。ああ、田舎だなあ。

 朝は8時に起床。朝食、洗顔、トイレ。神社の人がやってきたので挨拶。空は曇っている。ようし、今日は一日ラグビー観戦づけだ。楽しみ。
 出発前に社務所に挨拶による。そこで宗像の寺社群が世界遺産の申請を行っていることを初めて知った。頑張ってるなあ。ついでに、あま酒を一杯ごちそうになってしまった。ありがとうございます。友人は、土産にと一本買っていた。僕は明日の列車の長旅があるので買わなかったけど。



●ラグビー観戦二日目
 本日のグローバルアリーナは、順位決定トーナメント準決勝の二日目だ。明日の決勝を見れないのが残念だが、仕方がない。今日は今日で4試合、たっぷり楽しめるからよしとしよう。メイン会場ではないトラック&フィールドが会場だったが、陸上トラックの中から間近に観戦できたので、迫力があって楽しかったし。詳細はラグビー観戦記+に記しているので、ここでは割愛。
  


●帰路
 帰りも行きと同じく、下道を通って山口に戻る。

 北九州市の市街地に入ると、にわかに車が混み始めた。今日はまだ4日のゴールデンウィークど真ん中なので、そこまで酷くないと思っていたんだけど……酷くなくてこれか……。

 確かに、全然動かないとかそこまでの話ではない。それなりには流れていく。でもこれは、友人の言ったとおり、来た時より時間がかかることになりそうだ。

 特にひどかったのが、関門トンネルに入る料金所までの渋滞。料金所に差し掛かるずっと前から混み始め、ここの渋滞だけでも一時間近くかかってしまった。たまに旅しにやってくる僕ですら辟易してしまうんだから、日常的にここを使ってる人のストレスはいかばかりか。本気でなんとかしなきゃいけないだろう、これ。

 今日はなんだかラーメンを食べたい気分だったのでそう言うと、友人宅に戻る前に、宇部にある九州ラーメンの店に行こうということになった。一久ラーメンというチェーン店だったが、なかなかおいしかった。ラーメン屋でラーメンを食べるのなんて、えらく久しぶりだ。

 友人宅に到着して一息ついてからも、ラグビーのこと、旅のことと話が弾んだ。
 友人は今回がラグビー初観戦だったが、気に入ってくれたようでよかった。誘った甲斐があった。
 旅については、僕も友人もバックパッカーなのだが、日本ではこの話題が普通にできる者は決して多くなく、特に友人は旅の話に飢えていたらしく、ことのほか話が弾んだ。
 そんなこんなで、日付が変わって眠くなるまで、ひたすらに話し続けていた。


2007年5月5日(土) 山口−兵庫


●また来る日まで
 12時半に寝て、9時半に起きた。よく寝た。
 朝食は、2日に来たときにご馳走になったカレーがまだあったのでそれで。カレーは大好きだ。朝から重いものを食べるのも、子供の頃から慣れているから何も気にならないし。というか、気にする人が多いのが理解できなかったりする。

 列車の時間の関係で、12時ごろまで友人宅でビデオを見せてもらったり話したりして、ゆっくり過ごした。それから友人の車で新山口まで送ってもらった。
 
 奥さんと娘さんを迎えに行くついでがあるとはいえ、ありがとう。今回の旅では、何から何まで世話になった。
 


●鈍行列車万歳
 友人と別れ、駅構内へ。

 みどりの窓口に切符を買いに寄った時に気付いたのだが、やはりGW、人が多い。空席状況を表示している案内板を見ると、×が目につく。僕は鈍行だから関係ないけど。

 13時10分発の岡山行き長距離鈍行列車は、まずまず空いていた。


 これであとは18時40分着予定の岡山まで、ひたすら乗っていればいい。楽だし、長距離鈍行は味わいがあって楽しいから、この選択は正解だ。

 行きも通ったルートなので、のんびりと車窓を楽しみながら過ごす。特にここ小郡から広島までの間は、まだ見慣れてないので興味深い。
  

  

  



●瀬戸内を行く
 光駅の手前で、窓に雨粒がついた。

 昨夜から降る降ると言っていたけど、ようやく降るのか? 見ていると、光駅にを出る頃にはまともに降りだした。路面も濡れている。列車旅の身としては、雨は雨で風情があって楽しいからいいや。

 南側には瀬戸内海が広がっている。こうやって見ると、本当に多島海だということが実感できる。

 柳井港駅を過ぎた。次は大畠駅だ。来る時に気になっていたのだが、ここからは南に浮かぶ大島(屋代島)というところに、立派な橋が架かっている。今度は南側の座席に座っていたので、じっくり見ることができた。やっぱり橋って見ごたえがあるなあ。
 


●大混雑
 雨に濡れる車窓を眺めながら、うとうとと舟をこいでいて気がつくと、南岩国まで来ていた。このあたりは、雨はまだのようだ。列車の速度が雨雲の速度を上回ったのかな。車内の乗客も、さすがに岩国に近づいてきただけあって、それなりの数になっていた。

 南岩国−岩国間のとある踏み切りに差し掛かった時、道幅いっぱいに、ぎっしりと人が埋まっていたのに気がついた。なんだこれ。マラソンかウォークイベントかデモか何か、あったのかな? まさかの人出だったので、驚いてしまった。その関係だろう、岩国から乗り込んできた人の数も尋常ではなかった。言ってもそれなりに空いていたのが、いきなり祭り帰りの車内のようにぎゅうぎゅう詰めになってしまった。この状態だと、大リュックを持っている僕は肩身が狭いんだよなあ。

 岩国で大量に乗り込んできた人の大部分は、予想通り広島で降りていった。なんだったんだろう。
 広島から乗り込んできた人もそれなりにいたが、これも予想通り、あらかた西条で降りた。
 うーん、こうやって長距離の旅をしていると、人の移動圏の境目がはっきりと分かるなあ。それに急激に乗客数が変化すると、重さによる列車の加速度の違いが肌で感じ取れて、面白いや。


●山の中
 ようやく車内が空いたのは、三原に向かう山の中だった。心落ち着く田舎の風景を眺めながら、のんびりした気分を満喫する。
  
 途中、山の上のほうにものごっつい橋が作りかけになっているのを見つけた。なんだこれはと見ていると、看板があった。読んでみると、空港大橋建築中、らしい。なるほど。
 しかし、広島空港はここなのか。中心部からだいぶ離れているなあ。思い切り山の中じゃないか。

 


●海のそば
 西から三原に来ると、田舎から都会へ、世界が一変する印象がある。三原で降りたことはないが、それなりの町なんだろう。

 その三原を過ぎると、今度はしばらく海のそばを走っていくことになる。尾道が近づくにつれ、海と島がいい感じに見えてくる。
 
 尾道駅を過ぎると、尾道大橋が見えてくる。
 
 こういう眺めが楽しめるんだから、日光に当たるのは具合が悪いとか、本を読んだりパソコンを使ったりするのに具合が悪いとかでない限り、山陽本線を旅する時は南側の座席に座った方が絶対得だと思う。


●岡山駅にて
 それからしばらくは車窓風景も、乗客も、静かなものだった。

 が、18時20分の倉敷で、結構多く乗ってきた。ま、ここからは岡山に向かう人が多いし、当然なんだけど。
 外はまだまだ明るい。岩国の前で追い越してからこっち、雨雲には追いつかれていないようで、外の地面はずっと乾いたままだ。そうこうしているうちに、岡山着。

 次の列車までは、乗り換え時間が結構ある。山陽線のネックとして有名な、岡山−姫路間だからなあ。乗り換え時間、37分かあ。しかも到着した同じホームからの発車になるので、暇だ。時間つぶしに駅の中をぶらぶらする。みどりの窓口をのぞいてみるが、さすが。新幹線の空席状況、新山口で見た時より悪化している。グリーン車がたまに空いているだけで、他はのきなみ×。GWってすごい。これまでは基本的に連休中は休んでて、出歩かなかったから実感がなかったけど、こんな状態になるんだ。みんな一体、どこに行ってるんだろう。

 特にすることもなくなったので、ホームの外れにある9番線に戻り、ぼんやりと待つ。しかし、同じホームを使うかあ。岡山駅は現在改装中なので、ホームのやりくりに苦労してるんだろうなあ。


●帰宅
 姫路行きの列車に使われていたのは、そろそろ懐かしの域に入ってきた221系車両だった。この車両が新快速としてバリバリ走ってた頃が、僕の学生時代だったんだよなあ。
 乗客の中に、娘さんを二人連れたお母さんの姿があった。娘さんたちは倉敷チボリ公園の風船を持っている。チボリに行ってきた帰りのようだ。二人も子供を連れて、長距離を列車で来てたのか。お疲れ様です。

 車内は、大体満席になった。まあ、どうせ兵庫県に入るあたりで空くんだろうけど。

 兵庫県に入るあたりになると、予想通り乗客の数も少なくなり、列車の走行音が耳に響く、静かな車内になった。まさにローカル線のたたずまいだ。
 列車の終点、姫路までの時間を、暗闇の中、ぼんやりと乗り続ける。時刻表によれば、ここから先は新快速に乗り継がなくても、鈍行で帰ればいいようだ。姫路駅も高架化されており、久々に構内を歩き回ったが、まるで知らない駅だった。人の雰囲気は肌に馴染んだ播磨のものなのに、不思議な感じだ。

 姫路からの車両は、鈍行ではあるが、西明石から向こうは快速列車になるので、223系を使っていた。
 
 最寄り駅で降りる。ここから家まで、30分の歩きだ。
 この歩きの最中に、雨雲に追いつかれてしまった。雨は嫌いじゃないが、荷物が重いので、せめて家に着くまではもって欲しかった。


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