公式戦記録
1軍
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
1995 | 出場なし | ||||||
1996 | 出場なし | ||||||
1997 | 出場なし | ||||||
1998 | 出場なし | ||||||
1999 | 2 | 4 | 0 | .000 | |||
2000 | 45 | 122 | 32 | 2 | 16 | .262 | |
2001 | 60 | 120 | 31 | 1 | 13 | .258 | |
2002 | 74 | 218 | 54 | 7 | 31 | 1 | .248 |
2003 | 20 | 22 | 4 | 0 | 2 | .182 | |
2004 | 8 | 6 | 1 | 0 | 0 | .167 | |
2005 | 7 | 11 | 2 | 0 | 3 | 0 | .182 |
通算 | 216 | 503 | 124 | 10 | 65 | 1 | .247 |
2軍
年 | 試合 | 勝 | 敗 | S | 回 | 自責点 | 防御率 |
1995 | 2 | 0 | 1 | 0 | 8 | 3 | 3.38 |
1996 | 11 | 1 | 4 | 0 | 28.1 | 19 | 5.97 |
打者転向 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
1997 | 45 | 58 | 23 | 1 | 11 | 2 | .397 |
1998 | 89 | 240 | 55 | 1 | 37 | .229 | |
1999 | 90 | 272 | 66 | 6 | 30 | 1 | .243 |
2000 | 73 | 228 | 73 | 5 | 38 | 2 | .320 |
2001 | 15 | 48 | 15 | 1 | 4 | .313 | |
2002 | 26 | 92 | 32 | 1 | 18 | .348 | |
2003 | 46 | 148 | 55 | 10 | 37 | 1 | .372 |
2004 | 71 | 229 | 55 | 3 | 26 | 1 | .240 |
2005 | 61 | 146 | 46 | 3 | 34 | .315 | |
通算 | 516 | 1461 | 420 | 31 | 235 | 7 | .287 |
◆ファン暦
○プロ入り前
正直言って、プロ入り前まで全く知りませんでした。高校野球で甲子園に出ているのは知っていましたが、山梨学院大附属の試合は時間が合わず、見ていません。
○投手時代(1995、6年)
この段階でも、まだ特に入れ込んでいたわけではありません。高校時代を知っているヤクルトファンの友人が、「こいつは凄い球を投げる! 絶対凄いピッチャーになる!」と言っていたので、そのうち見れたらいいなとしか思っていませんでした。ファームの成績もそんなに目を引くものではありませんでしたし。
○打者転向一年目(1997年)
打者に転向したという記事を見て(イチローに紅白戦で打たれたから、でしたっけ)、どんなもんなんだろうとは思っていましたが、この時までは他の選手と同じレベルの注目しかしていませんでした。
それが、シーズン終了後、ファームの成績を見て変わりました。「打者転向していきなり打率.397だぁ!?」と。ニフティの会議室で注目選手の話題をしているうちにだんだん盛り上がってきて、これはどんな選手なのか見なければいけないとファーム情報をあさり、一気に要注目選手になったのです。
それまではむしろ、田中や山本栄二のほうに注意がいっていました。
○ファームのレギュラーへ(1998年)
オフに一気に一番のお気に入りへランクアップした(それでも、代打の切り札を目指せなんて言っていた)のはいいものの、ファームの観戦機会がなく(サブの試合は一軍と時間が被ることが多かったため)、この年は結局一度も見ていません。しかし、「この打率でこの打点というのはやはり只者やないで。成長したら凄いぞ」などと友人と言っていましたので、完全にハマっていたようです、この時には(^^)/
○ファームの中心打者へ(1999年)
この成績なら一軍に上がってもおかしくないだろう、そう思っていました。当時、一軍には左の代打が手薄だったという事情もあり、ファームで主軸に座り、打率はともかくホームランと打点をコンスタントに上げているんだから、なんで昇格せんのやと。
そうしたら、シーズン終盤の10月6日、故障の塩崎に代わってとうとう1軍昇格です。
そして10月9日のマリーンズ戦、8番一塁でプロ初スタメンです。しかし、ジョニー黒木の前にあえなく二打席凡退。続く10月10日も7番一塁でスタメン出場しますが、小野晋吾の前にまたもや二打席凡退。翌11日からは、ファーム主体のハイサイリーグに出場するため、一軍を離れます。そのハイサイリーグでもホームラン三本を放つなど大活躍。一軍への道がはっきりと見えた一年でした。
○一軍正式デビュー(2000年)
昨シーズンの終わり方からして、当然今季は1軍メンバーだろうと信じていたのですが、開幕は例年どおりファーム。しかしそこで腐ることなく、3割を超える高打率を上げ、ミート技術も向上させ、ファームの首位打者争いを演じつつ、時が来るのを待ちます。
そして8月。千葉マリンスタジアムで、鮮烈デビューを飾ります。4打数3安打3打点、5打数3安打3打点と、2試合連続猛打賞、2試合連続3打点! 8月6日にはGS神戸でサヨナラタイムリーも打ちました。
秋に入ってから疲労から調子を落としましたが、1軍戦力として十分働けることを印象付けた一年でした。来期は常時1軍、そしてレギュラーだ!(守備位置的に大変でしょうが‥‥)
ちなみにこの年、サーパス神戸(2軍)の年間MVPにも選ばれています。
○一軍定着も足踏み(2001年)
今季は開幕一軍に食い込み、2試合目にスタメンで出場するなど、レギュラー争いに向け、いいスタートを切ったかに思えたのですが‥‥。
4月はいい感じで打ててたんですが、5月に入り、勝負どころでの凡退が続いたと思ったあたりで、出番激減。出ても、チャンスでない場面が多くなりました。打つのが仕事の鈍足選手がチャンスメイクしても仕方ないでしょうに(^
^;
6月11日にはついに打率も3割を切り、6月26日には2軍降格をしてしまいます。オールスター明けの7月27日には復帰しますが。そして8月1日、今季初の長打がホームラン。ようやくミスターシングル(高畠打撃コーチ命名)返上です。ほっとしました。この後ちょくちょく出番が回ってくるも、なぜかほとんどチャンスには当たらない。
そして9月13日、二塁打を打った後、次打者の一直で帰塁する際、腰の肉離れを起こしてしまい、今季終了。
ファームの出番の少なさを見ても分かるとおり、一軍戦力として認知されたのは間違いないでしょう。ただ、そこであまり目覚しい活躍が出来なかったのが残念。チャンスに回らず、なぜか打球も上がらない。今年はプラトー状態の年だったと信じましょう。来年はブレイクの年だ!
そうそう、今年は直営店からリミックスTシャツとナンバーTシャツが発売されました。なかなかの売れ行きを見せたようです。
○二歩前へ(2002年)
このシーズンは見てないんですよね‥‥。旅先からネットでチェックしてただけで。なので具体的なことは知らないんですが‥‥。
シーズン始めは藤井さんと使う位置が被るとの事で、下で調整を余儀なくされ、下では明らかに格の違う成績を上げていながら一軍での出番がありませんでした。監督が変わったこともあり、使ってもらえるのかこの頃は心配でした。なんだかんだで、一軍昇格したのは6月12日‥‥。
それでも昨年に比べ、打数は倍近く、ホームランは7倍と出番も増え、チーム事情もあったのかもしれませんが、スタメンでの出番も多く、エレベーター選手からレギュラー候補くらいにまではなれたんではないでしょうか。トータルで見た成績は正直、もう一つ物足りないんですが‥‥。
オフには結婚もしたことだし、来季こそレギュラー獲りへとステップアップして欲しいものです。気になるのは結婚一年目のジンクスですが‥‥。
○一歩後退(2003年)
キャンプまではかなり期待されてたんですが、オープン戦の出来が悪く、公式戦が始まってからも結果が出せませんでした。それでも一応の評価をしてくれていた石毛監督からレオン監督に代わり、出番が激減します。たまに出ても先頭打者とかが多く、適性も何もあったもんじゃなかった。
7月21日に今季二度目の二軍に降格すると、それっきりでした。二軍では高打率をマークし、格の違いを見せつけ続けていたんですが、声がかかりませんでした。こんな言葉は好きじゃないですが、干されていた気配がぷんぷんとします。一軍の構成上仕方ない面は確かにありましたが、ここまで上がらないのはそれ以外の要素もあったとしか考えられない。来年はどうなるんでしょう……。
○まずいよ……(2004年)
今年もスタートダッシュで失敗します。それにしても使われなさすぎだとは思いましたが。久々に出番が来たと思ったら変な場面で使い、結果を残せなくて二軍行き。選手によっての贔屓が極端だったように感じました。
でも、その後の成績には文句言えませんね。今年は二軍でも結果を出せず、惨憺たる有様でした。捲土重来を期して頑張ってくれ……。
○嗚呼‥‥(2005年)
春からファームでそこそこの調子を維持していましたが、仰木監督になって巡ってきたチャンスを活かす事が出来ませんでした。やっと呼ばれた一軍で11の2では……。その後、下でも調子を崩して今ひとつでしたが、終盤になってやっと調子を取り戻し、打ちまくってシーズンを終えましたが、時既に遅し、でした。
シーズン終了後すぐの9月30日、戦力外通告を受けてしまいました……。
結果が全てのプロの世界でなかなか数字を残す事ができず、ずるずると年を重ねていってしまってましたから、ファンとしても覚悟はできていましたが、残念です。
何はともあれお疲れ様でした。楽しい夢を見せてもらいました。