ほろほろ旅日記2002 3/25-3/31
中華人民共和国 People's Republic of China
3月26日(火) 広東省・広州 → 22,700歩
よく眠れなかった。眠りについたのは早かったんだけど、3時間ほど寝ただけで目が覚めてから、30分毎に目が覚めてしまって。やはり興奮・緊張してるのかな。
中国で列車の切符を買うのは生半可な事では無理だと聞いていたので、切符売り場が開く朝の6時半に駅に行く。広州駅、駅前広場も含めてあきれるほど大きい駅だ。当然駅前広場も巨大。そこに人がひしめいていて、くらくらする。みんな何してるんだろう。これが中国か。ガイドブックには外国人用窓口があるとあったが、そんなものは見あたらない。仕方ないので普通に切符売り場の列に並ぶ。中国では誰も並ばず、窓口前で戦争になると聞いていたけど、ここではみんな、普通に並んで買っている。このへんではそうなのか、マナーが良くなったのか。
並んでいると、一人の兄ちゃんが声をかけてきた(中国人は皆、中国語が通じて当たり前と思っているので通じないとうろたえるんだが、それでも微塵もひるまないんだ)。なんとか筆談してみると、こんなところに並ばなくても俺が切符を買ってやると言っている。露骨に胡散臭い。南寧までの臥票(硬臥〈日本でいうB寝台のようなもの〉のリザーブチケット)で200元だと。並んでる何十人の人を無視して思い切り横入りして買おうとしてる。断っても諦めてくれないので扱いに困っていると、鉄警の人が現れて追い払ってくれた。なんというか、問答無用に警棒でぼこぼこにどついて追い払ったんだが、いいのか? 列に並び直し、順番を待つ。会話集にあった通りに書いた紙を出して購入。あっさり今夜のチケットが買えた。欲しかった硬臥(B寝台)ではなく、硬座(座席夜行)だけど、まあいいや。105元。
発車は午後なので、だいぶ時間がある。広州を見るなら今しかないので、歩いて回る事にした。メインストリート、裏路地と適当に歩き回る。道行く女性のほとんどがズボンなためか、たまにミニスカートの女性がいると、その場にいる人全員が振り返って食い入るように見ているのがなんか面白い。メインストリートは声をかけてくる人がいるくらいで、日本とあまり変わらないように思う。裏路地に入ると家々の密集具合などから異国を感じるが、そんな大きなギャップは感じない。まあ、都会だもんな。2キロほど先に大きな公園があるのをガイドブックで見つけ、そこに行くことにする。途中、たまたま目についたマクドナルドで朝食(まだ地元の食堂に入る決心がついてなかったんですわ)。さすが食の国・中国。マクドナルドですらおいしい。特にパンのおいしさにはびっくりでした。
その後、どうにか目的の越秀公園に到着(入園料5元)。さすがに公園内では声をかけてくる人もいない。平日の日中なのに、休日かと思うほど公園内は人で溢れ返っていた。これが中国なのか。舞、ダンス、太極拳などの大集団、バドミントン、ゲーム。みんな思い思いの事をしている。公園内には男も一杯いるのに、そういうことをしてるのは女性ばかりだ。
園内放送では中国語バージョンの『津軽海峡冬景色』が流れていた。うーむ。それにしても中国人って、記念写真を撮るとき、必ずグラビア風ポーズを取るんだな。わざわざ植え込みの中に入り込んで木に登ったりしてまで。なんでそこまでする……。あと、中国人の子供のズボン、お尻のところが割れてるっての、本当だった。なんかカルチャーショック。
そろそろ駅で列車を待っていたほうがいい時間になったため、荷物を取りにホテルに戻る。途中、口論している男女を見た。当然内容はわからないが、両者徐々に激昂してきて、いよいよ掴み合いが始まろうというあたり。噂には聞いていたけど、本当に赤の他人が仲裁に入ってとりなしてました。
そして駅へ。余裕を持って待っていようと思ったんだけど、駅前にたむろしている人のこの異様な多さは何なんだ? 集会か何かがあるとしか思えないほどひしめいている。そこから駅構内に入る人の流れがまたすごくて。なんでこんなに混んでるんだと思ったら、入構時に空港のように手荷物検査をしてました。えらく厳重だなあ。中に入ったらかなり空いたんだけど。中の食堂コーナーで8元のぶっかけ飯を食べる。言葉ができなくても指差しで注文できるから助かりました。
待合室は目的地別にいくつかに別れていたので南寧行きのところに入って待つ。その後の流れが分からないので必死にアナウンスを聞くけど、中国語なのでさっぱり。人が動き出すたびに近くの人にチケットを見せて尋ね、取り残されないように必死でした。何度目かに人が流れ出した時に尋ねたら頷いてくれたので、その流れに乗って移動。どうにか広州→南寧の列車に乗ることができました。
列車は15:50発。硬座、つまり座席車だけど、話に聞いていたのと違い、乗り心地はいい。そもそもチケットを座席数分しか販売してないようで、全員座れているし、4人掛けクロスシートの座席もゆったりしていて、リクライニングではないもののクッションもよく効いてます。なんだ、快適じゃないか。少なくとも日本で乗った、立ち乗りが客ひしめいていた大垣鈍行やミッドナイトよりもずっとましです。僕のいるボックスは細身の禿げ気味のおっちゃん・半袖の兄ちゃん・若い父ちゃんと子供。車窓は、田舎。ただただ田舎。それがずっと続いていきます。見える田んぼは田植え直後のものやシロカキ中のものばかり。日本より暖かいことを痛感。その田んぼのいずれも、形がいびつで畦もごく細い。耕地整理などはされていなくて、機械が入ってないんことがよく分かります。列車は日本ではほとんど絶滅寸前の客車列車。いや、さすがに蒸気機関車ではなかったですが。
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3月27日(水) →広西壮族自治区・南寧 20,310歩
当たり前だが、夜行列車といっても乗客みんなが終点の南寧まで行くわけでもなく、途中停車するたびにどんどん人が降りていき、夜の10時を過ぎる頃には座席に横になることができるようになった。座席指定されてる強みかな。しかし中国人はゴミの散らかしようが凄い。窓から外へ、あるいは車内の床へ、食べ滓、読み終わった新聞等、ぽいぽいぽいぽい、全く何のためらいも遠慮もなく、捨てて捨てまくっている。ゴミはゴミ箱へ、というような概念が根本的にないんだな。乗務員が一晩に二度、ゴミの収集に来ていた。
朝6時半、終点南寧(ナンニン・Nang Ning)着。列車に15時間弱乗っていた事になる。中国の列車旅としてはさして長いわけでもない。ここ南寧は、中国からベトナムに向かう際の拠点の一つだ。実は4月11日にタイのバンコクで友人と会う約束があり、陸路で行くには時間的余裕があまりないため、桂林とかの中国で見たいところをすっとばして先を急いでいるのだ。
南寧は人口280万の大都市のはずだが、駅前を見た印象では日本の40万都市といったところ。だいぶ南に来たが、まだそんなに暑くはない。長袖Tシャツで普通にいける。駅前広場のベンチで一息ついてると新聞売りが来たので、適当に一元札を出して買う。これでおつりが来るのか。やはり安いな。ここは少数民族の自治区のはずだが、人の顔とか、特に広州と違う気はしない。ま、僕は通り過ぎるだけの余所者だから、分からなくて当然だろうけど。
朝が早いので、まだホテルを探すというわけにも行かないだろう。なぜかお腹は減っていない。仕方ないので町をそぞろ歩きすることにする。リュックが重いが、背負って歩くしかない。やはり広州よりは都会じゃないのか、話し掛けてくる人の数も減った。適当に歩きまわり、目についた公園(人民公園)に入る。入園料は2元。この公園でも太極拳、舞い、バドミントンをしている人々が目につく。定番なんだな。
今朝まで今夜の宿は南寧、坊城港、東興のうちどれにしようかと考えていたが、雨が降ってないのでこの町をうろつこうと思い、南寧に泊まる事にした。この公園の腰掛け所には、至る所に腹筋運動用の足掛けワイヤーがついている。そこで休んでいると、一人のジャージ姿の女の子がやってきて、それを使って腹筋運動をした後、そばにあった木に足をかけ、軽々と上下に180度開脚柔軟をした。なんて国だ……。そうそう、この公園でついに発見。仕切りのない、いわゆる中国式トイレ。本当にあるんだ。
昼近くまで歩き回ってから、宿探しを始める。無駄遣いはしたくないが、中国では外国人は安宿に泊めてくれないとの事なので、そこそこの所に泊まらざるを得ない。『地球の歩き方』に載っている民航飯店を目指す。が、これまた見つからない。捜し歩いているうちに、再び公園に戻ってきてしまった。おっかしいなあ。『歩き方』がまた場所を間違えていたのだ。なんとか発見し、チェックイン。日本でいうところの普通のビジネスホテルだ。シングル風呂・トイレつき、朝食代込みで一泊148元。ホテルのすぐ横がバスセンターだった(このバスセンターは僕には無縁だったが)。
それはいいんだが、右肩が痛い。強烈な肩こりだ。まあ、何十キロもあるリュックを担いで、昨日今日とさんざん歩き回ってるから仕方ないんだけども。部屋でとりあえず風呂・洗濯。なんかしんどいが、荷物を置いていけるので、がんばって外に出る。早いうちに家にメールなり国際電話なりしておきたいし。ガイドブックを頼りに繁華街を目指す。インターネットカフェが何軒かあるはずなのだが……。見つからない。最新版を買ったのに、ここまで使えないガイドブックって一体……。なんかいかがわしい店が建ち並ぶ一角に、ようやくそれらしい店を2軒見つけることができた。ここでも英語が全く通じないので難儀する(「インターネット」さえ通じない)。結局、一軒はネットゲーム専門店なので駄目だとのこと。もう一軒は大丈夫と言われ、一時間一元で始めるも、中国のゲームサイトにしか繋がらない。アドレスバーから直接マイクロソフトドットコムを打ち込んでも駄目って、おい。道理で中国にしても安いと思ったよ……。どうしようもないので諦める。これは中国にいる間は日本と連絡は取れないな。腰を据えて探せばあるかもしれないけど、今は先を急ぐし。
しかし、日本文化というか、オタク文化の進出ぶりはものすごいものがある。ネットゲーム屋の店員の女の子は少女漫画(セイントテール)を読んでいたし、ゲーム屋ではサクラ大戦4が発売されていた。こんな日本を離れた地でも……。
でも、カルチャーギャップは感じる。メインストリートの歩道で、前を歩いていた12歳くらいのかわいい女の子が突然しゃがんでおしっこを始め、一緒に歩いていた家族がそれを当たり前の事として笑って見ていたよ……。
中国はとにかく人や車が多く、町に活気が満ちている。確かに洗練されてないが、それさえ活気の一部のようにに感じられる。ここにきて、中国の交通マナーがやっと理解できた。信号があるけど、そんなものは関係なく、ただ一言で言い表せるんだ。つまり、「気を付けろ」と。どんなタイミングでも車が猛然と突っ込んでくるから道を横断する時とか、かなり怖かったんだが、ようやく慣れてきた。他の国ではどうなんだろう。
しかし、中国に来て、中国語がさっぱりなのが悲しい。日本にいる時、「日本に来る外国人は英語で何とかなるとか思わずに、日本語も勉強してから来いよ」と思っていたのだが、自分が逆の立場になってみて、よくわかった。それは酷というものだったんだ。反省。
……あ。今日摂った食事って、午後三時ごろにそこらの食堂で9元のぶっかけ飯を食べただけか。お茶や水はよく買って飲んでるんだけどなあ。
中華人民共和国 People's Republic of China
3月28日(木) 広西壮族自治区・南寧→広西壮族自治区・東興 11,808歩
ここ南寧からベトナムに行くには、二つの方法がある。一つは列車を使って直通でハノイに乗り入れる方法。もう一つはバスを使って国境の町東興まで行き、自力で国境を超え、そこからまたバスでハノイを目指す方法。当然、前者を利用する旅行者が圧倒的に多い。確認してないが、後者のルートはロンリープラネットにも掲載されてないとか。
どちらにしようか悩んだが、結局後者に決めた。余分に一日かかるが、防城港に行かなかった分、一日余裕があるし。マイナーなルートというのは、今回を逃したら二度と行けない可能性も高いし。というか、マイナー好きなもんで。
朝食の後、バスのチケットを買いに行く。ここでも筆談で購入。案内板を見ても、今の中国は簡体字を使っているので分からない。広州や南寧はそれでも雰囲気で分かったが、次の目的地、東興はさっぱり分からない。下にチケットの写真を載せますが、どれが「東興」だか分かりますか? まあ、中国人は元々の字も知ってるから、普通に書いた字で十分通じて、無事に買えましたが。
華南地方ではバス網が整備されていて、会社間での競争も激しいとガイドブックに書いてあったけど、その通りだった。おかげで日本の長距離バスと比較しても遜色のないきれいなバスで、中国の交通機関としては信じられない事に空いていて、乗車時に水のペットボトルが配られ、車内ではビデオ上映会。ここまでとは。
バスは定刻11時に発車(これもすごい)。道は幹線道路だからか思ったより広く、しっかりした作りだった。高速道路としか思えないところもあった。バスは隙さえあれば追い越し車線に出て、他の車を抜いていく。上映されるビデオはいろいろで、音楽ビデオの中には中国人が歌う伊賀忍者の歌(当然、バックではそれらしき映像が流れてる)やらデジモン(これも中国語バージョン)やら、いろいろ面白いものがあった。
バスは防城港に立ち寄ってから、最終目的地である東興に向かう。ここで、車窓から見える世界が一変した。それまでの日本でもあるような林、田園、小集落といった景色から、紛れもなく大陸系のそれに。舟上家屋や見渡す限りの水田地帯、結構大きいのに護岸工事など考えられたこともないような自然のままの河川。その向こうに海が見え、その広大さに少し感動した。
ゲートのような所でバスが止まったので何かと思ったら、国境警備の検問だった。公安(警官)が乗り込んできた。何もせずに平然としている客が多いが、何人かは身分証明書らしきものを見せている。と、公安の人と目が合った。こちらに向かってきたので、慌ててパスポートを取り出して渡す。どうやらそれで良かったようで、ざっと見てから、返してくれた。ふう。こういうことはちゃんと書いててくれよ、ガイドブック。その後ほどなくして目的地、東興(ドンシン・Dong Xing)到着。
町はずれに着いたんだが、バスから降りた途端、バイクタクシー・三輪リキシャ(自転車)の集団に取り囲まれてしまった。話には聞いていたけど、実際に目にしたのは初めてだ。手を引き、荷物を引き、自分の車に乗せようと群がってくるので落ち着いてガイドブックを見ることもできない。強引さに流されそうだったので「不要(プーヤオ)」と言って逃げ出した。現在位置も方角も確認しないまま、適当に歩き出す。……そして迷った。ついに人家さえなくなってきたので、これはまずいと腰を下ろし、地図を熟読する。そこで判ったんだが、町の中心部とは正反対の方向に歩いていた……。
他に道がないので、元来た道を戻っていく。当然、バスターミナルの横を通ることに。先程のバイタク・三輪リキシャの運ちゃんたちが再度「乗れ乗れ」と言ってくる。それでも頑張って歩いていたんだけど、バイタクとリキシャ、それぞれ一台がそれでもついて来る。暑い日差しの中、断りながら歩くのも大概しんどくなってきたので、おばちゃんが漕いでたリキシャに乗ることにした。リュックを背負い、ナップサックを持った状態でバイタクには乗りたくなかったので。指を二本立てて聞いたら頷いたので、2元(約30円)ならいいかなと。
おばちゃんに「どのホテルに行けばいいの?」と聞かれたので、最初に行ってみるつもりだった「北部湾大廈」をお願いした。初めて乗ったけど、三輪リキシャってゆっくり走るから、町並みをじっくり見れて楽しい。親切なおばちゃんで、ホテルに着いたらいち早くフロントに行って、空きがあるか聞いてくれたりした。ここでも英語は通じないので筆談。中国って、言葉の勉強をしなくてもなんとでもなるので楽だな。ホテルは古びてはいたが、かなり立派なものだった。シングルルームは満室との事で、ツインルームに投宿。一泊188元。高いが仕方ない。外国人だから。中国人だと、10元もかからずに泊まれる宿があるんだがなあ。部屋で落ち着いて確認してみたら、三輪リキシャのおばちゃんに払ったのは2元ではなく、20元だった。……そりゃあサービスいいはずだ……。
気を取り直して外に出る。まだ午後の早い時間なのだ。国境の町ということで意識過剰になってしまい、外では写真を撮らなかった。国境の町だからなのか、中国という国がこういうものなのか、小さい町だが猥雑で、活気に溢れていた。声をかけてくる人の食い下がり方からして、南寧までとは根性が違う。
中国は社会主義国家のはずだけど、やはりというか、貧富の差は感じる。幹線道路沿いの家は、たとえ古びているとしても、コンクリート製のしっかりした建物なのに、一つ路地を入り込めば、道は舗装してないし、昔のままのレンガ製家屋で、窓、ドアなし、電気が通っているかどうかも怪しい家が軒を連ねている。町を歩いてて、怪しい雰囲気を感じるのも無理はないなあ。
学校の横を通りかかると、校庭で卓球をしていた。台が6つほどあって。そこに人だかりが出来ている。中国での卓球人気を実感。あと、ベトナムとの国境の町だからなのか、屋台から漂ってくる香辛料の匂いが南寧までより強くなっている気がする。ベトナム語の看板もやたらと見かけるし。中国では犬猫を全然見かけなかったが、この町で、やっと見かけた。やはり食用にされてるんだろうか……。
国境を見に行く。小さい川を挟んで、国が分かれている。川幅15メートルほどの、なんでもない小川なんだけども。
中国元は国外では使えないとの話だったので、今日のうちにUSドルかベトナムの通貨に両替しておこうと思い、銀行に行く。中国で再両替してもらうには、最初両替した時の控えが必要なので見せると、なにやら銀行員の反応がおかしい。言葉が通じないからかなりお互いにじれったかったが、なんとか理解したところによると、最初に両替した銀行とは系列が違うからできないらしい。……ガイドブックでは両替ができる銀行は一種類だけとか書いてあったのに。中国では、最後までガイドブックに騙され続けだったな。そして、僕が再両替できる銀行はこの町にはなかった……。どうしようもない。手持ちの現金は中国元と日本円のみ。明日ベトナムに入ったら、まず銀行に行ってベトナムのお金を入手しないと。
大丈夫かな。かなり不安。陸路の国境越えをすること自体初めてなのに、他にも心配事を抱えてしまった。他に外国人旅行者すらいないので、相談を持ちかけることも出来ない(中国では日本人旅行者どころか、外国人自体、自分以外に一人も見かけなかった)。
あと、やはりこの町ではインターネットが出来る所はなかったので、ホテルの自室から国際電話を実家にかけてみるが、繋がらない。やり方を間違えているのだろうが、何が悪いのかも分からないのであきらめて寝た。
中華人民共和国 People's Republic of China → ベトナム社会主義共和国
Socialist Republic of Viet Nam
3月29日(金) 広西壮族自治区・東興 → ハノイ 9,100歩
朝は国境の開く時間に合わせて行動開始。国境は人がびっしりと並んでいて、越境するのに何時間かかることかと思ったが、それは地元の人の話。外国人は別のゲートがあり、そっちはがらがらだった。国境通過は思ったよりすんなりいけた。
出国は、出国税として10元払っただけ。国境の橋を渡り、ベトナム側へ。入国は、書類を書くのに辞書を使わなければならず、手間取ったくらい。ラジオとかカメラは関税品として申告する必要があるかと尋ねたらある、とのことだったのに、そう書いて審査に行ったら、笑いながらなしに書き換えられた。まあいいけど。入国審査で英語でいろいろ聞かれたのだが、それが全く理解できなくて何度も言い直させてしまった。パスポートを物珍しげにしげしげと見られて終わり。
で、ベトナム側の町、モンカイ。あまり東興との違いは感じられない。ま、川一つ越えただけだし。
外に出るととんでもない数のバイタクの群れ。東興どころじゃない数と執念で迫ってくる。ベトナムのバイタクの評判は悪いし歩きたいところだが、あいにく手持ちの情報では銀行やバスステーションの位置がよく分からない。余裕があればこの町やハロン湾のあたりで一泊ずつしたいところだが、今は先を急ぐ。今日中にハノイまで行ってしまいたいのだが、ここからハノイまで、バスで10時間ほどかかるらしいので、あまり時間の余裕はない。
仕方なく適当なバイタクに乗る。運ちゃんは英語が全然できなかった。ベトナム語で銀行と言ったのに、バイクは町を通り抜け、15分ほどかけてバス乗り場まで連れて行かれてしまった。まずは銀行に行きたいんだと訴えると、どうにか銀行らしきところに行ってくれた。が、そこでは両替はやってなかった(と、思う。言葉が全然通じないから確信は持てないが)。他の銀行に行くよう言うと、なぜか最初の国境まで戻ってしまった。ふざけるなと思っていると、仲間らしいサングラスのバイタクの兄ちゃんがやって来た。この兄ちゃんが少しは英語ができ、おかげでどうにか中国元をベトナムドンに両替完了。ベトナムのお金は全て紙幣で、小額紙幣なんてかなりくたびれたのが多い。
で、今度こそバスステーションへ。町からも、国境からも結構離れてるから、歩いてだときつかったな。バスの時間を確認すると、あと一時間ほどあるとのこと。バイタクの2人が近くの店で茶でも飲まないかと誘ってきたので、バスステーションの目の前の小さい店で飲むことにした。30分ほど過ごし、そろそろバス乗り場で待とうと席を立つ。ここでバイタク代とお茶代の支払い。ええ。やられましたとも。完膚なきまでにボられました。旅慣れしてなくて、ベトナムの相場も分かってなくて、一人旅。言葉も不自由。向こうにしてみたら、実にやりやすいカモだったことでしょう。バイタク代20万ドン、助っ人代10万ドン、お茶代10万ドン。あははははは。アホです。お間抜け旅行者でした。一桁多いですって。いくらなんでも多すぎると気付いて交渉したんですが、その結果でこれですよ。始めはさらに一桁多かったってんだから。ベトナム人はボってくるとは聞いてましたが、入国していきなりの洗礼ですか。彼らの論理からすれば、金はあるところからなら取れるだけ取ればいい、それは正しい事だ、というものらしいんですが、それをメインにやってたんじゃ、真の発展はありえないよなあ。勉強代と思って諦めるしかないけど、痛いよなあ。(参考までに当時、1US$≒15,000ドン)
バスのチケットを購入。モンカイ−ハノイ間、62,000ドン。しかし言葉が通じないと本当に不便だ。このチケット購入も、はじめ違う窓口に行ってしまい、正しいところに行くのに一苦労。正しいところで買うのもまごつき、最終的には「MongKai-Hanoi
Bus」と書いた紙を見せて、値段も時間も筆談で、なんとか買えたくらいだからなあ。英語が聞きも喋りも本当にお粗末だから、相手が言ってる事が一割ほどしか分からないし、言いたいことの一割も言えない。本当に英語、上達するんだろうか。しないとこれから数ヶ月も旅、続けられないぞ。
バスは20人乗りのマイクロバスで、午前9時出発予定。席が埋まるのを待って、30分ほど遅れて出発。すぐ給油のために20分停車、再発車してすぐ、国境の検問のため40分停車。車内は地元民がほとんど。運転手と車掌、荷物係にもう一人、スタッフだけで4人乗っている。スタッフといっても制服とかがあるわけではなく、客と同じ、薄汚れた私服。バスの床には商売か個人のものか、荷物でいっぱい。僕のリュックはとっくに屋根の上。当然、屋根の上も荷物でいっぱい。窮屈だが、どうしようもない。言葉は通じないが、なんかみんなフレンドリーだ。言葉の通じない日本人の一人旅が珍しいだけかもしれないが。席が横になった中国人の夫婦と漢字で筆談したりして時間を潰す。反対側のベトナム人の兄ちゃんが、僕の持っている10万ドン紙幣を差して、高額紙幣じゃ使い勝手が悪いだろうから両替してあげる、と言ってきたり。行きずりの人達とこんなにわいわいやるってのは、日本ではない感覚だなあ。
検問を過ぎた後、道がものすごくなった。広大な原野を通るためにあった昔からの道を、車が通るために車幅一台分、無理から舗装したような道に。地形に沿って曲がりくねり、アップダウンもすごい。日本にいた時、「公共交通機関の中で寝るのは日本人だけだ。警戒感がない」とか言われていたが、それが嘘だと良くわかる。みんな寝てるじゃないか。
バスは途中、小さい集落で人を拾い、人を降ろしながら進んでいく。他に便がないのかもうけたいのか、満員でも無理矢理に人を詰めて乗せている。で。モンカイを出て二時間ほど行ったところで突然、僕の前の席に座っていた赤ん坊連れの若い夫婦の夫の方が、前にいた女の子の髪を引っ掴み、顔面を殴り始めた。一切の手加減無しでボコボコと10発、それ以上。周囲の乗客が慌てて夫を取り押さえるが、怒りは収まらず、さらに蹴りを数発。どうやら女の子が赤ん坊に何かしたらしいのだが……。その騒ぎでバスが停まり、女の子はそこで逃げるように降車した。髪はくしゃくしゃ、着ていたシャツは破れてボロボロのありさまだった。……怖い。
トイレ休憩は単なる道端で。道がだんだんましになり、数時間かかってようやくハロン湾の東、ホンガイに到着。はしけで湾を渡る。はしけなんて乗るの、初めてだよ。案外揺れないもんだなあ。海の桂林と呼ばれるだけあって、ハロン湾はいい景色だった。一見の価値はある。まわりを見回すと、さすがベトナム。ベトコン帽とノン(ベトナムの民族笠)を被った人が本当に多い。湾を渡り、しばらく行ったところで休憩。夕食をみんなで摂るようだ。一人10,000ドン。
ハイフォンのあたりですっかり日が暮れ、幹線道路らしく、道端には家が立ち並び、人々が行き交い、車で道が渋滞しだした。この空気のもやは砂埃なのか、スモッグなのか。辺境の地から一気に都心に出てきたので、なんか戸惑う。夜になったあたりでようやく首都・ハノイに入った。
バスステーションまで行くのかと思っていたら、道の途中で停まり、たまたま行き会ったバスに乗り換えさせられた。荷物を積み替え、再出発。なんなんだ? 料金は追加とかではないようだけど。ともかく、バスステーションに到着した。
ガイドブックによれば、モンカイから来たバスは市外の中心部から2、3キロ離れたザーラムバスステーションというところに到着するはず。バスから降りると、またバイタクの客引きが群がってきた。立ち止まるわけにはいかない。おかげでガイドブックを広げる事もできやしない。とりあえずザーラムバスステーションに着いたものとして、市街地があるはずの西へ向かって歩き出す。ベトナムのバイタクはボッタクリが非常に多いということが身に沁みて分かったので、もう使わないぞ。
今日はガイドブックに載っている、安宿で、日本人が多いらしいところに泊まるつもりだった。が。歩いても歩いても、それらしいところに辿り着かない。手持ちの旅行人の地図にはザーラムバスステーションの辺りが載ってないからよく分からないんだ。バイタク断りつつ、ひたすら西へ、歩いていく。約一時間。七時半から八時半まで歩き、市街地に行くどころかだんだん寂れてきたので、いくらなんでもおかしいと思いだした(遅いよ)。バスが到着したのは、町外れのザーラムではなく、市街地にあるキムマバスステーションだったようだ。気付くべきだったんだ。最後に乗ったバスは、モンカイから来たわけじゃないってことに。多分、サービスで市街地の近くまで行くバスに乗せ換えてくれたんだろうけど、そのことを知らなかったから、完全に裏目に出てしまった。
現在地が分からないのは非常に困るので、何か判別できるランドマークを探して東に戻っていく。だが夜ということもあって、さっぱり分からない。夜遅くなるとハノイはかなり治安が悪くなると聞いていたので、少々焦り始めた。リュックが重い。歩き出して都合二時間。もう今夜は泊まれる値段のホテルならどこでもいいと思って探し歩いていたところ、九時半を過ぎたところで、やたらと立派なオーストラリア大使館(カナダだったかも)と、その前に聳え立つDAE WOOホテルに行き当たった。が、これもガイドブックに載っていない。どれだけ外れたところをうろついてたんだ、僕は。
この際一泊100US$くらいなら泊まってやろうと思っていたのだが、このホテルはいくらなんでも高級すぎる。あたりを見回すと、もうちょっとこじんまりしたホテルの看板が目に入った。ふらふらになりながら、そのホテルに辿り着いた。住宅街の中にある、「Thuy
Quynh Hotel」というところ。が、入り口が鉄格子って、あんた。そんなに治安が良くないのか? 呼び鈴を鳴らすと、きちんとした身なりのスタッフが、じろじろとこっちの格好を品定めしてから鉄格子を開けてくれた。ま、こんな時間にバックパッカーがふらりとやって来るようなホテルじゃないから仕方ないよな。幸い部屋は空いていた。ダブルベッドのすごく立派な部屋が、朝食付きで一泊25US$。高いが、今日はもう仕方ない。と言うか、その値段を聞いた途端、「OK!」と叫んでしまっていた。選択の余地はもうなかった。
というかここ、ラブホテルじゃないのか?
ホテルのスタッフにホテルの位置を聞くと、ハノイ市街の西にあるトゥ・レ湖の近くだとか。遠いわけだ。今日は贅沢する日ということにして、部屋の冷蔵庫にあったジュースやビールを飲む。日本とほぼ同じ価格。ということは、現地価格からしたら無茶苦茶高いんだろうな。そういや今日、食事は一回しか摂ってないや……。
ベトナム社会主義共和国 Socialist Republic of Viet Nam
3月30日(土) ハノイ 12,444歩
ホテルの朝食でベトナム料理の定番、フォー・ガ(鳥麺)を食べる。米麺で、きしめんのように平べったいのが特徴だ。
ホテルのスタッフに中心部への行き方を聞いて歩き出す。途中雨が降ってきたが、歩くしかない。なんとか駅まで辿り着き、まずは両替(ハノイ駅には両替所がある)。そして南下するためのチケットを購入。車内で2泊3日を過ごし、一気にホーチミンシティに行くのは味気ない気がしたので、途中のフエまで。二等寝台上段で178,000ドン。ガイドブックに載ってる料金の半額以下だ。明日の便の寝台は満席だったため、明後日の便になったがまあいい(座席夜行はなるべく乗りたくないから)。ベトナムの列車はすぐ満席になるとの事だったので、これくらいで買えれば上々だろう。
切符を買って横を見ると、なにやら日本人っぽい女性の二人連れが切符を買おうとしていた。アジア人なのに髪を染めてるし、雰囲気もなんとなく……と思っていると、地球の歩き方を取り出した。もう間違いない。旅に出て初めて会った日本人なので、思わず声をかけた。その2人もハノイに来たばかりで、これから宿探しをするところだったので、同行させてもらった。で、有名(らしい)安宿の一つ、ダーリンカフェに泊まることになった。ダブルルームをシングルユースで借りて、1泊6$。特別きれいではないが、これくらいの方が落ち着くな。
昼頃には雨も上がった。この時期は毎日こういう天気らしい。その女の子2人と散策に出る。商店街でアオザイを着てる人を見たり、ハンコ屋に寄ったり、マーケットを冷やかしたり、ホアンキエム湖のまわりを散策して、湖の中の島にある玉山廟に行ったり。
一番の目的だった名物の水上人形劇は、明日の夜のチケットしか買えなかったが。昼食はホアンキエム湖畔にあるカフェでクロワッサンとヨーグルト。ベトナムは昔、フランスが宗主国だったのでパンがおいしい……似合わないって? ああそうさ、その女の子達に合わせたのさ。
宿の近くにインターネットカフェがあったので、出国後初めて家にメールする。やはりというか、連絡がないのを心配した家からのメールが何通も入っていた。
中国やモンカイのあたりに比べると、ハノイはなんだかおとなしい気がする。車やバイクの運転とか、少なくはないんだけども。でも、バイタクや地図、みやげ物売りはしつこい。ハノイの地図、言い値60,000ドンを10,000ドンで購入。1.5リットルの水のペットボトルも購入。そういや中国では、ペットボトルは1.25リットルのものしかなかったっけ。どっちみち中国文化圏なので、冷えてないのは一緒なんだけど。
僕は中国人っぽいのか、道行く人からやたらと「ウェイ」と声をかけられる(「Hey」的な言葉)。
夕食は、宿の食堂でチャーハンとサンドイッチ、ハリダビール。足の筋肉痛は大分マシになったが、肩こりがまだひどい。体温は平熱の36.6度。働いてた時はいつ計っても35.5度程だったのに、1度も上がってる。なんなんだろう。
ベトナム社会主義共和国 Socialist Republic of Viet Nam
3月31日(日) ハノイ 13,596歩
今日はハノイ観光。件の女の子2人とまずはホーチミン廟に。一人だったら決して乗らないタクシーに乗って10時頃に着いたら、既に嫌になるほどの長蛇の列。小学生の見学とかもやたらと多い。どれだけ待った事か。やっと敷地内に入れたと思ったら、入り口で荷物を預けなきゃならなかった。廟内は写真撮影厳禁とのことだが、さすがに厳重だ。昼前になってようやっと廟内に入れた。
この国の紙幣は全てホーチミンがデザインされている。それほどにベトナム人から敬愛されているわけだ。「ホーおじさん」と呼ばれ、親しまれているらしい。
はじめ見たとき、人形かと思った。次に、寝ているんじゃないかと。遺体に見えない。防腐処理が施され、空調からライティングまで、細心の注意を払って遺体が保存されている。厳粛な静けさに包まれた建物の中、四方をぴくりとも動かない兵士に護られて横たわっている。でも、本人はこういうのを望んでなかったとも聞くし、「死んだ後くらいゆっくり休ませてやればいいのに」と思うのは日本人的なんだろうか。これからも人々の視線の中で、眠りつづけていくんだろうな。
その後、タイ湖まで歩く。ここで昼食後、女の子達と別れて一人で動く。いや、この湖は確かに大きいけど普通のレジャー湖で、関心の対象外なもんで。湖周道路の東側北に抜けるまで歩いてから、てれてれと歩いて宿を目指す。湖を離れたあたりから、観光客が来ないところに足を踏み入れたようで、ベトナム人の普通の暮らしを目の当たりにする。太い街道の歩道上には、ぽつんぽつんと路上散髪屋が開店しているし、子供はベトナム独楽で遊び、暇な大人は闘鶏に熱中している。そう、こういうのを見たかったんだ。
地元の生活空間を抜けると、とたんに声をかけてくる胡散臭い者達が現れてきた。
そういやモンカイからハノイに向かうバスの中で、ベトナム人の乗客に言われて10万ドン札を細かいのに両替したんだけど、その時、完全に破れてテープで補修した5万ドン札が混じってた。使えないよ、これ。それでその客に向かって、となりにいた中国人の客が「バカヤロウ」(中国人、この日本語は知っていた)と言ってたのか。その中国人も、このベトナム人に落とした手机(携帯電話)をパクられてたし。バイタクの呼び込みとかもしつこいし、みんなでよってたかって騙しにかかってる国みたいな印象さえしてきたよ……。
夜21:15より開演の水上人形劇を女の子たちと見に行く。入場の際、記念の扇子がもらえた。嬉しいなあ。この扇子は旅の間、非常に役立ってくれた。客席はベトナム人もいたけど、白人の騒々しい団体とか、日本人の中年以上の団体とかがかなりの部分を占めていた。基本的に外国人相手か。
劇は影絵をふんだんに使い、舞台は床ではなく水が張られ、人形を操る人は水中にいたりする独特なものだ。田んぼの農閑期に行われたのがはしりらしいが。一時間、きれいで仕掛けも見事で笑いもあり、洗練されているとは言えないが、素直に面白かった。言葉が全くわからないし、そこまで期待してなかったんだけど、いい意味で裏切られた。