大会参加記・2000年度・冬
大会参加記・2000年度・冬
2001/01/21
中日東海クラブカップリレー102
今回は四日市の太郎の下宿に前泊しての参加。
前日の土曜日、東海地方は豪雪。雪が降っているとは聞いていたが、まさかこれほどとは思っていなかった。
日曜の朝、太郎の家を出たときは、開催以前の問題で、会場に無事到着できるのかすら疑っていた。高速道路も雪のため一部通行止めになっていたほどだから。
が、会場に着いてみると、雪が残っているどころか地面が濡れてすらいなかった。名古屋近辺の大雪も、ここまでは届いていなかった模様。南の方なんだなあ。
東海地方、特に愛知のあたりではあまり南北差はないと思っていたんだが、間違いでした。
今日の大会は、クラブカップリレー。
そう、リレーの大会です。クラブに属していない僕にとっては、来るだけ無駄のような大会です。では何故来たのか。太郎の「どうせ欠員出るんだから走れる。大丈夫だ」の甘言に乗ったからです。
結局この日は、OLCルーパーのBチームに特別枠で混ぜてもらい、2走を走りました。Bチームと言うことで、コースの難易度も低く、距離も短め。はっきり言って、もの足りませんでしたが、今の自分の体力では、これ以上走ると勝ち負けできるレベルからかけ離れていってしまうんだから、仕方がない。ここは自分を責めて、明日のために我慢だ。
最近、リレーは助っ人でしか走ってないなあ。いや、楽しいんだけども。
これはやはり、「PROJECT NOBUSHI」を発動させるべきなんだろうな。
頑張らねば。
2001/01/14
関西学連定例戦第4戦102
今日の定例戦は、関西と言っても東の外れに近い、奈良の榛原で行われた。
兵庫からは遠いんだが、大会自体がこのあたりで行われることが多いんだから辛い。
この冬一番の寒波の到来とかで、前夜にネットでチェックしたところ、榛原は昼間でも気温は0度、風は常に6メートルほどの予想。
これはオリエンテーリングをする環境ではない。断じて。例によって本多家に泊まらせてもらっていた僕は、参加をやめてドライブに行くことを思わず提案した。いやまあいつものことで、もし実際に大会に行かなければ欲求不満が募るだけなのも確かなんだが。
そんなこんなで当日の朝。大人しく電車・バスを使って会場に向かう。予想通り、たまらなく寒い。
‥‥なのに、榛原駅に着き、会場へのバス乗り場に行って見ると、オリエンティアの列で大賑わい。この天気で、なんで普通の人出なんや? ヘンな奴ばっかりや、この世界。そこが好きなんやけど(^
^;
寒い寒いとぶーたれながらもスタート。
が。
少し走り、体が温まってくる頃には、寒いとか怪我が怖いとか、そんな気分はどこへやら。やはり山を逍遥する楽しさは格別だ。うむ、オリエンは楽し。山中は木々に遮られて風も弱く、大した積雪にもなってなかったのも良かった。
今回は数年ぶりにトリムの下にTシャツを着込み、初めて軍手を装着して臨んだのが効いたのかな。寒さもさほどではなく、あったかく走ることが出来ました。
成績? それを僕に聞くのは野暮ってもんだ(^^ゞ
2001/01/07
広島大大会103
山口大大会に参加できなかった我々だが、翌日曜日は広島大大会。こういうとき、2日間大会はリカバリーが効くので便利だ(違う)。
去年に続き、ホテルニューヒロデンに宿泊しての出撃。が、悪目の天気予報のとおり、目が覚めてみると、窓の外は雪/雨がちらつく天気。大会会場がこの状態なら楽に開催できるが、ここは広島市内の中心部。会場のある山間部の天気はこれより悪いことも十分にありえる。というか、悪いと考えるのが普通だろう。
多分中止だろうと思いながら、それでも諦めきれず、一応会場に出向くことに。
だがその道すがら、除雪車を見かけた時点でやる気は消失。

途中で取る気だった朝食すら食べないまま、それでも向かうことは向かう。途中から、とんでもない積雪状態になっており、これで決行するのは無茶だわいな。とか思っていたが、会場近辺に着いてみると、なぜかトリム姿の人影がちらほら。

まさかと思いつつ会場に行ってみた。クラシックはさすがに決行不能だったが、山にほとんど入らないトリムコースへ変更して根性で決行されていました。オリエンティアと言う人種を、ブランクの間に忘れてしまっていたようです。反省反省。
で、この日行われていたのは10コントロールのフリーポイントOL。食事さえとっていればなあ。無念の出走取りやめ。
って、この二日間、結局走ってないやないか(^^;
ちなみに、関西への帰還途上、雪のせいで山陽、中国の両高速道路が通行止めになってしまい、四国回りで帰還したという余禄までついてしまいました。
その時に、国道伝いで香川から徳島へと入ったあたりで「日本一の喫茶店」という、とんでもない店に入りましたが、これは希望者がいたら話すことにしましょう。
* この帰り道、夜の八時ごろ、淡路SAで休憩中のところを大阪市大のOBに目撃されていたらしい。声をかけてくれればいいのに。
2001/01/06
山口大大会103
毎年恒例、新春OLをしない僕にとってはこれが年の始めの行事です。
例によって太郎も行くとのことなので、それに便乗させてもらうことにする。とはいっても出発日の金曜、仕事を普通にしないといけないのであまり早い時間には出られず、夜間の強行軍となることは始めからわかっていた。
その金曜日、夜10時ごろ、帰宅。急いで準備をせねば。名古屋からこちらに向かっている太郎は10時半ごろには加古川に到着する予定だ。
‥‥11時経過‥‥来ない‥‥
電話をしてみる。なんでも、栗東のあたりで渋滞に引っかかっており、加古川到着が大幅に遅れる模様だとか。事ここに至っては、どうしようもない。待ちあるのみ。
日付が変わって大会当日の午前0時過ぎ、ようやく太郎到着。このまま即座に出発すれば、かなりの確率で事故りそうだったので、先を急ぐ太郎を無理矢理休ませ、0時30分過ぎ、加古川を出発。この出足の遅さですでに命運は決まっていたようなものだ。
それでも車をかっ飛ばし、四時間で何とか小谷SAに到着。ここでもうひとふんばりすればよかったのかもしれないが、太郎の体力もさすがに限界。ここで力尽き、車内でおねむ。
目が覚めてみると、既に7時半。をまわっていた。(って、三時間しか寝てないやん(^ ^;)
広島すらまだなのに、美祢は遠い‥‥。一応、気を取り直して頑張って車を走らせてもらうが、目的地の最寄、美東SAに着いた時には既に当日参加受付締切の11時を優に過ぎていたとさ。とほほ‥‥。
この後我々は、憂さ晴らしに志賀島、博多へと繰り出していった。
いや、確かに志賀島は良かったよ? 金印出土地も元寇襲来碑も見たし、海の向こうの博多の町も見た。博多でうまい寿司も食べた。
でも、この欲求不満は何!?
2000/12/24
大阪OLC大会105
今年度に入ってから会場まで行くことはあっても、大会に参加できたことはない(なんやそれ(汗)ので、今度こそはと意気込んで行く。とはいえ、テレインが箕面でコースセッターが小林さんということで、きついレースになるであろうことは容易に想像がつくのが難だが。
当日は何年ぶりかで電車で大会に行くことになった。太郎と車を使わずに大会に行くのなんて、本当に何年ぶりだろう。‥‥思い出せない。学生の頃以来か‥‥?
阪急の宝塚線、石橋駅、箕面線、どれもこれも懐かしい。
レースの方は、関西名物、スタートまでの長歩きとアップで開始前に既にへばる。
やはりこの体、なまりきってやがる。
これでコースは8200mのアップ490mだと言うんだから、ゴール閉鎖までに帰還できる自信は正直なところ、ない。いやまあ、それでも足がつらなければ何とかなるのではないかと思ってはいたんだが‥‥
それはそうと、地図がでかい。B3?
で、実際はどうだったか。
久々のオリエンだったこともあり、勘が働かない。走れない。坂を登れない。藪を切れない。息が続かない。挙句の果てには両足のふくらはぎがつる。何かの呪いか? ‥‥いや、わかってるんだ。不摂生のツケだということは。責められるべきは自分だということは。
最終的にはこむら返りを起こさないようにゆっくり歩くことしかできなくなり、ゴール撤収時刻が迫ってきたこともあり、完走をあきらめて途中で帰還。これでは野武士を名乗る資格はないなあ。
次回までにはなんとかしたい。せめてゆっくりとでも走れる体になろう。
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