ほろほろ旅日記2002 2003初頭

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日本  2003年初頭 実家


●徒然なるままに
 日本に帰ってきて数日、確かに帰国した実感は湧いてきたが、まだ日本に落ち着いているという安定感はない。ともすれば、すぐに次の地に旅立ちそうな感じだ。自分の中に、まだ旅の勢いが色濃く残っているんだ。まあ、もうお金もないし、状況的にも無理なんだけど。

 自分なりに9ヶ月、世界を巡ってきた。
 インターネット、メールというものがあったからだろうか、日本人に全く会わない日が続いても全然平気だったし、旅の間、ただの一度もホームシックというものにかかることもなかった。
 キーボードのタイピングは元々かな打ち派だったが、旅に出るにあたり、利便性を考えてローマ字打ちを特訓して行った。これが大正解だった。一ヶ月ほどで違和感なく打てるようになったし、英語のメールも比較的ストレスなく打てたし。でも帰国した今、元のかな打ちに戻そうと思う。やはりその方がしっくり来るので。

 旅した地には暑さ寒さ、暮らしている人種の違い、色々あったけど、地球の広さを実感する大きな要因となったのが、地ではやはり気候と地勢。熱帯のジャングルから氷河地帯まで一回の旅で見てきたが、つくづく大移動だったんだなあ。そして天では星空。北極星をはじめとする天球の傾きが違うのなんて、知識として知ってはいても、実感すると全く別物の感動があった。シンガポールの近くではほぼ地平線に近かった北極星が、ホニングスヴォークでは首を折って見上げる、天頂近くだったんだもんなあ。

 旅をして、色々考えた。人に言うこと、言うまでもないこと、言えないこと。日本で日常生活を送っていたらまず考えないだろう、プリミティブなことも、色々と。もちろん答えが出るものも、出ないものもある。
 だが、そこで出した結論なんて、実はおまけに過ぎないんじゃないかとも思う。一番大事なのは、考えることそのものなんじゃないかと。それは、旅をすることそのものにも通じている、そう感じる。

こんな言葉がある。
「順境は友を作り、逆境は友を試す」
 仕事を辞めて旅に出るというのは、逆境と言っていいと思う。そしてこの言葉を自分の身で実感してしまったのも事実だ。
 なら、逆境下でできた友はどうなのだろう……?

 デジカメは修理に出してみると、内蔵の起動用電池がへたれてしまっていた。それだけ使いまくったということだな。修理してもらったが、帰ってきてからほどなくして、今度は電池ケースのストッパーが破損。普通に開け閉めしていただけだったんだけどなあ。酷使によってかなりもろくなっていたんだろうか。本体と一体化していたプラスチックの部品のため、修理不能だった。旅に出る直前に購入し、旅が終わる直前に力尽きた。まさに旅とともにあったデジカメだった。ありがとう、FinePix30i。

 ところでテレビを見ていたらやたらめったら出まくっているけど、ボブ・サップって何者? 力任せで全然美しくない戦い方なのに、なんでこんなに人気があるんだろう? サッカー、人気が爆発的に出たなあ。僕には全くぴんと来ないけど。コマーシャルも知らないものばかりだし、わずか9ヶ月なのに、軽く浦島状態だ(^^;

 ちなみに、旅で身についた習慣はまだ抜けていない。数を数えるのに親指、人差し指、中指と立てていくとか、ナップサックは背負うのではなく、腹に抱える形で負うとか。この習慣が抜けていくのが楽しみなような、惜しいような、複雑な気持ちだ。

 アレックス(独)からのメールに、こんなくだりがあった。意訳&補完すると、こんな感じだろうか。
「旅が終わると、その人は旅人ではなくなるんだろうか。また、旅をしている人は全て旅人なんだろうか。いや、そうではない。大切なのは、旅する心(Traveling heart)を持っているかどうかだ。それさえ忘れなければ、何年旅をしていないとしても、あなたは旅人だ」
 確かにそうだ。いたく感じ入ったよ。
「終わった気はしないけど、もう旅は終わってしまったんだなあ」
 と寂しく思いかけていたところだったので、目から鱗だった。おかげで元気が出たよ、ありがとうアレックス。


●謝辞
 カメラが修理から返ってきてから修理不能になるまでの間に撮った、実家の近くです。このカメラに感謝を捧げつつ最後の写真を掲載し、この旅日記の締めくくりにしたいと思います。長らくのお付き合い、誠に有難うございました。読んでくださった方々の心と人生が、旅とともにあらんことを。
 



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