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あけましておめでとうございます。
ようやく旅の荷物の整理が終わりました。 体や心もようやく日本に暮らすことが普通であるとなじみ始めてきました。 ただ、デジカメが12/22にイカれてしまい、修理に出しているので写真の整理が出来ないんですよ。ネット環境も整うのは当分先だし。 今回の更新でとりあえずほろほろ日記は一区切りです。いやまあずっとほろほろは続く(更新はあるかもしれない)んですが、旅のほろほろはここらが潮時かなと。 さて、タイピング、かな打ちに戻す練習でも始めよう。 |
2003年01月02日 14時38分45秒
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日本に来ました。
物価が高いのはまあ有名なんで仕方ないとして、独特な国ですね。列車は静かだし、横に座る人はみんな会釈するし、日本人以外の外国人が極端に少ないし・・・。でもきれいでいい国だと思います。 というか、帰国したんですがね。 関空についてから家に着くまでの間、帰ってきたというより海外を巡る一つとして日本という外国を見てる感じがしてて、すごく不思議でした。 旅行中出会った人、日本からメールで色々支援してくれた人、みんなに感謝です。本当に得がたい経験が出来ました。 |
2002年12月26日 16時53分52秒
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明日日本へ発ちます。海外からの発信はこれで最後でしょう。 昨日のブラスチラヴァは凄かった。いや、先週降った雪が残ってるんですが、ここでは一日の最高気温が+になるので、その雪が解けて、でもなくなるところまではいかないので凍り、町中がアイススケート場状態だったんです。屋外では普通に歩けるところの方が少なかったくらい。僕は見かけませんでしたが、交通事故結構あっただろうなあ。滑ってこけた人はその何倍か・・・表面が凍っててかてか光ってる白い雪をこんなに大量に見たのは初めてです。 今日ATMでお金を下ろそうとしたら残高不足で出来ないと言われ、デジカメはいかれ・・・あと一日だから何とかなりますが、えらくさみしい日になってしまいました。 |
2002年12月22日 20時39分39秒
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ブラチスラヴァに戻ってきました。やっぱ落ち着くわ、この町。 今日はブダペストからブラチスラヴァに戻る途中、ちょっと寄り道してウィーンに行ってきました。さすがウィーン、日本人(緊張感なし)が唸ってます。 僕がウィーンに行った理由はただ一つ。 「THE LORD OF THE RINGS ;THE TWO TOWERS」を見るため。 ドイツ、オーストリアでは18日から公開されてるんですよ。ハンガリー、スロヴァキアでは1月からですがね。字幕作業の日数分ずれてる模様。せっかくこの時期までヨーロッパにいたんだから、これは見ないといけませぬ。 公開三日目、平日の昼の公開だったため、ずいぶん空いてて、横に大リュックをおいて楽勝で見れました。 原作を読んでなくて楽しみにしてる人のためにネタバレは避けますが、素晴らしい出来でした。 一作目を見て楽しめた人は、絶対見なきゃだめです。 |
2002年12月21日 05時25分22秒
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ドナウベンド(ドナウ川の曲がり角)にある、ヴィシェグラードに行ってきました。 町はこじんまりとした感じのいいところで、メインのドナウベンドも雄大な眺めで、大変きれいなところでした。けど、見晴らしのいい山の上の要塞跡に行くタクシーがなく、歩いていくことになったまでは良かったんですが(2キロほどだし)、遊歩道のような道、途中から人が通った気配がないんですよ。というのも昨日まで降っていた雪がきれいに積もり、人の足跡が全くなくて。あるのは鹿の足跡だけ。まあ、道自体はわかりやすいものだったので問題はなかったんですが。 そのうえ、そうやってやっと着いた要塞跡は、なんか改修工事をやってて入れないとのこと。この際要塞はいいので、ドナウベンドだけ見たいんですがと工事の人達にお願いすると、それならいいよと中に入れてもらえました。いい人達で良かった。また景色も、夕日と霧の混じった幻想的なもので、ここまでして見た甲斐があるものでした。 この景色を見ていると、「この旅のいい締めができたじゃないか」という考えが頭の中に浮かんできました。 帰り道もまた別の歩道を駆け下りていったんですが、人跡未踏どころじゃなく、二個所フェンスで遮られてました。うーん、さすがはオフシーズン。 |
2002年12月19日 19時40分09秒
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ブダペストにまたしてもやって来ています。 それはいいんですが。もう、えらい雪で雪で。 参りました。 |
2002年12月18日 02時25分50秒
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タトラにいます。 と言ってもぴんと来ないでしょうね。スロヴァキアの山岳地帯です。 いや、ここがいいんですよ。フライトを変更した甲斐がありました。2600m級の山の山頂まで一気にロープウェイで上れるんですが、下の町ではどんよりと曇っていたのに、樹木の植生限界を超えたあたりで雲が切れ、青空が広がりました。普通、高山の上は寒いもんなんですが、無風で日光を浴びてると暖かくって。 しかも、下がそういう天気ということで、雲海が南側一面に広がってて・・・ いや、素晴らしかったです。 ふもとの滞在しているTatranska Lomnicaという町は、高原リゾートっぽい町なんですが、完全にオフシーズンなため宿は安く、静かでくつろげます。その代わり店が閉まりまくってて、朝ご飯とか困るんですがね。 |
2002年12月16日 01時26分35秒
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今日はブラチスラヴァからバスで一時間ほどのチャスタという村の側にあるお城を見に行きました。ツーリストなど影も形もない小さな村から歩いて2キロ奥にある城は、別に期待してなかったんですが、ものすごく立派でした。特に建物じゃなくて基部の方が、想像もつかないような堂々としたもので。この城は高い丘の上に建ってるんですが、地下の岩盤を刳りぬいて、長さ78メートル、高さは10メートルは優にあるホールを始め、想像もできなかった石造りの地下の空間が広がってました。 それはいいんですが、午後2時50分に城に着いたら、3時からグループが来るから一緒に案内しますと言われ、待ってたらいつまで待ってもそのグループが来ない。いいかげん痺れを切らして自分とガイドの二人で見てまわろうとしたら、やって来たとの連絡が。結局、中に入れたのは3時40分でした。このグループがまた、歴史好きな英国人のおじさんおばさん集団で、スーツに革靴といういでたちで現われ、40分も遅れたくせにやけに偉そうで、そのままツアー開始です。で、終わって外に出たのが4時40分。4時にはもう暗くなるのでもう真っ暗です。街灯も家もない山道をてくてく歩いていく僕を尻目に、その集団はバスでとっとと帰っていきました。おまけに村についてバスを待ってる間に変なじいさんにまとわりつかれて延々30分、さっぱりわからないスロヴァキア語で話し掛けられ(会話がしたいんじゃなくてしゃべりたいだけのようで、僕が「言葉が分からない」と言っても無視しても、そばに寄って来て何の工夫も無しにまくしたて続けてました)、せっかくいい城を見れたのに印象は半減です。残念。 |
2002年12月14日 03時43分33秒
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この二三日、ちょっとばたばたとブラスチラヴァ、ブダペスト、ブラスチラヴァと動き回ってました。 で。 帰国のチケットをやっと買えました。「今まで買ってなかったんかい」と言われそうですが、押さえてはいたんですよ。イスタンブールからバンコク、バンコクから日本へと。でもねえ。この機会を逃したら中央の田舎の方を見る機会なんて下手したら一生ないですからねえ。ちょっと無理して、タイで一週間ごろごろするつもりだった期間をヨーロッパに振り分けました。 チケットはブダペストよりブラスチラヴァの方が安く買えました。ちょっと意外。ううう、往復ならさらに割安だったのに。年齢と学生じゃないという二つの条件も足を引っ張ったなあ。 ともあれ、残り少なくなってきたこの旅ですが、可能な限りあちこち見てまわろうと思います。と言っても数を見るのではなく、いい所があればじっくり見たいですが。 そうそう、現在位置確認のページ、なんかリニューアルしたそうです。確かにちょっとデザインが変わってました。 http://www.dokonano.com/nobushi/ |
2002年12月13日 04時00分11秒
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ウィーンにちょっと行ってきました。 大きい町で、きれいですねえ。なんか他の町とは格が違うという感じ。 でも、それだけに日本人がわんさかいて疲れました。 せっかくなので本場のザッハートルテを食べようかと思ったんだけど、すごく込んでて店の外まで行列ができてたのでやめました。今日はなんか祝日だったようで、人出が凄かったです。 |
2002年12月09日 03時33分18秒
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今日はブラチスラヴァを見てまわりました。大きくない町なので、主なところは一日で見て回れます。 この町の主な見所はブラチスラヴァ城と旧市街、それにドナウ川です。丘の上に立つブラスチラヴァ城はかなり独特な形でインパクトがあります。この町は有名じゃないし、シーズンも外れてるから観光客はいないかと思ってたんですが、なんか日本人ツアーのおっちゃんおばちゃん軍団がいました・・・。ウィーンから近いから、オプションツアーとかで来た人たちかな? 今日は久々に寒いと感じました。気温は0度だったんですが、雨と風が強くて。って、0度ったら十分寒いですよねぇ。。。 |
2002年12月08日 00時10分58秒
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今日は観光でした。 プラハ、話には聞いてましたが本当にきれいな町です。プラハ城、カレル橋・・・ゴージャスという言い方のほうが合うかもしれません。 チェコ自体も2004年にEU加盟の予定らしいし、シーズンを外れてるというのに観光客がツアー、個人を合わせて町にあふれかえってます。日本人もいっぱいです。ドイツに留学中のタイ人観光客も一人いました。タイ語なんて久しぶりに使いましたよ。はじめは台湾人かと思ったんですが、タイ人でした。 町はクリスマスでいっぱいです。なんか今夜がピークらしいんですが、本当にクリスマスなのかな? ニコラスなんとかって言ってるからそうだと思うんですけどね。 |
2002年12月06日 01時06分19秒
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プラハに来ました。噂にたがわぬきれいな町ですね。 ただ、プライベートの宿(パスポートの控えも取らない・・・)に泊まったんですが、なんか電気がつかないんですよ・・・ 帰宅までにはなんとか直ってて欲しいなあ。 |
2002年12月05日 03時03分47秒
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チェコはプルゼニュの町にいます。 いや、まっすぐプラハに向かうつもりだったんですが、列車から夜景を見たら気が変わりまして。この町はピルスナービール発祥の地で、ビールがおいしいんです。ドイツともどもビール王国。ビール好きとしてはたまりません。 それはそうと、ドイツから陸路越境したんですが、ドイツ出国もチェコ入国もスタンプなしでした。ええんかい。 |
2002年12月05日 02時58分54秒
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オランダではアムステルダムを案内してもらい、運河ボートやヴァンゴッホ博物館など、大変楽しゅうございました。 で、今はドイツに来ています。また別の友人宅。パーダーボルンという町です。 こうして友人宅を転々としていると、なんか家出野郎みたいやね。 |
2002年12月01日 01時35分11秒
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オランダにきました。 マレーシアのタジクチニで会ったトムジョンカーという友人宅にお邪魔しています。 元々は来る予定はなかったんだけど、来てよかったです、はい。オランダって本当に平らで運河だらけです。360度地平線が見えてて、これが全部海より低いと聞かされた時にはびっくりしました。しかもさすがは先進国、建物がみなきれいで、歴史的建物は華麗なのばかりです。すごい。 ちなみにサッカー選手では、やはりオランダのチームに所属している小野が知名度が高いようです。名前はなんかシュンジと発音されてるようですが。 |
2002年11月28日 06時08分46秒
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リトアニアの首都ヴィリニュスにいます。 ここは他のバルトの国と違って尖った尖塔の教会がなく、ソフトな印象の町です。旧市街を歩いていると、とても一国の首都とは思えない落ち着いたたたずまいを見せています。 今、道路や建築物の改修工事がそこここで行われています。夏のシーズンに向けてでしょうね。ちょっとずつソ連時代の荒んだ状態からきれいになっていってるんでしょう。 ここにおとつい、ブッシュ大統領が来てたんですねえ。その時にいたら警備が厳重で大変だったと思います。今日で良かった。でも、月曜だから博物館とか開いてないんだよなあ。 |
2002年11月25日 23時54分57秒
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世界遺産にも登録されているネリンガの砂州、その象徴ともいうべき砂丘に行ってきました。年に0.5から10mも動き、数多の村を飲み込んできたという砂丘。とは言っても砂州上の砂丘なのでそんなに広いものではなく、高いところから見ると左右にバルト海とユールマラ海が見えるのが印象的だったくらいですかね。雨も降ってたし。 |
2002年11月25日 02時54分22秒
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クライペダを超え、ネリンガ砂州の一番ロシア寄りの町、ニダに来ました。ここまで来ると英語がほとんど通じません。ドイツ語はばっちりらしいんですが、僕が全然知らないからなあ。 基本的には夏のリゾート地なので、宿やレストランも閉まってるところが多いです。クライペダの旅行代理店の姉ちゃんに「What are you doing?」と聞かれてしまいました。 観光は明日なんですが、夜、地元のテレビを点けたら風雲たけし城をやってました。谷隼人隊長が懐かしい。 |
2002年11月25日 02時50分36秒
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今日は久しぶりに晴れ間が見えました。その分寒かったですが。シャウレイの郊外10キロにある十字架の丘に行ってきました。シャウレイに来た目的はこれだったのですが、いや、行ってよかったです。 ひたすら広がる平原の中にある小さな丘なんですが、そこが十字架で埋め尽くされているんです。そもそもの起源は分からなくなっているそうですが、シベリア収容所でなくなった人への 鎮魂、家族の健康を祈って、等々、実にさまざまな理由で祈りを捧げるときに人はここに来て十字架を収めていくそうです。 今日も新しく十字架をかけていく人を何人か見ました。 もう、本当にびっしりと十字架で埋め尽くされていて、十字架の林とか森とかの言葉では足りないくらいでした。そんな中に、日本の定番、「世界人類が平和でありますように」のポールが刺さっていました。世界中で見かけますね、これ。あと、この地のキリスト像は、キリスト教以前の神様の姿が残っているとかで、腰掛けて困っている顔をしているのが結構ありました。 帰り道は通りかかった車に乗せてもらいました。じろじろとは見てきませんが、フレンドリーな人が多い国です。なんでも、今夜一日、アメリカのブッシュ大統領がこの国の首都ヴィリニュスに来るそうです。首都は遠いのであまり関係ありませんが。 バルトに来て以来、たまに町ですれ違う小学生くらいの女の子の集団に「ハロー」と声をかけられます。いや、それだけなんですが。アジア人が珍しいんでしょう。日本人が白人に声をかける感覚と近いような。 |
2002年11月23日 00時37分25秒
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いろいろあって予定変更。今日は猫ミュージアムと自転車ミュージアムに行ってきました。どっちも好きな者にはたまらない、至福の一時でした(^o^)/ 世界のどっかにオリエンテーリング博物館ってないのかなあ。シルバかスントあたりがやってないかなあ・・・ |
2002年11月22日 02時39分25秒
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リーガの野外博物館に行ってきました。 昔のラトヴィアの民家って、木造で藁葺き、板葺きだったんですね。冬とか寒そう・・・ また、昔の教会がすごく独特な形をしてて面白かった。 で、ですね。500円程の国際バスでリトアニアのシャウレイまで来てます。安い宿があってうれしい。でも、ドミではないですよ。 |
2002年11月21日 04時16分51秒
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中国メーカーの靴が壊れました。中国物は安くてすぐ壊れます。参った。 昨日は月曜なのにやたらと人出が多く、なんだろうと思っていたら独立記念日で祝日でした。国旗を持った人が町にあふれてました。親子連れが楽しげに買い物をしたり、若者が昼日中からビールを飲んでビンを地面に叩き付けて割ったり。 首都にいますから、プレジデントの演説、花火(やっぱり日本の花火のレベルは高いと実感)と、盛り上がってました。 今日は昼から雨です。最高気温が5℃ほどあるので、なんてことはないですが、雪と違って外を歩けないのが困りものです。 ここまでの印象、リガはいい町です。なんというか、しっくりきます。ヨーロッパらしいヨーロッパで、変に進みすぎていないというか。いいですよ、ここ。 |
2002年11月20日 03時03分00秒
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ラトヴィアの首都、リガにいます。 ここではお金が降ろせてほっと一息。ホテルは高いですが。 広々として幻想的で、ムードのいい町です。気に入りました。なのに、へばってて何を見てもぴんと来ないんだよぉ・・・ |
2002年11月19日 01時34分17秒
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フィンランドの首都、ヘルシンキ。思ったより小さい町でした。お金がピンチなので5時間見てまわっただけで船でエストニアへ抜けました。おかげで印象薄いです。いい町だと思うんですが。大きな本屋があったので、じっくり見てみたかったんですが、残念です。 タリン、なんでATMでお金が降ろせないんだー! VISAやないといかんのかー! タリン、いい町です。いい人もすごく多いです。でも、僕には験の悪い場所でした、今回は。 |
2002年11月19日 01時32分00秒
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ロヴァニエミで、かの有名なサンタクロース村に行ってきました。てか、村っても人の住む村ではないんですな。見事な観光地。 北極圏上にあるとか言われても、南下してきた者にしてみれば、「はぁ」ってしか言いようがないですし。 はい、ぶっちゃけいまひとつぴんときませんでした。ファンタジーな場所だとは思うんですがねえ。 |
2002年11月19日 01時24分21秒
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イナリのSIIDAといわれる複合文化施設で一日過ごしてしまいました。サーミの住居を移築した屋外博物館と(雪被ってましたが)、屋内の展示とからなる見ごたえのある博物館です。 スカンジナビアの自然とサーミの歴史、一年のサイクルを見てまわったのですが、改めて凄いところだと思いました。ここにいると、自然は人間などの制御の及ぶところではなく、絶対上位に君臨する神だと強く感じます。魔法や奇蹟のようなものが存在しても、全然意外とは思わないですね。 オーロラビデオの上映があったんですが、なんと日本語バージョンもあり、僕一人のためだけにそれを流してくれました。用意してあったのはスオミ、英語、ドイツ語、日本語。イタリア語やスペイン語すらないのに・・・そんなに日本人、いっぱい来てるんでしょうか。 |
2002年11月13日 17時57分15秒
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フィンランドに入りました。今はイナリ。今は観光客もなく、湖畔の静かな村です。ホテル代がやっと安くなりました。 カラショクで慣れたせいか、−7度が寒いと思えなくて。サーミ博物館があるので明日見てこようと思います。 |
2002年11月12日 01時43分15秒
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カラショクの町を見て回りました。 何よりも寒いです。ノールカップでもせいぜい−3度くらいだったと思うんですが、この町は山の上な分だけ寒く、最高気温が−11 度とか言っています。 ここまで寒いといろいろ変わったことがありますね。道に積もった雪が日中でも溶けることがないので、歩いててもそれほど滑らないんです。また、湿気もすくなく、新雪の中に足を突っ込んでも靴に雪がくっつくということがありません。 ノールカップの極北の地とはまた違った、極寒の地の自然がここにはあります。 緯度が高いので、この時期太陽が低いです。正午に太陽を見ても、夕方としか思えない低い位置にあります。なのでまぶしくてかなわない。まあ、もうじき日の昇らない季節がやってくる地方ですから当然といえば当然 かもしれませんが。 北極圏に入ってからこっち、日本人どころかバックパッカー自体、一人も見かけません。まあ静かでいいんですが。代わりに安い 宿も全てクローズしているのは困りものです。 |
2002年11月10日 03時49分28秒
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どうしようか迷ったんですが、一気に南下してカラショクまで来ました。フィンランドまでもう少しです。 ここはラップランドの先住民族サーメ人のHEARTの町だそうです。いや、そんなに大きくないんですけどね。 ガイドブックにはホテル、何軒か載ってるんですが、実際に行ってみると、開いてるのは一軒だけ。後は夏のシーズン向けの宿ばかりだそうです。 だから高いんだって。 |
2002年11月10日 03時44分44秒
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ついに到達しました。ノールカップ。 日本を出た時から、ここだけは来ようと思ってた場所なので、思い入れもひとしおです。 ホニングスヴォーグからバスで30キロ。ツーリストインフォメーションで聞いたところ、たまたま今日、沿岸急行船のツアーがあるとのことだったので、同乗させてもらいました。今の時期、公共バスは走ってないんです。 北緯70度を越えているので、高山とにた状態です。樹木の植生限界をとうに過ぎているため、バスの窓から見えるのはただひたすら雪の平原です。ちょっと吹雪くと一面白しか見えず、この世にいる現実感もなくなってしまいます。 約一時間かかってノールカップ到着。海抜300メートルの切り立った大地が、北の果てです。一面、荒漠たる雪の平野で、元々日は短いというのに雲も垂れ込めていて、夕方とはまた違った独特の薄暗さがあたりを支配しています。崖の端から北の海を見ると、黒々とした海のすぐ上にまで雲が垂れ込めています。横手には歩いていくしかない、本当のヨーロッパ最北端、クニブシェロデンの岬が 寒々と突き出しています。 それにしても、天と地がこんなに近いとは。 この薄暗さといい、まさに地の果てです。 生命の痕跡など、どこにも見当たりません。 他の人がノールカップホールに避難してからも、バスの時間まで30分ばかり、言葉もなく、一人風雪の吹き荒ぶ中、立ち尽くしていました。 物凄いところです。目指した甲斐がありました。 |
2002年11月10日 03時42分59秒
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ノールカップのあるマーゲロイ島、その最大の町ホニングスヴォーグにやって来ました。 オフシーズンなのでアルタから直通のバスはなく、途中二度乗り換えなければなりませんでしたが。 |
2002年11月10日 03時29分45秒
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アルタにある、6000年前に描かれたという世界遺産の岩絵。それが目玉のアルタ博物館に行って来ました。さすがはオフシーズン、3時間いたんですが、他の客は一人も来ませんでした。料金も夏の半額で35クローナ。 この博物館は、ヨーロッパの博物館賞を取ったこともあるとのことで、さすがに見事な展示を行っています。ジオラマとかも手抜きなし、毛皮とか特産品の粘板岩とか、展示物を実際に触って実感できるような構成には参りました。 最大の見所の岩絵は、博物館の周りの岩に散在しているんですが、これがねえ。屋外にあるものをそのまま残してあるので、今の時期、見事に雪の下でした。雪の隙間から何個か見ることはできましたが、パンフレットにある、巨大な岩一面にびっしりと描かれている様は見ることができず、悔しい思いをしました。 |
2002年11月10日 03時26分32秒
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今日はトロムソは雨です。16時のバスでアルタに向かいます。16時って完全に夜なんですが、一日一本しかないんですよ。 ホテル見つかるかなあ。 |
2002年11月04日 20時50分07秒
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北極圏最大の町、トロムソに来ました。 夜闇の中から現れた町は確かに存在感がありました。地図を見たらなんでこんな大きな町になったのか良く分からないんですが。 ナルヴィクからのバスでは、荒涼としか言いようのない荒野の中をひた進むという貴重な経験をさせてもらいました。白と黒のツートンカラーのみで構成された広漠たる景色・・・でも、こんな中でも人家や集落があるんです。こういうところに住むのって、どんな感じなんだろう。 夏に見たらまた違うんでしょうが、いかにも北極圏という感じで染み入る景色でした。 オーロラも見れたら見たいんですが、今は雨、曇りのシーズンなので厳しいですね。いや、僕も期待してたんですが、曇ってばかりです。 今日バスの運転手さんに聞いたんですが、一番のシーズンは夏として、12月から2月も極夜で天気がクリアーなので、ノーザンライトとオーロラを見にいっぱい観光客が来るそうです。 「11月は旅行者はいないよ」 確かに一人も見かけません。 ま、その方が旅情があるからいいんですけどね。この季節で良かった。 |
2002年11月04日 06時13分39秒
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ナルヴィクに来ました。キルナ、イェリバレの鉄鉱石の積出港、不凍港として有名な、あの。 それにしてもストックホルムからの列車は素晴らしかった。最北の路線ということで、ひなびてるイメージを持っていましたが、失礼なことでした。ものすごく立派な車両で、日本の列車の方が暗い感じかも。車窓風景がまた素晴らしい。朝起きたらイェリバレに着く手前だったんだけど、荒涼とした雪に覆われた平原が、視界の続く限り広がっているんです。雪化粧をした樹林に朝日が当たって輝く様は、清冽な美しさでした。そして、キルナを過ぎたあたりから山に入ったんですが、谷といっても日本でイメージするように狭くなく、広いんですわ。両脇は切り立ってますけど。まさにフィヨルド地形で、雄大な眺めでした。ノルウェーに入るとフィヨルド地形は険しさを増し、数百メートルも切り立った崖がえんえんと続きます。列車はその上を縫うようにして進みます。自然の強さ、すさまじさをまざまざと目の当たりにしました。まだまだ山の中だと思っていたら、旧に谷底が海になり、ナルヴィク着。一気に下ってきたから耳がおかしいです。 ナルヴィクは思ったよりこぢんまりした町です。鉱石の積み出しといっても町中には関係なく、雪が降ってることもありますが、人通りもそれほど多くなく、静かな印象の町です。坂が多く、気をつけないとすっころびます。ま、日本と同じですね。観光ポイントが冬場で閉まってたのが残念ですが、町歩きは十分楽しめました。 ここでは今、3時に日が沈み、4時には夜です。ナルヴィクまで来たといっても、ノールカップまではまだ700キロ以上あるんだよなあ。 |
2002年11月04日 05時55分28秒
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ストックホルムでは、ハロウィーンはあまりど派手にはやらないようです。 今日はまず、市庁舎に行って来ました。ノーベル賞受賞パーティーが開かれるところです。一日二回のガイドツアーで中を見学できます。ブルーホールの広さ、天井の高さに感心し、黄金の間の豪華さに驚き、市庁舎の建物自体の重厚さに圧倒されてきました。歴史の持つ重みというか・・・ その後、王宮もある旧市街ガムラスタンを巡って来ました。曇ってて風もあり、寒かったんですが、歴史を感じる町並みの中にも瀟洒な雰囲気があるところが北欧らしく、楽しかったです。王宮を守る衛兵さんの写真も撮らせてもらいましたし。また、証券取引所の建物を使ったノーベル博物館も見て来ました。歴代受賞者のムービーで、ダライラマや湯川秀樹博士などを見て来ました。今日本で話題の田中さんもこの中に混じることになるんですねえ。 あこがれの地だったストックホルム、やはりいい町です。 |
2002年11月01日 23時48分52秒
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ストックホルムに来ました。三夜連続夜行+昼は観光というのはさすがに疲れましたが。 今日はスカンセンというでっかい野外博物館に行って来ました。動物園も兼ねている、スウェーデンの伝統的家屋を集めた博物館で、スウェーデン独特の赤くてがっしりした建物とかをいっぱい見れて幸せでした。特に今回は日程と金銭上の問題から他のスウェーデンの地方に行けないので、せめてここで雰囲気なりともと思っていたんですが、想像以上に「古き良きスウェーデン」を感じることができました。 後、北方民族博物館で見たスウェーデンの民族衣装が印象的でした。バルカン半島の民族衣装と比べると地味なんですが、しっくりと落ち着いた中にセンスの良さが感じられます。いいなあ、やっぱスウェーデン好きだわ。 閉館ぎりぎりに行った戦艦ヴァーサ号博物館も良かったです。木造のヴァーサ号のでかさ、本物の持つ重みに圧倒されました。 スウェーデンは(というか北欧全体かもしれませんが)町を歩いていても差別を感じません。それどころか、町中を黄色人種や黒人が当たり前に闊歩しています。これは今まで見たヨーロッパと違うところです。他の先進国もそうなのかな? でもやっぱり寒いですね。ルーマニアで買った防寒着がやっとまっとうに役立ちます。最高気温5度。 あと、分かってたんですが、ホテルが高いです。ユースに泊まる体力がなくなってるので一般のホテルに泊まったんですが、一番安いので一泊590クローンとは・・・ |
2002年11月01日 23時42分15秒
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コペンハーゲンです。 何の印象も持ってなかったんですが、きれいな街ですね。一日だけなので、人魚の像を見て、町歩きしてました。人魚の像、本当に大きくないですね。まわりに特になにもないところにぽつんとあるのでちょっと寂しそうでした。 町は、中心部は歴史のある石造りの6階建てほどの大きな建物がびっしりと並び、風格を感じます。 あと、本家チボリ公園は冬は閉まってました。 |
2002年11月01日 23時24分58秒
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ベルリンです。列車が遅れまくって、朝8時15分に着くはずが昼12時着っておい。 それでも基本だけは押さえて見てきたつもりです。ベルリン大聖堂(列車の窓から)、ブランデンブルク門、戦勝記念塔、カイザー・ヴィルヘルム記念教会と。けど、壁物館と国会議事堂は断念しました。いや、どっちも開館時間は夜の10時まであるんですが、博物館は月曜日は閉まってることが多いし(ガイドブックに何も書いてないけど遠いので確かめに行く気力がなくて)、議事堂は駅からちょっと遠いしで。議事堂、ブランデンブルク門から近かったのに、なんで行かなかったんだろう・・・? しかも今日は雨が時折激しく降るので余計夜には出歩きたくないですしね。 ベルリンはさすがの都会です。やっぱりきれいです。ただ、近郊電車について、変わったシステムになっています。改札がなくて、ホームに券売機とパンチマシンがあるんです。で、自分で券を買ってパンチして乗り込むんです。改札がない代わりに車内で検札があるんですが、走行中にごく普通の格好をした兄ちゃんが突然身分証を出して、「検札をする」と宣言してやり出すんです。いくらでも検札してくれていいけど、なんで私服でこっそりと抜き打ちのようにやるんでしょうねえ。なんか感じ悪いです。 |
2002年10月29日 02時52分30秒
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ベルリン行きのチケット買いました。ウィーン経由の夜行です。寝台だから割高とはいっても、約44000フォリントは厳しい。先進国に行くんだということを実感します。 お金もつかなあ・・・ |
2002年10月27日 22時21分56秒
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ハンガリーの首都、ブダペストに着きました。 深夜に着いたので宿探しにどえらく苦労しましたが、きれいでいい町です。人も親切で、深夜にリュックを背負ってうろついていると、「どうしました?」と手を差し伸べてくれて、終わるとウインク一つで去っていきます。いやあ、粋やねえ。 町もきれいです。中世の町がうまく現代にシフトした感じで。ドナウ川岸の王宮の丘やゲッレールトの丘から見た景色は素晴らしかった。 ラックレール式の登山鉄道、トラム、ナローゲージの山岳鉄道の「子供鉄道」なんてのもありますし。でも、個人的に一番気に入ったのは、王宮の丘の地下にある、ラビリンスです。ムード満点だし、しゃれっ気もあるし。 気に入りましたが、今月までは宿代が高く、しかも先を急ぐのでもう抜けてしまうのが残念です。 |
2002年10月27日 03時34分56秒
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サトゥマーレです。ここも寒いとはいっても日中大体12度ほどはあるのでたいしたことはないですね。 次はいよいよハンガリーのブダペストなんですが、この町からは接続がそうよくなくて考え中です。列車は深夜発(2時)か深夜着(11時)しかなく、バスに至っては国境を越えるという のになんか怪しげなミニバス(早い話がバン)しかありません。しかもミニバスはブダペストの市街ではなく空港にしか行かないそうなので使い勝手が悪いです。 ここのホテルのレストランが、全く期待してなかったんだけど、それをいい意味で裏切ってくれて、ものすごくおいしかったです。物を食べて感動したのなんていつ以来だ? ・・・あ、シナイアでチョコレートを食べて感動したっけ(笑)。チョルバというルーマニア独自のスープがあるんですが、いつものように頼んだら、これが信じられないくらいおいしくて。澄んだスープの中に、煮込んだ鳥と人参、そして小麦の麺のような舌触りでそれこそ小麦くらいの大きさのもの(無知は悲しい)がどっさりと入っていて、絶妙の調和でした。これを食べられただけでもこの町に来て良かったです、ええ。別にグルメってわけではないですが、それでもこれには降参です。しかも25000レイ程と全然高くなかったですし。 それはいいんですが、この国に限ったことではなく、インターネットが安い国ではありがちなこととして、ネットカフェの環境が良くないことがあります。音楽がうるさかったり、客やスタッフが大声で喋り散らしたり、煙草OKだったり。 |
2002年10月22日 22時34分58秒
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サトゥマーレに着きました。事前情報が全くなかった町なので、ちょっと高いですが一泊85万レイのHOTEL DACIAに投宿しました。 ここまでブコヴィナ、マラムレシュと田舎ののどかなところを回ってきた僕にとって、久しぶりの平野の町です。同じ国でも、人の様子はやはり違います。久しぶりに差別を感じましたし(すれ違いざま父子連れの父親が僕を見て「ハッハーン」と吐き捨てました)、僕を見てもじろじろ見ないですぐに目をそらします。じーっと見つめてくるのに慣れてたので、なんか冷たい感じがします。どっちがいいともいえないんですがね。通りがかりのおじいちゃんに親切丁寧にホテルを教えてもらったりしたわけですし(「どうだ、サトゥマーレはきれいな街だろう」と言ってました。住人が誇ってる街はいいことが多いです)。 |
2002年10月22日 02時20分45秒
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マラムレシュ、いいですねえ。好きになりました。GLOD村で日曜の礼拝を木造教会の中で見せてもらって(ルーマニア語はわからないし、クリスチャンでもないので何がなんだか分かりませんでしたが)から、泊めてくれた人の車でダート道を進み、世界遺産のある村、ポイエニレ・イゼイへ。 ・・・えーと、台湾人が世界遺産の教会を見ていると言われて行ってみると、日本人なんですが。しかもテレビスタッフ。今ルーマニアってはやってるのかな? 見学を終え(この教会の内部には、赤を印象的に使った地獄図が描かれています。ただし写真撮影禁止)、今日は他の村に行くかここに泊まるか考えていると、ここでも礼拝が終わったらしく、村人がどっと出てきました。本当にみんな民族衣装を着ています。大人は黒系統のシックなものですが、子供は白を基調のかわいいものです。やはり着つけているとしっくり来てますね。 結局強引なおばあちゃんに誘われるまま、ここのプライベートルームに一泊することに。荷物を置いてご飯を食べたあと、ぶらついてくるかと思っているとそのおばあちゃんがなんか外に引っ張っていきます。それに付いていくと、村の中心の路地で民族音楽を着た人たちが踊っています。その中にはさっきのテレビ局スタッフが・・・やはりか。三田佳子発見。モルドヴィッツァ修道院に続き、えらい偶然で会ってしまいました。他に村はいくらでもあるのに。 話を聞くと、テレビ東京系の番組で、1月あたり、もしかすると正月に流れる番組のようです。自分が映ってたら嫌だなあ。 やはりこの村でも英語は二三人にしか通じません。宿の人には通じません。おかげでいらんごたごたが起きたりもしましたが、それを含めて、ホスピタリティにあふれたいい人たちが住んでいる村です。言葉が通じないのでもう一泊したいとうまく伝えられず、一日で出てきてしまいましたが、機会があればぜひ再訪したい村でした。 |
2002年10月21日 19時12分47秒
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マラムレシュ地方の木造教会を見に田舎の方に行きました。まずはなんとなく行きやすそうだったブルサナ村。バスがいいタイミングであって助かりました。で、ついた所は村外れ。教会といいつつ、修道院でした。木製なのに、ヒースの木より高い尖塔を持つ素朴な建物はきれいでした。のどかな田舎の町並み、紅葉に燃える山々・・・良かったですよお。ただ、修道院の内部が写真撮影禁止だったのは残念でしたが。 今日の宿についてはアテさえないままふらりと出てきてたので、見終えたとき近くにいた地元の子供に「眠れるところない?」と聞いたら友達を集めてああでもないこうでもないと相談してくれました。その結果、さらに奥に1キロほど行ったところにレントフォアルームがあるよ、とのことだったので歩いていきました。 いや、たしかにあったんだけど、周りには他に家一軒ないというのはどうしたもんかと・・・悩んでいると、車が停まりました。英語が全くだめな地元のおっちゃん。「とりあえず俺の村に来い。英語の分かるやつが居るから」ということで、その人の車で8キロ奥(未舗装)に入り込んだGLODの村へ。そこで「英語の分かる人」と話した結果、このおっちゃんの家に泊めてもらうことになりました。食事付きで30万レイ。世の中どう転ぶかわからんもんです。この村にも世界遺産ではないですが、背の高い木造教会がありました。 この村に来た日本人は僕が初めてではない、と言われました。すごいなあ、日本人って。 |
2002年10月21日 18時53分25秒
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陽気な墓で一部の人に有名なサプンツァに行ってきました。それにしても、それまで晴れてたくせに、なぜ村に着いたとたん豪雨になる・・・ お墓の墓標にその人の生前をしのばせる素朴なタッチの絵が描いてあって、ルーマニアでもこの村にしかない独特なものです。農夫とか牧師とか羊追いとか。でも中には幼くして亡くなった子供や、事故で亡くなったことが描かれてるものもあって、陽気とばかりもいっていられないんですが。 時間があったのでミュージアム(墓標を作ってる人の家)にも行ってきました。1965年にやなこうせいが訪ねてきてて、メッセージと写真集が置いてありました。(日本人とわかったら出してきてくれた) 帰り道では通りかかった材木トラックに乗せてもらったんですが、エンジントラブルで雨の中修理を手伝う羽目になりました。 シゲットマルマッティエに戻ってからマラムレシュの博物館に行ったんですが、人気がなく、僕が入っていくとスタッフが電気を点けに行くような状態でした。スチャバのブコヴィナ博物館と同じか・・・。展示自体は10000レイの料金の割に立派で、見ごたえもありましたが。どうやって採算を取ってるんだ・・・? |
2002年10月19日 19時21分02秒
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スチャバからシゲットマルマッティエまで、一日掛かりの移動でした。だから走ってない列車はせめて駅の時刻表にはそう記載しろと。おかげで何時間待たされたと・・・ それにしても懐っこいなあ、ルーマニア人。乗り換えに降り立ったSalvaって駅のカフェ屋の姉ちゃんが写真を撮ってというので撮ったら、住所を教えるから送ってくれと。デジカメなので見せてあげたらなんか家の中に誘われ、入ったらドレスに着替えてきてこれも撮ってくれと。言葉なんて全く通じてないのに・・・さすがはラテン民族。 シゲットマルマッティエはマラムレシュ地方の中心なんだけど、ここに行くのに途中の駅でなぜかパスポートチェックがありました。ウクライナの横なのでその関係かとも思ったんですが、後でホテルで聞くとマラムレシュ地方に入ったからだと。治安の問題とかない地方のはずなんだけどなあ。 それにしてもホテルが高いよお。54万レイって、厳しすぎる・・・ |
2002年10月19日 19時05分24秒
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今日はスチェヴィッツァとモルドヴィッツァに行ってきました。どちらもすごく立派な外壁を持っていて(まるでお城)、そこでは修道女さん達が信仰生活を送っています。 特にシュチェヴィッツァ修道院なんて、はじめ 見たときお城かと思ってしまいました。こっちの外壁に書かれているフレスコ画『天国の梯子』はおとついのヴォロネツ修道院の『最後の審判』に告ぐ迫力で、絵を見てるだけで天国と地獄のイメージが湧いてきます。他に誰もいない中で見たから余計心に迫ってきたのかもしれません。 モルドヴィッツァ修道院の方はシュチェヴィッツァよりこぢんまりしていて落ち着いた雰囲気でよかったです。 ここの観光を終え、外に出た時、テレビの撮影が行われていました。カメラで撮られている女性を指して、傍にいた人が「日本人だぞ。有名な人か?」と聞いてきたのですが、芸能界音痴 の僕には分かりませんでした。後で聞いたところによると「Yoshiko Mita」そう、「三田佳子」でした。ドキュメンタリーか何かの撮影 (ふしぎ発見とかかも)だそうなので、11月から新年にかけてのテレビの中で流れるかもしれません。「ここがモルドヴィツァ修道院です」とか言って中に入るすぐ外に僕がいます。 |
2002年10月16日 04時24分17秒
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5つの修道院のうち2つ、行ってきました。 今日はヴォロネツとフモール。 どっちも駅から4、5キロってことで、頑張って歩いてきました。まずは色彩的には一番評価の高いヴォロネツ。ここの「最後の審判」は青の鮮やかさで有名です。景色派のぼくでも感じ入るところがあるほどでした。ちょうど日曜の朝で礼拝が行われてました。 次はフモール。こっちは天気が悪くて。はじめ間違えて隣の教会に入ってしまいました。 修道院もしみじみといいところでしたが、その周辺が。ルーマニアの田舎の人、いいですよ。 みんな挨拶には笑顔で答えてくれますし。フモールに行く途中に会った家族連れ(多分教会帰り)のお父さん、僕が挨拶するなり手に持ってたパンを千切って分けてくれました。 結局バスもタクシーもヒッチハイクも使わず、ひたすらてくてく歩いて大体26キロになったのはさすがに疲れましたが。 |
2002年10月16日 04時16分46秒
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雨です。バルカン半島中に前線がいます。ということで、今日はお休み。明日は動けるかな。 ノートを買いに行ってきました。が、いいノーとってないもんですねえ。紙の質は日本が一番です。寒い寒いと思って道端にある温度計の表示を見たら、「+1度」・・・。寒いわけです。早く体を慣らさないと、風邪を引いてしまいます。 でもそれを抜けば、スチャバ、落ち着いたいい雰囲気の町です。テレビを点けたら、女子の体操の大会がやってました。オリンピックとかよりさらに若い、どう見ても10歳前後じゃないかというような子供がバンバン技を決めてました。うーむ、さすが王国。 |
2002年10月13日 03時07分59秒
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無事? スチャバに着きました。夜行列車でよく眠れなかったのでしんどいです。こっちは雨、というか、降るか降らないかぎりぎりのところで雲が重く垂れ込めていて、寒いです。 天気も悪いし疲れてるし、何より観光の修道院へ行く交通の便との折り合いがうまく行かなかったので、今日はゆっくりすることにします。とかいいつつ、まだホテルを取れてないんですが。駅にツーリストインフォメーションも地図もないし、プライベートルームの客引きもいないんだもんな(まあこれは夜も明けてない7時とかに着いたからかもしれないけど)。ここまで来たら英語が通じないことを強く感じますね。極端な不便は感じないとしても。 昨日のシナイアからブラショフの特急は面白かった。38歳の車掌さんが「日本人? 日本人か」と検札しながら向かいの席に座り込み、話し込んできたもので。「カタナはいくらぐらいするものだ、ゲイシャはいくらだ?」「ムサシマル、タカノハナ。タカノハナ、チャンピオン」なんか妙に詳しいんですが。ルーマニアって親日国でしたっけ。「侍魂とドラクラの血統と、どちらが強いか勝負だ!」とか言って腕相撲勝負をしたりもしました。結果は引き分け。(僕は腕相撲弱いんですよ)周囲を巻き込んで夜なのに大騒ぎしてしまいました。 ルーマニア、さすがラテンというか、楽しい人が多いです。 ここのインターネットカフェは時間制限があって、30分か60分しかできません。日本語IMEを落として使えるようにしたんですが、やる前にスタッフに「DLもインストールもしていいけど、今まで来た何人かの日本人はできないって言ってたよ」と言われました。試してみたら、フォントだけだとDLできませんでした。なるほど。 |
2002年10月11日 17時47分02秒
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世界遺産の町、シギショアラと同じく世界遺産の要塞教会のあるビエルタンの村に行ってきました。世界遺産といっても今ある姿が遺産なので、保護・維持はしてますが、しゃかりきという感じはしませんでした。 ヴラド・ツェペシュ公(いわゆる串刺し公)生誕の地、シギショアラ。人口三万ほどの町なんですが、中世の町がそのまま今に残ってるところで、建物から石畳の道まで、中世そのままで、圧倒されました。人の服装や車、電柱を除けば今はいつなのかふっと忘れてしまいそうな、なんか不思議な町でした。でも、観光都市で擦れてるのか、差別ありますねえ。メインロードを歩いてると、特に若い女性と子供にすれ違いざま舌を鳴らされたり地面につばを吐かれたりという場面もありました。すごくいいムードの町ですが、そこが残念でしたね。 ビエルタンは要塞教会という、早い話が村の中心に小さく防壁で囲われた丘があって、その真ん中に城じゃなくて教会があるというものです。入場料なんてのも不要で、スタッフすらいないんですが、きれいに整えられた教会でした。またそれを取り巻く環境がいいんです。村は赤い屋根、白い壁で煙突からは煙が昇り、いかにも昔ながらの中世の村と行った感じで、その周囲には自然の地形を生かした畑が山の間に広がってて・・・。 加えて、本当に人が陽気で親切、かつ人懐っこいです。さすがはラテンの国。鉄道を降りて12キロ先のビエルタンまで行くバス乗り場が分からず、通りかかったトロリーバスの運ちゃんに聞くと、近いからとただで乗せていってくれました。ビエルタンの帰り道では10歳前後の子供達がルーマニア語でにこにこと声をかけてきて(悪意のあるなしは良く分かります)何くれとなく雑談に興じたり、「どこに行くの、次ぎのバスは4時だよ、心配しなくてもここにいればいいから」とか世話を焼いてくれます。二時間も三時間も待つのが嫌で、10キロほどの道で天気もいいしと駅のある町へ歩いていると、横に車が停まり「さ、乗って」とお姉さんが親切に駅の入り口まで連れていってくれました。その駅で列車待ちしていると、大学生の集団が話し掛けてきて、「日本人か。カラテ?ジュド?」「なんでこんな駅に? 仕事は何?」「なぜほかの国じゃなくてルーマニアに来たの?」等々と片言の英語で話したりしました。 ビエルタン行きは、田舎好き人情好き景色好きの僕にはたまらない一日でした。 |
2002年10月11日 01時11分56秒
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シナイアは今日は雨です。雨だと動きが取れなくて嫌ですね。 今日市場で買った安物の傘はなんと日本製。5万レイでした。運動靴も買ったんですが、21万レイの中国製でした。立派なスポーツ用品店で買うとリーボックなんかがその10倍前後ですから、えらい違いです。 昨日はペレシュ、ペリショールの古城を見てきました。いや、良かったですよ。けど、自分の性向を再確認してしまいました。ご立派な御大尽の部屋とか見てもあまり楽しくないんですね。外からきれいだなあと見るのはいいんですが。両方のチケットを買ってたんですが、一つ見てもういいやと思ってしまい、片方は払い戻ししてもらいました。 今日、スタンドでケバブを食べていると、野良犬が寄ってきました。こっちの野良犬はおとなしいもので、お座りをしてずっとこっちを見ています。食べおわった紙屑をごみ箱に捨てようとした時、もらえると勘違いしたのか紙屑めがけて飛び掛かってきました。その時、牙が指に当たったんですが、狂犬病は大丈夫なんかいな。ま、その犬はちゃんとしてたし、傷を受けたわけでもないので大丈夫だとは思いますが。出発前に予防注射も受けてますしね。 |
2002年10月08日 00時26分56秒
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噂には聞いてましたが、アジア以外では東洋人はまず中国人と思われるんですね。チノチノ言われまくってます。そこに住んでるのかもしれないけど、中国人のバックパッカーなんて見たことないんですが。何より、中国人の真似だろうけど、自分の目を両側から引っ張って細いつり目にして見せた女の子! 先入観で見ずに、僕の顔を見てみろ。どこが細い? どこがつり目だ? 丸くて垂れてるだろうが!(^^;) 今日は元々、ブチェジ山と中世の城を一日で回るつもりだったのですが、予想通り延びてしまいました。はい。 ブチェジ山はアパラチア山脈の中にある2000メートル級の山ですが、1400メートルまではロープウェイです。ていうか、2000メートルまでロープウェイがあるんですが、今日動いてたのはそこまででした。雨がぴりぴりと降ってたんですが、森林限界を超え、雲の上に抜けるとそれもなくなり、山頂に続く稜線に立つと寒い風がびゅうびゅうと吹き付けてきました。僕はかなり薄着の方でしたが、革靴で登ってるおじいちゃんとかもいましたよ。 山上の高原の荒漠と広がる景色は、旅に出てから見た景色の中でも特に印象深いものでした。他に人もいず、空はどんよりと曇り、目の前には木の一本も生えてない高原がただただ広がっていました。 山小屋か何かに住んでる人の飼い犬でしょう、犬が3匹寄ってきたので手持ちのお菓子をあげながら、風に吹かれるまま、しばらくぼうっとしてました。 山から下りてきた時の、下界の暖かいことったら。 |
2002年10月06日 03時30分28秒
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夏は避暑地、冬はスキーで賑わうというシナイアにやってきました。では今、秋は・・・? 紅葉がきれいです。いや、どちらかというと黄葉か。山が迫っていて、町は坂が多いです。それも含め、ブカレストとはまた別のムードを感じます。昔の貴族の別荘とかがいっぱいあって、独特の雰囲気です。田舎でもない、町でもない・・・やっぱり高原避暑地というのが近いのかなあ。 今日着いたところで、ざっと町歩きをした印象です。 あ、そうそう、ルーマニア料理のサルマーレとママリガ、おいしいです。高そうなレストランに入ったんですが、合わせて約10万レイ(約3ドル)でした。 |
2002年10月06日 03時24分43秒
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ルーマニアに来ました。首都ブカレストは会う人会う人、みんな口を揃えて「治安が悪い」と言っていたのでどんなものかとびびっていたんですが、そんなこともなかったです。 列車が遅れて夜の9時過ぎに着いたんですが、駅の近くの安ホテルがことごとく満室と言われ、焦りました。このオフシーズンの平日に、何があったというんだ? で、ルーマニア。さすがはラテンの国、みんな明るいです。にこにこと笑顔を交わすこの感じ、いいですねえ。たまたまかもしれませんが、ソフィアの時のようなやばいムードも感じないし、いいですよ。 共産党支配時代に歴史的町並みは壊されたとのことで、古い建物はいっぱい残っていますが、道は広く、車は渋滞しまくり、中世のイメージはあまりありません。その分、交通の便は良さそうですが。 ブカレストに来たからにはと、国民の館(チャウシェスク宮殿)に行ってきました。建物も、それを取り巻く公園も、異様にでかいです。でかすぎです。ここの警備をしてるお巡りさんと仲良くなり、30分程喋ってました。写真も撮らせてもらいました。そして革命広場。民主革命時の中心地の一つです。古い建物には弾痕が残っていたりして、民主化への苦しい道のりを感じずにはいられません。おかげで僕もこうして旅行できてるんですし。黙祷。 ただ一つ困ったのが、両替。隣国のブルガリアの通貨がここでは扱ってもらえないとは・・・ |
2002年10月06日 03時22分53秒
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ヴェリコ・タルノヴォに来ました。なんでも第二次ブルガリア王国の首都だったところだとか・・・。でも、曲がりくねる川、稜線の上に細長く伸びる歴史を感じさせる市街・・・歴史は感じますが、あまり大きくないですな、正直。元首都とは信じられません。 でもここ、いい町です。ソフィアと違って人は親切で笑顔があり、物価も異様に安い。食べ過ぎたと思っても10レヴァ・・・約5ドルです。安く済まそうと思えば一食1レフかけずに済みますし。また、さすがはブルガリア、乳製品が安くておいしい。特にヨーグルト。大手のダノン製でさえここまでおいしいとは・・・参りました。 この町にきてしばらくは雨に降り込められていたんですが、このままではきりがないと、小降りの日に旧王城を見てきました。中世ヨーロッパのムードが出てて、良かったです。ただ、修復があまりされてないところが多く、観光産業のためにはもうちっとがんばった方がいいのではないかと思ってしまいましたが。 受け付けのおじさんが、「ジャポネ?」と聞いてくるのでうんというと、自分を指して「トルキー」と言います。オスマントルコ時代、500年ほどはこの国はトルコの一部だったんだよなあ・・・。なんかしみじみと思いを馳せてしまいました。 雨に濡れる石畳、煉瓦の赤い屋根。いい町です。 |
2002年10月06日 03時16分10秒
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ソフィアに着きました。何ですか、なんでこんなにうら寂しくてやばげなんですか? 一気に寒くなったせいもあるかもしれませんが、なんか暗いです。人の着てる服の関係もあるかもしれませんが。またこっちの人はシャイで、ちらちらとこっちを見ては視線を外します。それも無関係ではないかもしれませんが。 この町をざっと観光しました。何よりも目に付いたのが、共産党支配時代の遺物。旧共産党本部、国民文化宮殿、ともにめったやたらにでかく、威圧的です。一般家屋が屋根の葺き替えもできずにがたがたと波打ってるのが珍しくないというのに、なんですか、この壮麗さは。これは起こるべくして起こった民主化ですな。 なんか嫌だったので、一日で早々に次の町に動いたんですが、そのたった24時間のうちに3回もスリを見てしまいました。そのうち一回は僕が狙われました。バスに乗ろうとしたら、始発なのにちょうど降りる人が居て、すれ違おうと体を避けたら、相手も同じ方に避けたんです。で、ごそごそしてると相手の手に掛けたジャンパーの下から手が伸びて・・・こんな稚拙な手口でやられるほど間抜けじゃないんだが? 腕を磨いて出直してこい! |
2002年10月06日 03時08分52秒
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ブルガリア行きのチケットを買いました。 国境の通過がそんなに確実じゃないとも聞きますが、そんな事も言ってられないので。明日の深夜発の夜行列車です。 怪我と病気で二日ほど予定より遅れてしまったので、どこかで調節しないとなあ。 ここからしばらく、次々と国を移っていく予定なので自分自身、楽しみではあります。よく「旅人は通過者である」って言われますが、これまではけっこうじっくりしてたから(「通過者」の意味を字義通りにしか取れないわけじゃないんですよ(++;)・・・ |
2002年10月06日 03時06分48秒
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風邪は引きはじめが肝心、ということで今日はおとなしく寝てました。日本だったら気にせず日常生活をしてる程度なんですが。 ご飯を買いにスーパーに行ったんですが、お国柄というか、面白いもんです。チーズの切り売り、バケツのような3キロ容器に入ったヨーグルト、コーラの2.5リットルペットボトル、等々。 それとは別ですが、この国にも交通マナーは存在していないようです。存在してる国って世界でも少数派なのでは? |
2002年10月06日 03時06分46秒
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今日は一日医者の関係だけで潰れてしまいました。僕の保険はJIでJTB関係だったんですが、JCBに行ってしまって大恥です。 結論から言うと、大丈夫でした。見て、ちょっと触診しただけでおしまい。ガーゼを貼って薬をもらいましたけど。 「Your ploblem is no ploblem.」 そうですか。 確かに徐々にましになってきてたのでそうかなとは思ってたんですが。それに、イスタンブールに来てから毎日15キロくらいは歩いてるのに悪化してなかった訳ですし。 この街は空気が乾燥していて、しかもあまり奇麗じゃないのでちょっと喉が痛いです。しかも、体の中で風邪の菌と白血球が戦ってるのを感じます。風薬を飲んで早く寝ることにします。 トルコ人はフレンドリーですね。道端に座って日記を書いていると小学生くらいの二人の男の子が寄ってきて、トルコ語で話し掛けてきました。トルコ語はサッパリなので会話は成立しないのですが、ジェスチャーとお互いの自国語で20分ほど話してました。 また、医者に行く途中の列車内ではたまたま横に座った二人の中学生が話し掛けてきます。日本の中学生並みの英語レベルなのですが、ワールドカップの話題で盛り上がりました。 これまで、田舎の方でこういうことは良くありましたが、首都のど真ん中でというのは初めてです。さすがは東西の文化の交わる地といいますか、臆したところがありません。街ゆく人も、黒髪黒い瞳から、金髪碧眼までなんでもいますし。人種のごった煮という表現が合う町です。 |
2002年10月06日 03時06分06秒
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イスタンブールの有名所を観光してきました。入場料が高いので断念したところもありますが。 トプカプ宮殿、ハレムと宝物庫は行ってませんですが、それでもすごく良かったです。さすがは世界の中心だったこともある場所。豪華絢爛とはこのことかと思う装飾、ボスポラス海峡と金角湾を望む素晴らしい眺望。タイルがこんなに奇麗なものだとは知りませんでした。 地下宮殿、ものすごく神秘的でした。雰囲気づくりのためのクラシック音楽や魚の放流なども嫌みではなく、幻想的なムードでしたし、メドゥーサは迫力がありました。 ガラタ橋。こんな都会で釣りをしてる人がこんなに居るとは。またこの橋を挟んだ地区の眺望が素晴らしいんです。 この街に来てからどれだけシャッターを切ったことか。そろそろ落ち着かないといけません。 |
2002年10月06日 03時05分10秒
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てなわけでトルコです。気温20度とか、寒いです。 日本人が少ないかと言えばそうでもなく、夏のシーズンを知らないから何ともいえないけど、そこらじゅうに日本人がいます。泊ったホテルが日本人の多いところで、昨夜は25人の日本人がいたとか。 今日、早速有名なカタコト日本語の絨毯・陶器売りにつかまりました。土産は買うつもりが無いときっぱり言うと「面白いね。バイバイ」でおしまいでしたが。でもその後、その前を通るたびに声をかけてきます。 後は睡眠薬強盗ですか。遭いたくないですな。 街はさすがに歴史のある街で、きれいで、すごく雰囲気がいいです。そこらに城壁の跡とかあるし。外国人から見た京都とかこんな感じなのかなあ。観光とかはまだ行ってませんが。 とりあえずすぐにでもヨーロッパに入るつもりだったんだけど、週明けまでイスタンブールにいることにしました。気に入ったとかいうのは置いておいて(どうせまた帰ってくるんだし) 、アジアの最後の方で左足の内くるぶしを打って、痛いので化膿してないかとか骨に異常がないかとか、医者に見てもらおうかと思って。せっかく医療費無料の保険に入ってるんだし。で も、それに連絡するためのJCBが土日休みなんです。痛いと言っても何もしなければ何ともなくて、立つときに痛いくらいで普通に歩けるんですが。 |
2002年10月06日 03時04分33秒
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