ほろほろ日記
東南アジアを出るまでです。

2002/09/19
バンコクからイスタンブールに行くのにガルフエアラインを使ったので、バーレーンで一泊することになりました。
飛行機が3時間遅れ、ホテルに着いたのが午前三時。こんな時間でも、町中の店は動いてて、客も入っています。
それとこの国、イスラムじゃないのか? 深夜とはいえ、テレビのコマーシャルでポルノががんがん流れてるのはいいのか?
2002年09月21日 20時43分07秒

2002/09/18
ラオスから帰ってきました。また南部に行ってきたんですが、雨季で水量が激増してました。観光名所の滝は迫力は増してたけど、予想通りきれいさは落ちてました。
今回は親父に捕まって三日連続で同じ話しを聞かされて閉口したりして、子供と遊ぶ時間が前回より少なかったけど、それでも別天地には違いなかったです。いやあ、楽しい。
一日400円くらいですごせるし。
これから西に飛んだら物価の高さにぶちのめされるんだろうなあ。そうです、明日の夜出発です。飛行機慣れてないからちょっと怖いな。無事着きますように。てか、明後日寄航するバーレーンってどんな国だ?
次回の更新はヨーロッパからです。
2002年09月18日 23時14分39秒

2002/09/09
ちょっとラオスに行ってきます。
いえ、本当にちょっとです。一週間ほどですから。
飛行機待ちの間にタイのビザが切れてしまうのでその対策です。この旅の間にラオスを再訪しようとは思ってもいませんでした。お気に入りの国なので嬉しいんですがね。
前行ったのは乾季の終わりごろで、今は雨季のど真ん中ということで、どう変わってるのか見てくるつもりです。
その間、ネット環境がないことはわかってますので更新はありません。
2002年09月09日 18時35分56秒

2002/09/03
只今バンコクでチケット&ビザ待ちで暇してます。そんな訳で今日は雑談ネタ3題。

1 頭タオル
今さら気付いたんですが、日本人旅行者(特に若い男)って、頭にタオル等の布を巻いてる者がやたらに多くないですか? まるで日本の伝統文化であるかのような多さです。タイ人も、欧米人旅行者も、そんなスタイルの人はほとんど見かけないのに。なぜ日本人ばかりがこんなに大勢? 何か実用的なメリットがあるのか? それとも単に格好いい(と思ってる)のか?
解らない。解らないよぉ〜。

2 贈る言葉
歩きながら歌を口ずさむ事ってありますよね。たまたま海援隊の「贈る言葉」を歌ってたんです。好きな歌なんですが、海外旅行者には絶対同意できない部分がありました。
「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい」
海 外 で そ れ は 自 殺 行 為 で す

3 古本
旅の途中、暇を持て余す事はちょくちょくあります(そういや欧米人旅行者って、長時間移動になるとすぐにCDを聞いたり読書したりで景色を見ないよなあ。なんでだろ。閑話休題)。
そういう時の為に古本屋で文庫の小説等を買い込むんですが、これが結構高く付きます。一冊約200円から500円と、大体日本で買うのと大差ない値段がします。旅に出てから本代に数千円は使ってます。これは痛い出費です。そこで、思い切って英語の小説を買ってみました。ロードオブザリングの第一巻。一冊で約1000円と高かったですが、日持ちは相当するでしょう。果たして帰国までに読了できるでしょうか? 僕は途中で放り出すと思います。
2002年09月03日 23時56分00秒

2002/08/30
バンコクに戻ってきて10日経ちました。
やっと、次の動きの予定が立ちました。
9月の下旬にトルコのイスタンブールまで飛びます。いやあ、飛行機のチケットって、格安でも高い高い(憎
それまでかなり時間があるので、タイのイサーン(東北部)かラオスに行ってこようと思います。てか、飛行機の出発がタイのビザ期限より先だから一度どこか他の国に行かないとならんのですわ(汗
2002年08月31日 00時56分49秒

2002/08/20
てなわけで。
バンコクに戻ってまいりました。
てか、日本人多すぎ。バタワースの車内からすでに日本語が氾濫。マレーシアで今までほとんどいなかったかったから余計に耳に付きます。
僕は向かいの席になったドイツ人のおっちゃんとだべってました。19年前日本に行った事がある日本好きだけあって、日本の事にかなり詳しい。やっぱ、海外に出る日本人に必要なのは、世界史よりも先に日本史、日本地理だと実感。いや、その二つは僕の好きな分野なので僕は大丈夫でしたが。
ただこのおっちゃん、下ネタ大好きで、朝晩問わず
「カメラマンの荒木は日本ではどれくらい有名なのか」
「裸の女性をロープで縛る写真、あれはいい。日本独自のものだ。日本ではああいうのは普通なのか」
「そういう写真を主に載せている日本のセクシャルマガジンのタイトルを知らないか。取り寄せたいんだ」
とか、彼の欲望はとどまる所を知りませんでした(笑)。

そしてバンコク。さらに日本人だらけ。前居た時、こんなに居たっけ? しかも、東京にでもいそうな格好のカップルとか、逆に浮浪者かと疑うような汚い格好の者が目に付きます。ううう、カルチャーショック。
さあて、それはそれとして、久しぶりの豚肉とビールでもいくか。
2002年08月20日 19時06分15秒

2002/08/19
マレー人の友人ケビンと一緒に、夜行バスでバタワースに来ました。てか、深夜二時半に出といて、六時半に着くって速すぎ。深夜便は着時刻を考えてくれよー。バス自体は3列リクライニングシートで快適でしたが。
ケビンのカンパニーハウスで休憩。記念にといっぱいVCDをくれる。嬉しいんだけど、CDとはいえ量がかさむと重いんだよお。僕はまだまだ旅を続けるんだし。
そのケビンに、「マレーシア、特にクアラルンプールでこんなにゆっくりした日本人は初めて見た」と言われてしまった。確かにそうかもしれん。
長かったマレーシアもこれで(一応は)おしまい。マレーシアが長かったので、南タイはなし。バンコク行きの夜行列車で一気にバンコクに戻ります。
さて、この後、どこに行こう・・・
2002年08月20日 18時50分06秒

2002/08/17
マレーシアの独立記念日は8/31なんですが、今日の夕方、ムルデカスクエア(独立広場)で独立記念の祭りがあるとのことだったので見てきました。
途中からだったので、セレモニー的なものが会ったのかどうかは分かりませんが、凄い人出でにぎわってました。でっかい芝生広場が人で埋まり、特設ステージではショウが、周りでは人やバイク、車のパレードが・・・花火もありました。面白いのは、日本の祭りと違い、出店が全くなかった事ですかね。
2002年08月20日 18時41分15秒

2002/08/15
さて、まだマレーシアはクアラルンプールにいるわけですが。
その間何をしていたかというと、東南アジア以降の道筋として、行った人はみな誉めるフンザに行こうかとパキスタンビザを取得すべく、パキスタン大使館に通ってました。で、駄目でした。
タイでは取得できないという話だったし、インドには行く気が失せてたしで。ビザを取るためにバングラデシュかネパールに行くというのも本末転倒な話ですしね。マレーシアでは取れるも取れないも何も情報がなかったので、チャレンジしてみてたんです。
受け付け窓口は一つで、いつ行ってもたくさんのパキスタン人が順番待ちをしてました。受け付けは一人の気のいいおっちゃんだけ。数日にわたってそのおっちゃんと交渉してました。まとめるとこんな感じ。

「日本人なんですが、ここでビザは取れますか?」
「イエス」
「一ヶ月のツーリストビザなんですが」
「え、君この国で働いてるんじゃないの? うーん、去年の9/11以降、第三国人にはビジネスビザしか発行してないんだよ」
「そうですか。残念です」
「いやいや、でも君のようなケースはそんなにないから、書類を出してくれたらボスに聞いてみよう。添付書類は写真二枚ね」
「じゃあ、お願いします」
で、結果は。
「うーん、済まないねえ。この国で君に出せるビザだと3、4日間しかパキスタンに滞在できないよ」
・・・えーと、それってトランジットビザということでつか?

というような分けで、マレーシアを抜けてタイに戻った後、どこに行くかはまだ未定です。
本当にほろほろしてるわ。
2002年08月15日 22時56分51秒

2002/08/12
やっとクアラルンプールに戻って来ました。7/19以来です。
ホテルのスタッフも、行きつけてた屋台やネットカフェの人達も、皆僕のことを覚えててくれました。嬉しいんですが、意外でした。
2002年08月12日 20時56分06秒

2002/08/11
えーと。
今日は日曜だったんですね。タジクチニ湖畔にあるカンポングムンを発ち、クアンタンまで戻って来たのはいいんですが、クアラルンプール行きのバスチケットが取れませんでした。いや、取れないことはなかったんですが、クアラルンプール着が午前0時過ぎって、あんた。ホテル探しが大変やないの。
ということで、今日はクアンタンで一泊して、明日クアラルンプールに向かいます。
なんだかんだでクアンタン、結構滞在したなあ。
2002年08月12日 20時53分58秒

2002/08/10
当初の予定では、今日クアラルンプールまで戻るつもりでしたが、気分と手配の都合がつかず、村で子供と戯れ、溜まった洗濯物を片付け、後はごろごろと転がっていました。
2002年08月12日 20時51分11秒

2002/08/09
ラジャンさんに「ここのジャングルは天然だ。公園じゃないぞ」と勧められ、一日だけジャングルトレッキングをすることに(本当は二泊三日のを勧められたんですが、山の中で泊まるのがどんなものかよく知ってるだけに踏み切れませんでした)。
ジャングルといっても、タマンヌガラでそうだったように、オリエンテーリングで藪藪の西日本の山の中に入りつけている僕には、山歩き自体はフローラ(植物相)の違い以外、そんなに特別なものではありませんでした。6時間歩きましたが、常にガイドのラジャンさんが先頭で邪魔な木々を切り払ってくれたし、半分くらいは2号か3号の道を歩きましたし。
それでも、このトレッキングは日本では味わえない独特のものでした。オイルツリーという、火をつけると樹液だけが燃える木を見学したり、オランアスリ(マレー半島先住民)が主食にしているパームツリーという、70M程になる木を切り倒し、その柔らかい幹(実ではない)を食べたり、名前は忘れましたが特定の蔓科の植物を切ると、その幹から飲める水が沸きだしてきたり(木の風味がついていましたが、おいしい水でした)、ジャングルドリアン(野生種のドリアン)を食べたりと、生のジャングルをガイドの人とともに歩いたからこそ体験できたことが山盛りでした。
半分以上スコールにたたられましたが、この日のトレッキングは、得難い貴重な体験でした。
2002年08月12日 20時47分56秒

2002/08/08
ここの宿は、宿泊料金の中に食事代が含まれていて、しかもサービスでモーニングティー、イブニングティーが出るので、のんびりするなら一日18リンギットぽっきりで過ごせます。
今日は蓮の花が湖面にひしめき、湖の場所によって湖面の色が違うというタジクチニの観光です。せっかくなので、雰囲気に浸ろうと、カヌーで漕ぎ出しました。が、慣れないことはするもんじゃないですね。同室のトムと二人で漕いだのですが、全然まっすぐ進みません。始めの一時間ほどは、船着き場の近くでぐるぐると円を描き続けてました。
それでもなんとか進めるようになり、奥深くに分け入っていくと、そこは外界と隔絶された世界でした。湖面を蓮が埋め尽くすというのは大袈裟ですが、ある所には蓮が群生し、多くの蓮の花が咲き誇っていました。湖自体あまり深くないようで、主に倒木からなる湖底が手の届きそうな所に広がっていました。そして、本当に湖の場所によって湖面の色が茶、黒、透明とその表情を変えて、幻想的な雰囲気を醸し出していました。
三時過ぎ、スコールに追われるようにして湖から上がりましたが、意義深い一日でした。
2002年08月12日 20時30分40秒

2002/08/07
やって来ました、タジクチニ(チニ湖)。クアンタンからバスで一時間半、そこからタクシーで20分。想像してたより簡単に辿り着けました。
TICで紹介されたゲストハウス「Rajan Jones House」は野趣豊かな建物。たまたまバスで一緒になったオランダ人とシェアすることに。宿の主人のラジャンさん、僕が日本人と分かると「Oh,Japanese never come!」と叫んだ。ゲストハウスを始めてから、日本人客は僕で二人めらしい。去年女性が一人来た(多分『歩き方』のスタッフ)だけだとか。ここってそんなにレアな所だったんですかあ?
食事を取るダイニングホールは部屋から歩いて10分、村を横断した湖のほとりにある。太古の姿のまま今に残るタジクチニは確かに素朴できれいなところでした。湖の側にある人工物は、リゾートの建物がちょっとだけで、純粋な自然の中にある湖です。そのおかげか、驚くくらい静かで落ち着いた、いい所です。
夕方、新たに二人の客が到着。なんと、タマンヌガラとそれに続くジャングルとレインで一緒で、プルフンティアン島でも会ったフランス人女性二人組。奇縁というのはあるもんです。
2002年08月12日 20時16分10秒

2002/08/03
はい、クアンタンにやって来ました。動く時にはガンガン動きますよお。
この町は、クアラトレンガヌよりも活気を感じますね。どっちが好きかと聞かれたら困りますが。安宿のいいのが見つからない(引きが弱い)のが困りものですが。ツーリストインフォメーションセンターも、週末は休みみたいだし。
でも地方都市は性に合います。なんか物淋しいのが辛いですが。

それと、つくづく日本人に見てもらえません。
現地人が『日本人か?』と聞いているのに、そばにいた日本人旅行者が、『この人は違う』とばかりに、力いっぱい首を横に振るし、ふらっと入った食堂では、こっちが英語で『すまんけどマレー語は分からんのや』といっているのに、マレー語でまくしたてられるし。
ま、こんな経験も、アジアにいる間だけでしょうがね。
2002年08月04日 21時26分34秒

2002/08/02
人口の95%がマレー人の町、クアラ=トレンガヌ。正直なところ、あまりアグレッシブに来ようと思っていたわけではありませんが、来ています。
プルフンティアン島から本土に戻ったのが午後4時前と遅く、僕以外の旅行者は全てコタバルに戻っていきました。桟橋に詰めているタクシーの運ちゃんたちもコタバルにいってほしそうです。『クアラトレンガヌもクアンタンも、一旦コタバルに戻って、明日移動したほうがいいよ』なんて言ってきます。
でも、僕はコタバルに戻る気はありませんでした。手近のバスステーションまで連れていってもらうことになりました。
コタバルより近いのに、タクシー代はコタバルへの倍。でも満足でしたが。パシプテという町のバスステーションでは、もう遅いので、ホテルを取る手間も考えて、クアラトレンガヌまでの切符をかいました。
けど、これが正解。この町、広々してて落ち着いてて、実にいい感じです。明日には抜けてしまうのが惜しいくらいです。
2002年08月04日 21時16分56秒

2002/08/01
マレー人が口を揃えて褒める、プルフンティアン島。リゾートには関心があまりないのですが、どんなものかと見にきました。
確かにすごい。ものすごくきれいです。船の上から、海底がこんなにはっきり見えるなんて、初めてです。
シュノーケリングで熱帯魚を見るのも楽しい経験でした。ビーチを独占している宿に泊まったせいか、食事がやけに高かったですが。
カンボジア、ラオスで散々日焼けしているので、全然痛くならなかったのも心地良い体験でした。
2002年08月04日 21時04分58秒

2002/07/30
マレー半島東海岸の町、コタバル。
なんというか、典型的アジアの地方都市という感じですね。
体調がいまいちな上、ここの前のタマンヌガラが良すぎただけに、どうしても辛い点になってしまいます。
さらに、泊まった安宿では、蚊に刺されまくって夜中に飛び起きる羽目になるし(マラリアとか大丈夫だろうな)、立ち寄った屋台では作り置きの冷めたチキンを出されるし、早朝からそばのバスステーションのアナウンスで叩き起こされるし、夜、車の撥ねた水をもろに被るし、先月タイで買ったばかりの鞄がもう破れるし、デジカメは熱暴走を起こして入れ替えたばかりの充電池を速攻で空にしてくれやがるし。ぼろぼろです。僕は、どうもこの町では験が良くないようで。
嫌いじゃないんですが、長居しない方が良さそうです、どうも。
2002年07月30日 19時41分44秒

2002/07/28
いやあ、ここはいいですわ。ジャングル内トレッキング、世界最長キャノピーウォークウェイ、コウモリいっぱいテリンガ洞窟。
町を変わってから書いているんでさらっと流してますが、行ってみる価値はありますよ。
でも、僕としては、それよりもその脇にあるタマンヌガラの村が良かった。居心地がすごく良くて。かわいい猫とかわいい子供、フレンドリーな大人達。今のところ、今回訪れた町の中では二番目に気に入ってます。もっといたかったかも。
でも、39度の熱を出したり蜂に首筋を二度刺されたりと結構な目にも遭ってるんだよなあ。
参った参った。
2002年07月30日 19時28分02秒

20002/07/23
今日の鈍行でジョホールバルを離れ、ジェラントゥット(Jerantut)に来ました。マレーシアの鉄道は、長距離線はたいして走ってないんですが、リクライニング、冷房と、日本の特急レベルの車両でした。よくすいてたし、半分くらいうたた寝してました。

ジェラントゥットはタマンヌガラ(国立公園)への窓口の町ですが、「歩き方」でまともに扱われていないせいか、日本人が珍しいようで、「ジャパニーズ?」と今日一日で何度も聞かれました。町自体も小さく、中心部は30分もあれば大体見てまわれました。建物が古めなのが多いのも、地方の小都市らしい。今日の宿は1泊7RM。昨日とはえらい違いだ。約21分の1ですから。
2002年07月23日 23時41分55秒

2002/07/21
ジョホールバルにいます。
骨休めとして、思い切って高級ホテルに泊まってます。ホテル名は、「GRAND BLUE WAVE」はい、オリックス系列です。ホテルのロゴもおなじみのやつです。日本なら1泊2万円くらいしそうなスイートですが、ここは420RM(僕はクレジットの恩恵で175RM)(1RMは約33円)で泊まれます。確かに凄いんですが、リビングルームなんて使わないよお!

今回の旅行で、必ず行こうと決めていた所があります。その一つがここ、タンジュン・ピアイです。全然有名ではないですが、ユーラシア大陸最南端です。有名ではないにも限度があり、そこへはバスは走っておらず、タクシーで行くしかないというのです。片道75キロ、拘束時間4時間半、6000円ほど使ってしまいました。(バンコクからクアラルンプール、シンガポール、ジョホールまでの鉄道代を合わせてもそんなにかかってない)
でも、今、国立公園の整備中でしたので、近い将来行きやすくなるかもしれません。
ジャングル、マングローブ林、干潟と海に近づいていき、南端。記念碑とかはありませんが、ここがユーラシア大陸の一番南かと思うと、感慨が湧いてきました。すぐ向こうにシンガポールやインドネシアの島が見えている事実はこの際無視です。

そういう散財を、ここジョホールバルではしています。
2002年07月23日 23時33分01秒

2002/07/19
今回の旅の予定中最南端、シンガポールに来ました。
シンガポールには、クアラルンプールからマラッカに付いてきたドイツ人がさらに付いてきて、ちょっと閉口しました。なんでそぞろ歩きに勝手に付いてきて、「俺はこの国は好きになれないな。そう思わないか?」とか言ってくるんだろう? 僕は楽しんでるんだ!
調べるとあちこち行きたくなりそうだったので、何も調べずマーライオンだけ見ようと思ってました。散々がっかりすると言われてたためか、確かに小さかったけど、あまりがっかりしませんでした。けど、マーライオン公園を整備中で、側に行けなかったのは残念でした。
町中も、チャイナタウンとかは他のチャイナタウンとはまた違うムードを持ってるし、発展してて、妙にきれいで。独特で、面白かったです。

さすがに物価は高めで、ドミトリー宿(確かにすごくきれいだけど)一泊17シンガポールドルもしました。
さすがたばこぽい捨てとかが犯罪で、罰金も相当額になる国だけあって、きれいでした。淡路島と同じくらいの面積で、東南アジア一の発展を誇ってるだけあって、都市部と近郊部はありましたが、郊外や田舎は見当たりませんでした。
地下鉄とバスでは、機械にかざすだけでいいチケットが実用化されており、最新のLRTという鉄道では、住宅街の中を通るため、マンションのすぐ側を通るとき、そちら側の窓ガラスが白く濁り、プライバシーを侵害しないような仕組みになっていました。

一泊で抜けてきましたが、日本人が山のように行くというのも分かる気がするシンガポールでした。
2002年07月23日 21時11分01秒

2002/07/16
今日はマラッカです。
同室のマレー人、ケヴィンの好意で35RMで日帰りできました。
確かに歴史のある町ですが、今は観光都市の風情です。ま、僕としては一日で問題なしだったかな。
2002年07月23日 20時57分14秒

2002/07/15
今日はちょっと遠出をして、ポート・クラン、クタム(吉胆)島に行ってきました。
クアラルンプールから鉄道で約一時間、緑が増え、いかにも郊外という町並み、側には海が近く、流れが緩やかになった川。そんなところからボートに揺られて45分、クタム島に着きました。
この島には車が一台もなく、代わりにエンジン付き自転車(原付のことではありません。本当に普通の自転車に小さなエンジンをつけただけの代物です)が活躍しています。というのも、この島の道は、縦横無尽に張り巡らされた桟道がそのまま使われているので、そもそも幅が足りず、しかも主要部分以外では木製桟道が現役でばりばり活躍しているので、強度に至っては全然足りないのです。だもんでこの町での交通機関は足、自転車、エンジン付き自転車、船というわけです。
またこの島はどうも中華系ばかり住んでいるらしく、看板には英語と中国語、飛び交う言葉は中国語、ムスリム女性は一人も見かけない、という状態でした。まあその分食堂はおいしく、中国茶とチャーハンはおいしくいただけました。
片道二時間の小旅行ですが、充実した一日でした。
2002年07月15日 21時06分25秒

2002/07/12
クアラルンプール、気に入りました。なんか波長が合います。ということで、まだまだクアラルンプールです。
今日は世界最大という、バードパーク(鳥類公園)に行ってきました。入場料はかなり高い(22RM!)ですが、それに見合う公園でした。
広大な敷地をネットで囲い、安全な鳥はその中で放し飼いにしています。そこらを孔雀やサギやフラミンゴが闊歩しているんです。壮観ですよ。ダチョウって大きいですねえ。びっくりしました。そして、さすが熱帯。極彩色、原色のカラフルな鳥がいっぱいいました。赤、青、緑、黄色。なかでも、青と黒のツートンカラーの鳥と、体がウグイス色で、翼を広げると羽の裏地が赤の鳥がきれいでした。
2002年07月12日 20時25分05秒

2002/07/07
七夕ですね。関係ないですが。

クアラルンプールは緑が多くて過ごしやすく、かつ、見所が多いです。しかも、今発展まっ只中なので、数年後にはまた別の街になってるのではないかと思います。
今日は独立記念広場と歴史博物館、都心のレイクガーデンにいってきました。世界一の国旗掲揚ポールに驚き、博物館ではマレーシアのたどった歴史に思いを致し(日本軍のコーナーには自転車が置いてありました。そう、銀輪部隊です。)公園内の歩道には、歩く人の健康を考えて、クッション素材が使われていてびっくりしました。鹿園、ハイビスカス園、オーキッド園、バタフライ園、バードパーク、プラネタリウムなど、いろいろあります。後ろ二つは時間がなくてみてませんが。
2002年07月07日 19時36分46秒

2002/07/05
一泊しました。
それにしても暑いです。気温自体はタイランドと変わらないはずなのに、汗がぽたぽた落ちてきます。冷房のきいた施設が多いせいかもしれません。 宿もユースだからよく効いてますし。でもやっぱり、他人と同じ部屋で寝るのは落ち着かないですね。煙草は吸われるし、夜中にごそごそされたら目がさめてしまうし、朝も上のベッドで寝てるので、一人先には起きにくいし。知り合いが出来るのはいいんですが。

マレーシアは、バイタクの類はないんですね。えんじん音や客引なんかでうるさくなくて有難いです。
2002年07月05日 14時49分41秒

2002/07/04
無事にクアラルンプールに入りました。
ここはインターネット環境が少し遅れていて、IMEが入っていないのでやりにくいです。
宿はユースホステルです。昔乍らという感じで、余りきれいではありませんが、他の安宿は好み的に、もっと汚いうえにうるさいところにあるので、まだましと思わないといけないようです。やはりマレーシアは物価が高いです。
見ておくべき所が多いので、しばらくこの町にいると思います。

ここでは鉄道が普通に市民の足として活用されてます。こんなの、旅に出て初めてです。
それと、見たこともないジュースがたくさん売られてます。色々試す楽しみができました。
2002年07月04日 15時28分41秒

2002/07/03
マレーシアに入りました。
イスラム国ということで身構えてた面があるんですが、入ってみると、ある面タイより日本的でなじみやすい雰囲気もある国でした。初日の印象は上々です。

今はバタワースを通ってジョージタウンにいます。海沿いの町だからか、暑さがタイとは違います。どちらかといえば日本的な蒸し暑さです。つまり。「暑くて堪らんわい」

ジョージタウンはムードのいい町です。海は緑(青くないんです。これがエメラルドグリーンてやつなんですかね)、古い家々は赤茶けた屋根を並べ、その中に近代的な高層ビルがにょきにょきと生えています。長居をする旅行者がいるのも納得の穏やかな町です。
僕も、すぐに出るのが惜しくなりました。でも、今日の夜行で首都のクアラルンプールに行きます。マレーシアに入ったばかりであまり引っかかっているわけにはいきませんから。それにビーチリゾートは興味ないし。
後で他のところは大した事がなくて、どうしてもここが悔やまれるとなれば、また来ることもできますから。
とは言っても、時間の関係で諦めた蛇寺はちょっと残念でした。
2002年07月03日 18時24分47秒

2002/06/28
移動用の大カバン買いました。
今のはもう限界だったもので。まあ、12年も使い倒しましたから、大往生と言えなくもないんですが。
今週はずっとこれにかまけてましたよ。
日本製がよかったんだけど見つからず、アウトドアショップも探したんだけど見つからず、結局革とカバンの小売店で買いました。コピーではなく(そう、タイはコピー天国)オリジナルで、しっかりしたのを買ったつもりですが、カバンについては詳しくないのでなんとも言えないです。しばらく使ってみないとわかりません。一度ホテルに戻ってから気が変わり、品物を交換してもらいに行ったら対応してくれたので大丈夫かなとは思いますが。
ちなみに、せっかくの機会なので85リットル+15リットル入る大型を買いました。今までのは40リットル。ヨーロッパに行って防寒着とか買っても何とかなるかな? 値段は13000円ほどです(3500バーツ)。同じようなのを胡散臭い屋台で買えば5000円ほど(1500バーツ)で買えたんですけどね。日本で買えば20,000円は楽に越えるサイズのものなので、良しとしましょう。
2002年06月28日 23時39分45秒

2002/06/27
今日は伊勢丹で眼鏡の調整をしてもらってきました。
眼鏡の三城の支店がバンコクにもあって、日本人スタッフがつめていました。
国内の支店と同じく、調整だけだと無料でした。
うっかりと上に二度ほど寝転んでしまい、ぐらついてたところだったので助かりました。

とてもバンコクの日記とは思えない。
というか、三城って世界第三位の眼鏡チェーン店だったんだ。知らなかった。
クアラルンプール、シンガポール、フランクフルト、デュッセルドルフなんかにもあるんだと。パリだけかと思ってました。
2002年06月28日 00時06分25秒

2002/06/22
しばらくタイにいるので、カンボジアでプノンペンを出て以降のことをざっと書いておきます。いろいろあったんです。

○プノンペン→シアヌークビル
ここが二度目のカンボジア行きの眼目でした。カンボジア国鉄。
路盤が悪く、ろくに整備もされておらず、こっぴどく揺れ続けて時速20キロも出ず、客車は貨車の後ろにおまけのようにつけられた1両のみ、床の板の合わせ目からは地面が見え、窓ガラスはなくスコール時は濡れ放題、室内灯もなく、夜は町明かりも星明りもないときはまさに真っ暗闇で、車掌が懐中電灯を持って巡回するというぼろ列車で、バスなら4時間もかからずにつくところを、朝の9時半(定刻から3時間遅れ)に出て、翌日の午前1時につくというすさまじさでした。

○シアヌークビル(ポルポト時代はコンポンソム)
作られてから50年ほどしか経っていない新しい町で、コンビナートがあったり、大作りな町のつくりといい、カンボジアとは思えませんでした。シーズンを離れていたためほとんど人がいませんでしたが、リゾート地として知られているだけあって海岸はとても美しく、すごい遠浅で、ごみもほとんどなく、いいところでした。
けど、またいやな目にあいました。今回はひったくりです。
日の沈んだ海岸沿い、人気のない道路を連れとホテルに急いでいると、背後から近づいてきた二人乗りバイクの後ろの者が、僕のかばんを引っつかんで逃げようとしたのです。かばんは首からたすきがけにしていたので取られることはありえなかったのですが、強度がもろく、破れて中身が飛び散ってしまいました。結果、被害はかばんだけで済みましたが。そのかばんも買い換えないといけないほど、もともと破れてましたし。
それにしても、とっさの行動は慣れないとできないものです。その時にかばんを掴み返さず、相手の腕を取って腋固めに入るか逆にひねるか、あるいは相手の肘間接を伸ばし、外からどついていれば簡単に撃退できてたんですがねえ。
また、この町で日本対トルコ戦を見たのですが、試合終了後、バイタクのあんちゃんたちが口々に「ジャパン、ルーズ」と嫌味を言ってくるのには閉口しました。まずわが身を振り返ってみろってんだ!

○シアヌークビル→バンコク
カンボジア国境のココンの町まで海をボートで行きました。ガイドブックにもありましたが、外海を走るだけあって酔いかけるほどよく揺れました。鉄道と同じ位。
それはいいんですが、国境が外国人に解放されてから日が浅いせいか、カンボジア側の国境近くの客引きはたちが悪いです。ココンからさらに国境近くまで行くボートはカルテルを組んでるんでしょう、3ドルも取るし(20分の乗車時間と物価から言って1ドル程度が適当)、そこから国境までのバイクタクシーは人の荷物を勝手に奪い取って自分のバイクに乗せようとするし、20バーツ(60円)でいいようなことを言っておきながら、途中で「1キロにつき20バーツだ。国境まで10キロあるので200バーツよこせ」と言ってきて、断ると途中でバイクを停めるし。ここも相場は1ドルです。ぼるにしても、やり方が下手です。タイを見習って欲しいものです。
そのタイ、外相会議期間中なためか、警備が厳重でした。かばんを開けて荷物チェックなんて、陸路国境では初めてです。でも日本人は信用があるのか、あっさりしたものでしたが。入国のイミグレの人も「ジャパニーズ。Good!」と、チェック中ずっと「Good!」を連呼してましたし。

とまあいろいろありましたが、なかなか得がたい経験をいっぱいできました。サッカーでは日本がトルコに敗れたため、タイで日本戦を観戦できなくなったのが残念ですが。
2002年06月22日 22時03分56秒

2002/06/13
ワットウナロムというお寺を見てきました。工事中でしたが、他に観光客がいないとの事で見せてもらいました。なんでも、盗難が多いお寺だそうです。大変だ。
ここのお坊さんは日本語を勉強していて、ひらがなは問題無く書けるレベルでした。今の時期、日本人観光客が少なくて勉強できないと言ってました。せっかくなので、「無職」という言葉を教えてあげました(爆)

最近目がしょぼつくと思ったら、疲れ目でなく陽射しによるものだそうです。うっかりしてました。明日からサングラス掛けよう。

あと、人から勧められて、こんなのをやってみた。続くかどうか解らないけど、よければ見てみてください。
http://www.dokonano.com/nobushi/
2002年06月13日 22時57分37秒

2002/06/12
プノンペン観光中です。

前回刑務所博物館には行ってたのですが、今回、キリングフィールドに行きました。刑務所から15キロ、足枷を付けた状態で歩いてきた服役者が処刑されたところです。その数は、数万人とも言われています。慰霊塔の中には9000近くの頭蓋骨が収められています。周囲の地面の中には発掘されないままの遺体も数多くありますし、あたり一帯が芝生で覆われて、マイルドなムードを作り出しています。いろいろ考えさせられるところでした。

日を替えて、王宮にも行きました。そんなに名高いというわけではなかったのですが、行ってみると良かったです。精緻で壮行な建築物、おもちゃのような小仏像、壁画。これで3$は安いと思いました。クメール文化は最盛期のアンコール遺跡だけじゃなく、今も息づいているんだという事を感じました。

それと、町を歩いていると、この町では「女、大麻」と声をかけられる事が多いのですが、今日、「散髪」と声をかけられました。確かに全体的に立った状態で伸びてます。日本を出て2ヶ月半、そろそろなんでしょうか。もう少しすれば寝てくると思うんですが。

次は、シアヌークビルに行く予定です。列車を予定しているのですが、これが毎日走っているわけではない上に、駅が遠く、しかも朝6時半発という事で、行けるのがいつになるかよく解りません。今週中には行くつもりをしてますが。
2002年06月12日 23時09分27秒

2002/06/10
日本はワールドカップで盛り上がってるようですが、こっちもなかなかの盛り上がりです。僕も例に漏れず、昨日はテレビにかじりついてました。

プノンペンの街を散策していると、他の街との差異を際立たせる物として、生ゴミの匂いを上げざるを得ません。メインストリートではさすがにそうでもないですが、少し細い通りに入ると一発です。生活の匂いとでもいいますか。

今日は鉄道駅とワット・プノン(プノンペンの名前の元になった、小高い丘の上にあるお寺)を見てきました。カンボジアの鉄道って、国鉄といいつつ、「Royal Rilway」なんですね。王鉄とでもいうか。

ラッキーバーガーは思いのほかおいしかった。
2002年06月10日 22時59分54秒

2002/06/08
プノンペンにやってきました。
やはり大都市です。この町だけ車が多いし。

途中の道はものすごかったですが、ビジットカンボジアイヤーに向けて、舗装が急ピッチで進んでます。10年後には観光客が通る道は良い道だけになってるかもしれませんね。

それにしても、やっぱり大陸。360度の地平線視界が何時間も続くんですからたまりません。
地平線に沈む夕日はいいもんですよお。
2002年06月08日 22時47分22秒

2002/06/06
やはりシェムリアップはいい町です。
昨夜、バスルームに入ったら、サソリがいました。本物の。慌ててつかまえてトイレに流しましたが、驚きました。配水管から入り込んだ模様です。いるんですねえ。写真、撮っておけば良かったかな。
二ヶ月前と違い、やはり雨季です。前回地平線まで茶色の荒野だったのが一面の野原になってるし、湿気がものすごく、スコールも日に数度降るようになってきました。屋外の観光にはちと厳しくなってきました。
すぐ眼鏡も曇るし。
2002年06月06日 19時50分44秒

2002/06/04
お久しぶりです。
住民税・国民年金とかの支払いを考えてしまうと即座に帰国しないといけないのかと落ち込んでゆくばかりで前向きなことは考えられません。

バンコクでちょっと体調を崩しました。が、なんとか治り、アランヤプラテートに移動してカンボジア入りし、当初バッタボンの予定を変更して、またシェムリアップにいます。
なにやってんだか。

いかん。やはり日本で巨額の引き落としがあることが引っ掛かって、明るい気持ちになれません。今日はこの辺で。
2002年06月04日 22時58分55秒

ラオス南部2
ラオス最南部、シーパンドン(四千島)地方。
幸せなところでした。
コーン島のムアンコーンというところが中心地らしいのですが、せっかく田舎の方に行くのだからと、公共交通機関も通ってない、コン島に行きました。この島は、鉄道跡やリーピーの滝など、どの道観光に訪れる事になる島だったのですが、良かったです。
電気も水道もなく、明かりは発電機、オイルランプ、ろうそく。水はタンクの水。アスファルトなどもなく、メインストリートも幅一メートルほど。
こう書くと凄そうですが、ぜんぜんそんな事はなく、とても過ごしやすかったです。
滝も良かったですが、そもそも幅14キロという広大な範囲の中に、島と水路が混ざり合う、独特の自然環境と、その中で暮らす人々の素朴で温かい人柄。誰彼構わず笑顔で挨拶してくれ、行き付けの食堂では、最後の日に「幸運を」と、手首に紐を巻いてくれました。
また、子どもが大変多く、それがまたかわいくて屈託がないという。楽園かと思いましたよ。
よく、田舎の方を誉めるのに「何もないところ」と言いますが、ここに関してはその言い方は当てはまらないなと思いました。
ここの人達は、必要なものは既に十分持っているのですから。
2002年05月28日 15時57分42秒

ラオス南部1
ラオス南部の中心地、パクセ。
といっても小さな街で、人口数万の町の中心部といった感じです。けど、高いビルも新しい建物も街灯もいっぱいあって、人通りは少ないけど活気はあります。サバナケットとは比べ物にならないです。

パクセから一二時間の所にある、かつてラオス南部の中心都市だった、チャムパサック。とはいっても、村レベルしかありません。ただ、道沿いに続く家並みが長いので、そうだったのかなと思うくらいで。この町はメコン沿いにあるので朝日、夕日がすごくきれいです。

そこから数キロの所にある、崩壊している遺跡、ワット・プー。クメール遺跡らしいのですが、アンコールの規模と比べると、ささやかなものです。けど、森の中にあるあっちと違い、開けた平原の中に、崩れかかった遺跡が立っている様は趣にあふれ、また素晴らしいものです。一度は行く価値があるでしょう。
けど、一度だけだと「この花を仏様に供えるのよ」「こっちに行けば本堂よ」「カメラでこの景色を撮るといいよ」「それよりカメラで私を撮って」と群がってくる子供に対応するのに手一杯かもしれません。それはそれで楽しいんですが。

そうそう、ラオス南部全体にいえる事ですが、子供がえらく多く、また、ものすごく可愛いです。

最南部、シーパンドンについてはまた次回。
2002年05月27日 23時20分05秒

2002/05/27
久しぶりにぐっすり寝ました。同じ宿で、4月は暑くて眠れたもんじゃなかったので、やはりタイの暑さのピークは去ったようです。

伊勢丹に行ってきました。なんか日本にいるような気になってきます。
今日は散財しました。
古本を4冊買って180バーツ(540円)、映画スパイダーマンを見て120バーツ(360円)、懐中電灯と充電池(無くしたもので)合わせて350バーツ(1050円)。
日本円で考えると使ってないなあ・・・
タイの映画は、始まる前に国王に敬意を表して客が起立する習慣があるんですね。知らなかった。
2002年05月27日 22時50分17秒

2002/05/26
今朝、バンコクに戻って来ました。27時間移動し続けたのでちとしんどいです。
パクセ以降は、ワットプー、シーパンドンと周ってとても良かったです。二三日バンコクにいるので、その間にでもちょっとレポートしようと思います。
2002年05月26日 14時56分01秒

2002/05/19
サバナケットを一日で出てパクセに来たのはいいんですが、そこで体調を崩して39度の熱が出て、へばってました。
熱は下がりましたが完調にはまだ戻ってません。
ここからワットプーやシーパンドンなどの観光地に行こうと思うのですが、ガイドブックの情報は古くてラオスのは当てにならないのが分かってるし、日本人観光客の姿は見ないし、旅行代理店は閉まってるし、ホテルの従業員は「飯食ったか?」しか言わないしで、どうなるかわかりません。
ちなみにこの街のネット代はビエンチャンの5から7倍。一時間やれば安宿に一泊、あるいは食事を三食食べられます。ラオスのアクセスポイントはビエンチャンにしかないというのは本当のような気がしてきました。
ということで、しばらく更新はまばら、あるいはストップすることになると思います。
2002年05月19日 20時13分47秒

2002/05/16
ラオス第二の町、サバナケットに来ました。
といってもビル一つあるではなし、静かな町です。古い建物がいっぱい残ってる様は、風情があるというよりはなんか寂れてるような気がするなあ。
ビエンチャンからのバスはいっぱいに混んでましたが、外国人は僕とドイツ人の姉ちゃんの二人だけでした。さすがはローシーズンの平日。
2002年05月16日 20時24分04秒

2002/05/14
昨日の夜のスコールは凄かった。降りは1時間半くらいだったんだけど、その後、道が川になってた。サンダル履きだったから帰れたけど、運動靴だったら悲惨だったなあ。

今日はブッダパークという所に行ってきました。ヒンドゥー教と仏教の、普通ではないような像がいっぱいある、テーマパークです。
中国の三賢人や、仏様に教化される猿や象、天国、現世、地獄をあらわすカボチャなど、変わった象がいっぱいありました。ありがたみはないですが、面白い所です。
そこで二度も、「アンニョンハセヨ」と声をかけられました。屋台ではラオス語で値段を言われるようになりました。どんどん日本人に見られなくなっていってます。

パーク内で声をかけてきた人に、日本語の文を英訳して内容を教えてくれと言われました。ひらがなは読めるが、意味が分からないのだと。
本当、こういうのによく縁があります。えー、なになに?
「あなたのむねにだかれてねむったよるのことがわすれられません。だいすきなあなたに、このきもちをつたえたいです。あなたもせめてゆめのなかで、わたしをぎゅっとつよくだきしめてね」
ななな、なんですかこれは。日本のガールフレンドからのラブレター? 横にいた友人らしき坊さんは僕の英訳を聞いて腹を抱えて笑い転げるし、その人もそこまでストレートな内容だと思ってなかったようで、一度はノートを取り上げて逃げたくらいですから、本当なんでしょう。
それにしても。
これを書いた日本人女、本気なのかからかったのか、どっちだ? 昼日中からこんな文を読まされるとは思わなかったぞ。

実は今日の午前中、へばってたんですが、昼に久しぶりに焼き飯を食べたら復活しました。最近ラオス風にフランスパン、ヌードル、もち米の食事が続いてたからなあ。

これだけ旅しても、英語力はなかなか上がらないんですよね。ヒアリングはじわじわと上がっていっていると思うんですが、各国によって英語の癖が強いので、よく分かりません。ネイティブの人は早口すぎるし。
2002年05月14日 22時00分54秒

2002/05/13
痛いです。かなり痛いです。今日、自転車に乗って4時間ほどうろついたんですが、レンタサイクルは一番いいのを選らんだのに、それでもブレーキは弱々、ハンドグリップは滑り止めの突起が強すぎて握れたものじゃなく、サドルは高すぎる上にスプリングが壊れてる代物。それで強い日差しの中を走ったものだから、手のひらとお尻が痛い上、日焼けでひりひりしてます。

今日、種々の申請用に証明写真を撮りました。デジカメで撮ったのをあっと言う間にプリントアウトしてくれ、10枚で2万キップ(約2ドル=260円)でした。
日本円で考えるとなんでも安いです。食事は5千から1万キップ(70から135円)、瓶ビールも5千キップです。宿も5ドルだし。でも、こっちではそれを基準に考えるのであまり安い気はしないですね。そんなもんかなと。宿なんて高いなあと。
2002年05月13日 22時25分55秒

2002/05/12
雨が多くなってきました。悪路で名高い所は抜けてるので、まあ良かったのかな? でも南部の川イルカを見れる可能性は激減だなあ。

今日はビエンチャンに一件だけかもしれない、外国人も入れるスイミングプールに行ってきました。といっても日本の感覚だと市民プール程度ですが。
街の中心から少し外れているせいか、日曜だというのに客は少なく、それも親子連れか小学生の友人連ればかりで、外国人は僕だけ! いや、いいんですけどね。塩素がきつくて水中眼鏡を借りたんですが、仲良くなった小学生くらいの女の子に1時間くらい又貸ししたままだったりしました。目が痛そうにしてるんだもん。いや、いいんですけどね。

それと、有名な薬草サウナに行ってきました。ぼろい高床式建物の狭い一室で、混浴とかいっても自分以外ろくに見えやしない。先客のフランス人二人組みが、フランス語で「この国はなんなんだ。どこを見ても日本、日本、日本! JICA、JICA、JICA!」てなことを話してました。最大の援助国だそうですから。
元植民地だから、フランス語表記も多いんですがね。
2002年05月12日 21時50分24秒

2002/05/11
今日はのんびりした一日でした。
今日出会った、日本語を習いだして3週間という若い坊さんたちに日本語を教え(といっても関西弁なので、彼らが戸惑ってましたが)て、彼らがいくつかの言葉の発音に苦労していることを初めて知ったりしました。「ひゅ」とかはもとより、「つ」の発音に苦労しているのはいささか以外でした。
日本語の正式な先生になるには日本語教授法を習得する必要があるので、僕の教え方は邪道だったかもしれませんが。
そして、あとは大使館でかりた本を読んで過ごしました。
サウナとか行ってみたかったけど、また明日です。
今日はよく雨が降って、移動にいろいろ差し障りがありました


博物館をいくつかまわりましたが、仏像等の破壊されているものの多さに驚きました。それもほとんどが他国の侵略によるものです。比べて、日本の歴史の平和さを思いました。

それと、日本人旅行者で、神社と寺との違いを知らず、当然作法の違いも知らず、また、線香を供えるとき3本と教えられても理解できず、「Why?」と執拗に聞き返すなどしている人がいました。でも英語は達者にしゃべるんです。
これからの世の中、こういう人が増えていくんでしょうが、これは果たしていいことなんでしょうかね?
2002年05月11日 23時06分38秒

2002/05/10
今日は朝から喉が痛いです。風邪ではないのですが。この町は空気は悪くないのですが、旅の蓄積かな? 元々気管は弱いんですよ。オオサンショウウオのように、きれいな環境でないと住めない体なんです。
今日はビザの延長に行ってきました。10日間で20ドル。ガイドブックの倍じゃないか。世の中の移ろいは早いということでしょうか。
普通の観光としては、タート・ルアンに行きました。金色の、ラオス最大の仏塔です。これは行く値打ちがありました。金箔かメッキか塗装か知りませんが、迫力があります。
それと、日本大使館で本を借りてきたので一日読書の日を作ろうかな。
2002年05月10日 19時03分08秒

2002/05/09
ラオスの首都、ビエンチャンに来ました。

確かに高層ビルこそないですが、落ち着いた、良い街です。
今日は何もせず、例によって歩き回っただけです。
そのついでに、日本大使館に行ってきました。先日の盗難騒ぎの際,いろいろ迷惑をかけましたから。館員さんは、とても良い人でした。今ラオス在住の日本人は410人くらいだとか,いろいろ興味深い話も伺えました。
アヌサワリー(凱旋門もどき)では、女子高校生(中学生?)3人に話し掛けられましたが、僕がラオス語さっぱりで、その子達は英語さっぱりでしたので、会話はできませんでした。ただ、その一人が7月に日本に行くことだけは分かりましたが。
ガイドブックの会話集に現地語表記がないのはつらいなあ。

明日から観光と手続きです。
2002年05月09日 20時13分34秒

2002/05/07
いろいろ心配かけてすいません。元気にやってます。

今日はルアンパバーンから首都ビエンチャンへの途中にある、ラオスの桂林、バンビエンに来ました。南に来た分、暑いです。
ここに来る途中、4時間ほど山岳道路を走るのですが、多くの山岳集落を通り、景色も素晴らしく、なかなかのものでした。
けど、道は舗装されてはいてもお粗末なものでした。遠坂くらいの幅の道が国の大動脈というのも凄い話ですね。ガードレールもないし、崖もむき出しでした。
と言っても、この国の中ではいい道なんですが。

バンビエンは、夕方に着いたのであまり見てませんが、欧米人がものすごく多いです。道を歩いている人の半分くらい。町から見ただけでは、桂林と言っても、その入口くらいなものでした。と言っても、本物の桂林を見たことはないんですが。
観光名所も、洞窟が主のようですし。物価が安いのはいいんですけどね。のんびりするにはぴったりの場所でしょうね。なんか欧米ナイズされてるところが少し落ち着かないですが。
2002年05月07日 21時59分40秒

2002/05/06
まだルアンパバーンにいます。というのも、ちょっとトラブルに巻き込まれまして。

昨日、川で泳いでいる隙に、着替えと一緒に置いておいた現金100$相当とパスポートを取られました。
地元の子供だけしかいなかったので安心して岩の上に置いておいたら、一人の男がやってきて(子供の兄だと思っていた)、知らない間に取っていったのです。子供と水遊びをしていてそれに気付かず、帰り道、水を買おうとして初めて取られたのに気付きました。
慌てて戻って探しましたが、ある訳もなく。
でも、そんな中でも悪い事ばかりではありません。途方に暮れていると集まってきて、英語の話せる大人を呼んできて、町まで付いてきてくれた子供たち、あちこちに連絡を取ってくれ、一緒に警察に行ってくれ、元気付けてくれた呼ばれてきた大人、夜を徹して犯人を捜してくれた村の駐在さん。
えらい目にあったのに、ラオスという国自体はより好きになってしまいました。

そして、翌日(つまり今日)。11時過ぎ、駐在さんがホテルまで来て、サムアップサインをしました。盗人を捕まえ、パスポートを取り戻してくれたのです。さすがにお金は無理でしたが。

旅に出て一ヶ月少々、気の緩みがあったのかもしれません。気を引き締め直してやっていきます。トラブルも、不可抗力はともかく、対策可能なのはきちんとしないといけませんね。
2002年05月06日 15時28分23秒

2002/05/05
ラオスは感じのいい国です。今のところ。

ルアンパバーンは世界文化遺産にも指定されている古都なので、お寺がいっぱいあります。タイの過剰なまでに派手なのを見て来た身からすれば、ちょっとは落ち着いた感じで、見ようかという気になります。
人口は五万にも満たず、都市の周囲はなだらかな丘が、開発されないまま広がっています。自然の中にあるという、感じのいい町です。世界文化遺産という言葉には、正直首をかしげてしまうんですが。

白人の観光客も本当に多いんですが、不思議なのが、彼らのほとんどが、必ず半ズボンにサンダルというリゾートスタイルをどこでも貫いている事です。彼らには、海外旅行はそのスタイルで行く事が常識なのでしょうか。
ズボンと運動靴というこっちの格好を、
「なぜそんな格好をするんだ?」
と聞かれた事もあります。こっちが逆に聞きたいわ。

明日、ルアンパバーンを出る予定です。
次は、ラオスの桂林バンビエンか、首都ビエンチャンに行きます。どっちかバスの便のいい方に。次ネット出来るのはいつですかね。
2002年05月05日 13時24分05秒

2002/05/04
無事ラオスに入れまして、今は古都ルアンパバーンにいます。
チェンコーンから小さな渡し舟でメコン川を渡ってラオスのフェイサイという町に入り(ここほどのんきな国境は初めてでした。)、スローーボートでパクベンという田舎の村へ。ここで一泊。翌日、モーターボートのようなスピードボート(日本なら安全対策の不備で認可されないだろう)で一気にルアンパバーンへ入りました。
子供が裸で泳ぎ回ってたり、象が荷物の積み下ろし作業をしてたり、田舎だと電気が夜の三四時間しか使えなかったりと、面白い事がいっぱいです。
また、人も非情になつっこく、街を歩いていると、何もなくても子供が手を振ってきたりと、今の段階ではラオスの印象は非常にいいですね。
まあ、世界文化遺産に登録されてるというこの町の印象は、のんびりしてていいけど、どこが世界文化遺産なんだろう、というところだったりしますが、大した問題ではないですね。
2002年05月04日 17時48分52秒

2002/05/01
明日、ラオスに入る予定です。とりあえずラオスでは、川下りとビールと言われてるのでそれをする予定。
ちょっとビザが不安ですが、どうなることやら。
とりあえず、いろいろな面での無事を祈ってて下さい。
2002年05月01日 15時45分59秒

2002/04/30
昨日は大変でした。
それはそれとして、今日はラオスとの国境の町、チェンコンへ移動です。3時間かかるソンテウの客は、僕意外にはアメリカ人旅行者一人のみ。採算とれるのかな。
おじいちゃんの運転する車はのんびり走って、急げば一時間半くらいで行けそうなところを3時間かけて到着。いいんです。これがアジアだから。
チェンコンは小さな町です。メインストリート以外ににぎやかなところはありません。日本で言うところの人口5万人くらいの感じでしょうか。
次はラオスです。が、ラオス内をどう行くかがまったく未定のままです。これが決まらないと動けないよお!
2002年04月30日 19時30分55秒

2002/04/29
29日、メーサイを出て、少しずつラオスに向かいます。まずは、ソンテウで一時間ほどのゴールデントライアングルに行きました。
この間まで、ゲリラの生息地、芥子の一大生産地として有名だったところです。
ところが行ってみると、あるのは土産物屋と観光バスばかり。3国の国境地として、すっかり観光地になってました。
ここでついに、日本人観光客に「エクスキューズミー」と話し掛けられてしまいました。だから僕は何人に見えるんだ、と。
その晩はそばのチェンセーンで一泊。
いいネット屋があるのに気付かず、日本語のできないところでメールのみやり取り。
そこで、このページのことを弟が親に教えた事が発覚。メールのシグネチャにアドレス書いてた僕が悪いといえば悪いんですがね。
たまらんなあ。
2002年04月30日 19時25分32秒

2002/04/28(2)
なれなれしく声を掛けてきたビルマ人の店員と仲良くなり、いろいろ教えてもらいました。メーサイには住み着いた日本人もそれなりに居るとか。「アソコニイル日本人、三年前ニタイ人トケッコンシテココニ住ンデルネ」とか、なかなか興味深い話を聞かせてもらいました。お返しは、酒代45バーツ。三人で飲んでだから、問題なしです。面白い街ですが、そろそろ出ようかな。
2002年04月28日 21時26分13秒

2002/04/28
ここで改行させる方法がわかりました。これからは少しは見やすくなるでしょう。
ネットカフェでウィンドウズXPが入ってるのって、メーサイが初めてです。街と田舎の境目がわからなくなります。日本語も、バンコクとかよりこの街のほうがずっと通じるし。怪しげな美術品とかいっぱい売ってるから、その辺の関係かな。
2002年04月28日 13時42分03秒

2002/04/27
タイ最北の街、メーサイに来ました。ミャンマーとの国境があるので有名ですが、行くかどうかは未定です。
もっと田舎か、もっと騒然としてるのか、どれほど胡散臭いのか、と思って来たのですが、思ったほどではないですね。こうして日本語の使えるネットカフェもあるし。
明日はまだこの町に居るでしょう。
果たして、今月中にラオスに入るのか?
2002年04月27日 21時06分38秒

2002/04/26(2)
本場のトムヤムクンは僕にはきつい。きつすぎる。ギブアップです。
2002年04月26日 22時21分34秒

2002/04/26
そろそろチェンマイから動こうかと思います。
この後はラオスに行くことは決まってるんですが、次の町が決まりません。チェンライかチェンコーンかメーサイか。どうしたものか。
明日バスステーションへ行った時のタイミングと気分で決めようと思います。
最近、遂に最初はタイ語で話し掛けられるようになってしまいました。そこまで黒くないだろうが。その地に同化するのは旅人の一つの理想形ではあるけど、これはちと困るなあ。
2002年04月26日 16時06分31秒

2002/04/25
こちらの人に習って、タトゥーを入れました。 と書けば、何か反応があるかな? ま、そんなことはどうでもいいんですが、ドイツ人のマークスとのシェアはまだ続いてます。言葉の通じない相手によく長い間愛想よくしてくれるものです。ドイツ人の好感度アップです。結局、トレッキングツアーには行かず、市内観光をしてます。チェンマイは古都なので、山のようにお寺(ワット)があります。一人でとあるワットをぼんやり回ってたら、大型バスが3台ほど入ってきました。ツアー客かと思ったら、ガイド養成学校の生徒でした。僕が日本人と見ると話し掛けてきた人のおかげでわかったのですが。言葉によってコースが違うようで、日本語を勉強しているナッ君に、無料でガイドをしてもらいました。そぞろ歩きもしてみるものです。
2002年04月25日 14時55分11秒

一ヶ月経ちました。
気がつけば、旅に出て一ヶ月。そこで、ここまでの足取りを忘れないように書いてみます。 関空−広衆−南寧−東興−モンカイ−ハノイ−フエ−サイゴン(ホーチミンシティ)−モクバイ−プノンペン−シェムリアップ−ポイペッと−アランヤプラテート−バンコク−ナムトック−チェンマイ えーと。動きすぎ。これからはもうちっとゆっくりになるでしょう。
2002年04月25日 14時47分44秒

2002/04/23
夜行列車でチェンマイに着きました。こっちはバンコクよりは涼しい気がします。真昼のたまらなさは一緒ですが、夕方、一雨来ました。
宿は、列車で一緒だった二人のドイツ人とシェアして取りました(注・僕は英語が中一レベル、ドイツ語はヤー・ネイ・グーテンターグしかしゃべれませんし、向こうも日本語は全く駄目です)。なんか、トレッキングツアーに巻き込まれるかもしれません。そんな気はないんですが。というか、トレッキングに参加する人って、故国でもよくハイキングとかしてるんでしょうかねえ? 怪しいんですが。
タイの水は、僕には大丈夫、、、なのかな?
2002年04月23日 19時22分37秒

2002/04/22
都会疲れか暑さにやられたか、日本を出て一ヶ月、持って出た免疫が尽きたのか、微妙に風邪気味です。 それはともかく、昨日泰麺鉄道に乗ってきました。クワイ川鉄橋、いわゆる「戦場にかける橋」のある所です。ぼくはそこでは止まらず、ただ終点まで乗っただけですが。ローカルの盲腸線なのに、平気で五時間かかる所を一時間遅れる所がのんびりしてていいですね。バンコクの始発駅は不通になってて、いきなり1キロ西の駅までバス移動させられたり。車両は3等、いわゆる普通車のみで、ただの木の座席。39バーツ(120円)でした。ローカル線の風情が出てくるあたりから路盤が悪くなって揺れまくりましたが、そのあたりから白人観光客が大挙乗ってきて、乗車率が10%からいきなり120%になったりしました。日曜日だしなあ。 いろんな人に会いました。カンチャナブリーで高校の先生をしていて、将来日本人向けのガイドになりたいという人がいました。いつも怪しまれているのでしょう、「ドロボウチガウ」を連発してました。僕が始め日本人とは分からず、韓国人だと思って声を掛けたそうです。そんなに日本人ばなれした顔ではないと思うんだけどなあ。どうもこの人は大丈夫なようなので、次の機会があれば遊びに行ってみようと思います。他にも、普通の日本人の女の子がツアーで来てたりしました。色白でおしゃれして、化粧もかっちりしてる子なんて久しぶりで、新鮮でした。 あと、昨日はバンコクで何かのお祭があったようです。ソンクラーンとは違い、日本でイメージするようなお祭りが。凄い人手で、出店・出し物・花火。この花火が、さすがは首都というべきか、見事なものでした。久しぶりに堪能させてもらいました。
2002年04月22日 13時28分00秒

2002/04/20
日射病になりかけたのかな? 昼日中、外を歩いていると不意に軽い頭痛を覚えたので休むと治りました。バンコクは今、一年で一番暑い季節なんですね。確かに40度近くはあるだろうし、日中は出歩く気が失せますが、暑さそのものは絶対日本の方が暑いですよ。それと、タイに来て不思議なのが、食事の量が少ない事です。僕が大食いだからというのではなく、食堂で頼んでも、現地の人向けのは、腹四分め位にしかなりません。もしかして、ここって一日4食か5食だったりして。 バンコクを離れる切符を買いました。月曜の夜行列車(寝台車大好き!)で、チェンマイへ行きます。北行きなので多少は涼しくなるかな。ただ、列車の切符は入手が難しいといわれていたのに、夕方五時半に行って当日のチケットも楽勝で買えそうだったのは肩透かしでした。タイも鉄道は斜陽産業になりつつあるのかな?
2002年04月20日 21時55分40秒

2002/04/19
思うところあって日本人街に行ってきました。あるもんですねえ。フジスーパーという、まんま日本の品揃えのスーパーが。普通の町中のスーパーで、チルド棚はこんなにないし、魚や肉が置いてあるという事もない。チャイナタウンしかり、やはり人は自分の馴染み深い風景を側に置いておきたい生き物なんですね。日本食が恋しくなった事はなかったんですが、思わずコンビニおにぎり(30バーツ)と手巻おにぎり(20バーツ)、ポッカ野菜ジュース(22バーツ)を買ってしまいました。この値段なら、買う。やはりこの手のものに飢えてたようで、久々に体に沁み渡りました。これでしばらくは頑張れる。ついでに置いてあった、週間少年チャンピオン20号(99バーツ)も衝動買いですよ。おかげでチェンマイ行きはバス確定かな。 しかし、このおにぎり、バンコクで普通にコンビニに置いても儲かると思うけどなあ。まともな食べ物置いてないから、屋台の閉まる夜以降、売れるって。最低限、日本人は買うし。
2002年04月19日 20時37分06秒

2002/04/17
町中をぶらぶらしました。伊勢丹に行ってきました。驚きです。店内放送が日本語なんです。しかも、紀伊国屋書店があるんです。日本料理屋もバンバンあるんです。でも、やばいんです。値段が。本類は、日本の値段に輸送費を上乗せした値段で、たとえば210円の雑誌が160バーツ(約640円)。日本料理は大体200から300バーツ(800から1200円)あたりがメインでした。確かに、日本の感覚だとそんなもんなんですが、一泊130バーツの宿に泊まり、一食30バーツ使えば贅沢かなと思うような生活をしていると、とても手の出るものではありません。早々に退散しましたとも、ええ。
2002年04月17日 20時20分29秒

2002/04/16(2)
ソンクラーンも終わり、道は真っ白ですが、カオサンも落ち着きを取り戻しました。ビザ申請に行くついでに、通りを見てきました。噂通り、怪しい店が一杯です。偽の学生証を作る店、怪しいTシャツを売る店。明らかに日本の美少女ゲームやアニメから絵をぱくってきたとしか思えない絵柄のシャツが壁一面を埋めています。オタク度の低い僕には、下級生とガオガイガー、らんま1/2くらいしか分かりませんでしたが。「合い言葉は あに・まぐ」ってなんだ? 天王寺界隈をうろつく楽しさに似てますかね。
2002年04月16日 21時09分13秒

2002/04/16
ようやくソンクラーンが終わりました。昨日はさすがに飽きて(なんで水をかけ、小麦水を塗りたくりあうだけで4日も楽しめるんだ?)、部屋でおとなしく読書してました。それでも一昨日の夜は、近くの砦公園に王女様が来て、新年祝賀行事のようなことをしたりとバリエーションも楽しめましたが。 さて、バンコクを観光しつつ、移動の準備を進めるかな。
2002年04月16日 15時23分15秒

2002/04/14
昨夜、M氏が帰国しました。これでまた一人です。昨日のソンクラーンはすごかった。最盛時は完全に交通麻痺してました。僕も眼鏡に小麦を塗りたくられましたし。いや、すごいわ。
2002年04月14日 16時01分39秒

2002/04/13
旧正月を祝う祭り、ソンクラーンが始まりました。本場はチェンマイで、バンコクは騒ぎたい白人旅行者が始めたらしいんですが、噂に違わず、やりたい放題ですね。水掛祭りの名の通り、水をかけるのに始まり、小麦粉を水でといたのを顔に塗ったり。でも今のところ、完全無差別というわけではなく、やはり身内やかわいい女の子が集中してやられています。後三日もあるので、どうなるのか楽しみなような恐いような心持ちです。
2002年04月13日 14時45分20秒

2002/04/12
昨日、友人のM氏がやってきました。ソンクラーンに合わせてやってきた、つわものです。この更新のあと、どんなものか、戦場に繰り出す予定です。 タイ、思ったより微笑んでくれる人が少ないです。みんな、観光客ずれしすぎ! それと、ここは日本人率が異常なまでに高いんですが、かなりの割合で性格悪そうな、新宿あたりでうんこ座りしてそうな兄ちゃん姉ちゃんがいるというのはどういう事だ。ほかの国ではそんなことはなかったのに。 バンコクは、日本から一番最初に行くにはいいかもしれないですが、カンボジアとか行った後だとちょっと物足りないですね。今のところの感想では。
2002年04月12日 13時03分05秒

2002/04/10
タイはバンコク、カオサンロードにやってきました。 まだ、屋台で食事をしたわけでもなく、夜を見ただけですが、バックパッカーの聖地として有名なこの町は、一言でいって、都会ですね。その中の、無国籍地帯の一角がそう、という印象です。これまで回ってきた町と違い、バイタクの客引きもいないし、物乞いもいない。過ごしやすそうではありますが、なんか違和感を感じてしまいます。町過ぎて落着かないというか。田舎者ですから。何でもありそうで便利そうではありますが。 まあ、何日か過ごせば印象も違ってくるのかもしれません。微笑みの国、タイ。カンボジアも相当微笑んでくれましたが、このくにはどうか。楽しみに見たいと思います。 数日間、ここにとどまる予定です。
2002年04月10日 22時33分27秒

2002/04/08
アンコール遺跡のお膝元、シェムリアップに来ました。が、観光は明日一日だけ。うーむ。サイゴン、プノンペンともども思いっきり消化不良。心が残りまくっている。タイに行っても残り続けるようならもう一度行った方がいいな。アンコール観光を一日だけと言ったらあきれられたし。
2002年04月08日 20時08分23秒

2002/04/07
ポルポトの大虐殺の証として有名な、トゥールスレーン刑務所博物館に行ってきました。言葉がありませんでした。実際にそこで大虐殺が行われた元高校の刑務所跡で、処刑されたベッドや拷問具ももちろん本物。独房跡などは殺された人々の怨念が篭っているようで、足を踏み入れただけで胃の辺りが重くなり、気分が悪くなりました。有名な、処刑前の人々の写真も、ほんの子供も数多く、老弱男女問わず、山のように掲示されていましたし、最後の部屋には夥しい頭蓋骨が積まれていました。僕は、ただ黙って合掌することしか出来ませんでした。観光というわけではないですが、プノンペンに来たら、一度は行っておかなくてはいけない場所だと思います。 その後、午後は例によって街歩き。楽しいですよ。子供が元気なのが何より楽しい。バイタクも、ベトナムに比べてしつこくなく、フレンドリーな気がします。 明日はシェムリアップに発つ予定。
2002年04月07日 19時42分47秒

2002/04/06
カンボジアのプノンペンに入りました。国が変ると人から地勢から、一変しますね。地平線なんて初めて見ました。夜は気を付けないといけないようだけど、ベトナムに比べて人はおっとりしてるし、子供は目が輝いていて可愛いし、良い所です。出回っている銃器と地雷の処理が進めばもっと流行る所でしょう。田舎の方はバイクに四人乗りをして、泥の家で、子供も裸で走り回ってたりしますが、プノンペンにはいるとネオンが輝き、スーパーが有り、車が走りまわる、日本の地方都市みたいになります。 大麻も売りに来ます。やりませんけどね。 面白い街なのでもっといたいところですが、明後日、アンコールワットの近く、シェムリアップに移動します。 バンコクに着いたら、少しゆっくりする予定です。
2002年04月06日 23時36分36秒

2002/04/05
今、サイゴン(ホーチミンシティ)にいます。ハノイからフエを経由して夜行を乗り継いで来ました。暑いです。戦跡博物館と旧大統領官邸は行った価値ありました。クチトンネルは時間が無いので行きません。駆け足ですが、明日カンボジアのプノンペンに発つ予定です。 そこで、ここまでの印象をざっとまとめてみます。全体では、交通ルールはないですね。「ためらわず行け。そして気をつけろ。以上」と言う印象です。それと、物は冷やさなくて当たり前で、小食堂と雑貨屋がめったやたらとある。 ベトナムに限れば、まず、スケベおやじと言われてもいい。アオザイは色っぽいです。ベトナム人が着れば。それと、よくぼり、よく騙す。けど、悪どい人はあまりいないかな。今のところ、健康に旅をしてます。それではまた次回。
2002年04月05日 18時38分25秒

2002/04/01
海外って気をつけないといけないなあ。つくづく。今日,怪しい人に会いました。船でエンジニアをしている人のおじさんで、スタークルーザーのカジノのディーラーをしているという人。その人の家で食事をご馳走になったんだけど,その後。カジノでの勝ち方を教えるとか,妻が出産のために病院にいるんだが,血が足りないので分けてくれないか,1パック50$でどうだとかあからさまに怪しいんですわ。  まあ、きっぱり断ったら無事に帰れたし,家までの往復と食事のお金も請求されなかったけど。ただ、その人に実家の住所を教えてしまったのは失敗でした。雑談の中で,自然にアドレ スを交換して,その後で怪しさを出して来るんだもんなあ。  まあ、本当に日本に来て連絡してくるようなら,そこまで怪しくなかったってことなんだろうけど。  これからは、もっと気を付けよう。「知らない人の誘いに乗らない」基本中の基本なのになあ。反省。 
2002年04月01日 16時11分49秒

2002/03/31
今日もハノイ。ホーチミン廟を見てきました。無料なのも驚きだけど,なくなった方は、せめて体くらいは安らかにさせてあげても良いのでは,なんて思ってしまいました。
2002年03月31日 18時43分10秒

2002/03/30
ご無沙汰してます。 中国ではネットが出来る場所を発見する余裕がありませんでした。 今はベトナムのハノイです。 出発してから今まで、今日二人見るまで日本人には会いませんでした。 明後日夜行列車でフエまで移動する予定です。 ハロン湾はきれいでした。 ベトナム人は確かにぼります。 ではまた次回。
2002年03月30日 19時38分18秒

出発前日
気がつけば明日出発です。別の事にかまけてて、準備もまだ完了していません。 大丈夫か、おい。 現在90。 次の更新は国外からになるでしょう。
2002年03月24日 13時01分48秒

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